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第44話 堺にて(その3)

感想、評価、ブックマーク登録、いいね!を頂きありがとうございます。大変励みとなっています。

また、細かい誤字脱字の指摘、大変ありがたいと思うと同時に本当に申し訳ないとも思っております。今後ともよろしくお願い致します。


前話で「実子と養子の婚姻は可能か?」と言う質問をしました。ご回答頂きありがとうございました。と同時に、私の質問が分かりにくく皆様に混乱を与えてしまったこと、大変申し訳ございませんでした。


質問内容の具体例としては、「A男がB女と結婚して、B女の実子C子がA男の養子となった場合、C子とA男の実子D坊は成人後に結婚できるか?」という意味です。婚姻と同時に養子関係に入る婿養子とは別の問題でした。法律上OKなのは知ってますが、儒教的にどうなのかが分からず、皆様にお聞きした次第です。

一番近いのは利家とまつの関係でしょうか。歴史系のサイトの中にはまつが利家の父である前田利春の養女となったと書いているものもあるので、だったら大丈夫なのかな?と考えています。ただ、「引き取られて養われた」という表現がされているサイトもあるので、これが養女になったことを指しているのかどうかが分かりません。


ちなみにChatGPTによれば、「家族の和を乱す」ということで儒教的には駄目だという風に言ってました。でも、ChatGPTて、歴史関連の回答は信用できないんですよね・・・。

「教えを受け入れろ・・・、とは?どういう意味ですかな、うるがん殿」


 重秀が冷静な声でオルガンティノに聞いた。オルガンティノは話を続ける。


「ワタクシの使命、この国の人に(でうす)の教え、伝えるでゴゼマス。ワタクシ、色んな場所、伝えマシタ。ワタクシ、長浜で伝える、望みゴゼマス」


「それは・・・、父と相談の上、後日改めてお話しとうございます」


 先延ばししようとする重秀に対し、オルガンティノが畳み掛ける。


「ハシバ様、今、決める、出来まセンカ?牛、肉、ワタクシたち必要でゴゼマス。京では手に入らナイ。銭、タクサン出すゴゼマス」


「羽柴様、ワテからもよろしゅう頼んます。長崎にはすでに南蛮から牛や豚、羊(実際は山羊のこと)が入ってきて、飼ってはいるんです。しかし陸路で京まで運ぶには日数がかかりますし、海路では船賃が高うつきます。近江から持ってきたほうが安くて安心なんですわ。

 それに、ワテもキリシタンですさかい、デウス様の教えはよう知っとります。決して巷で言われるような邪教じゃあらしまへん。羽柴様のご迷惑になるような教えではありまへん」


 オルガンティノだけではなく、小西隆佐も重秀に頼み込んだ。しかし、重秀は首を縦に振らなかった。


「お二方の言うことも分かりますが、異国の宗門を取り入れれば、我が領内の寺社が反発することが目に見えております。我が領内には昔、湖北十ヶ寺と呼ばれる寺院が影響力を持っておりました。今は湖北十ヶ寺との関係を修復している最中ですので、あまり刺激したくないのですよ」


 湖北十ヶ寺とは、琵琶湖の北側にある地域で力を持っていた浄土真宗の寺院である。元々本願寺の末寺だったこともあり、湖北では一向門徒の拠点として機能していた。当然、本願寺の影響で反信長派であり、浅井・朝倉と組んで信長と戦っていたものの、浅井・朝倉の滅亡と同時に湖北十ヶ寺は壊滅状態となっていた。秀吉の領地となった後は、信長に逆らわないことを条件に、少しづつであったが再建が進んでいた。


「御屋形様、ワタクシたち、保護スル、寺、抑えるタメ。ハシバ様、ワタクシたち、保護スル、領地の寺、抑えゴゼマス」


 キリスト教で湖北十ヶ寺を抑えこめるよ、とオルガンティノは言っているのだが、重秀は首を横に振る。


「そんな事をすれば、彼等は越前の一向一揆勢を呼び込むでしょう。そうなれば、牛も蚕も無くなりますよ」


 重秀の言葉を聞いたオルガンティノ。溜息をつくと、重秀に言った。


「デシタラ、牛、買えマセン。ハシバ様から牛買うの、諦めマス。肉、長崎から持ってくるゴゼマス」


 重秀の後ろから正則や清正が驚きの声が上がる。賦秀の表情も険しくなった。一方、重秀は腕を組んで目をつぶって考え込んだ。考え込むことしばし、ゆっくりと目を開けると口を開いた。


