第246話 児島の戦い(後編)
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「行け、行けーっ!」
『五月雨丸』の指揮を執る外峯与左衛門(本名津田信任)が『五月雨丸』の船首の矢倉の2階部分から大声を張り上げて兵達を鼓舞する。一方、船首の矢倉の1階部分にある渡し橋を兼ねる衝角へと繋がる木戸が開かれ、そこから兵達が渡し橋を渡って大穴を開けられた敵の安宅船へと侵入していた。
分厚い木材で覆われた安宅船の側面に、果たして簡単に大穴が空くものだろうか?と思われるかもしれない。しかし、安宅船の側面には実は弱点があった。
安宅船が敵の安宅船に接舷攻撃を仕掛ける際、兵を敵船に送り込むための渡し橋が必要となる。その渡し橋となるのが安宅船の側面にある木の装甲である。すなわち、側面の木の装甲を倒して相手の安宅船に橋をかけるようにするのである。兵たちは倒された木の装甲を渡って相手の船に乗り込んでいくのだ。
例えば、九鬼の安宅船では、より遠くに橋をかけられるよう、装甲の一部を蝶番で繋げて折りたためるようにし、通常時は二重装甲としていた。そして、接舷攻撃の時は繋がれた綱を操ってその装甲を展開し、相手の船へと橋渡しをしていた。
乃美の安宅船である『黒滝丸』にはそのようなからくりめいた渡し橋はないのだが、それでも倒して渡し橋になる装甲部分が数か所あった。だが、その数カ所は構造上、分厚い木材が使えない場所であった。
『五月雨丸』が『黒滝丸』に突っ込んだ時、渡し橋を兼ねる衝角がその弱点に見事突き刺さった。衝撃で『黒滝丸』の側面には大穴が空いたため、与左衛門はすかさず兵を『黒滝丸』に送り込んだ。
当然、『黒滝丸』側も黙って侵入を許すほど馬鹿ではない。大穴の開いた部分に兵を集中させ、また大穴の開いた部分の周辺の狭間からは鉄砲や弓、長い槍を出しては『五月雨丸』の船首へ集中的に攻撃を加えていた。
その被害は大きく、『黒滝丸』へ侵入する前に撃ち倒された兵達が渡し橋から海へ落ちていく。また、矢や鉄砲弾が『五月雨丸』の船首の矢倉へも当たり、貼られた鉄板に当たって甲高い音を発していた。
「若!ここにいては危のうございます!」
昔から津田家に仕え、与左衛門の傅役でもあった老臣がそう声を上げるが、与左衛門が「何を言うか!」と返す。
「若殿(重秀のこと)が造られたこの船が、毛利ごときに沈められるか!木津川でも英賀城でも淡路でも沈まなかったではないか!」
「船が沈められなくても若がお討ち死にされてはお家の一大事にございます!何卒、ここはそれがしに任せて船尾の矢倉にて指揮をお執りくださいませ!」
老臣がそう声を張り上げた時だった。下から一人の兵が怪我を負いながら階段を登ってきた。
「申し上げます!味方が押されております。敵船に乗り込むことできませぬ!」
兵の報告を受けた与左衛門が「相分かった!」と叫ぶと、階段の方へ向かっていった。老臣が思わず声を上げる。
「若!どちらに向かわれまするか!」
「知れたこと!儂自ら兵と共に敵船に乗り込んでくれるわ!」
与左衛門がそう叫ぶと、老臣が「なりませぬ!」と言って引き留めた。二人が揉め始めたところに、今度は見張りの兵からの報告が入る。
「『夕立丸』から味方の兵が敵船に乗り込んでいきます!」
「やれやれ。やっと乗り込むことができたか」
外峯四郎左衛門(本名津田盛月)がそう言いながら『黒滝丸』に兵達と乗り込んだのは、『五月雨丸』より後であった。
突撃して『黒滝丸』に衝突したのは四郎左衛門が指揮する『夕立丸』が先であったが、残念ながら『黒滝丸』の分厚い木の装甲に阻まれて兵を送り込むことはできなかった。そこで四郎左衛門は石火矢や大鉄砲で木の装甲を破壊し、また何度も衝角をぶつけることで穴を開けることに成功。やっと兵を『黒滝丸』に送り込むことができたのだった。
四郎左衛門が『黒滝丸』に乗り込んだ時には、すでに彼の配下の兵達が『黒滝丸』内に多く侵入していた。敵兵は『五月雨丸』が開けた大穴の方へ集中しており、『夕立丸』が開けた穴の方に兵をあまり配置していなかったようである。そのため、四郎左衛門を含めた兵達は、さほど抵抗を受けることなく『黒滝丸』内部に侵入できた。そして彼等は『五月雨丸』の兵達を攻撃している敵兵の背後を突くことに成功した。
敵兵は『夕立丸』から多くの兵が侵入していることには気がついておらず、背後から攻撃されて混乱した。敵兵は長い槍や鉄砲で『五月雨丸』そのものやその兵達を攻撃していたこともあって、打刀や短い槍で武装していた四郎左衛門とその兵との戦闘では、狭い船内で不利となっていた。
