第30話 お披露目(前篇)
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少し早いですが、次話の投稿を行います。
羽柴秀吉の筑前守叙任の時期が史実と異なっている、とのご指摘を受けました。貴重なご意見ありがとうございました。
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どうぞよろしくお願い致します。
夕刻のお披露目までまだ時間のあった大松は、部屋に市松と夜叉丸を呼び出すと、二人に先程話した乳母の件を伝えた。また、大松が小谷に戻された理由についても詳しく話した。
実は小谷や今浜で羽柴の跡取りが大松ではなく石松である、という雰囲気を感じていた二人は、大松の話を聞くとすぐに大松の言うとおりに口裏を合わすことに同意した。
次に大松は、山内屋敷に向かうこととした。すぐに石田正澄を呼ぶと、山内屋敷に使者を遣わして訪問する旨を伝えさせるよう命じた。
次に大松は加藤孫六と大谷桂松を呼んだ。二人に山内屋敷に向かうための供を命じるためだ。これに夜叉丸が異議を唱えた。
「なんであの二人なんですか、長兄。俺と市松じゃ駄目なんですか」
「あの二人の為人が分からないからなぁ。少しでも話せないかと思って」
「・・・兄貴、あの話を二人にするのか?」
市松が質問すると、大松は即座に否定した。
「あの二人に打ち明けるのはまだ早い。今は言わないでおこう」
そう言うと、大松は市松と夜叉丸にお披露目の準備をするように命じた。
羽柴屋敷の門にはすでに命を受けた孫六と桂松が待機していた。孫六は大松の馬の綱を持っており、その隣で桂松は片膝をついて畏まっていた。
「二人共、待たせたな」
そう言うと、孫六が馬を連れてきた。
「若様、オイラ・・・じゃないや、私めが選んだこの馬はいかがだったでしょうか?」
「え、選んだ?弥助の伯父上が選んだんじゃないのか?」
大松が思わず聞くと、孫六は首を横に振った。
「最終的に選んだのはあの人だけど、複数選んだのはオイラ・・・じゃなくて私めでございます」
「ああ、父上が言っていた岸の孫六って、お前のことだったのか・・・。初陣では乗って戦うことがなかったけど、よく懐く馬だと感心していた。良い馬を選んでくれた。礼を言うぞ」
大松が笑って孫六に言うと、孫六は「えへへ」と言いながら頭をかいた。そんな孫六に桂松が注意する。
「孫六、若君に対して無礼だぞ」
「あ、す、すいません!」
そう言うと孫六は頭を下げた。大松は笑いながら言う。
「本来は小姓としての言葉遣いを注意すべきところだが、今は時が惜しい。すぐに山内屋敷に向かうから、お前たちもついて来い」
馬に乗りながら大松がそう言うと、二人は「はい!」と声を揃えて返事をした。
大松が馬に乗って速歩で行き、その後ろを孫六と桂松が軽く走ってついてきたため、三人はすぐに山内屋敷についた。
山内屋敷ではすでに門が開いており、門前には山内一豊と家臣の祖父江勘左衛門が待っていた。
「若君、お待ち申しておりました」
大松が馬から降りると、一豊がそう言いながら礼をした。
「出迎えかたじけのうございます、山内殿」
「伊右衛門で結構でございます、若君」
やや緊張した面持ちで大松に言う一豊。そんな一豊に大松は言った。
「申し訳ないが、今後のことについて伊右衛門と奥方に話をしておきたいと思って参上しました」
「それでは屋敷の客間にてお話いたしましょう。小姓共は別室にてもてなしを致しまする。勘左衛門」
一豊がそう言って勘左衛門を呼ぶと、勘左衛門は「はっ」と返事をした後に孫六と桂松の側に来た。
「孫六、桂松、そこの者と共について行くように」
大松が二人に言うが、桂松が心配そうな顔で大松に言った。
「しかし、若君の護衛はいかがされまするか?」
「伊右衛門は信頼できる者だ。心配はいらない」
大松がそう言うと、一豊も真剣な眼差しを桂松に向けながら頷いた。
「・・・分かりました。孫六、行こう」
「え?あ、でも、馬は・・・」
桂松の促しに対して孫六は戸惑った。若君の馬を見なければならない、と思っていたからだ。しかし、孫六に対して勘左衛門が話しかけた。
「馬は当家の馬丁が見ますゆえ、孫六殿も参られよ」
「あ、はい・・・」
勘左衛門の優しい声に思わず返事をしてしまった孫六。そんな様子を見ながら大松は一豊に言った。
「では、早速案内をお願いする」
