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大坂の幻〜豊臣秀重伝〜  作者: ウツワ玉子
長浜編

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第33話 南殿(前編)

感想、評価、ブックマーク登録、いいね!を頂きありがとうございます。


PV50万件突破いたしました。大変ありがとうございました。引き続きよろしくお願い致します。


各話後書きに書いてある注釈について色々ご意見を頂いております。注釈については、今まで書かれたものも含めて見直しております。具体的な修正については後日活動報告にてお知らせ致します。


どうぞよろしくお願い致します。

 二の丸御殿の広間。上段の間に大松のみが座る。一段下がった下座には、首座に山内一豊が座り、その後ろには正澄と市松と夜叉丸、孫六と桂松が座っており、さらに後ろには千代と侍女が座っていた。正直言って、広間が広すぎるので人数と釣り合っておらず、冬の寒さ以上に室内の寒々しさを醸し出していた。


「若君におかせられましては、まずは二の丸御殿へお入りになりましたること、誠に祝着至極!」


 一豊が大声でそう言うと、下段に座っていた者が全て平伏した。


「一同大義。面を上げよ」


 大松がそう言うと全ての者が顔を上げた。大松は続けて話をした。


「まずは小谷から長浜への引っ越しが無事に終わった。これも、皆の苦労あってのこと。後日父上より慰労の宴があると思うから、楽しみにして欲しい。で、この後のことだが私は本丸御殿で父上に報告しに行くが、他になにか父上より聞いていないか?弥三郎」


 大松にそう言われた正澄が「はっ」と言うと、続けて話し始めた。


「若君が殿の元に行く時はそれがしがついて行きます。それ以外の方は、本日はお帰りになられて良いとのことです。ただ、二の丸御殿の奉公人や侍女は少ないゆえ、今後は増やしていくことが必要ともおっしゃられておりました」


「それは今決めなければならないことかな?えーっと、伊右衛門殿?」


 大松が疑問形で言うと、一豊が苦笑しながら話しだした。


「伊右衛門で結構でござるよ、若君。今日は引っ越しが終わったばかりゆえ、明日からでよいかと存じまする」


「じゃあ、そうしよう。では此度はこれまでとする。本丸御殿へ参るゆえ、弥三郎、ついて参れ」


「あ、待った。兄貴」


 大松が立ち上がろうとした時、市松が声を掛けた。


「さっき本丸の様子を見てきたけど、本丸御殿はまだまだ混乱状態だぜ。行くのはまだ早いんじゃないかな?」


「・・・そうか。では少し時を潰してから行くか」


 そう言うと座りかけた大松だったが、また立ち上がった。何をする気だ?という表情を皆がした。大松もその空気を察したのか、皆に話し始めた。


「・・・いや、せっかくなのでこの御殿を見回ろうかと思ってな。全ての部屋をまだ把握してないんだよ」


 大松がそう言うと、夜叉丸が声を出した。


「ああ、でしたら長兄。お供致しまする」


 夜叉丸の声に刺激されたかのように、次々に声が上がっていった。


「夜叉丸が行くなら俺も行く。いいだろ兄貴?」


「あ、孫六も行きとうございまする!」


「・・・あの、桂松も行きとうございまする」


「千代もご一緒致しまする」


「ではそれがし、伊右衛門も傅役として共に参りまする。」


 正澄以外の全ての者が声を上げたので、大松は思わず苦笑いをした。


「なんだなんだ、皆も私と同じで、この御殿が気になっていたのか」


 大松がそう言うと、皆が一斉に笑い出した。ひとしきり笑い終わった後、大松は正澄に声を掛けた。


「弥三郎、そなたはどうする?」


 先程の中で唯一声を上げてなかった正澄は少し考えると、大松に答えた。


「それならば、先に本丸御殿の様子を見に参りましょう。向こうが落ち着いたら、お呼び致しまする」


 正澄がそう言うと、大松は「うん、頼んだ」と頷くと、続けて皆に言った。


「では早速行こうか」


 そう言うと、皆が立ち上がった。





 一通り二の丸御殿をまわった大松達。大松の二の丸御殿に対する感想は「意外と古ぼけている」であった。もちろん、これには理由がある。二の丸御殿は元々小谷城にあった屋敷を解体して移築したものである。むろん、ただの屋敷を組み立てただけではなく、御殿として拡張したため、所々新しい材料を追加して入るが、基本使い古した材料が多い。そのため、古ぼけた感じが出ていたのだ。


