第291話 勝竜寺城会議
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新たな短編として『レーニンの毒饅頭』というのを投稿しました。ご一読いただければ幸いです。
天正十年(1582年)六月十四日。羽柴軍が勝竜寺城を占領した。そして、羽柴秀吉とその重臣を始め、神戸信孝(のちの織田信孝)、丹羽長秀、織田信吉、堀秀政、中川清秀、高山重友が集まって今後のことについて話し合われた。当然、重秀も参加していた。
「皆の衆!よくぞあの日向守(明智光秀のこと)を打ち破った!未だ日向守の首は討ち取られていないが、それでも多くの明智方の武将の首を討ち取った!もはや日向守の命運も尽きたというもの!礼を申すぞ!」
一応、総大将である信孝がそう言った後、秀吉が具体的な指示を出す。
「まず、総大将の侍従様(神戸信孝のこと)には、このまま安土城へと向かっていただきます。五郎左様(丹羽長秀のこと)、紀伊守殿(池田恒興のこと)、そして儂の軍勢が侍従様と共に安土へと参ります」
秀吉がそう言うと、丹羽長秀と池田恒興が頷いた。秀吉が話を続ける。
「堀殿(堀秀政のこと)には坂本城へ向かってもらう。あそこにはまだ明智の残党が残っているからのう」
「それは構いませぬが・・・。うちの兵力、あの坂本城を攻めるにはちと少なすぎますが?」
堀秀政がそう言うと、秀吉は「分かっておる」と言って頷いた。
「堀殿には我が方から仙石勢をつける故、存分に使ってくだされ」
「仙石権兵衛殿(仙石秀久のこと)かい?それなら何とかなりそうだ」
秀政が笑顔でそう言うと、秀吉は「頼みましたぞ」と言って頭を下げた。そして、頭を上げると今度は中川清秀と高山重友に顔を向ける。
「中川殿と高山殿には丹波の亀山城を攻めてもらいたい。兵力に不安があるならば、引き続き木村隼人(木村重茲のこと)とその手勢をお付け致す。よろしいか?」
秀吉がそう言うと、清秀と重友が頷いた。秀吉が今度は重秀の方を見る。
「藤十郎。お主は己の手勢を率いて京に入れ。そして明智の残党を狩り、京を鎮めよ。良いな?」
「京、ですか?」
重秀が驚いた顔つきでそう言うと、秀吉が頷く。
「うむ、お主は公家衆との付き合いが上手いであろう?」
「しかし父上。私は官位を持っておりませぬ。本来ならば、公家衆とは口すらきいてはもらえない立場なのです。そんな私が京に行ったところで、公家衆どころか京童ですら私の言うことなんぞ聞いてくれませんよ?」
重秀の言葉に、秀吉が「う〜む」と言って唸った。
「そうは言ってものう。この場で官位を持っているのは侍従様のみ・・・。では侍従様だけ京に行ってもらうしかないのう・・・」
秀吉がそう言うと、信孝が慌てたように声を上げる。
「それはならぬ!日向守が未だ生きており、しかも安土城が明智勢に乗っ取られているのだぞ!儂が安土城を奪還しなければ、儂の面目が立たぬわ!」
この時、信孝が心の中で気にしていたのは、伊勢国松島城にいた北畠信意改め北畠信雄(のちの織田信雄)の存在であった。信雄は信孝より数カ月遅れて生まれたにもかかわらず、母の生駒夫人の身分が高かったため、信雄は次男とされていた。そのことが信孝に強烈な対抗意識を抱かせており、信雄が先に安土城を奪還することを、何よりも恐れていた。
実際は兵力不足と信雄の領地である伊賀国に不穏な動きがあったことから、信雄は松島城に引きこもっていたのだが、そんな事を知らない信孝は、信雄よりも先に安土城に入ることしか頭になかった。
そんな信孝が考えに考えて出した結論を口にする。
「そうだ!従五位下侍従たる儂の名代として、源四郎(織田信吉のこと)を京に送り込もう!源四郎は儂の弟だし、名代としてふさわしかろう!」
信孝の言葉に、秀吉が満面の笑みで賛同する。
「おお!それは良き考えにござる!さすがは侍従様じゃ!」
秀吉がそう言うと、皆も納得したかのように頷いた。
「それでは、京には源四郎君と我が愚息を送り込むことに致す。次に、今後の行軍についてじゃが・・・」
そう言うと秀吉は話を続けるのであった。
軍議が終わると、それぞれの諸将が城外にある自陣へと戻っていった。これは、勝竜寺城が小さいので、城内には総大将である信孝の軍勢と丹羽長秀の軍勢しか入れなかったせいであった。
