第262話 安土饗応(その4)
感想、評価、ブックマーク登録、いいね!を頂きありがとうございます。大変励みとなっています。
誤字脱字報告ありがとうございました。
織田信忠が明智光秀の息子である明智光慶を傍に置くことを拒否したことに、重秀はもちろん、傍で聞いていた前田玄以ですら「ええ・・・」と口に出してしまった。一方、拒否された光秀は、驚愕と絶望が混じった表情を顔に浮かべていた。
場の空気が重くなっている中、重秀が信忠におずおずと尋ねる。
「あの・・・、殿様。何故十五郎殿(明智光慶のこと)をお傍に置かれぬのでございますか?十五郎殿は有能な方であると言ったつもりなのですが・・・?」
そう尋ねる重秀に対し、信忠が重秀を見ずに光秀を見ながら答える。
「有能な者故、今は儂の傍ではなく日向(明智光秀のこと)の傍に置くべきだと思っている。日向は父上の命をよく聞き、その命をよく行っている。しかし、そのために領地たる坂本や丹波の政には手が回っていない、と聞いている。そのような状況で、有能な子息を召し上げるわけにはいかぬ」
信忠がそう言うと、重秀と玄以は納得するかのように頷いた。しかし、光秀はそうではなかったらしい。頭を下げながら信忠に懇願する。
「し、しかしながら!若いうちに殿様の傍に侍り、殿様の政を見せなければ、後々殿様の御意向を正しく汲み取ることができなくなるやもしれませぬ!そうなれば、明智家・・・いや惟任家は織田への御奉公ができなくなりまする!何卒、何卒我が息を傍に置いてくだされ!」
「黙れ」
懇願していた光秀に、信忠は冷たくそう言い放った。それはまるで父である信長が言い放ったように聞こえた。光秀だけでなく、重秀や玄以も息を呑んだ。
そんな中、信忠が低い声で光秀に言う。
「日向。丹波平定後は家臣が足りずに丹波と坂本の統治に苦難していると聞いた。それ故に多くの家臣を召し抱えていると。しかしな、よその家から家臣を引き抜くのはどうかと思うぞ。特に、稲葉家から那波なる者を斎藤内蔵助(斎藤利三のこと)を使って引き抜いたそうだな?内蔵助も以前は稲葉の家の者。二度も引き抜かれた稲葉の怒り、儂の耳にも届いておるぞ」
信忠がそう言うと、光秀は顔を上げて弁明しようとする。
「お、お待ちくだされ!それは誤解でございます!両名とも稲葉家より暇をもらい、それから惟任家に仕官を願い出てきているのでございます!引き抜いたのではございませぬ!」
「どちらにしろ、稲葉は面目を潰されたと激怒している。稲葉は儂の与力ではないが、美濃の国衆たる稲葉の意向を儂としても無視することはできぬ」
「し、しかし、それと我が息とは関わりがありませぬっ」
「家臣が少ないから引き抜くのであろう?それをやるより、自身の息子を上手く使え」
そう言うと信忠は重秀に視線を移す。
「藤十郎を見よ。家臣どころか一門すらおらぬ筑前(秀吉のこと)が北近江を治めている時、若輩ながらも父の政を支えておった。本来ならば儂の傍に侍るべきところを、筑前めがどうしても、というから手放した。しかし、かえってそれが良かった。筑前の元で藤十郎は文武において研鑽を積み、名を織田の内外に知らしめる程になった。
・・・日向よ。十五郎が真に有能であれば、そなたの元でしっかりと学ばせよ。そうすれば、いづれ織田を支える良き武将となろうぞ」
信忠がそう言うと、光秀は一瞬だけ視線を重秀に飛ばした。しかし、すぐに視線を信忠に戻すと、平伏しながら信忠に言う。
「・・・承知いたしました。もうしばらくは拙者の元で学ばせ、織田家に御奉公できるほどの才を身に着けさせまする」
光秀がそう言うと、信忠は「うむ。良きにはからえ」と言って頷くのであった。
光秀が表書院から出ていった後、重秀もまた信忠の元から退出した。そして二の丸御殿から羽柴屋敷に戻ると、門前では寺沢広高が待っていた。
「ああ、若殿!やっと戻られましたか!?」
重秀を見つけた正則が大声を上げた。重秀が二人に近寄りながら尋ねる。
「どうした?忠次郎(寺沢広高のこと)。そんなところに突っ立って」
重秀がそう言うと、広高が答える。
「若殿。源四郎君がお待ちです」
源四郎君とは織田信長の五男で、幼名を於次丸と言った者である。彼は今年、秀吉を烏帽子親とし、元服して織田源四郎信吉となっていた。
