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大坂の幻〜豊臣秀重伝〜  作者: ウツワ玉子
兵庫編

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第251話 村上調略(後編)

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「羽柴の若君は今、毛利の水軍衆に調略を仕掛けよる。当然、おんし等能島だけでのうて、来島や因島の連中にも声を掛けとる」


 佐々木新右衛門の話に、村上武吉が「だろうな」と頷いた。


「儂等能島だけに声を掛けるとは考えづらい。聞いた話じゃ、真鍋島の連中が羽柴に寝返ったと聞いた。じゃとしたら次は因島、能島、来島の村上と生口島の生口家じゃろうな」


「まあ、羽柴の若君はそこを狙うじゃろうなぁ」


 含みを持たせた言い方をする新右衛門に、武吉の片眉が跳ね上がる。


「・・・なんじゃ、その物言いは」


「いやな。若君の近習達の話によると、羽柴は一門や家臣、与力全てを挙げて毛利に調略を仕掛けとるらしいんじゃ。例えば筑前様(羽柴秀吉のこと)は小早川左衛門佐様(小早川隆景のこと)や穂井田少輔四郎様(穂井田元清のこと)の家臣や与力、備後や備中の国衆共、それに伊予の河野伊予守様(河野通直のこと)にも織田へ寝返るように言よるらしい。

 それに因幡の尼子式部少輔様(尼子勝久のこと)は山中鹿介(しかのすけ)殿(山中幸盛のこと)を動かして、伯耆、出雲、石見の国衆に調略を仕掛けとるらしい。お陰で吉川駿河守様(吉川元春のこと)は出雲から動けんらしいな」


 新右衛門の言葉に、武吉と村上元吉は息を呑んだ。そんな中、村上景親が小馬鹿にしたように言う。


「その程度で寝返るわけがない。父上、兄者、騙されてはなりませぬ」


 景親の言葉に、新右衛門は肩を竦める。


「ほうじゃなぁ。儂もそねぇ簡単に寝返るとは思わんけんど、じゃけん毛利が甲斐の武田と同じにならんとは限らんのやないかのう?」


 新右衛門の言葉に武吉と元吉が「はぁ?」と口を揃えて言った。元吉が続けて話しかける。


「新右衛門殿、何故そこで甲斐の武田が出てくるのでござるか?」


 元吉の疑問に対して、新右衛門が衝撃的なことを言う。


「甲斐の武田なぁ。とっくに織田に滅ぼされてんぞ」


 新右衛門の言葉に、武吉達は一斉に「なんだってぇ!?」と大声を上げた。


「武田といえば東国で精強を誇る大名ではないのか!?甲斐、信濃、上野、駿河、遠江を有する大大名だったはず!いくら織田も強いとはいえ、そう簡単に滅ぼされるわけがない!」


 元吉がそう叫んだものの、新右衛門は静かに首を横に振る。


「儂は武田についてはよう知らん。じゃが、若君が筑前から受けた報せによったら、二月上旬に始まった武田討伐は、岐阜中将様(織田信忠のこと)を総大将に、尾張、美濃、飛騨の織田の軍勢と三河の徳川、相模の北条といった軍勢が一気に武田領になだれ込んだげなで(らしい)。ほんで、武田領内の国衆が織田方にことごとく寝返ったげなで。三月十一日には武田家の当主とその息子が討ち取られ、他の武田一門衆の首級と共に京の一条大路の辻に晒されたそうじゃ」


「そ、それは羽柴の流言ではないのか!?あの武田が二月ふたつき足らずで攻め滅ぼされるなどありえない!」


 新右衛門の話を聞いても否定しようと元吉が叫んだ。しかし、武吉が元吉を宥める。


「落ち着け。大国といえど、滅ぶ時は滅ぶんじゃ。九州から中国地方まで覇を唱えとった竜福寺殿様(大内義隆のこと)ですら、あっという間に滅んだんじゃ。甲斐の武田や他の太守だってありえん話じゃない」


