第36話 初めての内政
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35話の投稿は、実は予約掲載設定をし忘れて投稿したものです。大分早い投稿になってしまいました。金曜日の投稿は21時前後の投稿を心がけたいと思っております。
よろしくお願い致します。
元服が終わり、雪の中をかき分けて長浜城に戻った秀吉達。長浜城に着いた重秀は、長浜城の留守居役だった小一郎を初め、親戚一同に元服の報告とお披露目を行った。皆は大変喜んでおり、特に小一郎と浅野長吉は泣くほど喜んでいた。
その後、家臣一同が集められ、酒宴が開かれた。蜂須賀正勝や仙石秀久等の槍自慢達からはもちろん、前野長康や与力なのにしれっと入り込んでいる宮部継潤などの頭脳派からも酒を勧められたことに閉口しながらも、楽しい酒宴を満喫した重秀は、自分が大人の仲間入りをしたことと、父の家臣団に受け入れられたことを実感していた。
次の日、二日酔いにならなかったことに感謝しながらも朝のルーティンを済ませた重秀は、いよいよ初めて参加する長浜城での評定に臨むこととなった。
評定の場は長浜城本丸御殿の小広間。大広間もあるのだが、そちらは信長が長浜城に滞在する時に家臣一同を集めて評定を開くことを前提にしているため無駄に広い。そこで、羽柴家中で使えるちょうどよい広さとしての小広間が設置されていた。ちなみにこの小広間、重秀のいる二の丸御殿の広間とほぼ同じ大きさである。
さて、上段の間に秀吉が座り、下段には家臣が並んで座っている。その家臣の筆頭が小一郎なのだが、その隣に重秀が座っていた。つまり家臣序列では次席ということになる。もっとも、実績があるわけではないので、本当の次席というわけではないのだが。
「さて、今年最初の評定に入る。まずは小一郎より去年の収支についてじゃ」
秀吉に促されて小一郎が去年の収支を発表する。一昨年と同じく赤字である。一昨年は秀吉が北近江三郡を支配し始めた年なので、混乱のため赤字になるのは仕方がなかったが、去年も赤字なのには別の理由があった。
「兄者、やはり長浜城周辺を年貢免除地にしたのがまずかったかのう。このままでは、来年以降も赤字の可能性があるぞ」
年貢免除地とはその名の通り、ある一定地域に対して年貢を免除することである。ここで言う年貢とは、いわゆる米で収める年貢だけではなく、貨幣で収める運上金や冥加金(税金の一種)も含まれる。
秀吉は長浜城を築く際、築城の人員を確保するため、そして城下町を発展させるために多くの人を集めるため、長浜城下に住む人すべての年貢を免除してしまった。まあ、人を集めるのに手っ取り早い方法ではあるが、まずかったのは期限を定めなかった事である。
「いや、時期を見て年貢を課そうとは思っとったんじゃ。赤字と言うだけではない。これ以上長浜城下に人を入れとうないんじゃ。もう住むところはないぞ。ただ、いつ言うかを考えておってのう」
長浜城下町を年貢免除地としたせいで、城下町への移住者がどんどん増えていった。旧小谷城下町の住民だけではなく、近隣の百姓すら来ていた。長浜城築城の人員としては必要だったが、城ができてしまえばそんなに必要な人材ではない。
「そういう事は事前に言うもんじゃ。ただ単に年貢免除と言えば、それは永年年貢免除と受け取るものじゃ。考えなしに布告するからこうなるんじゃ」
小一郎の秀吉に対する批判に、複数の家臣が頷いた。
「うーん、では年貢の取り立ては無理かのう」
秀吉が腕を組みながら唸った。その時、杉原家次が発言した。
「しかし、殿の言うとおり、何かしらの方法で長浜城下への人の流入を防がなければ、年貢を納めぬ者はもっと増えまするぞ。それに、近隣の百姓が減れば、百姓が住む土地を治める家臣や国衆が不満を持ちまする」
家次がそう言った後、今度は竹中重治が発言した。