当然、四郎左衛門とその兵達は自らの優位性を捨てることはなかった。敵兵を次々と討ち取り、『五月雨丸』の兵達を救ったのだった。
「・・・父上、助かりました。あのまま戦い続けていたら、『五月雨丸』に敵兵が雪崩込むところでございました」
『黒滝丸』に乗り込んできた外峯与左衛門が父である四郎左衛門にそう声を掛けてきた。四郎左衛門が応える。
「うむ。とりあえずこの階層は制圧できた。上の階に向かうぞ」
四郎左衛門と与左衛門達外峯勢が侵入したのは『黒滝丸』の総矢倉の1階部分であった。ここは水夫が艪を漕ぐ場所であった。そのため、戦闘で巻き込まれた水夫達が多く死亡し、『黒滝丸』は推進力を失っていた。
四郎左衛門と与左衛門は兵をまとめると、上の階へ続く階段に兵を進ませた。しかし、兵達が階段を登った瞬間、上の階から多くの発砲音が聞こえ、階段を登った兵が下に落ちていった。
「ち、父上。敵は上の階で待ち構えておりまする!」
階段から落ちて絶命した兵に、与左衛門は顔を青ざめさせながら四郎左衛門にそう言った。一方の四郎左衛門は落ち着いた様子で兵達に指示を出す。
「船から油を取ってこい。火を付ける」
四郎左衛門の言葉に、与左衛門が「父上!?」と声を上げた。
「安宅船に乗っているのは水軍の大将と思われまする!火を付けずに首級を取るべきではございませぬか!?」
そう言う与左衛門に、四郎左衛門は言い含めるように話す。
「この船に乗り移る際に多くの兵を失った。これで敵が待ち構えている所に兵を送り込むのは愚将の成すことよ。それよりもここは火を放って敵の混乱を誘ったほうが良い。それに・・・」
四郎左衛門がそう言ってニヤリと笑う。
「・・・油の臭いで誘い出すのも良し、燃やして燻しだすのも良し。どちらにしても我等に有利よ」
そう言っている間に、『夕立丸』や『五月雨丸』から油を持った兵達が床や上階へ向かう階段に油を掛けていった。
この時使われた油は毎度おなじみ桐油(アブラギリの種子から搾った油)であった。桐油は植物由来の油らしく独特の臭いがあった。しかも荏胡麻油や亜麻仁油よりも臭いがきつい。そのため、兵達が油を撒けば撒くほど桐油の臭いが船内に広がっていった。
「殿!油を撒き終わりました!」
「良しっ!火を放つ前に船に戻るぞ!」
四郎左衛門が兵からの報告を受けてそう叫んだ。しかし、その直後、上階へと繋がる階段の上から雄叫びが聞こえた。
「父上っ!上階の敵兵がこちらに突っ込んでくるようです!油の臭いで誘い出されたようにございます!」
階段近くで上階の様子をうかがっていた与左衛門がそう大声を上げると、『五月雨丸』の兵を集めて迎撃体制を取った。
―――違うな。臭いが上階に流れるまでの時は経っていなかった。恐らく上階の敵はしびれを切らして降りてこようとしているのだ。・・・敵の大将は意外に気が短いのやもしれぬ―――
そう思いながら四郎左衛門も兵達を集め、迎撃体制を取るように命じた。直後、上階から敵兵が雪崩込んできたのであった。
「行けっ!行けー!敵を船から追い出すのだ!」
乃美水軍の指揮官である乃美盛勝がそう叫んで兵達を鼓舞した。その声に鼓舞された兵達が下階に向かって階段を降りたが、そのたびに兵達の悲鳴が下階から盛勝の所に響いてくる。
「若君!このままでは兵をいたずらに失いまするぞ!」
乃美家の老臣であり、盛勝の傅役でもある山本宗玄が注意を促すが、盛勝は反発する。
「やかましい!早く敵を追い出さなければ、我等はこの船を動かすことができぬのだぞ!敵にこの『黒滝丸』を好き勝手にはさせぬ!」
盛勝が恐れたのは『黒滝丸』が羽柴に拿捕されることであった。すでに人力による動力が奪われた状態の『黒滝丸』は、羽柴によって生殺与奪の権利を握られている状態であった。乃美水軍の安宅船がぽっと出の羽柴ごときに拿捕されるのは、沈められる以上に大きな恥辱であった。そんなことになれば、盛勝は羽柴の捕虜になってしまうかもしれなかった。それは盛勝が一番避けたいと思っている恥辱であった。
最悪の場合、腹を切るなり首を突くなりして自刃すればいいのだが、兵が多く残っている以上は諦めずに戦い、敵を追い出すのが当然であった。
盛勝は次々と兵を下階に送り込んでいるが、一向に下階の奪還が上手くいっていない。一応、援護射撃として階段口から下段に鉄砲を撃ち込んではいるのだが、角度の問題や味方に当たる懸念から、その射撃は及び腰であった。
