第29話 佐吉(後編)
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大松の言葉に、全員が絶句した。そんな中、佐吉は体をブルブルと震わせながら俯いた。
「佐吉よ。こう見えて、私は美形らしい」
大松の発言に思わず皆が大松の方を見る。市松が「自分で言うなよ・・・」と呟いていたが、大松は構わず話を続ける。
「まあ、顔は母親似ゆえ、そう言われるのは仕方がない。我が母は相当な器量良しだったようだ。ただ、この顔のおかげで、他の小姓達からは嫉妬させられたよ。特に、御屋形様の色小姓達からは。
ありがたいことに、若殿様のお側にいることが多くなってからはそういった嫉妬から逃れることはできたが、それでも『次期当主に上手いこと媚びやがって』とか『若殿様の色小姓』とか、やっかみを受けたものよ」
大松はそう言うと自虐的な笑みを浮かべた。皆が同情的な眼差しを大松に向けてきた。
「小姓が多くいれば、それだけ嫉妬や羨望に巻き込まれるは必定。主君の寵愛を失えば、己だけではなく一族が路頭に迷う可能性だってある。そうならないよう、時には他の小姓の足を引っ張ることだってある。御屋形様も度々綱紀粛正を行ってきたが、やっぱり小姓同士の諍いからは逃れることができなかった」
大松はそう言うと、市松と夜叉丸の方を見た。
「昨日、市松や夜叉丸と話をしたよ。佐吉とよく喧嘩したって。話を聞いて思ったんだ。市松と夜叉丸は佐吉の算術の才能に嫉妬してるって。だから、腕っぷしで勝負したかったんだろう。腕だけなら義弟達は自信あるから。まあ、佐吉と義弟たちでは、腕っぷしではどう考えても佐吉が負けるだろうから、挑発に乗らなかったんだろうけど」
大松がそう言うと、市松と夜叉丸はバツの悪そうな顔をした。恐らく図星だったのだろう。
「父上と叔父上の話では、父上の酌をよくしていたのが佐吉だってことは、佐吉自身、自分が父上の側・・・、いや、寵愛を独占できると思っていたんじゃないのか?私が父上の側に座ったことで、その寵愛を失うと思って、それで私を叩こうとしたんじゃないのか?」
大松が佐吉にそう言うと、佐吉は涙を流しながら頷く。
「はい・・・。確かに私は嫉妬しておりました・・・。ただ、それは寵愛が無くなるから、というものではありませんでした。もっと、欲深いものでありました・・・」
佐吉の言葉に大松が首を傾げた。
「欲深い・・・?え!?もしかして、佐吉は父上の色小姓だった!?」
「んなわけあるかぁ!!」
大松の言葉に、秀吉が思わず大声を出した。あまりの大声に、大松は驚いてしまった。
「父上!いきなり大声を出さないで下さい!」
「阿呆!お前が変なこと言うのが悪い!儂は衆道は嫌いだぞ!なんで男を抱かにゃあならん!儂が好きなのは女じゃ!胸と尻に程よく肉がついている十四歳から二十四歳までの若い女子が好きじゃ!武家の娘ならなお良し!美人であれ多少は歳を食ってても許すぞ!」
大声で堂々と宣言する秀吉を見て、小一郎が頭を抱えた。
「大声で言うことじゃないだろ、兄者・・・。ってか、女好きで男好きって、それはもはやケダモノの類じゃ・・・」
「小一郎!やかましいぞ!儂は女だけが好きなんじゃ!まだケダモノではない!」
「父上。分かりましたから、もうお座り下さい。そんな風に立ち上がって叫んでは、羽柴筑前の名が廃りまする」
「大松が変なことを言うからであろうが!」
興奮しながら言い放った秀吉であるが、すぐに息を整えて座った。そして背を伸ばすと佐吉に威厳のある声で話しかけた。
「それで?佐吉は何をもって欲深いと申したのじゃ?」
なんとか取り繕うとする秀吉に対して、唖然としていた佐吉が慌てて答えた。
「は、はい。殿は私めを『儂の息子だと思っている』とか『儂を父と思うてくれ』とおっしゃられました。そう何回も言われるうちに、私めは恐れ多くも殿の子だと思ってしまったのです・・・。今思えば、真に不遜な考えと恥じ入るばかりでございまする」
「・・・それ、兄者が調略する時によく使う殺し文句だぞ。佐吉よ、本気にしていたのか?」
小一郎が静かに問うと、佐吉は頷いた。
「兄者・・・。大松という立派な跡取り息子がいながら、そんな口説き方をしていたとは・・・」
小一郎が疑いと軽蔑の混じった視線を秀吉に送ると、秀吉は慌てたように小一郎に言い訳した。
「待て待て待て!儂は別に佐吉を大松の代わりにしようとはこれっぽっちも思っとらんぞ!ただ、聡い佐吉を手元において、羽柴の家臣に育て上げようとしただけじゃ!そりゃあ、確かに『父と思え』とは言ったかもしれんが、他意はない!」
大声を張り上げる秀吉の横で、大松が落ち着いた口調で佐吉に聞いた。