山内屋敷の客間に通された大松は、一豊に促されるように上座に座った。下座に一豊が座ると同時に、千代が客間に入ってきた。千代は一豊の隣に座ると、平伏しながら挨拶をした。
「若君、お懐かしゅうございまする。千代にございまする」
「千代さん、お久しぶりです。時が惜しいゆえ、本題に入りたいと思います」
大松がそう言うと、姿勢を正して頭を下げた。
「この度は私めの傅役及び乳母の役目をお引き受けして頂き大変申し訳ありません。急な話ゆえ、戸惑わられたかと思いますが、どうかこの私めにお力添えしていただきたい」
大松がそう言うと、一豊と千代は深々と平伏した。
「勿体なきお言葉。この山内伊右衛門一豊、身命を賭して若君を守り立てますることをお誓い致しまする」
「千代も夫と共に若君をお支え致しまする。乳母の役目を上手く出来るかは分かりませんが、精一杯務めさせていただきまする」
「千代さん、大変申し訳無い。父上が無理を言いました」
大松は大変申し訳無さそうに言った。千代はこの時十八歳。未だ夫である一豊との間に子を成していないのだ。なのにいきなり十三歳の乳子ができたのだ。普通なら断られても仕方がない事である。しかし、千代は笑いながら答えた。
「いいえ。むしろ、あの時のご恩返しが出来る機会をお与え頂き、感謝しておりまする」
「あの時?」
大松が首を傾げると、千代が答えた。
「飢えて倒れていた時の事でございまする」
「ああ、あの時の。確か・・・、四年前でしたっけ?」
大松は山内一門(といっても一豊含めて4人だけだが)が、門の前で倒れていたことを懐かしむように言った。
「はい。あの時、若君に助けていただいたからこそ、我が夫もこうして禄を頂くばかりではなく、傅役という大任を頂くことができました。夫もまた、若君への御恩を返さんと羽柴の殿様のために命を張って戦ってきました。今後も、我が山内家は羽柴の御為に働きましょう」
そう言いながら千代は平伏した。続けて一豊も大松に言う。
「・・・我が妻の言うとおり、山内家は羽柴の御為、犬馬の労を厭いませぬ」
千代にほとんど言いたいことを言われてしまった一豊は言葉少なげに大松に言いながら平伏した。
「お二方の忠節、この大松忘れませぬ。ではさっそく、今後のことについて話しましょう」
こうして一刻ほど、大松と一豊、千代は今後についての話し合いを行った。
夕刻になった。小谷城下の羽柴屋敷には、北近江から羽柴の家臣や織田信長によって付けられた与力達が次々と集まっていた。集まった者達は小一郎の出迎えを受けた後、市松や夜叉丸などの若い近習の案内を受けて広間へと集まっていた。
刻限となり、皆が集まったと判断した小一郎が軽く挨拶をした後、上段の間のすぐ下の脇に座った。直後、太鼓が「ドン、ドン」と2回鳴り、どこからともなく「羽柴筑前守様、御成り〜!」という声が聞こえた。そして、広間の上段の間の横にある障子が開き、そこから秀吉と大松、太刀持ちとして市松が入ってきた。小一郎以下、広間にいた全ての人が平伏した。
「一同大義!面を上げられよ」
上段の間のど真ん中に座った秀吉から、広間中に響く大きな声が発せられると、下座から「ははぁ!」という声が帰ってきた。そして平伏していた全ての人が頭を上げた。
「師走に入り忙しい中、小谷へ来てくれたことを感謝いたす。今宵、皆々様を呼んだは余の儀にあらず。岐阜城にて御屋形様、並びに若殿様に近習していた我が嫡男、大松が帰ってきたゆえ、皆に紹介せんがためである」
秀吉はそこまで一気に言うと、呼吸を整え、また話し始めた。
「大松は去年の十月より御屋形様の元で小姓と勤める一方、御屋形様の思し召しにて岐阜城内にて文武の修行を行ってきた。その優れた才を若殿様に見初められ、今年に入ってからは清洲城にて若殿様をお支えした。そして、今年の八月より長島の一向一揆を鎮めるべく、御屋形様が兵を挙げたる時は、若殿様の近習として初陣を飾った。
その後、儂の願いにより小姓を辞することとなったが、その際に若殿様より一字拝領を賜りもうした。来年、大松は『羽柴藤十郎重秀』として元服することと相成った」
―――父上、話を少し盛ってませんか?―――
大松は秀吉の話を聞きながらそう思った。間違ったことは言っていない。言っていないが、こう言葉にされると恥ずかしい。大松は恥ずかしさを表情に出さないよう、必死になって歯を食いしばっていた。
