第41話 堺へ
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名主と庄屋の違いについて詳しい解説を感想に書いて頂き大変ありがとうございました。今後の執筆に役立てたいと思います。この場を借りて御礼申し上げます。
ちなみに、前書きと後書きにもルビが振れることを初めて知りました・・・。
菅浦の乙名衆は話し合いの結果、秀吉の提案を全て飲んだ。トータルで考えて年貢が安くなることが一番の要因であった。また、年貢を銭か米で選べるのもまた魅力的であった。豊作の時は油桐の実や鯉を売った銭で安くなった米を買って納めればよいし、凶作の時は米を高値で売って定められた額の銭で納めればよかった。結果、菅浦は安定した年貢の供給口となった。
また、油桐の実や鯉といった産物を乙名衆の寄合による意思で売買することは、『惣』による自治の復活と乙名衆は捉えた。ゆくゆくは羽柴家から自検断を取り戻せるのでは?という淡い期待もあった。
さらに、羽柴家による検地では、長い間大浦と争っていた日指、諸河の田地を全て菅浦の領有として検地することになった。すなわち、150年に渡る大浦と菅浦の係争は、羽柴家によって菅浦の勝利と改めて宣言されたも同然であった。この事も菅浦の乙名衆が秀吉の提案を飲んだ理由となった。
重秀は秀吉からは交渉について学ぶと同時に、為政者としての心構えも学んだ。秀吉の言った「武士と百姓は車の両輪」と言う言葉は、まさに重秀の政の指針となった。
ただ、重秀には気になったことがあったので、長浜城に帰った後で秀吉に聞いた。
「父上、何故年貢の割合を一公一民にしたのですか?確か事前の話し合いでは一公二民ではありませんでしたか?」
「そのつもりだったんじゃが・・・。日野家に年貢をやるとなると、一公二民では儂等の取り分がほぼないのじゃ。なので、急遽一公一民としたのじゃ」
ペロッと舌を出しながら答えた秀吉に対して、重秀はただ「はあ、そうですか」としか答えられなかった。もっとも、心の中では「勝手に決めないで、一言言ってくれればよいのに」と愚痴っていたが。
天正三年(1575年)二月のある日の朝。長浜城の小広間では評定が行われていた。
「小一郎、早合はどうなった?」
秀吉の質問に小一郎が即答する。
「日野城の蒲生殿と話はすでについておる。しかし、問題は蒲生殿が日野でも鉄砲を作りたいと言っており、国友の職人を貸して欲しいと言っているのじゃが・・・」
「ああ、構わんじゃろ。御屋形様にはすぐに文を出す。これで目標の一千丁に近づくというものよ」
秀吉が鷹揚に言いながら頷いた。その時に「お待ち下さい」と言ったものがいた。重秀だった。
「蒲生様へ職人を派遣し教えることには反対いたしませんが、タダで教えるのはいささかもったいのうございまする」
「あー、確かに。教えた分の手間賃は欲しいかもだ」
重秀の意見に浅野長吉が賛成する。秀吉が少し考えると、口を開いた。
「ならば、火縄銃一丁売るごとに利益から幾ばくかの銭をいただこうか。小一郎、その旨蒲生殿に伝えといてくれ。銭の額はなるべく安くしといてやれよ」
秀吉の命を受けた小一郎が「承知した」と頷いた。そして秀吉は重秀の方に顔を向けた。
「藤十郎、蚕はどうなった?」
「はっ、未だ時期ではない故、今やっているのは蚕を育てるのが上手い者からの聞き取りが中心となっています。だいぶまとまってきた故、文書にして名主等に教えていこうかと」
秀吉の質問に闊達に答える重秀。さらに話を進める。
「小谷城および小谷城下の清水谷では牛舎と養蚕場の建築が始められております。小谷城には養蚕場と桑畑を、清水谷には牛舎と放牧場を作る予定になっておりまする。ただ、今年いっぱいは蚕を増やすことを考えるべきで、繭から綿や糸を作ることは考えぬほうが良いかと」
重秀の話を聞いた秀吉が腕を組みながら上を見上げて呟く。
「となると、養蚕が本格化するのは来年以降か・・・」
「ただ、今まで蚕を育てて上手くいかなかった者達への伝授は今やっています故、少なくとも去年よりは数が増えまする。それに、蚕から絹が採れるのは初夏と晩秋の二回です。上手く行けば、小谷でも今年の晩秋からでも繭から糸が取れるでしょう」
重秀がそう言って秀吉を元気づけようとするが、秀吉は首を横に振って話す。
「そこまで慌てんでも良い。こういうのは急いだほうが負けじゃ。藤十郎、今年はじっくりと腰を据えて蚕を育てよ。よいな」
