第28話 佐吉(前編)
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次の日の未明。いつもどおりの時刻に目覚めた大松は、外に出ると寒さに身震いした。今日から十二月である。空を見れば厚い雲が空を覆っていた。
大松は厠で用を足すと、近くの水場で手を洗い、顔を洗う。そして部屋から持ってきた木の枝の先端を噛んだ。噛んで木の繊維が柔らかくなり、房状になった部分で歯を磨き始めた。歯木と呼ばれる原始的な歯ブラシである。大松は小姓時代に初めて知って以来、この歯木で毎朝歯を磨いていた。
歯を磨き終わった後に、部屋に戻って木刀を持ち出し、庭に出ようとした時であった。
「兄貴、相変わらず早いな」
「長兄、お目覚めでしたか」
後ろから声を掛けられたので振り返ると、市松と夜叉丸がすでに上半身裸になっていた。手には木刀が握りしめられている。
「二人共、朝の鍛錬か」
大松の質問に二人は「ああ」と答えた。
「俺も鍛錬をしようと思ってたんだ。一緒にやろう」
「お、兄貴と鍛錬は久しぶりだな。やろうやろう」
「ええ、ぜひやりましょうぞ、長兄」
こうして三人は庭で朝の鍛錬である木刀の素振りを始めた。
大松は小姓時代と同じ回数の素振りをやって終わったが、市松と夜叉丸はまだ続けていた。大松は汗を拭いた後、着物を着直して木刀を部屋に置きに行った。木刀を置いてまた庭に戻ると、市松と夜叉丸は素振りではなく、実戦に近い打ち込みを行っていた。
「まだやってるのか」
大松が声を掛けると、市松と夜叉丸は打ち込みをやめて大松の方を向いた。上半身からは白い湯気が立ち上っている。
「兄貴、当然だろ?初陣で敵の首級を三十挙げるって決めたんだ。まだまだ鍛えないとな」
「そうですよ長兄。市松と俺で決めたんです。一人三十の首級を挙げるって。これなら佐吉のやつも俺たちに生意気な口は聞かないでしょう」
「お、おう」
数が増えていることに若干引きながらも、大松はその場から立ち去ろうとした。
「長兄、どちらへ?」
夜叉丸が大松に声を掛ける。
「ああ、ちょっと屋敷を見回ってくる」
「兄貴がか?そんなの奉公人にやらせりゃいいじゃないか」
大松の答えに市松が口を尖らせながら言ってきた。大松は苦笑いしながら答えた。
「そう言われても、小姓時代の癖が抜けなくてな・・・。それに、この屋敷についてよく知らないから、見回りがてら屋敷の構造を覚えてくるよ」
そう言うと大松は歩き出した。
屋敷は岐阜の羽柴屋敷よりも広い。中には奉公人や侍女が住む長屋や、ともの家族やあさの夫婦が住む一軒家もある。そんな建物の位置と外見を覚えながら大松が歩いている時だった。
「若君、このようなところで如何されましたか?」
屋敷の門まで来たところで声を掛けられた大松。その方向へ視線を向けると、そこには石田正澄が立っていた。
「おお、弥三郎か。早いな」
大松がそう言いながら近づくと、正澄は片膝をついて跪いた。
「はっ、今日より若君付きとなります故、早く出仕いたすことと致しました」
「朝飯は?食べていないのだろう?」
「軽く食べましたので心配無用です」
正澄の答えを聞いて、大松は顎を右手でさすりながら思い出していた。小姓時代、よく織田信長や織田信忠と一緒に朝飯を食べていたことを。
「では明日より私と一緒に食べよう」
「・・・!?よろしいのですか?」
大松の発言に正澄が思わず顔を上げて大松の顔を見た。大松は構わずに話し続ける。
「小姓時代に御屋形様や若殿様と一緒に朝餉を取りながら、その日の仕事などの話をしていたからな。私もそれに習おうと思う」
「・・・若君のお考えにこの弥三郎、感服仕りました。ご相伴に預からせてもらいまする」
