第259話 安土饗応(その1)
感想、評価、ブックマーク登録、いいね!を頂きありがとうございます。大変励みとなっています。
誤字脱字報告ありがとうございました。お手数をおかけしました。
時は少し戻って天正十年(1582年)五月十四日の夜。重秀達は安土城内の羽柴屋敷に到着。その日のうちに到着したことを関係各所に報せると、そのまま休むことにした。
そして次の日の巳の刻(午前7時半頃から午前10時半頃)。重秀は挨拶と今後の予定を尋ねるべく、織田信長の側近衆の一人である堀秀政の屋敷を訪れた。
安土城内にある堀屋敷に入った重秀は、そこで秀政の家臣に案内されて書院へと入った。相変わらず片付けられていない書院で、重秀は意外な人物に出会った。
「あ、義兄上(蒲生賦秀のこと)に孫四(前田利勝のこと。のちの前田利長)!?何でここに!?」
書状や書物が高く積まれた表書院では、堀秀政だけでなく蒲生賦秀と前田利勝が書状や書物とにらめっこしていた。
「・・・やあ、藤十。よく来たね。っていうか、来るのが早いじゃないか。五月十五日まであと二日あるぞ」
目の下に隈ができている秀政が、血走った目を重秀に向けながらそう言うと、重秀が入ってきたことに気がついた賦秀と利勝が同じ様に血走った目を重秀に向けてきた。
「早いって・・・。今日がその十五日ですが」
重秀がそう言いながら空いている場所に座ると、秀政と賦秀と利勝は互いの顔を見合わせた。そして「ええっ!?」と一斉に声を上げた。
「ということは、我等は二日も寝ずにこの書院に籠もっていたのか!?」
「全く気が付かなかった・・・」
「やれやれ。これは私の落ち度だね。もう少し気を配るべきだったか」
賦秀、利勝、秀政がそれぞれ言うと、3人共自嘲気味に笑いあった。そんな3人に重秀が尋ねる。
「・・・二日も徹夜して、一体何をしていたのですか?」
「上様から訴訟を任されていてね。忠三(蒲生賦秀のこと)や孫四に手伝ってもらっていたのさ」
秀政が答え、続いて賦秀と利勝も答える。
「まあ、それがしは去年から久太殿(堀秀政のこと)や藤五殿(長谷川秀一のこと)の手伝いを行っていたが、今年からは実務も担当することになってな」
「俺は妻が上様の四の姫(永のこと)だから、義兄の忠三郎殿(蒲生賦秀のこと)に挨拶に来たのだが、なんやかんやで手伝わされているのだ・・・」
賦秀と利勝の話を聞いた重秀は、今年の一月に織田信長が話していた内容を思い出していた。
「・・・なるほど。『裁きを吟味する者』か・・・」
重秀がそう呟くと、その呟きを聞いた利勝が「なんだそれは?」と聞いてきた。重秀が信長から聞いた話を3人に話すと、秀政が納得したかのように話す。
「なるほど。上様の狙いは家臣を大きく二つに分けることか。訴訟を始めとする政に長けた者と、上様の意思を力で伝える武に長けた者、と。そうなると、私と忠三が政、藤十が藤吉殿(秀吉のこと)と共に武を担うのかな?」
秀政がそう言うと、賦秀は不満そうな顔で、利勝は困惑したような顔でそれぞれ言う。
「・・・拙者は戦場にて腕を振るいとうござるな。政に長けた者ではなく、武に長けた者として上様に仇なす者を討ちとうござる」
「・・・拙者はどちらなのでしょう?父(前田利家のこと)が能登国を上様よりいただいたことを鑑みれば、武を担うべきなのでござるが・・・」
そんな事を言う2人に、秀政が苦笑しながら言う。
「二人共いづれは自らの領地を治めるんだから、今のうちに政に慣れたほうが良いだろう。特に、上様の御威光が日本中に広がるとなれば、織田の政が全国に広がるのだ。蒲生や前田が近隣の大名共の見本になるのだから、覚えておくのに如くはないだろう」
秀政がそう言うと、賦秀と利勝は「それもそうですな」と言って頷いた。
「・・・ところで、訴訟と言っておられましたけど、訴訟の何をしているのですか?」
重秀が3人に尋ねると、秀政が答える。
「ああ。訴訟の整理だよ。争っている双方から言い分を書状で出させて、争いの部分になっている部分を抜き出して比べるんだ。それを上様に示して裁きの判断を仰ぐんだ。まあ、上様に示すまでもないものは我等で裁きの結果を出してしまうけどね」
「なるほど。で、二日も眠らせなかった案件があったと」
