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第37話 初めての軍政

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PV60万突破いたしました。拙文を読んでいただきありがとうございます。大変励みになります。


 第37話 初めての軍政


「次は戦の話じゃ。今年は越前攻めが必ずある。それに、田植えの時期が終われば武田も活発に動いてこよう。そのために冬のうちに準備をせねばならぬ。将右衛門、国友での鉄砲の増産はどうなっておる?」


 秀吉がそう言うと、前野長康が答えた。


「はっ、それが・・・。職人も工房も増えておりますゆえ、鉄砲そのものの増産は可能かと。ただ、鉄の増産が間に合っておりません。領内の鉄の増産だけではなく、近江中の鉄の増産を図らなければなりませぬ」


 近江では古来より鉄の生産が盛んな場所であった。元々鉄鉱石が採れるので、7世紀頃から製鉄がなされていたようだ。そして、その豊富な鉄を使って近江国坂田郡にあった国友村では、古来より刀鍛冶が盛んであった。そんな国友村で鉄砲が初めて作られたのが天文十三年(1544年)である。それ以降、国友村は鉄砲鍛冶を多く抱える地域として重要視される地域となった。


「このままでは、御屋形様のご要望である鉄砲一千丁を揃えることが出来ませぬ」


「い、一千丁!?一千丁も我らで用意するのですか!?」


 長康の言葉に驚く重秀。そんな重秀に秀吉が話しかける。


「・・・国友だけで一千丁も揃えられるわけなかろう。堺の鉄砲も含めて、じゃ。しかし、御屋形様の本当のご希望数は三千丁じゃ。多いに越したことはない」


「三千丁って・・・」


 岐阜城の小姓時代に鉄砲にハマった重秀にとって、鉄砲がどんだけ金食い虫かは当然知っている。鉄砲そのものが高いのも当然だが、弾薬もまた高価なものなのだ。火薬の原料である木炭、硫黄、硝石のうち、織田支配地域で手に入るのは木炭のみ。それ以外は他所から買ってこないといけないのだ。特に、硝石は日本国内でほぼ採れないので、貿易で輸入するしか無い高価品なのだ。

 そんな高級武器である鉄砲を大量に保有しようとする信長に、重秀は改めて畏敬の念を抱くのであった。


「まあ、鉄に関しては御屋形様を通じて他の近江領へ要請するとしよう。なに、明智殿も丹羽殿も、鉄砲の重要性は分かっているはずじゃ。鉄の増産に同意してくれるじゃろう」


 秀吉がそう言うと、皆が頷いた。それを見た秀吉、重秀の方を見ると、話し始めた。


「時に藤十郎よ。早合というものを知っておるか?」


「・・・いえ、存じませぬが」


 重秀が首を振りながら答えた。


「ふむ、岐阜城で鉄砲を習ったお主も知らぬか・・・。いや、実は御屋形様の軍勢が石山の本願寺と交戦した際、敵の鉄砲持ちが持っていたものでのう。先日、正月の宴で御屋形様より貰ったのじゃ」


 そう言いながら、秀吉は袖の中から何かを取り出した。


「ほれ、これじゃ」


 秀吉が取り出したものは、何か筒状のものであった。秀吉はそれをまずは小一郎に手渡した。小一郎はさっと眺めると、すぐに重秀に渡した。重秀はそれをじっくりと見渡した。

 それは、片方に蓋のついている筒状の小物であった。手触りからすると、木の筒に漆が塗ってあるようだった。蓋を外すと、中は空洞であり、匂いをかぐと火薬の匂いが微かにした。


「中には玉薬(火薬のこと)と鉛玉が入っておった。内蔵助(佐々成政のこと)によれば、鉄砲一発分の玉薬の量らしい。恐らく一発ずつまとめて保管するものだろうと言っておった」


「なるほど」


 秀吉の説明を聞きながら、重秀はその筒を眺めてた後、隣りに座っていた杉原家定に手渡した。そして少し考えた後、重秀は言った。


「あの早合とやら、考えた者は頭がよろしゅうございますな。あれなら早く弾込めをすることが出来まする」


「ほう?どういうことか」


 秀吉が重秀に聞くと、重秀は自分の考えを言った。


「蓋を外して玉薬と弾を銃口から注げばいいので、玉薬の量を考えながら入れる必要がなくなります。まあ、この筒の口では注ぎづらいですが」


 火縄銃を撃つ場合、銃口から火薬を入れて次に弾を入れる。その後に槊杖さくじょうで詰めるのだが、この火薬の量を調整するのが難しい。しかし、早合なら予め火薬の量が最適化されているので何も考えずに火薬と弾を入れることが出来る。なので装填の時間が短縮できるのだ。


