第285話 山崎の戦い(その1)
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天正十年(1582年)六月十日の朝。兵庫城本丸にある御座所では、秀吉が小一郎や重秀、黒田孝隆などを引き連れて、織田信吉に挨拶を行っていた。
「ご尊顔を拝し奉り、この羽柴筑前、恐悦至極に存じまする。源四郎様(織田信吉のこと)、よくぞこれまで耐え忍ばれましたな。これよりはいよいよ反撃の時にございます」
秀吉が平伏しながらそう言うと、信吉が緊張した面持ちで声を上げる。
「ち、筑前守、大儀!逆臣、惟任日向守(明智光秀のこと)を討ち果たし、父上(織田信長のこと)と兄上(織田信忠のこと)のご、ご無念を晴らそうぞ!」
信吉がそう言うと、秀吉だけでなく、その後ろに控えていた重秀達羽柴の家臣が一斉に平伏した。
その後、信吉臨席の中、軍議が開かれた。
「此度の戦、源四郎様を総大将とするべきと存ずるが、皆々様のご存念は如何に?」
開口一番、秀吉がそう言うと、照政と秀政が同意するように頷いた。しかし、当の信吉本人が拒否する。
「ち、筑前。儂は武田攻めで初陣こそすれ、兵を指揮したことがない。そんな儂に、総大将を務めよ、というのは無理な話だ。こ、ここは、戦上手の筑前に任せたい」
「とはいえ、臣たる拙者が総大将となれば、外聞が悪うございます。・・・ではこうしましょう。実際は拙者が指揮を執りますが、形だけでも源四郎様には総大将になっていただきたい。それでよろしゅうございますか?」
信吉が総大将を断るだろう、と予想していた秀吉が、予め考えていた事を信吉に言った。信吉が傍にいた藤掛永勝を見ると、永勝が黙って頷いた。それを見た信吉が秀吉に言う。
「そ、それで良いぞ」
「それでは僭越ながら、この羽柴筑前が今後の軍議を取り仕切らせていただきます」
こうして秀吉の下、軍議が進められることになった。
「三左衛門殿(池田照政のこと)。池田勢と摂津の国衆の様子はいかがでござるかな?」
秀吉の質問に、照政が答える。
「はっ。すでに中川瀬兵衛様(中川清秀のこと)、高山右近様(高山重友のこと)を始め、摂津の国衆はすべからく織田への忠誠を誓い、惟任日向守からの誘いを明確に断った、との報せを受けております。
また、淡路の洲本城にいる兄勝九郎(池田元助のこと)からの報せでは、福良湊に上陸した菅平右衛門(菅達長のこと)が洲本城を攻めたものの、これを撃退。菅平右衛門は四国に逃れたものと思われますが、淡路の国衆共にも日向守の謀反は伝わり、動揺が未だ広がっております。兄勝九郎は淡路より動けぬ、と報せて参りました」
「淡路は長宗我部が四国からこちらに来られぬようにするための重要な場所。引き続き勝九郎殿には淡路に留まっていただこう。源四郎様。それでよろしゅうございますな?」
秀吉がそう言うと、信吉が黙って頷いた。信吉が頷いたのを見た秀吉が照政の方を見ると、照政が「では、その様に報せておきまする」と言って頭を下げた。
次に秀吉が重秀の方を見る。
「藤十郎。上方の方はどうなっておる?」
「昨日、大和の陽舜房様(筒井順慶のこと)より使者がありました。『明智にはつかない』とのことでございました。陽舜房様はすでに兵を郡山城(大和郡山城のこと)に集めて籠城する、とのことにございました。
そして、これを受けてかの事がどうかは分かりませんが、日向守が率いる惟任勢が淀城(淀古城のこと)に入った、とのことにございます」
「淀城かい?淀城は京の南西を守る拠点。西の我等に対する動きとも読めるが・・・」
秀政がそう言うと、秀吉が苦笑しながら発言する。
「久太(堀秀政のこと)の申すとおりじゃろう。さすがに儂等の動きは派手過ぎた。すでに儂が兵庫に入っていることは知っとるじゃろうな。
それよりも藤十郎。他の織田家の諸将の状況はどうなっておる?」
「はい。大坂にて四国攻めに向かう予定でした神戸侍従様(神戸信孝のこと)と惟住五郎左衛門尉様(丹羽長秀のこと)は津田七兵衛様(津田信澄のこと)を討ち果たした後は動きがありません。どうやら、兵が逃散したようでございます」
「ふむ・・・。そう聞くと、儂は官兵衛(黒田孝隆のこと)の言うことを聞いてよかった、と改めて思うぞ」
