第31話 お披露目(後編)
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大松のお披露目が終わった後はそのまま酒宴となった。広間にはすべての人に膳がおかれ、夜叉丸を始めとした小姓だけではなく、侍女も酌をしてまわっていた。
そんな中、大松は色んな人から個別な挨拶を受けていた。
「大松!いや、若君!これは我が息子の彦右衛門(のちの蜂須賀家政)ですじゃ!市松や夜叉丸だけではなく、コイツにも目をかけてやって下され!」
大松の前に挨拶に来た蜂須賀正勝は、一緒に挨拶に来た彦右衛門の肩をバンバン叩きながら紹介した。
「彦右衛門です。今は殿様の馬廻り見習いとして武芸を鍛えているところです。若様、何卒よろしくお願い致します」
「大松です。よろしくお願いする」
深々と頭を下げる彦右衛門に対し、大松は頭を軽く下げた。その後軽く話をした後、蜂須賀親子は自分の席に戻っていった。次々にやってくる家臣や与力が挨拶をしてきた。大松は挨拶を交わしては話をしていた。知っている人も来たが、中には全く知らない人もいた。
「よお、若様。俺は神子田半右衛門正治。殿様の黄母衣衆(秀吉の馬廻衆の中でも優秀な者を集めた母衣衆)をやってる。よろしくな」
「拙者は宮田喜八郎光次。殿の黄母衣衆の一人でございます。お見知りおきを」
「戸田三郎二郎勝隆だ。同じく黄母衣衆の一人だ。よろしくな」
「元、森家家臣、尾藤甚右衛門重直と申します。若君にお会いできて恐悦至極」
「増田仁右衛門長盛と申します。若君のご尊顔を拝し奉り、恐悦至極でございます」
「この度与力となりました、尾張丹羽郡御供所村の堀尾茂助吉晴と申します。今後ともどうぞよろしく」
「去年より羽柴様の与力と相成りました、中村孫平次一氏と申します。何卒よろしゅうお願い致します」
「美濃土田の生駒甚助親正です。どうぞよろしく」
「美濃西野村の住人、一柳市助直末と申しまする。今後とも宜しく」
「お久しゅうござる。加藤作内光泰です・・・。え?お忘れですか?横山城におりましたが・・・。そうそう、あの作内でございます!」
「宮部城の宮部善祥坊継潤でございます。いや、噂には聞いておりましたが、聡明そうなお顔ですな!養子とするならば、こちらが良かったですなぁ!」
そんな挨拶が続く中、ある人物が大松の前に座った。その瞬間、大松の隣で上機嫌に飲んでいた秀吉と、その側で静かに飲んでいた小一郎の目が鋭くなった。
「近江山本山城主、阿閉淡路守貞征だ。今は羽柴殿の与力をしている。来年元服だと聞いた。まずはめでたい」
そう言うと、貞征は自分の膳から持ってきた瓶子の中の酒を、大松の杯に波々と注いだ。小一郎が思わず咎めた。
「阿閉殿!大松はまだ元服前。酒を飲まさないでいただきたい」
この時代、現代と違って『お酒は二十歳から』という法律はない。ないが、一応元服前の子供には酒を飲まさないのが普通であった。この酒宴でも、大松の膳の上にある瓶子の中身は水であり、挨拶に来た諸将はその水の入った瓶子を大松の杯に注いでいた。
「来年元服なのであろう?今のうちから慣らしておけば良いではないか」
貞征が小一郎を睨みながら言うと、今度は視線を秀吉に移した。秀吉が睨み返すが、意に返さずに貞征は口を開いた。
「本当に若君は筑前殿には似ておりませぬなぁ。まるで、父親は別にいるようですなぁ」
「口さが過ぎるぞ!阿閉ィ!」
「阿閉殿!そんな下世話な噂話を目出度い席に持ち込まないでいただきたい!」
下座から浅野長吉や木下家定が怒号を投げつける。当然だ。自分の姉や妹が不貞を働いたなどと言われては浅野と杉原の名に泥を塗っているようなものだからだ。
「ならば大松殿に証明していただこう。筑前殿はお酒が好きな方。当然、子も好きであろう。大松殿、我が酒飲んでいただこう」
そう言うと、貞征は酒の入った杯を持って大松の鼻先に持っていった。
「大松!受けなくても良いぞ!元服前の飲酒は認めぬ!」
小一郎が叫ぶが、大松は貞征から杯を受け取ると、一気に飲み干した。
「おお、見事!さあ、もう一杯」
そう言いながら貞征が酒を注ぐ。そのたびに大松が杯を空にしていた。飲むたびに体が熱くなり、頭がクラクラしていく。しかし、大松はここで飲み続けなければ、羽柴の名を汚すのではないか、という恐れを抱いていた。大松は注がれるままに酒を飲み続けた。