正澄がそう言いながら頭を下げた。大松が話を続ける。
「さあ、弥三郎。そろそろ立っていいぞ。私は屋敷を見回っている。供をせよ」
「ははっ」
そろそろ見回りを再開したかった大松は、正澄を立たせると共に歩き始めた。
二人で歩きはじめて少したった時、大松は昨日から気になっていることを正澄に聞いた。
「弥三郎、そなたの弟、佐吉とやらはいったいどんな奴なのだ?」
「・・・我が愚弟は齢十五。元々は寺に預けられた者でございまする」
正澄は弟について話始めた。
石田佐吉は永禄三年(1560年)生まれ。大松より2歳年上である。石田正継の次男として生まれた佐吉は、幼い頃に寺に預けられていたらしい。去年、秀吉がその寺を訪れた時に茶を出したのが佐吉だった。その佐吉を秀吉が気に入り、小姓として取り立てたらしい。
「・・・らしい?」
正澄の説明に違和感を覚えた大松が正澄に聞き直した。
「はあ、それがしも佐吉と殿との出会いについてはよく分からないのです。殿がそのように申していたので」
「なるほどね。で、市松や夜叉丸と仲が悪いのは知っているな?」
「はい。しかし、あれは愚弟のせいでして・・・」
「・・・なぜそう思う?」
「佐吉は寺で過ごした期間が長く、しかもその寺では小僧は佐吉のみでした。同年代の者と過ごしたことがありません。おそらく、他の小姓達と衝突するのはそのせいではないかと」
「寺の和尚や先輩の僧からは良くしてもらっていたのか?」
「はい。佐吉は頭の回転も早く、経典もスラスラと覚えていったため、和尚達からは良い僧になれると申しておりました」
「ふーん」
大松は正澄の話から、何か解決方法があるのでは?と考えた。しかし、考える前に屋敷の見回りは終わってしまった。大松は朝餉を取るべく、正澄と共に居間へと向かった。
羽柴屋敷の居間。岐阜時代から羽柴家では、家族揃って居間の囲炉裏を囲んで食事をするのが習わしであった。それはこの小谷でも変わらないし、新しく作っている長浜城でも屋敷内に囲炉裏のある居間を作っていた。
大松が正澄に見送られて居間に入ると、秀吉と小一郎、市松と夜叉丸、そして南殿がすでに囲炉裏の周りを囲んでいた。
「おお、大松よ。遅かったではないか!早うこっちに来い!」
秀吉が声を掛けると、大松は秀吉の隣りに座った。座ったところで侍女がお膳を持ってきた。お膳の上には魚入りの味噌汁と玄米のご飯と漬物が置いてあった。
―――すげえ、羽柴家で麦が入ってない飯が出るとは思わなかった―――
そう思いながら大松は秀吉を見たが、秀吉の前にはお膳がなかった。よく見れば、小一郎の前にもお膳がない。
「父上、父上と叔父上のお膳がありませんが?」
「ああ、儂と小一郎は山内屋敷で食うてきた」
「ちょっと伊右衛門殿に話があってな。儂だけでいいと言ったのに、兄者もついてきたんじゃ。その時に向こうでごちそうになったんじゃ」
「なるほど」
大松は秀吉と小一郎が山内屋敷に早朝訪れた理由を察した。恐らく昨日決めた傅役と乳母の事を話に行ったのであろう。なので、大松も南殿のいるここでは詳しい話を聞かないでおこうと思った。
「殿様、小一郎様、本当に食事をお取りにならなくてよろしいのですか?」
南殿が心配そうに話しかけてきた。大松は少し動揺してしまったが、秀吉は動揺することなく答えた。
「はっはっは、心配せんでも良い。それより、せんもたっぷりを食べろよ。乳の出がようなるようにのう」
「はい」
南殿はそう言うと、ゆっくりとご飯を食べだした。その様子を、大松は不思議そうな目で見つめていた。
―――本当にこの人高慢なのかなぁ?本性を隠しているようにはとても見えない・・・―――
そう思いながら、大松は朝飯を食べ始めた。
