第243話 塩飽回復(後編)
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天正十年(1582年)二月十五日。姫路城二の丸御殿の広間には、甲冑に陣羽織を羽織った秀吉と重秀が並んで上座に座り、広間の左右にはこれまた甲冑を纏った羽柴家中の家臣達が並んで座っていた。
そして、彼等の視線の先には、香川家の使者としてやってきた香川景全が平伏していた。
「・・・大儀。面を上げられよ」
秀吉と重秀が座る上段の間に一番近い場所に座っている孝隆が、抑揚のない話し方でそう言うと、下座の間の真ん中に座っていた景全が口上を述べる。
「・・・筑前守様にはご機嫌麗しく」
そう言った景全の声は震えていた。そんな景全に孝隆が話しかける。
「筑前様より、中務丞様(香川信景のこと)へ上様の命が届けられているはずですが、その返答をお聞きしたい」
孝隆の冷淡な声に、景全は「恐れながら!」と声を上げた。
「我が香川は織田との盟を結びし家にござる!香川は織田の臣下ではございませぬ!何故そのような理不尽な命を受けねばならぬのか!そもそも塩飽は・・・」
景全が反論しようとしたが、孝隆が被せるように言う。
「分かりました。では戦ですな」
景全の発言を遮り、孝隆がそう言った。そして上座の間の方を見る。
「若君。飾磨湊から塩飽にお向かい下さい。筑前守様。池田紀伊守様(池田恒興のこと)と淡路におられる三好山城守様(三好康慶のこと)に急使を。東讃と淡路の織田方の国衆に、香川へ攻め入って頂くよう、要請してくだされ」
孝隆の言葉に、景全が「しばらく、しばらく!」と声を上げた。
「何故そう我等との戦を望まれるか!そもそも、香川が織田から攻められるような謂れはありませぬぞ!」
「・・・まだご自身の立場というものが分かっておりませぬな」
そう言って孝隆が溜息をついた。そして、呆れているような、軽蔑しているような表情を景全に向けながら話を続ける。
「臣下が主君の命を拒否するならば、これを罰するのが当然でございましょう」
「香川は織田の臣下ではない!」
そう絶叫する景全に、孝隆が即座に返す。
「では、朝敵ですかな?」
孝隆の返しに、景全は唖然として黙ってしまった。何を言っているのか理解できなかったのだ。孝隆が更に言う。
「香川は帝に弓引く朝敵ですかな」
「ば、馬鹿な!いつ我等が帝に弓を引くなどという畏れ多いことをしたというのだ!言いがかりだ!」
「と、武田も思っておられましょうな」
孝隆が冷淡な笑みを顔に浮かべてそう言うと、景全は再び唖然として黙ってしまった。そんな景全に、孝隆が冷淡な笑みのまま優しげな声で語りかける。
「実は二月六日より、岐阜中将様(織田信忠のこと)を総大将に、武田を攻めておりましてなぁ。その際、朝廷より武田は東夷と看做され、織田に対して『東夷武田を討て』と勅命が出されております。つまり、我が織田家は官軍ということになりますなぁ。
・・・お分かりですかな?又五郎殿。我等は朝廷に働きかけることによって、いつでも、誰でも朝敵にさせることができるのですよ」
孝隆がそう言うと、景全は震え上がった。信長の力が強大なことは知っていたし、先関白である近衛前久と須磨で鷹狩をしたことは聞いていたが、まさか自分の敵を朝敵認定させるほど信長の朝廷における影響力がそこまで大きいとは予想していなかったからだ。
震え上がっている景全に、今度は秀吉が話しかけてくる。
「又五郎殿。塩飽を手放してくれれば、上様は香川殿の西讃における所領を安堵してくれると直接儂に言ってくださった。そして朱印状も発するとな。儂等としても、香川殿との戦は望んでおらぬ。この筑前めを信じて、塩飽を手放してくれぬかのう」
秀吉の人を思いやるような優しい口調を聞いたからなのだろうか。景全は項垂れるように頷く。
「・・・承知いたしました。前右府様に従いまする」
景全の承諾を聞いた重秀は、胸の内に静かな安堵が広がるのを感じた。
