第263話 安土饗応(その5)
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「今の領地・・・?殿、それはどういう意味でございますか?」
明智秀満が主君でもあり義父でもある明智光秀にそう尋ねた。光秀は秀満に、信忠との会談の話をした。
「・・・なんと。それでは十五郎様(明智光慶のこと)は殿様(織田信忠のこと)の傍でお務めができぬということでございますか?」
「殿様は儂の元で坂本や丹波の政をさせよ、と申しておった。言っていることは間違っておらぬ。おらぬが・・・。実はその時、筑前殿(羽柴秀吉のこと)の御子息が傍に侍っておった」
光秀の言葉に、秀満の片眉が上がった。秀満が忌々しげに呟く。
「筑前の倅・・・っ。まさか、十五郎様を殿様より遠ざけるべく、讒言を吹き込んだかっ!」
「いや、藤十郎殿は十五郎を殿様の傍に置くように進言してくださったのだ。どうやら与一郎殿(長岡忠興のこと)が文で十五郎のことを教えていたようだ。
・・・そんなことより、儂は藤十郎殿をその場で見た時、あることを思い出したのだ」
「あ、あることとは・・・?」
秀満が困惑しながらそう言うと、光秀は顔を歪めながら話を続ける。
「先日、藤十郎殿は上様の命で水軍を堺に回した。しかし、フスタ船なる南蛮船の数が足りなかった。そのことに激怒された上様が、藤十郎殿に切腹を命じられた。まあ、すぐに堀殿(堀秀政のこと)が取りなして、切腹はなくなったがな」
光秀の話を聞いた秀満は、思わず息を呑んだ。光秀が話を続ける。
「あの才覚溢れる藤十郎殿ですらそうなのだ。未熟な十五郎では、その立場は守れまい。
・・・しかし、儂には七兵衛殿(津田信澄のこと)と与一郎殿がいる。二人共、儂の女婿で、しかも二人は殿様の覚えめでたい若者だ。この二人で十五郎を守る。これが生き残るための策よ」
「・・・なるほど。お二方の力を借りて、明智の家を残すのでございますな」
秀満の言葉に、光秀は首を縦に振る。
「うむ。殿様が織田家の当主として天下の差配をしている間は二人の婿殿に明智をお任せする。そして、殿様の次の世代・・・例えば三法師君が織田家の当主となったとすれば、十五郎は三十前後。ちょうど良き武将として侍ることが可能になる。更に言えば、三法師君以外の方が当主になっても、十五郎はそれ以上の齢になっている。これまた良き武将として侍ることができよう」
光秀がそう言うと、秀満は「良きお考えでございます」と頷いた。光秀が更に言う。
「それまで、何としても明智の家と領地を残さねばならぬ。特に、坂本や丹波は京や安土に近く、また例え大坂に移られたとしても十分近い。近場に十五郎がいる限り、七兵衛殿や与一郎殿を介して殿様の次の世代にお目通りする機会はまだある。そのことを十五郎に十分教えねばならぬ」
そう言う光秀の目には、生きて事を成そうとする決意の炎が宿っていた。それを見た秀満は、光秀が元気を取り戻したことに安堵して胸を撫で下ろすのであった。
次の日、天正十年(1582年)五月十七日の午後。酒宴に参加する準備をし始めようとした重秀は、急遽本丸に来いと呼ばれた。
福島正則をお供に安土城の本丸に行くと、そこで信長の小姓の案内で天主に向かう羽目となった。
福島正則を天主1階の控えの間に残すと、重秀は2階にある大書院へと通された。そこには、上座に信長が座っており、下座の左右には織田信忠と信長五男の織田源四郎信吉(前の於次丸のこと)がそれぞれ前田玄以と藤掛永勝を控えさせて座っていた。
そして、下座の真ん中には、明智光秀と丹羽長秀、堀秀政と長谷川秀一が並んで座っていた。
「羽柴藤十郎様、お越しでございまする」
重秀を案内してきた小姓がそう言って報告すると、信長が「大儀」と言って労った。
重秀が大書院に入り、秀一の隣に座ると、信長自らが口を開く。
「・・・皆に集まってもらったのは余の儀にあらず。備中の猿・・・筑前めから急使が儂の元にやってきた。筑前からの書状によれば、毛利の大軍が高松城救援のために高松城近くの日差山と庚申山に着陣したそうだ。物見をしたところ、両川(吉川元春と小早川隆景のこと)の旗印が確認できたそうだ。そして、後方の猿掛城には右馬頭(毛利輝元のこと)が自ら率いる大軍、およそ三万から四万が控えている、ということだ」
