第270話 本能寺の後(その1)
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天正十年(1582年)六月二日。京の二条衣棚にある妙覚寺には、京見物をしていた徳川家康と穴山信君を案内していた織田信忠が逗留していた。妙覚寺には信忠だけではなく、叔父で補佐役の織田長益、弟の織田信房といった織田一門を始め、福富秀勝といった信長の奉行衆、斎藤利治、団忠正といった信忠直属の家臣や与力が滞在していた。
その日の辰の刻(午前5時頃から午前7時半頃)。すでに起きている信忠は、朝の身支度を小姓達の手伝いで整えた後、朝食を取ろうとしていた。そんな信忠の元に、一人の家臣が部屋に走って入ってきた。
「と、殿様!」
「どうした?吉助(山内康豊のこと)。そんなに慌てて」
信忠が駆け込んできた家臣―――山内康豊にそう尋ねると、康豊は片膝をついて跪き、肩で息をしながら報せる。
「も、申し上げます!南の方で火の手が上がっております!どうやら、本能寺のあたりからと思われます!」
「な、何だと!?すぐに物見を遣わせ!父上のご無事を確かめるのだ!」
信忠がそう声を上げると、康豊はすぐに信忠の元から走っていった。直後、今度は信忠家臣の一人である鎌田新介が慌てた様子で走ってきた。
「も、申し上げます!春長軒様(村井貞勝のこと)とその御子息方がお越しでございます!何やら、火急の要件があるそうでございます!」
春長軒こと村井貞勝は、京都所司代として信長と朝廷を長年結びつけてきた。天正九年(1581年)に長男の村井貞成に家督を譲っていたが、朝廷との交渉を引き続き担当していた。
「春長軒が?相分かった。すぐに通せ」
貞勝が来たことに訝しりながら信忠がそう言うと、新介はすぐに立ち上がって去っていった。そして、しばらくして貞勝と息子の貞成、そして貞勝の弟である村井宗信と、貞勝の次男である村井清次を連れて戻ってきた。
信忠の前に来た貞勝達の姿を見た信忠は驚いた。なぜなら、貞勝達の服装は乱れ、所々が汚れていたからだ。京で公家や豪商相手に交渉をしている貞勝とその家族は、交渉相手に田舎者と舐められぬよう、服装にはとても気を使っていた。しかし、そんな服装の乱れも気にせずに信忠の元へやってきた貞勝達の様子に、信忠は異常事態を察した。
「春長軒、如何致した?そなたにしては珍しく取り乱しているようだが?」
そう言ってきた信忠に対し、普段冷静沈着な貞勝が狼狽えながら話し始める。
「も、申し上げまする!本日未明、本能寺が、本能寺が襲われましてございまする!」
「な、何だと!?」
貞勝の言葉に、信忠が思わず声を上げた。近くにいた新介も驚愕の表情を顔に浮かべていた。貞勝が更に話を続ける。
「異変を聞きつけ、それがしも作右衛門(村井貞成のこと)や新右衛門(村井宗信のこと)と共に手勢を率いて本能寺へと参りましたが、本能寺は数千の兵に取り囲まれおり、外から包囲を破ることできませぬ。やむを得ずこの妙覚寺へと参った次第にございます」
「数千の兵じゃと!?どこの兵か!高野山か!?」
天正九年(1581年)より、織田家は高野山との軍事衝突に踏み切っていた。当初は岸和田城城主の織田信張が総大将となって高野山との戦いを指揮していたが、途中から神戸信孝が総大将となっていた。しかし、信孝が今度は四国攻めの総大将になったため、高野山攻めは一旦中止となっていた。
織田家に敵対する勢力で、京に一番近いのは高野山だったため、信忠は高野山が京に攻めてきたと勘違いしたのだった。
しかし、貞勝がそれを否定する。
「いえ、高野山ではございません。兵達は旗指し物を少ししかつけておらず、確かめるのに手間取りましたが、旗指物は水色桔梗の紋でございました」
貞勝が無念そうな表情でそう言うと、信忠は唖然として呟く。
「水色桔梗の旗指物・・・。まさか、惟任日向守(明智光秀のこと)か・・・?」
信忠がそう言うと、貞勝は黙って頷いた。信忠はしばらく黙っていたが、そのうち肩を震わせて両手を握りしめた。そして大声で叫ぶ。
「おのれ惟任日向っ!父上より大恩を受けながら反旗を翻すとはっ!鬼畜にも劣る所業なりっ!」