「は、はい」
重秀がそう言って平伏すると、秀吉はさらに話を続けた。
「まあ、養蚕が一年で本格化するなら早いほうじゃ。牛は数年はかかりそうじゃぞ」
「そうなのですか?」
重秀の質問に秀吉が頷くと、皆に聞こえるように言った。
「先日、せんの親戚から文が来た。牛については今年中には三組の雄雌の牛を送れるそうじゃ」
「た、たった三組・・・」
秀吉の話を聞いて皆がざわめき、重秀が落胆するように言った。
「うむ、数が少ない上、すでに買い手がついておったのじゃ。その代わり、金に糸目をつけなかったからのう、元気で若い牛だそうじゃ」
「・・・では、その三頭で少しづつ増やしていきますか」
秀吉の楽しそうな声を聞いて、重秀が気を取り直して言った。
「しかし、もう少し稼ぎたいのう。何か、銭になるようなものはないのか?」
秀吉が独り言を言うと、小広間の皆が「うーん」と唸った。重秀が唸りながら言う。
「・・・菅浦の油桐の実から絞った油を増産しては如何でしょうか?」
「悪くないが、油桐は木じゃろ?種から育てて実になるまでどれくらい時がかかると思っておるのじゃ?増産は認めるが、今すぐの銭の稼ぎにはならんじゃろう」
秀吉がそう言いながら溜息をついた。その時、重秀が何かを思い出したかのように「あっ」と声を上げた。
「父上、紙は如何でしょうか?」
「紙?紙って、あの書く紙か?」
「はい。あの紙です。実は桂松から聞いたのですが・・・」
重秀が言うには、近江の北、越前との国境の近くに小谷という村がある。どうやら大谷桂松の先祖はここの出身らしい。
で、この小谷では紙の生産がなされており、その紙は美濃和紙を京で売っていた近江の枝村紙座の商人達によって京で売られていた。枝村紙座は応仁の乱や信長の楽市楽座政策のせいで壊滅してしまったが、その後でも小谷では紙は細々と作られていたらしい。
「京でも売られていた小谷の紙、我らで保護すれば銭になりませなんだか?」
「どうじゃろう?紙なんて京には日本各地から来るからのう。それに、美濃の紙には勝てぬじゃろうに」
重秀の提案に秀吉が疑問を呈した。しかし、小一郎が擁護する。
「しかし兄者。紙は多いに越したことはないぞ。それに、すでに紙を作れるのであれば、蚕や牛と違って少しの銭で増産できる。紙座がいない今こそ、羽柴で牛耳るんじゃ」
小一郎の言葉を聞いて秀吉は少し考えた。そして膝を叩くと声を上げた。
「よし!少しでも銭が稼げるならやってみる価値はあるか。仁右衛門(増田長盛のこと)、そちに任せて良いか?」
秀吉の命を受けた長盛は「ははっ、お任せ下さい」と言うと平伏した。それを見た秀吉、何かを思い出したかのように声を上げた。
「おお、そうじゃ。実は御屋形様より、船を作れとのお達しがあった」
「え?水軍を作ること、もう御屋形様に知らせたのですか?」
竹中重治の言葉に秀吉が掌を振って否定した。
「いやいや、そうではないわ。越前攻めで船を使うから、早めに準備しろとの事じゃ。なので、御屋形様には九鬼から船造りの職人を派遣しろと要請してやったわ」
「殿さん、話がよく見えねーんだけど。近江で船を作って、越前のどこで船を使うんだ?」」
蜂須賀正勝が疑問に思いながら秀吉に聞いた。
「うん。儂も自分で言っといてなんだが、訳が分からなかったわい。詳しく話すとだな・・・」
秀吉の説明によれば、信長から来た文には『若狭から船で越前の海沿いの一揆勢の村や砦を攻めるから、近江で作った船を若狭へ運び込め』という指令が書いてあった。秀吉は文で『陸路で船を運び入れるのは難しいので、いっそ若狭で船を造らせて欲しい。また丸子船は波の静かな湖なら使えるが、北の荒海では使えないので、九鬼から海に強い関船や安宅船を作れる職人を派遣して欲しい』と返事を出した。
結果、九鬼から関船や安宅船を作れる職人の指導の元、長浜を始め、塩津、大浦、菅浦にいる船大工を派遣して若狭で船を作れるようにした、ということであった。
「これなら、作り方を知った北近江の船大工で羽柴の軍船が作れるじゃろう。藤十郎、これでよいか?」
「・・・父上の手腕、この藤十郎ただただ恐れ入りましてございます」
重秀が尊敬の眼差しで秀吉を見ると、「そんな目で見るな、照れるではないか」といって笑った。
「若狭で船を作るのか。丹羽様(丹羽長秀のこと)に話をつけなくて良いのか?