もうすぐ10杯目ぐらいになりそうなくらい大松が飲んだ時だった。まだ酒を注ごうとする貞征に、声を掛けた者がいた。
「阿閉殿、ここから先はこの山内伊右衛門がお相手致しまする」
そう言うと、一豊は大松から杯を取り上げ、貞征の鼻の先に突きつけた。
「何だお前は!無礼であろう!」
貞征が一豊に言うが、一豊も反論する。
「それがしは若君の傅役にございまする。若君を守るのが務め。それとも、子供相手に強気に出ても、大人相手には強気にはいけませぬかな?」
千代から『若君に絡む大人は、総じて羽柴様に逆らえぬが故に若君に絡むのです。つまり弱い者しか相手にできない軟弱者。御前様の敵ではございませぬ。山内伊右衛門の武を見せつければ、相手は怯みましょう』とアドバイスを受けていた一豊は、ここぞとばかりに千代の言うとおりに強気に出た。いや、それだけではなく挑発すらやってのけた。
この機会を逃す秀吉ではない。すかさず貞征に大声で言った。
「阿閉殿!この山内伊右衛門は刀根坂の戦いにて朝倉方の強弓の猛将、三段崎勘右衛門を討ち取った剛の者!ささ、是非とも伊右衛門にも阿閉殿から酒を馳走していただきたい!
いや〜、良かったのう!伊右衛門よ!山本山城を御屋形様から守り抜き、とうとう御屋形様から乞われて織田方についた阿閉殿から酒をいただけるのじゃ!」
秀吉のこれでもかというマシンガントークを見た小一郎は、すぐに夜叉丸を呼ぶと、大松を大松の部屋に戻すよう指示した。夜叉丸は酒を飲んでフラフラになった大松を抱えると、そっと酒宴から抜け出した。
大松の自室に連れてきた夜叉丸は、大松の袴の腰の紐を緩めて体を楽にさせると、部屋から廊下に顔を出すと人を呼んだ。すると、隣の部屋から障子を開けて顔を出してきた人がいた。それは千代だった。
「夜叉様、如何なさいましたか?」
「これは山内の御方様!何故ここに?」
「・・・聞いてませんでしたか?私は若様の乳母ですよ?」
「あ、いや、それは知ってますが・・・。まさか隣の部屋にいるとは思いませなんだ」
「乳母ですから、若様の側にいるのは当然です。控えの部屋で待機しておりました。それで、何事ですか?」
「ああ、長兄が・・・」
夜叉丸が倒れた大松に視線を移すと、千代は異常を察知したのか、すぐに大松を見た。そして急いで近寄ると、座って大松の様子を見た。
「・・・どれくらい飲まれましたか?」
「分かりません。俺はその時、側にいなかったもので・・・」
千代の質問に対して、夜叉丸は首を横に振りながら答えた。千代は続けて質問する。
「若様は今までお酒を飲んだことは?」
「無いと思います。岐阜城でも飲まなかったと聞きました」
夜叉丸の答えを聞きながら、千代は大松の様子を見ていた。大松の顔は真っ赤になっており、全身から体の力が抜けていた。寝息を立てており、どうやら酒に酔って寝てしまったらしい。
「・・・ご心配いりませぬ。酔って寝込んでいるだけです。夜叉様、白湯を作ってもらって良いですか?」
「あ、はい。ただいま」
そう言うと、夜叉丸は一旦部屋から出ていった。
厨房で白湯を作ってもらった夜叉丸が部屋に戻ると、大松は千代の膝の上を枕にして寝息を立てていた。
「御方様、そこまでしなくても・・・」
そう言おうとした夜叉丸だったが、千代が右人差し指を立てて唇に当て、「しーっ、お静かに」と小さな声で注意してきたので、夜叉丸は黙ってしまった。
「夜叉様、布団がどこにあるのか分からなかったので、このような形になりました・・・。よろしければ、布団を敷いていただけませんか?」
大松の頭をなでながら言った千代。その千代の言葉に従い、夜叉丸は布団を探しにった。その間も千代はずっと大松の頭をなで続けていた。それは、夜叉丸が布団を探してきて敷いている間も続いていた。
「御方様・・・」
「千代でいいですよ」
「しかしそれでは、山内様に礼を失するというもの」
「そうですね・・・。では乳母殿がいいでしょうか?」
「分かりました。では乳母殿、長兄を布団に移しまする」
そう言うと夜叉丸は大松を抱えようとした。しかし、大松が寝返りをうちながら千代の腰に手を回して抱きついてしまった。しかも寝言で「母上・・・」と言ってしまった。
その発言に夜叉丸は固まってしまい、千代は「まあまあ」と微笑んでいた。
「乳母殿、すぐに長兄を・・・」
