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大坂の幻〜豊臣秀重伝〜  作者: ウツワ玉子
兵庫編

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第271話 本能寺の後(その2)

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 二条新御所から誠仁親王とその家族、宿直の公家衆達が徒歩で脱出していた頃、明智光秀は馬廻衆を引き連れて、焼け落ちた本能寺の境内に入った。


「殿(明智光秀のこと)。今のところ上様(織田信長のこと)と思しき亡骸は発見できておりませぬ」


 本能寺に残っていた藤田行政が光秀にそう伝えると、光秀は唇を噛み締めた。


「まさか、逃げ出したのではあるまいな・・・?」


「いえ、それはないかと。寺から逃げ出した者はすべて女か商人か僧侶。すべてを見分いたしましたが、上様どころか、武士らしきものは全くおりませんでした。

 また、寺から逃げ出した僧侶を尋問したところ、本能寺には外へ出るための地下道などはない、と申しておりました」


 行政の報告に、光秀は「相分かった」と頷くと、「誰か!」と声を上げた。馬廻衆の一人が近寄ると、光秀はその者に命じる。


「鳥羽に残した庄兵衛(溝尾茂朝のこと)に伝えよ。鳥羽に残りし兵を率いて京に来い、と」


 光秀の命を受けた馬廻は、「承知!」と言って駆け出した。それを見ていた行政が光秀に尋ねる。


「ぜ、全軍を呼び寄せるおつもりでございますか?摂津や大坂からの援軍を防がなくてよろしいのでございますか?」


「それより京に全軍を入れて上様・・・信長の捜索と殿様・・・信忠を討たねばならぬ。信長と織田家当主の信忠が死んだことが分かれば、大坂や摂津は動揺し、儂に与するであろう。惟住(丹羽長秀のこと)や紀伊守(池田恒興のこと)は無理でも、高山右近(高山重友のこと)や中川瀬兵衛(中川清秀のこと)、七兵衛殿(津田信澄のこと)は儂に与するやもしれぬ。特に、七兵衛殿は我が女婿むすめむこ。儂の味方になってくれるだろう。それに、筒井順慶殿や長岡兵部大輔殿(長岡藤孝のこと)とは懇意の仲。信長が死んだことが分かれば、きっと儂にお味方してくれるに違いない。

 しかも、事前の報せでは源三郎(織田信房のこと)や源五郎(織田長益のこと)も一緒にいるらしい。これらも討たねば、畿内の者共は儂を認めはせんだろう。

 ・・・それ故、我が全兵力を以て京を掌握し、信長の発見と信忠を討つことに全力をあげねばならぬ」


 光秀がそう言うと、行政は「承知しました」と言って頭を下げた。そんな二人の元に、斎藤利三からの伝令が走り寄ってきた。


「申し上げます!三位中将様(織田信忠のこと)が籠もる二条新御所を包囲いたしました!東宮様(誠仁親王のこと)はすでに新御所より出ていかれたとのことにございます!」


 伝令の報告に、光秀は「相分かった!」と声を上げた。


「すぐに戻って内蔵助(斎藤利三のこと)に伝えよ!儂が合流するまで攻めるな、包囲を続けよ、と!」


 光秀がそう命じると、伝令は「はっ!」と言って光秀の元から走り去った。行政が光秀に尋ねる。


「殿。まさか御自ら指揮を執られるおつもりでございますか?」


「信長の死が明らかになっていない以上、信忠めの死は確実に明らかにせねばならぬ。鳥羽より呼び寄せた兵を内蔵助と左馬助(明智秀満のこと)の手勢と合流させ、儂の指揮の下で二条新御所へ攻め寄せる。信忠を確実に仕留めるぞ。

 ・・・伝五(藤田行政のこと)、ここは任せた」


 光秀がそう言うと、行政は「承知いたしました」と言って頭を下げた。





 誠仁親王が家族と近習の公家衆と共に退出した後、二条新御所はつかの間の静けさが支配していた。

 すでに信忠が指揮する織田の将兵達は、二条新御所の各場所で守りの体勢に入っており、外からの敵襲に備えていた。

 そんな中、新御所の中心部にて、信忠は斎藤利治と弟の織田信房、そして叔父の織田長益と共にその時を待っていた。


「・・・新五(斎藤利治のこと)、今何時(なんどき)だ?」


「そろそろ正午になる頃かと・・・」


「・・・東宮様が出ていかれて半刻ほどか。そろそろ攻めてきても良い頃だと思うのだが・・・。敵は一体何をしているのか」


 苛立つように言う信忠に、利治が宥めるように言う。


「もしかしたら、上様が密かに本能寺より抜け出した故、上様の後を追っているのではございませぬか?」


「だとしたらもっけの幸い。儂がここで敵兵を引き付けておけば、父上は京より抜け出せるな」


 信忠がさほど期待をしていない口調でそう言うと、利治は訝しりながらも信忠に言う。


「そのような機会、来るわけがないとお思いでは?」


 そう言われた信忠は「分かったか」と言いながら自嘲気味に笑う。


「あの日向が何ら手を打っていないとは思えない。ましてや畿内には明智の与力が多くいるのだ。おそらく、京の周辺はすべからく明智の兵に囲まれているだろうな。いくら父上でも脱するのは難しいかもしれぬ」


