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大坂の幻〜豊臣秀重伝〜  作者: ウツワ玉子
兵庫編

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第281話 本能寺の後(その12)

感想、評価、ブックマーク登録、いいね!を頂きありがとうございます。大変励みとなっています。


誤字脱字報告ありがとうございました。お手数をおかけしました。


次の投稿は1月6日火曜日の朝となります。

 天正十年(1582年)六月四日巳の刻(午前9時頃から午前11時頃)。備中高松城主、清水宗治が船の上で辞世の句を詠み、腹を切ろうとしていた頃。福島正則は備前国児島にある常山城に着いた。そして、常山城で重秀の代理として重秀軍の指揮を執っていた山内一豊に、本能寺の変を伝えた。


「・・・う、嘘であろう?上様(織田信長のこと)と三位中将様(織田信忠のこと)が、惟任日向守様(明智光秀のこと)に討たれたなど、あってはならないことだ!」


 一豊がそう叫ぶと、傍にいた尾藤知宣と脇坂安治、石田正純が首を縦に振った。それに対し、正則が普段通りの口調で一豊に言う。


「いや、でも、伊右衛門殿(山内一豊のこと)の弟って名乗った吉助殿(山内康豊のこと)が、中将様の密使としてわざわざ堺にまでやってきて報せてくれたんだぜ?それに、俺が大殿(秀吉のこと)の陣からこっちに来る直前、京の長谷川宗仁って奴の急使がやってきてさ。京の異変の続報を届けてくれたんだ」


 本能寺の変が起きた際、京にいた長谷川宗仁は秀吉に京の情勢を絶え間なく報せるため、使者を備中に送り込んでいた。第一報を運んだ使者は使命を果たしつつも力尽きて死んでしまったが、第二報を運んだ使者は生きて秀吉の本陣にたどり着き、秀吉本人に宗仁の手紙を渡していた。

 第二報によれば、織田信長の亡骸は見つかっていないものの、脱出した形跡がないこと、そして織田信忠が籠もっていた二条新御所が焼け落ち、立て籠もっていた織田方が文字通り全滅したことが記されていた。

 そして、信長・信忠親子が確実に死んだことを報せる第三報が秀吉の元に近づきつつあった。


 ちなみに、宗仁は秀吉に対し、第八報までの報告を送っていた。しかし、秀吉の元に実際に届いたのは第三報までであった。残りの報告が秀吉に届かなかったのは、重秀が原因であった。

 第三報を運ぶ使者が兵庫を通過した直後、重秀が兵庫を封鎖したため、それ以降の使者が兵庫で足止めを食らったのである。重秀の兵庫封鎖は、結果として毛利や足利義昭に本能寺の変を報せることを確実に遅らせると同時に、秀吉への報せすらも止めてしまったのであった。

 もっとも、宗仁の使者達は重秀に自身の正体を明かし、その情報を重秀に提供した。重秀はその情報と、他から手に入れた情報を合わせて秀吉に早馬で報せた。結果、秀吉は精度の高い信用できる情報を手に入れることができたのであった。


「んで、その続報を届けた使者の文によれば、上様も三位中将様も討たれたと見て間違いない、と書いてあったみたいだぜ」


 正則がそう言うと、一豊は両目をきつく瞑って唸った。


「・・・それで、大殿は我等にどうしろと?」


 知宣がそう尋ねると、正則が思い出したかのように話し出す。


「大殿は上様の仇討ちを考えてる。そのために、毛利と和議を結んで、兵を一気に兵庫まで戻すと言ってた。まずは水軍と兄貴・・・若殿(重秀のこと)の軍勢を姫路に戻し、その後は兵庫へ返す。児島には宇喜多勢を残して我等の撤退を支援させる。ただし、京での異変を知られないようにする、と大殿が言ってたぜ」


 正則の言葉に、一豊が再び唸る。


「そんな無茶苦茶な・・・。それがしにその様な腹芸は無理だぞ・・・」


「まあ、宇喜多を騙すのは甚右衛門殿(尾藤知宣のこと)に任せりゃ良いじゃねぇか。そういうの得手そうだし」


 正則がそう言うと、知宣が「そう得手でもないんじゃが・・・」と溜息をついた。それに対し、安治が声を上げる。


「とはいえ、京での予想外の異変に対して大殿が下した判断は支持できるし、それ以外は考えられぬ。ならば、我等は大殿の判断に従うだけであろう」


 安治の言葉に、一豊と知宣が頷いた。そして一豊が口を開く。


「それでは、毛利と宇喜多に気取られぬよう、慎重に事を起こさねばならぬ。甚右衛門殿は下津井城(下津井古城とも言う)にいる小西弥九郎殿(小西行長のこと)に、常山城をお任せする旨をお伝えくだされ」