そんな信吉が羽柴屋敷にやってきたのである。重秀も当然驚いた。
「ええっ!?来るなんて聞いていないぞ!」
「拙者はもちろん、甚左衛門殿(小出秀政のこと)も聞いておりません。今、甚左衛門殿が客間で相手しております故、若殿も早う客間へ」
広高にそう促された重秀は、慌てて門をくぐるのであった。
それからしばらくして、客間に入った重秀は、そこで信吉と傍に侍る藤掛永勝の姿を見た。
藤掛永勝は元々織田家の一門衆の一人であったが、外祖父の家である藤掛家で育ったため、自らも藤掛と名乗っていた。
彼は信長の家臣として父親と共に仕えていた。確証はないがお市の方の付き人であったらしい。お市の方が柴田勝家に嫁いだときには、すでに信長の家臣に復帰していたようである。その後、信長の五男である於次丸のお付きとなり、そのまま信吉の家臣に収まっていた。
ちなみに、秀吉と重秀とは信吉の元服式の際に顔を合わせており、重秀とはそれ以来の再会であった。
「遅くなって申し訳ございませぬ。源四郎様。お久しゅうございます」
信吉に平伏しながらそう言うと、信吉は「いや、構わぬ」と笑顔で言った。
「儂も急に押しかけてすまぬな。ここにいる三蔵(藤掛永勝のこと)からも窘められたのだが、わざわざ取次を通すのが面倒臭くてな」
信吉がそう言うと、永勝が溜息をつきながら重秀に詫びる。
「申し訳ござらぬ、羽柴殿。拙者がもっとお諌めしていれば良かったのでございますが・・・」
「いえ。むしろ呼びつけてくださればすぐにでもお伺いいたしたのでございますが・・・」
重秀がそう言うと、永勝ではなく信吉が応える。
「いや、儂も暇な故、屋敷に籠もっていては身体が鈍るからな。それに、わざわざ安土城外に呼び出すのも何だし」
信吉は普段は安土城の外にある屋敷に住んでいた。実は、信長の息子で安土城内に宿泊したり住むことができるのは信忠と北畠信意(のちの織田信雄)、そして神戸信孝のみであった。四男の織田信房以降の息子達は、登城は許されていたものの居住や宿泊は許されていなかった。
どうも信長は四男以降の息子をあまり顧みなかったようである。さすがに毛利元就が三子教訓状に書いたように『(四男以降は)虫けら同然の子供』とまでは言っていないが、それでも格差はつけていた。
もっとも、嫡男たる信忠の地位を確保するため、またその予備として三男までは嫡男とする当時の常識から考えると、信長のやっていることは批難されるべきことではないのだが。
「それに、藤十郎は兄・・・殿様のところに行っていたのだろう?殿様の重臣となる藤十郎を煩わせるわけにはいかないって」
信吉は兄である信忠を『殿様』と呼んだ。これも信長による格差の結果である。あくまで信吉は信忠の家臣であり、弟ではなかった。これもまた信忠の地位を盤石にするための信長の知恵であった。
信長自身、庶兄や実の弟と家督争いをして勝利した身である。その勝利の裏では血を分けた兄弟と戦うという悲惨な事があった。特に弟の織田信行(信勝とも言う)は2度目の謀反を防ぐために暗殺せざるを得なかったほどであった。
そんな訳で信長は信忠への権力移譲がスムーズに行くように、信忠と信意・信孝とそれ以外の弟達との地位を明確にしていたのであった。
「だから、藤十郎も儂にそんな謙ること無いぞ」
信吉がそう言うと、重秀は「そういう訳にはいきません」と返した。
「源四郎様は上様の御子息で、私めは織田の家臣。君臣の区別をつけなければ、家中が乱れまする」
重秀が凛としてそう言うと、信吉は「堅いなぁ・・・」と笑った。そんな信吉に、永勝が話しかける。
「若君。それよりも羽柴殿にお話があるのでございましょう?」
そう言われた信吉は、「ああ、そうだった」と言って何かを思い出したような顔をする。
「藤十郎。儂を堺に連れて行ってくれ」
「・・・は?」
重秀が唖然とした表情でそう言うと、信吉が無邪気に言う。
「父上から聞いたぞ。三河守様(徳川家康のこと)と梅雪様(穴山信君のこと)に堺にて南蛮船を見せるのであろう?儂も見たいのだ」
そう言われた重秀は、内心で「ええ・・・」と呟いた。徳川家康や穴山信君だけでなく、信吉にも船を見せなければならないのだ。重秀の負担が大きくなることは目に見えていた。