杉原家次が疑問を呈する。
「御屋形様から話はいっていると思うが・・・。一応、儂からも文を出しておくか」
秀吉が顎をさすりながら言うと、小広間にいた皆が頷いた。
「ところで藤十郎。大浦と塩津はどうなった?」
秀吉の問いかけに重秀が答える。
「とりあえず大浦、塩津の舟手衆は羽柴の傘下に置かれました。というか、大浦や塩津がこちらの傘下にすんなりと入るとは思いませんでした」
菅浦での交渉が終わった後、大浦と塩津の交渉はあっけなく終わった。菅浦に提案した経済支援を言うこともなく、大浦と塩津は安宅船の運用を引き受けたのだった。
重秀の発言に、秀吉が笑いながら答えた。
「塩津も大浦も菅浦と違って開けておるからのう。外からの影響を受けやすいのじゃ。まあ、だからこそあそこまで発展したのだが」
塩津も大浦も琵琶湖水運が盛んな港町である。若狭国の港である敦賀から道が直結しており、日本海を通じて北陸や東北の物資が敦賀経由で集まりやすい場所である。塩津や大浦から船で坂本まで行き、そこから陸路で京に物資が届けられていた。つまり物資の中継地点として、大変発展していた地域であり、人も銭も多く集まっていた。
それ故、安宅船に運用については菅浦ほど負担ではなかったのである。もっとも、それだけ開けているからこそ、周辺支配者の影響力も及び易いのであるが。
「塩津や大浦の船出衆は数が多いので、菅浦の安宅船と同等の船を引き渡しても十分余裕があります。しかし、羽柴の財力やあくまで長浜城の附城という運用を鑑みれば、安宅船を菅浦、大浦、塩津に一隻ずつとし、安宅船三隻を中心に、後は丸子船で揃えるほうがよろしいかと」」
重秀がそう言うと、秀吉が顎を右手でさすりながら重秀に聞いた。
「安宅船は三隻で十分か?大浦や塩津の状況から見れば、もう二隻ほど増やせるのでは?」
「いえ、三隻以上では琵琶湖沿いの他家を刺激します。それに、安宅船三隻のうち、一隻は長浜城で待機、もう一隻は訓練、そして残り一隻は湊で整えさせるか修理させるという風に交代をさせれば、最低一隻は動かせる状態で長浜城に置けます故、それ以上は必要ないかと」
重秀の提案は現代で言うところのローテーションである。秀吉は重秀の考えを聞くと、頷きながら言った。
「なるほど、一隻が常にいるとすれば、万が一長浜城が包囲されても西は開けるな。それに、訓練の一隻を実戦に使えば、二隻が戦力として数えることが出来るし、特に壊れていなければ、最後の一隻を使うことも可能か。よし、それでいこう」
秀吉はそう言うと満足そうに頷いた。
「ところで父上、越前の一向一揆攻めでは我らの舟手衆を若狭に送り込むのでしょうか?」
重秀の質問に秀吉は首を傾げながら答えた。
「・・・考えておらんが・・・。藤十郎はどう思う?」
「海がどういうものかを知る必要があるかと」
秀吉の質問返しに重秀が即座に答えた。
「よし、御屋形様にも相談するが、我らの作った船は我らの舟手衆の手で扱えるようにしよう。将右衛門(前野長康のこと)、その時はお主が指揮を取れ」
「儂か?まあ、構わんが、水軍の大将は若君じゃないのか?」
秀吉から指名された長康が疑問を呈した。秀吉が答える。
「藤十郎には重要な仕事がある。ひょっとしたら、越前攻めには参加できぬかもしれん」
秀吉の発言に、その場にいた全員がどよめいた。重秀が声を上げる。
「父上、仕事とは何でしょうか?」
「藤十郎、お主には堺に行ってもらう」
「さ、堺にございまするか?何故ですか?」