「分かりました。牛は諦めましょう。この話はなかったことに」


 そう言って席を立とうとする重秀に、隆佐とオルガンティノが慌てた。


「ナ、ナゼ!?肉、売らナイ、銭、ならナイ。ハシバ様困りマス!」


「お、お待ち下さい!牛を諦めるとは、牛を飼うのをおやめになるんでっしゃろか!?」


 オルガンティノと隆佐の叫びに、重秀は首を横に振ってから言った。


「いいえ。ですが、別に牛は食わなくても高く売れますから。特にこれからは、生きた牛に高値がつくでしょう」


「これから・・・?何故でっしゃろか?」


「越前で使うからですよ」


 重秀がそう言うと、椅子に座り直して説明を始めた。


「越前が一向一揆勢の支配下に置かれているのはご存知でしょう?その越前では本願寺や加賀から来た法官が圧政を敷いており、今では地元民との間に内紛が起きてるようでございます。御屋形様はその混乱を機に越前を、少なくとも今年中には攻めると父は予想しております。御屋形様は長島の一向一揆勢を根切りされました。恐らく、越前でも同じことしますでしょう。そうなると、越前は人手不足になります。ただでさえ内紛で荒廃した越前の田畑、人がいないのに誰が耕すんです?」


「・・・人の代わりに牛を使うと?しかし、荒廃した越前で牛を買う銭がありますか?」


 隆佐の質問に重秀が即答する。


「越前は今までは旧朝倉の家臣を配置していたから一揆勢に掠め取られたのです。こういった事が起きぬよう、今度は御屋形様の重臣が越前を治めるのでは、と父は予想しております。重臣ならば、牛を大量に購入するだけの財力ぐらいはありますよ」


 重秀がこう言うと、隆佐とオルガンティノは黙りこくってしまった。そんな二人を見ながら、重秀は話しかけた。


「まあ、伴天連が長浜に来て神の教えとやらを説く事自体は私も反対はしません。しかし、長浜の統治はあくまで父が行っています故、父の許しを得てから説いていただきたい」


「・・・分かりマシタ。長浜へ神の教え伝える、アナタ様の父上に聞いてカラ、伝えマス」


 オルガンティノがそう言うと、重秀は頷いた。そして、隆佐の方に顔を向けた。


「これでよろしいですかな?隆佐殿」


「・・・まあ、布教についてはそれでよろしゅうおますが、牛の肉はいかが致しますんで?牛を殺して捌く人、おりまっか?」


 隆佐の疑問に重秀がサラッと答えた。


「いると思いますよ」


「そうでっしゃろ、そうでっしゃろ。そう簡単に・・・、いるんでっか!?」


 重秀の答えは、隆佐だけではなくオルガンティノや賦秀も驚いた。


「ま、待ってクダサイ!ホトケの教え、ケモノ殺す、ダメ!殺せる人、イナイ!」


 オルガンティノが叫ぶが、重秀はさらに答える。


「仏の教えの中には、肉食妻帯を認めるのもあります。父上が湖北十ヶ寺と和解しつつあるのは、そういうことです」


「ああ、真宗しんしゅうか」


 重秀の答えに、賦秀が納得したかのような声を上げた。


 真宗とは浄土真宗のことである。親鸞聖人の創始以来、真宗では他の宗派と違い肉食妻帯を認めていた。親鸞聖人の没後、真宗は内部分裂を繰り返し、色んな派閥が生まれるようになる。その派閥の一つが本願寺を中心とした一向宗である。


「さすがに御屋形様の手前、一向宗に近づくことはできませんが、真宗は他にもいますし。条件さえ整えば、牛を捌く人は見つかると思いますよ。まあ、牛の肉を買ってくれる人がいなければ、そういう人を探す手間はなくなりますが」


 重秀に言われて隆佐とオルガンティノは顔を見合わせた。どうやら『肉を生産させることでキリスト教布教の足がかりを掴める』という目論見は破れたのを悟ったようである。オルガンティノが溜息をついて言った。。


「・・・分かりマシタ。神の教えを伝エル、デキル、デキナイ、置いとイテ、肉、買いマス」


 隆佐も続けて言った。顔からは疲れたような表情が出ていた。


「羽柴様、その際の仲買はワテの店を使うて下さいまへんか?『薬喰い』とすれば、羽柴様も売りやすうなりますさかいに。そして、牛には牛黄ごおう(牛の胆石)ちゅう生薬になるものもありますんで」