「二の丸御殿とは言え、『表』と『奥』がちゃんとあるんだな」


「それはそうでしょう。いづれ若君も祝言を挙げられる時が来られますれば、奥で家族として過ごすんですから。それに、二の丸御殿は本丸御殿の予備です。殿もこちらで住む可能性がないわけではありません」


 大松の呟きに一豊が答えた。ここで言う『表』とは、御殿の主が政務や日常生活を送る場所のことで、『奥』とは御殿の主の家族が住むプライベート空間のことである。


「この御殿は本丸と構造は同じかな?」


「さあ・・・、そこまではそれがしも分かりませぬ。本丸御殿については事前には知らされていないものですから」


 大松の疑問に対して一豊が答えると、大松は「そっか」と言った。そして御殿の探索を続けていた。


 御殿を探索し終えた一行が再び広間に入ると、千代が侍女を連れて広間から出ていった。しばらくすると、侍女たちと共に帰ってきた。侍女たちは手にお盆を持っており、その上には茶碗が乗っていた。


「白湯をお持ちしました。皆様どうぞお飲み下さい」


 千代がそう言うと、侍女たちが座っている大松達の前に茶碗を置いた。温かい白湯を飲みながら、大松達は二の丸御殿について話し始めた。


「こう広いと、俺たちの部屋は選び放題だな」


 市松が嬉しそうに言うが、一豊が咎める。


「かと言って好き勝手に選べるわけではないぞ。『奥』は若君以外の男子は禁制だ」


 一豊の言葉に、「分かってますよぉ」と市松が口を尖らせながら言った。


『奥』には御殿の主の家族の他には多数の侍女も住むことが多い。そのため、間違いがないように男子は禁制となっている。ちなみに、10歳を超えた息子も『奥』には入れないのが原則である。

 もっとも、大松の場合は元服まで、つまり今年いっぱいまでは秀吉の御殿の『奥』に入れることになっている。これは嫡男が大松であることを南殿やその侍女に分からせるための措置である。

 ただ、大松には一つの疑問があった。


「ところで、千代さんはどこに詰めるのですか?」


 大松がそう聞くと、一豊は少しためらいながらもはっきりと答えた。


「千代は若君の乳母ですし、今後は二の丸の侍女の取締役でもあります。なので、当然『奥』となりますな」


 そう答える一豊の表情が固い。『奥』に詰められると、千代に中々会えなくなるのではないか、そんな不満が聞こえてきそうだった。大松もそれを察したのか、こんな提案をした。


「うーん、いっそ、千代さんは『表』の伊右衛門の部屋の隣あたりに詰めてもらったほうが良いのかなぁ?」


「それはそれで他の男共の目にさらされますし・・・」


 一豊が渋るのも無理はない。当時の倫理観として、女性がむやみに男性の前に出ることは憚られていたからだ。


「千代さんは『表』と『奥』、どちらが良いですか?」


「私は『奥』がよろしいですね。侍女たちの取締を『表』からするのでは手間がかかりまする」


 大松の質問に千代が即答した。理由の中身は大松達が想像した「男の前に出たくない」というものではなかったが、『奥』を希望したのは予想どおりであった。


「ではその様に。後は部屋は好きにしていいぞ」


 大松の言葉に市松は喜び、その他の者は「有難き幸せ」と言って頭を下げた。直後、広間に正澄が入ってきた。


「本丸御殿での引っ越し作業、全て終わりました。若君は本丸御殿の大書院へ来るようにとのことです」





 大松が本丸御殿に着くと、そこには一人の小姓がいた。しかし、今まで見たことがない顔であった。


「お初にお目にかかります、若君。それがし、寺沢春丸(のちの寺沢広高)と申します。殿より大書院までの案内を承っております。どうぞこちらに」


 そう言うと、その小姓は大松を先導するかのように歩き始めた。大松と、ついて来た一豊と正澄がその後を追うようにして歩いた。


 大書院に着くと、春丸が障子を開ける前に片膝をついて跪いた。そして大松達に言った。


「恐れながら、この先は若君のみお入りくださいませ」


 この発言に一豊と正澄が色めき立つが、大松の「相分かった。二人はここで控えてくれ」という言葉に従うことにした。二人が同意したのを見て、春丸が障子を開け、大松が大書院に入っていった。

