第274話 本能寺の後(その5)
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天正十年(1582年)六月二日の夕刻。重秀は堺にある妙国寺にいた。
―――気がついたらもう夕刻なんだなぁ・・・―――
そう思いつつも妙国寺の宿坊にある一室に入った重秀。そこには妙国寺に泊まっていた徳川家康とその家臣達が集まっていた。
いや、徳川家の者だけではなかった。穴山信君とその家臣達、そして長谷川秀一と九鬼嘉隆、そして堺奉行の松井友閑もいた。
「・・・遅くなって申し訳ございませぬ」
重秀がそう言いながら秀一の隣に座ると、家康の傍に最も近い場所に座っていた石川数正が重秀に話しかける。
「・・・羽柴殿。源四郎君(織田信吉のこと。織田信長の五男)は如何なされた?」
「・・・源四郎君は今は湊におりまする。村上源八郎殿(村上景親のこと)と村上彦右衛門殿(村上通清のこと)と共に船に乗っておりました故」
重秀があらかじめ考えていた台詞を言うと、数正が顔を顰める。
「・・・使いの者には、源四郎君もこちらにお呼びいたすように命じたのだが」
「・・・申し訳ございませぬ。源四郎君には私から伝えます故、何卒ご容赦を」
そう言って頭を下げる重秀。それを見た数正が難しそうな顔をした。そんな数正に家康が話しかける。
「与七郎(石川数正のこと)、やむを得ぬ。源四郎君には羽柴殿から伝えてもらおう。時が惜しい」
家康がそう言うと、数正は「ははっ」と言って頭を下げた。この時、重秀はふと視線を感じた。その方向へ目だけ動かして視線を移すと、その先で本多正信が口角を上げて重秀を見ている姿が見えた。その表情は、まるで何かを分かっているような表情であった。
そんな中、家康は「小五郎(酒井忠次のこと)、始めよ」と酒井忠次に声を掛けた。それを受けて忠次が口を開く。
「皆様方に集まっていただいたのは他でもござらぬ。まずはこちらにいる者を紹介いたす」
そう言って忠次は手を差し伸べた。手を伸ばした先には、重秀の知らない二人の男がいた。一人は中年の武士で、もう一人は壮年の商人であった。
「長谷川殿は京でお会いしたと思うが、羽柴殿と九鬼殿と松井殿は初めてでござろう。改めて紹介いたす。徳川家家臣の鳥居彦右衛門(鳥居元忠のこと)と、京の豪商である茶屋四郎次郎殿(茶屋清延のこと)でござる」
忠次がそう言うと、中年の武士と壮年の商人が平伏した。重秀もつられて頭を下げると、忠次が話を続ける。
「茶屋四郎次郎殿は京にて商いを行っており、我等が京に滞在していた際に世話になっていた者。そして、彦右衛門は我等が京に滞在した際に病を得たため、四郎次郎殿の屋敷にて養生しておったのだ。彦右衛門は病が治ったので、先程妙国寺に着いたのでござる」
忠次が二人について話をし終えると、しばらく黙った。秀一と嘉隆は話の要領を得ていないせいか、頭に疑問符を浮かべたような表情をしていた。一方、重秀は眉間にしわを寄せ、口を固く結んだ表情で聞いていた。
その様子を見ながら、忠次が話を再開する。
「・・・実はこの二人より、本日京にてありえぬ事態が起きたことを聞いた。その事をお話するために皆様方を妙国寺まで集めたのでござる」
忠次の言葉に、秀一が「ありえぬ事態?」と口に出した。それを受けて忠次が口を開く。
「本日未明、京にて惟任日向守殿(明智光秀のこと)が謀反。本能寺に滞在中の上様(織田信長のこと)を襲い・・・、討ち果たされた由」
忠次の言葉に、秀一と嘉隆が「なっ!?」と声を上げた。一方、重秀は声を上げなかったものの、その顔は苦虫を噛み潰したような表情であった。
―――日向守様の謀反はともかく、上様が亡くなられたのか!?逃げ切れなかったのか・・・?―――
重秀がそう思っている横で、秀一が大声を上げる。
「何を言っておられるか!惟任日向守様が謀反!?ありえぬ話だ!それに、上様が討たれただと!?戯言も大概にしていただきたい!」
秀一がそう言うと、傍にいた嘉隆や友閑も同意するように頷いた。
「・・・お気持ちはお察しいたすが、真のことにござる。詳しい話は、この彦右衛門から話しをさせよう」
忠次がそう言うと、指名された元忠が事の経緯を話し始めた。