 そう言うと信忠の顔が暗くなった。利治が尋ねる。


「殿。如何なされましたか?」


「・・・父上は尾張の一領主から天下人にまでなられたお方。そのような父上ですら、このような仕儀になった。まさに諸行無常と言わざるを得ないな、と思ってな」


 信忠の話を聞いた利治は何も言えなかった。そんな利治に、信忠が話しかける。


「・・・しかし新五も災難だったな。本来ならば、加治田城にて所労(休養のこと)の最中だったのに。わざわざ儂を追って京にまで来なければ、このような目にあわずに済んだのに」


 信忠が苦笑しながらそう言うと、利治は「いえいえ」と首を横に振った。


「むしろ、こうして殿様の傍にて忠義を全うできるのです。無理して京まで来て良かったと思っております。

 ・・・それに、父である道三(斎藤道三のこと)が兄(斎藤義龍のこと)によって敗死した後、美濃斎藤家の再興に尽力された上様への御恩をお返しする時が来たのでござる。我が身を以て殿様をお守りし、そのこころざしを天下に見せつけとうござる」


 利治がそう言って笑った。その言葉に覚悟を見つけた信忠は、ただ「そうか」と笑いながら応えた。

 次に信忠は信房に声を掛ける。


「源三郎(織田信房のこと)、そなたも災難であったな。去年武田から織田に戻ったのに、このような仕儀に相成って」


 信忠が同情するような口調でそう言うと、信房も「いえ」と言って首を横に振った。もっとも、その顔色はあまり良くはなかったが。


 ―――せっかく武田の虎口から逃れたと思ったら、このような仕儀になってしまった。源三郎は誠に不憫よな―――


 織田信長の四男だった信房は幼名を御坊丸と呼ばれていた。御坊丸は元亀三年(1572年)に美濃国岩村城城主の遠山景任の養子として岩村城に送り込まれた。

 岩村城は美濃国と信濃国の国境を守護する重要拠点であった。そのため、信長は岩村城を影響下に置くために自身の叔母であるおつやの方を景任と結婚させていた。

 しかし、おつやの方との間に子を成す前に景任は亡くなり、岩村城主が不在となった。そこで、信長が将来の遠山家の当主として送り込んだのが自分の息子の御坊丸であった。

 岩村城でおつやの方の養育の下、御坊丸は育てられようとしていたのだが、同年十一月に武田家家臣の秋山虎繁に攻められて岩村城は降伏。おつやの方は虎繁の妻となった。そして養子となっていた御坊丸は武田への人質として甲府に送られた。

 御坊丸は甲府では人質として、一応大事に扱われた。特に武田勝頼からは大事に扱われた。これは別に勝頼が同情心から大事にしたわけではない。天正八年(1580年)以降、上杉謙信死去に伴う上杉家の後継者争いを原因とした北条家との対立に対応するため、勝頼は織田との和議を図ろうとしていた。そのため、御坊丸を交渉の切り札として大事に扱っていた。例えば甲府で元服した際、勝頼は自らの名から“勝”の字を与え、勝長と名乗らせた、と言われている。

 天正九年(1581年)、勝頼は織田に勝長を返還した。しかし、これで御坊丸の長い旅が終わったわけではない。信長は勝長の名を信房と名乗らせ、犬山城主にした後、翌年の天正十年(1582年)の甲州征伐の際には信忠麾下の武将として参加させた。つまり、信房は自分が育った甲府を攻めたのであった。

 実際のところ、信房自身は信忠軍の後方にいたため、本人自身が武田との戦闘を行うことはなかったが、その心中は如何ばかりであっただろうか。


 ―――武田は御坊を親身になって育てた、と聞いた。源三郎本人からも『武田では良くしてもらった』と聞いた。その武田を攻め滅ぼし、今度は織田の者として攻められるとは、乱世とはなんと無情なことか―――


