第231話 鳥取城の戦い(その7)
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天正九年(1581年)九月。鳥取城の包囲はまだ続いていた。八月の中頃から毛利は鳥取城を救援すべく、伯耆方面と美作方面から攻めてきた。伯耆では南条元続が籠もる羽衣石城で足止めされたものの、美作では宇喜多方の諸城攻略が行われ、じわじわと因幡へ近づきつつあった。
一方、織田方も負けてはいなかった。九月中旬には、毛利水軍の拠点が置かれていた因幡大崎城と因幡泊城を松井康之率いる丹後水軍が攻撃。湊の機能と町家、そして補給用の船を焼き討ちした。
また、陸の補給路の要であった吉岡城(今の防己尾城跡)は孤立し、城内の兵が逃亡するようになっていた。だが、秀吉は弱体化した吉岡城を攻撃することはなく、戸田勝隆の軍勢にそのまま包囲するように命じていた。
そんな状況の中、秀吉は逐一毛利方の情報を信長に報せていた。特に、吉川元春の軍勢が伯耆の羽衣石城を攻撃し、小早川隆景の軍勢が美作を攻撃していることは詳細に伝えていた。
『毛利の両川』と呼ばれる元春と隆景の動きは、毛利がいよいよ鳥取城救援のために主力を動かした、と信長に判断させた。そこで信長は、秀吉に増援を送ることにした。
越前国府中城の城主となった前田利勝(のちの前田利長)は、信長の実の娘である永との婚儀を済ませ、名目上は夫婦として暮らしていた。しかし、永はまだ八歳。手を付けるには幼すぎた。なので、現在は母であるまつの下で前田家の慣習や作法を学んでいた。
本来ならば乳母を通じて慣習や作法は教わるのだが、そこは多くの子供達を育てている真っ最中のまつである。
「一人増えた所で変わりませんよ」
と言うと、自分の娘達と一緒に育てるようになった。ちなみに、永はまつの四女である豪と同じ歳である。
そんなこんなで、幼妻とそれを育てる実母、そして幼い妹や弟達と越前府中城で暮らしていた利勝は、父である前田利家から因幡国鳥取城を攻める秀吉への援軍を命じられた。
本来は信長が利家に命じたのであるが、利家は能登国を治めるのと越中国への侵攻準備で忙しいため、代理として利勝に命じたのであった。
利勝は自らの手勢を率いて因幡国まで向かった。越前府中城を出発した後、安土にて他の軍勢と合流した。その中には、尾張国で織田信忠に仕えている中川重政の息子、利勝の小姓時代の友人であり、義弟の中川光重率いる中川勢がいた。その後、京、兵庫、姫路を経由して因幡国に入ったのは九月の下旬であった。
羽柴方の陣城に到着した利勝はそこに連れてきた前田勢の将兵を預けると、光重を始め他の援軍の諸将と共に秀吉がいる高山の陣城へと向かっていった。
この頃には高山の山頂には御座所と天守が築かれており、また周囲には曲輪が幾重にも築かれていた。そして、その曲輪には、およそ戦場とは思えぬ光景が広がっていた。
「・・・なんでここにはこんなに遊女や芸人がいるんだ・・・?」
利勝だけでなく、光重や一緒に来た援軍の諸将も唖然とした表情でそう呟いた。曲輪の中では、兵だけでなく多くの奇抜な格好をした男女が歩いていた。ある男は鐘を叩きながら歌っていたり、ある者は頭巾を被ってゴザの上で座りながら何かを喋っており、周りで話を聞いていた者達が笑っていた。また、唐輪髷と呼ばれる独特の髪型をした遊女が兵と腕を組んで歩いていたり、曲輪の隅でじゃれ合っていた。
それだけではない。曲輪の中ではゴザの上に商品を並べて商いをする者や、兵や遊女相手に博打の親をやっている者までいた。
唖然とした表情の利勝や光重達が突っ立っていると、利勝の隣りにいた大柄な男が大声で笑いながら言う。
「あっはっはっはっ!こりゃあいい!退屈せずに済みそうだ!」
嬉しそうな声を上げた男は、異様な曲輪の中と同様に異様な出で立ちであった。まず利勝や光重達が小具足姿なのに対し、その男は小具足すら身につけていなかった。しかも女物の小袖を羽織っていたのである。そして腰には大太刀と、これまた大きな瓢箪をぶら下げていた。
更に右肩に朱色の槍を担いでおり、左手には大きな煙管を持っていた。たまに煙管を口元に持っていっては、煙を口から吐き出していた。
