第272話 本能寺の後(その3)
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天正十年(1582年)六月二日。京の本能寺にいた織田信長と妙覚寺(後に二条新御所に移動)にいた織田信忠は、明智光秀率いる軍勢の襲撃を受けた。結果、織田信長と織田信忠は死亡。更に織田政権を担うはずであった能吏達もことごとく戦死した。俗に言う本能寺の変である。
本能寺の変では、明智光秀は信長と信忠の死骸を発見することに失敗している。二人共燃え盛る建物の中で自刃しており、その亡骸は焼失してしまったものと思われる。例え残っていたとしても、他の焼死体と区別することは当時の検死技術では不可能であり、その判別は無理であっただろう。
そのため、信長・信忠親子の生死の確認ができなかった光秀は、洛中とその周辺で大規模な残党狩りを行った。結果、追い詰められて自刃した織田家臣が多く発生した。また、明智の兵に捕まって首を刎ねられた者もいた。
そしてその中には、信忠が各地に派遣した急使も含まれていた。光秀にしても自分が起こした謀反を他の織田家重臣に畿内を掌握する前に知られるのは都合が悪い。そのため、およそ怪しい者は捕縛するか殺害していった。
ただ、すべての急使を捕縛もしくは殺害するのは不可能であった。そもそも、信長の弟である織田長益や、信忠の家臣で信忠の最期を看取った鎌田新介といった者達も京からの脱出に成功している。
そして、光秀にとって想定外だったのは、京には織田家重臣や諸大名と結びつきの深い商人達が多くおり、これらの商人達が独自のルートを使って懇意としている織田家重臣や諸大名に今回の事変を伝えていたことであった。
結果、この事変は早急に各地に知られることになる。
安土の前田屋敷にいた前田利勝(後の前田利長)が、京での事変を知ったのは、六月二日の昼頃であった。彼が本能寺の変を知ったのは、偶然の賜物であった。
利勝が安土に来たとき、付き人として前田利益も安土に来ていた。彼は利勝が安土で堀秀政や蒲生賦秀達の手伝いをしている間、暇を持て余していた。そこで、昔住んでいた京に行き、馴染みの女や悪友達と遊んでいた。
六月二日の未明。本能寺で異変が起きているのに気がついた利益は、しけこんでいた女の家から裸で飛び出すと、そのまま本能寺へと向かった。そこで明智の兵が本能寺を襲撃しているところに出くわした。
利益は驚いてすぐに女の家に戻ると、そこら辺に脱ぎ散らかしていた着物を適当に羽織り、家の前に繋いでいた馬に乗って京から脱出した。そして一目散に安土へ向かうと、そのまま安土城内にある前田屋敷に乗り込んだ。
「・・・惟任日向守様(明智光秀のこと)の兵が京の本能寺を襲っている?何を言ってるんだ、慶次殿(前田利益のこと)」
女物の着物を乱暴に着込んでいる利益から話を聞いた利勝は、呆れたような顔つきでそう言った。
ふざけた格好でふざけた事を抜かしている利益の言う事を信じなかった利勝。しかし、そんな利勝の元に、今度は前田屋敷の向かい側にある羽柴屋敷から小出秀政がやってきた。
「あ、あの、京の羽柴屋敷より火急の使者がありまして・・・」
そう言うと秀政は利勝に京の本能寺が明智の兵によって襲撃されていることを伝えた。
「・・・詳しい話はまだ分からないのですが、前田様にはそのような報せは入っておりませぬか?」
羽柴の盟友たる前田なら何か知っているだろうか?という気持ちで秀政は尋ねた。一方の利勝は顔面を青くした。そして利益の顔を見る。
「・・・え?真に?真に惟任様の軍勢が京を襲撃しているのか?」
「だからそう言っているだろうに」
利益の言葉に、利勝はただ混乱するばかりであった。しかし、状況が状況だけに、とりあえず蒲生賦秀にこの事を知らせることにした。
利勝から話を聞いた賦秀は、
「惟任様が京にて謀反を起こしている?何だその風邪で高熱を出して寝込んでいる時に見る夢のようは話は」
そう言って利勝の話を信じなかった。まあ、言った利勝本人が信じていないのだから、その言葉に説得力はなかった。
しかし、賦秀はふと岳父である信長が過去に浅井長政や松永久秀、荒木村重等に裏切られてきた過去を思い出した。そんな記憶に、賦秀はなんとも言えない不安感を生じさせた。
