第2話 前田家の人々
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木下屋敷の隣、そこには前田利家の屋敷があった。門構えのある立派な屋敷であるが、ぶっちゃけ木下屋敷と作りは同じである。
大松はすでに開いている門をくぐると、玄関先にて大声を上げた
「ごめんください!」
「何者か!」
玄関の中から野太い男の声がしたと思うと、いかつい顔の男が出てきた。村井又兵衛長頼、利家の家臣である。
「村井様、お久しゅうございます!」
「おお、大松か!岐阜にはいつ着いた?」
「先ほどです。父藤吉郎の使いで参りました。前田様、おまつ様はご在宅でしょうか?」
「おお、奥の座敷でお待ちだ。上がれ上がれ!」
「はい!」
玄関から中に入ると、奥の方からバタバタと複数の足音が聞こえてきた。どうやら複数人が走ってきたようだ。大松が音のする方に目を向けると、男の子一人と女の子二人が走ってきていた。
「大松!」
「犬千代!」
そう言い合うと大松は近寄ってきた男の子―――前田利家の息子、前田犬千代の手を両手で握った。犬千代も両手で大松の手を握り返した。
「元気そうだな!犬千代!」
「大松、よく来たな!会えて嬉しいよ!」
二人がガッチリと手を握り合いながら再開を喜んでいると、大松の脇腹に手刀を軽く突っ込んでくる女の子が一人。
「松兄来るのおそーい!」
「おお、蕭ちゃんも元気そうだね」
そう言うと、大松は1歳年下の前田家の次女、蕭の頭をなでた。
「ちょっ、頭撫でるなよー!」
「蕭ちゃん大きくなったなー。って、本当にでかくなったな」
「松兄が小さいんだよ!」
「蕭、そんな事言うもんじゃありませんよ」
大松と蕭が言い合っている側に、大松よりも背の大きな女の子が蕭を窘めながら近寄ってきた。
「・・・!幸姉、ご無沙汰しておりました」
「ええ、真に。大松も息災で何よりです」
幸姉と呼ばれた女の子は、柔らかな笑みを浮かべながら大松に挨拶した。彼女こそ、大松の3歳年上の姉貴分、前田利家の長女の幸である。
「ささ、父様も母様も座敷でお待ちですよ」
「はい。幸姉もお元気そうですね。岐阜に来てから何か変わられましたか?」
「ええ、最近は母から料理を本格的に習いはじめまして・・・」
大松と幸が会話しながら座敷に向かって歩いてる後ろで、犬千代と蕭がヒソヒソと話をしながら続いた。
「ねえ、犬兄。やっぱり松兄は幸姉のこと好きだよね」
「うん?まあ、大松は一人っ子だからなぁ。一人っ子だと兄弟姉妹が欲しいんだろう」
「そういう意味で言ったわけじゃないんだけど・・・」
あ、こいつ何も分かってないな、という目で蕭は犬千代の顔を見ていた。
居間に通された大松は、床の間の前で座っている前田夫妻の前に来ると、胡座(正座が目上の人に対する作法としての座り方になるのはもう少し後の時代である)で座った後に両手を畳について頭を下げた。
「木下藤吉郎が息、木下大松でございます。父藤吉郎に代わり、前田様へ引っ越しのご挨拶に罷り越しました」
「うむ」
大松が挨拶の口上を述べると、上座に座っていた利家が鷹揚にうなずいた。
「父藤吉郎より言付けを預かっております。『今宵の宴の件、確かに承った。申の刻に参る』とのことでございます」
「はい、よくできました。ご立派ですよ」
大松が伝言を伝えると、利家の隣りに座っていたまつが微笑みながら褒める。
「よし、申の刻までまだ時間があるな。大松、犬千代たちと遊んでこい」
「はい!」
「よし、大松。久々に剣術やろうぜ。岐阜に来てからやる相手が又兵衛しかいなくてさ」
「いいよ、やろう。長吉叔父上から習った剣術試したかったんだ」
犬千代と大松はそう言いながら立ち上がると木刀を取りに庭へと向かい、
「私もやりたーい」
「蕭、貴女は母上と食事の準備ですよ」
「えー!?」
蕭と幸もそう言いながら客間から出ていった。
子供たちのいなくなった客間には、前田夫妻と控えていた村井長頼が残っていた。
「・・・大松のやつ、見ないうちに大分立派になったな・・・」
「ええ、子供の成長のなんと早いことか」
利家の呟きにまつが答える。
「あれで槍さばきも上手ければ、文句ないんだが・・・」
「殿、七つの子に槍はまだ早うございます。木刀を振って体を作ることが先決かと」
利家の愚痴に今度は長頼が答えた。
戦国時代、武士の体作りはすべからく戦のための体作りであった。槍を扱い、刀を扱い、弓を扱い、馬に乗る。そのための体作りが重要視されていた。そしてその体作りのはじめの一歩が、木刀の素振りである。
