第248話 亀山城にて(前編)
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天正十年(1582年)三月十五日。小一郎率いる但馬勢と畿内からやってきた織田信長の援軍を加えた秀吉率いる羽柴勢の主力が姫路城を出発。数日後には備前亀山城(別名沼城)に入ると、今後の方針を伝えるべく羽柴と宇喜多の諸将を亀山城に集めた。
そしてその中には、当然重秀とその家臣や与力も入っているのだが、重秀はこの時ある人物を連れてきていた。
亀山城の広間に集まった羽柴と宇喜多の諸将達の前で、重秀はその人物を秀吉に紹介した。
「父上。こちらに侍りますは備中真鍋島を拠点としている真鍋水軍の頭目、真鍋右衛門大夫殿でございます」
そう紹介された真鍋右衛門大夫は平伏しながら秀吉に挨拶をする。
「御前に侍りまするは備中真鍋城在住、真鍋右衛門大夫にございまする。此度は羽柴筑前様及び前右府様(織田信長のこと)に忠節を誓い、以て天下にご奉公致したく馳せ参じました。何卒、筑前様の幕下の端にお加えいただきますよう、伏してお願い申し上げまする」
そう言って右衛門大夫は上座に座る秀吉に平伏した。それに対し、秀吉は人懐っこい笑顔を浮かべて右衛門大夫に話しかける。
「おお、おお!よくぞ参られた!鎌倉殿の御代より名を馳せた真鍋水軍が上様のお力添えをして頂けるとは!これで日本の静謐にまた近づくことができましたぞ!かたじけのうござる!」
秀吉からそう言われた右衛門大夫は「もったいなき御言葉!」と言って更に頭を下げた。秀吉が更に話しかける。
「右衛門大夫殿の所領安堵についてはすでに安土・・・いや、今は武田の領国に居られるんじゃったかな?何にせよ、上様にお願いして朱印状を出すように取り計らいましょうぞ。それに、羽柴や宇喜多にご助力していただくなり、知己の毛利方の武将や国衆を寝返らせたりしたら、知行の加増をお約束いたしまするぞ」
「ははぁ!有難き幸せにございまする!拙者の縁者に笠岡城主の村上弾正(村上景広のこと)がおりますれば、声を掛けてみようと存じまする!」
「おお!それは願ってもない相手!何卒よろしゅうお頼みいたしますぞ!」
秀吉からそう言われた右衛門大夫は、「ははぁ!」と言って再び平伏したのであった。
真鍋右衛門大夫が退座し、羽柴と宇喜多の評定が始まった。今後の備中攻めについてが主な議題なのだが、その前に秀吉からいくつかの発表があった。
「先月から上様には和泉守殿(宇喜多直家のこと)の死去と八郎殿(宇喜多家氏のこと。のちの宇喜多秀家)への跡目相続を願い出ていた。和泉守殿の死は去年の十二月より秘しておったが、どうも今年になって毛利方に露見している恐れがあったからのう。上様に露見する前にこちらから報せておった。
まあ、先に正直に申し上げたのが良かったのか、上様からは八郎殿への家督相続を認める朱印状が届いた。これで八郎殿が宇喜多家の当主として天下に認められたことになる」
秀吉がそう言うと、宇喜多忠家を始め宇喜多の重臣達は一様に喜んだ。しかし、秀吉は暗い表情で話を進める。
「ただ・・・。所領安堵については備前一国しか認められなかった」
秀吉の言葉に、忠家達は一斉に「はあ!?」と声を上げた。
「お待ちくだされ、筑前様!それは我等より播磨、美作、備中の領地を召し上げるということにございまするか!いくら何でも無体にございまする!我等は前右府様のために血を流したというのに、領地を減らされるのは納得致しかねる!」
忠家がそう言うと、他の宇喜多の重臣達も「そうだそうだ!」と声を上げた。秀吉が「まあ、落ち着かれよ」と言って忠家達を宥めた。
「上様の朱印状に添えられていた久太(堀秀政のこと)からの書状によれば、美作と備中は誰かに与えるということはないらしい。そこで、美作は今まで通り宇喜多にお任せするし、備中については毛利を攻め滅ぼした後に宇喜多に与えるよう、この筑前めが生命を賭して上様にお願い申し上げる所存にござる。何卒、それでご容赦願いたい」