秀吉と景全との会談が終わった直後、重秀とその家臣達は精根尽き果てている景全と共に飾磨湊へ向かった。が、そこで重秀達の動きが止まってしまった。何故なら、飾磨湊に着いたのが申の刻(午後3時頃から午後5時頃)であり、この時の潮は下げ潮だったからだ。つまり、潮の流れが西から東に流れており、西に向かうのが難しい状況であった。一応、酉の刻(午後5時頃から午後7時頃)には下げ潮から上げ潮になるのだが、そうなると今度は夜間の航行となる。いくら急ぐとは言え、島々が連なる瀬戸内の海を、真っ暗闇な状態で航行するほど重秀達は蛮勇ではなかった。
「飾磨湊の水夫達の話では、夜中の下げ潮が再び上げ潮に転じるのは明日の辰の刻(午前7時頃から午前9時頃)らしい。が、卯の刻二つ(午前6時頃)には日の出だ。その頃には凪になり、風がない状態になる。潮も動かず、風も吹かないその時に出帆する。風と潮が動くまでは人力で進むぞ」
飾磨湊にある御殿に集められた諸将は、重秀からそう聞かされると、一斉にどよめいた。
「・・・恐れながら若殿。フスタ船や関船はともかく、小早は艪を少なくしております。風も潮も動かないとなりますと、小早は少々遅れると思われますが・・・」
小早一番隊の井上成蔵がそう尋ねると、重秀は「分かっている」と言った。
「しかし、それでも急がねばならない。早急に塩飽を抑えねばならないからな。なので、艪の少ない船は遅れても構わない。フスタ船や関船を先行させる」
重秀の言葉に、一部の武将達から驚きと戸惑いの声が上がった。そんな中、梶原永宗が威厳のある声を上げる。
「落ち着け。潮の流れが止まるのは半刻もしないし、凪となる時も短い。すぐに風は起きるから、人力だけで船を進ませるのはさほど長い時にはなるまい」
播磨梶原家の当主として梶原水軍を率いていた永宗がそう言うと、周囲に上がっていた声が収まった。直後、山内一豊が質問の声を上げる。
「若君。それがしの軍勢は塩飽に上陸すると考えてよろしいので?」
「ああ。山内勢は塩飽の広島に上陸してもらう。広島には城はないが、結構大きめな島故、多くの兵を持つ山内勢が適任だろう。築城については伊右衛門(山内一豊のこと)に任せる。
・・・ああ、それと、塩飽の中心地たる本島には私が向かうが、笠島城には弥三郎(石田正澄のこと)を入れる。与島にある与島城には甚右衛門(尾藤知宣のこと)と尾藤勢を入れる」
重秀がそう答えると、一豊だけでなく尾藤知宣と石田正澄が「承知いたしました」と言って頭を下げた。そんな時だった。大谷吉隆が声を上げる。
「恐れながらいや若殿。笠島城には私めも入れてくだされ」
吉隆の提案に、重秀は眉間にしわを寄せる。
「いや・・・。紀之介(大谷吉隆のこと)は船酔いがひどいじゃないか」
「しかしながら、塩飽に向かう若殿のお供ができずに飾磨に残されるのは口惜しゅうございまする。それに、若殿が本島の笠島城に弥三郎殿を入れるということは、塩飽の船方衆との交渉をお任せになられるものと愚考いたしまする。しからば、私めも弥三郎殿の手伝いをしとうございます。
・・・それに、こう言っては我が身の恥を晒すことになるのでございますが、船酔いが激しい故、私めは島にいたほうが良いかと・・・」
吉隆がそう言って声を小さくした。それを聞いていた重秀が吉隆に言う。
「いや、己の至らざる事を認めるのは勇ある者の証である、と半兵衛殿(竹中重治のこと)もおっしゃっていた。それに、船酔いがひどいことを認め、その代わりに己のできる事を成そうとする紀之介の心意気、この藤十郎感じ入っている」
そう言って吉隆を慰めた重秀は、正澄に顔を向ける。
「弥三郎、笠島城には紀之介を連れて行ってくれ」
「承知いたしました。拙者と致しましても、文武両道に優れる紀之介が共に笠島城に入ってくれることを望んでおりました」
笑顔で言う正澄に、重秀も笑顔で返す。
「うん。紀之介は兵法にも明るいが、個々の武についても優れているからな。一番槍などの武功は挙げておらぬが、それでも前線に送っても戦えるだけの武は持っている。真に得難い武将だ」
重秀がそう褒めたので、吉隆は恥ずかしそうに「恐縮至極にございます」と言って頭を下げるのであった。
次の日。日の出と共に出帆した重秀率いる羽柴水軍は、景全の乗ってきた弁財船と共に申の刻(午後3時頃から午後5時頃)には塩飽に到達していた。