そんな姿の男である。利勝達と一緒に曲輪に入った瞬間、中にいた兵達や商人、芸人や遊女が一斉にその男に注目した。
そんな注目を浴びている男に、利勝が戸惑いながら声を掛ける。
「慶次郎殿!ここは藤吉おじさん・・・いや、羽柴筑前様の陣城。あまり目立つような事をしないでいただきたい!」
利勝から注意された慶次郎と呼ばれた男は、飄々としながら言い返す。
「そうは言うけどよ、若殿さん。この陣城じゃあ俺っちなんかは目立ちようがないぜ?この曲輪自体が傾いているからよ」
そう言うと利勝は黙り込んでしまった。確かに、芸人や遊女、商人や博徒の中には傾奇者と呼ばれる奇抜な格好をした者達がいた。
「俺っちが混じったくらいじゃあ、この曲輪の雰囲気は変わらねぇよ。というわけで、俺っちは少し遊んでくらぁ」
そう言って慶次郎と呼ばれた男は利勝から背を向けて離れようとした。利勝が慌てて声を掛ける。
「お、おい!慶次郎殿は俺の護衛できたんじゃないのか!?」
「叔父貴(前田利家のこと)の友達の筑前様(羽柴秀吉のこと)がおめぇを襲うってことはないだろうし、こんだけ遊女や商人が入り込んでいるのに羽柴の将兵には用心している仕草がねぇ。敵の忍びが入り込んではいねぇんだろうよ。だったら俺っちの護衛はいらねぇだろう。それに・・・」
そう言うと慶次郎は顔だけを利勝に向けると、ニィと笑いながら言う。
「もうすぐ本陣、いや本丸と言うべきか?そこに俺っちが入って良いのか?」
そう言われた利勝は渋い顔をしながら口を閉じた。確かに、傾奇者の慶次郎を秀吉や重秀がいる陣城の主郭につれていくのは躊躇われた。
「というわけだ。話が済んだらまた会おうぜ」
慶次郎はそう言うと右手を振りながら利勝から離れていった。傍にいた光重が利勝に話しかける。
「・・・あいつか?前田蔵人殿(前田利久のこと)の養子で、つい最近前田家に仕えた前田慶次郎ってのは?」
「・・・ああ。滝川伊予守様(滝川一益のこと)の縁者で、伯父上(前田利久のこと)の妻の連れ子だ。上様の命がなければ荒子城と前田の家督は慶次郎殿が継ぐことになっていた」
そう言うと利勝は、多くの遊女にまとわり付かれて笑っている大柄の男―――前田慶次郎利益の背中を見ながら光重に言うのであった。
御座所に案内された利勝達は、そこにある広間にて秀吉から歓迎された。秀吉は上段の間には座らず、その前の中段の間に座っており、利勝達は下段の間にて秀吉と面会した。総大将たる秀吉であっても、御座所には入れるが信長が座るべき上段の間には座ることはできなかった。
秀吉の代わりに黒田孝隆から現状と今後の予定について聞かされた後、諸将の配置が申し渡された。そして、利勝率いる前田勢は鳥取城の西側、湊川(今の袋川)と千代川に挟まれた陣城群の一つに配属されることになった。
孝隆の指示が終わり、諸将が秀吉の元から去ろうとした時、秀吉が利勝を呼び止める。
「孫四と清六(中川光重のこと)は残れ。もうすぐ藤十郎がこちらに来るからのう」
それからしばらくした後、重秀が加藤茂勝と大谷吉隆をつれて秀吉の陣城へやってきた。秀吉は気を使って重秀と利勝と光重を別室に案内させた。重秀と利勝と光重は別室に移動すると、利勝は久々に会った重秀に尋ねる。
「・・・ずいぶんとやつれているように見えるが、鳥取城攻めはそんなに過酷なのか?」
「いや・・・、実は一ヶ月ろくな飯にありついていないだけだ」
重秀からの回答があまりにも意外だったため、利勝は驚きながら尋ねる。
「・・・何かあったのか?まさか、我が方の小荷駄隊が襲われたとか?」
そう聞かれた重秀は、「いや、そうじゃない」と苦笑しながら話し始めた。
「此度の戦では我等の兵糧も余裕がなかったんだ。若狭の商人を通じて鳥取城とその周辺の米を買い占めたが、元々ここいらの米が少なかったこともあり、さほど手に入れることができなかったんだ。それに、夏は米が実る直前の季節。米が不足するのは当たり前だからな。夏の間は、米ではなく麦や雑穀が主だった、というだけだ」
「そうだったのか・・・。それは難儀したな」
利勝がそう言うと、重秀は頷いた。しかし、すぐに明るい声で話を続ける。
