第249話 亀山城にて(後編)
感想、評価、ブックマーク登録、いいね!を頂きありがとうございます。大変励みとなっています。
誤字脱字報告ありがとうございました。お手数をおかけしました。
「・・・すまん、小一郎。お主を疑うわけではないのだが、あまりにも話が突飛すぎてどこから聞けば良いのか分からぬのだが・・・」
秀吉が眉間を押さえ込みながらそう言うと、小一郎は頭に疑問符を浮かべながら秀吉に尋ねる。
「・・・突飛すぎるか?兄者。女子が男子に礼をするならば、身体を差し出すのは当然であろう」
「いや、当然ではないでしょう!?あんた何言ってるんだ!」
のほほんと言う小一郎に対し、重秀が激怒して叫んだ。
「なんてことしてくれたのです、叔父上!叔父上は竹田城の城主!その地を治める領主なのですよ!?その領主が何かしたから見返りに女子の身体を求めるなど、あるまじき行為です!」
重秀が顔を真っ赤にして叫ぶのを、小一郎はきょとんとした顔で見ていた。何に怒られているのか、まったく分かっていないようだった。
そんな2人の様子を見ていた秀吉は、まずは重秀を落ち着かせるべく声を掛ける。
「落ち着け、藤十郎。まず小一郎の言っていることは間違っておらぬ。女子が男子への礼の対価として己の身体を捧げるのは、百姓では当たり前のことじゃ」
「はぁ?」
何言ってるんだこいつは、という視線を秀吉に向ける重秀。そんな重秀に、秀吉は当時の百姓の慣習について説明をし始めた。
当時、農村や漁村では村の住人一丸となって行う作業が多くあった。例えば田植えや稲刈り、大規模な漁などである。また、家の修繕や出産や葬式など、1家族では手に余る行事なども隣近所の手を借りて行うことが普通であった。そしてそれは、村を維持するための住人の義務でもあった。
さて、そういった作業は往々にして男を中心とした力仕事が一般的であった。しかし、時は乱世である。戦で男が死ぬのが当たり前な時代、父や夫、兄弟を失う女性は多くいた。そういった女性達の生活を見るのが、周囲にいた男性達であった。
周囲の男性達は女性が力不足で困っている時は手助けする。それに対して女性はお礼をする。お礼の内容は色々あるのだが、自らの身体で男性の相手をすることも含まれていた。そしてそれを要求する事も、問題ないとされていた。
「・・・という訳じゃ。百姓には百姓の慣習があるのじゃ」
秀吉がそう言うと、視線を小一郎に移した。そして再び重秀に話す。
「小一郎は気が優しくて人が良い。それに儂と違って顔も良い。女子共に頼まれた事をしては、頼んできた女子とよろしくヤッていた、ということはとも姉から後で聞いておったわ」
そう言われて気恥ずかしそうに俯く小一郎を横目で見つつ、重秀は秀吉に尋ねる。
「・・・父上にはそういった話はなかったのでございますか?」
「儂は生まれ故郷の中村から出ていってたからのう。村でそういった頼まれごとはされたことはない。その後、各地を巡る行商人となってからは、売った先の女子から何かしら頼まれたことはあったが、当時は女子と目合うより空腹をなんとかしたかったからのう。飯か銭を恵んでもらっておったわ。それに・・・」
秀吉はそう言うと、顔にいやらしい笑みを浮かべながら話を続ける。
「加兵衛(松下之綱のこと)の下で下男をしていた時に武家の姫君を見て以来、化粧をしておらん百姓の女子などに興味を持てなくなってのう。目合いで女子の肌に塗られた白粉を舌で舐め取るのがたまらんのじゃ。白粉の甘みと女子の素肌の滑らかさが舌に伝わるのが、また欲情を掻き立てるのじゃ。百姓は白粉を塗らぬし、たとえ塗ったとしても安物で甘みがせぬ。やはり、甘い白粉を使える武家の女子が一番じゃ」
秀吉の言葉に、重秀は思わず「うわぁ・・・」と嫌悪の声を上げた。白粉の臭いが嫌いな上、それを舌で舐め取るという行動に、重秀は気持ち悪さを感じていた。
そんな気持ち悪い感情を拭うべく、重秀は話を変えようと小一郎に話しかける。
「・・・まあ、領主が村の娘に手を出すということは私も話に聞いたことがございます。私としては考えられないことではございますし、はっきり申し上げれば上に立つ者の行いではございませぬ。叔父上がそういったことをするのは信じられませぬが、まあヤッてしまった以上は致し方ございません。大目に見ましょう。