塩飽本島にある笠島の湊に上陸した重秀は、同じく上陸した福島正則、大谷吉隆、石田正澄、河北算三郎と共に、香川景全を連れて笠島城へと向かった。そこで重秀は予想もしていなかった光景を見る。
「・・・笠島城に掲げられているあの幟・・・。香川のものではないな」
そう呟く重秀の視線の先には、笠島城の城壁や櫓のあちらこちらにカラフルな幟が上がっていた。
「あれって、船を識別するための旗だよな?確か、船印とか言う」
正則が重秀の傍でそう言っているのを聞きながら、重秀は足を早めて笠島城へと向かった。
山上にある笠島城の城門はすでに開いており、そこには香川の兵ではなく、佐々木新右衛門を始めとした塩飽の船方衆と、先に塩飽入りしていたくまが立っていた。他にも、屈強そうな海の男達が腰に刀をぶら下げて立っていた。
「羽柴の若殿様。お待ち申しておりました」
新右衛門が恭しく頭を下げると、くまや他の船方衆達も一斉に頭を下げた。
重秀が挨拶すべく口を開こうとした時、不意に重秀の後方から大声が聞こえた。
「おいっ!これはどういうことだ!何故笠島城に香川の旗は立っておらぬ!?」
そう怒声を上げながら、景全が新右衛門に詰め寄った。景全に胸ぐらを掴まれながらも新右衛門は顔色を変えずに答える。
「いやぁ、羽柴様が織田の大軍引き連れて塩飽奪還されるとの噂がなんでか数日前から島中に流れましてな。それ聞いた不安になられとるお代官様が逃げられましてなぁ。城が空いてしもうたけん、その間我等が代わりに守っとったところでございます」
新右衛門がそう言うと、景全は「戯言を!」と言って新右衛門を激しく揺すった。
「おんし等が福田又次郎を殺したのは分かっているのだぞ!どうせ同じように我等の代官を始末したのであろう!」
そう言って怒声を上げる景全。そんな景全に、くまや他の船方衆達が「そんな訳あるか!」とか「濡れ衣だ!」と声を上げた。
そんな中、新右衛門は落ち着いた口調で景全に言う。
「お疑いならば、お代官様に直接お尋ねになられるとよろしいかと。今頃は多度津(今の多度津港)に着いておられているはずでございます」
「なにを・・・っ!」
景全が更に新右衛門に食ってかかろうとするが、それを重秀が止める。
「又五郎殿、もうそのくらいでよかろう。なにはともあれ、笠島城は羽柴が入るのです。羽柴の城で揉め事はお止めいただきたい!」
重秀の鋭い声に、景全は忌々しげに呻くと、新右衛門を突き放すように手を離した。そして新右衛門達を押しのけるようにして、城内へと入っていった。
「・・・新右衛門。これより私と香川殿の間で誓紙の交換を笠島城内で行う。すまぬが、専称寺の住職を連れてきてくれぬか」
重秀が新右衛門にそう言うと、新右衛門は「承知いたしました」と言って頭を下げるのであった。
それからしばらくして、重秀と香川景全との間で三献の儀が行われ、その後起請文の交換がなされた。こうして笠島城と与島城は再び羽柴の城となり、塩飽は羽柴の影響下に入った。
引き渡しの儀式が終わり、景全がさっさと船に乗って讃岐に帰っていくのを見届けた重秀は、塩飽の島々の船方衆を全て笠島城に集めた。そして今後の方針について話し始めた。
「塩飽に対する羽柴の関わり合いは、香川が塩飽を回復する前に戻す。ただし、塩については塩飽の勝手次第とする。前は播磨と兵庫の商人のみに売っていたが、今後はどこに売っても良い」
そう言われた船方衆は一様に嬉しそうな笑みを顔に浮かべた。どこに売ってもよいのであれば、高く買ってくれる場所に塩を売れば、その利益は全て塩飽の島々のものになるからだ。もっとも、瀬戸内海では塩はどこでも採れるため、高く買ってくれる場所は近隣にはないのだが。
「また、船大工でもある金村久太郎と小坂七兵衛を本島に戻す。二人は船大工としてだけではなく、鳥取城攻めの際に陣城や附城の築城にも腕をふるってくれたからな。今回は笠島城や与島城、それに広島に作る新たな城の築城に携わってくれることになっている。
・・・そして二人を塩飽に戻す以上、くまも塩飽に戻すことになる」
重秀の話に、集まっていた船方衆からどよめきが上がった。船方衆の一人で新右衛門の親戚筋でもある広島の佐々木与右衛門が声を上げる。