「承知した。理由は『上様がお出ましになり、姫路まで迎えに行く』ということでよいか?」


 知宣がそう言うと、一豊は「よろしく頼む」と言って頷いた。次に一豊は安治の方を見る。


「甚内殿(脇坂安治のこと)は水軍を束ねていただく。早急に船を集め、姫路まで撤退していただきたい。その際、山内勢も船で姫路まで戻る故、良しなに頼む」


 一豊がそう言うと、安治が尋ねる。


「しかし、水軍を束ねよと申されるが、すでに出帆している船はどういたす?それに、塩飽には浦上殿(別所友之のこと)、江見殿(淡河定範のこと)、津田殿の親子(津田盛月と津田信任のこと)が駐屯している。あの者達はどうする?」


「当然、一緒に姫路へ戻る。兵数は多い方が良いだろう。それに、すでに出ている船については、戻り次第直接姫路に向かうように指示すればよい。そのために船に命を伝える者を残す必要がある」


「・・・塩飽にも誰か残さなくてよいのか?塩飽ががら空きになれば、また誰かが乗っ取りに来るのではないか?」


 安治がそう言うと、正則が「あっ」と声を上げる。


「すっかり言い忘れてたぜ・・・。実は大殿から、塩飽の船方衆を総動員して、輜重を海路で運ぶ、と言われてたんだ。そのために、明日の昼までに船を石山城(のちの岡山城)の南にある湊に回せ、と仰られてたぜ」


 正則がそう言うと、一豊が思わず「そういう事はもっと早く言え!」と声を上げた。そして頭を抱えながら呻く。


「大殿も無茶な命を下してくる・・・。時が無いではないか!」


 そんな一豊を見ていた正澄が、穏やかな声で話しかけてくる。


「・・・伊右衛門殿。ここはそれがしに任せてくれぬか?それがしがここに残ろうではないか」


 正澄からそう言われた一豊が、思わず顔を上げて正澄を見た。正澄が話を進める。


「それがしはこの二ヶ月ほど、塩飽の船方衆と船の借り上げについて色々話し合ってきた。彼等との交渉は慣れておる。それに、恥ずかしながらそれがしは戦は不得手。上様の仇討ちという重要な戦でお役に立てるとは思えぬ。それならば、それがしが残って役目を果たそう」


 正澄が穏やかながらも決意した表情でそう言うと、一豊達はしばらく黙っていた。しかし、一豊は床几から立ち上がると、深々と頭を下げる。


「弥三郎殿(石田正澄のこと)、かたじけない。お言葉に甘える」


 一豊がそう言うと、他の者達も床几から立ち上がって正澄に頭を下げた。一方の正澄は笑いながら「構いませぬ」と言って右手を振った。


「・・・しかし・・・、弥三郎殿が残られるとなると、我が方の輜重の運用を行える者がいなくなるな・・・」


 知宣がそう言うと、一豊だけでなく安治も「う〜ん」と唸った。というのも、今回重秀が率いた軍勢の兵站を担っていたのが正澄だったからである。正澄が児島に残ることで、兵庫まで戻る際の兵站を担う者がいなくなることになるのだ。

 そんな一豊と安治に、正澄が「案じられますな」と穏やかに言った。


「それがしがいなくとも、我等には紀之介(大谷吉隆のこと。のちの大谷吉継)がおります。あの者は若いながらも輜重の運用に長けております。あの者ならそれがしの代わりも十分務められるものと存じます」


 正澄がそう言うと、一豊と安治が納得したような顔をする。


「ああ、紀之介なら安心だ。此度の出陣でも弥三郎殿と共に輜重の運用を担っていたが、特に滞ったということはなかったからな。

 ・・・よし、では早速、姫路へ退こうぞ!そして兵庫におわす若殿と合流いたす!」


 一豊がそう言うと、皆が「応っ!」と声を上げるのであった。





 それからおよそ一刻後。撤退準備をしている常山城に、小西行長が知宣に付き添われてやってきた。


「小西殿。わざわざのお越しかたじけない」


 一豊がそう言って出迎えると、行長はニコニコ顔で一豊に近づく。


「いえいえ。急な話によりこちらも困惑しておりますが、山内殿をはじめ、羽柴の方々も難儀している、と拝察いたします。急に姫路への転進とは」


「・・・さ、左様。本来ならば、若殿がお戻りになるまでこの地にて毛利に備えるべきであるところ、大殿の命により、姫路まで出迎えに行かなければならなくなった。まあ、若殿が上様と同伴して姫路に来られる以上、我等が出迎えに参るのは当然である。そ、それに、上様の軍勢は大軍故、船での運搬がよろしかろう、というのが大殿の考えである」


 若干高い声でそう言った一豊に、行長が「なるほど」と頷いた。


「そういうことならば、この小西弥九郎、喜んで皆様の留守を守りましょう。・・・しかし、拙者とその手勢が常山城に入ってよろしいのでござるか?聞けば、石田殿も児島に残られるとか。それならば、常山城には石田殿がそのまま居残ったほうがよろしいのではございませぬか?」