秀吉が意味ありげに言いながら黒田孝隆を見た。孝隆は黙って頭を下げた。その様子を見ながら秀吉は言う。
「まあ、それはともかく、いないよりはいた方が良いであろう。儂が文を出して合流するように促すか。
・・・藤十郎、他には?」
「堺にいた九鬼右馬允様(九鬼嘉隆のこと)と堺の代官である松井友閑様より、我等へ味方する旨の文をいただいております。しかしながら、『堺の会合衆の要請により、九鬼水軍は堺を守るために動くことはできぬ』とのことにございました。
また、和泉の岸和田城におります蜂屋兵庫様(蜂屋頼隆のこと)もまた、我等へ味方する旨の文を受け取っておりますが、『紀伊の雑賀衆が活発に動いているため、全軍を摂津に送るのは無理』とのことにございました」
「雑賀衆か・・・。確かに本願寺と和議を結んだ際、鈴木孫一なる者が上様に臣従すると言った一方、上様に臣従するのを拒んだ者がいた、とは聞いておるな」
「兵庫様からの文では、その鈴木孫一が岸和田城に逃れてきた、と書かれておりました。どうやら、雑賀衆は反織田で固まったようです。
・・・そう言えば、兵庫で捕まえた鼠の中に、紀州訛りの者がいましたね」
「ああ、お主の文に書いておった、西へ向かう密使のことか。本願寺を介して毛利と雑賀衆には繋がりがあるからのう。まあ、それはともかく、お主が兵庫や三田を封じたお陰で、毛利は未だに上方で何が起きたか知らぬようじゃ。良き働きであった。礼を言うぞ」
秀吉が嬉しそうにそう言うと、重秀は黙って頭を下げた。秀吉が更に話を続ける。
「とりあえず、雑賀衆は兵庫殿にお任せしよう。南を兵庫殿が抑えてくれれば、大坂も動きやすくなろう。・・・藤十郎。近江やそれより東については何か聞いておるか?」
「菅浦に逃れた三之丞(加藤教明のこと)から使者が来ました。菅浦に堀様の父君が逃れてきたそうです。また、長浜城にいた堀様の妻子は美濃の広瀬に逃れたそうです。ただ、長浜城と佐和山城は明智方についた京極と阿閉によって占拠、長浜城は斎藤内蔵助(斎藤利三のこと)に与えられた、と聞いております。
日野城からは続報は有りませぬが、今のところ惟任勢に攻められている、という話はありません。
伊勢の安濃津城からは上総介様(織田信包のこと)の使者が参りました。伊勢にも動揺が広がり、一揆が起きているようです。また、隣国の伊賀でも一揆が起きているそうです。しかしながら、伊勢の軍勢はそのほとんどを侍従様に預けたため、一揆を抑えることができていないようです。上総介様はもちろん、伊勢の中将様(北畠信雄のこと。のちの織田信雄)も動かれておられぬようです。
・・・そういえば、上総介様の使者が仰っていましたが、三河守様(徳川家康のこと)は無事に三河に戻ったそうです。上総介様にわざわざ使者を遣わし、私が貸した銀子を返してきたそうです」
重秀の話に、秀吉が片眉を上げる。
「なんじゃ?お主は三河守様に銭を貸したのか?」
そう言われた重秀は、堺での出来事を軽く話した。
「・・・なるほどのう。どうやら、お主は三河守様に気に入られたようじゃのう。まあ、それは今は良い。それで、柴田修理亮(柴田勝家のこと)と滝川伊予守(滝川一益のこと)について、何か聞いておらぬのか?」
秀吉がそう尋ねると、重秀は首を横に振る。
「いいえ、まったく。恐らく柴田様には京での異変が伝わっていると思うのですが・・・。ただ、安土にいた孫四(前田利勝のこと)は日野城にいる、ということは分かっております。どうやら義兄上(蒲生賦秀のこと)と行動を共にしていたようです。
滝川様については、あの方は上野国におりますので、まだ京での異変を知らないのではないか?と思うのですが・・・」
重秀が自信なくそう言うと、孝隆が「若君の言うとおりかと」と言って賛同した。秀吉が言葉を続ける。
「ふむ・・・。そうなると、修理亮めが越中から引き返して日向守を討たんとしておるやもしているな。一時期、柴田と明智が婚姻を結ぼうとしていたことは知れ渡っていたからのう。その後は破談となったが、それでも裏で結び付きがあるのやも?と痛くもない腹を探られるのは修理亮にしても不本意じゃろう。その疑惑を払拭するためにも、修理亮は是が非でも日向守を討とうとするじゃろうな」