「広島に城を造るということは、広島にも兵を置くということか?」
「そうなるな。広島だけでなく、他の島々にも兵と陣城を築くことになるだろう。ただ、兵が駐屯するのは一時的だ。毛利を降し、中国地方を平定し終われば、兵は引き上げる。ついでに言うと、兵糧については兵庫や姫路から運び入れるから、皆から取り上げるということはない」
重秀の説明を聞いた船方衆は皆安堵の表情を顔に浮かべた。そんな船方衆に、重秀がとんでもないことを言う。
「その代わりと言ってはなんだが・・・。此度の戦に、塩飽の男衆をお借りしたい。十四歳以上五十歳以下の男衆全てだ」
重秀の言葉に、船方衆からは再びどよめきが上がった。船方衆の一人である富田銀右衛門が質問する。
「・・・男衆には何をさせる気だ?」
「全てのことをさせる。水夫として羽柴の軍船に乗せるし、船主として船で姫路や兵庫からの兵糧を運んでもらう。そして、陣城の築城もやってもらう」
重秀の回答に、船方衆からのどよめきが大きくなった。そんな中、重秀が大きな声で言う。
「その代わり、築城の際には報酬は支払う!米と銭、そして油だ!また、もし船軍にて怪我をして働けなくなった者、死んだ者には見舞いとしての米と銭を与えよう!」
この言葉に、船方衆はどよめきを止めた。そしてヒソヒソと周囲の者と話をし始めた。そして再び銀右衛門が質問する。
「その報酬は如何程で?」
「日に米一升、油一升、銭は百文。船軍で怪我した者には米一石、油一石、銭は一貫文。死んだ者には妻と子と親にそれぞれ米一石、油一石、銭を一貫文与えよう」
重秀の提案に、船方衆は「おお!」と声を上げた。新右衛門が重秀に言う。
「年貢を免除する代わりに船や水夫を差し出すということはよくあるが、それだけでなく報酬や見舞いを出してくれるとは。やはり羽柴について良かったと思いますな」
「それだけ塩飽の民には期待しているということだよ」
そう言って笑う重秀に、新右衛門達も笑うのであった。
重秀との新右衛門達船方衆が戻った後、重秀達は笠島城内で軍議を開いた。と言っても、参加したのは重秀と一緒についてきた石田正澄、大谷吉継、福島正則と、重秀達を塩飽本島に連れてきた『村雨丸』と『春雨丸』の指揮官である加藤清正と加藤茂勝だけであり、その他の者達は塩飽中の島々に散っていた。
「さて。今後の我等の動きについてだが、先程新右衛門達が言っていたように、塩飽が毛利に攻められるということはないだろう。香川も気になるところだが、誓紙を交換した直後にいきなり攻めるほど香川も馬鹿ではないだろうし、後ろ盾の長宗我部も東讃や阿波の平定に手こずっている。しかも長宗我部は上様に停戦を命じられているから、長宗我部も動けないだろう。つまり、塩飽を攻めようという勢力は周辺にはない」
事前に重秀が新右衛門達から聞いた話では、塩飽の島々の間にある海はとても狭く、塩の流れが速くて複雑である。また、満潮時と干潮時では地形が変わるため、満潮時には船が通れる場所が、干潮時には岩礁や洲(砂や泥が堆積して水面に現れた地形のこと)によって通れなくなる場所となる箇所が多くある。
こういった塩飽周辺の環境を熟知しない他の船乗りたちは塩飽諸島に近づくことはなく、それは瀬戸内随一の航海技術を持つ村上水軍ですら塩飽諸島を通過する際には塩飽から水先案内人を雇って航行していた。
「・・・兄貴。香川の連中はいきなり本島に兵を送り込んできたみたいだけど?」
「香川は昔から本島に代官を派遣していたし、船のやり取りもあった。だから本島への行き来はできたんだ。しかし、それ以外の島への行き来はあまりしなかったらしい。なので、実は香川も本島以外の島への行き方をよく知らないらしい。他の島へ行くときは塩飽の者達に案内させていたそうだ」
重秀の解説に、正則は納得したように頷いた。重秀の話は続く。
「ただ、さっきも言った通り香川が塩飽へ再び攻め込むことはないだろう。そこで、今後の策なのだが、私は塩飽を抑えるだけでなく、ここを拠点に周辺に攻め込もうと思う」
重秀はそう言うと、自らの考えを述べていくのであった。