 大書院の中では、上座に秀吉が座っていたが、下座に一人の女性が座っていた。秀吉が大松に気付くと、「おお、こっちに来い」と手招きした。大松が女性の横に座ろうとすると、秀吉は「お前は儂の隣じゃ」と言ってきた。大松は秀吉の隣に座ると、下座に座っているのが南殿であることに気がついた。その南殿は大松が座ると平伏した。


()()が、お主に言いたいことがあるんだと」


 秀吉がそう言うと、南殿は顔を少し上げると、口を開いた。


「若君、この度の長浜城への移転につきまして、私共に対する心づくしに深く感謝致しまする」


 引っ越しの最中に南殿や石松丸、その侍女たちの移動の護衛を大松はしていた。もちろん、大松だけではなく市松等の小姓達、そして山内家の主従も護衛していたが、一応護衛隊の指揮官は大松であった。もっとも、実際の指揮は一豊がしていたが。

 しかし、南殿や石松丸を抱えた侍女の乗った輿の側から大松は離れることなく、周囲をちゃんと見張っていたし、休憩のときには南殿や侍女の体調に気を使っていたし、自ら汲んだ水を南殿達に渡してもいた。

 まあ、この辺の気遣いは散々信長や信忠相手にしてきたことなので、当たり前のこととして行っていただけだが。


「そして、若君への忠節、私めも生涯尽くすことをお誓い致しまする。そして、この()()の唯一のお願いをお聞き届けいただけますよう、伏してお願い致しまする」


「私めにですか?」


 南殿のお願いとはなんだろう?そういうのは父上にお願いするのでは?と思った大松は、思わず秀吉の顔を見た。秀吉は「まあ、聞いておけ」と、ニンマリとした顔で言ってきた。南殿が再び口を開いた。


「石松を若君の代わりにしようなどとは私めは思っておりませぬ。石松にも兄上を立てて、臣下として弁えるよう申し付けまする。それゆえ、何卒石松の事を大切にしていただくよう、伏してお願い致しまする」


 大松は目を大きくして南殿を見つめた。南殿は、大松が跡取りであることを認めたのだ。


「・・・先程、()()から色々聞いてのう。侍女頭を追放した理由も聞けたのじゃ」


 秀吉がそう言うと、詳しい話をし始めた。


 実は南殿と秀吉の付き合いは長い。永禄一二年(1569年)五月、中国の毛利元就が九州の大友家と戦をしている最中、出雲国で尼子家残党が但馬国守護の山名祐豊の支援を受けて蜂起した。そこで元就は織田信長に山名祐豊の背後を突くべく但馬への出兵を要請した。信長は秀吉を総大将とした2万人の軍勢を但馬に派遣、秀吉は18個の城を落とし、山名祐豊は堺へ亡命してしまった(後に但馬国に帰還)。

 この時、秀吉は身の回りを世話してくれる女性を但馬で得ている。彼女は秀吉が京へ帰還した時に秀吉に従って京に住み着いた。秀吉が京で仕事している間の身の回りをしていたのが彼女である。その彼女が秀吉が小谷城へ来た後に小谷城へ呼び寄せられたのである。これが南殿であった(このため、南殿が山名祐豊の娘であるという説もある)。

 小谷城に入った秀吉は南殿を始め、多くの侍女を雇い入れ、気に入った侍女に手を付けていった。付き合いの長い南殿にとって、新参者に秀吉が靡いていくことに内心忸怩たる思いがあった。この頃には南殿も優しい秀吉に情が湧いていた(秀吉は気に入った女性には優しいものである)。ひょっとしたら、継室になれるかも、と期待もしていた(山名祐豊の娘かどうかの真偽はともかく、一応、南殿は武家出身である)。

 この時、秀吉はとんでもないミスを犯していた。自分には妻が亡くなっていることを理由に侍女たちを口説いていたのだが、なんと大松の存在を言っていなかったのだ。当然南殿にも話していなかった。その中で南殿が身籠った。

