第238話 秀吉の再婚騒動(お福編)
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「・・・い、今なんと申されましたか?」
重秀は秀吉にそう尋ねると、秀吉は真面目そうな顔つきで重秀に答える。
「じゃから、儂はお福殿(宇喜多直家の正室)を継室として娶ろうと思っておるのじゃ」
秀吉の告白に、重秀は唖然とした。いや、重秀だけでなく後ろに控えていた前野長康と浅野長吉、福島正則と大谷吉隆もまた唖然とした表情で秀吉を見つめていた。
そんな5人に秀吉が説明を始める。
「知ってのとおり、八郎(のちの宇喜多秀家)は齢十の若年。とても家中を治めることなぞできぬ。しかも西からは毛利が攻め入っているのじゃ。ここは宇喜多を支えねばならぬ」
「それは先程も聞きました。しかし、それと福殿を娶るのは関係ないのでは・・・?」
重秀がそう言うと、秀吉は更に説明する。
「何を言う。八郎には後ろ盾となる父親が必要じゃ。その父親に織田家の重臣たる儂がなろうというのじゃ。決して、決・し・てっ、美しいお福殿を手籠めにしたいと思っているのではないぞ!」
秀吉の言葉に、重秀だけでなく長康と長吉、正則や吉隆、そして石田三成まで冷たい視線を投げかけた。そんな視線を受けてたじろいだ秀吉は、泣き真似をしながら呟く。
「なんじゃなんじゃ。皆して儂のことを疑いおって。儂はやましい気持ちでお福殿を娶りたいのではないんだぞ。儂を友と言ってくれた和泉守(宇喜多直家のこと)に報いようと思ってお福殿を娶るつもりなんじゃぞ。なのに皆して反対しおって」
いじける秀吉に、重秀が「父上」と声をかけた。
「皆反対した、ということは、このことをすでに話されているのですか?」
重秀の言葉に、泣き真似をやめた秀吉が「うむ」と頷いた。
「小一郎にはまだ話しておらぬが、官兵衛(黒田孝隆のこと)と小六(蜂須賀正勝のこと)、そしてそこの佐吉(石田三成のこと)にも話した。三人共反対しておった」
秀吉がそう言うと、重秀の後ろから「そりゃそうだろう」と、長吉が声を上げた。
「義兄貴がお福殿と婚姻を結んだら、もれなく八郎が付いてくるんだろう?八郎と若殿の間で家督を巡って争いが起きるだろうがよ」
「儂は羽柴の家督は藤十郎にしか渡さぬぞ。そもそも、宇喜多と羽柴の所領は別なんじゃから、播磨と摂津と但馬を藤十郎に、備前と美作を八郎に任せりゃいいだろうが」
秀吉が口を尖らせながらそう言うと、長吉だけでなく長康も「何言ってるんだ」と呟いた。そして長康が秀吉に言う。
「大殿。若殿と八郎はいいとして、もし大殿と福殿の間に男児が生まれたらどうされるので?継室とはいえ正室から生まれた男児ですぞ。嫡男として、羽柴の家督を継ぐことができるのです。もしそうなった場合、その男児と若殿、どちらを廃嫡されるおつもりか?」
長康の「廃嫡」という言葉に、秀吉は言葉を出すことができなかった。唖然とする秀吉に、長吉が強い口調で言う。
「・・・義兄貴。もし若殿、いや藤十郎を廃嫡すると言うのであれば、俺は藤十郎を担いで謀反を起こすぜ。義姉貴(ねねのこと)の子を廃嫡なんてさせられるか!」
「大殿。この前野将右衛門も弥兵衛殿(浅野長吉のこと)に同心仕る。大松の頃より親しくしていた若殿を見捨てることはできぬ」
「俺もだ!兄貴を見捨てるなんて義弟としてできねぇ!大殿相手に槍を振るってやるぜ!」
「大谷紀之介、大殿より受けた御恩を仇で返すことになりまするが、若殿への忠義を貫く所存にございます」
長吉だけでなく、長康や正則、吉隆が次々にそう言うと、秀吉は慌てた。
「待て待て待て!儂は藤十郎を廃嫡するなど一言も言っておらぬぞ!勝手に盛り上がって儂に謀反を起こすな!」
秀吉がそう言うと、傍にいた三成が「だから言ったではありませぬか」と秀吉に冷たい視線を送りながら話しかけた。
「若殿様の与力や家臣が反発すると。それだけではありませぬ。恐らく小一郎様も反発されると思われますし、小一郎様が反発されるのであれば、但馬にいる羽柴の与力も小一郎様に同心されまする。黒田様や蜂須賀様が仰っていた通りになったではありませぬか」