「分かりました。牛を殺す人はこちらで用意いたしますが、牛をどうやって捌くかは恐らく一向門徒でも知らないでしょう。なので、牛を捌く職人の紹介、隆佐殿に頼んでもよろしいか?」


 重秀の言葉に、隆佐は「お任せください」と言って頭を下げた。


「では、よろしくお願いする」


 重秀がそう言うと頭を下げた。隆佐もオルガンティノも頭を下げたが、頭を上げたオルガンティノが口を開いた。


「折角デス。Stretta di mano(イタリア語で握手のこと)シマス」


「・・・なんです?」


 よく聞き取れなかった重秀が聞くと、隆佐が口を挟んできた。


「南蛮人の挨拶でおます。右手同士で握り合うのが南蛮風でっせ」


 隆佐がそう言うと、オルガンティノが右手を差し伸べてきた。重秀は恐る恐る右手でオルガンティノの右手を握ると、オルガンティノも握り返してきた。


「コレ、ワタクシたちの挨拶デス。これデ、ワタクシたち友デス」


 オルガンティノはそう言うとニッコリと笑った。その後、賦秀、正則、清正にも同じ様に握手をした。






「ささ、商いの話はこれで決着でっせ。商い成立を祝して、ささやかな酒宴を用意しましてん、どうぞ別室へ」


 隆佐に促された重秀達は、オルガンティノとともに別室へ移動した。その部屋にも南蛮風のテーブルと椅子が用意されており、そこには奇妙な形の器っぽい何かが置いてあった。その器は、テーブルの上に置いてあった蝋燭の光を浴びてキラキラと輝いていた。


「ささ、羽柴様、蒲生様、席にお座り下さい。福島様、加藤様もどうぞご遠慮なさらずに」


 重秀と賦秀は素直に座ったが、正則と清正は戸惑っていた。果たして一緒に座って良いのだろうか?と目で重秀に訴えていた。


「ここで断っては小西殿に失礼であろう。座れば良い」


 重秀の言葉で正則と清正は椅子に座ることとなった。全員が座ったところを見た隆佐が話し始めた。


「さて、皆様にはこれより、南蛮の料理を出そうと思います。そして、その中には牛の肉や豚の肉もございます」


 隆佐の衝撃的な発言に、重秀達は期待と不安の両方の気持ちを抱いた。

 それから、重秀達はビードロ(ポルトガル語でガラスのこと)製のコッポ(ポルトガル語でコップのこと、コップはオランダ語である)で赤ワインの美しさを堪能しつつ、そのアルコール度数の高さと渋さに顔をしかめ、豚肉の塩漬けと野菜を煮込んだスープを銀製のすぷーんで頂き、豚肉の美味さを初めて知った。パォン(ポルトガル語でパンのこと)の不思議な食感と味を楽しみつつ、余裕のできた重秀達はオルガンティノと会話を楽しむとことまで出来るようになった。


「うるがん殿は南蛮から船で来られたんですよね?どんな船ですか?」


「ワタクシ、のった船、ナウ言うゴゼマス。遠くに行くタメ、作られたでゴゼマス。南蛮から天竺のゴア(インドのポルトガル植民都市)へ行き、ソコのコレジヨ(大神学校のこと)でVulgata(ラテン語訳聖書のこと)教えたでゴゼマス。その後、ヒノモトへ来ました」


「天竺にいたのですか。また遠くから来ましたな。そんな遠くから来たのでは、さぞ船の漕手は疲れるでしょうな」


 賦秀が感心したように言うと、オルガンティノは首を横に振って話を続けた。


「イイエ、ナウにRemo(櫂、オールのこと)ゴゼマセヌ。帆と風、走るゴゼマス」


「帆だけでですか?それでは逆風の時は走れないでしょう」


 重秀は長島で見た九鬼水軍の船や琵琶湖の丸子船を思い出しながら言った。これら和船は、当時は順風の時に帆走し、逆風や無風の時は櫓を漕いで進んでいた。


「風ナイ、船走れナイ。港で待つゴゼマス。向かい風、進める帆、ゴゼマス」


「向かい風でも進める帆があるのですか!?」


 重秀が驚いて思わず大声を上げてしまった。賦秀が「藤十殿、はしたのうございまするぞ」と注意すると、重秀は「失礼した」と言って頭を下げた。そしてオルガンティノに言った。


