第237話 化け物の死
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天正九年(1581年)十二月二日。池田元助率いる淡路平定の戦いは終わった。
重秀率いる羽柴水軍と淡路に残っていた毛利水軍との戦いは、天正九年(1581年)十一月二十七日に行われた絵島の戦い(別名片浜の戦い)にて羽柴水軍による勝利で終わった。
後の世で出された豊臣秀吉の軍記物の記述では、羽柴水軍は百隻にも満たない水軍で二百隻を越える毛利水軍と戦い、味方の船一隻も失わずに敵船二百隻を沈めたと書いてある。
しかし、池田家に残されている当時の史料によれば、毛利水軍の軍船のうち、羽柴軍によって沈められた船は一部だけであり、大多数は降伏したようである。
また、最近の研究により、『秋雨丸』『驟雨丸』の2隻が天正十年(1582年)一月から二月にかけて神戸村にて解体された、という事が分かった。恐らく、江島の戦いにて修復不可能なほどの損傷を受け、解体されたものと考えられる。
どちらにしろ、羽柴水軍は絵島の戦いで淡路に残留していた毛利水軍を排除、制海権を確保した。そして次の日、すなわち天正九年(1581年)十一月二十八日には池田勢が片浜、長浜に上陸。その翌日には菅達長が籠もる岩屋城(別名俎山城)へ攻め寄せた。
達長は自分の力の後ろ盾である毛利水軍が壊滅したことで、すでにやる気を失っていた。結果、達長は逃亡し四国へと逃れた。城主がいなくなった岩屋城は1日で落城した。
その後、元助率いる池田勢は三好康慶の道案内で淡路国内の諸城を制圧。すでに康慶の調略で織田方に寝返っていた淡路の国衆は城を開いて池田勢を迎え入れた。こうして天正九年(1581年)十二月二日には淡路は全て織田の支配下に入った。
淡路平定がなった後、兵庫城にいた池田恒興は元助にそのまま淡路に駐屯するよう命じた。そして兵庫城に帰ってきた重秀に謝辞を述べると、そのまま自分の居城である尼崎城(前の大物城)へと帰還していったのだった。
天正九年(1581年)十二月八日。重秀は兵庫城本丸御殿の『奥』にある奥書院で一通の手紙を目の前にして悩んでいた。長い間悩んでいるところに、襖の向こう側から正室である縁の声が聞こえた。
「御前様。縁でございます。よろしゅうございますか?」
「・・・ああ。入っていいぞ」
重秀が襖の向こうに声を掛けると、襖が開いて縁が入ってきた。
「・・・御前様。あの・・・」
おずおずと声を掛ける縁。しかし重秀は縁の方を見なかった。縁がためらいつつも再び声を掛ける。
「御前様。・・・あの、私めはそろそろお休みしようと思いまするが・・・」
「・・・ああ、うん。おやすみなさい」
手紙から目を離さずに元気のない声で返事を返す重秀。そんな重秀に縁が声を掛ける。
「・・・御前様、如何なされましたか?何か、お困り事でございましょうか?」
「・・・よく分かったね」
そう言って重秀は縁の方を向いた。縁が微笑みながら言う。
「もう何年も夫婦をやっておりますれば、御前様の様子は分かりまする。それに、御前様は心の内を顔に出しやすいお方でございますれば」
「・・・そんなに顔に出ているか?父上や半兵衛殿(竹中重治のこと)に叱られて以降、顔に出さないようにしていたのだが」
「それはおそらく御前様が普段顔に出さないように努めておられる分、奥では気を緩めておられるのでございましょう。よろしいではございませぬか。人は長い間気張ることはできませぬ。私や他の室の前で気を抜いたとしても、義父上様や半兵衛様は御前様を責めは致しませぬ」