秀吉はそう言うと頭を下げた。そんな秀吉の様子を見た忠家達は、渋々了承した。が、すぐに忠家が秀吉に尋ねる。
「・・・備中と美作はそれで良いとして、播磨の赤穂郡、佐用郡はどうなりますかな?」
そう聞かれた秀吉は一瞬言葉を詰まらせた。しかし、すぐに口を開くと、おずおずと話し始める。
「赤穂と佐用の二郡なのじゃが・・・。儂へ加増されることになった・・・」
秀吉がそう言った瞬間、忠家達は再び反発するのであった。
宇喜多家家臣達の反発は、秀吉が必死になって宥めたおかげで何とか収めることができた。
「それでは筑前様。常山城攻めと兵糧の件についてはよしなに」
本来攻める予定のなかった児島の常山城攻めと、赤穂郡と佐用郡で取れる石高4万石分の兵糧を羽柴で用立てることを約束させられた秀吉は、忠家からそう言われるとげんなりした様子で頷いた。
その後、黒田孝隆の司会で軍議が始まり、今後の備中への侵攻について話し合われた。
「先ほど筑前様が真鍋殿に話されたとおり、織田家は甲斐の武田を討伐せんと東に軍を送り込んでおります。三月二日には信濃国の要所である高遠城が一日で落城したとの報せが入っております。また、信濃の国衆共が次々に織田に寝返っているようでございます。これで、武田の領国である甲斐国まで一気に進撃できるものと考えます」
すでに武田家は滅ぼされているのだが、甲斐から遠く離れた播磨や備前にはそこまでの情報は届いていなかった。情報を重視していた秀吉であったが、さすがに交通の険しい信濃や甲斐の情報を素早く手に入れることは困難であった。
「官兵衛の言ったとおり、武田攻めは上手くいっておる。というか、上手くいきすぎておる。ここまで早く進むとは思ってもおらなんだわ」
秀吉がそう言うと、孝隆が「確かに」と言って頷いた。
「しかし、武田の征伐が終われば、東国で織田に刃向かうは上杉のみと相成ります。上杉も家督争いで疲弊している上に柴田様(柴田勝家のこと)が雪解けと共に越中へ侵攻していると聞いております。織田の兵力に余裕ができるのでございますから、これからは毛利攻めに力を入れてくれることでございましょう」
「まあ、毛利だけでなく長宗我部も討たねばならぬから、織田の全ての兵力がこちらにやってくることはないのだが・・・。どちらにしても、今後は我等の兵力が多くなる故、戦は有利になるかのう」
孝隆に続いて秀吉がそう言うと、羽柴と宇喜多の諸将の顔に緊張感が現れた。毛利という大国に羽柴と宇喜多は挑んできたが、とうとう毛利以上の大国である織田が本気で毛利に挑むのである。今まで経験したことのない大戦になる、と諸将は思った。
そんな中、孝隆が声を上げる。
「まずは毛利の状況をご説明いたします」
孝隆がそう言うと、孝隆は諸将の前に大きな絵図を広げ、それを指さしながら説明し始める。
「備前と備中の国境には、『境目七城』と呼ばれる城が築かれております。北から宮路山城、冠山城、高松城、加茂城、日幡城、庭瀬城、松島城と相成ります」
そう言って孝隆は絵図に描かれた城の名を指でなぞっていった。
「これらの城群は我等の侵攻を阻むためのものであり、毛利も力を入れているようです。おそらく、これらの城群を攻めさせることで我等を食い止めると同時に、安芸より毛利の本軍を呼び寄せて一気に我等を撃滅する、というのが毛利の考えと推察いたします」
孝隆がそう言うと、複数の武将が同意するように頷いた。
「して、我等はどう対応するのだ?」
宇喜多忠家がそう尋ねると、孝隆がすぐに答える。
「当然、『境目七城』を攻め落とし、備中を抜くのでござる」
孝隆の言葉に、宇喜多の諸将達がざわめいた。孝隆が声を上げる。
「各方。何も七城全てを力攻めするわけではござらぬ。七城の中には備中の国衆が守備に入っている城もございますれば、それらの城には調略で落とすことを考えております」
「調略か。して、どの城を調略する?」
忠家がそう尋ねると、孝隆は意外にも首を横に振る。
