第24話 小姓解任
感想、評価、ブックマーク登録、いいね!を頂きありがとうございます。
PV累計30万を突破いたしました。大変ありがとうございました。今後ともよろしくお願い致します。
天正二年(1574年)十月。長島の一向一揆は壊滅したが、未だ織田信長と石山本願寺の対立は続いていた。特に朝倉を滅ぼして得た越前国を一向一揆勢に奪われたことが、信長にとっては痛恨の極みであった。
朝倉義景率いる越前朝倉家が滅亡後、越前国は旧朝倉家臣によって支配されていた。しかし、内紛により土一揆(土豪、百姓による一揆)が発生。ところが土一揆内での内紛により、隣国加賀国からやってきた七里頼周や杉浦玄任らによる一揆勢乗っ取りが成功。土一揆が一向一揆へと変わっていった。一向一揆勢は杉浦玄任等の指導の元、土橋信鏡(朝倉景鏡のこと)らを討ち死にさせるなどして越前国を掌握。信長は越前を失ってしまった。
信長が越前を失ったのが五月。しかも六月には盟友徳川家康の遠江での重要拠点である高天神城が武田勝頼率いる武田軍によって陥落。籠城していた高天神城に援軍を送れなかった織田・徳川両家はその評判を落としていた。
未だ、織田信長は厳しい状態に置かれていたのであった。
そんな状況で大松は何をやっていたかと言うと、犬千代や梅千代と共に小姓をやっていた。この頃になると戦を経験した一人前の小姓として、信長や信忠の元で立派に働いていた。
さて、大松は相変わらず信忠に気に入られていたが、信忠に新たに付き合わされている事があった。
一つは鷹狩。鷹を使った狩りである。古代より行われた鷹狩は、戦国武将にとって、また京の一部の公家たちにとっても嗜みの一つとされた。
さて、鷹狩は鷹を連れて行って適当に離して獲物を持ってきてもらうまでボーッとしているような単純なものではない。特に、信長の鷹狩は実際の戦の流れを模したものと言われている。
すなわち、二人一組の斥候部隊を狩場に放って獲物(主に鶴や雁などの鳥類)を探し出させる。見つけた場合は一人は残って獲物を見張り、もう一人が信長へ報告しに行く。その間、信長は陣内で弓や槍を持った六人の護衛に守られている。そして報告を受けた信長が獲物を最終的に決定すると、騎馬の者が獲物の注意を引きつける。その間、信長は鷹を腕に乗せながらその騎馬に隠れている。獲物が飛び立った瞬間、鷹を放って獲物を仕留めさせる。獲物を仕留めた鷹は地面に降りてくるが、予め待機していた家臣(怪しまれぬように百姓の格好をしている)が獲物を取り押さえるのだ。
そして、そんな鷹狩を信忠も行っていた。大松も斥候部隊に入ったり、護衛したり、百姓に変装して獲物を取り押さえたりした。大松は地形や地質、植生や生き物観察など、知的好奇心を満たす鷹狩を好むようになった。もっとも、未だ小姓の身。自分の鷹を持つことなどまだまだできなかったが。
ちなみに信忠との鷹狩で、大松は初めて鳥の肉を食することとなった。それ以来、鳥の肉は大松の大好物となった。
もう一つは能である。信忠は父信長とよく岐阜城で能を見ていた。見るだけではなく自ら能を舞うようになっていった。というわけで、大松も信忠の能の練習に付き合わされることとなった。
大松自身は能を見ることが好きであった。能の中には『平家物語』や『太平記』といった軍記物語をモチーフにした演目があった。歴史好きで軍記物好きな大松はあっという間にはまってしまった。ただ、見るのは好きであったが、演じるのはさほど興味がなかったようだ。