 そんな事を思っていた信忠の耳に、鬨の声と鉄砲の発砲音が聞こえた。


「・・・始まったようですな」


 利治の言葉に、信忠は黙って頷くのであった。





 正午頃から始まった二条新御所での攻防戦では、信忠指揮の下、織田勢は果敢に戦った。その勢いは凄まじく、攻め寄せた明智勢を三度にわたって撃退した。

 武田攻めの際に森長可と先陣を務め、高遠城など多くの城を落とした猛将・団忠正をはじめ、菅屋長頼、福富秀勝、猪子平助、野々村正成、毛利良勝といった信長の家臣達―――現在は政治に関わっている者も多いが、もともとは信長の馬廻衆として戦場を駆け巡った歴戦の猛者達―――が、明智勢の前に怯むことなく戦っていた。

 また、1千5百人の兵もそのほとんどが信長や信忠、織田一門の馬廻衆であり、数多くの戦を経験した者達であった。その者達は信忠を護るため、そして信長の仇討ちを果たすため、士気はとても高く、少数ながらも多数の明智勢と互角に戦っていた。

 しかし、明智光秀が直接指揮を取り、なおかつ鳥羽にいた明智勢の主力が攻撃に参加すると、事態は明智方が優勢となった。

 光秀は二条新御所に隣接する近衛前久の屋敷に自身の兵を入れ、屋敷の屋根の上に鉄砲兵を配置して二条新御所へ発砲させた。高いところからの射撃は織田方に多くの死傷者を出し、その数を減らしていった。

 多くの戦死者が出る中、ついに信忠のもとへ悲報が届いた。


「団平八郎様(団忠正のこと)、お討ち死に!」


「菅屋久右衛門様(菅屋長頼のこと)、お討ち死に!御子息の勝次郎殿もお討ち死になされました!」


「猪子平助様、毛利良勝様、お討ち死に!」


「野々村三十郎様(野々村正成のこと)、お討ち死に!」


「福富平左衛門様(福富秀勝のこと)、お討ち死に!」


「村井作右衛門様(村井貞成のこと)、村井新右衛門様(村井宗信のこと)お討ち死に!春長軒様(村井貞勝のこと)ともう一人の御子息はご健在なり!」


 次々と信忠に報される家臣達の戦死報告。信忠は顔を歪めながらその報告を聞いた。


 ―――死んでいく。織田の、いや天下を担う有能な者共が死んでいく。これが、家が滅ぶということなのか。朝倉も浅井も、そして武田もこれを経験してきたのか―――


 口の中には何も入っていないのに、苦味を感じつつそう思った信忠。そんな信忠に、叔父である織田長益が話しかける。


「・・・殿様。これはいよいよ駄目かも知れませぬな」


 長益の言葉に、信忠は顔を顰めつつ「・・・そうだな」と言った。長益が話を続ける。


「惟任勢の兵の数を鑑みるに、どうやら増援が来たようにございます。恐らくは、この屋敷を十重二十重と囲んでおるのでしょう。もはや、逃げ出すことは難しいかと・・・」


「分かっている。あの戦上手の日向守だ。手抜かりはないはずだ」


 長益に対してそう答える信忠。そんな信忠に、長益が更に話しかける。


「・・・この源五郎。殿様を一人で死なせはさせませぬ。地獄の底までお供仕らん」


 長益の言葉に、信忠が思わず長益の顔を見た。そこには、死出の旅路へ向かう覚悟のできた武人の顔があった。それは、ちょっと頼りないが長年支えてきてくれた叔父が初めて見せる顔であった。


 ―――普段は飄々としていて、あまり真面目ではない叔父上がこのような顔をして死を覚悟しているとは。やはり、織田家の武人としての矜持をお持ちであったか。叔父上ですら覚悟ができているというのに、どうして儂が覚悟を決めぬ事があろうか?儂も、織田家当主として、恥ずかしくない最後を迎えよう―――


 そう思っていた信忠の耳に、「殿様」という声が入ってきた。意識を現実に戻した信忠が、声のする方へ顔を向けると、そこには信忠の小姓である下方弥三郎が立っていた。


「・・・弥三郎、その姿は・・・」


 信忠そう言いつつ息を呑んだ。弥三郎の姿は全身血まみれとなっていたからだ。特に、左足と腹からは多くの血を流していた。腹の傷からは内臓らしきものがはみ出しているのも見えた。