そんなこんなで朝餉が終わり、南殿が自分の部屋に戻った直後、障子を隔てた廊下から、声が聞こえた。
「殿、佐吉でございます。只今、今浜より戻りました」
その声が聞こえた瞬間、市松と夜叉丸の顔が変わった。大松はそれを感じると二人に「今は何も言うな」と釘を差した。そして秀吉の方を見る。
「父上」
「うむ」
大松の言いたいことを察したのか、秀吉が頷いた。そして、障子に向かって「入れ」と言った。
障子が開くと、そこには一人の少年が片膝をついて跪いていた。全体的に華奢な感じの体格であった。その少年が頭を上げると、その顔が大松にもよく見えた。面長で色白な顔に、大きな目が印象的な顔だった。少年も大松のことが目についたのか、少しだけ大松のことを見つめていた。直後、色白だった顔が真っ赤になると、勢いよく立ち上がって大声を上げた。
「おい!お前!新参者の分際で殿様の横に座るとは無礼であろう!そこを退け!」
いきなりの怒号に居間にいた全員が固まってしまった。大松も、急な展開についていけずに、ポカーンとした顔で少年―――佐吉を見ていた。そんな風に動けなかった大松を見て、佐吉はさらに激怒した。
「何をしている!そこにいては殿に無礼であろうと言ったであろう!さっさと退かぬか!」
「いや、お前何言って・・・」
市松が唖然としながら佐吉に言ったが、どうやら聞こえていなかったらしい。佐吉は市松に目もくれずに大松のところに行くと、大松の頭を叩かんと右手を振り上げ、そして振り下ろした。
しかし、大松は胡座の状態から立膝の状態に変えると、左手でその振り下ろされようとした佐吉の右手を払い除け、右の掌で佐吉の鳩尾を思いっきり押し叩いた。相撲で言うところの張り手だ。
「ぐぶぉあ!」
変な悲鳴を上げながら吹っ飛ばされる佐吉。居間と隣の部屋を区切る襖にぶつかると、そのまま一緒に倒れてしまった。そして、そのまま起き上がらなくなってしまった。
「・・・まさか岐阜城で学んだ相撲の技が、こんなところで役に立つとは思わなかった・・・」
織田信長は大の相撲好きであり、よく小姓や馬廻衆に相撲を取らせては見学していた。そのため、小姓達は馬廻衆の中でも相撲の上手い者から相撲を習わされていた。もちろん、大松も相撲を習わされた一人だ。決して強くはないが、佐吉レベルの人間なら吹っ飛ばすことぐらい造作も無いことだった。
「っていうか、あいつ起き上がってこないんだけど」
大松がそう呟くと、周りの人間が再起動を開始した。
「・・・お、おい!佐吉!しっかりせい!」
秀吉が佐吉に駆け寄って起き上がらせようとした。佐吉自体は白目をむいて気絶していたが、息はあるようだった。
「・・・大松、やりすぎじゃ」
小一郎は顔を右手で覆いながら溜息をついた。
「あ、兄貴、見事な張り手だったけどよ・・・。ちょっとやりすぎだぜ・・・。佐吉のやつ、生きてるか・・・?」
「俺達も佐吉と喧嘩したけど、あそこまで本気出してませんよ・・・。あれ、本当に無事なのか・・・?」
市松と夜叉丸は今まで嫌っていた佐吉を本気で心配していた。そんな様子を見た大松は、「襲われたの俺なのに、なんで佐吉の心配してるんだよ」と不満げに呟いたのだった。
「真に、真に申し訳ありません!若君とはつゆ知らず、ご無礼の段、平にご容赦を!」
秀吉の書院の真ん中で、上座で秀吉の隣に座っている大松に対して佐吉はそう言いながら土下座をしていた。佐吉の隣には、兄の石田正澄が青い顔をしながら平伏をしていた。
「・・・だそうだ。大松、どうする?」
秀吉が大松にそう言うと、大松は少し考えてから口を開いた。
「・・・市松と夜叉丸に鋸引きさせましょう」
大松の発言に、佐吉が体を震わせ、市松と夜叉丸が「ええ・・・」と顔をしかめた。