天正十年(1582年)五月二十一日の夜に京に着いた徳川・穴山一行。その次の日には京見物を楽しんだのだが、その途中で鳥居元忠は体調を崩した。
恐らく旅の疲れが出たのだろう、ということで、元忠は茶屋四郎次郎の屋敷で数日休むことにした。一方の徳川・穴山一行は今後のスケジュールがあったため、元忠を京に置いて大坂に向かうことになった。
茶屋屋敷で休んでいた元忠の体調は順調に回復し、六月一日には十分動けるくらいになった。そこで元忠は世話になった四郎次郎に礼を言うと同時に、次の日の日の出に堺に向かうことを告げた。四郎次郎もそれを了承し、未明に起きて元忠の旅立ちの手伝いをすることを約束した。
そして次の日の六月二日。予定通り、元忠は未明に起きて出発の準備を行った。しかし、未明にも関わらず屋敷の周囲が騒がしいことに気がついた。元忠は同じく周囲の異変に気がついた四郎次郎と共に、その騒ぎの原因を探るべく、まだ薄暗い外へと飛び出していった。
そして、惟任勢が織田信長の泊まっている本能寺を襲ったのを目撃することになった。
「・・・拙者はその後、本能寺を見ておりました。そうしたら本能寺が焼け落ちたのでござる。拙者は前右府様(織田信長のこと)を探そうと周囲を回ったのでござるが、それらしき人物はおりませなんだ。恐らく、惟任勢の雑兵に首を取られることを恥じて燃える本能寺内にて自害されたのではないか、と思った次第にございます」
元忠の話を聞いた秀一と嘉隆と友閑は顔を青ざめた。一方、重秀は眉間にしわを寄せたまま話を聞いていた。そして元忠の話が終わると同時に口を開く。
「・・・一つ確かめたいことがございます。彦右衛門殿は上様の亡骸をご覧になったのでございますか?」
重秀の質問に、元忠は「否」と手短に答えた。それを聞いた重秀が再び口を開く。
「それならば、上様が亡くなられたと断言するのは難しいのではないでしょうか?混乱に乗じて落ち延びられたと考えることもできますが」
そう言われた元忠は黙り込んでしまった。そんな元忠に代わって、四郎次郎が口を開く。
「・・・恐れながら羽柴様。わても焼け落ちた本能寺を見に行きましたけど、惟任勢が十重二十重にも取り囲んでおりまして、そないな中であれこれ探し回っておりました。あれは、きっと上様のご遺体を探してはったんやと思います。
・・・惟任勢の包囲を逃れるのは難しいやろうし、もし本能寺から逃げはったんやったら、焼け落ちたお寺の中を探すなんて考えにくうおます。洛中、いや京の外まで兵を散らして探さはると思いますけどなぁ」
四郎次郎がそう言うと、元忠が「然り」と応えた。周囲の徳川家臣達も同意するように頷いた。
そんな中、徳川家臣の一人である本多忠勝が口を開く。
「・・・上様もまた、雑兵ごときに首を奪われるを良しとせず、自ら火を放たれたのであろう。まこと、武士として見事な最期にござる」
忠勝の言葉に、徳川家臣達だけでなく、穴山家臣団の者達も同意するように頷いた。そんな中、重秀が疑問を呈する。
「・・・上様はあの金ケ崎にて浅井の裏切りを知った後、すぐに京へと退かれました。あの上様が、そうやすやすと自刃するとは思えませぬが」
重秀がそう言うと、秀一が同意するように頷いた。そんな二人に、今度は榊原康政が話しかける。
「あの時とは状況が違うであろう。あの時は退路がまだ塞がっておらず、殿軍の池田筑後守(池田勝正のこと)や明智殿、そして木下殿・・・貴殿のお父上の奮戦があったからこそ、上様は逃れることができたのだ。
しかし、此度はそうではない。未明に急襲され、数千騎に包囲されては退路はなく、しかも相手があの戦上手の明智殿と言われれば、上様とて逃れることは難しいだろう。それに、聞けば上様は上洛した際には小姓衆と馬廻衆を少数しか連れて行かなかったらしい。小姓衆も馬廻衆も決死の覚悟で戦ったことは想像に固くないが、それでも上様を逃がすことはできなかったのではないだろうか」
重秀の目を見ながら康政はそう言った。その説得力のある物言いに、重秀は何も言えなくなった。そんな重秀に、今度は家康が声を掛ける。