「それならば、長浜城下町の範囲を決めてしまえばよろしいのです。殿が決めた場所を長浜城下町とし、それ以外は城下町とは認めない。そこからならば年貢をとっても文句は言われますまい」
重治の提案に秀吉は膝を打った。
「なるほど!それは良い。よし、去年の大晦日までに出来た区割りまでを城下町とし、今年の正月以降にできた区割りを城下町外としようぞ。これで人の流入は止まるな!」
そんな嬉しそうに言う秀吉に、声を上げた者がいた。
「しかし殿、人の流入が止まったのはよろしいですが、城下町内の年貢が取れないのは代わりありませぬ。城下町には武家だけではなく、職人や商人が多くおり、多くの銭が集まりまする。その銭を納められないとなると、この領地の収入は増えませぬ」
そう意見したのは最近秀吉の家臣となった増田仁右衛門長盛であった。近江出身の彼は計算に強く、早期に秀吉に才能を認められて重用されるようになっていた。
「うーむ、やはり長浜城下町内にも年貢を課すべきかのう・・・」
当時の長浜城下町は北国街道の宿場町として、また琵琶湖水運の拠点としての湊町として、そして竹生島の弁財天を訪れるための門前町としての顔を持っていた。これらによって集まってくる人たちの落としていく銭は莫大なものであり、これを税として巻き上げられないことに秀吉は悩んでいた。
ふと、秀吉の目が重秀の姿を捉えた。重秀もまた、腕を組んで考え込んでいた。
「おう、藤十郎。何か考えがあるか?」
秀吉が重秀に声を掛けると、その場にいた全員が重秀を見た。その視線に驚きながらも重秀は口を開いた。
「そ、それがしは若輩者ゆえ、大した意見はございませぬが・・・」
「構わん構わん。大した意見ではないことは百も承知じゃ。むしろ経験を積ませることが肝要ぞ。若殿様の側に行ったら、大したことしか言わせてもらえん。今のうちに、何が大したことかどうかを皆に判断してもらえ」
秀吉がそう言うと、皆が頷いた。どうやら、この場で重秀を鍛え上げる気満々らしい。重秀は「それならば、申し上げます」と言って、自分の考えを言い始めた。
「まず、長浜城下町内への年貢免除をなくすのには反対でございます。『綸言汗の如し』と言うには大袈裟ではございまするが、一度民と約束したことを覆せば、民心離れること必定。長浜城下に不穏な空気が流れまする。未だ越前が敵対している中で、境を接する我らの足元を不安定にするべきではありません」
重秀のはっきりとした物言いに、秀吉だけではなくその場にいた者が唸った。一方、小一郎など、年貢免除の解除に反対している者達は深く頷いていた。
「では、年貢免除を続けるとして、お主はどうする」
些か不満げな物言いで秀吉は重秀に聞いた。重秀は再び考え込み、そして口を開く。
「長浜以外で何か新しい物を作りませぬか?米以外で銭になりそうなものを。それを人が集まる長浜で売れば、よい稼ぎになりますし、年貢以外の冥加金、運上金を取ることが出来まする」
重秀の言葉に、その場にいた全員が息を呑んだ。そんな中、秀吉が口を開いた。
「・・・悪くないな。これ以上田を広げることは不可能じゃ。ならば米以外で銭を稼ぐしかあるまい。で、何を作る?皆は何かあるか?」
秀吉が重秀だけではなく、皆に聞いた。皆は一斉に悩み始めた。そんな中、最初に口を開いたのは小一郎だった。
「売れるとすれば、茶はどうであろうか?茶ならば、高く売れるし、上手く行けば岐阜へ売りに行ける」
当時は茶の湯が流行っており、信長も茶の湯を通じて家臣団の引き締めや諸大名との外交を行ってきた。その結果、茶の消費量が増えていた。小一郎もそれを念頭に茶を勧めてきたのだが、意外なことに重秀が反対してきた。
「いえ、小一郎叔父上、茶はやめておきましょう。近くに宇治という茶の名産地があるのに、その近くの北近江で茶を作っても、安く買い叩かれるのがオチです」