「今のところ、どこの城から攻める、というのは決めておりませぬ。城の守将が毛利の一門衆とか譜代衆ですと調略しても寝返ってこないでしょうし、小早川の庶流とかが守将でも同じです。備中の国衆が守将でしたら調略が可能だと考えます。
・・・しかし、どの城にどのような守将がいるかはまだ調べきれておりませぬ。まずはそれを調べる必要があります」
孝隆がそう言うと、諸将達は納得したように頷いた。直後、それまで黙っていた秀吉が口を開く。
「というわけで、境目七城を詳しく調べるため、羽柴勢は四月までこの亀山城に駐屯する。四月になったら、約束通り児島の常山城を攻めるので、それまでは宇喜多の方々は現状の維持に力を注いでいただきたい」
―――まあ、真のことを申さば、宇喜多が寝返る虞が無きにしもあらずじゃからのう。その点も調べなけりゃならんから、どうしても四月までの時は必要じゃ―――
秀吉がそんな事を思っている事も知らず、宇喜多の諸将は一斉に「ははぁ!」と言って秀吉の要請を受け入れるのであった。
軍議が終わり、羽柴と宇喜多の諸将が広間から出ていく。重秀も出ようと思ったのだが、秀吉が呼び止める。
「藤十郎。お主は残れ。話がある。小一郎もじゃ」
そう言われた重秀は傍にいた小一郎と顔を見合わせた。そして二人は秀吉の傍に行くと近くで座った。
「佐吉(石田三成のこと)。お主は外で待っておれ。広間に誰も近寄らせるなよ」
そう言われた石田三成は黙って頭を下げると広間から出ていった。そして残された三人が車座になると、秀吉が重秀に話しかける。
「藤十郎。まずお主に渡さなきゃいけないものがある」
そう言うと、秀吉は懐から1通の書状を重秀に手渡した。
「これは兵庫城から姫路城に届いたお主宛ての文じゃ」
秀吉の話を聞きながら、重秀は手渡された書状を広げた。それは土佐の長宗我部元親の嫡男、長宗我部信親からの手紙だった。
「儂ぁそれを読んでおらん。いくら長宗我部の倅からとはいえ、藤十郎宛ての文を儂が勝手に読むのは憚れるからのう。んで、なんと書いてある?」
手紙を読んでいた重秀に秀吉がそう尋ねると、重秀は手紙の内容を秀吉と小一郎に話す。
「・・・弥三郎殿(長宗我部信親のこと)が言うには、宮内少輔様(長宗我部元親のこと)が讃岐と阿波北部を手放す代わりに、伊予南部を長宗我部の所領に頂きたい、とのことです。羽柴にはその口添えをお願いしたい、もしご助力いただければ、長宗我部は毛利相手に大暴れしてご覧にいれます、とも書いてありました」
重秀の言葉に、秀吉が複雑な表情を顔に出す。
「・・・長宗我部がそう言ってくれるんはかたじけないのじゃが、特に助力がなくても毛利に勝てるんじゃがのう・・・。それに、儂等が宮内少輔様と上様の間を取り持てば、日向殿(明智光秀のこと)から何を言われるか・・・」
「しかし兄者よ。長宗我部が我等に加わってくれれば、儂等は兵を損なわずに毛利に勝てるのではないか?」
小一郎がそう言うと、秀吉は視線を重秀に向ける。
「藤十郎。お主はどう思う?」
「父上。上様のお望みは瀬戸内の海を織田のものにすることです。そして宮内少輔様はその事をご理解しているが故にこのような妥協案を出したのでございましょう」
「ああ。そう言えば、お主は弥三郎殿に上様の思惑を文に書いてお知らせした、と報せてきてたのう・・・」
秀吉がそう呟くと、それを聞いた小一郎が声を上げる。
「なんじゃ。兄者は藤十郎を介して長宗我部と誼を通じておったのか。儂ゃ知らなかったぞ」
「・・・そう言えば、塩飽の一件については文で報せておったが、藤十郎と弥三郎が文のやり取りをしていることは報せておらんかったのう」
ペロッと舌を出す秀吉に、小一郎が苦言を呈する。
「兄者・・・、そういうことは儂にも報せてくれんと困る。いくら儂が但馬から動けんとはいえ、いや、但馬から動けんからこそ、お互いに隠し事をされては羽柴の存続に関わるからのう」
小一郎がそう言うと、秀吉は黙ってジト目で小一郎を見つめた。その秀吉の様子に気がついた小一郎が訝しげに言う。
「・・・なんじゃ、兄者。儂にそんな目を向けて」