 行長がそう言うと、一豊ではなく正澄が答える。


「いいえ。拙者は塩飽をも見なければなりませぬ。そうなると常山城はいささか不便にて。一方、下津井城だと近くに下津井の湊がありますれば、塩飽とのやり取りに都合が良いのでござる。そこで、下津井城へ移ることをお許しいただきたい」


 正澄の説明に、行長が頷く。


「なるほど。そういうことならば、下津井城をご随意にお使いくだされ」


 行長の言葉に、正澄は「かたじけなし」と言って頭を下げた。


「ときに山内殿。それがしが常山城に移ること、筑前守様にどうぞよろしくお伝えくだされ」


 行長が一豊に向き直してそう言うと、一豊は不思議そうな顔をする。


「・・・大殿に、でござるか?宇喜多様(宇喜多忠直のこと)ではなく?」


「はい。実は、それがし筑前守様より『羽柴に来ないか』と言われまして。涼雲院様(宇喜多直家のこと)が生きておられた頃は御恩がありました故、羽柴に仕える気はなかったのでございますが、涼雲院様もお亡くなりになり、八郎様(宇喜多家氏のこと。のちの宇喜多秀家)が無事に家督を継がれましたが、実際は七郎兵衛様(宇喜多忠家のこと)をはじめとする宇喜多家譜代の方々が宇喜多家の差配をしており、外様のそれがしは宇喜多家ではさほど良く扱われておりませぬ。

 そこで、それがしの才を高く評価されている筑前守様にお仕えしようと考えておりまして。此度の児島での留守居役を立派に働き、その旨を筑前守様に認めてもらえればよろしいのでございますが」


 行長の言葉に、一豊は思わず顔を顰めた。織田信長と織田信忠が明智光秀の謀反で亡くなり、重秀が織田信吉と共に兵庫城に立て籠もっているという危機的状況で、その事を知らないとはいえ、行長が自分のことしか考えていないことに一豊は嫌悪を感じていた。


 ―――主家を変えるのはよくある話だが、今その事を言わなくても良いだろうに・・・。とても付き合いきれん―――


 そう思った一豊。しかし、ここで本当のことは言えないし、切羽詰まった状況で嫌味の一つを言えるような余裕もなかった。そこで一豊は、


「相分かった。事が落ち着いたら大殿に言上致そう」


 と、言うことしかできなかった。それに対し、自分の願いが聞き入れられたと思った行長は、「かたじけない!」と言って喜ぶのであった。


 その後、常山城を行長に託した一豊は、船が集結しつつある下津井城へ、他の者達や自身の軍勢と共に移動するのであった。





 下津井の湊から羽柴水軍が東航しつつある頃、明智光秀の謀反と織田信長・信忠親子の討死についての情報は、織田領内に伝わっていた。当然、近江の長浜城にも伝わっていた。

 長浜城下では目立った混乱はなかったが、それでも城下の人々は不安げな表情で話し合ったり往来を行き来していた。


 そんな中、長浜城内では、長浜城主の堀秀政の妻であるあやが、秀政の父親であり、長浜城の留守居役を務めている堀秀重と話し合いをしていた。内容は長浜城からの脱出について、であった。


「・・・惟任勢は京を制圧し、安土へ向かおうとしたが、瀬田の唐橋が焼き討ちにされて瀬田川を渡ることができなくなった。そこで、主力は坂本城に退いたらしい。

 しかしながら、惟任勢が大溝城を経由して琵琶湖を迂回する恐れがある。大溝城は日向守の女婿である七兵衛様(津田信澄のこと)の居城。今は七兵衛様は大坂に居られるが、大溝城が舅である日向守を拒めるわけがない。しからば、惟任勢が北から長浜城へ攻めてくるだろう」


 秀重は事前に入手した情報から、惟任勢が琵琶湖を時計回りに進んでくる、と予想。そのことを綾に説明した。綾が秀重に尋ねる。


義父(ちち)上。そうなれば、殿(堀秀政のこと)が申しておった菅浦への脱出は・・・」


「無理じゃろう。もし日向守の軍勢が予想どおりの行軍を取れば、避難先の菅浦の目と鼻の先を通過する。それに、菅浦は羽柴の飛び地。必ずや惟任勢が兵を送り込んでくるじゃろう。