離そうと思った夜叉丸。しかし、千代がそれを止めた。
「構いませぬ。若様は齢十三にて羽柴の嫡男としての重責を担うお方。しかも、実の母を早くに亡くしております。甘えたくても甘えられないのでしょう。せめて、夢の中だけでもお母上に甘えさせましょう」
そう言うと、千代はまた大松の頭をなでた。千代の顔は、まるで菩薩のように暖かみのある笑顔であった。
「乳母殿・・・」
夜叉丸がなんとも言えないような顔をすると、千代は微笑みながら、
「このことは二人だけの秘密と致しましょう」
と言った。夜叉丸はただ「はい」としか言えなかった。
それから一刻が経った。大松は目を覚ますと上半身を起き上がらせ、思いっきり伸びをした。目をこすりながら周りを見渡そうとした時、後ろから「お目覚めですか?」という声を聞いた。振り返ると、そこには千代がいた。
「ああ、千代さんか・・・」
そう呟いた瞬間、大松の体がビクンと跳ねた。慌てて立ち上がると辺りを見渡した。
「あ、あれ!?千代さん!?えっと、ここは!?酒宴はどうなりました!?」
慌てる大松に千代が落ち着いた声で話しかけた。
「ここは若様の部屋ですよ。酒宴の席で酔った若様を、夜叉様が連れてきたのですよ」
そう言われた大松は、夜叉丸を探したが、どこにもいなかった。
「先程、『酒宴を見てきます』と言って部屋から出ていきました。帰ってこないところを見ると、おそらく酒宴は終わって片付けの手伝いをなさっているのでしょう」
千代はそう言いながら白湯の入ったお椀を渡してきた。大松は座るとお椀を受け取って中の白湯を飲んだ。だいぶぬるくなっていたが、それでもアルコールで乾いた喉を潤すと、大松は一息ついた。
「千代さん、礼を言います。落ち着きました」
「気分はどうですか?」
「はい。少し頭がガンガンしていますが、何とか」
「酒宴とは言え、少し飲みすぎたようですね」
「は、はい。阿閉殿に勧められて・・・」
そう言うと大松は右手で後頭部を掻いた。そんな大松に千代が苦言を呈した。
「若様、己の酒量を見極められないうちに、一気に多く飲まれるのはよろしくありませんよ」
「そうは言いますが、あそこで飲まなければ、阿閉殿に侮られまする」
大松が思わず強めに言った。千代は笑みをたたえながらも鋭く言った。
「そういうことは殿や小一郎殿におまかせすればよろしいのです。若様、お酒で我が身を失うことはよくある話です。それを見られて侮られては、結局意味がないではありませんか。引き際を知ることも、名将の成すべきことではありませんか?」
大松は千代の言葉に驚いた。昔、竹中半兵衛から教わった将たる心得の一つを、自分より5歳年上の女性から聞かされるとは思っていなかったのだ。そして大松は、女性だからという理由で正しいことを拒否するほど、度量は狭くはなかった。
「・・・まさに、千代さん、いや千代殿の言うとおりです。この大松が軽率でした」
頭を下げる大松に対して、千代は「はい、よろしい」と言うと、ニッコリと笑った。大松はしばらく千代の笑顔に釘付けになった。
「大松殿、顔が赤くなっておりますよ?まだ、お酒は抜けてないようですね」
「えっ!?あ、そ、そうですね。そうみたいです」
千代に声を掛けられた大松は、酷くうろたえながら答えた。千代が微笑みながら敷いてある布団へ手を向けた。
「夜叉様が敷いてくれました。お休みになられて下さい」
「あ、ああ。そうですね。そうします・・・」
千代に促された大松は、布団の上に横になった。横になった大松に、千代が顔を覗き込む。
「私は広間の様子を見てきますが・・・。一人で寝られますか?」
千代に言われて大松はムッとしながら言った。
「子供ではないんですから」
「ふふ、そうですね」
大松の言葉に笑いながら答えると、千代は部屋から出ていった。大松は、千代が出ていったところを確認した後、上を見て「ふー」と息を吐いた。
「・・・千代さん、良い人だな・・・」
優しくて、笑顔が素敵。それでいてはっきりと考えて物を言う。でも決してキツくない言い方。千代という女性の存在は、大松の心の中で大きくなっていった。
「・・・ああいう方が、側にいてくれたらな・・・」
千代は一豊の妻であり、手を出してはいけない存在。羽柴の家中が落ち着いたら、山内家に戻っていくことは確実である。その後に、あれ程の女性に会えるのだろうか?