「佐吉、寺ではどんな生活だった?」
「・・・和尚様には良くしていただきました。ただ、武士として生まれながら、寺での修業の日々、己が何者なのかを日々心の内で問いかけておりました・・・」
佐吉が小声で答えると、大松がさらに話を続けた。
「そんな中で寺から出してくれた父上に、佐吉は恩を感じると同時に、近親の情が湧いたのか?」
「はい・・・。誠に、己の思い上がりを憎むばかりでございます」
「・・・しょうがねぇよ、佐吉。殿さんは俺達にも『大松の弟になったのか!なら儂ゃあお前らの父じゃ!そう呼んで構わんぞ!』とかしつこいくらいに言ってきたからなぁ。あんな笑顔で言われりゃ、誰だってコロリといっちまうなぁ」
佐吉の話を聞いていた市松が、同情するような表情で言った。隣にいた夜叉丸も頷きながら言う。
「そうだな。俺も父親を三歳で亡くしたから分かるけど、殿は本当に父親のように接してくれた。もし、長兄がいなければ、俺も佐吉のように殿を本当の父親だと勘違いしていたかも知れない。そうしてたら、きっと佐吉と殿を巡って、もっと喧嘩してたかもしれないなぁ・・・」
そう言うと、夜叉丸もまた、佐吉に対して同情的な目を向けていた。
「・・・分かった分かった。もうええ」
これ以上自分が色々言われることを恐れた秀吉が、話を打ち切ろうと無理に入ってきた。そして、佐吉の方を見ると、軽く頭を下げながら言った。
「すまなかったな、佐吉よ。お主を誤解させたことは詫びる。しかしな、儂はそなたのような優秀な若者が必要なんじゃ。そなたは儂の子ではない。儂には本物の息子が二人もいるでの。しかし、大切な家臣であることは変わりない。どうか、その才を儂や、儂の息子のために使ってくれぬか?」
秀吉に続いて、小一郎も話しかけた。
「兄者の軽率な物言で佐吉が傷ついたことについては、弟である儂からも謝る。佐吉の仕事ぶりは儂の目から見ても良いものであった。が、兄者の跡取りは大松じゃ。そこら辺を弁えてくれれば、儂からは何も言わん」
大松もまた、佐吉に語りかけた。
「私が岐阜城にいる間、よく父上と叔父上を支えてくれた。礼を申す。これからも、父上のためにその才を使ってもらえないだろうか?」
三人から言われた佐吉は、涙を流しながら「承知致しました・・・」と言って平伏した。隣りにいた正澄も「愚弟がご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」と平伏した。
「しかし、大松を叩こうとしたことについては罰しなければ家中に示しが付かぬ。兄者、どうする?」
小一郎が真面目な顔つきで秀吉に聞いた。秀吉は少し考え込んだ後、佐吉に言った。
「うむ、しばらく自宅で蟄居いたせ。なに、ほとぼりが冷めたら呼び戻すゆえ、それまで反省していろ。弥三郎、監視はお前に任せる」
秀吉の言葉に、佐吉と正澄は「承りました」と言って再び平伏した。
佐吉が正澄に付き添われて出ていき、市松と夜叉丸も鍛錬があると言って出ていった。膳も下げられ、南殿も奥座敷に下がると、残ったのは秀吉と小一郎、そして大松だけであった。
「やれやれ。これで少しは小姓共の間に波風が立たなくなれば良いがのう」
秀吉が体を伸ばすように両腕を頭の上に持っていきながらそう言うと、小一郎は頷きながら返した。
「まったくじゃ。しかし、大松よ。よくぞ佐吉の想いに気がついたものじゃ」
小一郎が大松の方を見ながらそう言うと、大松は思い出すかのように呟いた。
「・・・まあ、色々ありました故・・・」
「・・・すまんのう、辛い想いをさせて。こんなことになるなら、岐阜城へ上げるのを止めさせておけばよかった」
秀吉が辛そうな顔でそう言うと、大松は首を横に振った。
「辛いこともございましたが、堀様を始め、良きお方にも会えました。また、父上のため、若殿様のため、ひいては御屋形様のため、数多くのことを学ばせていただきました。どうして己の立場を嘆きましょうや」
「・・・お主は本当によく出来た倅よ。儂にはもったいない倅じゃ。ねねもあの世で喜んでおろうよ。こんなにも立派に育ったことに」
秀吉はそう言うとホロリと涙を流した。小一郎も鼻をすすりながら大松に語りかける。
「大松よ。もう心配無用じゃ。これからは、儂等でお主を守るからのう。羽柴の御曹司として、しっかりと城で育てるからのう」
「おお、そうじゃ、もう城からでなくても良いぞ!美味い食い物や酒、珍しい唐物や南蛮物、美しい女子を好きなだけ用意してやるぞ!お主のために、この父が長浜城を酒池肉林の城にしてやるぞ!」
秀吉の発言に大松は嫌そうな顔をしながら答える。
「嫌です。私は紂王になぞ成りとうありません。なんですか、その亡国まっしぐらな城は」