縁からそう言われた重秀は、「そういうものかな」と言いつつ右手で顔を撫でた。そんな重秀に縁が尋ねる。
「・・・それで、お困りごとは何でございましょうか?私めにお話できぬことでございましたら無理に話さなくてもよろしゅうございますが・・・」
縁からそう言われた重秀は、「うーん」と唸った。重秀が縁に言う。
「・・・有り体に申さば、お濃の方様や上様に知られたくない事なのだが。かといって父上や小一郎の叔父上ぐらいしか話すことはできないし・・・」
「・・・それは、羽柴の奥向に関することなのでございますか?まさか、どこぞの女子に手を出したとか?」
低い声で尋ねる縁に対し、重秀は「違う違う」と勢いよく首を横に振った。しかし、縁は疑いの目を持って重秀を睨みつける。
「・・・私との目合いはともかく、とらへの目合いを行っていないように思われまする。たまにとらと寝所を一緒にしておられるようですが、七の話では寝所より子を成している気配が感じられぬと聞いておりまする。とらは蒲生家の姫。そのとらを差し置いて他の女子と目合うのは、とらの面目を失わせる行いと・・・」
重秀ととらが城外でヤッていることを知らない縁がそう言うと、重秀は「あー!あー!」と言って縁の発言を止めようとした。そして、重秀はそれまで見ていた手紙を縁に見せる。
「悩んでいたのは奥向のことではない!この文の返事について悩んでいたのだ!」
そう言って差し出された手紙を読む縁。しかし、文字は読めるが内容については全く理解できなかった縁が重秀に尋ねる。
「・・・これは?」
「土佐の長宗我部宮内少輔様(長宗我部元親のこと)が嫡男、弥三郎殿(長宗我部信親のこと)から届いた文だ。前に百人一首カルタを贈ったので、そのお礼だ」
「・・・お礼以外にも何か書かれておりますが」
縁がそう言うと、重秀が「そこが悩むところなんだ」と言った。
「どうも上様は惟任様(明智光秀のこと)や先関白様(近衛前久のこと)を通じて阿波南部四郡(海部郡、那東郡、那西郡、勝浦郡)以外の阿波国と讃岐国から手を引けと申しているらしい。また、塩飽の島々を羽柴に引き渡すようにも申しつけているようだ。しかし、宮内少輔様はその申し出に反発していてな。そこで弥三郎殿が上様が心変わりした理由を私に文で聞いてきているのだ。弥三郎殿への返書をどうしようか悩んでいる」
「・・・上様が心変わり、でございますか・・・」
重秀の説明にピンときていない縁。その様子を見た重秀が縁に、長宗我部が信長から『四国切取次第』の朱印状なるものを貰っているものの、信長が『四国切取次第』を無効とすることを決めた話をした。
「・・・上様は何故その様な心変わりのしたのでございましょうか?」
「まあ、上様からしてみれば、長宗我部という外様に瀬戸内の沿岸を取られたくない、というのが本音だしな」
そう言うと重秀は縁に対して、信長が瀬戸内の海に対する想いを伝えた。
「・・・では、上様は唐朝鮮、南蛮との交易のために瀬戸内の海を欲していらっしゃるのですか」
重秀の説明を聞いた縁がそう尋ねると、重秀は「うん」と頷いた。
「羽柴が毛利を攻めているのもその一環だな。まあ、他にも理由はあるけど。それはともかく、私は上様が長宗我部に讃岐と阿波の北半分を渡したくない理由を知っている。しかし、それを弥三郎殿に伝えて良いものなのか、と思っててね」
「・・・伝えてはいけないのでございまするか?」
縁が右人差し指を自分の右頬に付けながら右に首を傾げた。相変わらず愛らしい仕草だな、と思いつつも重秀は答える。
