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第42話 堺にて(その1)

感想、評価、ブックマーク登録、いいね!を頂きありがとうございます。


GW中に投稿ペースを早めましたが、やはり誤字脱字の見逃しはもちろん、文章のおかしさが目立つ投稿となってしまいました。読んで下さる皆様には大変申し訳ないと思っています。また、誤字脱字の報告をして頂きありがとうございました。


今後は、週1〜2ペースでゆっくりと投稿したいと思います。ご理解の程、よろしくお願い致します。

 重秀、正則、清正が堺に入ったのは、天正三年(1575年)三月の最初の日であった。堺に入った重秀らは堺奉行所に行き、堺奉行である松井友閑に報告すると、秀吉に教わった千宗易の屋敷へと向かった。


「すっげーな、この町は」


「色んな人がいますな、長兄。・・・あ、あれが噂の南蛮人か!」


「父上の言ったとおりだ・・・。こんなに賑やかで活気のある町は始めてだ」


 自分の馬を引きながら、正則、清正、重秀が街の活気に圧倒されながら感想を述べた。


 堺は鎌倉時代には漁港としてすでに開かれていた。そんな堺が商業港となったのは室町時代。応仁の乱の頃には日明貿易の拠点となっていた。

 堺から出た遣明船は筑前の博多、薩摩の坊津、琉球王国を経由して明へ行き、同じルートを戻って帰ってきた。そのルート上にあった種子島から鉄砲が伝わり、堺でも鉄砲の生産が始まった。天文十九年(1550年)スペイン人宣教師のフランシスコ・ザビエルが堺を訪問。その前後から南蛮貿易の拠点としても機能するようになった。

 その後、信長の支配下に入ったものの、国際貿易の一大拠点としての堺はまだまだ発展していくように思えた。


 そんな堺の町を歩きながら、とうとう千宗易の店についた重秀達。大きな店には大きな看板で『魚屋(ととや)』と書いてあった。


「なんだ、宗易様ってのは魚屋(さかなや)なのか」


 正則の一言に、重秀が笑って否定した。


「『魚屋(ととや)』ってのは屋号で、本当の魚を扱ってるわけじゃないぞ」


「では何を扱ってるんです?」


 清正が重秀に聞いた。


「・・・さあ?聞いたこと無いな」


 重秀が首を傾げながら答えると、重秀の背後から、というより後頭部の上の方から声が聞こえた。


「納屋(貸倉庫業のことを指す)でございまする。まあ、塩魚(魚の塩漬けだけではなく、魚を長期保存用に加工したものも含まれる)を扱う座(商人や職人など、同業者が集まって作った組合)に納屋を貸しておりました故、魚屋(さかなや)といっても良いかも知れませんね」


 重秀達が声のする方を見る―――見上げると、そこには自分たち以上に背の大きな男が立っていた。正則と清正が思わず「うわぁ!」と驚きの声を上げた。


「宗匠!お久しぶりでございます!」


「大松様・・・、いえ、今は藤十郎様でしたね。お懐かしゅうございます」


 その男を見上げながら重秀は嬉しそうに言うと、その大男も笑顔で返した。





 宗易の店の裏にある屋敷の中の客間に通された重秀達。ここで客間の上座に誰が座るかでちょっと揉めたものの、やはり織田信長の茶頭であり、屋敷の主である宗易が上座に座ることとなった。


「これが、父上からの文でございます」


 そう言うと、重秀は一通の手紙を渡した。かなり分厚い手紙だった。


「拝見いたします」


 そう言うと、宗易は手紙を丹念に読み込んだ。長い時間を経て手紙を読み終えると、宗易は重秀の顔を見て言った。


「この文によれば、重秀様が来られた理由は近江で始まる養蚕と牛の牧畜、その他の物産についての資金援助を堺の商人に頼むこと、南蛮人の肉食についての調査、そして私めへの弟子入りの三つとなっておりますが、相違ございませぬか?」


 宗易の質問に対して、重秀は即答した。


「はい。相違ございませぬ」


「では、まずは近江で行われるという新しい産物について、私に教えていただけませぬか?」


 宗易の質問に、重秀は蚕や牛、油桐の実や紙について詳しく話した。特に、牛は南蛮人向けに食用としても育てることを話し、南蛮人が具体的に牛をどの様に食しているかを調査したいと強く説明した。


「なるほど、よく分かりました。蚕、いや生糸については、堺にとって正に渡りに船と言えるでしょう」


 宗易の説明によれば、最近堺に明から綸子(りんず)縮緬(ちりめん)と呼ばれる生地が輸入されてきており、しかも、その織り方が明から来た織物職人によって、堺の織物職人に伝えられつつあるらしい。