「うーん、お主は真面目じゃのう。もう少し遊びを覚えたほうがいいぞ。ふむ、今度京から遊女を城につれてくるか。女子の柔肌を教えるは親の務めじゃ。さて、どの女子が大松にふさわしいかのう・・・」
ブツブツ言っている秀吉に対して、小一郎が心底呆れたような顔をしながら秀吉に言った。
「そんな親の務めは聞いたこと無いからやめろ、兄者。そんなことよりも、大松に山内殿の話をしたほうが良いんじゃないのか?」
「む、そうだな・・・」
秀吉が同意すると、大松の方に顔を向けた。
「伊右衛門と千代殿は傅役と乳母を引き受けたぞ」
「引き受けてくださいましたか」
大松がホッと息をついた。正直、受ける可能性が低いと思っていたからだ。秀吉が話を続ける。
「最初は渋ったがのう。加増と千代殿にも俸禄を与えることで引き受けてもらえた。それと、千代殿の申し入れで、千代殿は岐阜の頃からお主の乳母だったことにしてもらった。大松もそう心得よ」
「は?何故そのように?」
大松が聞くと、秀吉がニヤリとしながら言う。
「来年十四で元服するお前が、いきなり乳母を付けられてはかえって怪しまれるからのう。大松よ、すまぬが、市松と夜叉丸にも口裏を合わせるように言ってもらえぬか。あの二人から事の真相が漏れると、せっかくの儂等の策が台無しになるからのう」
「なるほど、分かりました。後で言っておきます」
さすがは若いながらも賢妻と言われた千代さんだ、と大松は思った。秀吉も同じことを思ったらしい。ニヤニヤしながら言う。
「うむ、あれほど賢い女子は中々おらんで。あれは伊右衛門にはもったいないくらい良き女子よ。惜しむらくは、もう少し尻と胸の肉付きが良ければのう・・・」
「父上!」
「おい、兄者!」
秀吉の発言に大松と小一郎が鋭い声を投げつけた。しかし、秀吉は笑いながら言った。
「分かっとるって。儂は人妻には手を出さん。心配するな」
そう言う秀吉を、大松と小一郎は疑いの目で見つめた。
「本当ですか・・・?父上は女子になると節操がありませぬから・・・」
「兄者は女に対しては信用できないからな・・・」
「何かあれば、山内殿に殺されますよ」
「大松よ。最悪の場合、儂が兄者を道連れに琵琶湖に飛び込む。お主は家督をついで、羽柴をしっかりと守るのだぞ」
「分かりました、叔父上。羽柴はお任せ下さい」
大松と小一郎の物騒な話に秀吉も思わず「おいっ!」と声を上げた。
「・・・まあよいわ。このことで時を潰しとうはない。この後の事について話し合うぞ」
自業自得であるものの、息子と弟に色々言われた秀吉は不満げに言った。確かに、今日は山内一豊や千代のことだけでなく、予想外の佐吉のことで色々あったが、今日という日はまだ半分残っているのだ。しかも、その半分で重要なイベントが控えていたのだ。
「・・・大松のお披露目だな?」
小一郎の言葉に秀吉が頷く。
「うむ、昨日は一門や屋敷に住む侍女や奉公人、そして小姓に紹介したが、今日は他の家臣や与力達じゃ。しかもその後に酒宴が控えておる。大松には羽柴の跡取りとしてしっかりとしてもらわんとのう」
「まあ、昨日の市松達の事といい、今日の佐吉の事といい、大松なら大丈夫だと思うが・・・」
小一郎がそう言うが、小一郎の顔にはありありと心配の表情が出ていた。
「儂もそう思う。しかし、何があるか分からんからのう。・・・大松よ」
秀吉が大松の方に顔を向ける。大松は姿勢を正した。
「お主なら大事無いと考えるが、気を抜くなよ。酒宴に来る人間すべてが羽柴に心から従っているわけではないのじゃ。そのこと、ゆめゆめ忘れるでないぞ」
「はい!心して臨みまする」
そう言うと大松は秀吉に平伏した。
そんな姿に安心したのか、ホッとした表情を浮かべる秀吉、しかし、小一郎の顔はまだ何かを懸念しているかの様な表情を浮かべていた。
「・・・兄者、ここはもう少し根回しをしといたほうが良い。尾張や岐阜から大松を知っている者は儂が引き締めておったが、やはり近江に入ってからの家臣や与力については不安じゃ」
小一郎の発言に、秀吉はニヤリと笑うと小声で話しだした。
「その点については抜かりない。この後、儂はある者に会うことになっている。小一郎、留守は頼んだぞ」
秀吉がそう言うと、小一郎は「分かった」と言って頷いた。そんな二人に大松が口を挟む。
「父上、会いに行かれる方とは、どこのどなたですか?」
大松の質問に秀吉が答える。
「うむ、お主にも後で紹介するが、宮部城城主、宮部善祥坊(宮部継潤のこと)じゃ。ほれ、治兵衛(のちの三好秀次のこと)を養子にやったあの宮部殿じゃ。あの者に、ちと頼み事をしてくる」
そう言うと、秀吉はニヤリと笑うのであった。