重秀がそう言うと、秀政が「それだけではないんだけどね」と言った。
「量が多いんだよ。特に、今年に入ってから東北地方や九州からの大名の争いも持ち込まれるようになったからね。まあ、これらは量が多いってだけで大した問題じゃない。問題は織田家中の争いだよ。特に難しいのが惟任様(明智光秀のこと)の訴訟だね」
「惟任様の?惟任様の訴訟も扱っておられるのでございますか?」
「いや、惟任様が訴えられている」
「ええっ!?」
「まあ、正確に言うと、惟任家家臣の斎藤内蔵助(斎藤利三のこと)が稲葉家から訴えられているんだけどね」
秀政はそう言うと、重秀に事のあらましを話し始めた。
明智光秀の家臣である斎藤利三が、稲葉一鉄こと稲葉良通から那波直治という家臣を引き抜いた。その後直治は利三の紹介で光秀に仕えた。この事が良通を激怒させ、訴えを起こす事になったのだ。
「上様は、家中の和を乱す元になる織田家中内での陪臣の引き抜きを禁じられておられる。今回の内蔵助のやったことは上様の御意に逆らうようなものだ。それに、惟任様は前にも似たようなことをやらかしているんだよな・・・」
元々、利三自身が良通の家臣から光秀の家臣となっている。この件についても良通から光秀に対して抗議しており、仲裁に入った信長から利三を稲葉家に戻すよう光秀に言われている。
ただ、利三の場合は利三が稲葉家から出奔した後に光秀の家臣になったため、光秀が引き抜きではない、と言って拒否。結局光秀の言い分が通ってしまった。
「他にも惟任様は修理亮様(柴田勝家のこと)の家臣(柴田勝定のこと)を引き抜いたかどうかで揉めたことがあったな。あの時は惟任様が修理亮様に直接弁明したから丸く収まったものの、その話を聞いた上様が困っておられたことを覚えているよ」
秀政の話を聞いた重秀は、「そんな事があったのですか・・・」と呟いた。そんな重秀に賦秀が話しかける。
「此度の一件、一徹様はだいぶお怒りの様子。訴状からもそれは分かる。そもそも、元家臣だった内蔵助殿は稲葉家の内情をよく知るお方。そのような方が引き抜きにかかれば、稲葉家は惟任家に好きに家臣を引き抜かれる家だと見られる。稲葉家が甘く見られぬよう、惟任家に対して強く出るのは当然だろう」
賦秀の言葉に、重秀は「確かに」と頷いた。
「まあ、そんな訳で稲葉家と惟任家との言い分をまとめているんだけどね・・・。稲葉の方は過去の蟠りがあるから昔の話を持ち出してくるんだよね。おかげで今の争いの言い分を抜き出すのに苦労したよ」
秀政がそう言うと、賦秀と利勝が黙って何度も首を縦に振った。
「それは・・・、骨折りでございました。それで、惟任家も同じ様に?」
「いや、書状は来ていない。ただ、惟任様は今安土にいるから、直接話を聞いたんだ」
「惟任様はなんと?」
重秀が尋ねると、秀政は肩を竦める。
「『それがしは何も知らぬ』だとさ。それどころか『他に裁くべき事があるだろう!』と批難されたよ。普段温厚な惟任様が声を荒げるなんて珍しいことがあるものだ、と思ったものだ」
「しかしながら、我等も役目故お尋ねしたのに、あの様な物言いはないでしょうに」
賦秀が不満そうな顔でそう言うと、利勝も首を縦に振った。秀政が二人を嗜める。
「そう言いなさんな。惟任様も忙しいのであろう。我等に関わっている時がないほどにね」
秀政の言葉に、賦秀と利勝は不満そうに頷いた。そんな利勝が、ふと思い出したような顔つきで重秀に尋ねる。
「・・・ところで、話は変わるけど、藤十は何しに来たんだ?西国で毛利相手に戦っているとは聞いたけど、安土にまで来る暇があるのか?」
そう言われた重秀が答える。
「ああ、上様に呼ばれたんだよ。十五日までに安土に来いって。その際、羽柴が有するフスタ船を堺に回せとも伝えられた。まあ、堺にはすでに船が着いたことは羽柴屋敷に伝えられているから、役目は達成できているけどな。
・・・ただ、何故安土に呼び出され、堺に船を回されたのかが分からないんだけど」
重秀がそう言うと、秀政が意外そうな顔をしながら話しかける。
