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第236話 淡路平定(後編)

感想、評価、ブックマーク登録、いいね!を頂きありがとうございます。大変励みとなっています。


この小説とは関係ないのですが、短編として『余、神を知れど〜徳川家康と幻の和訳聖書〜』を投稿しました。よろしくお願いします。

 天正九年(1581年)十一月二十七日。重秀率いる羽柴水軍は正午前に兵庫津を出帆。一路淡路の北東部、片浜に向けて船を走らせた。

 天候は曇り。風向きは東。三角帆やジャンク帆を有する羽柴の軍船にとって、南西に向かうのにおあつらえ向きな風向きであった。


「これなら漕ぎやかい漕ぎをしなくて良いな」


 重秀を始め、各船の指揮官や船頭がそう判断したため、羽柴の船団は全て帆走を行なっていた。


「・・・この様子だと片浜に着くのは午の刻(午前11時頃から午後1時頃)前になりそうだな」


 重秀が『吹雪丸』の甲板上で船の進行方向を見ながらそう言うと、傍にいた淡河定範は「左様ですな」と頷いた。


「潮も今は干潮の真っ只中。これより上げ潮となりますと、船の速度は更に速くなりまする。風は追い風、これに体力を温存した水夫達の漕ぎが加われば、結構な速さとなり、船そのものが兵器となりますな」


「うん。此度はそれを利用して体当たりで敵船を沈めるぞ」


 そう言う重秀であったが、その顔には複雑な表情が浮かんでいた。そして定範には重秀が複雑な表情をしている理由が分かっていた。


「・・・やはり、体当たりによる攻撃はお気に召しませぬか?」


「ああ。我等の戦い方は遠距離からの砲撃戦だからな。先の鳥取城攻めの際に弾薬たまぐすりを使いすぎた・・・」


 鳥取城攻めで雁金山城や錐山城、そして丸山城への砲撃で火薬を多く消費した重秀の軍勢は、未だ火薬の補充が終わっていなかった。そのため、今回の戦では火薬不足で戦う羽目になってしまった。

 そろそろ菅浦で極秘に作っていた塩硝(硝石のこと)が手に入りつつあったが、その数はとても少なく、むしろ火薬の材料としてではなく水に溶かして紙早合や雨に強い火縄の作成に使われているのがほとんどであった。


「弾薬の不足分は体当たりでなんとかするしかない。船と兵が傷つくが、やむを得まい」


「戦をする以上、生命は奪われ物は壊れまする。それを恐れては勝てる戦も勝てませぬ。まあ、弓と矢は十分ありますし、油もたっぷりとございます。なんとかなると考えまする」


 定範が元気づけるように重秀に言うと、重秀は「そうだな」と頷く。


「元々日本(ひのもと)の船は体当たりに弱い。南蛮船と同じ構造を持つ我等の船にはそれだけでも優位だ。その優位を上手く使うとしよう」


 重秀がそう言ったときだった。定範の家老である丹生俊昭が声を上げる。


「殿〜。絵島が見えてきました〜」


 間延びした声を聞きながら、重秀と定範は舳先から前を見た。前を一列で進む『村雨型』の先に、淡路島沿いにある絵島が小さく見えていた。


「藤四郎!(丹生俊昭のこと)各船に太鼓で横陣になるよう伝えよ!」


 定範が大声で命じると、俊昭から「は〜い」と言う間延びした返事が聞こえた。そして、船尾の櫓から太鼓がリズミカルに鳴り響いた。

 直後、重秀の乗っている『吹雪丸』の前を進んでいた『村雨型』8隻は、それまで縦陣で進んでいたのが横陣となって横に広がった。その後ろにつくように、今度は『吹雪丸』の後ろをついてきていた『吹雪型』が速度を上げて『吹雪丸』の左右についた。そして『吹雪型』6隻も横陣となった。