三成からそう言われた秀吉は、「ぐぬぬ」と言った。そして視線を重秀に向けると、秀吉は重秀に尋ねた。
「・・・藤十郎。お主はどう思う?まさか、父の儂に謀反を起そうなどと考えておらぬよな?」
秀吉の問いかけに、重秀は落ち着いた声で答える。
「無論です。私は父上に謀反を起こすことは微塵も考えておりません。・・・しかしながら、父上と福殿の婚姻は難しいと考えます」
重秀の言葉に秀吉は唖然となった。そして、震える声で重秀に尋ねる。
「・・・そ、それは何故じゃ?」
「父上。我等が播磨に移された時に堀様(堀秀政のこと)から聞いた話を私がしたのをお忘れになられましたか?上様は家臣に一国以上の知行をあまり与えたくない、とおっしゃられたと聞いています。父上が福殿と婚姻を結べば、備前と美作が手に入ると思いかもしれませんが、上様がそれをお許しにはならないと思います。上様は父上と福殿の婚姻を認めないのではありませんか?」
重秀の話に、秀吉は唖然とした。口を半開きにして重秀を見つめる秀吉。そんな秀吉に重秀が更に話しかける。
「仮に父上と福殿の婚姻を認めるとすれば、その代わり羽柴の力をあからさまに削ってくるでしょう。いや、むしろ上様は『猿!汝は羽柴筑前守秀吉ではなく宇喜多筑前守秀吉と名乗れ!』と言って宇喜多を乗っ取るために父上を福殿へ婿として送り込むやもしれませぬ。そうなれば、播磨は上様に召し上げられますよ」
「な、何故そうなる!播磨は儂の後を継ぐお主のものではないのか!?」
「羽柴の力を削りたいと思っている上様が、すんなりと私に継がせるとは思いませぬ。それに、殿様(織田信忠のこと)は私を奉行にして手元に置きたいと思っているようです。これを機に羽柴を大身の重臣としてではなく、長谷川様(長谷川秀一のこと)や堀様(堀秀政のこと)のような小身の近臣とするやもしれませぬ。・・・まあ、私はそれはそれでいいかな、と思うのですが」
重秀がそう言うと、秀吉は顎が外れん限りに口をだらしなく開いた。しばらくそんな状態が続いた後、秀吉は項垂れた。そんな秀吉に長吉が話しかける。
「・・・義兄貴。俺も福殿を見たことあるから、あの器量良しを気に入る気持ちはよく分かる。が、義兄貴は播磨の国主で羽柴一門の頭領だ。播磨国が上様に召し上げられたら、それまでの羽柴家臣団は散り散りになっちまう。あの佐久間様(佐久間信盛のこと)が追放されてその家臣団が各地に散らばって苦労しているって聞いたことがあるぜ。俺達をそんな目に合わせないでくれ」
長吉がそう言うと、秀吉はうなだれながら「分かった・・・」と呟くのであった。
「・・・儂がお福殿と婚姻を結べないのは分かった。じゃが、八郎の今後のことを考えねばならぬ。対応を誤ると宇喜多そのものが消失しかねぬ。・・・まあ、消失したらしたらでお福殿を儂が保護できるからいいんじゃが」
ショックから立ち直った秀吉が、未練タラタラにそう言うと、三成が「大殿。お戯れを」と言って窘めた。
「宇喜多が消失すれば、羽柴にとっての有力な与力がいなくなりまする。そうなれば中国平定という役目ができなくなりまする」
「分かっておるわ。儂だって別に宇喜多が滅ぶことを望んじゃいない。なんとかして宇喜多の家督を八郎に滞り無く継がせ、和泉守(宇喜多直家のこと)死後の宇喜多を取りまとめてもらわなければならん。しかしのう・・・。八郎は若年じゃからのう・・・」
そう言って溜息をつく秀吉。そんな秀吉に重秀が話しかける。
「・・・父上。和泉守様には確か弟がいましたよね?八郎の叔父に当たる方になりますから、その方に後見役になっていただければよろしいのではありませんか?」
宇喜多直家の実弟である宇喜多忠家を八郎の後見役にする、という重秀の提案に、秀吉以外の者達は賛同の声を上げた。しかし、秀吉は首を横に振り、しかも強い口調で重秀の提案を否定する。
「あいつぁ駄目だ!七郎兵衛(宇喜多忠家のこと)は確かに戦も強いし儂との誼も深い。が、あいつは日頃の行いが悪いせいか、家臣からの人望がない。そんなやつに八郎の後見役が務まるとは思えぬ!」