「・・・で?御屋形様はこれを作れと?」


 長康がそう言うと、秀吉は頷いた。


「うむ、なんとかして作れればよいのだが」


「しかしこれ木だな。正直手間がかかりますぞ」


 長康が渋い顔をしながら話した。それを聞いた竹中重治が言う。


「ならば、他のもので作れば良いのでは?例えば紙とか」


「紙なら玉薬が湿気るだろう」


 蜂須賀正勝がそう言った時、重秀は「あ!それで漆を塗っているのか」と声を上げた。それを聞いた長康が膝を打つ。


「そうか、水よけに漆を使うのか。となると、漆が無いと駄目だな・・・」


 漆器を塗るのに使う漆は、ウルシという木の樹液を原料としている。漆器の生産地ではウルシが栽培されており、容易に手に入るのだが、残念ながら漆器の生産地を持っていない秀吉の領地では漆を採るのは難しい。ウルシの種が鳥に運ばれて羽柴領で自生したというのであれば話は別だが、それでも必要量を得ることは難しいだろう。


「漆でしたら、蒲生郡の日野というところで、日野椀が作られてますから、日野城主の蒲生様に相談してみれば如何でしょうか?」


 重治の言葉に、重秀が反応する。


「蒲生様って・・・、もしかして蒲生忠三郎様のお父上ですか?」


「はい、そうですが・・・。え?若君、お知り合いですか?」


 重治の質問に重秀が頷く。


「ええ、忠三郎様とは岐阜城で知り合いまして、良くしていただきました」


 重秀がそう答えた瞬間、秀吉が大声を挙げた。


「藤十郎!そういう事は早う言わんか!よし、早速蒲生殿と交渉して漆を融通してもらおう!」


 そんな事を言う秀吉に、小一郎は冷静な声を出した。


「兄者、それならいっそ、蒲生様のところで作ってもらったほうが安上がりじゃろう。椀が作れるということは、木の加工も得意というものじゃ。ならば、早合の加工も全部蒲生領でやってもらったほうが早いじゃろう」


 小一郎の意見に秀吉は少し考えた。そして幾分か時間が過ぎた後、口を開いた。


「小一郎の言うとおりじゃ・・・。よし、藤十郎、お主が蒲生と話をつけよ」


「待て、兄者。こういうのは息子同士の繋がりよりも、ちゃんと家臣同士の手続きを経てやったほうがいい。ここは儂に任せてくれぬか?」


 小一郎の言葉を聞いて秀吉は少し考えた。確かに、誼を通じるなら息子の繋がりよりもちゃんと武家の作法に則った方が蒲生から見れば印象は良いだろう。ただでさえ羽柴は百姓出ということで礼儀に関して厳しい目で見られているのだから。


「・・・分かった。小一郎に任せる。孫兵衛(木下家定のこと)、手伝ってやってくれ」


 秀吉が小一郎と家定に命じると、二人は「ははぁ」と言って平伏した。これで早合についての話し合いは終わった。





 次に別の議題が上がった。これは重秀が秀吉に提案したものだった。


「次は藤十郎からの提案なのだが・・・。羽柴でも水軍を持とうかと思うがどうか?」


「水軍?いいんじゃねーか?琵琶湖もあるし」


 蜂須賀正勝が即座に賛意を示したが、隣りに座っていた長康が疑問を呈する。


「待て待て小六。我らが水軍を持ったところで、誰と戦うんじゃ?それに、木曽川で戦うのと訳が違うんじゃぞ」


 正勝と長康は共に美濃の木曽川水域を勢力下に置いていた土豪であった。俗に言う『川並衆』というものである。彼等は木曽川の水運を牛耳るために、船を多数持っていたし、船を操る兵も多かった。もっとも、これを水軍と言って良いのかは疑問であるが。


「提案したのは藤十郎じゃ。まずは藤十郎の話を聞いてやってくれ」


 秀吉がそう言うと、皆の視線が重秀に集中した。重秀は「それでは・・・」と言うと、説明を始めた。自分が小姓時代に長島の戦いに参加した時に九鬼水軍と行動を共にしたこと。その時に考えた海や川を使っての機動運用。兵を上陸させるための方法。長浜城を見た時に思いついた安宅船を使っての防御方法。羽柴がこの先海沿いの領土を貰う場合のこと。信長の天下統一を目指す中での水軍の立ち位置など。