 さらにそれまで『吹雪型』の縦陣の左右を固めていた小早三番隊と小早四番隊は『吹雪型』と『村雨型』の横陣から離れるように別れていき、少し離れたところで複縦陣となると速度をさらに上げて進行方向へ突撃していった。小早三番隊と小早四番隊は敵船団が散り散りにならないよう、牽制するために先行したのであった。

 その様子を見ていた重秀の耳に、また俊昭の間延びした声が聞こえる。


「殿〜。敵船団の姿が見えました〜」


 俊昭の報告を聞いた重秀と定範が進行方向に再び目を向けた。そこには、遥か遠くに小さいながらも多数の船が淡路の浜をバックに海に浮かんでいるのが見えた。





 横陣になった『村雨型』8隻の中心部。『村雨丸』では加藤茂勝(のちの加藤嘉明)が船の指揮を執っていた。


「『春雨丸』からの指揮を見逃すんじゃないっすよ!『春雨丸』から少しでも遅れたら、虎之助(加藤清正のこと)の兄さんから叱られるんっすからね!」


 櫂漕ぎのリズムを調整する太鼓の音に負けないように大声を上げる茂勝に、茂勝に従う兵や水夫達が「応っ!」と大声を上げて応えた。


 この時茂勝は数え歳十九。まだまだ若造ではあったが、初陣の伊勢霧山城の戦い以降、多くの戦場で場数を踏んだ。そして、鳥取城攻めの際、支城を攻め落とした際に首級を2つ挙げたことから、羽柴を支える若き武将として名を知られるようになっていた。

 そんな彼は水軍でも才能を発揮していた。重秀の実質的な旗艦と化していた『村雨丸』を、今では自分の手足のように動かしていた。自分より年上の兵や、一癖も二癖もある水夫達からの信頼を得ることもできていた。これは、彼自身が積極的に『村雨丸』に足を運び、水夫達と交流を重ねてきた結果であった。


「孫六様!前方の敵船団に我が方の小早隊が攻撃を始めました!」


 兵の叫び声を聞いた茂勝は、自分のいる船尾の櫓の側面側の窓から身を乗り出して前方を見た。そこでは、小早三番隊と小早四番隊が三角帆を掲げながら敵船団に向けて走っていくのが見えた。そして、時たま前方から爆発音と閃光が見えた。


「・・・佐兵衛殿(梶原佐兵衛のこと)と荒次郎殿(三浦義高のこと)、そのまま突っ込むんじゃないっすよね・・・?」


 事前に定められた作戦行動では、梶原佐兵衛率いる小早三番隊と三浦義高率いる小早四番隊は敵船団を牽制しつつ、片浜や長浜からの逃亡を防ぐことになっていた。具体的には敵の逃げ道を防ぎつつ、鉄砲や弓矢による遠距離攻撃を仕掛けることになっていた。

 しかし、小早の動きはどう見ても敵船団に突っ込んでいくような動きであった。


「いくら『曙丸』と『暁丸』がフスタ船だからって、接舷攻撃は無理っすよ・・・」


 そう思っていた茂勝の目に、小早の動きが変わったのが見えた。急激に舵を切り、敵船団の鼻先をかすめるように避け始めたのである。そして、全ての小早が自らの側面を敵船団に向けると、小早隊から連続した発砲音が聞こえた。


「ああ、敵前で船体を横に向けて鉄砲を放ったんすか。・・・さすがは梶原水軍と三浦水軍。見事な操船っす」


 感心したように呟いた茂勝の耳に、兵からの報せが聞こえる。


「孫六様!そろそろ敵船団に突っ込みます!前の櫓の鉄砲と、一層の兵達はいつでもいけます!」


 それを聞いた茂勝は「相分かった!鉄砲の撃ち方始めは鉄砲頭に任せる!」と言うと、船尾の櫓の階段を降りて一層目へと向かっていった。


『村雨丸』の総矢倉の一層目は漕ぎ手が櫂を漕ぐための層であった。そのため、船の動力源たる漕ぎ手を守るべく、頑丈に作られており、船の中では一番防御が優れていた場所であった。

