第289話 山崎の戦い(その5)
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天正十年(1582年)六月十三日正午。山崎の西側に秀吉率いる主力の軍勢が到着した。
秀吉は本陣を宝積寺に置くと、総大将である神戸信孝の名で軍議を開くことにした。重秀は中川清秀と高山重友と共に宝積寺へと向かった。
「一同大儀!これより軍議を開く!筑前(羽柴秀吉のこと)、後は任せた!」
信孝が威圧的にそう言うと、秀吉は信孝の態度を流しつつ話をし始める。
「此度の戦、すでに勝ち筋は見えておる。皆も知っておるように、山崎は天王山と淀川に挟まれた隘路であるが、その隘路の出口と天王山、更に淀川そのものも我が方が抑えておる。この点、中川殿と高山殿のお働きは実に見事なものであった!」
秀吉がそう言うと、名前を言われた清秀と重友は頭を下げた。秀吉が更に言う。
「そして藤十郎。よくぞ山崎の惣中を説得して山崎の通過を認めさせた。褒めて遣わす。また、禁制についてはすでに御大将より出されておる。安心するが良い」
「はっ。有難き幸せ」
重秀がそう言って頭を下げると、上座の信孝が口を挟む。
「藤十郎っ、禁制を発するのは良いが、何故山崎の惣中より矢銭を取らなかった!禁制を発するのに、矢銭を要求するのは戦の常ではないか!」
そう怒鳴られた重秀は、落ち着いた口調で応える。
「恐れながら。すでに明智勢が円明寺川の東岸にて陣を配置しておりました。このまま山崎を突破せず、天王山を占拠できなければ、父筑前の考えていた策が失われます。戦に勝つために、やむを得ず矢銭を要求しなかったのでございます」
重秀の言葉に、信孝が更に言い募ろうとしたが、傍にいた丹羽長秀が信孝を止める。
「そこまでにして下され、侍従様(神戸信孝のこと)。今はそのようなことより、逆臣日向守(明智光秀のこと)を討つことが肝要。些末な事で軍議を長引かせないでくだされ」
長秀がそう言うと、池田恒興や堀秀政が同意するように頷いた。それを見た信孝が口を閉ざす。
「よろしいですかな?では、今後のことについてお話しいたす」
秀吉がそう言うと、まずはこれまで集めた明智側の情報を開示した。次に今後の作戦について話し始める。
「決戦に備え、配置換えを致す。天王山に陣を張る中川殿、高山殿は天王山を降りて円明寺川の西岸、山崎街道(西国街道のこと)に陣を張ってくだされ。天王山には我が弟の小一郎と、黒田官兵衛の軍勢を置き、全軍の左翼と致しまする。
円明寺川と淀川の合流地点、すなわち右翼には池田殿を置きまする。池田殿には増援として羽柴より加藤作内(加藤光泰のこと)の手勢を遣わします故、どうぞご随意にお使いくだされ」
そう言われた恒興は、秀吉に「かたじけない」と言って頭を軽く下げた。秀吉が話を続ける。
「中軍には先程配置換えをした中川殿、高山殿を置きまする。高山殿には増援として、羽柴より木村隼人とその手勢を加えます。この二人の後詰めとして、藤十郎と堀殿(堀秀政のこと)を置きまする」
「我等を先陣に、でござるか?」
清秀がそう言うと、秀吉が頷く。
「然り。中川殿と高山殿は軍勢を損なわれておらず、また、さほど疲れておらぬ、とお見受け致す。なので先陣を任せたいのじゃが・・・。何か不都合でも?」
「いや、先陣を命じられるは武人の誉れ。喜んでお受け致す」
清秀がそう言うと、重友も頷いた。
「では、陣構はそのようにしていただく。そして、陣構が整い次第、戦を始めようと思う」
秀吉の言葉に、長秀が反応する。
「陣を整えてすぐに戦を始めるのか?陣が整うまで時がかかるぞ?戦を始めるのは夕刻になってからやもしれぬ。それに、この雨の様子じゃと夜まで雨が降りそうじゃ。そんな中、戦を始めるのか?」
「五郎左様。この雨の中だからこそ、戦をするのでござる。高山殿の報せでは、日向守は陣城を築いているとのこと。ただ、未だ完成しておらぬようで、攻めるには好機かと。それに、日向守は鉄砲の名手。安土城を占領した際に鉄砲と弾薬を手に入れているやもしれませぬ。鉄砲を封じるには、雨の中での戦がうってつけでござる」
秀吉がそう言うと、長秀は納得したように頷いた。秀吉が信孝に顔を向ける。