鋸引きとは首をのこぎりで切断する処刑の一種である。ただ首を切ればよいというものではなく、処刑する人を地面に埋めて首だけ出させた後、首を傷つけて軽く怪我をさせた後に、首の横にのこぎり(鉄製が基本であるが、苦痛を与えるために竹製を使うこともある)を置いておく。そうすると通りがかった人が1〜2回ずつのこぎりで首を引いていき、最後には出血多量で死んでしまう、というものである。
「わ、若君。弟の罪は兄の罪。何卒、それがしも同じようにしていただきたく・・・」
正澄が声を震わせながら懇願してきた。大松はあえて正澄を無視して市松と夜叉丸に声を掛けた。
「義弟たちよ。佐吉を恨んでいるのであろう?今こそその恨みを晴らすべきときではないか?」
「いやいやいや、兄貴、そこまでして恨みを晴らしたいとは思ってねーよ!」
「そうです、長兄。確かに佐吉は俺たちを馬鹿にはしてたし、そんな馬鹿にしてくる佐吉を恨んでましたけど、殺したいとまでは・・・」
市松と夜叉丸は首を横に激しく振ると、そう言って否定した。秀吉が大松に語りかける。
「・・・とりあえず、佐吉の弁明を聞いても良いんじゃないか?大松よ」
「そうですね、聞きましょう」
大松があっさりと答えた。大松の即答に面食らいながらも、秀吉は佐吉を見ると話しかけた。
「佐吉よ。なぜ我が息子にあんな事をした?」
秀吉の優しい問いかけに、佐吉は少し頭を上げると、答え始めた。
「その・・・。若君だとは思わず、新しい小姓かと思いましたもので・・・」
「大松が来ることは事前に知らせておいたはずだぞ?大松だと気が付かなかったのか?」
「は、はい。お食事の際、殿の隣には小一郎様か南殿しか座っているのを見たことがない故、若君が座るものとは思ってもいませんでした」
「・・・だからって、頭を叩くこと無いのではないか?佐吉らしくないではないか」
秀吉の言葉に佐吉は黙りこくった。秀吉が首を傾げている横で、大松はなにか考え事をしていた。そして、おもむろに口を開いた。
「・・・佐吉よ。一つ聞きたいことがある。そなたは私を新参の小姓だと思ったのだな?」
大松の質問に佐吉は黙って頷いた。大松がさらに質問する。
「何故、新参の小姓が、主君である父の側に座ってはいけないのだ?」
「そ、それは無礼だからです」
「なんで?」
「は?」
「なんで、無礼だと思ったんだ?」
大松の問いかけに、佐吉は呆然として大松の顔を見ていた。
「私が岐阜城で御屋形様や若殿様の小姓をやっていた時に堀様から教わったが、朝餉に酒を飲むことはよくあることだそうだ。そして、その酒の酌をするのは小姓の務め。側に控えてなければ酌ができないではないか」
現代の感覚からすれば意外かと思われるが、当時は朝に酒を飲むことはよくあることであった。体を早く暖めて、敵襲に備えるためと言われている。
織田信長はあまり酒を嗜まず、また、信忠も若さから酒を飲んで体を暖める必要がないため、大松が朝から酒のお酌をすることはなかったが、そういう事も知っておけと、堀秀政から教わっていた。
「父上も朝から酒を飲んでいたことはあった。特に今日のような寒い冬の朝には。まあ、岐阜にいた時は手酌だったが、小谷に移ってからは小姓に酌をさせることもあったと思う。父上、どうですか?」
大松の質問が秀吉に飛んできた。秀吉はうろたえながらも答えた。
「あ、ああ。確かに佐吉や市松に酌をさせたことはあったな」
「・・・そういえば、佐吉はよく兄者の酌をしていたな。朝だけではなく、晩飯の時も酌をしていたな」
秀吉と小一郎の話を聞いた大松は、脳裏に強烈な閃きを感じた。それは、大松自身が岐阜城で経験した体験だった。大松は佐吉に自分の考えをぶつけた。
「佐吉。お前、私に嫉妬したな?」