 その一層目の最前部は二層目の櫓と一体化しており、大鉄砲を具える場所となっていたが、実はもう一つ役割があった。それは、船首にある衝角兼渡し橋を使って敵船に乗り込む兵達が待機する場所でもあった。


 そんな場所にやってきた茂勝。そこにはすでに三十人ほどの兵が待機していた。


「皆の者、揃ってるっすね」


 茂勝の言葉に、兵達は「応っ!」と応えた。茂勝が話を進める。


「此度の船軍ふないくさ、小早は弓鉄砲で敵兵を撃ち倒すっすけど、関船はそうは行かないっす。敵の関船を沈めるには、体当たりして敵船に乗り込む必要があるっす!」


 茂勝がそう言うと、兵達は「応っ!」とさっきよりも大きな声で返事をした。茂勝が更に話を進める。


「敵の関船は少ないっす!ということは、敵の関船一隻に対し、我が方の関船が複数接舷することもあるっす!そうなれば、各隊の力比べになるっす!加藤隊の力、見せつけるっすよ!」


 茂勝の激に兵達も大声で「おおっ!」と応えた。その声が収まった直後、上の櫓から「放て!」と言う声が聞こえた。直後、茂勝の耳に多数の発砲音が轟いた。





 淡河定範の目の前では、それまで見たことのない戦が繰り広げられていた。


『吹雪丸』の前方を走る『夕立丸』が敵の小早に衝突した瞬間、小早は木っ端微塵に砕け散った。乗っていた兵や水夫、すでに銃撃で死んでいた者たちもろとも、十一月下旬の冷たい海に投げ出される。海上に浮かぶ生存者たちは、『夕立丸』からの銃撃で次々と沈んでいった。

 定範が『夕立丸』の隣を並走する『五月雨丸』に目をやると、こちらも敵の小早に突っ込んでいた。小早は破壊されず、『夕立丸』と『五月雨丸』の間をすり抜けて西へ逃れようとする。しかし両艦の船縁から弓と鉄砲が火を吹き、小早の甲板を血に染めた。

 操船を失った小早は漂いながら『吹雪丸』の隣を走る『深雪丸』の前へ出て、衝突の末に木端微塵となった。一方の『深雪丸』は、何事もなかったかのようにそのまま走り続けた。


「・・・おかしい」


 戦場を見つめていた定範の耳が、小さな声を捉えた。声のした方へ顔を向けると、重秀が険しい顔つきで戦場を見つめていた。


「・・・若殿、どうかされましたか?」


「手応えがなさすぎる。そもそも、集結していた毛利の水軍は、およそ敵を迎え撃つ、という陣形ではなかった。それに、動きが緩慢すぎる。やる気が感じられない」


 そう言うと重秀は定範の方を見る。


「弾正はどう思う?」


「そうですな・・・」


 そう言うと定範は顔を正面に向け、再び戦場を見つめる。


「・・・恐らく、敵は望郷の念に駆られているのかと」


「望郷の念・・・?」


「毛利水軍が淡路に駐屯していたのは、石山本願寺へ兵糧を運ぶため、と聞いております。確か、天正元年(1572年)の頃だったと記憶しております。しかしながら、すでに石山本願寺は織田へ降り、瀬戸内は羽柴のものになりました。およそ十年も淡路の毛利水軍は故郷に帰ることもできず、その地に留まっておるのです。まあ、一旦の帰郷を認めてはいるやも知れませぬが、それでも長期間の滞在は水夫どころか武士にも辛うございます。そんな中で戦をしろと言われても、やる気を起こすものなどおりませぬ」


「なるほどな・・・。だとすると、此度の戦、早めに決着がつくかもしれないな」


 そう言うと、重秀は再び戦場の海へと目を向けるのであった。




 それからも戦闘は続いた。片浜、長浜の浜辺に追い込まれた敵船は南北から脱出しようと必死に漕ぎ手がを漕いでいた。しかし、南北の海はすでに羽柴水軍の小早三番隊と小早四番隊によって塞がっていた。小早三番隊と小早四番隊は巧みな操船で浜辺の浅瀬を縦横無尽に走り回っては敵船に鉄砲を撃ちかけていた。