 武吉がそう言うと、元吉は青い顔をして武吉を見つめた。武吉が淡々と大内氏滅亡の話をした裏に、複数の国を抱える太守である毛利も同じ運命になる、と言いたげな武吉に驚いたのだった。

 武吉の話を受けて、新右衛門が重秀から聞いた話を更に言う。


「岐阜中将様が武田討伐する際、朝廷から武田討つよう命じられたげなで。つまり、武田は朝敵となった、と若君が言っとった。ほんで、前右府様は敵対する者を朝敵とすることができる、と。儂はよう知らんが、毛利やそれに与する国衆を朝敵にするんは簡単なんや、と言いよったで」


 新右衛門の話を聞いた武吉は両目を瞑り、両腕を組んで黙り込んでしまった。不安げな眼差しをしている元吉と、話を聞いてもちんぷんかんぷんな景親が黙って武吉を見つめている中、武吉はひたすら考え込んでいた。それからしばらくした後、両目を開くと同時に口も開く。


「・・・その話、当然来島にも言っているんだろうな」


「さあ?儂はそこまでは知らん。来島には別の者が行っとるけんな。まあ、若君の話じゃあ、助兵衛殿(村上通総のこと)に河野家の家督と伊予一国を任せるつもりらしいが」


「あー、確かにあいつが望みそうなことじゃな・・・。で?能島が織田についたら、羽柴の倅は何をくれるんだ?」


 武吉がそう言うと、元吉と景親はぎょっとした顔になって武吉を見つめた。そんな中、新右衛門が武吉に言う。


「伊予、備後、安芸の島々全てと、伊予国の野間郡、越智郡、桑村郡の三郡を与えるらしいぞ」


「三郡だけでも十二万貫(およそ六万石)。それにおよそ毛利が有する島全てか・・・。まあ、そこそこ良い条件だな」


 武吉が顎を擦りながらそう言うと、元吉が「待ってください」と武吉に声を掛けた。


「父上。まさか毛利から織田に寝返ろうなんて考えておられるのではありませぬか?」


「考えちゃ悪いか?」


 武吉の言葉に、元吉が反対する。


「とんでもないことです!私の妻は左衛門佐様の養女なのですぞ!?我が村上家は小早川の一門なのです!小早川を、そして毛利を裏切れるわけないでしょう!」


「・・・新右衛門の話を聞いとらなんだのか?東国で覇を唱えとった武田が二月ふたつきも掛からずに滅ぼされたんじゃぞ。しかも信長やない、その倅にじゃ。次は信長が自ら毛利攻め滅ぼしに来るぞな。

 それに、毛利を朝敵にしてから攻めてくるとなったら、織田の同盟相手の長宗我部が南からやってくるし、大友だって西からやってくる。なんぼ毛利といえど、これ防ぐことはできん。毛利と共に滅ぼされるのは不本意極まりない」


 武吉からそう言われた元吉は黙り込んでしまった。次に景親が武吉に言う。


「で、でも父上。水軍では我等に勝機がございます!」


「別に毛利滅ぼすのに水軍は要らんじゃろう。それに、織田の水軍は何も羽柴だけやないじゃろう?」


 武吉はそう言って視線を新右衛門に移した。新右衛門はそれを受けて頷く。


「羽柴水軍はもちろん、高原水軍や高畠水軍が織田方についとる。それに日生ひなせ衆(備前国日生諸島拠点とする舟手衆)は宇喜多に、小豆島、豊島の連中も羽柴に従うとる。さらに言うたら、淡路の水軍や堺に駐留しとる九鬼の水軍を呼び寄せることができる、と若君が言いよった。さらに・・・」


「・・・真鍋島の真鍋水軍か」


 新右衛門の話を聞いた武吉がそう言うと、新右衛門は頷いた。武吉がさらに言う。


「一方、儂等村上ではどうじゃ。村上三家は大内や毛利、大友や河野に従うて戦に駆り出されること幾十年。多くの男衆を失うとる。もうこれ以上戦い続けるのは無理じゃ」


 瀬戸内海にその名を轟かせた村上水軍であるが、実はその人的資源は厳しい状況にあった。ただでさえ潮の流れの激しい芸予諸島で生活している彼等は、日頃から海難事故の危険にさらされており、それに加えて近年の戦で多くの人材を失っていた。