そんな状況にしびれを切らした盛勝は、とうとう自ら打って出ることにした。
「もう良い!これより儂自らが突撃して敵を討ち果たしてくれる!」
「お待ちくだされ!大将が討ち取られたらそれこそ剣呑至極にございまする!」
宗玄がそう言って諌めるが、盛勝が話を聞かなかった。
「黙れ!ここは武士としての意地を見せてやる!乃美家の嫡男として、戦って死んでやる!」
「生きていれば捲土重来の機会も訪れましょう!ここは我等に任せ、退いてくだされ!」
宗玄の言葉に、盛勝は更に反発する。
「ふざけんな!儂に海に飛び込めと申すのか!?木津川口に続いて、二度も羽柴に海に落とされては末代までの恥!つべこべ言わずに儂に続け!」
そう言うと盛勝は家臣の静止を振り払い、槍を持って階段へと向かった。そしてそのまま下階へ降りていった。
その様子を見ていた宗玄もまた、槍を持って叫ぶ。
「御大将が突撃された!我等も続くぞ!与助(山本宗玄の息子)!おんしもついて参れ!」
宗玄の激に、周りにいた兵達の士気が再び上がった。そして盛勝と共に階段へと殺到した。これが盛勝と乃美の兵達の運命を決めた。
大勢の敵兵が一気に階段を駆け下りてくるのを見た外峯四郎左衛門は、一旦兵を退かせようとした。が、そこで予想だにしてないことが目の前で起きた。
階段を降りてきた兵達の後ろから勢いのある若い武将が勢いよく降りようとしていた。しかし、その勢いに前の兵達が押され、バランスを崩してしまった。しかも、この時階段には桐油が撒かれており、段差の部分が油で滑りやすくなっていた。そのため、兵達は滑って階段から次々に転げ落ちた。その混乱に巻き込まれ、兵たちを押していた若い武将もバランスを崩して階段から足を踏み外し、階段を転げ落ちた。しかも、その若い武将の後ろにいた鎧武者が若い武将を掴もうと手を伸ばしていたが、彼もまたバランスを崩して階段を踏み外してそのまま落ちてしまった。そして、若い武将の上に倒れ込んだ。
それを見ていた四郎左衛門は黙って右手を縦に振った。それを見た与左衛門や周囲の兵達は雄叫びを上げて倒れた敵兵を刀や短い槍で突き刺していった。
敵兵もすぐに起き上がろうとしたが、油が撒かれた床の上で滑るために思うように立てなかった。なんとか立つことができた者もいたが、弱点である首を刀や槍で突き刺されて絶命していく。
そんな中、鎧武者が立ち上がり、下敷きになった若い武将の腕を取って立ち上がるのを助けようとしていた。しかし、そんな無防備な状態を見逃す四郎左衛門ではなかった。
外峯四郎左衛門こと津田盛月は、織田信長が家督を継承した直後に行われた萱津の戦い以降、信長の下で幾多の戦を経験してきた。その歴戦ぶり故に、一時は信長の親衛隊である黒母衣衆のメンバーでもあったのだ。
そんな歴戦の猛者である四郎左衛門が、得物である短い槍を振るってまずは鎧武者の首元を突いた。鎧を着る事ができる者の場合、普通は『喉輪』と呼ばれる首を守る防具があるのだが、四郎左衛門の槍は敵の鎧武者の喉輪を難なく突き破り、そのまま喉を突き刺した。
倒れる鎧武者から素早く槍を引き抜いた四郎左衛門は、次に若い武将を討つべく行動する。まずは槍の柄の後ろについている石突で若い武将の兜を思いっきり叩いた。兜で頭部は守られているとはいえ、衝撃は兜越しでも脳に伝わり、若い武将は軽くめまいを覚えた。そして若い武将が体勢を崩した隙を逃さず、四郎左衛門はその若い武将を思いっきり蹴飛ばした。そして倒れた武将に跨るように乗ると、そのまま持っていた槍を若い武将の目に突き立てた。若い武将は絶叫を上げたが、四郎左衛門は槍を抜くとそのまま絶叫して開いた口に槍を突き立てた。四郎左衛門はその若い武将が血を吐きながら絶命するまで、全体重を掛けて槍を突き立てるのであった。
乃美水軍の大将であった乃美盛勝が外峯四郎左衛門に討ち取られていた頃、重秀の乗っていた『村雨丸』は福島正則の乗っていた『時雨丸』を援護すべく動いていた。
「放てーっ!」
船首の矢倉の2階部分に陣取っている重秀の指揮の下、船首の矢倉からは石火矢、大鉄砲、鉄砲が『時雨丸』に突っ込んでいる関船に向かって弾を放っていた。
石火矢による連射は最初は外していたものの、敵の関船に近づくにつれて命中していった。また、他の大鉄砲や鉄砲も命中していった。敵の関船の材木が破壊されていくのが重秀にも見えていた。
さて、戦闘が始まる前は重秀は砲術の指揮は加藤茂勝に委ねていた。しかし、今は自らが指揮をしている。これは一体どういうことであろうか?