 それらを、すでに話している秀吉以外に話した重秀に対して、皆の視線は驚きと関心と疑念が混じったものになっていた。


「藤十郎の言いたいことは分かった。しかし、そう簡単には水軍は持てぬぞ」


 そう言い出したのは杉原家次であった。家次は続けて自分の考えを話した。


「将右衛門殿が言った通り、そもそも羽柴に水軍は必要なのか?ただでさえ銭がないというのに、水軍を持つだけの余裕はないのでは?それに、あまりにも大規模な水軍を持てば、他家が我らを脅威とみなすのではないか?」


 家次の疑問に対して、重秀は反論する。


「大伯父上、私めも最初は羽柴の水軍は必要ないものと考えました。しかし、長浜城の西の防衛には、必ず水軍が必要となりましょう。確かに、大規模な水軍を持てば、他家だけではなく御屋形様からも疑われるのは必定。しかし、小規模な水軍ならば、問題ないかと思いまするが」


 重秀の反論について、家次はさらに疑問を呈する。


「しかし、九鬼水軍のような安宅船や関船を多数持つには、問題が多かろう。そう思われぬか?半兵衛殿」


 指名された重治が口を開いた。


「仰るとおりです。まずは安宅船や関船の作り方。まあ、これは九鬼殿から教えてもらえればいいと思いますが。問題は人員です。我軍には船軍(ふないくさ)(水上戦のこと)の出来る将兵がおりませぬ」


「人員に関しては問題ないと思うぞ。羽柴領には長浜・・・前の今浜と塩津、大浦という湊を抱えておる。当然湊には舟手衆もおる。これらの舟手衆を徴兵すれば、十分羽柴水軍として機能するであろう。後は鍛錬を行えば良い」


 重治の懸念に対して、秀吉が口を挟んだ。しかし、今度は正勝が口を挟んできた。


「殿さんよ。長浜と塩津、大浦の舟手衆は船の扱いは出来るけど、船軍の出来る奴らなんかいないぞ。いないから堅田(かたた)衆の風下に置かれてたんだろうが」


 堅田衆とは、近江国滋賀郡にあった堅田という地域に住む地侍、漁師、商人、農民をまとめて言った言葉である。堅田衆は琵琶湖の南部、琵琶湖がもっとも狭いところを影響下に置いており、そこを通る渡し船の運営管理を行っていた。それが高じて大規模な船団を持つようになり、事実上の水軍として琵琶湖全体に影響力を持つようになった。堅田衆は琵琶湖での影響力を維持しようと、琵琶湖沿岸の村々をたまに襲っては海賊行為を行っていた。なので琵琶湖沿岸の漁師や力の弱い船手衆は堅田衆に目をつけられないよう、細々と琵琶湖で生計を立てていた。今浜(今の長浜)や塩津、大浦の舟手衆も堅田衆に逆らえない状態であった。


「となると、船軍についても鍛えなきゃいかんのか・・・。こりゃあ、だいぶ時を費やすぞ、藤十郎」


 秀吉がそうぼやくと、下座の方から「いや、お待ち下さい」という声が聞こえた。皆の視線がその発言をした者―――増田長盛に集中した。


「殿、北近江にも船軍をできる舟手衆がおりまする。塩津と大浦の間に菅浦と呼ばれる集落がございます。そこの舟手衆は平安の御代から堅田衆と対立しておりました」


 菅浦は近江国浅井郡、ちょうど琵琶湖の北端から南に突き出した葛籠尾崎という岬の西側の入り江にある湊である。奈良時代から大浦、塩津と肩を並べる北近江の湊として栄えていた。もっとも、菅浦は平地が少ないため、大浦や塩津と比べたら小さな湊ではあったが。

 さて、若狭国から来る日本海の特産を京に運ぶ船を運用していた菅浦の人々は、自分たちの航路や船、湖岸の集落を守るためだけではなく、近隣の村々との境界線争いに対抗するべく、数は少ないが強力な水軍、通称『菅浦水軍』を組織していた。そして、建武二年(1355年)や応永四年(1397年)に堅田水軍と漁場紛争を起こしている。


「なんじゃ、水軍衆がいるのではないか。ではその頭目を儂の家臣として取り立てようぞ。いや、何なら御屋形様の直臣とし、儂の与力としてもらうという手もあるな。よし、仁右衛門。頭目の名はなんと言う?」