木刀を頭の上から胸の高さまでの上下運動で腕、胸、背中の筋肉を鍛え、前進後退を繰り返すことで腹以下の内部筋肉を鍛える。このことで体幹を鍛え上げ、ぶれない体を作り上げていったのである。そして木刀の素振りでも動じない体幹となって初めて次の段階、つまり槍や弓を習うのである。
ちなみに武士の子供が本格的に武術を習うのは10歳前後。そう考えると、犬千代や大松が武術を習うのはまだ早い、と言わざるを得なかった。
「しかし、それがしが見立てまするところ、犬千代様の方が剣術は上手ですな」
「・・・贔屓目か?それは」
「いえ、大松も悪くはないのですが、いささか疲れやすいのではないかと思われます」
「なるほどな」
利家が意味深にうなずくと、まつが溜息をつきながら話し始めた。
「剣術が優れているのはよろしいのですが、勉学の方ももう少し優れているとよろしいのですが・・・」
「ん?犬千代は頭が悪いのか?」
利家の直接的なもの言いに、まつが顔をしかめる。
「そのようなわけではありません。ただ、大松と比べると、という意味です」
「何、大松はそんなに頭が良いのか?」
「もう算術もこなせてますよ」
「ええ!?早くないか!?」
利家が驚くと、長頼が分別臭い顔をしながら話し始めた。
「ああ、それは恐らく木下家の兄弟のせいでしょう。あれは百姓の出でありながら算術は得意にしていましたから」
秀吉は行商人の経験があるため、銭勘定は当然できていたし、小一郎も百姓の出でありながら算術は得意としていた。というより、百姓だからといって算術ができないというのは偏見でしかない。
百姓は年貢を領主に納める。その年貢料は厳格になされており、少しでもごまかすことはできない。そのため、百姓たちは年貢料を正しく納めるため、というより自分たちの食い扶持を少しでも多く残すために知恵を振り絞ってきた。そのための算術のスキルは百姓にとって必須であった。
後年、豊臣秀長が莫大な金銀を遺すことができたのも、百姓時代から培ってきた算術スキルが高かったから、といっても過言ではないだろう。
「ところで御前様、犬千代と大松を寺に通わせる話ですが・・・」
話を変えてきたまつに、利家は面倒くさそうな顔をしながら答えた。
「それはまつに任せた、と言っておろう」
「ええ、ですから、二人には崇福寺に行ってもらおうかと」
「・・・崇福寺、ですか」
長頼がそう言うと、何やら考え込んだ。
「なんだ、なにか問題でもあるのか?」
「七つの子が行くにはちと早いのではないかと」
「あの二人ならば十分付いていけますよ。私が請け負いまする」
長頼の心配に対してまつが胸をたたいて頷いた。
「ならば良いであろう。まつよ、あとは頼むぞ」
利家の言葉に、まつは「はい、お任せ下さい」と再び頷いた。
申の刻が過ぎ、前田屋敷に木下家の一行がやってきたので、ささやかな酒宴が始まった。
参加しているのは前田夫妻、村井長頼、木下秀吉、木下長秀、杉原家次、杉原家定、浅野長吉。これに酒は飲めないが犬千代、幸、蕭、そして大松も参加している。ちなみに、あさは「私が行くと不幸だから・・・」と言っていたので留守番である。
もとより付き合いの長い木下家と前田家。酒宴も格式張ったものではなく、皆で車座になって酒や肴を思い思いに飲み食いするだけの軽いものであった。
「藤吉、此度の美濃攻略はそなたの働きあってこそ。この前田又左衛門、心より貴殿に感謝いたす」
利家がそう言って酒を飲み干すと、隣りに座っていた秀吉が酒盃に酒を注ぎながら話し始めた。
「いやいや又左殿、これも全て殿の命に従っただけ。それがしなぞ、大したことは・・・」
「謙遜もいいけどな、藤吉。美濃方である坪内玄蕃(利定)や大沢次郎左衛門、稲葉彦四郎(良通)や安藤伊賀守(守就)、氏家卜全(直元)らを寝返らせたのは素直に誇っていいと思うぞ。あまり謙遜がすぎると、慇懃無礼となるぞ」
「それがですなぁ、どっから噂が流れたか知りませんが、稲葉、安藤、氏家は儂が寝返らせたわけではないんですじゃ。あれは勝手に寝返ってきただけなんですじゃ」
「そうなのか?調略を仕掛けたのではないのか?」
「仕掛けはしましたけど、のらりくらりと躱されましたわ。もっとも、主君(斎藤龍興のこと)とは仲が悪いと聞いてたんで、寝返る機会をうかがっておったんでしょうなぁ」
秀吉が上機嫌にそう言うと、酒を一気に飲み干した。そんな秀吉にまつが話しかける。
「ところで藤吉郎殿。大松の通う寺は決まりましたか?」
「おお、そのことをおまつ殿に訪ねにゃあいかんと思っとったんじゃ。どこがいいですかのう?」
「私としては、崇福寺がよろしいかと」
「おお、おまつ殿もそう思ってたか。孫兵衛もそう言っておりましたぞ」
そう言うと秀吉は家定の方を見た。まつが話を続ける。
「すでに話は付けておりますゆえ、あとは行く日取りを決めるだけです」