そう叫ぶと信忠は「新五(斎藤利治のこと)、新五!」と側近の斎藤利治を呼んだ。すると、利治が前田玄以と団忠正を連れてやってきた。どうやら利治達も本能寺での異変に気がついたようだった。
「殿様!何やら異変が起きておりまする!」
「分かっている!惟任日向守が謀反を起こした!これより父上を助けに参るっ!すぐに兵を集めよっ!」
信忠の言葉に、利治達が驚きの表情を顔に浮かべた。しかし、すぐに表情を引き締めると、「御意!」と言って信忠の元から去ろうとした。そんな中、貞勝が大声を上げる。
「あいやしばらくっ!殿様っ!本能寺を襲ったのが戦上手の惟任日向であるならば、多少の兵を送ったところで勝ち目はありませぬ!ここは、殿様の生命を護ることを優先すべしっ!」
貞勝の発した言葉に、信忠だけではなく周囲の者達も唖然となった。そして、貞勝の言った意味を理解した信忠が、大声を上げる。
「そ、それでは父上を見殺しにしろと申すのか!?」
「もはや上様の命運は尽きておりまする!無駄に兵を失っては、殿様までのお生命すらも危うくなりまする!」
「黙れ!まだ間に合うかもしれぬのに、ここで父上を助けられなければ、儂の面目が丸つぶれではないか!万が一、父上が助かっていたら、儂は父上を見捨てたとして父上からお叱りを受けるではないかっ!」
信忠の言葉に、貞勝がさらに反論しようとした時だった。信忠の元に、物見を出していた康豊が駆け込んできた。
「申し上げます!物見からの報せでは、殿様、本能寺はすでに全ての建物が火に包まれているということ!さらに、敵兵によって多くの脱出者が捕らえられております!」
「そ、その中に父上はいたか!?」
「い、いえ。物見は確かめようと試みましたが、近寄れずにいたとか。ただ、遠目から見たところ、女人と僧、そして商人らしき姿しか見ておらぬとのこと!」
康豊の報告に、信忠は顔を顰める。
「・・・父上が女人に紛れて脱したとは考えられぬか・・・」
「例えそうだとしても、あの日向が見逃すはずはないと考えまする」
貞勝がそう言うと、信忠だけでなくそこにいた者達全てが絶望の面持ちになった。もはや、織田信長は助からない、と。
皆がそう思っている間にも、信忠のいる場所には次々と人が集まってきていた。その中には叔父の織田長益や弟の織田信房、そして福富秀勝なども含まれており、皆が不安げな顔つきをしていた。
そんな中、額に汗を滲ませた信忠が苦しげに呟く。
「・・・今から本能寺に向かい、逆臣惟任日向を討って父上のご無念を晴らすことは・・・」
「あの日向を討つには我等の手勢のみでは難しいかと・・・」
「それに、物見の報せでは日向の姿が見えなかったとのこと。恐らく、別のところに陣を構えているものと思われまする」
貞勝と康豊がそう言うと、信忠が両目をきつく閉じ、思いっきり唇を噛み締めた。唇から血がにじみ出ている中、しばらく黙っていた信忠が両目と口を開く。
「・・・やむを得ぬ。兵を集め、この妙覚寺に籠もって援軍を待つ!」
信忠がそう言うと、貞勝が「お待ちくだされ!」と声を上げた。
「この妙覚寺は守り難き寺でございます!ここは、一刻も早う逃げ出し、安土へお戻りになったほうがよろしいと存じまする!」
貞勝の提案に、前田玄以が「賛同いたしまする!」と声を上げた。しかし、信忠が大声で返す。
「馬鹿なっ!儂に敵から逃れよと申すか!父上の仇も討てず、尻尾を巻いて逃げよと申すか!」
「逃げることは恥なれど、生きておれば雪ぐことはできまする!去る元亀元年(1570年)、金ケ崎での戦では、朝倉と裏切った浅井に挟まれた上様は、一目散に京にお逃げあそばされました!しかし、その後朝倉と浅井の両家を滅ぼし、過日の恥を雪ぎなされました!ここは上様の例に習い、後日の雪辱に備えるべし!」
貞勝がそう言って説得したが、信忠は首を縦に振らなかった。
「・・・相手は惟任日向だぞ?あの者は名うての戦上手。儂を逃さぬように軍勢を配置していることぐらいはしておるだろう。京から逃れるのは難しいやもしれぬ。
・・・逃げて雪辱できるなら逃げることも厭わぬ。だが雑兵の手にかかって死ぬは恥の上塗りになるぞ・・・」
信忠がそう言って悩んでいると、それまで黙っていた貞成が声を上げる。