いわゆる宇治茶の歴史は長い。鎌倉時代前期に栄西から茶種を貰い受けた弟子の明恵が宇治に茶の木を植えたのが発祥とされている。その後、室町時代中期にはそれまで最高位とされていた栂尾茶を追い抜いて最高位のお茶として君臨することとなった。
そんなお茶の聖地である宇治の近くで茶を栽培して生産しても、それほど高くは売れないだろう。ブランド力ですでに負けているのだ。
「じゃあ、綿なんてどうだ?綿なら売れるのでは?」
浅野長吉が発言するが、即座に秀吉が否定する。
「三河から安い綿が大量に出回っているのに、ここで作ったって安く買われるだけじゃろ。作るだけ無駄じゃ」
当時、三河は綿の一大生産地であった。そして三河の領主徳川家康は信長の同盟相手である。そのため、安い綿が信長領に流れていた。というわけで、今更綿を栽培しても太刀打ちできないのは目に見えていた。
綿や針の行商人をしていた秀吉にとって、綿業界の事情はそこら辺の者よりも詳しかった。
「ならば、桑の木は如何でしょうか」
「桑の木・・・?ああ、養蚕か!」
重治の発言に秀吉が反応した。周りの者達も納得したような顔をした。
「はい、桑を栽培し、家の屋根裏にて蚕を育てまする。そうすれば、生糸が取れますのでそれを売ればよろしいかと。それに、桑の実は食用に、桑の葉は生薬にもなりまする」
「おお、それならだいぶ銭になるのう。しかし、桑の木と蚕を探してこなければならぬな」
秀吉が懸念を示したが、重治は笑いながらその懸念を否定した。
「殿、古来より近江は朝廷に対し奉り、生糸や織物を献上していた地にございまする。古事記にもそう記されておりますれば、探せば手に入るものと思われまする」
「うむ、まあ、唐物の生糸よりは劣るゆえ、値は安くなるだろうが、それでも十分銭にはなるじゃろう。よし、この件、藤十郎に任せよう」
「わ、私がですか!?」
いきなり指定された重秀が素っ頓狂な声を上げた。
「当たり前じゃろ、言い出したのはお主なんじゃから。とはいえ、一人では無理なのも分かっておるわ。そうじゃな、半兵衛、弥兵衛(浅野長吉のこと)、手伝ってやれ。伊右衛門(山内一豊のこと)もじゃ!」
指名された三人は即座に「ははぁ!」と平伏した。重秀も観念したように「承りました」と言って平伏した。
「さて、他に何か銭になりそうなものはあるかな?」
秀吉がそう聞くと、重秀がおずおずと「あの・・・」と声を掛けた。
「ん?藤十郎、何か他にあるのか?」
「はい。牛を育てる、というのは如何でしょうか?」
重秀がそう言った瞬間、皆が固まった。
「牛?牛とは、あの田畑を耕すあの牛か?」
「はい、あの牛です」
秀吉の質問に対して、重秀が即答した。秀吉が首を傾げながら言う。
「ま、まあ、牛がいれば田畑を耕すのはだいぶ楽にはなると思うが・・・」
「いえ、そうではなくてですね・・・」
そう言うと、重秀は岐阜城内であったある出来事を話し始めた。
重秀が大松として岐阜城内で小姓を務めていたある日、岐阜城に伴天連(キリスト教の宣教師)がやってきた。ルイス・フロイスとロレンソ了斎だった。2人はたびたび岐阜城を訪れては、信長にキリスト教や西洋の話をしたり、京での布教活動についての報告を行っていた。
この日は信長だけではなく信忠も一緒に居り、その信忠の小姓として重秀も付いてきていた。そこで、重秀はルイス・フロイスから日本に来た南蛮人が食べ物に苦労していること、特に牛肉や豚肉が手に入らないことを聞いていた。そこで重秀は初めて牛が食べられるものだと知ったのだった。
「・・・つまりあれか?南蛮人に食わせるために、牛を育てたいと?」
秀吉が心底嫌そうな顔をしながら重秀に聞くと、重秀は躊躇なく「はい」と答えた。そして話を続ける。
「南蛮人達は牛の肉を手に入れることに大変苦労しております。どれだけお金を払おうとも、誰も売ってくれませぬから」
「そりゃそうだろう。田畑を耕したりするのに牛は必要不可欠じゃからのう。食べるために殺す阿呆はいるまい」