実は重秀も自ら砲術の指揮を執るつもりはなかった。しかし、『時雨丸』が敵の関船の接舷攻撃を受けていることを知った重秀は、『時雨丸』を助けるべく動き出した。
最初は砲撃のみに徹する予定であった。しかし、近づいて砲撃を加えても敵の関船は『時雨丸』から離れることはなかった。しかも、『時雨丸』の甲板に火が上がったことで重秀は決断した。
「敵関船に突っ込め!乗り込んで敵兵を殲滅する!」
そう言うと重秀は、自ら兵を集めて船首へと移動してきた。重秀の行動に慌てたのが船首の矢倉で砲撃を指揮していた茂勝である。
「若殿!?兵を連れて船首にお越しとは何事っすか!?」
「これより接舷して敵船に乗り込む!孫六(加藤茂勝のこと)は砲撃の指揮と船の指揮を頼む」
「若殿も敵船に乗り込むつもりっすか!?駄目に決まってるでしょ!」
そう言って重秀を止めようとする茂勝。一方の重秀は自ら乗り込むことを主張した。しかし、茂勝は重秀を強く諌める。
「そもそも若殿は具足を身に着けてないじゃないっすか!そんなんで敵船に乗り込むのは駄目っす!」
重秀は船に乗る時は具足を着けずに小具足姿で熊毛の陣羽織と烏帽子を頭に被るというスタイルであった。重秀は具足を身に着けての泳ぎは得意であったが、やはり泳ぎにくいということもあり、船軍では具足を着けることはなかった。
そんな訳で重秀が敵船に乗り込むことはなく、代わりに茂勝が敵船に乗り込む際の兵の指揮を執ることになったのであった。
『村雨丸』が速度を落とさずに敵の関船へと近づいていく。その間にも石火矢や大鉄砲が放たれていた。多くの鉄の弾が舷に当たり、木の装甲を破壊した。そして、破壊された部分に『村雨丸』の渡し橋兼衝角が突き刺さり、その衝撃で敵の関船の舷に大穴が空いた。
直後、下の階から吶喊の雄叫びが重秀の耳に飛び込んできた。そして重秀が狭間から船首の方を見ると、茂勝を先頭に兵が敵船に開いた大穴に入っていくのが見えた。
それからしばらくの間、重秀は『村雨丸』の指揮を執っていた。茂勝率いる羽柴の兵が乗り込んできたことでその対応に追われているせいか、『時雨丸』への攻撃が分かりやすく減っていった。その隙をついて『時雨丸』は敵の関船から離れていった。
「『時雨丸』、敵関船から離れていきます!」
見張りの兵の報告に対し、重秀が怒鳴り返す。
「『時雨丸』の様子は!?」
「煙は上がっておりますが、火の手は見えませぬ!」
見張りの兵の大声に、重秀は胸をなでおろした。どうやら沈没するような火災には至っていないようだった。
そう思っていた重秀の耳に、外から多くの叫び声が届いた。どうやら敵の関船から聞こえるらしい。重秀が敵の関船に目をやると、そこでは多くの兵が勝ち鬨を上げていた。その中に、茂勝の姿が見えた。
「申し上げます!お味方勝利!孫六様が敵将を討ち取りました!」
下の階から上がってきた伝令の言葉に、重秀は「応!」と応えた。
「孫六に伝えよ!敵船に火を放てと!そして離脱する故すぐに戻れと!」
「ははっ!」
伝令が重秀の元から去り、下の階に戻った直後、見張りの兵からの報告が重秀の耳に届いた。
「敵の安宅船が燃えております!それと、敵の安宅船を攻めていた我が方の船から鐘と太鼓が大量に鳴らされ、しかも旗が多く振られております!」