大松はそう思いながら、目を閉じた。まだお酒が残っていたのだろうか、大松はそのまま深い眠りに入っていった。
次の日の未明、いつもの時間に起きた大松は、いつもどおりの朝の時間を過ごし、秀吉達のいる居間へと向かった。
居間に入ると、そこには秀吉と小一郎と南殿、山内一豊と千代、そして石田正澄が居間に集まっていた。全員の前にお膳があり、上には丼が一つ乗っていた。
「おお、大松!気分はどうだ?」
大松に気がついた秀吉か声を掛ける。小一郎が心配そうな目を大松に向けてきた。
「あ、はい。気分は悪くはありません」
「頭が割れるような痛みとかはないか?」
大松の答えに小一郎が畳み掛けるように質問してきたが、大松は首を横に振った。
「そうか。存外、酒は強い方なのかも知れないな」
秀吉がそう言うと、南殿が座っている逆の隣の場所を掌でポンポンと叩いた。それに促されるように大松はそこに座った。
「今日は雑炊ぞ。酒を飲んだ次の日はこれに限る」
そう言いながら、秀吉自らが囲炉裏で温められている鍋から雑炊を丼に掬うと、大松に手渡した。
「頂きまする」
そう言ってお椀を受け取った大松は、丼を口につけて雑炊を口に流し込んだ。熱い雑炊が口の中に広がると、全身の体温が上がる感覚を感じた。
「・・・美味しゅうございます」
大松がそう呟くと、秀吉は笑いながら大松の肩を叩いた。
「そうじゃろそうじゃろ!千代殿が作ってくれたからのう!」
秀吉の言葉に、大松は思わず千代に視線を向けた。千代が笑いながら「夫が酔いつぶれた次の日は必ずこれですから」と言った。
「酔いつぶれた?」
大松がそう言うと、秀吉が説明をし始めた。
大松がいなくなった後、一豊は阿閉貞征の酒を飲みまくったらしい。そして自分の妻の自慢を貞征に言いまくって貞征を閉口させていた。ただ、そのことで浅野長吉や木下家定の溜飲を下げることができていた。散々言った後、一豊はその場でひっくり返ってしまったらしい。
「全く、皆呆れておったぞ。あそこまで惚気けられるとのう」
「まあ、本当に仲のよろしいことで」
「何を言うか、儂らだって仲は良いぞ」
秀吉と南殿が人目をはばからずにイチャイチャしているのを横目に、大松は小一郎に尋ねた。
「ところで、阿閉殿は、あそこまで酒癖の悪いお方なのですか?」
「いや、あれは羽柴を恨んでいるから、お主に絡んだだけよ」
小一郎はそう言うと、説明をし始めた。
阿閉貞征は元々山本山城の周辺を支配していた国衆である。その後、領地は織田信長に安堵されたものの、浅井家支配の頃から阿閉領の境界線が曖昧だった。その後、領地を羽柴領に囲まれた阿閉家は、境界線を巡って羽柴家とトラブルを起こしていたのだった。
「それならば、御屋形様の裁きを受ければよいではありませんか」
大松が言うように、家臣の領地の揉め事を収めるのは当主の務めである。つまり、信長が裁判によって解決するべき事案なのである。
「儂もそう言ってみたのだが・・・。阿閉殿は裁判には消極的だ」
小一郎の発言に続いて、秀吉が雑炊を口に含みながら言った。
「『浅井の時はそんな事しなかった』だとさ。あやつ、御屋形様のやり方をまだ分かっとらん」
そう言うと、秀吉はゴクンと口の中のものを飲み込んだ。そして声を上げた。
「伊右衛門、千代殿、そして弥三郎。阿閉の奴がこれからも大松に絡むやもしれん。その時は守ってくれよ」
秀吉がそう言うと、呼ばれた三人は「ははっ!」と言うと頭を下げたのだった。