「しかし、全く物が食えなかったわけではなかった。近くには川や海があるから魚は食えた。まあ、全ての兵が口にできたわけではなかったけど。それに、銭だけはあったからな。それを兵達にばら撒くことで兵糧不足から目をそらせることができたんだ」
そう言うと重秀は今度は顔を顰める。
「・・・本陣の周辺を見てきたか?商人と遊女が溢れかえっているだろう?銭を持っている兵が多ければ、それを目当てに外から商人が食料を持ってくるし、遊女もやってくるんだ。おかげで食欲は多少満たされなくても、性欲は満たされているから士気が下がることがなかったんだ」
そう言う重秀に、利勝は何ともいえないような表情を顔に浮かべた。しかし、すぐに真面目な顔つきになると、重秀に言う。
「・・・今は秋だ。米の収穫も進み、兵糧米も増えた。一応、我等も上様の命で兵糧米を持ってきた。もう案ずることはないぞ」
「ああ。孫四や清六達にはかたじけないと思っている。それに、秋になって少しずつ若狭や丹後、但馬から海路で兵糧が届きつつあるから、羽柴の兵糧不足は改善しつつある」
重秀がそう言ったあと、何かを思い出したかのような顔をした。そして利勝に言う。
「ああ、そう言えば、とうとう婚儀を挙げたと聞いたぞ。上様の実の姫君を娶ったことで、前田家の家格はだいぶ上がったと、この因幡でも話題だったぞ」
重秀がそう言うと、利勝は複雑そうな顔をした。そんな様子を見た重秀が「どうした?」と聞くと、利勝の代わりに光重が答える。
「義兄上に嫁いだ妻があまりにも幼かったからな。婚儀の時はえらい渋い顔をしていたよなぁ」
ニヤニヤしながらそう言った光重に、利勝が睨みつけてきた。そんな様子を見ていた重秀の耳に、何か騒ぐ音が聞こえてきた。しかもその音はこちらに近づいてきつつあった。
どうやら大谷吉隆にも聞こえたみたいで、吉隆が立ち上がって部屋の障子を開けた。すると、目の前には大柄な男が立っていた。
「・・・何者か」
吉隆が動じずに尋ねたが、その男は答えることはなかった。代わりに利勝が声を上げる。
「慶次郎殿!?如何した!?」
利勝の上げた声に、慶次郎―――前田利益が片眉を上げながら答える。
「如何した?それはこっちの言い分だ。遊女との遊びを切り上げて若殿さんを迎えに行ったら、陣城の主郭から降りてくる織田家の諸将の皆様とばったり会ってよ。聞けば若殿さんは中川殿と御座所に残ってるって。だから迎えに来たって訳よ」
そう言うと利益は吉隆を押しのけて部屋に入ると、利勝の傍に座った。そして重秀に向かって平伏する。
「お初にお目にかかる。拙者は前田慶次郎。若殿さんの従兄だ」
「・・・は?」
利益の自己紹介を聞いた重秀が思わず声を出した。幼馴染の親友にこんな傾いた従兄がいたなんて聞いたことがなかったからだ。
重秀が説明を求めるような目で利勝を見ると、利勝が利益について説明した。
前田慶次郎利益の出自については諸説あるが、母親は滝川一益の従弟と言われている滝川益氏の妹、若しくは娘とされている。利益の母は滝川一益の親戚に嫁いだ後、利益を産んだと言われている。その後、死別した利益の母親が前田利久と再婚した際に、連れ子であった利益を利久が養子にしたと言われている。
養子になった経緯は他にも説があるのだが、とにかく利益は前田利久の養子となり、その跡継ぎだとされた。ところが、永禄十二年(1569年)に利久は織田信長からの命で前田家の家督と荒子城の城主の座を前田利家に明け渡した。その後、利久は荒子城から退去したのだが、その際に利益も荒子城から出ていっている。
その後は各地を放浪し、その後京に住みついた、と言われている。
それから経って天正九年(1581年)、能登の国主となった前田利家に父利久が仕えたのを機に、利益も利家に仕えるようになったのである。
「・・・という訳だ。藤十が知らなかったのも無理はないと思う。父上も母上も俺も慶次のことは藤十に話していなかったはずだからな」
利勝がそう言って話を締めると、重秀は「そうだったのか・・・」と両腕を組みながら頷いた。そして重秀は視線を利勝から光重に向けた。利勝の義理の弟がこの事を知っていたのか?という問いかけの眼差しであった。
それに気がついた光重が肩を竦めながら答える。
「・・・俺も今回の援軍の件で初めて知ったんだ」