「いや、お主が人のことを言えたもんかのう、と思ってな」
そう言うと秀吉は、低い声で小一郎に話しかける。
「小一郎。藤十郎にきくのこと、話しておらんかったようじゃのう」
秀吉がそう言った瞬間、小一郎は「あっ・・・」と声を上げた。重秀も秀吉の言葉を聞いて、小一郎に娘がいることを思い出した。
「・・・そういえばそうでした。叔父上、一体いつ姫を得たのでございますか?っていうか、いつ婚姻を結ばれたのでございますか?っていうか、相手は誰ですか!?」
声を荒らげていく重秀に、秀吉が『落ち着け』と窘めた。そして、小一郎の方を見て尋ねる。
「小一郎。前に鳥取城攻めの際に聞いた時は『城下の女子に手をつけた』と申しておったな。あの時は戦の最中だった故、詳しくは聞かなんだった。しかし、さすがに女児とはいえ小一郎の血を引く者ができたのじゃ。詳しく話をしてもらおうかのう。羽柴の存続に関わるやもしれぬ」
秀吉からそう言われ、藤十郎から視線を向けられた小一郎は、「分かった」と言って娘に関する事を話し始めた。
小一郎が竹田城の城主となって以降、小一郎は但馬の山々に自ら入ることが多かった。生野銀山を抱え、さらに中瀬山の近くの川で砂金が採れることを知った小一郎は、新たな鉱山を見つけるべく自らが陣頭指揮に立っていたのだった。
そんなある日のこと。ある山に入った小一郎と護衛の家臣達は、山中で寂れた小さな寺を見つけた。休憩がてらそこに入ると、そこには一人の尼が居た。
三十代後半のその尼は、住職としてその寺を一人で守っていたらしい。聞けば、昔は一人の老僧が寺の住職をしていたらしいのだが、後継者が居ないことを憂いた老僧が山の麓の村の庄屋と相談したところ、女子で良ければちょうど良い者がいる、と紹介されたのが件の尼であった。
その尼は他の村の庄屋に嫁いでいたものの、子が生まれないという理由で嫁ぎ先から追い出された女性であった。村の中でも貰い手がなく、持て余していたらしい。そこで出家させて寺の後継者として老僧が育てることとなった。
その後、無事に寺の後継者となったその尼は、死んだ老僧に変わって寺の住職となった。しかし、寺としての経営は苦しいものであった。
一応、山の麓の村が支援をしてくれたものの、そもそも村自体が貧しいということもあって寺への支援はすずめの涙ともいうべき少なさであった。たまに比丘尼(女性の出家修行者)が短期間滞在し、その間の滞在費をいただいたりもするのだが、そもそも比丘尼自身も貧しく、滞在費など望めるものではなかった。
そんな話を尼から聞いた小一郎は、その尼を不憫に思い、寺を支援することを申し出た。最初は断った尼であったが、小一郎は支援を受けるよう説得した。
小一郎は竹田城の城主となって以降、但馬国の朝来郡と養父郡にある自分の知行2万石の領主として内政に励んでいた。そして、その一環として寺社領の保護にも努めた。戦乱で荒らされた寺社領を整備したり、国衆などに乗っ取られた土地を返還したり新たに寄進したりしていたのだった。
そんな小一郎にとって、尼寺への支援は内政の一環であった。そんなことを話したおかげか、その尼は小一郎の支援を受け入れることとなった。
それから、その尼寺は建て直されることになり、また寺領がわずかながらも与えられることになった。更に、尼寺ということで同じ宗派の尼が派遣されるように手配したり、比丘尼が長期間滞在できるような支援も行われた。
小一郎の手厚い保護に感動した件の尼は、小一郎に礼を言うべく竹田城まで赴いた。そして小一郎と面会した尼は、思わず「お礼になんでもいたします」と言ってしまった。そこで小一郎は、なんと尼を口説き始めたのであった。
最初は驚いた尼であったが、小一郎の説得が上手かったのか、それとも小一郎にどこか男として惹かれていたのか、とうとう小一郎と床を一緒にすることに同意してしまったのだった。
「・・・で、生まれたのがおきくというわけじゃ」
そう言って話を終えた小一郎に対し、秀吉と重秀はただ頭を抱えることしかできなかった。