「・・・上様は源四郎様が堺に行くことを許されているのですか?」
とりあえず上様の許しがあるか否かを尋ねる重秀。これで許しがなければ断る格好の口実が得られると思ったからだ。しかし、信吉の回答は重秀の想定と違っていた。
「父上・・・上様より許しは得ている。『堺を見て、己に何ができるのかを探してくるのも一興よ』と言ってな。元々堺へ行くこと自体は前々から許しを得ていたのだ。
・・・ただ、その前に武田攻めが始まってな。初陣として父・・・上様と共に甲斐まで行ってたりして堺には行けなかった。なので藤十郎が三河守様と梅雪殿にフスタ船?なる船を見せるのであれば、ついでについて行こうと思ったのだ」
「そうですか・・・」
内心がっかりしながらそう言った重秀。しかし信長の許しを得ている以上、断るのは難しかった。
「・・・分かりました。ではご一緒に堺に参りましょう」
重秀がそう言うと、信吉が「さすが義兄者!頼りになるな!」と言った。義兄者と言われた重秀は、目を白黒させる。
「義兄者って・・・。私は織田家臣でございますよ?」
「しかし父上・・・上様の養女たる縁殿を娶っているではないか。縁殿は儂より歳上なのだから、それを娶った藤十郎殿は儂から見れば義兄に当たる方。義兄者と言ってもおかしくはあるまい?」
そう言う信吉に、重秀は反論できなかった。仕方ないので、重秀はそのまま義兄者と呼ばれるようになった。
そんな重秀が、話を戻すべく信吉に言う。
「・・・そうそう。堺について三河守様や梅雪様に船をお見せした後、私はそのまま備中に戻るつもりです。源四郎様、如何致しましょうか?」
「ああ、それなら懸念は無用。そのまま堺に逗留して見学した後、安土に戻るさ。な、三蔵?」
信吉がそう言うと、永勝が「御意」と言って頷いた。そして重秀に話す。
「堺からの帰りは万事拙者にお任せあれ。羽柴殿を煩わせることはいたしませぬ」
それを聞いた重秀はホッとした。早く備中に戻って毛利との決戦に備えたかったからだ。
「それを聞いて安堵いたしました。私は明日の饗応3日目の酒宴に参加した次の日に堺に向けて出立しようと考えております。その時に共に堺に参りましょう」
重秀がそう言うと、信吉と永勝が一緒に頷くのであった。
その後、重秀と信吉は色々と話し合った。特に信吉は重秀が参加した船軍を興味深く聞いていた。そして、話している最中に福島正則の案内で安土城下を見物していた村上景親と村上通清が帰ってくると、信吉はさらに景親と通清から村上水軍の船軍について話を聞くのであった。
饗応2日目が終わり、明智光秀は安土城内にある自らの屋敷に帰っていた。女婿で重臣の明智秀満の出迎えを受けた光秀は、黙って屋敷の書院へと入っていった。
書院で直垂から肩衣袴の格好に着替えた光秀。着替え終わると崩れるように座った。
「と、殿!?」
光秀の様子に驚いた秀満が、着替えを手伝っていた家臣と共に光秀に近寄った。そんな秀満達に光秀が言い放つ。
「大事無い!だから騒ぐな!」
青い顔のままそう言った光秀。そんな光秀を秀満達は心配そうな眼差しで見つめた。
「・・・すまぬが、白湯を持ってきてくれ」
光秀がそう言うと、傍にいた家臣の一人が駆け出していった。しばらくして白湯の入った茶碗を持ってくると、その茶碗を光秀に渡した。
「殿。白湯にございます」
そう言って差し出された茶碗を光秀は持つと、ゆっくりと白湯を飲み干した。そして一息つくと、「すまぬ」と弱々しく言った。
その様子を見ていた秀満が他の家臣を下がらせた。家臣達が書院から出ていったのを見計らって、光秀に声を掛ける。
「殿・・・。今日は一段とお疲れのご様子。また徳川から何か言われたのでござるか?」
「・・・いや、今宵の酒宴では特に何も言われなかった。案ずることはない」
「しかしながら、漏れ聞くところによれば徳川家臣の中には殿の饗応に不満を持つ者がいるとか。殿が京にて行われている饗応の作法をきちりと行っているのに、それに不満を持つとは、徳川家中には饗応での礼節を知らぬ者が多いようですな」
秀満がそう不満げに言うと、光秀は「それは違う」と言って首を横に振る。