「・・・おや、聞いていなかったのかい?今日から三河守様(徳川家康のこと)と穴山梅雪様(穴山信君のこと)が殿様(織田信忠のこと)と共に安土に来られるんだ。武田征討の功として三河守様には駿河国が、梅雪様には甲斐と駿河の所領安堵が認められたから、その御礼言上を述べるために安土に来られるんだ。三河守様と梅雪様は安土訪問の後、京や堺の見物をなさる予定だから、きっとフスタ船を見せたかったんだろう」
「・・・そんなことのために私を安土に呼んだのですか?」
秀政の話を聞いた重秀は、眉間にしわを寄せながら言った。秀政が不思議そうな顔をして重秀を見つめたため、重秀が若干怒りを含ませた声で言う。
「四月二十二日に毛利水軍を高梁川口で撃退したとはいえ、未だ毛利水軍は健在。それでいて我が方の軍船の被害は大きく、特にフスタ船は修理しなければ使えない状態です。軍船の数が少ない状況で、三河守様や梅雪様に見せるためだけに船を堺に回す余裕などありませんよ。
・・・それに、父上は今高松城を水攻めにし、毛利の主力をおびき出す作戦を行っております。ひょっとしたら毛利との決戦が始まるかもしれないという時に、羽柴の嫡男が戦場から離れては兵の士気に関わります」
重秀の言葉に、秀政や賦秀、利勝が驚いたような顔をする。
「・・・高松城を攻めている、ということは私も藤吉殿からの報告で知っていたが、そんな事になっているのかい?それは拙いね。毛利との決戦ともなれば、陸だけでなく海でも決戦が始まるやもしれない。いくら村上が寝返ったとは言え、毛利水軍は侮れないからねぇ。そんな時に水軍の総大将たる藤十がいないのはちと拙いね。
それに、実はもうすぐ四国の長宗我部を討つべく、三七様(神戸信孝のこと)と惟住様(丹羽長秀のこと)、七兵衛様(津田信澄のこと)が出陣の準備を行っているんだ。藤吉殿への援軍はまだあったかなぁ・・・?」
「えっ!?上様はとうとう長宗我部の討伐をお決めになられたのでございますか!?」
重秀が驚いたような声を上げると、秀政は「知らなかったのかい?」と尋ねてきた。
「はい。未だ惟任様との交渉が続いているものと思っておりました」
「残念ながら交渉は決裂したよ。長宗我部は土佐一国と阿波の南半分のみの知行という上様の提案を拒否したんだ。惟任様はまだ説得しているみたいだけど、業を煮やした上様が三七様を総大将とした軍勢を編成し、六月の初めには出陣させるようだよ」
秀政の言葉を聞いた重秀は顔を青ざめた。せっかく武田との戦が終わり、次は毛利との決戦を、と考えていたのにその援軍が来ないかもしれないからだ。
そんな重秀に賦秀が話しかける。
「そんな顔をするな。今のところ長宗我部攻めに動員される兵は主に和泉や河内、それに近江の津田領と丹羽領からの兵が中心だ。摂津や丹波、丹後、それに近江のほとんどの兵はまだ残っている。これらを送り込めば決戦に勝てるだろう」
賦秀の言葉に重秀はホッとした顔つきになった。摂津には池田恒興を始め、中川清秀や高山重友といった摂津衆や丹後には長岡藤孝・忠興親子がいる。更に丹波には惟任様こと明智光秀がいるのだ。皆歴戦の名将であり、これらが援軍としてきてくれれば、毛利との決戦では負けることはないだろう、と思ったからだ。
そんなことを思っていた重秀の耳に、ドタドタと縁側を走る足音が聞こえてきた。そして足音が大きくなったと思った直後、書院の障子が大きく開かれ、そこには秀政の家臣と福島正則が立っていた。
「兄貴!いつまでここにいるんだ!?源八郎殿(村上景親のこと)と彦右衛門殿(村上通清のこと)を連れて上様に拝謁しに行くんだろ!?もうその刻限だぞ!?」
正則の言葉に、重秀は「えっ!?もうそんな時か!?」と声を上げた。そして重秀は秀政に向き直すと、頭を下げながら挨拶をする。
「これより村上から差し出された人質を上様に拝謁させまする故、これにて失礼いたします」
「ああ。私達もすぐにお城に上がるから、その時にまた会おう」
秀政がそう言うと、重秀は「はい」と言って立ち去るのであった。
安土城天主にある広間。重秀は村上景親と村上通清と共に広間の真ん中で座っていた。重秀が普通に座っているのに対し、景親と通清は緊張の面持ちで座っていた。それまで見たこともない巨大な城と城下町、そして豪華絢爛な天主とその内部は、織田信長という人物の強大な力を瀬戸内の島からやってきた二人に見せつけていた。