「御大将、拙者は全軍の指揮を執るため、山崎の町中まで前進しようと思いまするが・・・。それでよろしゅうございますな」
そう言われた信孝は、尊大に頷く。
「うむ。それで良い。・・・して、儂はどこにおればよい?」
「この宝積寺にて腰を据えていただきとう存じまする。御大将が悠然と本陣にて構えていれば、それだけ兵が安心する、というものにございます」
秀吉がそう言うと、信孝が不満そうな顔つきになった。口を開こうとする信孝に、長秀が話しかける。
「侍従様。ここは筑前殿の言う通りにしましょう。侍従様は、宝積寺にて吉報をお待ちくだされ」
「五郎左様の言う通りにございます。上様(織田信長のこと)の次男?にして織田家の次期当主になられる・・・かもしれないしそうでもないかもしれぬお方。骨折りは臣下に任せ、ここから動かないで下さい」
長秀に続いて説得した秀吉の言葉に引っかかりつつも、信孝は「相分かった」と言って説得を受け入れた。
信孝が提案を受けたことに、秀吉は内心ホッとした。実際に戦闘が始まった場合、全軍の指揮を執るときに横から口を挟まれたくない、というのが秀吉の本音であった。
そんな秀吉が、何かを思い出したかのように「あっ」と声を上げた。そして重秀の方へ顔を向ける。
「藤十郎。すまぬがお主の水軍を儂に預けてくれぬか?」
「それは構いませぬが・・・。何故に?」
「淀川を遡ったところにある淀城(淀古城のこと)に、少数じゃが明智の兵がいることは先程話したであろう?その明智の兵が淀城から出て淀川を船で下り、我等の背後に上陸するやもしれぬ。それを防ぐために、水軍を山崎の側に置いておきたいのじゃ」
秀吉がそう説明すると、重秀は納得したかのように頷く。
「そういうことでしたら、存分にお使い下さい。甚内(脇坂安治のこと)には私から話しておきます」
重秀がそう言うと、秀吉は「頼んだぞ」と言って頷いた。そんな秀吉に、今度は織田信吉が手を上げて発言する。
「あ、あの、筑前殿。後学のため、筑前殿の傍に置いていただけぬでしょうか?将としての采配を間近で見とうございます」
そう言われた秀吉は、相好を崩して頷く。
「おおっ、おおっ!源四郎様(織田信吉のこと)、よくぞ申された!この筑前の采配を近くでよぉ〜く見てくだされ!
・・・御大将もよろしゅうございますな!?」
秀吉が信孝の方を見てそう尋ねると、信孝は興味なさそうに「良きに計らえ」と返事をするのであった。
秀吉の作戦を聞いた重秀は、宝積寺から出て自陣に戻ろうとした。そんな重秀に、堀秀政が話しかけてきた。
「藤十」
「これは堀様。如何がなさいましたか?」
「いや・・・。此度の戦、藤十の事を案じていてね」
秀政の言葉に、重秀がムッとする。
「子供ではないのですから、案じないでくださいよ」
「それは分かっているよ。でも・・・、腹を立てるかも知れないが、藤十って、水戦は得手だが陸戦は不得手なんじゃないか、と思っていてね」
「いや、岩屋城攻めや霧山城攻め、有岡城攻めに花隈城攻めに鳥取城攻めと、陸戦でも場数は踏んでおりますが」
「全部城攻めじゃないか。平野での野戦は今までしたことないだろう?」
秀政の指摘に、重秀は「あ・・・」と声を上げた。
「・・・確かに、平野での野戦と言えそうなのは設楽原での戦いでしたが、あの時は羽柴の陣にて留守を守ってました・・・」
重秀がそう言うと、秀政は「やっぱり・・・」と呆れた表情で呟いた。重秀が焦るような表情で言う。
「い、如何しましょう・・・。今更父上に陣替えを願い出てももう遅いですし・・・」
「藤吉殿は今日中に決着をつける気だからね。藤十の配下に平野での野戦が得手な武将はいないのかい?」
「た、多分、伊右衛門(山内一豊のこと)と甚右衛門(尾藤知宣のこと)なら場数を踏んでいると思います。確か、両名共に野村合戦(姉川の戦いのこと)に加わっておりましたから」
「ああ、なら案ずることはないか。二人の言うことをちゃんと聞くんだよ。それに、隣に私と堀勢がいるから、何かあったら頼ると良い。こちらも、できる限りのことをしよう」
秀政の言葉に、重秀は「子供扱いしないで下さい」と笑って応えた。