宇喜多忠家は、直家がまだ小身のころから仕えていた忠臣である。羽柴秀吉にとっての小一郎のような存在ではあったが、残念ながら小一郎と同じような人望は得られていなかった。
忠家は短気だったとされ、そのため自分と対立した直家の家臣をたびたび処罰していた。この行いが兄である直家や他の重臣の反感を買ったという。後年、忠家は兄である直家の前に出るときは必ず鎖帷子を着物の下に着込んでいたと言われているが、恐らく直家だけでなく他の家臣から生命を狙われている可能性があったからであろう。
「では、父上は七郎兵衛様が後見役にふさわしくないから、父上が八郎の後見役になろうとしたのですか?」
重秀の言葉に、秀吉は「うむ」と答えた。
「儂が福殿と婚姻を結べば、八郎は儂の養子となる。儂が後ろ盾となり、八郎が良き年齢になるまで後見すればなんとかなると思ったんじゃがのう・・・」
そう言う秀吉に、重秀が話しかける。
「父上。七郎兵衛様が後見役にふさわしくないというのは分かりましたが、では他に後見役にふさわしい方はいらっしゃらないのですか?例えば与太郎殿(宇喜多基家のこと)などは如何でしょう?」
重秀の話を聞いた秀吉は、先程までの怒りの表情を引っ込めて、落ち着いた表情で答える。
「・・・与太郎は悪くはないんじゃが、あれも若いからなぁ。宇喜多家中をまとめるのはともかく、毛利への対応という点では力不足じゃろう。
・・・そうなると、やっぱり七郎兵衛しかおらぬか・・・」
秀吉が溜息混じりにそう言うと、傍にいた三成が話しかける。
「大殿。宇喜多の重臣は和泉守様が小身の頃より苦楽を共にされてきた者ばかり。その忠誠心は著しく高いものだと官兵衛殿から聞き及んでおりまする。官兵衛殿も申されておりましたが、和泉守様の忘れ形見である八郎様が宇喜多の当主になられれば、とりあえずは宇喜多の家中はまとまりましょう。そして七郎兵衛様も八郎様を無下にはなさいますまい」
「確かに。家臣が結束して八郎を担ぎ上げるのであれば、七郎兵衛殿は我が身の安全を図るために八郎を敬わなければならなくなる・・・。ならば、七郎兵衛殿は後見役として役目を全うされるだろうな、己のために」
三成に続いて長康がそう言うと、秀吉は「なるほどな・・・」と呟いた。が、秀吉がすぐに別の懸念を示す。
「まあ、宇喜多の内はそれでよいじゃろうが、問題は外じゃ。今のところ和泉守の死は秘匿されておるが、いづれ毛利や上様に露見されるじゃろう。そうなった場合、毛利はより攻勢を強めるじゃろうし、上様は若輩の八郎の家督相続を認めぬやもしれぬ。それを防ぐ必要がある」
「毛利はまあ、儂等が宇喜多に援軍を送り込むことでなんとかなると思うが、上様はどうにもならないのでは?」
長康の言葉に、秀吉は「そこよ」と眉間にしわを寄せながら言った。
「なんとかして上様を説得して八郎への家督相続を認めてもらわなければならぬのじゃが・・・」
秀吉はそう言うと、重秀の方を見る。
「藤十郎。お主何か良い知恵はないか?」
そう尋ねられた重秀は、口元に右拳を当てるという昔から何かを考え込む時に行うポーズをして動かなくなった。しばらくして口元から右拳を離した重秀が口を開く。
「・・・いっそ、八郎を安土に連れていき、上様に会わせてみては如何でございましょう。才気溢れる八郎を見たら、上様も気に入られるのではないでしょうか?」
「ふむ。それは一つの策ではあるが、ちと危ういのう・・・」
「しかしながら、八郎は兵庫では文武共に修行を積み、己のものとしてまいりました。その才気溢れる姿をお見せすれば、上様は宇喜多の嫡男として認めてくれるやもしれませぬ」
重秀の言葉に、秀吉は再び考え込んだ。そして、自らの考えを口に出す。
「・・・ならば、いっそ八郎を元服させ、その元服の挨拶として上様に会わせた方が良かろう」
「元服ですか?早うございませぬか?」
重秀がそう言うと、秀吉は首を横に振る。
「十一歳で元服することはありえぬ話ではない。それに、元服させることで宇喜多家をいつでも継げる準備ができている、ということを上様に見せることで、いづれ和泉守の死が上様に知られても、上様が八郎を無視することができぬようになる・・・」