「興味深いですね、ぜひ乗ってみたいのですが」


 しかし、重秀の希望に対してオルガンティノは首を横に振った。


「残念デスガ、堺、ナウありません。ナウ、長崎にゴゼマス」


 続けて隆佐が話を続ける。


「羽柴様、うるがん殿が日本に来るのに使うた南蛮船は、大洋を航行するのには向いておりますが、狭い海、特に瀬戸内の海を航行するのには不向きでございます」


 東南アジア、特にルソン島からやってくる南蛮船は、日本海流(黒潮のこと)に乗ってやってくる。なので南蛮船が日本に到着(もしくは漂着)するのは必ず日本海流か日本海流から分かれた対馬海流の流れる場所にたどり着くのがほとんどである。そして、ナウ船(キャラック船のこと)などの大型南蛮船は、これらの海流の通り道にある大きな港へ寄港せざるを得ないのである。すなわち、長崎、平戸、博多、坊津である。そこから堺や京まで船で行く場合は、開門海峡を通って瀬戸内海を航行しなければならなかった(ただし、南方から来る中国船の中には日本海流に乗って紀州灘付近まで行き、そこで南風を捕まえて一気に北上し堺まで来るものもある)。

 しかし、開門海峡は狭く潮の流れが変わりやすい。そして瀬戸内海も小さな島が密集しており、潮の流れも複雑、しかも中国地方や四国から吹く風も複雑であった。つまり、帆走しか出来ない大型南蛮船は、堺や京まで行くための船としては最もふさわしくない船なのである。

 そこで、南蛮人は長崎で大型南蛮船から櫂漕ぎができる小型の南蛮船か、櫓漕ぎができる和船に乗り換えて、もしくは陸路で堺や京へ向かうのである。


「そうでしたか・・・」


 がっかりする重秀。そんな重秀の鼻腔を、何やら不思議な匂いを捕らえた。


「さあ、来ましたぞ。牛の肉を大蒜にんにく、胡椒、塩で味付けて焼いたものでございます」


 隆佐がそう言うや否や、部屋に平たい皿を持った侍女達が入ってきた。その平たい皿を侍女達は一人づつ、重秀たちの前に置いていった。

 重秀は目の前に置かれた湯気立ちのぼる肉の塊に圧倒された。茶色く火の通った肉の表面は油でテカテカしており、その初めて見る姿は衝撃的だった。しかしその見た目に反して、初めて嗅ぐ大蒜と胡椒と肉の香りに、野菜のスープやパォンで膨れていたはずの腹が急に減っていくのが分かった。話には聞いていたが、これが牛の肉なのだと、思わず喉を鳴らした。ただ、重秀が喉を鳴らした時、賦秀や正則、清正らも一斉に鳴らしていたので、重秀一人だけ恥をかくことはなかった。


「・・・これ、どうやって食べるんだ?」


 正則の一言で、重秀は我に返った。隆佐が答える。


「ワテらが先に食べますさかい、見てから食べて下さい」


 そう言うと、隆佐とオルガンティノは右手にナイフを、左手に二股のフォークを持つと、フォークで押さえた肉をナイフで切り取り、フォークで切り取った肉を刺して口に運んだ。重秀たちも見様見真似で、手元にあったナイフとフォークを使って肉を食べ始めた。

 最初の感想は『硬い』であった。よく噛まないと飲み込めなさそうだった。もっとも、玄米をよく噛んでいる重秀にとってこのくらいの硬さは許容の範囲内だった。それに、噛めば噛むほど口の中に旨味が広がっていく。そして、肉の端にある柔らかい部分―――脂身を噛んだ時、中の脂の甘味が口に広がり、赤身とはまた別の旨味を発していた。


「う、美味い・・・!」


 隣で賦秀がそう言って固まり、正則と清正は最早何も言わずに肉を切っては口に運んでいた。


 ―――ああ、仏門が肉を禁止した理由が分かった。これ食ったら誰しも堕落するわ―――


 そう思いながら、重秀は肉の旨味に堕ちていった。





 隆佐の屋敷から出た時は、すでに日が落ちていた。堺に入るための木戸門は既に閉められており、主だった通りに面した店は木戸を閉めて営業を終了させていた。そんな中を重秀達は歩いていた。