予想外の地名を言われた重秀が困惑しながら秀吉に聞いた。
「知っての通り羽柴には銭が無い。藤十郎の献策で銭のなる木の種を蒔いたが、それに肥やしを与えねばならん。その肥やしが足りんのよ。藤十郎、肥やしの意味、分かるな」
「追加の資金ですか」
秀吉の問いかけにすぐに答える重秀。秀吉は嬉しそうに話を続けた。
「さすが我が息子じゃ。その肥やしを堺でかき集めてほしいのじゃ」
「・・・それは私よりも小一郎叔父上のほうが得意なのでは?」
重秀がそう言うと、小一郎が首を横に振りながら話し始めた。
「儂が行ってもよいのだが、兄者はお主に商人との交渉事を学ばせたいらしい」
小一郎に続いて秀吉が話を続ける。
「堺の商人がタダで銭を貸してくれるわけがない。銭を貸したら利益になることを教えなきゃいけないからのう。蚕に牛に紙、そして船と北近江で新しくやろうとしていることを堺で説明できるのはお主だけじゃ。如何に連中に利益になるかを説いてこい。」
「義兄貴、堺商人相手にいきなり交渉させるのもどうかと思うぞ」
浅野長吉が渋い顔をしながら言った。それに対して秀吉が笑いながら答える。
「分かっておるわ。だからこそ、ある人の下で学ばせるのじゃ」
「ある人?どなたですか?」
重秀が首を傾げながら聞くと、秀吉が答えた。
「お主も知っておろう。千宗易様よ。ついでに茶の湯も習ってこい」
二の丸御殿にある書院。ここでは重秀を始め、福島正則、加藤清正、石田正澄が集まっていた。ちなみに加藤孫六は秀吉の命を受けて城外に出ており、一豊もまた兵の鍛錬のため城外にいた。大谷桂松は石田三成の手伝いに駆り出されており、本丸御殿にいてここにはいなかった。
「それで、兄貴一人で行くのか?」
「まさか、お前らも来るんだよ」
正則の質問に対して重秀が答えると、正則と清正が顔を見合わせた。清正が言う。
「長兄についていくのはやぶさかではありませんが・・・。俺ら役に立つんですかね?」
「まあ、交渉は俺がやるからな。正則と清正は護衛を頼む」
重秀がそう答えて頼んだ後、正則が胸をたたいて頷く。
「おう、兄貴任せておけ」
「あ、そうそう。言うの忘れてた」
重秀が何かを思い出したかのように両掌を叩いた。
「市と虎には馬が与えられることになった」
重秀の言葉に正則と清正が「おおっ」と声を上げて喜んだ。重秀が話を続ける。
「初陣までに馬に慣れとけ、だとさ」
「承った。有難き幸せ!」
正則がそう言うと重秀に平伏した。隣りにいた清正も平伏した。重秀は「俺じゃなくて父上に言え」と苦笑いしながら言った。
「しかし、市殿と虎殿だけで大事無いでしょうか?できれば私も行きたいのですが・・・」
正澄が心配そうに言うと、重秀は笑って言った。
「心配はいらないよ。この二人は腕っぷしだけじゃないから。多分」
「多分って、兄貴よ・・・」
「市松はともかく、俺はそろばんも出来るようになりましたから、心配いりませんよ」
正則と清正がそう言うと、重秀が話を進めた。
「弥三郎を置いていくのは、蚕や牛、水軍についての話を進めてもらうためだ。堺へはすぐには行かず、まずは父上より宗易様へ伺いの文を出すから、その返事が来てから行くことになる。それまでに任せたいことを全て教えるから、後は頼んだぞ。一応、浅野の叔父上と半兵衛殿、伊右衛門も関わっているから、分からないことがあれば相談するように」
「ははっ、若君のご期待に添えますよう、この弥三郎粉骨砕身努力いたしまする」
正澄がそう言って平伏した。