「・・・殿様。・・・申し上げます。又十郎様(織田長利のこと。信長の弟)、源三郎様(織田信房のこと)、お討ち死になさいました」


 口から血を吐きつつそう報せた弥三郎は、崩れ落ちるように膝をついた。信忠が弥三郎に駆け寄り、弥三郎を抱きとめる。


「・・・弥三郎。よく報せた。大儀である」


 信忠の言葉に、弥三郎は「もったいなきお言葉」と応えた。そして抱きとめた信忠から離れようと、信忠の身体を両腕で押し出す。


「・・・殿様。今までお世話になりました。まだ春長軒様が戦っております故、助太刀に行ってまいります」


 そう言いながら立ち上がる弥三郎。その目には、死を覚悟した決意がこもっていた。信忠がその目を見ながら言う。


「弥三郎。そなたはまさに勇鋭なり。今生で恩賞を与えることはできぬが、願わくば来世にて授けようぞ」


 信忠がそう言うと、弥三郎は笑って「有難き幸せ」と応えた。そして信忠の元から離れていった。


 それからしばらく経った後、再び報せが入る。


「春長軒様とその御子息(村井清次のこと)、お討ち死に!」


 京都所司代として織田と朝廷を結びつけていた村井貞勝の戦死報告を受けた信忠は、傍に控えていた斎藤利治に声をかける。


「・・・各地への急使はすべて京を脱しただろうか?」


「これだけ派手に立ち回ったのでございます。明智勢もこちらにしか注意を向けておらぬでしょう。殿様のお考え通り、明智の目を掻い潜って京を脱し、此度の事変を各地に伝えておりましょう」


「・・・しかし、相手はあの日向守(明智光秀のこと)。目敏い彼奴きゃつならば、我等の急使を捕まえることは造作もないのでは?」


「京の道は多く、そして狭く入り組んでおります。いくら明智が目敏くても、そのすべてを抑えるのは難しいと存じまする。急使は京を脱したものと思われまする」


 利治の言葉に、信忠は「そうか」と微笑んだ。


「それならば、各地の重臣共に此度の事変は伝えることができるな。まあ、羽柴や柴田、滝川といった遠国の者達はどうしようもないが、近場の池田や三七(神戸信孝のこと)や惟住(丹羽長秀のこと)ならば明智を討ち果たすことができるであろう。儂や父上の仇を討ち、織田の天下を保ってくれることを願おう」


 そう言う信忠に、利治は涙を流しながら訴える。


「・・・拙者は口惜しゅうございます。本来ならば、天下の主は殿様であるはずなのに、殿様は逃げることなくこの場にて果てようとなされていなさる。やはり、急使達に紛れてお逃げなされるべきであったと拙者は考えまする」


 利治の訴えに、信忠は首を横に振って応える。


「それは前にも申したであろう。父上を守れず、帝がおわす京にて重臣の謀反を抑えることもできず、畏れ多くも東宮様を歩かせたもうた。儂は織田の家名に泥を塗った。これで明智の兵に捕まるなり殺されては、儂の名は地に落ちたも当然だ。せめて武士らしく、名を惜しむべきであろう。これ以上儂に汚名を着させるな」


 信忠の言葉に、利治は涙を流しながら黙って頷いた。信忠が同じく傍に控えていた鎌田新介に声を掛ける。


「新介。儂が腹を切ったら介錯を頼む。そしてその後は儂の首を床下に隠し、火を放て。敵に儂の亡骸を渡すでないぞ」


 信忠がそう言うと、新介は嗚咽しながらも「承知いたしました」と頷いた。それを見ていた信忠は思う。


 ―――これでよい。あとは織田家当主として潔く死すのみ。悔いはない・・・。と言いたいところだが、一目でも松姫(武田信玄の娘。織田信忠の許嫁)に会いたかった―――


 そう思った瞬間、信忠の胸中に急に悔悟の念が広がる。


 ―――できれば、皆と日本ひのもとを平定したかった。いや、日本だけではない。武蔵(森長可のこと)を陸の総大将、藤十郎を海の総大将とし、日本六十余州の軍勢があれば、蝦夷や琉球、更に海の向こうの異国へも攻め込むことができただろうに・・・―――


 やってみたいことが急に思い浮かんだ信忠は、思わず顔を顰めた。この期に及んで生きたいという気持ちになった信忠は、その想いを振り払うように首を横に振る。


 ―――今更言っても詮無きことよ。今はただ儂と織田の名が汚されぬよう潔く腹を切るのみ―――


 そう思いながら、信忠は御殿の奥へと消えていった。


注釈

織田信房の諱について、小説内では『勝長』から『信房』へ変わった、としている。しかし、一説によれば甲斐で元服した際の諱が『信房』で、安土に戻ってから『勝長』と変わった、とも言われている。

この場合、『信房』の“信”は信長の“信”ではなく、武田家の通字である“信”だと考えられている。

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この世界線でも松姫と夫婦には無れんかったか・・・
合掌
天晴
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