 そして、『村雨型』と『吹雪型』によって東から押し込まれた敵船団は、とうとう片浜や長浜の浜辺に座礁する船が続出するようになった。また、座礁していない船は押し込められた他の船とぶつかり合い、身動きが取れない状態であった。

 そんな状況の敵船団に対し、『村雨型』が更に突撃を仕掛けた。しかしそれは小早を沈めるための突撃ではなかった。多くの小早の中で身動きが取れない敵の関船への接舷攻撃を開始したのだった。


 最初に敵の関船に接舷したのは加藤清正が指揮を執る『春雨丸』と加藤茂勝が指揮を執る『村雨丸』であった。一隻の関船に衝角兼渡し橋を突き立てた『春雨丸』と『村雨丸』から、それぞれ加藤清正と加藤茂勝に率いられた兵達が衝角兼渡し橋を伝って敵の関船になだれ込んできた。


「孫六の隊に負けるな!敵船を乗っ取るぞ!」


「虎之助兄さんの隊より先に船を占領するっす!」


 清正と茂勝がそう鼓舞しながら、自ら刀を振るって先陣を切る。続く兵達もそのほとんどが打刀と呼ばれる刀を煌めかせて敵船に乗り込んでいった。

 陸上戦闘では補助の武器となっていた刀であったが、船上での戦闘では普通に刀が使われていた。特に、太刀と呼ばれる長い刀ではなく、室町時代初期に作られた打刀が使われていた。これは、狭い船上では長い槍や太刀では動きづらいからである。

 また、この時清正と茂勝はしっかりと具足を身に着けていた。船軍では泳ぎづらい具足をつけずに戦うことが多い。実際、重秀は具足をまともに着けて船に乗ることはほぼない。しかし、接舷攻撃の際はやはり具足を着けて切り込んだ方が生存率は高かった。もっとも、船を破壊するために使用する侍筒や大鉄砲を防ぐことはできないが。


 それはともかく、羽柴の兵と敵の関船に乗っていた兵との間で白兵戦が行われた。あちらこちらで刃が混じり合い、彼我の生命を奪い合っていった。敵の中には槍を振り回す者もいたが、船軍用なのか6尺ほどの長さの槍であり、それでも狭い船内で振り回すには扱いにくい槍であった。そんな槍を清正はさらりと躱し、手にしていた打刀を正確に敵の具足の隙間に突き立てた。そして、敵が槍を落とすのを見計らって槍を蹴飛ばした。武器を失った敵兵は腰に差した打刀を抜こうとしたが、その時には清正の刀の切っ先が首に刺さっていた。


「敵の兜首!討ち取ったり!」


 相手が兜をかぶっていたので清正はそう言ったのだが、実際のところ相手が敵の将だったのかは分からなかった。しかし、清正がそう声を上げたことで、味方の兵達の士気が上がった。そんな中、さほど遠くないところで茂勝の声が聞こえた。


「敵の兜首!加藤孫六郎が討ち取ったり!」


 どうやら茂勝も敵の将らしき人物を討ったらしく、茂勝の居たあたりから歓声と悲鳴が上がっていた。


「孫六のやつもやるな。俺も負けておれん」


 清正はそう言うと敵を求めて船内を往くのであった。


 清正や茂勝が乗り込んだ敵の関船以外の関船でも、似たようなことが起きていた。『驟雨丸』から接舷攻撃を受けた関船は、福島正則による蹂躙を受けていた。正則は打刀ではなく6尺程度の長さの槍を持っていたが、正則は狭い船内でも槍を使いこなして敵兵を討ち倒していた。

 また、ある敵の関船には、『夕立丸』と『五月雨丸』が突撃し、『夕立丸』の外峯四郎左衛門(本名津田盛月)と『五月雨丸』の外峯与左衛門(本名津田信任)の親子コンビが兵を引き連れて乗り込み、ここでも白兵戦が繰り広げられた。