そして、ここで大松は意外な欠点をさらけ出してしまう。楽器が全くできないのだ。信忠が能を習い始めた頃、一緒になって演奏する楽器を習い始めたが、何度練習しても下手であった。大松も努力したが如何ともしがたく、とうとう信忠からは能の練習に付き合わなくて良い、と言われてしまった(ただし側にいることは許された)。この欠点は、後々になって、豊臣秀重の公家達との付き合いにおいて足を引っ張ることとなる。
さらに、信忠が信長と共に伴天連(キリスト教宣教師のこと)よりキリスト教や西洋の文化、風習について話を聞くようになると、大松も一緒に話を聞くようになった。
当時、イエズス会の宣教師たちは日本でのキリスト教布教に力を入れていた。特に、日本の都である京での布教を重視していた。しかし、天皇や将軍の支配力が落ちていた京での布教を、誰に認めてもらえればよいか分からない状況であった。
この頃になると、ようやく信長の影響力が京に安定をもたらしてきたので、宣教師達は岐阜の信長の元を訪れて布教の許可をもらおうと躍起になっていた。運良く新しもの好きの信長は宣教師を気に入り、話を聞くために宣教師達が岐阜に来ることを喜んでいた。
そんな信長と共に信忠も宣教師から話を聞くようになり、ついでに大松も話を聞いていた。はるか彼方から海を超えてやってきた宣教師達の話に大松は夢中になった。一方、キリスト教については大松はあまり興味を示さなかった。そもそも宗教そのものに興味がなかったのだ。
羽柴家は百姓出身である。父の故郷の中村に行けば菩提寺はあるだろうが、そもそもどこの宗派の寺かも知らない。大松にとって身近な寺は学問を学んだ崇福寺(臨済宗)であり、経典も読んだことはある。かといって大松自体は臨済宗かと言うとそこまで熱心だったわけではない。ねねの位牌には毎日手を合わせていたが、読経なんてしたことはなかった。
だからといって神仏を信じていないわけではなかった。やっぱり神や仏は居ると思っているし、寺や神社に行けばお参りはしていたし、僧や尼、神主や巫女には敬意を持っていた。だから、キリスト教に嫌悪感はなかったし、宣教師達にも敬意は持っていた。少なくともこの時は。
忙しいながらも充実した岐阜城での生活は、大松を精神的にも肉体的にも大きく育てた。多くの人々との繋がりもできたし、松千代丸のように突然の別れも経験した。大松自身、辛いこともあったがこの生活を楽しんでいた。ずっとこのような生活が続くものだと思っていた。しかし、そんな生活も十一月も中頃、そろそろ秋も終わりかな、というある日、突然終了することとなった。
この日、大松は久々の休みということもあり、岐阜城内にて囲碁の練習をしていた。一人で碁盤の上に碁石を置いて色々と遊んでいたところに、一人の小姓見習いがやってきた。
「羽柴殿、堀様がお呼びです。至急、堀様の部屋にお越し下さい」
そう言われた大松は碁盤から目を離すとその小姓見習いに聞いた。
「堀様が?何用か?」
「さあ?」
幼顔の残るその小姓見習いは首を傾げながらそう答えた。
「分かった。ありがとう」
大松はそう言うと、小姓見習いの後を付いて行った。
堀秀政がいつもいる部屋の前の廊下で片膝をついて跪くと大松は、
「大松、お呼びにより参上いたしました」
と、部屋の障子の前で中に声を掛けた。「ああ、入ってくれ」との声が聞こえたので、作法に則って部屋に入る。
中に入ると、上座には秀政ではなく秀吉が座っており、その斜め前に秀政が座っていた。大松は自分の父が居ることに少し驚きながらも、下座に座ると大松は平伏した。
「大松、大変心苦しいのだが、よく聞いてもらいたい。これは上意である」
秀政からそう言われた大松は「ははっ」と返事をすると、緊張した面持ちで秀政の言葉を待っていた。秀政はゆっくりと口を開いた。