これは、実質的な総大将である秀吉が気を使って信孝と長秀に譲ったからであった。これもまた、秀吉流の人誑しの手段であった。
自陣に戻った秀吉が、重秀と小一郎、黒田孝隆と蜂須賀正勝、そして前野長康と石田三成を呼び集めた。
「さて、とりあえずは日向守に戦で勝つことができた。すでに皆には礼を述べたが、改めて礼を申すぞ」
秀吉がそう言うと、その場にいた者達から「有難き幸せ」という声が上がった。
「とりあえず今後については先の軍議で話し合った通りじゃ。そして、これよりここにいる者で、更にこの後の話をしておきたい。有り体に申せば、羽柴の知行を如何に増やすか、じゃ」
秀吉がそう言うと、視線を孝隆に向ける。
「官兵衛(黒田孝隆のこと)、羽柴だけで畿内を総取りすることは難しいか?」
秀吉の質問に対し、孝隆が「難しいでしょうね」と即答した。
「此度の戦、羽柴勢のみで戦ったわけではございませぬ。池田勢、中川勢そして高山勢が先頭に立って戦ってくれたわけですから、これを無視することはなりません」
「ふむ・・・。すると、実入りの良い場所を選ばなければならぬのう」
秀吉がそう言うと、小一郎が続けて発言する。
「兄者。日向守様の知行といえば、丹波国と近江の滋賀郡じゃ。そうなると、水運が盛んな滋賀郡になるかのう・・・」
「いやぁ、丹波一国も捨てがたい。国が一つ手に入りゃ、皆の知行も増やせるからのう」
秀吉がそう応えると、横から正勝が口を挟む。
「此度の戦、日向守に加わったのは他にもいる。まあ、山城国や丹波国、近江国の土豪や公方の奉公衆だった連中ばかりだったが、その中でも阿閉や京極は近江でもそこそこの知行を持っていた。ってか、阿閉は羽柴の旧領だった浅井郡を持ってたじゃねぇか。そこを取り返す、ってこともできるぜ」
正勝に続いて孝隆も話に参加する。
「あと、実際に日向守に加わったわけではありませぬが、津田七兵衛(津田信澄のこと)の知行も召し上げられるかと。確か、近江国高島郡が知行でしたか。それと、摂津国の西成郡と東成郡を代官として治められていたはずです」
そんな孝隆の話を聞きながら、重秀はふとあることを思い出した。
―――そういえば、七兵衛様の妻子はどうなるんだろうか・・・?確か、七兵衛様と日向守の娘との間に子供が何人かいたはず。七兵衛様が真に日向守と謀をしていたなら仕方ないが、もしそうでなければ、不憫としか言いようがないな・・・―――
そんな事を思っていた重秀の耳に、秀吉の声が入ってくる。
「藤十郎、藤十郎っ!」
「は、はいっ!何でしょう?」
重秀が慌てて返事をすると、秀吉が呆れた顔つきで話しかけてくる。
「『何でしょう?』ではないわ。お主が知行として欲しい所はどこじゃ?と聞いておるんじゃ」
「どこ、と言われても・・・」
そう言われた重秀であったが、そんな重秀の頭の中に、はらりと何かが舞い降りた。重秀は思わず口にする。
「摂津は住吉郡がいただきとうございます」
重秀の申し出に、秀吉が思わず「住吉ぃぃい!?」と声を上げた。
「藤十郎。お主、そんなに住吉の菜種油と鋳造が気に入ったのか?」
秀吉からそう言われた重秀は、何かに気がついたような顔をする。
「あ、はい。それもあるのですが、大山崎の油座に『山崎が羽柴の軍勢を入れなくても構わない。京への油は羽柴が担う』と言ってしまったものですから、京へ送る油を確保しなければ、と思いまして・・・」
重秀がそう言うと、秀吉が呆れた口調で声を上げる。
「そんな事を言ったのか!?・・・まあ、そのおかげで我等は天王山を占拠できたから良いものを・・・」
秀吉がそう言った傍らで、小一郎が重秀に優しく話しかける。
「しかしまあ、京への油はあまり気にしなくて良いぞ。大山崎の油座は、自前で油を京へ送る力はもうないんじゃからのう。むしろ、これを機に他からの油が入りやすくなるやもしれん。そうなれば、安い油が手に入ることになり、京童も喜ぶじゃろう」
小一郎の言葉に、今度は秀吉が渋い顔をする。
「・・・儂としては、大山崎の油座を羽柴で領掌し、矢銭を巻き上げたいのだが・・・」
「しかし父上。すでに油については菜種油を世に広めることで今井宗久殿と取り決めを交わしております。むしろ、邪魔な大山崎の油座を廃したいのですが」