「綸子も縮緬も茶の湯でも使われます故、これから需要は増えていくものと思われまする。綸子も縮緬も堺で作れるようになればよいのですが、肝心の生糸が輸入では意味がありません。そこで、羽柴様のところで生糸を作れるようになれば、大量に綸子も縮緬も作れるようになりまする。そうなれば、堺も羽柴様も儲かるというものです」


 興奮して早口で説明する宗易。ただでさえ大きい身の宗易が興奮気味に話しているのだ。その姿に圧倒されつつ、重秀は疑問を呈する。


「し、しかし宗匠、(から)の国の生糸と日本(ひのもと)の生糸では、その質に差がございます。果たして儲けることは出来ますでしょうや」


「なるほど、確かに我が国の生糸は唐の国のより質が劣る故、その分値は下がるでしょうな。しかし、ご心配には及びませぬ。値が安くても、数を多く売ればちゃんと利益は出ます。なので羽柴様には絹の、特に生糸の増産に励んでいただきとう存じまする。もちろん、そのための銭は惜しみませぬ」


 宗易は鼻息荒く言った。興奮した状態の宗易に対して、重秀は恐る恐る聞いた。


「では、羽柴の蚕への資金援助は・・・?」


「お任せください。必ずや絹関連の商人を説得してみせまする。説得できなくても、私が資金援助いたしましょう」


 宗易がそう言うと力強く頷いた。とりあえず蚕については肥やしが手に入ったことに、重秀は内心喜んでいた。


 一方、牛については宗易は首を傾げながら重秀に言う。


「南蛮人向けに食用の牛を育てる、というのはあまりにも突拍子もない話し故、中々資金援助は難しいかと存じまする。しかし、南蛮人と関わり合いの深い商人を知っております故、その方をご紹介いたしましょう。ただ、その方は堺の商人でございますが、今は京にて伴天連のお手伝いをしておりまする。従って、堺にいないのでございますよ」


「・・・そうなると、京へ行かなければなりませんね」


 重秀がそう言って腕を組む。宗易は少し考えてから話を続ける。


「とりあえず、私からその方へ文を出しましょう。その返事を待ってから堺で会うなり京で会うなりを決めればよろしいかと」


「宗匠の心遣い、誠にかたじけのう存じます。何卒よろしくお頼み申し上げます」


 重秀が頭を下げると、宗易は「いえ、どうぞお構いなく」と平伏した。そんな宗易に重秀が聞いた。


「ところで、その商人の名は?」


「薬問屋の小西隆佐こにしりゅうさ殿でございまする。根っからのキリシタン故、肉食にも理解を示す方でございますよ」


 ―――そういや、肉を食べる時は『薬喰い』と称して食べてたっけ―――


 宗易からその商人の名前を聞いた重秀は、そんなことを思っていた。


 一方、宗易への茶の湯の弟子入りについては、あくまで希望であり、宗匠の多忙を考えれば無理に弟子入りしようとは思っていないことを伝えた。


「・・・確かに、家業を行う傍ら、御屋形様の茶頭を務めている身ではございまする。我が弟子の宗二は未だに教えること多く、他の弟子を取っている余裕はございませぬ」


 宗易の言葉に、重秀は「やはりそうですか・・・」と残念そうに言った。


「しかしながら・・・」


 宗易はそう言うと、重秀に優しく語りかけた。


「実は、とあるお武家様が今私の茶の湯を学んでおりまする。その席に参加することは構いませぬが」


 それを聞いた重秀は驚きの表情を浮かべた。そんな重秀にさらに宗易が語りかける。


「ただ・・・、そのお武家様は格別なご配慮をして頂き、特別にお教えしているのでございまする。ここで藤十郎様、いや羽柴家からの格別なご配慮がないのに藤十郎様のご同席を認めれば、そのお武家様の心情は如何ばかりか・・・」


 重秀は宗易にそう言われると、後ろを向いて控えている正則と清正に頷いた。二人も頷くと、重秀等三人はいきなり着物を脱ぎだし、上半身裸となった。よく見ると、三人の腹には布が巻かれていた。

 宗易が驚いている中、三人は流れるような動作で腹に巻かれた布を取った。布を完全に取り除くと、三人の手の中には紙で包まれた何かが出てきた。その物から紙を外すと、中から銀を平べったくした物が複数個出てきた。いわゆる丁銀(ちょうぎん)と呼ばれるものだ。


「肌身離さずに持ってきた銀でございます。父上から『どうぞ新しい今焼の資金にお使いください』と言伝を預かっております。端金(はしたがね)でございますが、どうぞお納め下さい」