「・・・ありえぬとは思うが、一応父上にお報せしよう」
賦秀はそう言うと、利勝を連れて安土城二の丸の留守居役である蒲生賢秀に報せに行った。
賦秀から報された賢秀は、渋い顔をしながら賦秀達に伝える。
「・・・実は、京から二の丸御殿で使われる物を運んでくる行商人達が昼前に来る予定だったのだが・・・。その行商人達が一向に来ないのだ。彼等は安土城に入れるだけあって、信ずるに値する者ばかり。約束を違えることはないはずだ。ならば、何かあったのではないか?と思っていたところなのだ」
賢秀からそう聞かされた賦秀は、京で何か異変があったことを確信した。そこで父である賢秀に提案する。
「この安土には京から来る行商人や安土に戻ってきた商人達もおりましょう。そういった者達から話を聞いてみては如何でしょうか?」
賦秀の提案に、賢秀は「それは良い考えだ」と言って賛同した。そして、賢秀は安土城下の商人達のところに家臣達を派遣した。
結果、京からやってきた、もしくは戻ってきた行商人達から京での異常事態が数多く報告された。しかし、その内容は全部が全部違っていた。
「京で大きな火災があった」
「京で地震が起きて建物がすべて倒れた」
「一向門徒が暴れていた」
「公方様(足利義昭のこと)が毛利の軍勢と共に京に攻め込んできた」
「惟任様の軍勢が放火していた」
「巨人がやってきて人を食べた」
「南蛮人が軍勢を率いて御所を焼いた」
「上様が女を寝取ろうとしてその夫に刺された」
こんな報告が賢秀の元に集まった。賢秀はどれが本当なのかが判断しかねたが、京で大規模な異変が起きたことだけは確認できた。
「・・・とりあえず、他の留守居役と相談の上、こちらから使者を遣わし、上様(織田信長のこと)と殿様(織田信忠のこと)の安否を確かめよう。
・・・忠三郎(蒲生賦秀のこと)は引き続き京について調べるように」
賢秀は賦秀にそう言うと、安土城の本丸へと向かっていった。その直後、安土城に信忠の放った急使が安土城に到着する。
「惟任日向守様謀反!上様が滞在していた本能寺は焼け落ち、上様は行方不明となっております!そして、殿様は妙覚寺より二条新御所に移動!惟任勢と戦っております!」
急使から話を聞いた賦秀は、すぐに急使を本丸にいる賢秀の元に連れて行った。本丸で急使から話を聞いた賢秀以外の留守居役達は、その報告を素直に受け取らなかった。
「・・・あの惟任日向守様が謀反?ありえぬであろう」
「惟任日向守様は織田家の重臣にして上様の寵愛を受けた者。そのような者が謀反などありえない」
「まだ上様が女を寝取ろうとして刺された話が信じられる」
そう言った声が上がる中、賢秀は口を開く。
「・・・各々方。京からやってきた行商人共が京にて何らかの異変が起きていることを訴えておる。また、殿様の急使が虚言を吐くとは考えられぬ。ここは、万が一に備えるがよろしいかと」
賢秀がそう言うと、他の者達は一斉に唸り始めた。その中の一人が賢秀に話しかける。
「・・・して、我等は如何すべきとお考えか?左兵衛大夫殿(蒲生賢秀のこと)」
「より詳しく京の様子を探るべきと存ずる。特に上様と殿様の安否を確かめるべきであろう。ここは安土から物見を、しかも多く出すべきかと。それと、この安土城でも戦の準備を。最悪、上様のご家族をお移しする必要があるやもしれぬ」
「・・・移すとは、どこに?」
「岐阜城か清洲城か。もし時がなければ、我が日野城にてお匿い致しもうす」
こうして安土城では賢秀を中心に、京で起きた異変に対処することになった。そして、その対処には賦秀と利勝も当然の如く駆り出されることになった。
「・・・上様と殿様はご無事なのでしょうか?」
利勝が賦秀に不安げにそう言うと、賦秀は「案ずることはない」と利勝を安心させるように言う。
「上様は金ケ崎の戦いにて一目散に逃げられた。此度も京から逃げ出しておるやもしれぬ。きっとご無事であろう」
楽観的な口調でそう言った賦秀に、利勝が不思議そうな顔で尋ねる。
「・・・随分と落ち着いていられますな、義兄上」
「・・・有り体に申さば、実感が湧かぬのだ。あまりに浮世離れした話故、どこか遠くの話のように思えるのだ。