「そう言えば、藤十郎が送ってくれた報せの中に、『日向守が修理亮様と組んで七兵衛様を担ぎ上げて謀反を起こした』というものがありましたのう?」
小一郎がそう言うと、秀吉が頷く。
「うむ。まあ、七兵衛様と修理亮は昔の一件でそう思われたのじゃろう。もしその話も修理亮に行っているのであれば、払拭するためにもより一層、明智討伐に力を入れるじゃろうな」
「しかし兄者。柴田様は今は上杉と戦中じゃ。儂等と同じ様に上杉と和議を結んで、越中から近江まで引き返せるんかのう?」
小一郎がそう尋ねると、秀吉は小馬鹿にしたような笑みを顔に浮かべて答える。
「いや、無理じゃろう。あの修理亮にそのような謀はできぬ。恐らく、戦を放り投げて引き返すじゃろうな。まあ、上杉への抑えとして、内蔵助(佐々成政のこと)を越中に残す、とかの手は打っているかもしれぬがのう。
・・・しかし、上様と殿様の亡骸が見つかっておらず、ご両人が生きているかもしれぬというに、よくもまあ上杉との戦を放り投げることができるもんじゃ。儂には怖くてできぬわ」
秀吉が呆れたようにそう言うと、小一郎が「兄者も似たようなもんじゃろうが」と呟いた。そんな呟きを聞き流して秀吉が話を再開する。
「まあ、修理亮のことはええじゃろう。今後のことについて話をいたす。明朝には兵庫を発ち、その日のうちに尼崎に入る。そこで紀伊守殿(池田恒興のこと)と合流し、明智を討つ策を練る。まあ、大体の策はできておるから、後は紀伊守殿と話を詰めるだけじゃがのう」
秀吉がそう言うと、秀政が軽く手を上げながら口を開く。
「筑前殿。明智と干戈を交えるところはどこだと考えていますか?」
秀政の質問に、秀吉がはっきりとした口調で即答する。
「摂津と山城の国境、山崎の地が決戦の地となるじゃろうな」
軍議が終わり、重秀は秀吉と共に兵庫城本丸にある天守に入った。ここには本丸御殿に置けなかった広間があり、そこには羽柴の家臣団が集結していた。
秀吉と重秀が広間に入って上段の間に座ると、下段の間の左右に並んでいた羽柴の家臣団と、下段の間の中央に座っていた2人の男が一斉に平伏した。
「一同大儀!面を上げよ!」
重秀がそう声を上げると、皆が一斉に顔を上げた。そして、秀吉が下段の間の中央に座っていた2人の男に声を掛ける。
「いやいやいや、村上源八郎殿(村上景親のこと)、村上彦右衛門殿(村上通清のこと)、我が愚息により監禁されたと聞きましてな。儂ゃそれを聞いて肝を冷やしましたぞ。掃部頭殿(村上武吉のこと)と助兵衛殿(村上通総のこと)からお預かりした盟友の将を閉じ込めるとは。我が愚息の所業、この羽柴筑前、親として謝罪いたす」
そう言って秀吉は深々と頭を下げた。と同時に、重秀の後頭部に手を回し、重秀の頭も下げさせた。
その様子を見ていた景親と通清も頭を下げたが、景親がすぐに頭を上げて秀吉に言う。
「・・・此度の我等への扱い、およそ納得できるものではございませぬ。確かに閉じ込められていた際には、丁重には扱われました。しかし、いくら惟任日向守が謀反を起こしたからといって、我等を閉じ込めるとは、羽柴は村上を信じておられぬのか!侮辱するにもほどがある!」
憤懣やる方ない、といった表情でそう言った景親。その隣では通清が同意するように頷いていた。
景親が更に言う。
「此度の一件、我等はすぐに能島と来島に戻ってそれぞれの当主に申し上げる。その後、織田とは縁を切るよう、ご注進する所存にて!」
景親の言葉に、重秀が渋い顔をした。情報を毛利へ遮断するためにやむを得ず2人を監禁したが、そのために能島と来島の村上水軍を失うことになりそうだからだ。
一方、秀吉はニコニコしながら景親の話を聞いていた。そして、景親の抗議を聞いた秀吉が、景親と通清に話しかける。
「いやぁ、お怒りごもっとも!愚息の行ったことは、盟友たる村上に対する扱いとは言えぬ所業。お二方のお気持ち、お察しいたしまするぞ。
なので、本日限りでお二方には能島と来島に戻っていただいて結構。その後は毛利につくなり織田に刃向かうなりしていただいて結構でござる」
秀吉の物言いに、景親と通清だけでなく、重秀やその場にいる者達が唖然とした顔つきになった。