「しからば、隣の二条新御所へお移りになられては如何でございますか?あそこはこの妙覚寺よりは守りは固とうございます。二条新御所にて籠城して援軍・・・、京近辺の味方が来るまで待たれては如何でしょうか?摂津には池田紀伊守様(池田恒興のこと)がおられますし、大坂には神戸侍従様(神戸信孝のこと)や惟住様(丹羽長秀のこと)の軍勢もおりますれば、いづれ助けに来てくれるものかと」
二条新御所(二条御新造とも言う)とは、織田信長が京に滞在するために造った自分の屋敷である。屋敷といっているが、石垣に塀、そして水堀を備えたちょっとした城になっていた。そのため、防御力は妙覚寺よりも格段に優れていた。
ただし、二条新御所は天正七年(1579年)に信長から東宮である誠仁親王へ献上されており、今では東宮御所として機能していた。当然、信忠もその事は知っていた。
「・・・そうなると、東宮様(誠仁親王のこと)を巻き込んで戦うことになる。東宮様を盾に戦をしたとなれば、儂の外聞は著しく害される。それは避けたい」
「しからば、東宮様には内裏にお移りあそばしてもらいましょう。ちょうど二条新御所の北には前相国様(近衛前久のこと。当時は前太政大臣だった)の屋敷がございますれば、前相国様に東宮様を内裏までお移しいたすよう、お頼み申し上げましょう」
貞勝がそう言うと、信忠は「それでいこう」と頷いた。そして信忠が決意するように声を上げた。
「よしっ!我等はこれより二条新御所へ移るぞ!日向の兵が来る前に、急げっ!」
信忠がそう大声を上げると、皆が「応っ!」と声を上げた。
信忠が兵を引き連れて二条新御所に移ったことは、すぐに京の街中に知れ渡った。そのため、信長の吏僚でありながら本能寺に泊まっていなかった野々村正成や菅屋長頼、毛利良勝といった者達が集まってきた。また、信長の下男でイエズス会から献上されたと言われる弥助という黒人もまた、本能寺から落ち延びた後に二条新御所に入ったと言われている。
そして、京に滞在していた信長の家臣や馬廻衆といった兵達も二条新御所に集まってきたため、兵数は1千人から1千5百人ほどの多さになっていた。
一方、信忠の動きは当然明智の軍勢にも掴まれていた。この時、明智光秀は主力を率いて京の南にある鳥羽の地にて待機していた。これは、京の一番近いところで兵力を有していた神戸信孝率いる四国遠征軍が大坂より北上してくることを警戒するためである。
光秀の代わりに本能寺を襲ったのは斎藤利三と明智秀満であった。二人合わせて3000騎の軍勢が本能寺を襲い、信長を炎の海に沈めたのであった。そんな二人に信忠の動向が伝わったのは、同日巳の刻(午前7時半頃から午前10時半頃)の中頃であった。
利三と秀満は相談の上、全軍を二条新御所へ向かわせた。と同時に、本能寺での出来事を伝えるべく、光秀がいる鳥羽へ早馬を向かわせたのであった。
天正十年(1582年)六月二日午の刻(午前10時半頃から午後1時半頃)に入ってからしばらく経った頃。二条新御所は利三と秀満率いる明智の軍勢によって取り囲まれていた。
東宮たる誠仁親王が未だ二条新御所に残っていることを確認した利三と秀満は、軍使を派遣して誠仁親王を二条新御所から出ていってもらおうと交渉を開始した。
一方、信忠の方も誠仁親王を抱えての戦闘を望んでいなかったため、交渉を村井貞勝に委ねた。
村井貞勝と明智方の軍使が交渉を行っている最中、信忠は何とか京の状況を他の味方に知らせるべく、各方面に使者を送っていた。
「一、二人を各地に使者として送れば、恐らく明智に見つかることはないだろう。早急に援軍の要請をしなければならぬ」
そう言って信忠は使者を派遣した。特に信忠が期待したのは大坂の神戸信孝と、摂津の池田恒興であった。
神戸信孝は丹羽長秀と津田信澄等と共に四国攻めのために大坂に集結しており、およそ1万の軍勢をもっていた。また、池田恒興は中国攻めの援軍として出兵準備を行っており、本拠地である大物城改め尼崎城にて出陣の準備を行っていた。
信孝は信忠の弟であり、津田信澄は信忠の従兄弟であり、恒興は信長の乳兄弟である。この三人が明智側につくことはないだろう、と信忠は思っていた。
―――七兵衛(津田信澄のこと)は日向の女婿だが、長年儂の傍にて支えてくれた者。裏切ることはないだろう・・・―――
そんなことを思いつつ、信忠は多方面に使者を送り出していった。
さて、信忠は多くの使者を送り出したが、その使者の中に密命を帯びた者が二人いた。一人は前田玄以である。