 特に天正六年(1578年)十一月に行われた第二次木津川口の戦いでは、村上水軍は船や水主を多く失っており、もはや芸予諸島を守るだけでも手一杯な状況であった。


 武吉の話を聞いていた元吉と景親は何も言えずに黙り込んでいた。しばらく沈黙が続く中、武吉が口を開く。


「・・・爺さん。すまんがもうもんて(戻って)くれんか。今後のことについて、息子達と話したい」


「・・・分かった。だが儂とおんしの付き合いじゃ。何かあったら話を聞いたる」


 そう言って新右衛門は立ち上がると、広間から出ていった。


 新右衛門が去った後、元吉が武吉に尋ねる。


「・・・父上。真に織田につく所存か?」


「・・・有り体に申さば、悩んどる。毛利はもういけんじゃろう思うんじゃが、さりとて織田に・・・いや、羽柴を信じてええものなのか、判断しかねるんよ」


「父上。元亀二年(1571年)に我等は毛利から離反した結果、小早川様や来島の助兵衛殿に攻められて毛利に降りました。ここで再び毛利から離反したら、今度こそ我等は攻め滅ぼされまするぞ」


「し、しかし兄者。来島が羽柴につくのであれば、我等の背後は守られるんじゃないのか?それに、塩飽から羽柴の水軍が来るんじゃないのか?」


 景親の言葉に、元吉は黙り込んでしまった。再びその場が静かになった後、武吉がおもむろに口を開く。


「・・・しばらくは様子見じゃ。ひょっとしたら、左衛門佐様から何かしらの報せが入るやもしれん。じゃが、今後のことについては、おんし等も考えとくように。ええな?」


 武吉の言葉に、元吉と景親は揃って頷くのであった。





 天正十年(1582年)四月初旬。羽柴勢の主力が亀山城から宇喜多家の本拠地としている石山城への移動を始めていた頃、その羽柴勢を迎撃戦と三原要害に詰めていた小早川隆景に衝撃的な報告が入った。


「何だと!?武田が滅んだだと!?間違いないのか!?」


 隆景の絶叫に近い問いかけに、隆景の家臣で公家出身と言われている飯田尊継が答える。


「間違いございませぬ。京からの報せによれば、武田左京大夫(武田勝頼のこと)とその子息の首が京にて晒された由。なんでも、一月ひとつきと少しで武田領は織田と徳川の軍勢によって蹂躙されたとか」