そう答えた光重に、重秀はただ「そうか」としか応えなかった。
その後、重秀と軽く雑談をした利勝は、利益と光重を連れて自分達の軍勢が待つ附城へと帰っていったのだった。
その後、前田勢と中川勢は割り当てられた附城で鳥取城の包囲に参加した。場所は鳥取城の西側、湊川(今の袋川)と千代川の間に築かれた附城で、近くには黒田勢と蜂須賀勢の附城が建っていた。
利勝は連れてきた兵達と共に鳥取城への監視を行っていたが、数日経つと今回の戦が異様なことに気がついた。
「・・・おかしい。敵の動きが読めない」
前田勢が駐屯する附城内で、利勝は前田家家臣の将達にそう呟いた。
というのも、ここ数日、鳥取城から前田勢が籠もる附城に向かってくる人の集団がいた。利勝は事前に羽柴方から受けていた命令に従い、鉄砲や弓でその集団を攻撃すると、その集団は怪我人だけでなく明らかに死んだと分かる者まで引きずって鳥取城に逃げていったのだ。
利勝にはこの動きの意図を掴みかねていた。
「ここ数日、敵は人の集団を繰り出しては我等に撃退されている。この附城は、いや附城群は藤吉おじさん・・・筑前守様によって蟻の這い出る隙間もないほどの包囲網が構築されている。鳥取城の敵はむしろ城外に出ず、ひたすら毛利の援軍が来るまで城内に籠もるべきなのに、何故外に出たがるのか」
この頃、鳥取城の包囲のために築城された附城群は、来たるべき毛利主力を迎え撃つための要塞と化していた。すなわち、附城自体に土塁や空堀、虎口をつけるのはもちろん、附城間を結ぶ連絡路を守るための柵や土塁、空堀も構築されていた。
むろん、鳥取城を包囲することも忘れてはおらず、鳥取城下を流れる湊川や千代川には逆茂木や乱杭が設置され、川底には人が渡りにくいように網まで仕掛けられていた。そして、ご丁寧に対岸の鳥取城側の岸にまで柵が設けられていた。
したがって、鳥取城の敵は川の手前の柵で食い止められ、そこを羽柴勢の附城から放たれる鉄砲や弓矢で攻撃されるのだが、それにも関わらず、敵は城外に出ようとしていた。
「・・・集団の者共は遠目から見た限りでは兵には見えませんでした。ひょっとして、鳥取城に逃げ込んだという周辺の百姓なのでは?」
利勝の家臣の一人がそう発言すると、利勝は首を傾げた。
「・・・とすると、あの百姓は一体何をやっているのだ?」
「恐らく逃げようとしているのでしょう。城の中はすでに兵糧が尽きているのかもしれませぬ」
件の家臣がそう言うと、利勝は「それにしては解せないな」と呟いた。
「城の連中が食い扶持を減らすために民百姓を逃がしている、若しくは追い出してる、というのは俺も考えた。が、それだとこっちが撃ち倒した奴を連中が城に戻す必要はないだろう。怪我人を助ける食い物ももう無いだろうし、死体まで持ち帰るってのも分からない。しかも、報せでは城内の兵までもが競って怪我人や死体を城内に引きずっていってる。あいつ等怪我人や死体をどうするつもりだ?」
利勝の疑問に、利益を除いたその場にいた者達は一斉に首を傾げた。利勝が唯一首を傾げなかった利益に尋ねる。
「・・・慶次郎殿はどう思われるか?」
そう聞かれた利益は、ただ口を固く結んで両腕を組んでいた。皆の視線が利益に注がれる中、利益はゆっくりと口を開く。
「・・・もしや・・・。あいつ等は・・・」
そこまで言うと利益は口を閉ざした。利勝が訝しんで尋ねる。
「もしや、なんだ?」
利勝の質問に、利益は口を開きかけた。しかし、すぐに口を閉ざした。そして再び口を開く。
「・・・いや、何でもねぇ。・・・すまねぇ、若殿さん。俺っちにもよく分からねぇ」
利益の言葉に、利勝以外の者達は「なんだ」と言わんばかりに溜息をついた。ただ、そんな中でも利勝は利益を見ながら心の中で呟く。
―――分からないから答えられないのではなく、分かったけど答えたくないのではないか?―――
そう思いながらも、利勝は何も言わずに利益の方を見つめるだけであった。
注釈
前田利益の実父については諸説あるが、その一人とされている滝川益氏は、この小説では利益の母の父としている。
注釈
前田利益の諱は利益の他に利貞、利太、利大等があるが、諱の変更がいつなされたかが不明なため、この小説では利益に統一している。