・・・しかしですね。尼僧を口説くというのは如何なものでしょうか。さすがに外聞が悪うございますよ?」
重秀がそう言うと、秀吉がウンウンと頷きながら話を繋ぐ。
「そもそも、その尼僧は真に人間か?狸か狐に化かされておらぬか?」
「失礼なことを申すな、兄者。妙慶尼殿はちゃんとした人だぞ」
「ああ、その尼僧は妙慶尼様というのですか」
重秀がそう尋ねると、小一郎は「ああ」と頷いた。
「先程も言ったが、妙慶尼殿は元々その尼僧寺のある山の麓の村の出だ。彼女が嫁ぐ前のことを知っている者が彼女について話してくれた故、彼女の身元は明らかだ」
「しかしのう、小一郎。その・・・妙慶尼だったか?確か子ができずに離縁させられたのじゃろ?何故お主と目合って子ができたのだ?おかしいであろう?」
秀吉がそう言うと、小一郎が口を尖らせて反論する。
「子が生まれないのは何も女子だけが原因というわけでもあるまい。男の方に問題がある場合もあるじゃろう。
・・・いや、実は儂も怪しいと思って、妙慶尼殿に話を聞いてみたんじゃが、どうも嫁ぎ先で子を成したようなんじゃ。しかしそれが流れてしまってのう。それ以来、子ができないとされて戻されたようなんじゃ」
「・・・あれ?子が流れても次は無事に生まれるものなんじゃありませんでしたっけ?」
重秀が首を傾げながらそう言うと、秀吉が「それは人によるじゃろう」と応えた。
「儂も詳しくは知らぬが、医者の話では『子が流れた後でも子は成せる者もおれば、成せぬ者もおります』と聞いたことがあるのう。その妙慶尼とやらも子が流れた後でも子を成せる女子だったのかもしれぬのう」
自然流産は15%ほどの確率で発生すると言われている。一方、自然流産した後に再び自然妊娠し、無事に出産できる確率は80%ほどとされている。更に流産を繰り返す『不育症』と呼ばれる症状も、現代の医療による治療を行うことで再び妊娠して出産することが可能になっている。
しかし、そのような知識も医療技術もない重秀の時代では、流産した後に再び妊娠して出産できる確率は少なかった。なので流産後に不妊症になったり、不育症として繰り返し流産することになれば、その女性は石女として実家に帰されることが多かった。
「兄者の言う通り、妙慶尼は石女ではなかった。というか、彼女が嫁いだ先を調べたが、あそこはひどい。舅と姑が揃って嫁を下女として扱っておったと近所の者が揃って言っておった。あれでは子を成した後でも大切にされなかったのであろう。むしろ子が流れたのは妙慶尼殿をこき使った向こうの家に問題があるんじゃないかのう」
若干の怒りを含ませながらそう言う小一郎。そんな小一郎に秀吉が話しかける。
「・・・まあ、妙慶尼については分かった。しかし、その、娘・・・おきくだったか?あれは真に人の子か?狸か狐の子を拾ってきて小一郎を騙しておるんじゃないのか?」
「兄者。さすがにその言い様は儂でも怒るぞ。いや、実は妙慶尼殿と目合って以降、妙慶尼殿は竹田城に滞在させててのう。ちょうど彼女の尼僧寺を全面改築していた時期じゃった故、儂の手元においておったのじゃ。その後、妊娠が分かって以降は与八郎(水野利忠のこと)に預けておったのじゃ。じゃから、どこぞからきくを拾ってきたとか、他の男の娘とかということはない」
小一郎がきっぱりとそう言うと、秀吉は「それなら良いんじゃが」と言って頷いた。しかし、重秀はそれでも納得いかないのか、小一郎に突っかかるような口調で言う。
「叔父上。父上は納得されておりますが、私は納得いたしておりませぬ。尼僧を囲い、孕ませるなどおよそ人の所業ではございませぬ。このこと家中や但馬の国衆に伝われば、叔父上の資質が問われまする。いえ、これが上様(織田信長のこと)や殿様(織田信忠のこと)の耳に入れば、叔父上は但馬の守護を追われるやもしれませぬ。
・・・というか、何故尼僧なのでございますか?叔父上なら女子など引く手数多でございましょうに」
重秀から責められた小一郎は、申し訳無さそうな顔で重秀に答える。
「・・・藤十郎の言っていることは分かる。儂も将監殿(木下昌利のこと)からそう言われた。じゃが、儂は別に尼僧だから妙慶尼殿を口説いたのではない。好いた女がたまたま尼僧だったのじゃ」
小一郎がそう言うと、秀吉と重秀は胡散臭そうな視線を小一郎に送った。そんな視線に気がついた小一郎が二人に文句を言う。