「本日を持って小姓の役を解く。今日中に城を出るように」
「!?」
予想もしていなかった解任命令に、大松は思わず驚きの声を上げそうになるが、何とかこらえる。しかし、あまりの衝撃にしばらく口が聞けなかった。何とか口を開くと、大松は秀政に言った。
「・・・命を謹んでお受け致しまする。されど、堀様。御屋形様や若殿様に対して何かご不興を買うようなことありましたらば、大松めに教えていただきたいのですが・・・」
正直言って、大松は小姓の役目をちゃんとこなしてきたという自負があった。見習いになったばかりの頃はともかく、特に目立った過ちはしていないはずだ。なのに何故?という思いが大松にあった。本来理由を聞いたところで教えてはくれないのだが、それでも聞かざるを得なかった。
聞かれた方の秀政は「えーっと」と言うと黙ってしまった。平伏していた大松からは見えなかったが、この時秀政は助けを求めるような目で秀吉を見ていた。
「久太、儂から話す」
秀政からの視線を受けた秀吉が、落ち着いた声で大松に話しかけた。
「大松、儂がお主を小姓の役から外してもらうよう、御屋形様に願い出たのじゃ」
「父上が・・・。何故ですか?」
顔を上げて秀吉に聞く大松。秀吉は口を開いた。
「人が足りんのよ」
秀吉はそう言うと説明を始めた。
秀吉は今大きな仕事を二つ抱えていた。一つは今浜に新たな城を築くこと、もう一つは越前一向一揆への対策である。
今浜は琵琶湖に面した平地であり、そこに城を築くことで北国街道と琵琶湖の水運を押さえることが出来る。また、平地という地形のメリットを活かし、小谷城以上の城下町を作る予定となっていた。そのための縄張りや普請、さらに資金調達で秀吉はもちろん、家臣や与力達も大車輪となって働いていた。
越前一向一揆についてであるが、こちらは竹中重治や蜂須賀正勝が中心となって調略を仕掛けていた。一向一揆勢は越前を掌握したものの、加賀からやってきた七里頼周や杉浦玄任、石山本願寺から派遣されてきた下間頼照、頼俊親子らは越前で圧政を行ったため、地元民は猛反発、内紛が再び勃発していた。そこで、秀吉は反本願寺派の国衆や天台宗や真言宗、真宗高田派に調略を仕掛けていた。
「その結果、儂や小一郎等のいない小谷城下では不穏な動きがある。それを大松に押さえてもらいたい」
「不穏な動き、ですか?」
大松が頭を傾けて聞いてきた。秀吉がチラリと秀政を見ながら言った。
「儂の跡取りを大松ではなく、石松にしようとする動きよ」
「ええっ・・・?」
秀吉の言葉に大松は驚いて声を出した。秀政も声には出さなかったが目を見開いていた。
「まあ、儂が小谷に来てから家臣になったものや侍女らは大松を見たこと無いからのう。石松に親しみを持つのも仕方なかろうて。しかし、お家騒動は儂も望んではおらん。大松と石松が御屋形様と勘十郎様(織田信行のこと)と同じになって欲しくないのよ」
「藤吉殿、その発言はまずいんじゃないですか?」
秀吉の発言に秀政が思わず声を出した。秀吉が例に上げた信長と信行による兄弟間の家督争いは織田家中ではタブーとなっている。信行の子である津田信澄は織田信忠の側近であるし、信行を担いでいた林秀貞や柴田勝家は今や信長の片腕である。今更、過去のことを蒸し返して波風を立てても良いことではない。
「おっと、久太。今のは聞かなかったことにしてくれ。まあ、そういうわけで、大松を小谷に連れていきたいんじゃ。大松、分かってくれるな」
秀吉の頼みを大松は断れなかった。というか、上意が出た以上、従うほかなかった。
「・・・分かりました。父上に従います・・・」