 さて、お腹の子供が大きくなるにつれて、南殿は継室の座を狙い始めた。そして、その狙いを邪魔するような者を排除しようとし始めた。しかし、南殿一人で排除はできない。誰か協力者が必要だった。そんな考えを持っていた南殿に近づいたのが侍女頭であった。

 最初に侍女頭と組んでやったことは、秀吉と関係を持っていた侍女の追放であった。運良く(?)子供ができない事を理由に追放することは簡単にできた。また、侍女頭に新たな侍女を募集する場合は秀吉の好みに合わない者を採用するように言いつけた。

 さて、無事に石松丸が生まれると南殿と侍女頭の権勢は一気に上がった。旧浅井家の家臣だった者が挨拶に来たり、贈り物をするようになった。次に小谷の羽柴屋敷に出入りする商人達が挨拶がてらに贈り物をしてきた。武士にとって五節句や二十四節気の『少額』な贈り物は賄賂とはならない。しかし、『少額』の基準がないため(特に派手好きな秀吉はその辺の基準が甘すぎた)、面子やら利益誘導のために額が大きくなっていった。段々と高額化していく贈り物に、南殿も侍女頭も感覚がおかしくなっていった。特に、侍女頭は金銭や贈り物を積極的に要求し、少しでも不満のある贈り物をした者は屋敷に入れない等の報復を行った。

 そんな中、小一郎が長島から帰ってきた次の日、南殿達に秀吉からある発表があった。


「実は儂には亡くなった正室との間に息子がいる。その息子は今、岐阜城にて御屋形様や若殿様の小姓を務めている。来年元服させる故、その前に皆に嫡男として紹介する。今浜の新しい城に入れるつもりじゃ」


 この発表のあった後、侍女の一部が公然と侍女頭に逆らうようになったのだ。

 逆らった侍女達は、実は岐阜時代から仕えていた古参の侍女だった。当然大松のことは知っているし、何なら一緒に家事をやった仲でもある。そして木下だった頃から大松が秀吉の跡取りであると教えられてきた者達である。言うなれば彼女たちは『大松派』であり、『反南殿・反侍女頭派』なのだ。残念なことに、岐阜時代の侍女は元々が数が少ない上に、岐阜の羽柴屋敷に残ったものが多く、小谷では少数派となっていた。しかもそのほとんどが農民の娘だったので、武家出身の南殿や侍女頭には逆らいづらかったのだ。

 しかし、大松が来るということで、俄然やる気を出した古参の侍女達(以下『大松派』)は南殿と侍女頭を追い落とそうとした。猛然と反発する侍女頭に対して、南殿は現実を見ていた。亡くなったとは言え正室の子、しかも天下人となりつつある御屋形様やその跡継ぎの側に仕えているのであれば、どう考えても石松丸が敵う相手ではない。南殿は石松丸を守るべく、大松派と妥協しようとした。結果、孤立したのは侍女頭であった。

 侍女頭は何とかしようとしたが、この頃には小一郎が岐阜時代の家臣や与力を統制して大松派としていた。その影響で、南殿や侍女頭と付かず離れずだったこれらの家の出身の侍女達が大松派となってしまい、にっちもさっちも行かなくなってしまった。観念した侍女頭は今まで受け取った贈り物を持ち去ってどこかへ出奔してしまったようだった。

 さて残された南殿であるが、母親として子である石松丸を守らなければならない。何とかしないといけないと思っていた頃、とうとう大松が小谷へやってきた。

 挨拶した当日は、どうして良いのか分からずにただ頭を下げていた。しかし、秀吉と大松が石松を愛おしそうに扱っていたことに、心が定まったようだ。自分はどうなってもよいが、せめて石松丸だけでも守ろう。この二人ならば、きっと守ってもらえる。そう思った南殿は、引っ越しが落ち着いた前日に全てを秀吉に打ち明けたのであった。


注釈

寺沢広高の幼名”春丸”は小説オリジナルである。

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― 新着の感想 ―
[一言] だいたい秀吉のせい、以上w
[一言] 諸悪の根源はお前(秀吉)かい!
[一言] 諸悪の根源はお前(秀吉)かい!
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