そこまで言うと秀吉は黙り込んでしまった。しばらく黙り込んでいた後、重秀が秀吉に声を掛ける。
「・・・父上?如何なさいましたか?」
重秀がそう尋ねると、秀吉が重秀の目をまっすぐに見つめながら聞く。
「藤十郎。お主の娘と八郎を娶せるぞ」
秀吉の発言に、重秀が驚く。
「はあぁあ!?父上何を言っておられるのですか!?藤も桐もまだ赤子ですよ!?」
「実際に娶せるのではない。婚を結ぶことを約束するだけじゃ。まだお主から取り上げるわけではない」
秀吉の言葉に、重秀は安堵の表情を顔に浮かべた。しかし、すぐに表情を引き締めると、秀吉に尋ねる。
「しかし、なんでまた私の娘を?」
「羽柴と婚約していると分かれば、上様もおいそれと八郎を無下にしないであろう」
「しかし父上。上様の許しも得ずに宇喜多と羽柴が縁戚になるのはどうなんでしょう?実質的に羽柴の力が増えますから、ご不興を買う羽目になるのでは?」
重秀の言葉に、秀吉はニヤリと笑う。
「許しが得られなければそれは構わぬ。要は宇喜多八郎が重要な人物じゃということを上様に知っていただければ良い。そして、上様が八郎を使えると思ってくれれば、自分の娘を嫁がせるじゃろう。そうなれば宇喜多は織田の一門じゃ。上様も宇喜多を潰すようなことはしまい」
「ああ、なるほど。我が娘を餌にして織田の姫を釣りだすと」
重秀がそう言うと、秀吉は「そういう言い方はないじゃろう」と悲しげに言った。秀吉自身も自分の孫娘を宇喜多存続の工作の道具にしていることは分かっていたが、感情的には後ろめたさを感じていたからだ。
「まあ、八郎と私の娘を娶せる自体は反対しません。八郎は才気ある若人。縁戚になることにはやぶさかではありませんし。ただ、歳の差を考えると・・・」
「しかしな、羽柴の姫はお主の娘である藤と桐以外にはきくしかおらぬでのう。三人共赤子なのは分かっておるが、赤子でも婚約するのはまったくないわけではない」
秀吉がそう言うと、重秀は「分かっております」と返事を返した。しかし、秀吉の発言の中に気になる言葉があった。それに気がついた重秀が秀吉に尋ねる。
「・・・父上。きくって誰ですか?」
「誰ですかって・・・。小一郎の娘じゃろうが」
秀吉の回答に、重秀は目を点にして沈黙した。直後、重秀だけでなく秀吉と三成以外のその場にいた者達が「はああぁあっ!?」と大声を上げた。
「こ、小一郎の叔父上の娘ぇ!?なんですかそれはっ!?聞いてませんよっ!?」
重秀がそう言うと、秀吉は「あ、そういえば」と自分の額を右掌で軽く叩いた。
「鳥取城攻めの折、陣城で小一郎から聞いたときにはお主はいなかったんじゃったっけ。それは聞いておらんわな。しかし、小一郎は報せておらなんだか。全くあいつは・・・」
秀吉がそう愚痴っていると、重秀の後ろから長吉が叫ぶ。
「い、いや、義兄貴よ!そんなことはどうでもいいんだよっ!小一郎殿に娘ができたってことは、婚姻を結んだってことか!?いつ!?誰と!?」
長吉の叫び声に、長康や正則、吉隆が激しく首を縦に振った。それだけ小一郎に娘ができたということに皆が驚いていた。
一方、秀吉であるが、彼は困惑した表情で皆に話す。
「いや・・・。小一郎の話では『領内の女子に手を出してしまったら孕んでしまった』と言っててな・・・」
秀吉がそう言うと、その場にいた者達が一斉に困惑した表情で互いに顔を見合わせた。そして重秀が秀吉に言う。
「小一郎の叔父上が領内の女子に手を出したのですか?にわかには信じられないのですが・・・」
「・・・まあ、竹田城で色々あったのであろう。良いではないか。小一郎に娘とはいえ子が成せたのじゃ。あやつも良い歳じゃ。これからも子を成してくれれば小一郎の家も安泰じゃろう。
・・・そんなことより宇喜多のことじゃ。来年の新年には元服させ、直後に安土に連れて行くぞ。それまでの間に七郎兵衛や久太(堀秀政のこと)に根回しをしておかねばならなくなるからのう!」
そう言うと秀吉は話を切り替え、更に今後のことについて話すのであった。