「先程も言ったけど、長宗我部の取次は惟任様が請け負っておられる。更に先関白様が加わっているのだ。ここで羽柴が私信とはいえ長宗我部の嫡男と連絡を取り合っては、惟任様と先関白様の面目を潰すことになる。
・・・それに、宮内少輔様にも上様の思惑は伝わっていると思うんだけど」
重秀がそう言うと、縁が意外な言葉を口に出す。
「それはどうでしょうか?私めは養女として御養父上様(織田信長のこと)と御養母上様(お濃の方のこと)の傍で暮らしておりましたが、御養母上のお話では御養父上は自らの考えとか思惑をあまり口に話されぬお方だと聞きました。御養母上がしつこく聞き出して初めて己の考えを口にするお方だとおっしゃっておりました」
「・・・そうなのか?そのようには思えぬのだが・・・」
瀬戸内海の制海権を握る理由や佐久間信盛の追放の裏について、信長から直接聞いたことのある重秀からすれば、信長があまり自分の考えを口にしない、という縁の言葉をにわかには信じられなかった。そんな重秀に縁が話しかける。
「御前様。義父上様・・・、筑前守様は織田家中ではもっともお養父上様のご意向を正しく汲み取ることができるお方だと聞いたことがございます。御前様がお養父上様の考えを聞いたことがあると思っているのは、筑前守様からの言葉をお養父上様の言葉としていらっしゃるからではございませぬか?」
縁の言葉に、重秀は「そんなことは・・・」と言いかけた。しかし、すぐに考えを改める。
「・・・確かに、瀬戸内と佐久間右衛門尉様(佐久間信盛のこと)の件以外は父上から聞いた話だな・・・。あれは上様が父上に考えを述べているわけではないのか」
秀吉は長浜城に移って以降、信長の考えを直接聞くことができなくなった。しかし、それでも秀吉は信長の意向を正確に把握できていた。それは、秀吉自身が信長の意向を正確に汲み取る才能があったからなのだが、それ以外にも秀吉は信長の意向を把握するための手段を持っていた。
その一つは信長の側近からの情報である。その情報源となった堀秀政は本人自身の有能さも相まって(そもそも有能だから信長に気に入られていた)、信長の意向は正確に秀吉に伝わっていた。また、秀政以外にも長谷川秀一、長谷川宗仁が秀吉に情報を流していた。更に、塩飽の一件以降、三好康慶や松井友閑といった長宗我部を危険視する信長の側近もまた、秀吉へ情報を流すようになっていた。
また、秀吉の傍にいた竹中重治や黒田孝隆も信長の考えを正確に汲み取れる逸材であった。そのため、秀吉自身が信長の意向を誤って汲み取ったとしても、重治や孝隆が修正することで秀吉が信長の意向から外れるようなことはなかった。
「・・・とすると、恐らく宮内少輔様は上様の意向を理解できていない虞があるな。ならば急に方針が転換されたと思って混乱するか・・・」
そう言って重秀は両腕を組んで考え込んだ。縁が静かに見守っている中、重秀が口を開く。
「・・・弥三郎殿には知らせておこう。それに、上様のご意向を知れば、『土佐の出来人』と呼ばれる宮内少輔様は良いように対応されるだろう。織田も長宗我部も全面衝突は望んでいないはず。どこかで妥協を見出してくれるやもしれない。
ただ、惟任様の面目を失わせるわけにはいかない。あくまで私信ということで、内密にしてもらおうかな・・・」
重秀がそう言うと、縁は「そうですか」と頷いた。すると、重秀は文机に向かって墨を取り出した。そして墨を硯で擦ろうとしていた。しかし、すぐに止めると縁に近づいてきた。
「・・・どうかされましたか?」
重秀の行動に驚いた縁がそう尋ねた。
「いや、近頃縁と一緒に寝ていないな、と思って。本来ならば正室たる縁との回数を多くシないといけないのだが」