 ・・・とするならば、もう一つの避難先、美濃の広瀬村に逃れるしかあるまい」


 秀重の回答に、綾は「やはり・・・」と呟いた。


 堀秀政は長浜城の城主になった際、引き継ぎを行った重秀からある秘密を教えてもらっていた。それは、長浜城が攻められた場合、城内にいる女子供を逃がす避難場所であった。

 一つは菅浦。北に険しい山があり、残りの三方を琵琶湖に囲まれた菅浦は、隠れ里としてはうってつけの場所であった。

 もう一つは美濃国にある広瀬村。美濃国と近江国の国境にある山間の村で、羽柴秀吉の与力の一人であった広瀬兵庫助の領地でもあった。狭い山道を長距離越えていかなければならないという欠点はあるものの、長浜城からは近く、それでいて地理的に目立ちにくい、という利点があった。

 懸念があるとすれば、領主の広瀬兵庫助が受け入れてくれるかどうか、なのだが、この時点では兵庫助は秀政の与力となっており、そして兵庫助自身は秀政に親しみを持っていた。

 その人柄で部下の人心をがっちりと掴むことに長けていた『名人久太郎』こと堀秀政の能力は、兵庫助に対しても効果が発揮されていた。


「すでに兵庫助からは受け入れる旨の返事をもらっておる。案内役と護衛を付ける故、そなたは女子供を連れてすぐに城から脱出、広瀬村に向かわれよ」


 秀重がそう言うと、綾は一つの懸念を口にする。


「・・・義父上は如何なされるおつもりでございますか?よもや、城を枕に討死、とは考えておりませんよね?」


 綾がそう言うと、秀重は苦笑しながら答える。


「実はそう考えておった。しかしながら、そもそも兵がほとんどおらぬ。戦える者は皆備中に行ってしもうたからな。残っている者は皆、老体か子供じゃ。精強で鳴らす惟任勢を相手にしても、蟷螂の斧でしかない。それならば、無駄死にはさせずに皆を連れて菅浦に逃れようと思う」


「菅浦にございますか?私共と一緒に広瀬に行かないのでございますか?」


 驚きの表情を顔に浮かべながら綾は言った。秀重が応える。


「儂が菅浦に行ったとなれば、惟任勢の目は菅浦に向く。広瀬のお主等には目は届かぬじゃろう」


 それを聞いた綾は絶句した。秀重が自らを囮にして綾達を逃そうとしているのだ。綾は思わず平伏する。


「お、恐れながら申し上げます!どうか、どうか私共と広瀬にお逃げくだされ!菅浦でもし何かありましたら、私めは殿に顔向けができませぬ!」


「何を言う。すでに堀家の家督は久太郎(堀秀政のこと)が受け継ぎ、そして次代も育っておる。儂に思い残すことはない。ならば、堀家を残す最善の方法を取るのみじゃ。

 ・・・案ずることはない。菅浦の乙名衆である土田殿からは受け入れの手筈は整えている、との報せを受けておる。それに、惟任勢の目を欺くための策を考えておる」


 秀重の言葉に、綾が思わず「策、でございますか?」と尋ねた。秀重が口角を上げながら言う。


「うむ。最初は城に火を放とうと思ったのだが、安土の堀屋敷からの報せでは、留守居役の蒲生左兵衛大夫殿(蒲生賢秀のこと)は安土から上様のご家族と共に退去した際、城を燃やさず金品を持ち出さずに退去したらしい。実に見事な態度である。儂もそれに習おうと思ってのう。その代わり、船を燃やすことにした」


「船・・・。それはもしや、羽柴の若君が造りし『淡海丸』と『細波(さざなみ)丸』でございますか?」


「うむ。羽柴の若君には申し訳ないが、あのような船が日向守に渡れば、後々近江に災いをもたらすであろう。それに、逆臣の手に渡ったとなれば、羽柴の若君や竹生島の参詣に使っていた上様も悲しまれるであろう。それならば、我等の手で湖に沈めた方が良い」


 秀重がそう言って決意の表情を綾に見せた。それを見た綾は、何も言わずに平伏するのであった。


 その日の夜。夜陰に紛れて綾と息子の菊千代(のちの堀秀治)と吉千代(のちの堀親良)、そして侍女等や家臣の妻子や護衛と共に長浜城を脱出。一路美濃国広瀬村まで向かった。

 そして、堀秀重は城内と城外に残っていた少数の兵と共に『淡海丸』と『細波丸』に乗ると、琵琶湖へと乗り出した。そして、長浜城下から見える湖上で2隻に火を放った。

 史料によっては秀重が船の中で自刃した、とするものもあるが、実際は火を放つ直前で菅浦の舟手衆が用意した丸子船に乗り移って脱出、そのまま菅浦へ逃れている。


 こうして、羽柴水軍の支える船乗りを多く育てた『淡海丸』と『細波丸』は、重秀の知らないところでその生涯を終えたのであった。


注釈

堀秀政の長男である堀秀治の幼名については不明のため、堀秀政の幼名である“菊千代”を当てている。これは小説オリジナルである。

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― 新着の感想 ―
此処で船を遺せないよなあ。惜しいですが見事な生涯でした
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