 重秀がそう言うと、三人は一人5枚づつ、計15枚の銀を差し出した。銀1枚は銀10両(1両=4.3匁なので銀1枚は43匁となる)、信長の定めた貨幣交換レートが金1両=銀7.5両=1.5貫文なので、銀1枚で2貫文の値段となる。銀15枚は30貫文、現代の価値だと約360万円である。


「本当に端金ですね。しかし、羽柴様の格別なご配慮。確かに受け取りました」


 そう言うと宗易はいそいそと銀15枚を自分の懐にしまった。


「それで、後ろのお二方もですか?」


 宗易はそう言うと、視線を正則と清正に移した。


「いえ、二人はそれがしの付き人ですので・・・」


 重秀がそう答えると、宗易は首を横に振りながら言う。


「いけませぬな。見たところ、お二方は藤十郎様の重臣となられるお方とお見受けいたしまする。その方々が茶の湯を知らないのは、かえって藤十郎様の面子を失わせることになりまする」


「いや、我々は別に・・・」


 正則が断ろうとしたが、重秀が「そうですな。宗匠の言うとおりでございます。この二人もよろしくお願いします」と言ってしまったため、正則も清正も重秀とともに茶の湯を習うこととなってしまった。





「まずは茶の湯とはどういうものかを実際に味わってください」


 宗易のこの言葉で、重秀と正則、清正は茶の湯を体験すべく、草庵茶室へと向かった。

 露地口(露地に入るための門)から露地(茶室に付随する庭。茶庭とも言う)に入り、露地にある腰掛(露地に置かれたベンチのこと、客はここで亭主の迎えが来るまで待機する)に座った。

 重秀達が腰掛に座ってから、少し経った後、露地口から一人の美丈夫が露地に入ってきた。重秀が何気なく美丈夫を見ると、それは蒲生賦秀であった。


「が、蒲生様!?」


「む、何者か・・・?って、大松殿ではござらぬか!?」


「お久しゅうございます!それと、今は元服して藤十郎重秀となっております」


「おお!そうでしたか!いや、去年の暮れより宗匠から茶の湯の手ほどきを受けんとこちらに来てまして。大松殿が元服したのを存じておらなかったのですよ。いや、見違えましたな!」


 ―――ははぁ、宗匠の言っていたお武家様って、蒲生様のことだったのか―――


 そう思いながら、重秀は正則と清正を賦秀に紹介し、四人は腰掛に座った。


「いや、待ってください。長兄と蒲生様は分かりますが、俺と市松が腰掛に座っちゃ駄目でしょ」


 一緒になって座った清正であったが、すぐにそう言うと立ち上がった。正則もつられて立ち上がる。流石に大名の御曹司二人と一緒に座るのは無礼だと考えたのである。しかし、賦秀は首を横に振って言った。


「それは違いますぞ、虎之助殿。茶の湯にあるのはただ『亭主と客』のみ。亭主からもてなしを受ける客に上下貴賤は無いのです」


「そ、そうなのですか・・・」


 賦秀の言葉に感嘆する清正。結局、清正と正則は重秀や賦秀と同じ腰掛に座ることとなった。


「ところで、藤十郎殿は何しに堺へ?」


「実は近江で新しき産物を作ろうと思いましてな。その関係で宗匠にお願いにあがりました」


 賦秀の質問に、重秀は予め考えていた答えを言った。重秀にしてみれば、できれば他家に蚕や牛の話はしたくなかった。蚕についてはあまり競争相手を増やしたくはないし、南蛮人向けに食用の牛を育てるなんてこと言ったって理解されるとは思えなかった。これは秀吉も同意見だったらしく、むやみに蚕と牛についてしゃべるなと事前に言われていた。