 尊継の言葉に、隆景が「信じられぬ・・・」と呟いた。そしてすぐに尊継に尋ねる。


「・・・して、このことはすでに知られておるのか?」


「はい。羽柴勢によって派手に備中に知らされております。すでに、備中や備後の国衆共に動揺が広がっております」


「讃岐(飯田尊継のこと)、すぐに三原にいる家臣と軍勢を境目七城に送り込め」


「・・・いささか早うございませんか?筑前(羽柴秀吉のこと)の軍勢が石山城に入ったとの報せはまだ来ておりませぬが」


「違う!援軍ではない!境目七城の守将が寝返らぬように監視を入れるのじゃ!」


 隆景の叫び声に、尊継は思わず「ははぁ!」と平伏した。直後、隆景達がいる書院に一人の男が飛び込んできた。それは、隆景の側近である鵜飼元辰であった。


「殿!一大事にござる!」


「落ち着けっ、新右衛門(鵜飼元辰のこと)。何があった?」


 肩で息をしつつ片膝をついて跪いた元辰に、隆景がそう尋ねた。元辰は息を整えると、隆景に報告する。


「・・・申し上げますっ。乃美兵部様(乃美宗勝のこと)が羽柴に寝返ったとの風評が流れておりまする!」


 元辰の報告に、尊継はギョッとした顔つきになったが、隆景は冷静であった。


「・・・それはありえぬ。兵部は儂が小早川に来て以降、儂に忠義を尽くしてくれた。そうやすやすと寝返るわけがない。羽柴の流言であろう」


 隆景が予想した通り、乃美宗勝の寝返りは羽柴が流したガセネタであった。元々、隆景が養子に入る前の竹原小早川家に仕えていた宗勝は、養子として竹原小早川家に入ってきた後も変わらずに竹原小早川家に仕えていた。その後、隆景が小早川家の本家筋に当たる沼田小早川家の家督を継ぐことになっても、変わらず隆景の家臣として仕えた。


 乃美宗勝はこの時、穂井田元清が退いた児島の常山城に手勢を率いて入城していた。数は少ないながらも、乃美家の家臣を中心とした少数精鋭部隊であり、その結束力は高かった。

 しかも、嫡男の乃美盛勝と老臣山本宗玄、その息子の与助を下津井の戦いで失っていた乃美家では、仇を討たんと士気が高まっていた。更に、常山城には穂井田元清が在番していた時に入れていた兵糧や武器弾薬が残っており、少数の乃美勢が3ヶ月は籠城できるだけの蓄えが残されていた。


 隆景は長年の宗勝の忠勤と宗勝の現状を鑑みて、宗勝の寝返りは秀吉の謀略である、と考えた。なので、それを前提に動き出す。


「新右衛門。その風評、どこで流れている?」


「松島城の梨羽殿(梨羽高秋のこと)と庭瀬城の井上殿(井上就正のこと)より、そのような風評が城下に流れていることを知らせて参りました。また、高松城の清水殿(清水宗治のこと)からも問い合わせが来ておりまする」


「筑前め。やはり境目七城にその様な謀略を仕掛けてきたか。・・・新右衛門、境目七城に急使を送り、敵の流言に惑わされぬよう、きつく申し渡せ。讃岐はこの三原要害にいる備中の国衆から差し出された人質を儂の居城(新高山城のこと)に移すよう手配せよ」


 隆景がそう命じると、尊継と元辰は「ははっ!」と言って書院から出ていった。


 隆景の対応は半分正しく、半分間違っていた。宗勝離反のデマは境目七城のみにばら撒かれたわけではなかった。秀吉は武田滅亡の情報と宗勝離反のデマを組み合わせて、毛利中にばら撒いていたのである。すなわち、黒田孝隆と蜂須賀正勝が備中・備後・美作へ、重秀が瀬戸内の水軍衆へ、山中幸盛が伯耆・出雲・石見へ、それぞればら撒いた。

 隆景は境目七城の動揺を抑え込むことには成功したが、他方面への連絡を怠った。そのため、山陽方面以外の場所では大きな影響が出ていた。

 例えば山陰方面では、去年から山中鹿介による調略がなされていたが、武田滅亡の情報が鹿介によって流されると、出雲、石見、伯耆の国衆の一部が毛利から離反の動きを見せた。特に西伯耆では反毛利の一揆が起きるようになっていた。そのため、山陰方面を担当する吉川元春は、雪解けと同時に山陽方面へ援軍に向かう予定だったのを中止し、山陰方面に張り付かざるを得なくなった。

 そして瀬戸内海方面では、毛利方に与していた水軍衆に動揺が広がっていた。最初は毛利方の水軍衆との取次を行っていた乃美宗勝が羽柴に寝返った、というデマ情報を信じなかった者達も、武田が滅亡したという情報が正しいと分かるにつれて宗勝寝返りの情報も信じられつつあった。


 ここで宗勝が自ら動いて水軍衆の取次を行えば、まだ水軍衆の離反を招くことはなかったかもしれなかった。しかし、宗勝はこの時動くに動けぬ状況であった。

 宗勝が守る常山城は、羽柴と宇喜多勢の圧力を受けていた。穂井田元清が撤退した後、放棄された麦飯山砦には宇喜多勢が入り、常山城攻めの前線基地となっていた。そして宇喜多勢が駐屯していた八浜城には仙石秀久、赤松広英の軍勢の他に増援として加藤光泰の軍勢が入った。また、下津井城(下津井古城のこと)には前野長康の他に浅野長吉の軍勢が入り、更には重秀からの援軍として尾藤知宣と福島正則、加藤清正の軍勢が入っていた。