信長がそう言うと、書院の空気が固まった。皆が息を呑む中、信長が話を続ける。
「筑前めは書状で『今こそ鳥取城でできなかった決戦を挑むべし』と訴えておる。余も筑前めと同じ考えじゃ。ここで一気に毛利と決戦を挑み、毛利を討ち果たす!」
信長が低く力のこもった声でそう言うと、皆は一斉に「ははぁ!」と言って平伏した。信長が更に話を続ける。
「余は毛利との決戦を受け、軍勢を指揮するために備中へ向かう。が、その前に筑前に援軍を送る。・・・金柑」
信長が光秀に声を掛けると、光秀は「ははっ」と言って返した。信長が光秀に言う。
「汝に出陣を命じる。坂本や丹波の兵を動員し、すぐに備中に向かえ」
信長がそう言うと、光秀は「恐れながら」と声を上げた。
「私めは三河守様(徳川家康のこと)と梅雪様(穴山信君のこと)の饗応を仰せつかっておりまする。今宵も殿様(織田信忠のこと)の酒宴がございますし、明後日には摠見寺にて能の催しが・・・」
そう言う光秀に対し、信長は右手を上げて光秀の発言を止めさせた。そして信長は言う。
「言われなくても分かっておる。今後の饗応はここにいる五郎三(丹羽長秀のこと)と久太(堀秀政のこと)、藤五(長谷川秀一のこと)に任せる。金柑は今日中に坂本城に戻り、兵を率いて備中に向かえ。良いな?」
信長の有無を言わせぬような低い声に、光秀はただ「承りました」と言うしかなかった。そんな光秀に、信長が更に話しかける。
「金柑。此度の毛利との決戦、汝に期待する。武功を挙げれば、余は汝に報いようぞ」
信長がそう言うと、光秀は「ははっ」と短く返事をした。それを聞いた信長が頷く。
「うむ、それではすぐに安土から出立せよ。早ければ早いほど出陣の備えに時を費やせるからな」
信長がそう言うと、光秀は平伏してすぐに立ち退いた。信長は光秀が大書院から出て行くのを見た後、長秀と秀政と秀一に矢継ぎ早に指示を出す。
「五郎三。安土での饗応が終わったら、汝は大坂に向かえ。三七(神戸信孝のこと)と共に四国出兵の備えを行え」
「久太。汝は安土での饗応が終わったら、長浜城へ戻り軍勢を整えよ。そしてすぐに備中へ向かい、軍目付として筑前の軍勢に加われ」
「藤五。汝は三河守と梅雪に同行せよ。そして京や堺を案内せよ。詳細は全て汝に任せる」
信長がそう言うと、言われた長秀達は「承りました」と言って平伏した。信長が今度は重秀に視線を向ける。
「藤十郎。源四郎が堺に行きたいと言っていることは聞いているな?」
信長がそう尋ねると、重秀は「御意」と答えた。信長が話を続ける。
「汝には骨を折らせるが、源四郎のお守りを頼む。汝に迷惑をかけるようなことあらば余が許す故、堺の海に叩き込んでやれ」
信長の予想外の発言に、重秀は思わず「ええ・・・」と呟いた。その呟きが聞こえたのか、信長がにやりと笑う。
「戯言よ。真に受けるな」
信長がそう言うと、視線を重秀から信吉に移す。
「源四郎。藤十郎を困らせるなよ?」
信長がそう言うと、信吉は「分かっておりまする」と言って平伏した。その様子を見た信長が、再び重秀に視線を移す。
「それと藤十郎。三河守と梅雪に船を見せ、二人が安土へ戻った後も堺に待機せよ。余も堺に向かい、四国へ攻め入る三七(神戸信孝のこと)を見送る。その際に汝の船に乗って見送ろうぞ。その後はそのまま備中に向かい、高松城を水攻めしている猿めに会いに行く。あやつの驚く顔を見てやろうぞ」
信長の突拍子もない発言に、重秀達はただ唖然とするのであった。
その日の夜。徳川家康と穴山信君を饗す3日目の酒宴が始まった。今回は信長の代わりに信忠が主催するという形を取っていたが、実際は光秀から引き継いだ丹羽長秀の采配によって運営されていた。
織田方からは信忠を始め、長谷川秀一や堀秀政、福富秀勝、菅屋長頼といったおなじみの信長側近衆はもちろん、叔父で補佐役の織田長益、弟である織田信房や織田信吉(信長の五男。前の於次丸)、わざわざ大坂から呼び出された従兄弟の津田信澄といった織田一門衆や蒲生賦秀や長岡忠興、前田利勝や羽柴重秀といった若手の武将が参加していた。