「産物ですか・・・。そう言えば、父からの文で、羽柴の国友から鉄砲鍛冶の職人を寄越してもらえそうだと書いてあったのですが、何か知っていますか?」


「早合の件でそういった話が出たことは知っておりますが、まだ交渉中だったかと」


 そんなこんなで重秀と賦秀は話をして時間を潰していると、宗易がやってきた。こうして、正則や清正にとって初めての茶の湯が始まったのであった。





 草庵茶室での茶会が行われた後、重秀と清正は宗易の屋敷の一室で休んでいた。ちなみに正則は厠に行っており、未だに帰ってきていなかった。


「つ、疲れた・・・」


「そんなに疲れるようなものかぁ?」


 畳に突っ伏している清正に、重秀は聞いた。


「いや、なんと言うか、宗易様の威圧感に緊張したと言うか・・・」


「ああ、宗易様デカイからな。それに茶室の狭さを考えたら、威圧感はすごいだろうな」


 事何気(ことなにげ)に言う重秀に清正はジト目を向けてきた。コイツ鈍感なのでは?という気持ちが清正の顔に出ていた。


「・・・なんだよ、そんな顔をして」


「・・・いいえ、何でもありません」


 清正が重秀の質問に答えた時だった。正則が部屋に入ってきた。


「只今戻りました、兄貴」


「おう、随分と遅かったじゃないか」


 重秀の言葉に正則が溜息交じりに答えた。


「いや、その、井戸を借りてまして」


「井戸?なんでまた」


「・・・褌を洗ってました」


 重秀の問いかけに正則は顔を赤くしながら答えた。重秀と清正は顔を見合わせると、清正が問いかけた。


「え、なに。ひょっとして、漏らしたのか?」


「・・・ああ」


「なんだ、先に厠へ行っておけと言っただろうに」


 重秀が咎めると、正則はムッとしたような表情をしながら答えた。


「そうではないんですよ。その・・・、お恥ずかしいことに、怖くなりまして・・・」


 さっきから口調がおかしい正則の答えに、重秀は首を傾げる一方、清正は納得の声を上げた。


「あー、分かる。なんと言うか、恐ろしいんだよな、あの人」


「そうそう。迫力あるし、動作に凄みがあるんだよ。何か、達人の剣術を見ているような?」


「あー、そう言われればそうかも」


 清正と正則がそう言い合っている側で、重秀は怪訝そうな顔をしながら二人に聞いた。


「宗匠が怖い?恐ろしい?お前ら何言ってるんだ?あれほど優しいお方はいないぞ?茶の点て方も、客に対して心を込めて点ててくださっているではないか」


 重秀の言葉に正則と清正が顔を見合わせた。そしてお互い小声で囁きあった。


「兄貴は鈍感なのか・・・?」


「よく考えたら長兄って慣れるのが早いんだよな・・・」


「鈍感だからじゃね?」


「あー、周りの空気読めないんだな」


「お前ら・・・」


 重秀が渋い顔で二人に話しかけた時だった。部屋に誰かが声を掛けてきた。


「藤十郎様、宗易にございます。入ってもよろしゅうございますか?」


 その声が聞こえた瞬間、正則と清正がビクッと体を反応させた。そんな義弟達の様子を横目に、重秀は「あ、はい。どうぞ」と返事をした。


 障子が開き、宗易ともう一人入ってきた。その一人を見た時、一瞬だけ重秀の瞳から光が消えた。


「山上宗二殿・・・」


「大松殿、いや、藤十郎様。お久しゅうございますな」


 そう言うと、宗二は重秀達にペコリと挨拶をした。


「宗二は先程まで別の店へお使いに行ってました。ご挨拶が遅れて申し訳ありませぬ」


「い、いえいえ。どうぞお構いなく」


 重秀の様子がおかしくなったことに、付き合いの長い正則と清正が気がついた。宗易が話を続ける。


「藤十郎様や市兵衛様、虎之助様の事を宗二にお話したら、喜んで茶の湯を指導してくれるそうです。宗二は茶人としてはまだまだですが、名物には詳しい故、必ずや皆様のお役に立てるでしょう」


「名物と呼ばれるものは、ただ茶を飲むためだけの道具ではありませぬ。先人が築き上げてきた茶の湯の歴史が刻み込まれたものであり、その名物となった言われを楽しむものも茶の湯の醍醐味でございますれば、皆様にはみっちりと名物についてお教えいたしたく存じまする」


 宗二はそう言うと軽く頭を下げた。正則と清正が宗二の態度に違和感を覚える中、重秀は心の中で思った。


 ―――宗二殿の上から目線の名物講義、絶対に義弟達が反発するよな・・・。どうしよう・・・―――


 重秀の思ったとおり、次の日、宗二の講義が終わった後に荒れた正則と清正を、重秀は苦労して落ち着かせるのであった。


注釈

永禄十二年(1569年)、織田信長は京及びその周辺の地域に対して通貨に関する命令を出している。

これを箇条書きにすると、

・米による支払いの禁止

・金銀を使っての高額支払いの推奨

・雑多な銅銭の公的レートを定め、いわゆる『鐚銭びたせん』(摩耗した銅銭や国内外で作られた私鋳銭のこと)も価値は低いが市場で使えるように定めた。

・金と銭のレートを金10両=銅銭15貫文とする。

・銀と銭のレートを銀10両=銅銭2貫文とする。

これらを踏まえて、この小説では金銀のレートを金1両=銀7.5両=銭1.5貫と固定している。

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