秀吉の言うとおり、当時の牛は貴重な労働力であった。その力強さは田畑の開墾や耕作、重い荷物運びに重宝しており、殺して食べるなんてもったいなくてしないものであった。
「・・・しかし南蛮人達は日本に来てからは牛が食えなくなっている。どんだけ高い金を出しても食べたいと思うわけだ。そこで我らが牛を売れば・・・」
「高くは売れますな。しかし、そこまでの需要はありますかな?」
小一郎に続いて重治が呟く。あまり乗り気ではなさそうだ。
「御屋形様の伴天連保護と南蛮人達との交易重視により、少しづつではありますが南蛮人が増えつつありまする。その分、牛の肉の需要を増えるものと思われます。また、南蛮人に売れなかったとしても牛は有用です。田畑を耕したり荷物を運搬させたり。また、死んだ後に皮を剥げば、陣太鼓や甲冑や胴乱(甲冑につけるかばんのようなもの)にも使えまする」
重秀はそう言ってその場にいた者達に説明した。最終的に、秀吉が決断する。
「・・・まあ、牛を育てて損な事はなさそうだということは分かった。よし、牛の件も藤十郎に任せよう。半兵衛、弥兵衛、伊右衛門、養蚕と同じく手伝ってやれ」
今回は重秀が「ははぁ!」と即座に答えて平伏したのに対し、三人は「承知しました」と戸惑いながら平伏した。そんな中、小一郎が疑問を呈する。
「んで、牛はどこで育てるんだ?」
小一郎の疑問に対して秀吉が少し悩んだ後に答える。
「そう言えば、但馬や播磨では牧場と呼ばれる広い土地で育てておったな・・・。ふむ、小谷城の曲輪がほぼ更地となっておる。落城でほとんどの建物は燃えたし、残っていた建物も長浜城の建材として解体したからのう。当分は小谷城跡で育てればよかろう」
秀吉の提案に、重秀達が「承知しました」と一斉に返事をした。
「新しい収入源が出来るのは喜ばしいが、養蚕や養・・・牛?そういったものが上手くいくまでは収入は安定せんじゃろう。多少なりとも小銭が稼げる策が欲しいもんじゃが・・・」
小一郎が総発言すると、皆はまた悩んでいった。
「・・・父上、長浜城下の年貢免除はそこに住む人のみ、でございますよね?」
重秀の問いかけに秀吉が頷く。それを見た重秀が提案する。
「ならば、長浜城下に住まず、訪れる者のみに銭を課していけばよろしいのでは?」
重秀の提案を聞いた秀吉が、顎を右手でさすりながら重秀に聞き返す。
「・・・具体的にはどうする?」
「はい。城下町外の行商人のみの市を開き、その売上から運上金(税金の一種)を納めさせまする」
重秀の提案に、何人かの者が膝を打った。秀吉もその一人だ。
「なるほど。それなら長浜城下の商人は文句は言わないな。運上金を課せられるのはよそ者だからな。運上金の率をうまく調整できれば、我らに銭は入るし行商人も儲けることができよう」
「しかし、それでは長浜城下の商人達が納得しないだろう」
小一郎が疑念を述べると、今度は重治が発言した。
「ならば期日を作ればよろしいかと。五日・・・では短すぎまするが、十日に一回もしくは二十日に一回とすれば、商人達の反発は抑えられるかと」
重治の発言に小一郎は納得したかのような表情を浮かべた。しかし、今度は長吉が発言する。
「場所はどうする?行商人がどれくらい来るかは分からんが、もし領内全てにお触れを出せば、結構な人数が集まるんじゃないか?」
「・・・城の一部を開放しては如何でしょうか?三の丸の馬場とかならば、城下の者だけではなく、他国からの行商人が入ったとしても城の弱点は見つからないと思いますが・・・」
重秀がおずおずと提案すると、秀吉は「うーん」と言いながら唸りだした。少し考えた後、秀吉は口を開いた。
「まあ、馬場ぐらいならば良いと思うが、この点についてはもう少し検討の必要があるな。小六(蜂須賀正勝のこと)、儂と共に後で三の丸を見に行くぞ」
秀吉に誘われた正勝が嬉しそうに「応!」と返事した。その様子を満足気に見ていた秀吉が次の話題に移るべく口を開いた。
「では、次の話題に移ろうかのう」