重秀が縁の耳元でそう囁くと、縁の顔が一気に赤く染まった。縁が重秀に言う。
「・・・真のことを申さば、藤を生んでもうすぐ二年経とうとしておりまする。身体の方も回復しておりますれば、もう子を成しても大事ない、とは医者から言われております。しかしながら、明日は姫路に発たれるのではございませぬか?」
「夜に一戦交えたところで、明日の出立に支障は出ないさ。・・・それとも嫌か?」
重秀が小声で尋ねると、縁はただ黙って首を横に振った。直後、重秀が縁と唇を重ねて押し倒す。
「・・・あの、ここででございますか?」
重秀に押し倒された状態で縁が尋ねた。重秀が微笑みながら答える。
「布団の上でなくてもいいじゃないか」
「いま冬でございますが?」
そう言われた重秀。縁から離れると襖を開けて首を出し、大声を上げる。
「誰かある!今すぐ床を用意せよ!火鉢も忘れるな!」
次の日の早朝、重秀は与力である前野長康と浅野長吉、自身の家臣である福島正則と大谷吉隆を連れて姫路城へと向かった。途中で一泊し、翌日の午前中に着いた重秀達は、少し休んだ後に秀吉と面会した。
「おう、藤十郎。急に呼び出してすまぬのう」
姫路城本丸御殿の表書院に石田三成と共にやってきた秀吉は、すでに表書院に来ていた重秀の顔を見るなりそう言った。重秀達が平伏しながら挨拶をする。
「父上におかれましてはご機嫌麗しく」
しかし上座に座った秀吉の顔には、ご機嫌の麗しさがなかった。秀吉がゆっくりと口を開く。
「麗しくは無いんじゃがのう・・・。藤十郎、実は困ったことが起きた」
「・・・何でございましょうか?」
「・・・このこと、他言無用じゃぞ。毛利はもちろん、上様にも知られてはならぬ」
そう言うと秀吉は手招きをした。重秀が息を呑みつつ秀吉に近づくと、秀吉が小声で話す。
「・・・和泉守(宇喜多直家のこと)が死んだ」
「ええっ!?」
予想外のことを言われた重秀が、思わず声を上げた。秀吉は一瞬だけ顔を顰めたが、すぐに真面目な顔つきになると話を進める。
「実は今年に入って容態が優れぬということは知っておった。じゃが十月頃から容態が悪化したそうじゃ。毛利の主力が美作から北上せずに急に備前国を攻めたのは、和泉守が病で動けぬことを知ったからではないか、と官兵衛(黒田孝隆のこと)が疑っておった。
・・・まあ、それはともかく、お主が兵庫城に戻った直後、備前の石山城から急使が来てのう。儂も慌てて石山城を訪れて和泉守の最後を看取ったのじゃ」
「・・・そう、だったのでございますか・・・」
阿閇城の戦いで勝ちを譲られて以降、重秀は直家に対しては複雑な感情を抱いていた。没落した宇喜多家を備前を中心に美作・播磨・備中にまで勢力を広げた手腕には称賛の眼差しを向ける一方、阿閇城の戦いを利用して自分の意にならない家臣を始末した謀将としての辣腕を見せつけられたことから、心の中では化け物じみた恐ろしさを感じていたのだ。
そんな直家が死んだということに、重秀は何かを失ったような感覚に襲われていた。頭の中が真っ白な状態の重秀に、秀吉が声を掛ける。
「・・・藤十郎?おい、藤十郎!」
秀吉の呼びかけに、我に返った重秀が「は、はいっ!」と声を上げた。秀吉が心配そうな顔つきで重秀に話しかける。
「大事ないか?何やらぼーっとしておったようじゃが」
「・・・いえ、案ずることの程ではありませぬ。して、父上は和泉守様と何か言葉を交わされたのでございますか?」
重秀の質問に、秀吉は眉間にしわを寄せながら「ああ」と答えた。
「儂を友と呼んだ。そして、友に八郎(のちの宇喜多秀家)を託すと言っていたな・・・」