「大松、こちらにいる皆々様が羽柴と共に北近江三郡をお支えしている方々だ。ご挨拶をいたせ」
秀吉がそう言うと、大松の背中をパンッ、と叩いた。音は響いたが痛くはない叩き方だった。
大松は下座から来る多数の視線に臆せず、背筋を伸ばして正面を見た。脳裏に太刀持ちとして背後から見ていた織田信長や織田信忠を思い浮かべていた。そして、息を吸い込むと、ゆっくりと吐き出すようにして大きな声を発した。
「羽柴大松です。この度、父の要請により、御屋形様の許しを得て岐阜より帰ってきました。羽柴家の嫡男ではありますが、北近江十二万石の大名たる羽柴筑前守様を支える皆々様から見れば新参者。若輩者ゆえ至らぬ点もございますでしょうが、ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお頼み申しあげます」
家臣に対しては謙らず、与力に対しては尊大にならないよう、大松は注意しながら頭を軽く下げた。
大松が頭を上げた時だった。最前列の右端にいた人物がいきなり「お見事!」と声を上げた。皆が一斉に声を発した人物に注目した。もちろん、大松もその声を上げた人物に視線を向けた。
その人物は広間の中では異質であった。全ての者が武士の普段着である肩衣袴を身に着けている中で、その人物はただ一人僧衣であった。頭に毛は生えているものの髷はなく、口周りは髭が生えている。体格は僧とは思えぬほどガッチリとしており、僧衣の袖から見える手は凡そ数珠や経典、筆より遥かに重いものを持っていると思わせるほどゴツいものであった。もし長島にいたら一向一揆勢の僧兵の指導者と間違われるだろう。
―――あれ?この人、岐阜城であったな。確か・・・、そう、今年の正月の宴だったっけ―――
大松がそう思いながらも、この僧衣の人物は話し続けた。
「いや、羽柴様にこのようなご立派な嫡男がいらっしゃるとは、この善祥坊、感服仕った!これで羽柴も安泰、北近江三郡も益々栄えることでしょう!いや、めでたい!この宮部善祥坊継潤、若様のためにも我が才をふるいましょうぞ!」
継潤がそう言うと仰々しく大松に平伏した。その姿を見た秀吉が、如何にも感動したかのような声を皆に聞こえるかのように張り上げた。
「おお!宮部殿!よう申された!宮部殿がついていただけるなら、我が愚息も安心というもの!必ずや、皆々様のお役に立てましょうぞ!皆様方も、何卒、我が愚息に色々教えてやってくだされ!」
秀吉がそう言うと、一人の男が立ち上がった。
「殿!お任せあれ!近江の宮部殿が若様をお支えすると言うたのに、美濃の蜂須賀小六郎正勝、どうして若様を支えられぬと言えましょうか!息子ともども、若様を全身全霊でお支え申す!」
正勝の言葉に刺激されたのか、次々と立ち上がって大松を支えることを宣言する者たち。冷静な竹中重治ですら、立ち上がりはしなかったものの「竹中家も若君をお支え申す!」と声を上げていた。
「おお!皆々様のお気持ち、この筑前しかと受け止めましたぞ!儂と大松と共に北近江を、そして御屋形様をもり立てようではありませんか!」
秀吉の言葉に、全員が改めて秀吉と大松に平伏した。そんな様子を、小一郎は満足げな様子で見つめていた。
―――予め宮部殿と蜂須賀殿に根回しした策、見事にハマりましたな、兄者―――
小一郎が心の中でそう言うと、ついさっきの事を思い出していた。大松と話し合った後、秀吉は一人で宮部城に向かうと、城主の継潤に先程の様に大松を支えることを言ってもらうように頼み込んでいたのだ。継潤に頼み込んだ秀吉は、その足で小谷城下の蜂須賀屋敷に行くと蜂須賀正勝に同じ様に頼み込んでいた。
正勝は元々大松を知っており、また秀吉の跡取りは大松であると最初から思っていたので、特に抵抗なく承諾した。また、継潤も浅井家臣時代に秀吉の調略を受けて織田側に寝返って以降、近江では親秀吉派として行動していた。なので彼もまた、秀吉の頼みを聞いていた。
結果、継潤と正勝以外の者達も大松を支持するよう誘導できた。もっとも、その二人以外にも秀吉と小一郎は根回しをしていたので、こうなることは予想がついていた。
―――そして、コイツが動かないのも兄者の予想通りか・・・―――
そう思いながら小一郎はある一人の人物へ視線を動かした。大勢が深々と平伏している中、唯一軽く頭を下げるに留めている男が一人いた。
―――阿閉貞征―――
その男の名前を心の中で、小一郎は苦々しい想いで呟いてた。