「何じゃ二人共。儂をそんな目で見よって」
「いや・・・。前にも尼僧に手を出しておったじゃろう。与一郎(木下与一郎吉昌のこと)の母親じゃ。それ以来、尼僧にしか興味を示さんかったじゃろうが」
秀吉の言葉に、小一郎は一瞬だけ言葉を詰まらせた。しかし、小一郎は溜息をつきながら話し始める。
「・・・確かに。与一郎の母親は尼僧じゃ。儂も尼僧に手をつけたことは認めよう。じゃが、あの時は仕方なかったんじゃ。相手が『お礼したくとも私は貧しい旅の比丘尼。なれば、せめてこの身体で』と言ったんじゃ。儂も断ったんじゃが、どうしても、と言われてのう。仕方無しに目合ったんじゃ」
「ああ、あの時の尼僧はお礼として身体を差し出したのか。んで?それ以来、尼僧にしか懸想しなくなったと」
秀吉がそう言うと、小一郎は頷く。
「ああ。初めて尼僧と目合った時、日頃から禁欲に励んでおられたせいか、普段の姿とは違った淫らな姿に儂は衝撃を受けた。あの時の姿が、今でも目に焼きついておるのじゃ」
「おお、それは良いことを聞いた。儂も今度、尼僧に手を出してみるか」
秀吉が興味深そうにそう言うと、重秀が「父上っ」と注意の声を上げた。
「父上はただでさえ女狂いと織田家中で噂されているのです。これ以上、羽柴筑前守の名を貶めないでください」
「お固いのう、藤十郎は。しかしよいのか?お主だって女子に関しては人のことは言えまい?」
秀吉が重秀にそう言うと、重秀は「一緒にしないで頂きたい」と反発した。
「私は妻である縁ととら、そして縁から許しを得た照以外の女子とは目合ってはおりませぬ」
そう断言する重秀に、秀吉がニヤニヤしながら尋ねる。
「それはまあ、知っておるがの。しかしのう、風呂や野外で目合うのはどうかと思うぞ?いや、百姓は野外で目合うのは致し方ないとしてもじゃ、兵庫城の城主と蒲生の姫君が遠出先で目合うってのはどうかと思うがのう」
「最近は遠出先ではヤッてません。城内でヤッてます。先日も本丸天守の最上階でヤッてました」
重秀が堂々とそう述べると、小一郎は「おいおい」と呆れたような声を出した。
「なんでまたそんな所でヤッとるんじゃ。ちゃんと寝所でヤらねば、日野殿(とらのこと)が不憫ではないか?」
小一郎がそう尋ねると、重秀ではなく秀吉が答える。
「縁に気を使っとるんじゃ。まあ、兵庫城は狭いからのう、いくら縁が許したとはいえ、縁の近くで他の女子を抱くのは気が引けるんじゃろう。それでも藤十郎には、より子作りに励んでもらわんといけないからのう。多少、目合う場所については大目に見るわい。
・・・まあ、藤十郎のことはこの辺でよいじゃろう。それよりも・・・」
そう言って秀吉は重秀から小一郎に視線を移す。
「問題は小一郎じゃ。小一郎、手を付けて子を産ませた尼僧をどうする気じゃ?まさか、娘と引き離して山奥の寺に返すのか?それとも、娘ごと山奥の寺に返すのか?」
「いや、儂の娘を生んでくれた女子を無下にはできまい。当然、儂の妻とする」
「しかし、竹田城の城主の妻としては、家柄が低くありませぬか?」
重秀の言葉に、小一郎が「儂は家柄なんぞにこだわらぬぞ」と口を尖らせながら言った。しかし、重秀は首を横に振る。
「叔父上。そうは言っても我等はもう百姓ではなく士分の身でございます。しかも、ただの士分ではなく城主格なのです。城主格ならば、それ相応の振る舞いをしなければなりませぬ。そうしなければ、内外から羽柴が馬鹿にされるのです」
重秀の言葉に続いて、秀吉も小一郎に言う。
「小一郎。好いた女子と共にしたいという気持ちはよく分かる。それ故、お主はその妙慶尼のためにできることをせねばならぬ。儂だってねねと夫婦になるために色々やってきたんじゃ。お主も男を見せんかい」
秀吉が真剣な眼差しを小一郎に向けながらそう言うと、小一郎は決意したように頷く。
「・・・分かった。儂も男じゃ。好いた女子のために腹を括ろう」
そう言って決意の眼差しを秀吉に向けた。そして宣言する。
「儂は出家し、山寺に籠もる!そして、妙慶尼殿と共に寺を守ってみせる!」
「なんでそうなるんじゃ!?ただ単に妙慶尼を還俗させればいいじゃろうが!」
秀吉がそう声を上げた。しかし、重秀が横から口を挟む。
「いえ、父上。それだけでは足りませぬ。正室とするのであれば、どこぞの武家の養女としなければなりませぬ」