ちなみに忠興は、この日のためにわざわざ丹波の田辺城から安土に来ていた。彼は数日安土に滞在した後、田辺城に戻る予定だった。しかし、光秀に備中攻めが命じられ、彼の与力として共に備中に行く羽目になったため、明日には田辺城に戻らなければならなくなった。
そんな中、重秀は饗応の食事に舌鼓を打ちつつ、徳川家中の面々を見渡していた。最初は、
―――弥八郎(本多正信のこと)がいないんだな。あいつは安土に来ていないのか―――
と、長浜城にいた時に1年だけ客将だった本多正信を探したが見つからず、そんなことをのほほんと思っていた。
しかし、酒宴が進むにつれて、徳川家中の様子に違和感を感じ始める。
―――なんか、徳川の家臣達の表情が険しいな。まるで何かに備えているような感じだが、何に備えているんだ?―――
重秀の言う通り、徳川家臣達は警戒感を露わにしていた。顔は緊張しており、どことなくそわそわとしていた。唯一、家康だけは信忠と笑談しており、その顔に緊張感はなかった。
そして、穴山家になると、家臣達はもちろん信君すらも警戒している様子を見せていた。
そんな徳川と穴山の様子に気がついた重秀は、隣で座っている蒲生賦秀に小声で尋ねる。
「・・・徳川の家臣と穴山様、そして穴山の家臣達はこの饗応が気に入らぬのでしょうか?何やら雰囲気がおかしゅうございますが」
「・・・やはりそう思うか?いや、実は昨晩の酒宴もこんな感じだった」
重秀と賦秀がそうささやきあっていると、傍にいた長岡忠興が小声で参加してくる。
「あれはただ不機嫌になっているのではありませぬ。我等が三河守様と梅雪様を討とうとしているのではないか、と恐れているのでござる」
「はあ?どういうことだ?」
賦秀が思わず忠興にそう尋ねると、忠興が「お静かに」と言った。そして更に小声で話す。
「これは拙者が今朝、義父上(明智光秀のこと)から聞いた話なのでござるが、どうも徳川家中や穴山家中では三河守様と梅雪様が安土で上様に討たれる、という噂が流れているようでござる」
「そんな馬鹿な。ありえぬわ」
賦秀が鼻で笑いながらそう言うと、忠興も「拙者もそう思います」と頷いた。しかしすぐに声を潜ませて言う。
「しかしながら、酒宴に招き入れて隙をつく、ということはよくある話でござる。それを考えると、徳川も穴山も我等に疑いの目を向けるのは致し方ないことかと」
「しかし、それなら初日で討つだろう。時をかければかけるほど、相手はより用心するからな。それに、いくら末期の宴だからといって、三日も続けることはないだろう。やはり、三河守様と梅雪様を討つなど、下らぬ噂でしかない」
賦秀がそう言うと、手に持っていた盃を口元に持っていった。それを見ていた忠興が、今度は重秀に尋ねる。
「藤十郎殿はどう思われますか?」
忠興からそう言われた重秀は、あらかじめ考えていたことを話す。
「安土で油断させて、京や堺、もしくは帰りで襲うということは考えられますが・・・。しかしその後のことを考えると、やはり三河守様と梅雪様を討つことはないのでは?」
「それはまた何故?」
忠興がそう尋ねてきたので、重秀は悪手である理由を述べた。それは、家康と信君を討った後の彼らの領地、すなわち三駿遠の併合のために織田の軍勢を派遣しなければならないのに、その準備がなされていないことがおかしい、と重秀は言った。
「三駿遠を速やかに織田のものにしないと、土豪や地侍による騒乱が起きたり、また北条が侵入するかもしれません。そんな三駿遠を織田のものにするべく、派遣する兵を集められていない以上、三河守様と梅雪様を討つのは無謀だと思います」
重秀の言葉に、忠興は唖然とした表情で重秀を見ていた。重秀が訝しると、忠興が口を開く。
「・・・いや、実は義父上も同じようなことを申しておられた故、驚いたのでござる」
「さすがは『今孔明(竹中重治のこと)の一番弟子』と言われた藤十郎よ。それに長年武田と渡り合ってきた徳川勢と、その武田を吸収した穴山勢を相手にするには、現状きついものがあるからな」
賦秀がそう言って更に酒を飲んだ。重秀はそれを見て思う。
―――あまり飲みすぎないでくださいよ、義兄上。こんなところで愚痴られても困りますよ―――