重秀がそう言うと、秀吉は「それはやりすぎじゃろう・・・」と顔をしかめて言った。そんな2人に小一郎が割って入る。
「まあ、それは今すぐ決めなくてよいじゃろう。先に菜種油を増やすことが先決じゃ。儂等と懇意にしている油商人は長浜や兵庫、姫路にもおるし、その者達を使えば菜種油の売買もなんとかなるじゃろう。上手くいけば、羽柴も百姓も懐が潤うことになるじゃろう」
小一郎の言葉に、秀吉も重秀も頷いた。そんな3人の話を横で聞いていた孝隆が、ボソッと呟く。
「・・・なるほど。住吉郡か。それはありだな・・・」
孝隆の呟きを聞いた正勝が孝隆に声を掛ける。
「どうした?官兵衛殿?」
「いえ、若君は相変わらず目の付け所が良いお方だな、と思いまして」
そう言うと孝隆は、秀吉の方を見る。
「筑前様。羽柴は摂津の欠郡(西成郡・東成郡・住吉郡を合わせた地域のこと)を手に入れるべき、と考えます」
孝隆がそう言うと、秀吉達は一斉に「欠郡?」と声を上げた。
「・・・つまり、儂等に大坂の地を手に入れろ、ということか?」
秀吉の問いに、孝隆が「御意」と答えた。
「ご存知のとおり、上様(織田信長のこと)は大坂の地にあった石山本願寺を長年攻め続けました。これは石山本願寺のあった大坂の地を手に入れるためだった、と聞いております」
「うむ、官兵衛の言う通りじゃ。上様はいづれ大坂に安土城を超える城を作ることを考えておられた。すなわち、大坂を天下の中心にするおつもりであったのじゃろう」
秀吉がそう言うと、孝隆が頷く。
「そこで、我等が大坂をいただくのです。大坂に筑前様の城ができれば、筑前様が天下人であると世間は認めるでしょう」
孝隆がそう言うと、小一郎が「待った待った!」と言って話に割り込む。
「大坂の地に安土城を超える城なんか作ってみろ。織田家の方々から猛反発を食らうぞ!それに、兄者が天下を狙うのは今まで付き従ってきてくれた皆に報いるためじゃ!ここで変な欲を出してみろ。今まで味方になってくれた丹羽様や池田様までも敵に回るぞ!そうなれば儂等は袋叩きじゃ!」
小一郎がそう言うと、正勝と長康、そして三成も頷いた。そんな様子を見た秀吉が、重秀に顔を向ける。
「・・・藤十郎。お主はどう思う?」
そう聞かれた重秀が、自分の考えを述べる。
「・・・父上が天下を取るか取らないかは置いといて、大坂の地を手に入れたい、と私も思います。大坂は淀川に面し、また難波の海にも面しておりますれば、あそこを手に入れることができれば瀬戸内と京、安土を繋ぐ場所を押さえたことになります。
そうなれば、淡路を手に入れずとも、我等は半兵衛殿(竹中重治のこと)が残した羽柴生き残りの策が完成いたします」
「なるほど。瀬戸内を羽柴のものとし、上様・・・、いや上様亡き織田家に羽柴が潰されぬようにする、という半兵衛の策が成る、ということだな?」
「はい。ただ、今の大坂城を安土城より大きくすることについては反対です。小一郎の叔父上の言う通り、織田家の方々から反発を食らうのは避けるべきです」
「ふむ・・・。しかし、大坂の地は水運や海運、そして街道も通る要所じゃ。そこの守りとなると、堅固な城を築かなければならぬぞ」
「堅固な城を築くのは構いません。大坂の南には高野山や雑賀衆といった織田に敵対している連中もおりますし、海を隔てた四国の情勢は未だ油断できませんから。ですが、安土城のような豪華絢爛な城を築くようなことは止めるべきかと」
重秀がそう言うと、秀吉は「なるほどな」と頷いた。
「では、大坂城と欠郡を藤十郎に与えるようにするか。その方が藤十郎も嬉しかろう」
秀吉がそう言うと、長康が口を開く。
「大殿。それでは若殿が治めていた摂津二郡はどうなるので?」
長康がそう言うと、秀吉は両腕を組んで考え込んだ。そして自分の考えを述べる。
「・・・儂としては、紀伊守殿に譲っても良いと思っておる。本来ならば、摂津の守護たる紀伊守殿が欠郡を得るべきなのじゃが、それを儂等が得ようとしておるのじゃ。ここは摂津二郡、八部郡と有馬郡を紀伊守殿への褒賞として与えるべきじゃと思うのじゃが」
秀吉がそう言うと、それを聞いた小一郎が声を上げる。