そんな信長に直接会うことを予想していなかった二人は、事の急な展開に驚くと同時に、信長に面会できる立場にいる重秀の凄さを認識せざるを得なかった。
明智光秀や丹羽長秀を始め、広間の左右に並んで座っている家臣達(その中には徹夜明けの秀政や賦秀、利勝もいる)と共に待つことしばし。外から太鼓を叩く音が聞こえ、更に信長がやってくることを告げる声が聞こえた。
その直後、広間の上段の間に繋がる襖が開き、そこから肩衣の代わりに南蛮渡来のマントを羽織った信長が太刀持ちを従えて入ってきた。
重秀を始め、広間の下段の間に座っていた者達が平伏する中、信長は上段の間に置かれている南蛮風の椅子に座った。そして高い声を上げる。
「皆の者、大儀!面を上げよ!」
信長の声で重秀達が顔を上げると同時に、信長が機嫌の良さそうな顔で重秀に高い声を掛ける。
「藤十郎!よく来たな!汝の働き、猿からよく聞いておるぞ!村上三家のうち、能島と来島を寝返らせたこと見事なり!また、毛利に留まった因島の村上水軍を高梁川の河口で討ち破ったとも聞いておる!見事な働きぶり、余は満足しておる!よって、褒美を与える!受け取れい!」
信長がそう言うと、重秀の背後から小姓が書状を乗せた三宝を持ってやってきた。そして重秀の前に来ると、恭しく三宝を重秀の前に置いた。
「褒美の目録じゃ。量が多いし重い故、物は後で屋敷に運ばせる。今後も励めよ!」
信長の言葉に、重秀は「有難き幸せ!より一層上様のために働いて参りまする!」と言って平伏した。
信長は重秀の返事に満足するように頷くと、視線を重秀の後ろに座って平伏している二人、村上景親と村上通清に向ける。
「藤十郎、汝の後ろにいるのは、村上の者か?」
「ははっ。上様より見て右におられますのが来島村上家の村上彦右衛門殿。左におられますのが能島村上家の村上源八郎殿にございまする。共に来島と能島の村上家当主の弟になりまする」
本当は景親は能島村上家の実質的な当主である村上武吉の次男なのだが、形式的な当主は長男の村上元吉なので、重秀はあえてそう言った。そして、重秀の説明に周囲からざわめきが起こった。2度にわたる木津川口の戦いで敵対していた村上から、当主の弟という近親者を人質として安土にやってきたのだ。驚かない者はいなかった。
一方、村上景親と村上通清がやってきたことに上機嫌な信長は、二人に兼元孫六が鍛えた刀を褒美として与えた。更に信長が二人に言う。
「能島村上と来島村上の当主には、余から土産をやろう。持って帰って渡すがよい。また、それぞれの当主には安土に屋敷を与える。安土に来た際には、存分に使うが良い」
臣従のための挨拶にさっさと来い、という含みをもたせつつ信長はそう言うと、景親と通清は「ははぁっ!有難き幸せ!」と言って深々と平伏した。その様子を見ていた信長が、何かを思い出したような顔をする。
「おお、そう言えば汝等は知らぬであろうが、今宵は徳川三河守と穴山梅雪を招いて酒宴が開かれる。汝等も参加せよ。藤十郎、汝も参加を許す」
信長の言葉に、重秀と景親、通清は揃って「ははぁ!」と平伏した。
「ときに藤十郎」
信長が上機嫌な顔をしながら高い声で重秀に声を掛けた。
「命じていたフスタ船。堺には来ておるのだろうな?」
「はい。もうすでに堺に着いております」
「で、あるか。フスタ船の数は?」
「大型のフスタ船『春雨丸』と小型のフスタ船『電丸』、それに羽柴から関船『山雪丸』、小早の『天津風丸』、『沖津風丸』、『時津風丸』、『雪風丸』、『島風丸』、『烈風丸』が来ております。更に宇喜多の関船一隻と能島と来島から小早が六隻来ております」
重秀がそう答えると、再び広間からざわめきが起こった。小早とはいえ、村上が軍船を織田のために出してきたことに驚きの声が上がったのであった。
しかし、重秀の返事を聞いた信長は、それまでの機嫌の良かった顔を止め、急に不機嫌な顔つきになった。そして重秀に低い声で尋ねる。
「・・・藤十郎。もう一度尋ねる。フスタ船は何隻だ?他の船のことは言わなくて良い」
急に雰囲気の変わった信長に、重秀はビビりながら答える。
「・・・ふ、フスタ船は『春雨丸』と『電丸』の二隻でございます」
重秀がそう答えた直後、信長は顔を真っ赤にして立ち上がった。