 小早三番隊と小早四番隊は最初は鉄砲を撃ちかけるだけの戦いを行っていたが、敵の小早が浜辺に座礁したり無力化されたのを見た梶原佐兵衛と三浦義高は、フスタ船『曙丸』と『暁丸』を使って接舷攻撃をし始めた。

 特に三浦義高は、六十歳を過ぎた老体でありながら、老体とは思えないほど身軽に敵の小早に乗り込み、手に持った鉄金棒で敵兵の頭を兜ごと打ち砕いていった。また、副将の三浦義知も直前まで父を諌めていたものの、いざ敵船に乗り込むとこちらも短い槍を振るって敵を討ち果たしていた。

 そんな白兵戦を行っていた三浦親子であったが、敵船に異変が現れる。


「もういやじゃ!死にとうないんじゃ!」


「もう我慢できん!故郷に帰らせてくれぇや!」


 そんな声が敵船のあちらこちらから上がった。と同時に、敵船の水夫達が毛利方の兵達に掴みかかっていった。毛利の兵達は水夫達の行動に驚きつつも、掴みかかった水夫を槍で突いた。突かれた水夫は口から血を吐き出しながら海へと落ちていった。

 そんな様子を見ていた水夫達は、大声と奇声を上げながら兵達に掴みかかった。敵船上で乱闘が起き、次々と兵と水夫が海へと落ちていく。


「ち、父上、これは・・・」


 唖然としながらそう尋ねる義知に、義高が口角を上げながら応える。


「ああ。これも戦の現実よ」


 そう言うと義高は敵船に向かって大声で叫ぶ。


「降伏しろ!さすれば生命は助けてやる!」


 義高の六十代とは思えぬほどの大声が敵船に届くと、水夫達は更に兵達に襲いかかった。そして、兵達を海に叩き落とすと、水夫達は両手を振って大声を上げる。


「降参じゃ!じゃけぇ生命だけは助けてつかぁさい!」


 その叫び声を聞いた義高が、『暁丸』を接舷させるように命じた。『暁丸』が敵船に接舷し、自分の兵達と共に乗り込むと、敵の水夫達は一斉にひれ伏した。


「降伏を受け入れる!この船に我等の旗指物を置いていく故、それを掲げてこの場を動くな!良いな!」


 義高がそう言うと、敵の水夫達は「へへぇ!」と一斉に返事をした。


 そんな様子を見ていた敵と味方の船の上では、それぞれ異なる対応が見られた。すなわち、敵船の上では水夫達が兵達に襲いかかり、船の上から海に突き落としていった。そして、両手を振ったり、手に持っていた艪を掲げて降伏の意思を示した。

 一方、味方の船の上では、兵だけでなく水夫達も敵船に向かって降伏するように大声を上げた。それは、周囲の船にも広がっていた。


『曙丸』に乗っていた梶原佐兵衛は、敵船が降伏していく様を見ると、配下の兵達に命じる。


「降伏した敵船に乗り込み、我等の旗を掲げさせよ。それと、味方の船に降伏した船に手を出すな、と伝えよ。この状況でも大声で叫べば十分伝わるだろう」


 そう命じた瞬間、佐兵衛の目に明るい光が飛び込んできた。その方へ目を向けると、敵船が複数、火を吹き上げていた。


「殿っ、あれは・・・!?」


 驚く家臣に佐兵衛が分別くさそうな表情で応える。


「若殿から火攻めの指示は出ておらぬ。とすると、自ら火を放ったのであろう。船を渡したくないからか、それとも自暴自棄か」


 佐兵衛がそう言っていると、敵船から次々と火の手が上がった。


 ―――ここまで来ると敵は崩壊する。戦はそろそろ終わるな―――


 佐兵衛はそう思いながら、燃える敵船団を見つめるのであった。


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― 新着の感想 ―
数さえそろえば羽柴水軍が瀬戸内海を無双するのも夢じゃなくなってきたな
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