・・・ただ、万が一上様と殿様の御身に何かあれば、織田家が、いや天下がひっくり返ることになる。が、もしそうなった場合の事があまり考えられない・・・、いや、考えたくもないのだ」
賦秀の言葉に、利勝も頷いた。利勝自身、あまり頭を動かしたくない、と考えていた。今までいて当然だった事実上の天下人たる織田信長も、織田家当主であり信長の後継者たる織田信忠も、いきなりいなくなったと言われて素直に受け入れるには、あまりにも大きな出来事だからだ。
だから利勝は自分の頭が許容できそうな問題を考えることにした。それは自身の身の振り方ではなく、幼馴染の安否であった。
「・・・藤十郎は大事ないでしょうか?」
利勝の言葉に、賦秀は首を横に振る。
「・・・分からぬ」
深刻そうな顔でそう言う賦秀。その様子を見た利勝は、重秀の無事を祈らざるを得なかった。
安土城内にて動揺が広がっている頃。重秀は堺にある小西隆佐屋敷に滞在していた。そして、重秀の元には一人の客が訪れていた。
客の名は渡辺守綱。徳川家家臣で『槍の半蔵』という二つ名を持つ猛将であった。
彼が重秀の元にやってきたのは、別に重秀に会いたかったわけではなかった。彼の目的は加藤茂勝(のちの加藤嘉明)に会うことであった。
「おお、貴殿が岸三之丞殿(加藤教明のこと)の御子息か。確かに、お父上に似ていらっしゃる」
重秀に呼び出されて『村雨丸』から小西隆佐の屋敷に来た茂勝に、守綱が相好を崩しながらそう言った。しかし、茂勝は守綱のことを認識できなかった。
「・・・あの、どちら様っ・・・でございますか?」
茂勝の疑問に答えたのは守綱ではなく重秀であった。
「こちらは徳川家家臣、渡辺半蔵殿(渡辺守綱のこと)。三之丞の知り合いらしい」
重秀がそう言うと、守綱は茂勝に自身のことを語り始めた。
渡辺守綱は摂津源氏の渡辺綱の子孫を称する三河渡辺家の出である。代々松平氏に仕えていた三河渡辺家出身の守綱は、当然松平家に仕えた。そして同じ歳の徳川家康に16歳で仕えると、17歳で初陣を飾った。その後は敵将を討ったり殿軍を務めたりして武名を挙げていた。
ところが永禄六年(1563年)、三河一向一揆が勃発すると、一向門徒であった三河渡辺家は尽く家康から離反。守綱も一揆側について家康方と戦った。
三河一向一揆が鎮圧されると、三河渡辺家は離散することになったが、守綱とその弟(渡辺政綱のこと)は平岩親吉の仲裁によって徳川家に再帰参した。
「その一向一揆の際、共に戦ったのが三之丞殿。すなわち貴殿の父上であった。一揆の後、三之丞殿は家族共々三河より姿を消してしまった。その後について案じていたのだが、弥八郎殿(本多正信のこと)が三河に戻った際に三之丞殿が近江にて羽柴様にお仕えしている、と聞いてな。もし羽柴の家の者に会ったら三之丞殿とその御子息について尋ねようと思っておったのだ。
運良く羽柴様とこうしてお会いすることができ、三之丞殿についてお尋ねしたところ、御子息が堺に来ていると聞いてな。ぜひ一目お会いしたいと無理を承知でお頼みもうした」
守綱がそう言うと、茂勝は「そうでしたか」と言って納得するかのように頷いた。
「父は今は北近江の羽柴領にて代官を務めております。今でも息災で役目を果たしておりまする」
茂勝がそう言うと、守綱は「それは重畳至極」と満足そうに頷いた。守綱が更に話す。
「しかし、あの時の赤子がこのように立派になっていたとは。羽柴様からお聞きしたが、船軍で兜首を挙げるほどの勇士となったと聞いた。有り体に申さば、あの赤子が?と疑っていたが、こうしてお会いして確信した。確かに勇士と言われるだけの面構えだ」
守綱からそう言われた茂勝は照れるように笑いながら応える。
「いやぁ。そう言われるのは恐縮なのでございますが、羽柴には多くの勇士がおります。若殿にも伊右衛門殿(山内一豊のこと)や市兵衛殿(福島正則のこと)、虎之助殿(加藤清正のこと)といった者がおりますれば、拙者なんぞはまだまだでございます」
「何を言われるか。まだまだ貴殿は若い。これからも武勲を挙げる機会はござろう」
守綱がそう言うと、続けて重秀も話し始める。
「そうそう。毛利にはまだまだ名だたる武将が多いんだ。武功を挙げる機会はまだあるさ」
重秀がそう言うと、その場の者達は明るく笑った。そんな重秀達がいる部屋の外から、誰かが声をかけてきた。それは小西隆佐の長男の小西弥十郎(のちの小西如清)であった。