その後、自陣に戻った重秀は、集まってきた家臣―――福島正則、加藤清正、加藤茂勝、大谷吉隆、山内一豊、尾藤知宣、津田盛月・信任親子、別所友之、淡河定範、河北算三郎、寺沢広高、そして重秀についてきた山内康豊に秀吉の作戦を伝えると共に、初めての平野での野戦であることも伝えた。
ちなみに、脇坂安治は水軍の指揮を執っており、今は山崎の船着き場にいた。
「と、言うわけで私にとって初めての野戦だ。如何しようか」
重秀がそう言うと、福島正則が呆れたような表情で重秀に言う。
「兄貴・・・。そんなことを軽く言うなよ。皆が不安がるだろうがよ」
思わず口悪く言った正則を、加藤清正が嗜める。
「市(福島正則のこと)、長兄にそんな口を利くな。皆が見ているだろう・・・。しかし、長兄の懸念はもっともでございますな。拙者も野戦に出たのは設楽原でございましたが、あの時は味方に阻まれてあまり槍を振るえなかった思い出がございます」
清正がそう言うと、傍にいた山内一豊が口を開く。
「・・・拙者は野村合戦にて野戦を知っております。確か・・・、甚右衛門殿と甚内殿(脇坂安治のこと)も野村合戦に出ておられたはず・・・。もっとも、甚内殿は浅井側での参戦でしたが」
一豊がそう言うと、続けて尾藤知宣が津田盛月の顔を見ながら発言する。
「・・・確か、四郎左衛門殿(津田盛月のこと)も野村合戦に出てませんでしたか?」
「いや、確かに戦自体には出ていたが、あの時は母衣衆の一員として上様の傍にいたから、槍働きはしておらぬ。まあ、稲生合戦(稲生の戦いのこと。織田信長と織田信行の戦い)では実際に槍働きをしていたが・・・」
盛月がそう言って首を傾げた。その様子を見ていた大谷吉隆が重秀に話しかける。
「若殿。竹中半兵衛様(竹中重治のこと)から平野での野戦を学ばなかったのでございますか?」
吉隆の言葉に、重秀は頷きながら答える。
「学んだよ。『孫子』でしっかりとな。しかしながら、平野は見晴らしが良く、地の利を得にくいから、策を巡らすことが難しい。だから、半兵衛殿は平野での野戦をあまり勧めていなかった。『野戦での戦をするより、如何に野戦での戦に持ち込ませないようにするか。これが肝要にござる』って言っていた。『もし野戦となるのであれば、少しでも敵兵の数より多くの兵を用意し、地の利を得られるよう、事前に兵を素早く動かし、常に敵より有利に動くべし』とも言ってたな・・・」
そこまで言った重秀は、急に口を閉ざし、考え込んだ。周りにいた者達が訝しむ。
「若殿、どうしたんっすか?」
加藤茂勝が尋ねると、重秀がおもむろに口を開く。
「・・・今、私が半兵衛殿から聞いた話。全て父上がすでに行っていたことだ・・・」
そう言うと、重秀は皆に自分の考えを述べる。
「日向守よりも多くの味方を集めるべく、私に文を摂津の諸将に出すよう命じていたし、あらかじめ天王山を抑えるべく中川様と高山様を動かした。結果、地の利を得ることができた。父上は半兵衛殿が言っていた平野での野戦の対応を、備中から戻りながら行っていたのだ。
・・・さすがは父上。毛利攻めの総大将を務めるだけある。すでに勝ち筋を固められておられたのだ」
そう言って感心した重秀。それと同時に、すでに勝ち筋の見えている戦であることから、それまで持っていた平野での野戦に対する不安が和らいでいった。
そんな重秀に、吉隆が話しかける。
「・・・大殿(秀吉のこと)が練った策は見事だと思いますが、それを滞りなく行った若殿もさすがだと感じ入りました。そもそも、若殿が源四郎様を兵庫につれて帰らなければ、織田の諸将がこれほど羽柴方についたとは思えませぬ。また、若殿が兵庫より摂津の諸将に文を出したことで、大殿が姫路より出すよりも早く摂津の諸将を味方に引き入れることができた、と愚考いたします。
そして、若殿が山崎を通過できるように交渉したからこそ、天王山を我等が占拠できたのでございます。
若殿こそ、此度の戦の功労者だと拙者は思いまする」
吉隆の言葉に、皆が一斉に頷いた。それを見た重秀が、照れながら「そうかなぁ・・・」と言った。
「・・・まあ、父上のお役に立てたのなら、私も報われるというものだ。何はともあれ、すでに父上が勝ち筋を導いて下さったこの戦。後は父上の策に従って戦うのみ。皆の者、奮って戦い、勝とうぞ!」