本当なら岐阜城でもっと学びたかったのだが、羽柴家の一大事となっては仕方がない。大松は小姓を辞することとなった。
大松は側にいた秀政に体を向けると、平伏した。
「堀様。今まで大変お世話になりました。また、何も知らない私めに色々教え頂き大変有り難く存じまする」
「いや、こっちも大松に色々教えることが出来て楽しかったよ。何、今の大松なら十分小谷城内を鎮めることが出来るさ。自信を持って乗り込んでいくと良い」
「『名人』と呼ばれた堀様に褒められるほど、私めに才能はありませぬが・・・」
大松の自虐的な発言に、普段は優しい秀政の顔が険しくなった。
「大松、大松。自信のなさは君の悪い癖だ。いいかい、君は小谷城に行けばもう小姓じゃない。羽柴家の跡取りだ。小谷城では、君が若殿になるんだ。君は今まで若殿を見てきたんだろう?若殿を見てきてどう思った?若殿は自信なさげなご様子を見みせたことあったかい?」
「・・・いいえ。織田家の次期当主として、ご立派なお姿を拝見しておりました」
大松は長島の戦いにて本陣や馬上での信忠の姿を思い出しながらそう答えた。秀政が話を続ける。
「うん、そうだね。今度はお前さんがその立場になるんだ。自信のない者には誰だってついては行かない。君はこの岐阜城で、若殿の清洲城で、長島の戦場で色々経験してきた。その経験は決して無駄ではない。あの若殿だって最初はあんなに自信有りげな態度ではなかったよ。御屋形様に色々やらされ、戦場に連れ出され、経験を積んだからこそ自信がついたんだ。大松、お前さんは優秀な小姓だ。だから自信を持って行って来るが良い」
秀政にそう言われた大松は、「はい!」と言うと、力強く頷いた。
「はぁ!?小姓を辞める!?なんで!?」
戻った大松から話を聞いた犬千代が大声を上げた。周りにいた梅千代等の小姓達が一斉に大松を見る。
「父上が御屋形様に頼んだんだよ」
そう言うと大松は犬千代や梅千代等にざっくりと理由を話した。さすがにお家騒動の部分は言わなかったが。
「そうか・・・。まあ、何か落ち度があって追い出される訳ではないから良いのかな・・・?」
犬千代が天井を見ながら呟いている側で、梅千代が大松に聞いてきた。
「ところでさ、御屋形様はともかく、若殿様はどうなるんだ?大分気に入ってたんだろう?」
「明日、父上と御屋形様と若殿様にご挨拶するから、その時に色々言われるかもな・・・」
秀政から『一応、御屋形様と若殿様にご挨拶する機会をもたせているから、明日藤吉殿と登城するように』と言われている大松は、そのことを思い出しながら答えた。
「しかし、今日中って、いきなり過ぎないか?」
天井を見ていた犬千代が会話に戻ってきた。
「父が言うには、関ヶ原に雪が積もる前に小谷に戻りたいんだと。それに、戻る前に色々と準備もしたいから、早めに屋敷に帰ってこいってさ」
「準備って?」
「元服。新年早々に今浜の新しい城で行うんだってさ」
大松の答えに犬千代達が「おー」と声を上げた。大松は苦笑いしながら皆に言った。
「いや、皆も来年には元服するんじゃないかな」
そう言うと、大松は立ち上がった。
「どこ行くんだ?」
梅千代が訝しがると、大松は困ったような顔をした。
「荷物まとめなきゃ。今日中には城を出ることになってるしね。」
そう言うと、何かを思い出したような顔をして、再び座った。そして、犬千代達に平伏した。
「どうした?」
犬千代が困惑しながら聞くと、大松は顔を上げて言った。
「皆様には一年もの間、大変お世話になりました。この一年の出来事は一生忘れません。真に有り難く、深く御礼申し上げる」
そう言って大松が再び平伏すると、犬千代達も姿勢を正して平伏したのだった。