 また、重秀は児島そのものを封鎖するべく、水軍を動かしていた。小豆島と隣の豊島の舟手衆を掌握した脇坂安治が、新たに作られた関船『松雪丸』『大雪丸』『粉雪(こゆき)丸』『磯雪丸』と小早二十数隻を引き連れて塩飽に到着。児島の西側に展開することとなった。結果、児島と三原要害を結ぶ海の連絡路を完全に潰すことに成功していた。

 そのため、宗勝は動くに動けなくなるだけでなく、瀬戸内海の水軍衆に手紙すら出せなくなる状態になってしまった。


 そんな状態が続く中、とうとう村上水軍の一角である来島村上家が毛利から離反することとなってしまったのだった。





「・・・とうとうやりやがったな、助兵衛(村上通総のこと)」


 来島村上家の寝返りを知った能島村上家の村上武吉はそう呟くと考え込んだ。この時の武吉の心の内を探ってみよう。


 ―――儂等は毛利に従い続けてきた。ここで毛利を見捨てて羽柴・・・いや、織田についたら、外聞が悪い。因島はまだ羽柴と小競り合いをしとる。因島の連中を見捨てて、織田方に寝返ってええんじゃろうか?―――


 因島村上家は安芸国に近い因島を拠点としていたため、早くから毛利家に従っていた。村上三家の中では一番の親毛利派であった。


 ―――と言うて、このまま毛利に従うてええんじゃろうかのう? 兵部殿(乃美宗勝のこと)と連絡が取れんけぇ、左衛門佐殿(小早川隆景のこと)の現状がどうなっとるんか分からん。新右衛門の話を信じるんなら、毛利は織田にだいぶ劣勢に立たされとるようじゃけぇのう。東国の武田が滅ぼされた以上、毛利が滅びる可能性は十分あるけぇの―――


 村上との取次である乃美宗勝は、常山城で羽柴や宇喜多と対峙しているが、児島を羽柴と宇喜多の水軍によって封鎖されているため、武吉に宗勝の状況が全く伝わっていなかった。


 ―――それに、塩飽には羽柴の水軍が控えとる。もし儂等が毛利方として来島を攻めたら、羽柴の水軍が一気に能島に攻めてくるじゃろう。木津川口での戦い以降、羽柴の水軍の武名は高うなっとる。それに塩飽の船方衆の力が加わったら、儂等が勝つのは難しい。更に言うたら、毛利は儂等へ援軍を寄越す余裕はないじゃろう―――


 武吉の耳には塩飽からの情報が入っていた。塩飽には羽柴水軍の他に小豆島や豊島てしまの舟手衆が入っており、しかも淡路の水軍が少数ながら入っていることが分かっている。これに直島の高原水軍と児島の高畠水軍、真鍋島の真鍋水軍、そして宇喜多水軍が加わるのである。来島と戦っている最中に援軍としてこれらの水軍が攻めてきたら、いくら精強で鳴らす能島村上の水軍といえど、勝てる見込みは少なかった。

 そして、頼みの毛利は援軍を送る余裕がない。織田と対峙しなければならないのはもちろん、大友に備えて長門や周防の水軍を動かすわけにはいかなかったからだ。


 毛利に残るか、織田に寝返るか。村上武吉は決断を迫られているのであった。


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― 新着の感想 ―
秀吉の下に重秀が生まれた事によるバタフライエフェクトから毛利氏が史実以上の無理ゲー状態になってるな。 ・重秀の存在から柴田勝家がお市の方と史実より早く婚姻し、近畿地方の軍事対策の長になる。その影響から…
すでに毛利家はチェスや将棋でいう『詰み(チェック・メイト)』にはまってますね。
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