「ふむ、一応、儂も崇福寺に顔を出しておくか。大松が世話になるんだしのう」
秀吉がそう言ってまた盃を空にする。すると、今度は小一郎が話しかけた。
「兄者よ、それは儂にまかせて、竹中様のところに行ったらどうだ?」
「ああ、良い良い。竹中様が今更心変わりすることもなかろうて。それより、父親らしいことをするんじゃ」
「竹中様とは、あの竹中半兵衛でございまするか」
長頼が質問をする。
竹中半兵衛重治。元は美濃斎藤家の家臣で菩提山城城主だった男である。主君斎藤龍興の元、織田軍と戦っては勝利したという名将である。
しかし、なんと言っても彼の名を天下に轟かせたのは稲葉山城乗っ取りと主君龍興の追放劇である。舅の安藤守就共々遠ざけられていた重治は、人質として稲葉山城に入っていた弟の重矩を利用し、安藤守就ら十数名で稲葉山城を乗っ取ったという離れ業をやってのけたのである。
その後、稲葉山城が再び龍興の手に戻ると、家督と菩提山城を重矩に譲って隠居してしまった。
美濃が織田信長によって攻略された後は美濃を出奔。北近江の大名、浅井長政の元にいたらしいが、その後再び美濃の岩手という所に戻ってきていた。
秀吉が信長より重治を臣従させるように命じたのは稲葉城攻略(永禄十年)の直後である。それから秀吉は半年かけて重治を口説き落とすことに成功した。
「竹中はまだ岐阜には来ていないのだろう?」
「そうですじゃ。何でも隠居先の岩手でやっておきたいことがあるそうで」
利家の質問に秀吉が答える。
「実はですのう、又左殿。竹中様にはうちの大松に色々教えて頂きたいと思ってますのじゃ」
「ほう?」
秀吉の考えに対して利家が興味を示す。子どもたちを除く他の面々も興味を示した。
「色々と話を聞いてみたんじゃが、あの方ほど古今東西の物事に詳しい方は見たことにゃーで。もし大松の師となってくだされば、大松のためにもいいと思ってますんで」
「竹中殿から教わるのは軍略とか兵法か。大松には早すぎるだろうに」
家次が否定的な意見を言うが、秀吉は首を横に振る。
「いやいや、おまつ殿の教え方が上手い故、大松は他の子と比べて学がある。それに、大松には色々教えてやりたいんですじゃ。儂は学問とはとんと縁のない生活をしてきましたが、苦労しましてのう。子の大松にはそういった苦労をさせたくないんじゃ」
「すげぇ、義兄貴が父親やってる」
「当たり前じゃ。まっとうに育てなかったら、死んだねねに申し訳が立たんじゃろ」
長吉が感心した風に言うと、秀吉が笑いながら言った。
「そうだな。大松が立派に育てば、前田家の婿に相応しい男になるだろう。どんどん学ばせてやれよ」
「もう、まだ大松は七つですよ?祝言をあげるにはまだ早すぎますよ」
利家の発言にまつが嗜めるが、利家は話を大松に向けた。
「おい、大松。幸と蕭、どっちが良い?」
「蕭が良いです、父上」
利家の質問に大松・・・ではなく犬千代が答えた。
「犬千代様がなぜ答えるんですか」
長頼が呆れながらも聞いた。
「だって姉上と祝言上げたら、大松が義兄ではないですか!犬が先に生まれたのに!」
犬千代は2月生まれ、大松は7月生まれだと言われている(8月説もある)。もっとも、数え歳を取り入れているこの時代の日本では、数ヶ月違いの差など無いに等しい。
「でも松兄は幸姉ちゃんが好きなんだよね」
䔥が爆弾発言を言うと、大人たちがどよめいた。
「おお、大松は幸が好きか!?」
「はい!」
秀吉の質問に大松が元気よく返事した。返事は元気よく言うのが木下家、というより秀吉の教えであった。
「では幸と夫婦になるか!」
「はい!ところで夫婦ってなんですか?」
秀吉に対して答えた大松の言葉に、大人全員がずっこけた。
「そんな事も知らずに答えたのか!?」
「前田の母上からまだ習ってません」
利家の質問に大松が答えると、全員がまつを見つめた。まつは「そんなことまで教えられませんよ」という顔をしながら首を横に振った。
「・・・大松、夫婦とは、男と女が一緒になって住むことですよ。私と大松が一緒に住むことになるのですよ」
と、ここで今まで黙って食事をしていた幸が、大松を見ながら教えた。
「ふーん」
大松は分かっているのか分かっていないのか、判断に困る返事をすると、秀吉の方を向いて声を出した。
「父上には夫婦になる方はいないのですか?」
ちょうど酒を口に運んでいた秀吉は思わず吹き出してしまった。
「なんで儂に話が来るんじゃ!」
秀吉が声を上げても、大松はよく分かってないような顔をして首を傾げていた。
「兄者よ、大松にはこの話は早かったようじゃのう」
小一郎が笑いながら秀吉に言うと、大人たちは再び笑い出したのであった。