「・・・まあ、主君が討たれた事を信じたくない、と思う気持ちは分からなくもない。儂も秀峰哲公様(今川義元のこと)が討たれたと聞いた時は、この世の終わりだ、と思ったものよ。
だが、己の願望で目を曇らせては道を誤る。まして今は乱世、誰もが生命を落とす世よ。それは上様とて同じこと。事実より目を背けてはならぬ」
まるで子供に教え諭すかのように言う家康の言葉を、重秀は何故か抵抗なく受け入れた。本来ならば織田家家臣として、また羽柴を取り立ててくれた恩人の死を否定しなければならない立場の重秀であったが、家康相手に否定する言葉は出なかった。
それに、と重秀は思う。
―――確かに、上様が亡くなっている場合のことも考えなければ。半兵衛殿(竹中重治のこと)も色々な事を想定しろ、とおっしゃられていた。あえて考えないようにしていたが、上様が亡くなられた、ということを前提に動かざるを得ないか・・・―――
そう思った重秀。しかし心の中ではまだ微かな希望を抱いていた。
「・・・上様が本能寺にて亡くなられたとしても、まだ殿様(織田信忠のこと)がおわします。殿様がおわす限り、日向守様の謀反は失敗に終わります。
・・・その殿様はご無事なのでしょうか?」
重秀がそう言うと、秀一が「おお、そうじゃ!」と頷いた。
「織田家の当主は殿様だ!殿様がご無事ならば、惟任日向守なぞ敵ではない!」
秀一がそう言うと、嘉隆と友閑が同意するように頷いた。一方、徳川方の家臣達は微妙そうな顔つきになった。そんな中、四郎次郎が口を開く。
「・・・三位中将様(織田信忠のこと)のことについてどすけど・・・。先程京より知らせがありまして、三位中将様が立て籠もられた二条新御所は惟任勢によって攻められ、将兵共々討ち取られた、とも聞いとります」
四郎次郎の言葉に、秀一や嘉隆、友閑はもちろん、重秀も思わず「えっ・・・」と驚いた。重秀が思わず声を上げる。
「馬鹿な・・・。殿様には五百の馬廻衆に加え、京に滞在していた織田方の将兵が集まり、一千を超えるほどの兵がいたはず。しかも村井様(村井貞勝のこと)や菅屋様(菅屋長頼のこと)といった譜代の将もおられたはず!いくら惟任勢が一万に近い兵数だからといって、半日も持たずに負けることなどありえない!」
重秀がそう言うと、家康を始め徳川方の家臣達の様子が変わった。家康と数正、忠次が険しい顔つきで重秀を見つめ、忠勝と康政、そして井伊直政が両目を見開いて重秀を見つめ、元忠と四郎次郎が唖然とした表情で重秀を見つめていた。そして、正信だけは面白そうに重秀を見つめていた。
そんな徳川方の様子を見た重秀は、戸惑いながらも口を開く。
「・・・あの、何か?」
「・・・羽柴の若君。三位中将様の兵数をよくご存知でしたな?」
正信がそう言った瞬間、重秀は「あ・・・」と声を漏らした。正信が続けて重秀に尋ねる。
「しかも、村井様や菅屋様まで二条新御所にいた事までご存知とは。一体、いつ知ったのでござるか?」
正信の言葉に、重秀は黙り込んでしまった。その様子を見ていた秀一が、重秀に詰め寄る。
「藤十郎・・・。お主、まさか日向守の謀反を知っておったのか!?」
そう言われた重秀は、溜息をつくと重い口を開く。
「・・・はい。実は、殿様より山内吉助殿(山内康豊のこと)が急使としてやってきて、京での事変を報せてきました」
「山内・・・吉助?」
秀一がそう言って首を傾げたので、重秀は吉助について話す。
「私の家老で傅役の山内伊右衛門(山内一豊のこと)の弟です。織田伊勢守家に仕えておりましたが、伊勢守家が滅ぼされた後、山内家は離散。伊右衛門は羽柴に仕える一方、吉助殿は諸国を放浪した後、殿様にお仕するようになったそうです」
重秀がそう説明すると、秀一は「な、なるほど」と納得した。が、すぐに重秀に声を上げる。
「・・・って、そういう報せがあったならば、儂にも報せてくれればよかったではないか!」
「・・・その点についてはお詫び申し上げます。しかしながら、殿様より『源四郎君を守れ』との命を受けた以上、源四郎君の身の安全を確保することが先かと思いまして、報せるのが遅くなったのです」
重秀からそう言われた秀一は黙り込んでしまった。重秀の言い分も一理あると思ったからだ。
ここで、重秀と秀一の会話を聞いていた正信が口を挟んでくる。