「申し上げます。渡辺様に徳川様からの使者が来はりました」
弥十郎がそう言った直後、一人の若い武士が部屋に入ってきた。そして守綱の傍まで来ると、守綱に耳打ちした。
「・・・やはり、真のことであったか・・・」
守綱が眉間にしわを寄せながらそう言うと、若い武士は黙って頷いた。守綱が重秀の方を見ると、頭を下げながら重秀に言う。
「・・・羽柴様。ご無礼かと存じますが、主命により急遽戻らねばならなくなりました。ここでお暇させていただきとう存ずる」
守綱の様子に訝しりながらも、重秀は「あ、ああ」と答えた。守綱は続いて茂勝にも声を掛ける。
「孫六殿(加藤茂勝のこと)、会うことができて良かった。貴殿の武運、同じ三河武士として祈っておるぞ」
そう言った守綱に、茂勝は「はっ!」と言って頭を下げた。守綱はそれを見るとそそくさと部屋を出ていった。
「・・・半蔵殿(渡辺守綱のこと)はどうされたんですかね?」
頭を上げた茂勝が重秀にそう言うと、重秀は「さあ?」と首を傾げるだけだった。
そんな二人の元に、今度は加藤清正が駆け込んできた。
「長兄、長兄!すぐに湊へ来てくだされ!」
「どうした虎(加藤清正のこと)。そんな慌てて。・・・まさか船に何かあったのか!?」
堺の湊で羽柴水軍の船団を管理していた清正が慌てて駆け込んできたことに、重秀は軍船に何かあったのでは?と考え、清正に尋ねた。
しかし、清正からの回答は重秀の予想とは違っていた。
「い、いいえ。船には何もありませぬ。それよりも、湊に伊右衛門殿(山内一豊のこと)の弟、っていう者が来ておりますが・・・。その者が言うには、『殿様(織田信忠のこと)より密命を伝えに来た』と言っております」
「伊右衛門の弟・・・?ああ、吉助殿(山内康豊のこと)のことかな?確か、殿様に仕えていると聞いたことがあるが・・・」
「そうそう。確かに山内吉助と名乗っておりました」
清正が重秀にそう応えると、重秀は「相分かった」と頷いた。
「殿様の密命を伝えに来たのであれば、聞きに行かなければならぬな」
そう言って立ち上がった重秀。そんな重秀に茂勝が「待ってください」と声を掛けてきた。
「わざわざ若殿が行くことはないっす。この小西屋敷に呼びつければいいっす」
「いや・・・。実は吉助殿は怪我を負っている。生命に関わることではないのだが、京から休まずにこちらに来たせいか、体力を消耗している。湊からこちらに連れてくるのは難しい」
清正が茂勝にそう応えると、重秀が茂勝に言う。
「そういうことならば仕方がない。こちらから出向こう」
そう言うと茂勝は「ははっ」と言って頭を下げるのであった。
堺の湊には船乗り向けの宿屋が軒を連ねていた。そのうちの1軒を羽柴水軍が貸し切りにしていた。羽柴水軍の兵や水夫達を交代で陸で休ませるためである。
その1軒に入った重秀達は、京からやってきた山内康豊のいる部屋に入った。そこで目にしたのは、福島正則とその家臣から手当を受ける康豊であった。
頭に包帯を巻き、上半身裸の状態で怪我の手当を受けていた康豊。体中に大小の怪我を負い、完全に脱がされていない着物はところどころ破けていたり汚れていた。それはまるで、戦場から命からがら逃げてきたような姿であった。
「・・・吉助殿。羽柴の若殿でござる」
重秀が入ってきたことに気がついた正則が康豊にそう耳打ちすると、康豊は着物を着直し、姿勢を正して平伏する。
「お見苦しいところをお見せして申し訳ございませぬ。拙者、三位中将様(織田信忠のこと)にお仕えする山内吉助と申しまする。突然の訪問、ご無礼かと存じまするが平にご容赦を」
「構わない。貴殿のことは伊右衛門から聞いている。で、殿様よりの密命を伝えに来た、と聞いたが?」
上座に座った重秀がそう尋ねると、康豊は「はっ」と言った後、黙ってしまった。周りを気にするような様子を見せた康豊に、重秀が話しかける。
「ここにいる者はすべて羽柴の譜代。皆、信の置ける者達だ。遠慮なく言ってくれ」
重秀の言葉に、康豊は「これはくれぐれもご内密に」と前置きすると、小声ながらもはっきりとした口調で言う。
「本日未明、惟任日向守様謀反。上様がお泊りしていた本能寺を襲撃いたしました」