「しかし・・・、そんな女子を養女としてくれる者がいるかのう?」
秀吉がそう言うと、小一郎が「実は・・・」と声を掛ける。
「儂の家臣の与八郎も藤十郎と同じことを言っておってのう。そこで妙慶尼殿を養女としても良い、と言ってくれたのじゃ。一応、妙慶尼殿よりも年上故、養父になることはやぶさかではないらしい。儂としては兄者の許しを得てから与八郎に頼もうと思っておったのじゃ」
与八郎―――水野利忠(後の世では本多利久の名で知られている)は、尾張国知多郡を中心に勢力を持っていた水野家の者である。元々は織田伊勢守家に仕えていたものの、織田信長によって織田伊勢守家が滅ぼされた後、紆余曲折あって小一郎の家臣となった。
ちなみに、小一郎の実父と言われている竹阿弥は水野家の庶流という説があるため、利忠は竹阿弥の近縁に当たる人物ではないか、という説がある。
「おお、それなら儂も文句はない。藤十郎も良いな?」
秀吉が喜びながらそう言うと、重秀は「まあ、父上が良いならば・・・」と同意した。
「よし!これで小一郎もやっと妻を持つようになった!まあ、年増故もう子はできぬであろうが、側室を迎えれば子も成せよう!いやぁ〜、これで但馬羽柴家は安泰じゃ!」
「いや、兄者。儂は但馬の守護をいづれ辞めようと思っとるのだが・・・」
そんな小一郎の呟きを、秀吉はわざと無視するのであった。
「・・・父上。叔父上の件についてはこれで良いとして、弥三郎殿(長宗我部信親のこと)への返事は如何致しましょう?」
心の中では「本当にこれで良かったのか?」と呟きつつも、重秀は先程まで話題になっていた信親からの手紙の件について秀吉に尋ねた。それに対し、秀吉は「無視して構わぬ」と答えた。
「これから毛利との戦だと言うに、長宗我部に関わっている余裕はない。それに、上様は長宗我部に対する敵意をすでに表している。ここで我等が関われば、上様のご不興を買うことになる。日向殿(明智光秀のこと)に代わって我等が泥をかぶる必要はにゃーで」
「・・・ははっ」
―――ここで長宗我部軍が伊予の河野を攻めてくれれば、村上を長宗我部から守るという理由で村上を調略できるんだけど・・・。まあ、上様が長宗我部を敵視している以上、その策は取れないよな―――
そう思いながら、重秀は長宗我部信親への手紙の内容を考えていた。
―――仕方がない。弥三郎殿には日向守様からの条件を呑むようにお勧めしよう。そして、土佐と阿波南部を富ます別の方法を考えてもらうしかないか。・・・しかし、土佐は海に面する国。良港の一つでもあれば、交易で富ますことができるんだけどな・・・―――
正室の縁が織田信包の娘であったことから、重秀の元にも自然と安濃津の情勢が伝わっていた。安濃津には広州から琉球を経て黒潮に乗って日本にやってくる中国船の寄港が多いため、安濃津は意外と交易で栄えた港であった。
そして黒潮がすぐ側を通る土佐にも、中国船が流れ着くことがしばしばあったし、中国船が寄港する湊もあった。
例えば土佐国幡多郡には天然の良港である宿毛湾があり、またこの地を治めていた土佐一条家は四万十川の河口に湊を造り、上流にある中村御所までの流通ルートを整備していた。
重秀はそこまでは知らなかったものの、長宗我部が海の交易路を開拓することで、四国全土を有さなくても土佐を富ますことができるのでは?と考えたのであった。
―――交易で土佐を富ます。兵庫津を持っている私にでもできたのだ。『土佐の出来人』の宮内少輔様(長宗我部元親のこと)や弥三郎殿ならできるだろう。このこと、弥三郎殿への文に書いておくか―――
そう思いながらも重秀は秀吉と小一郎の話し合いに再び意識を向けるのであった。
注釈
白粉の名産地である伊勢では、白粉の原料として水銀が使われていた。水銀に塩と赤土などを混ぜ、水でこねたものを約600度で4時間熱して作るのである。
このとき、水銀は塩化水銀(I)と呼ばれる化合物になる。この塩化水銀(I)には甘みがあり、そのため、水銀からできた白粉には甘みと甘い香りがした。この白粉の甘い香りのことを『パウダリー』と言う。
その後、水銀の有毒性から白粉に水銀が使われることは禁止されたが、『パウダリー』という言葉は現代でも香水や化粧品の用語として使われている。