 秀吉がホッとしたような顔をしながら長盛に聞いた。しかし、長盛は首を横に振った。


「おりませぬ」


「は?」


 秀吉が長盛の回答を理解できずに思わず聞き返した。長盛は話を続ける。


「菅浦の舟手衆、いや、菅浦そのものに頭目はおりませぬ。なぜなら菅浦は『惣』でございまする」


 室町時代、農民層の自立化が進むと、それまでの集団生活が名主(みょうしゅ)による統制から農民達による寄合による統制に変わっていった。こういった自治形式を『惣』という。農民達が集まって(寄合という)村での決まり事(惣掟という)を定め、決まり事を破った者に対して裁判(自検断という)を行っていった。そうしていくうちに、団結力が備わっていき、支配者(荘園領主とか守護地頭とか)達に対抗していくようになった。こうして惣が中心となっていわゆる土一揆と呼ばれる一揆が発生していった。戦国時代になると領主達は弾圧したりある程度の自治を認めたりして惣を影響下に入れていったが、元々反抗的な惣の場合、自治を残せばまた反抗することが多く、領主達にとっては目の上のたんこぶのようなものであった。

 菅浦は特に『惣』が強い場所であった。地形的に他の地域との結びつきが弱く、しかも隣の大浦との間には長年境界線争いを行ってきたことから、菅浦内での人々の団結力を図るため、『惣』という統治が長年行われていた。もっとも、浅井家が北近江を支配すると、浅井家の力に屈服して自検断を始めとした権利が奪われ、事実上『惣』は無力化されていたが。


「浅井家の圧力で、今は菅浦の『惣』はほぼ機能しておりませぬが、今でも村の決め事は惣掟で定まっており、決定権は二十人の乙名(おとな)による寄合が握っているそうです」


 長盛の話を聞いた秀吉が、溜息をつきながら話し始めた。


「・・・これはまた厄介な所ぞ。堅田衆にも惣があったが、あれは内紛で壊滅した。それ故まとめ役の猪飼殿(猪飼昇貞(いかいのぶさだ)のこと)の下、明智殿の与力として織田の傘下に入れることが出来たのじゃ。それもできなさそうかの」


 堅田衆もいくつかの惣の集合体であった。しかし、そのうち殿原衆(地侍の集まり)と全人衆(商人や農民の集まり)に集約された。堅田衆はその後、延暦寺や本願寺の影響下にあったことから一時期は信長の敵対勢力となったものの、殿原衆が織田勢に寝返ると全人衆を攻撃し屈服させた。その後、殿原衆のまとめ役であった猪飼昇貞が明智光秀の与力となることで堅田衆は織田の傘下となったのであった。


「・・・菅浦の取り込み、ちとまずくないか?堅田衆の連中や大浦と仲が悪いとなると、獅子身中の虫とならないか?特に、堅田衆と揉めると、明智と羽柴の紛争になりかねんぞ」


 家次の言葉に皆が「うーん」と唸り始めた。重秀が諦めたかのような表情で口を開く。


「・・・堅田衆と揉めるのは得策ではありませぬ。菅浦衆の取り込みは諦めまするか・・・?」


「いや、取り込む」


 重秀の質問に対して、秀吉がきっぱりと宣言した。秀吉は話を続ける。


「確かに菅浦を取り込むことは難しいかも知れぬ。しかし、羽柴水軍を早く作るには菅浦の舟手衆の経験が必要じゃ。それに、堅田衆に遠慮しとっては、琵琶湖の水運はいつまでたっても堅田衆の手の内じゃ。これでは明智殿だけが発展し、羽柴の発展が損なわれる。菅浦衆を取り込み、堅田衆や明智殿に勝つんじゃ」


 秀吉が力強く言うと、皆も力強く頷いた。小一郎が口を開く。


「そうだな、船賃を堅田衆だけに独占させるのは面白くないな。それでも乙名二十人の説得か・・・。兄者、できそうか?」


 小一郎の質問に、秀吉が「馬鹿にするな」と言いながら笑った。秀吉は話を続ける。


「儂を誰と心得る。羽柴筑前守秀吉ぞ。口先で城持ち大名まで出世した男ぞ。小六や将右衛門を説得して織田へ寝返らせた我が弁才で、菅浦の乙名などあっという間に我が傘下にしてくれるわ」


「いや、俺も将右衛門も殿さんではなくて小一郎殿の説得で寝返ったんだがなぁ・・・」


 秀吉が胸を張って自画自賛している横で、正勝がそう呟いた。


「では、兄者が菅浦を説得するのか?」


「うむ、儂が出ようぞ」


 秀吉の発言に、皆が「おおっ」と声を上げた。


「お?兄者が行くのか?」


 意外そうな顔をしながら聞く小一郎に、秀吉は笑いながら言う。


「始めは藤十郎にやらせようとも思ったが、そもそも交渉の仕方を教えておらんからのう。交渉とはどういうものか、儂のやり方を見せたほうが早かろう。藤十郎、儂がどういうものか見せてやるから、一緒について来い」


「は、はい!」


 重秀が力強く頷きながら返事をすると、秀吉は嬉しそうに笑うのであった。


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