「玄以(前田玄以のこと)。そなたは岐阜城に戻り、三法師を尾張の清洲城に移してもらいたい。そなたは僧形をしているから、明智の兵も見逃すであろう」
「し、しかしながら、同じ僧籍の春長軒様は残られるのに、拙僧だけ逃げるというのは・・・」
玄以がそう言うと、信忠は首を横に振る。
「春長軒はつい最近まで武士だったから戦えるが、そなたはそうではない。それに、そなたは逃げるのではなく、我が息子を守ってもらいたい。儂は死ぬ気はないが、万が一ということもある。織田の本流を守らなければならぬ」
そう言って信忠は玄以を説得した。最終的には玄以も納得し、岐阜へ向かうべく信忠の前から去っていった。
もう一人は山内康豊である。信忠は康豊を名指しで呼び寄せると、康豊はすぐにやってきた。
「殿様。お呼びでございますか?」
「吉助。そなたの兄は確か羽柴に仕えていたな?」
「御意。我が兄伊右衛門(山内一豊のこと)は羽柴藤十郎様の傅役にして、我が義姉(一豊の妻の千代のこと)は羽柴藤十郎様の乳母にございます」
康豊の言葉に、信忠は首を傾げる。
「・・・はて、藤十郎に乳母なんていたのか?藤十郎からは、前田又左衛門様(前田利家のこと)の妻(まつのこと)に育てられた、と聞いたが?」
信忠の疑問に対し、康豊は、
「拙者もあまり詳しくないのでございます。兄とはあまり話をしておりませぬ故・・・」
と言って困惑した。信忠が訝しりながらも康豊に言う。
「・・・まあ良い。そなたは羽柴と多少の縁があるわけだ」
いや、まったく無いんですが、と心の中で思っている康豊に、信忠が命じる。
「吉助。そなたはすぐに堺に向かい、このこと藤十郎に伝えよ。そして、藤五郎(長谷川秀一のこと)と共に三河守殿(徳川家康のこと)と梅雪殿(穴山信君のこと)、源四郎(織田信吉のこと。前の於次丸)を守れ、と命じよ」
そう言われた康豊は困惑した。それはすなわち信忠を見捨ててここを出よ、と言っているに等しいからであった。いくら主君の命とはいえ、死地から逃げるような行為を康豊は受け入れられなかった。
承諾できない康豊に、信忠が言う。
「吉助。儂は逃げよと申したわけではない。前右府たる父上の子息と、父上の盟友を守るよう、羽柴藤十郎に伝えよと申しておるのだ。
それに、あの日向守ですら謀反を起こすのだ。恐らく藤十郎のみならず、源四郎や三河守殿、梅雪殿は疑心暗鬼となっておろう。ここは藤十郎の傅役の弟であるそなたが行けば、藤十郎は儂からの使者として信じるであろう」
そう言われた康豊は、苦しげな表情をしながら「承知いたしました」と言った。そして、信忠に一礼すると、そのまま小走りで離れていった。
その後、康豊と入れ替わるようにして村井貞勝が信忠の近くにやってきた。貞勝が片膝をついて跪く。
「申し上げます。敵将との交渉にて、二条新御所への攻撃は正午まで控えること。その間に東宮様とその御子(和仁親王のこと。当時は茶地丸といった)を内裏にお移しあそばされるよう、合意してまいりました。ただし、輿の使用は禁ずるとのことにございます」
「何だと?東宮様を内裏まで歩かせるつもりか!?無礼にもほどがあるだろう!高貴な方は姿を下々に見せない、ということくらい知っておろうに!」
信忠が激怒したが、貞勝が苦しげな表情で応える。
「拙僧もその旨伝えたのですが、敵将が言うには、殿様が輿に隠れて外へ出るのを防ぐため、とのこと。そのことで合意ができず、東宮様のお生命を守るべく、やむを得ず徒歩での脱出を受け入れざるを得ませんでした・・・」
それを聞いた信忠が、「おのれ日向守!」と歯噛みした。
「そんな戯言を言いおって!真は東宮様に恥をかかせることで、織田が朝廷を奉らない、と天下に知らしめる気であろう!なんと卑劣な策を!」
そう言って憤る信忠に、貞勝が応える。
「殿様。拙僧が話し合ったのは日向守が重臣、斎藤内蔵助でございます。日向守はおらず、どうやら別の場所にいるようでございます」
貞勝の言葉に、信忠が鼻を鳴らす。
「ふんっ。誰かと思えば斎藤内蔵助か。いいだろう!斎藤内蔵助如きに儂は負けぬ!儂自ら手打ちにしてくれる!皆も儂に続け!」
そう言うと貞勝だけではなく、傍にいた者達も大声を上げて「応っ!」と応えた。