そう言うと秀吉は黙ってしまった。重秀が秀吉に言う。
「友、ですか。和泉守様は父上を友と思っていたのですか?」
重秀の言葉に、秀吉は黙って頷いた。秀吉の何とも言えない表情を見て、重秀は気になった。
「・・・父上。如何なされましたか?」
そう尋ねた重秀に、秀吉は困惑したような表情で重秀に言う。
「・・・ふむ。実は儂は和泉守を友だと思っていなかった・・・、少なくともそう考えたことはない。しかし、向こうから友と言われたときにな・・・。その、嬉しく感じたのじゃ。何故そう感じたのかは分からぬのじゃが・・・。官兵衛が言うには『死ぬ間際に筑前様の情けに訴えたのでございましょう』と言っておったがのう」
「情け・・・でございますか?」
重秀がそう言うと、秀吉は「うむ」と答えた。
「嫡男の八郎は十歳じゃ。家督を継ぐにしては若すぎる。しかも宇喜多は本領である備前にまで毛利が侵攻している状況じゃ。八郎が当主となった宇喜多はより劣勢になるじゃろう。じゃから、儂に八郎を、いや宇喜多を託すために儂の情けにすがった・・・というのが官兵衛の考えじゃ」
そういった秀吉であったが、顔にはどことなく納得していないような顔をしていた。そんな秀吉の表情を見た重秀は少し考えた。そして、秀吉にその考えを述べる。
「父上。私も官兵衛殿の考えに同心いたします。和泉守様はやはり父上の情けにすがったのだと思います。・・・が、一方で父上を友と思ったのは偽りではない、と思います」
重秀の発言に対し、秀吉は片眉を上げる。
「・・・ほう?どうしてそう思う?」
「聞いた話によれば、和泉守様は没落して武士ですらなくなりましたが、そこから備前、美作、備中、播磨にまで領地を有する大大名となりました。一方、父上は尾張国中中村から身一つで播磨の国主となられたお方。どこか通ずるところがあったのやもしれませぬ」
「ふむ。確かに和泉守と儂は成り上がり・・・、しかも底辺を彷徨ったという点では似ているな。・・・なるほど、儂が和泉守から友と呼ばれた時、嬉しく感じたのは儂も奴に友としての思いがどこかにあったからなのかもしれぬな・・・」
そう言って秀吉は両目を瞑ると同時に両掌を合わせた。それは、似たような境遇を歩んできた直家を心より弔っているように重秀には見えた。
しばらくそうした後、秀吉は合掌を解き、両目を開けた。そして重秀に言う。
「・・・実は和泉守からお主への贈り物を預かっている。備前の名工、吉房の太刀じゃ。後で目録と共に渡しておく」
「はっ。有難き幸せ」
名工吉房が作りし太刀が貰えることに喜ぶ重秀。そんな重秀に、秀吉が衝撃的な告白をする。
「それと・・・。儂は継室としてお福殿(宇喜多直家の正室)を迎えようと思っとる」
注釈
吉房とは鎌倉時代活躍した刀工である。もっとも、吉房の名を名乗った刀工は実は複数人いる。その中でも藤次郎、久五郎そして左近三郎の3人が最も有名である。
彼等は『福岡一文字派』に属する刀工である。『福岡一文字派』とは備前国を流れる吉井川の東岸にある福岡という地に住み着いていた刀工が起こした一派で、茎に「一」の字を切る特徴がある。なので、『福岡一文字派』とその派生である『吉岡一文字派』の刀は『一文字』と呼ばれており、古来より名刀として知られていた。
ちなみに他にも『片山一文字派』や『鎌倉一文字派』『正中一文字派』等があるが、刀で『一文字』と呼ばれるのは『福岡一文字派』『吉岡一文字派』が作った刀を指すことが多い。
しかし、吉房の作った刀の銘は「一」ではなく「吉房」の2文字が切ってある。よって、彼等の作った刀は『一文字』ではなく『吉房』と呼ばれている。