「徳川家臣達は恐れているのであろう。この安土で三河守様が討たれることを」
光秀の言葉に、秀満はギョっとした。
「まさか・・・、上様が三河守様を排除しようとしておられるのですか!?」
秀満の言葉に、光秀が「まさか」と首を横に振る。
「上様からそのようなことは聞いておらぬ。いや、近頃は上様は儂と直接話をしようとはしておらぬからな。ひょっとしたら上様は三河守様と梅雪様を殺めようとしているのやもしれない。しかし、それは無理な話よ」
「・・・それはまた何故に?」
秀満がそう尋ねると、光秀は自分の考えを述べる。
「仮に安土城で三河守様と梅雪様を殺めたとして、それで終わりではない。三河守様の領地と梅雪様の領地を織田が取らなければならぬ。そうしなければ、別の勢力、例えば北条が侵入するであろう。または新たな勢力が勃興するだろう。考えられるとすれば、徳川と穴山の遺臣達が三河守様と梅雪様の遺児を立てるか、はたまた未だ生きている今川の当主(今川氏真のこと)が旧今川家の家臣を糾合して今川家を再興させるか。
どちらにしろ、徳川と穴山の領地に織田の軍勢を速やかに入れねばならぬが、そのような動きが全く無い」
「・・・しかし、三河守様と梅雪様を討った後、急いで軍勢を集めて送り込めばよろしいのでは?」
秀満がそう言うと、光秀は「無理だな」と言って溜息をつく。
「徳川と穴山の領地、いわゆる三駿遠だが、ここに送り込める軍勢は甲斐や信濃、そして美濃と尾張の軍勢よ。しかし、信濃と甲斐は現地の民や国衆の混乱を収めなかればならぬし、美濃と尾張にいる殿様の軍勢は武田攻めで負った損害を未だ回復できておらぬ。そのような状態で三駿遠に攻め込むのは無謀でしかない」
光秀がそう言うと、秀満は「なるほど」と言った。光秀が話を続ける。
「上様とてそのことはご承知のはず。あのお方は即断即決を得手とされているが、決して無謀な策を取られるお方ではない。現状で三駿遠に兵を送り込むことの無謀さを分からぬお方ではない」
光秀がそのように言うと、秀満は複雑そうな顔をする。
―――上様から遠ざけられているのにもかかわらず、殿はまだ上様を信じておられるのか・・・―――
今年に入り、光秀と信長の間には隙間風が吹き始めていた。原因は長宗我部にあった。長宗我部による讃岐・阿波侵攻について、信長は光秀を使って交渉で止めさせようとした。しかし、折り合いがつかずに交渉が決裂。信長は武力によって長宗我部との紛争を解決することにした。
そして、交渉に失敗した光秀は、面目を潰されただけでなく、信長からは遠ざけられるようになった、と周囲からは見られていた。というのも、織田家中での役目、例えば京での公家衆との交渉は京都所司代の村井貞勝が、織田家内外の訴訟については長谷川秀一や堀秀政が担うようになっていた。それまで光秀が担っていた役目が、だんだんと他の者に移譲されていったからであった。
さらに、光秀は甲州攻めに参加はしていたものの、武功を挙げることはできなかった。もっとも、光秀は信長の本隊に組み込まれており、信長自身が信濃に入る前に信忠によって武田征伐が完了していたため、光秀が武勲を挙げられなかったのは当然なのだが、これもまた光秀の影響力が下がった、と周囲に思わせる出来事であった。
「・・・徳川家中が我等に疑念を抱くのは、恐らく今年亡くなられた佐久間様(佐久間信盛のこと)を始め、林様(林秀貞のこと)などが追放されたことが知れ渡ったからであろう。武田は滅び、東の北条も織田に従いつつある。織田の盟友として、東の抑えを担ってきた徳川の役目が終わりつつある今、上様が三河守様を排しようと思っている、と徳川方が思うのは致し方ない。
・・・それに、殿様は土壇場で武田から寝返った小山田越前(小山田信茂のこと)を不忠者として処断した。梅雪様が『次は我が身』と考えても致し方あるまい」
光秀がそう言うと、再び溜息をついた。そんな光秀に、秀満が慰めるように言う。
「・・・安土での饗応は今月の二十日まで。あと四日の辛抱でございます。これが終わりましたら、どうぞごゆるりとお休みくだされ」
秀満がそう言うと、光秀は再び首を横に振る。
「・・・そうはいかぬ。儂はまだまだ働かなければならぬ。今の領地を守り抜き、十五郎に渡すまではな」