「いや〜、美味かったな〜。あの肉」


「牛の肉、長浜でも食えるようになればいいな」


 正則と清正が満足気に話し合っている声を背中で聞きながら、重秀は賦秀から話しかけられていた。


「小西殿とうるがん殿との話は見事でしたな。交渉事でのあの胆力と駆け引き、この忠三郎感服いたしましたぞ」


 褒める賦秀に対して、重秀は苦笑いしながら首を横に振った。


「いえいえ、堺に来る前に父や叔父達と一緒になって、牛や蚕の取引で値切られた時にどの様に返せばよいか、色々想定して返しを用意してたので、何とか乗り切ったのです。私一人ではあのように上手く返せなかったでしょう」


「なるほど、しかし、牛の取引に越前の事や湖北十ヶ寺を引き合いに出すとは、さすが筑前様よ。御屋形様が重宝致す訳ですな」


「・・・越前の事と湖北十ヶ寺は父の案ではないのですが・・・」


 重秀がボソッと言ったことを賦秀は聞き逃さなかった。


「・・・どういうことです?」


 賦秀が聞くと、重秀が小声で答えた。


「越前の話は先日、忠三殿と越前の絹について話したときの事を思い出しただけです。湖北十ヶ寺は、確かに父は和解をしようと交渉していますが、牛の肉とは全く関係ありません。ただ、『肉食妻帯』を知っていたので、とっさに結びつけただけです」


 ―――なんて奴だ。あの交渉の中、短い時間であれだけの話を作り上げるとは。幾ら父親がある程度お膳立てしているとは言え、元服したての十四歳に出来ることではない―――


 6歳年下の重秀の言ったことに絶句しながら、賦秀はそう思った。


「あ、そろそろ宗匠の屋敷です。私達は別に宿をとっておりますので、今日はここで失礼致します」


 賦秀は千宗易の屋敷で寝泊まりしているが、重秀達は宗易の屋敷の近くの宿屋で寝泊まりしていた。なので、賦秀とは宗易の屋敷の前で別れた。





 賦秀は宗易の屋敷の割り当てられた部屋に戻ると、隣の部屋で控えていた家臣に紙と筆を用意させた。そして、明日の朝一に飛脚を手配するように命じた。紙と筆が用意されると、賦秀は自分の父親宛にある提案をするべく、自ら筆を走らせたのであった。


注釈

一向宗は元々鎌倉時代の浄土宗の僧侶、一向俊聖によって始められた宗派である。なので、本来は浄土真宗(そしてその一派の本願寺派)とは全く関係がない。

しかし、一向の宗派(以下、一向宗)が生まれた頃に、同じく浄土宗の僧侶である一遍智真が踊り念仏で有名な時宗を開く。実は一向宗も踊りながら念仏を唱えるというスタイルで遊行(僧侶が修行や布教のために各地を巡ること)を行なったことから、時宗と一向宗が混同されてしまう。さらに、時期的に成立が重なる親鸞が開いた浄土真宗とも混同されるようになっていった。特に北陸でこの傾向が強くなったと言われている。

さて、時代が下り本願寺派の蓮如が北陸での布教活動を行なっていた頃、蓮如の下で教えを学んでいたのは時宗や一向宗の影響を受けた僧侶や信者であった。そこで蓮如はその人達を『一向衆』と呼んでいた。その後、この『一向衆』が北陸における浄土真宗本願寺派の信者となり、本願寺派の信者を『一向宗』の信者と呼ぶようになった。

そして、加賀守護の富樫氏の内紛に介入した加賀の本願寺派を富樫氏が敵視。本願寺派は越中を巻き込んだ大規模な一揆を起こした。これが一向一揆と名付けられると、本願寺派は『一向宗』と外部から言われるようになっていった。

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― 新着の感想 ―
[一言] 一向宗とは、浄土真宗本願寺派だからな~。 浄土真宗には、他にも高田派などの諸派が有るけど、略奪・暴行をしても極楽へ行けるとしたのは本願寺派だけ(日本史上、最大の宗教テロ集団と言われる所以)…
[一言] 追記 同氏族で結婚出来ない(同姓不婚)は、現在は無くなっています。(1999年迄、韓国では残っていました) 念の為。
[気になる点] 蒲生氏郷の提案って 「親父、こいつ(秀重)ヤベェ奴(良い意味で)だから、蒲生家から正室送り込んで親戚にしちまえよ。領地は近所だし、これから経済で連携するのだから損はないぜ。今のうちに…
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