重秀がそう言うと、皆が「応っ!」と声を上げた。
その後、重秀は陣形について指示を出すと、その指示取りに手勢を動かすべく、重秀の家臣達は一斉に持ち場に戻るのであった。
羽柴勢が山崎の東側、円明寺川の西側にて軍を展開している中、明智光秀の本陣には衝撃的な報せが入ってきていた。
「何だと!柴田修理亮(柴田勝家のこと)の軍勢が、すでに北ノ庄城に帰還しているだと!?」
光秀が驚きの声を上げると、安土城に残っていた明智秀満からの急使が「はっ」と返事をした。
「六月九日には柴田勢を始め、佐久間勢、前田勢、金森勢、不破勢等が北ノ庄城に帰還したとのことにございます」
「修理亮は六月三日に越中魚津城を落としたと聞いたが、まさかたった六日で越前北ノ庄城まで引き返してくるとは・・・!」
天正十年(1582年)三月から始まった魚津城攻めは、3ヶ月たった六月三日に柴田勝家率いる北陸方面軍によって陥落した。
しかし、六月六日に本能寺の変の情報が勝家の元に伝わると、越中の守りを佐々成政に任せ、勝家は自身の軍勢と佐久間盛政、前田利家、金森長近、不破光治等与力大名の軍勢を引き連れて大急ぎで引き返してきた。
そして、約160kmの距離を3日間かけて引き返してきたのであった。
「・・・それで、柴田の軍勢は今どこか?北ノ庄城から出陣したのか?」
光秀の傍で報せを聞いていた斎藤利三が急使にそう聞いた。
「はっ、それが、未だ北ノ庄城から出陣しておられませぬ」
急使の言葉に、利三は首を傾げる。
「・・・魚津から北ノ庄まで三日で戻った柴田勢が、未だ北ノ庄城に残っているのか?何故、近江に攻め込まぬ」
利三は知らなかったが、このとき柴田軍が撤退したことを知った上杉軍が魚津城を奪還、更に富山城まで攻め寄せてきたため、柴田勝家はその対応に追われていたのであった。
首を傾げたままの利三をよそに、光秀が焦るような口調で話し出す。
「もはやこのようなところで悠長に陣を構えている場合ではない。早急に筑前を討ち果たし、近江に戻って修理亮に備えなければならぬ」
光秀の言葉に、利三は異を唱えようとした。そんな時だった。陣に1人の鎧武者が駆け込んできた。それは、山崎方面へ物見に出していた者の1人であった。
「申し上げます!天王山に陣を構えていた中川勢と高山勢が、山から降りてきました!そして、円明寺川沿いに南下しております!」
物見の言葉に、光秀が反応する。
「何だと!?それで、天王山に軍勢は!?」
「旗指物は立っておりますが、動きが見えませぬ。しかしながら、山故に木々が多く茂り、また雨のために兵がいるかどうかまでは分かりませぬ」
物見がそう言うと、利三が光秀に話しかける。
「殿。あの筑前がむざむざと天王山を捨てるとは思いませぬ。これは罠ではないかと」
利三の言葉に、光秀が頷き返す。
「儂もそう思う。しかしながら、これは好機ぞ。円明寺川を押し渡り、中川勢と高山勢の側面を突くことができよう。敵もよもや増水している川を押し渡るとは思っておらぬだろう」
「し、しかし、それでは天王山に潜んでいる敵が後詰めとして押し出してくるのではありませぬか?」
「山の陣からそう容易く押し出すことはできぬ。木々が邪魔だし、こんな雨の中で斜面を下れば、かえって兵共が混乱する。敵が押し出す前に中川勢と高山勢を叩くのだ」
光秀がそう言っている中、更に物見の兵が戻ってきた。その者の話では、円明寺川の対岸で羽柴勢が展開している、というものであった。しかも、雨の中での展開のため、あまり素早く行われていないらしい、ということであった。
その報告を聞いた光秀は決断を下す。
「・・・よし。筑前の軍勢が陣を整える前にこちらから仕掛けよう。ここで我等から打って出ることで、敵の出鼻を挫き、一気に山崎まで押し返す。山崎の隘路まで押し込めば、敵が大軍であってもこちらが負けることはない」
「しかし殿・・・」
更に言い募ろうとする利三を、光秀は右手を挙げて制する。
「もう決めたこと。これより、全軍を以て円明寺川を押し渡る!」
光秀の言葉に、利三以外の者達は「応っ!」と声を上げた。その様子を見た利三も、遅れて返事をするのであった。