「そ、そのようなことを申してよろしいのか?筑前殿に二言はないのでござるか?」
景親がそう言うと、秀吉がニコニコ顔からニヤニヤ顔へと変化する。
「もちろんじゃ!もっとも、毛利がお主らと手を組むとは限らぬでのう。のう、官兵衛?」
秀吉がそう言うと、声を掛けられた孝隆が「御意にございます」と言って頷いた。そして顔を景親と通清に向けると、口元に笑みを浮かべながら話しかける。
「実は、貴殿等にお見せしたき物がござる」
そう言うと、孝隆は背後に手を回した。そして、何やら畳まれた布を手にし、それを前に持ってきた。景親と通清が見守る中、孝隆が畳まれた布を広げ、更に両手で高く掲げた。
その布は旗指し物であった。そして、その布には一文字三つ星の紋―――毛利家の家紋が描かれていた。
唖然として見つめる景親と通清に、秀吉が声を掛ける。
「羽柴と毛利はもう味方同士じゃ。和議を結ぶ際に、右馬頭様(毛利輝元のこと)が『主君の仇討ちをなさる羽柴殿の志に感銘を受けた。毛利は羽柴殿をお助けいたしまするぞ』と仰られてのう。儂等に毛利の旗指し物を二十旒ほどくれたぞ。これを羽柴の陣営が掲げることで、毛利が羽柴の味方であることを日向守に知らしめて良い、と申されておった」
「左様、すなわち、羽柴と毛利はもはやお味方同士。もし、村上が毛利に寝返ったとしても、羽柴と戦はできないわけですなぁ。仮に村上が羽柴と戦をしても、毛利は我関せず、という態度でしょうなぁ」
秀吉に続いて孝隆が毛利の旗を降ろしながらそう言うと、通清が「しばらく、しばらく!」と声を上げた。
「わ、我が兄、助兵衛は河野の家名を受け継ぐことを条件に羽柴に与したのですぞ!今の河野家は毛利の支援を受けております!羽柴と毛利が手を組んだとすれば、我等との約束はどうなるのでござるか!」
通清の言葉に、秀吉ではなく孝隆が応える。
「ああ、そんな話もありましたな。しかしながら、伊予河野家については、特に毛利とは話し合っておらぬのでござる。なので、後日改めて毛利と話し合わなければなりませぬなぁ」
「そ、そんな・・・」
孝隆の話を聞いた通清が絶句した。その様子を見つつ、孝隆は今度は景親に話しかける。
「能島の村上家は織田から毛利に鞍替えされるとか。まあ、止めはしませぬが、毛利がそれを受けますかな?特に、嫁としてきた小早川左衛門佐殿(小早川隆景のこと)の養女を送り返した、と聞きました。そこまでやった能島を毛利が許しますか?
・・・羽柴から離れたと知った瞬間、毛利は躊躇なく能島へ攻めるでしょうなぁ」
孝隆がそう言うと、景親は口を閉ざしてしまった。そこに秀吉も話しかける。
「藤十郎から話は聞いておる。元亀二年(1571年)に小早川から攻められたらしいのう。その時は塩飽が助けたらしいが、此度は塩飽が助けに来ることはないぞ。儂等も毛利とは事を起こしとうないんじゃ」
秀吉の言葉に、景親が俯いた。そんな景親に、孝隆が畳み掛ける。
「村上が羽柴に属しているならば、毛利は手を出さぬはず。その事をよくよくお考えあれ」
その後、村上景親と村上通清は兵庫津からそれぞれの小早と、重秀から預けられた弁財船を数隻従えて能島と来島へ戻っていった。
重秀から預けられた弁財船には、兵庫城の米と金銀銭が多く載せられていた。秀吉の命を受けた重秀が、能島と来島に戻る景親と通清に大量の米と金銀銭を引き渡したからであった。その量は米だけでも5千石あったと記されている。もっとも、記されていた史料は後世に書かれた軍記物なので、誇張されている、と思われるが。
それはともかく、秀吉や孝隆の説得のおかげか、それとも重秀からの贈り物のおかげかどうか分からないが、結局、能島村上と来島村上は羽柴から毛利に寝返らなかった。ただ、毛利からの報復攻撃に備え、臨戦態勢に入ったまま、本能寺の変後の混乱した状況を過ごすのであった。
「・・・ところで父上。あの毛利の旗。真に譲り受けたものでございますか?」
景親と通清との会談が終わった後、重秀がそう秀吉に尋ねた。秀吉が笑いながら答える。
「まさか。数年前から播磨にいた毛利の援軍を討ち破った際に放棄されていたものを集めていただけじゃ。何かの役に立つだろうと思って集めておったが、ここで役に立つとは思わなんだ」