「・・・それならいっそ、池田様には明智の旧領である丹波一国と近江滋賀郡をお与えになり、摂津一国を羽柴が貰えばよいのではないか?池田様は摂津全てを知行としているわけではない。一方、丹波は一国丸々が明智のもんじゃった。池田様に丹波をお譲りすれば、それだけで十分な加増になるじゃろう」
小一郎の意見に、重秀は「それは良いですね」と賛同した。しかし、孝隆が反対する。
「お待ち下さい。そのようなことをしては池田様が不満を持ちます。確かに、摂津には中川や高山といった摂津在住の国衆が多くおり、池田様の知行はさほど多くはありません。しかし、仮にも畿内の一つである摂津国の守護にございます。それに、御子息が淡路国の守護となっている今、池田家は二カ国の守護でございます。それを丹波一国と近江一郡を知行とするならば、池田家は一カ国の守護となります。いくら石高が加増になるとはいえ、これではかえって池田家を冷遇しているようなものです。
それに、池田家の居城たる尼崎城は、明智の居城だった亀山城よりも京からは遠いですぞ。むしろ亀山城を羽柴のものにしたほうが、京を掌握しやすいと存じまするが」
孝隆の意見に対し、今度は正勝が意見を述べる。
「・・・いや、京を掌握しやすいって、あまりにも露骨すぎやしないか?そしたらむしろ丹波を紀伊守様に譲り、京の護りを紀伊守様に委ねたほうが良いんじゃねぇか?」
正勝の意見に、長康も頷いた。そんな様子を見ていた秀吉が口を開く。
「・・・意見が割れたな」
「兄者、兄者はどう思う?」
小一郎がそう尋ねると、秀吉は自分の考えを口に出す。
「・・・儂等は明智を討ち破った。それ故、明智の旧領を貰うのは武士の常として認められよう。しかし、同輩である紀伊守殿の所領を移し、摂津を手に入れれば、それは儂の立場を超えた振る舞いだと思われよう。さすがにそれは外聞が悪い。
・・・したがって、儂等は明智とそれに与した者共の旧領をいただくことを考え、誰かを移すということまで考えなくてもよい」
秀吉がそう言うと、皆が一斉に「承知しました」と言って頭を下げた。
「・・・さすがは筑前守様でございます。慎重に事を進めるその姿勢、この官兵衛感服仕った」
孝隆の言葉に、秀吉が苦笑した。秀吉が何かを言おうとした時、誰かが飛び込んできた。それは、小一郎の家臣である藤堂高虎であった。
「お取り込みのところ申し訳ございませぬ。姫路城の浅野弥兵衛様(浅野長吉のこと。のちの浅野長政)より、文が届きましてございます」
片膝をついて跪いている高虎が、そう言って1通の手紙を小一郎に差し出した。小一郎が受け取り、封紙を開いて中から書状を取り出して目を通した。そして、一瞬だけ顔に影が差した。が、小一郎は顔をいつも通りの温和な表情に戻すと、書状を畳んだ。
「・・・なんだ?何かあったのか?小一郎?」
秀吉が怪訝そうな顔つきでそう尋ねた。しかし、小一郎は笑いながら応える。
「いや、大したことはないんじゃ・・・」
そう言って小一郎は言葉を続けようとしたが、秀吉が「そんなわけがあるかっ」と強めに返した。
「儂ゃお主の兄じゃぞ。お主がその文を読んで辛い想いをしたことを見逃すような阿呆な兄貴だと思ったかっ。
・・・小一郎、いったい何があったんだて?儂等とおみゃーの仲じゃろが。ちゃんと話してちょーよ」
秀吉の言葉に動かされたのか、小一郎は目に涙を浮かべながら「分かった」と言った。そして小一郎は手紙の中身を話し始めた。
小一郎が受け取った手紙の中身。それは、小一郎の実子である木下与一郎吉昌が、姫路城にて病死した、という報せであった。
「・・・そうか。与一郎がのう」
報せを聞いた皆が黙っている中、秀吉がボソリと呟いた。小一郎が口を開く。
「・・・あやつは、儂の役に立てられることを喜んでおった。だから、高松城の水攻めでは自ら進んで堤造りに加わっておったのじゃ・・・。
・・・おかしなものじゃ。病に倒れたと聞いた時は、『それが与一郎の選んだ道よ』と突き放しておったが、いざ亡くなったと聞くと、儂には後悔しかない・・・」
そう言うと、小一郎は静かに涙を流した。皆が同情の視線を送る中、秀吉は黙って小一郎の肩に手を置いた。小一郎は何も言わず、肩に置かれた兄の手の温もりを、ただじっと感じていた。