「なるほど。源四郎君をここに連れてこず、船に乗せたということは、つまりそういうことなのですな」
正信がそう尋ねると、重秀は「はい」と答えた。
「有り体に申せば、三河守様(徳川家康のこと)や梅雪様(穴山信君のこと)がどのように動くか分からなかったもので。疑うわけではないのですが、あの日向守様が謀反を起こす、ということ自体がありえない訳でして・・・」
「我等が源四郎君の身柄なり首を手土産に、日向守の元に走るのではないか?と思われたわけですな」
正信がズバリと言ってきたので、重秀は思わず「そうですね」と応えてしまった。その瞬間、直政が「何だとぉ!?」と声を荒げた。
「我等がそのような卑怯な手を使うわけがない!見くびるな!」
直政がそう言って立ち上がると、上座に座っていた家康が「万千代!落ち着け!」と大声を上げた。
直政はもちろん、重秀達も思わず家康の方を見ると、家康はさっきとは打って変わって穏やかな声で話し出す。
「・・・ありえぬ仕儀が起きたのだ。ありえぬことを想定し、それに対処するのは当然だ。それに、羽柴殿は三位中将様の命を受けてそれを実行したに過ぎぬ。それで我等が怒りを覚えるのは筋違いであろう」
家康の言葉を聞いた直政は「ははっ」と言うと、重秀に向かって頭を下げる。
「ご無礼仕った。平にご容赦を」
直政がそう言うと、重秀は「いえ」と言って頭を下げた。そして頭を上げると、顔を正信に向ける。
「・・・実は先程から気になっていることがございます。吉助殿が堺に来たのは昼をだいぶ過ぎてからです。それからしばらくして、京に滞在中の小西隆佐殿の使者が京での異変を報せてきました。吉助殿の報せでも隆佐殿の急使の報せでも、上様の討死や殿様の敗北については不明でした。
・・・徳川の方々はよくそこまで詳しい事をご存知でしたね?」
重秀がそういった瞬間、徳川家臣達が明らかに動揺した。ただ、家康と正信だけは落ち着いた様子であった。そんな中、正信が口を開く。
「・・・そこに気がつくとは、さすがは『今孔明(竹中重治のこと)の一番弟子』ですな。どこで気がつきましたか?」
「彦右衛門殿が上様の討死を伝えた時に疑問に感じておりました。その後、本多殿と榊原殿の言葉で一旦は納得したのですが、茶屋殿の『殿様は将兵共々討ち取られた』という言葉に引っかかりました。
・・・先程申し上げた通り、私に報せを持ってきたのは殿様の家臣である吉助殿です。彼が京を発した時、未だ惟任勢との戦は始まっていなかった、と聞いています。そんな吉助殿よりも詳しい報せを徳川方が知っていたことに、私はより疑問を持ったのです」
重秀がそう言うと、四郎次郎が「お待ち下さい」と声を掛けた。
「確かに私共は詳しい報せを聞いておりました。しかしそれは京にある私めの店や屋敷から常に使いが堺にやってきているからにございます。それ故、京の新しい報せが入ってくるのです」
「・・・京に滞在中の堺の商人、小西隆佐殿からの使いの者の話によれば、京の東と南は惟任勢の兵によって塞がれつつあった、と聞いています。特に、京の南にある鳥羽の地には、惟任勢が駐屯していたとの話もありました。そんな状態で、よく何人もの使いを堺に送り込めますね」
重秀がそう言うと、康政が厳しい視線を投げながら重秀に言う。
「・・・何が言いたい?」
「先程から思っていたのですが、徳川様方は上様と殿様がすでに亡くなっていることを前提に話されておりました。織田家中の者ですら把握しきれていない話を、いくら盟友たる徳川様とはいえ、そこまでよく知っているな、と思ったものでして・・・」
そう言った重秀の頭に、何かがはらりと舞い降りた。それは、それまでぼんやりとした疑問を、一気にはっきりとさせるものであった。
「・・・まさか」
重秀はその先を言おうとした。しかし、それを口にすることは危ないのではないか?と重秀は本能的に思った。
そんな重秀の様子を見た正信が、面白そうに話しかける。
「如何なされた?羽柴の若君。ひょっとして、今までの彦右衛門や四郎次郎の話はすべて偽りで、真は我等が惟任日向守と繋がっており、そこから報せを受け取っていると考えられましたかな?」
その瞬間、場の空気が固まった。