そんな事を思いつつ、重秀は視線を信忠の方に向けた。すると、信忠が重秀達の方に手をかざしながら家康に何か言っていた。家康も信忠が手をかざす方向―――重秀の方を見ていた。
重秀がその様子を見ていると、信忠が大きな声で重秀に言う。
「藤十郎!これへ!」
そう言って手招きする信忠。重秀は慌てて立ち上がると、信忠や家康、そして信君が座っている上座の前にやってくると、その場で平伏した。
「お呼びでございましょうか?殿様」
「三河守殿がそなたと話をしたいと申してな」
信忠がそう言うと、続いて家康が話しかける。
「羽柴殿。お主の話はよく聞いている。父を支え、水軍を率いて多くの船軍で武功を挙げていると。また、一昨日も前右府様(織田信長のこと)から村上家を寝返らせ、人質を安土まで連れてきたことを聞いている。見事な活躍ぶりですな」
家康が目を細めてそう言うと、重秀は「もったいなき御言葉」と言って頭を下げた。
「三河守殿。藤十郎は今は兵庫城の城主であるが、いづれ父筑前の領国である播磨を継ぐことになろう。そうなれば、藤十郎は儂にとっての惟任日向守となる」
信忠の言葉に、家康だけでなく重秀も「え?」と声を出した。織田側の家臣達も驚いて目を見開いた。そんな中、信忠が家康に・・・というよりその場にいる者達に聞こえるような声で話す。
「父上は今、織田家中を変えようとしている。遠方で大身になる家臣と近場で小身となる家臣。そして織田家・・・いや天下の政を近場で小身となる家臣達に任せようとされている。
・・・が、現状においてその例外がいる。近場で大身であり、かつ織田の政を担う者だ。それは惟任家と惟住家(丹羽長秀のいる丹羽家のこと)だ。日向守も五郎三(丹羽長秀のこと)も共に有能故、父の側でよく働き、大身であることを許されている。藤十郎もいづれその様になるであろう」
信忠はそう言って盃の中の酒を飲み干した。家康がおずおずと話しかける。
「・・・中将様は、日向守殿を遠ざけるおつもりでござるか?」
「遠ざける、というのには語弊があるな。日向は確か齢七十に近かったはず。そろそろ休ませてしかるべきだろう。それに、日向の息子はまだ若い。天下の政をさせるにはいささか不安だ。それならば、日向のこれまでの忠勤に報いるべく、遠方の穏やかな国を複数与え、惟任家の家督相続が滞りなく行われるようにしたほうが良いであろう」
信忠の言葉に、家康が「なるほど」と頷いた。信忠が更に言う。
「日向だけではない。五郎三も修理亮(柴田勝家のこと)も齢の割には息子たちの齢が低すぎる。そんな家に広大な領地と天下の政を同時には任せられぬ。どちらか一方にしなければ、かえって織田に混乱をもたらす。さすがに知行を減らしては反発する故、遠方にて領地を治めてもらう、ということになるだろう」
信忠がそう話している間、酒宴は静けさが支配していた。皆が皆、信忠の話を一言も逃さずに聞いていた。
すでに織田家の家督を継いでいる信忠は、武田を攻め滅ぼしたという実績を以て信長から天下人として跡を継ぐことを認められている。その信忠が語っているのだから、すなわちそれは信忠による施政方針演説であった。
その後も信忠は未来を語った。それは、重秀を始め森長可、森成利、森長隆、森長氏、池田元助、池田照政、長岡忠興、蒲生賦秀、前田利勝、滝川一忠、河尻秀長、再登用された佐久間信栄といった重臣の息子達で元服を迎えた第二世代と、長谷川秀一、堀秀政、菅屋長頼、福富秀勝、野々村正成といった信長を支える若き官僚集団と、津田信澄や織田信包、織田長益を中心とした連枝衆を一体化させた織田政権が天下を治める、という未来であった。
特に森、池田は兄弟で遠方の大身と近場の小身という2つの立場を兄弟で分け合う立場となり、信忠政権の中枢を担うことになることが確実視された。
そして、父秀吉から播磨を、叔父の小一郎から但馬を受け継ぎ、更に宇喜多と縁戚となって畿内に近い大国を領土とするであろう重秀は、強大な水軍力と内政力の高さ、信忠の従妹の夫として連枝衆に準ずる立場から、恐らくは森や池田に匹敵、もしくはそれを超える立場として信忠に仕えることになっていただろう。
しかし、信忠の語った未来は、永遠に来ることはなかった。




