第230話 鳥取城の戦い(その6)
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次の日。まだ日が昇る前の暗い時間帯。塩谷高清率いる軍勢が丸山城から出陣。南にある雁金尾西端の砦を目指して進軍した。といっても、直線距離でおよそ400メートル。目と鼻の先にある雁金尾西端の砦がある峰の麓に着くのに、さほど時間はかからなかった。
砦の麓にたどり着いた高清は、篝火が焚かれているのにも関わらず、人の動く気配のしない雁金尾西端の砦を見てニヤリと笑う。
「・・・砦が静かだな。これは敵は昨日の戦で疲れて寝ているようだな」
この時点で高清は夜襲の成功を確信していた。
さて、この雁金尾西端の砦は実はさほど防御力が高くない。というのも、千代川から運ばれた兵糧物資は、一旦丸山城に荷揚げされた後、雁金尾西端の砦や錐山城、雁金山城を経由して鳥取城に運ばれることになっていた。そして、丸山城と錐山城に挟まれた雁金尾西端の砦を羽柴勢が攻めることはない、という考えから、他の支城や砦よりも防御力は下であった。
さらに、兵糧物資の通り道ということもあり、砦の建物そのものは少なく、土塁も低くなっていた。立て籠もって守ると言うより、通り道を守る事を主眼とした砦であった。
そんな砦に夜襲をかけるのである。高清にとって、この戦いは勝ったも同然であった。
「・・・よし、皆、我に続け」
高清は小声でそう言うと、道沿いに兵を率いて進んだ。地の利がある塩谷勢は、暗い山道をすいすいと登っていった。
そして、雁金尾西端の砦の曲輪の入口に着いた高清は、傍にいた武者に合図を出した。その武者は腰にぶら下げていた法螺貝を口元に持ってくると、一気に息を吹き込んだ。
暗い中で法螺貝の音が鳴り響く中、鬨の声が上がると同時に雁金尾西端の砦へ塩谷勢がなだれ込んだ。先頭に立って突っ込んでくる高清は、雁金尾西端の砦の曲輪に難なく入ると、水たまりがあるのも構わずに突入した。そして、それに続く兵達も、水たまりに足を入れながらも曲輪の奥まで進んでいった。
篝火が多く焚かれているが、人一人いない曲輪の中を進んでいた一人の兵が足元に何かを引っ掛けた。それは、細い縄であった。その縄の先には、竹でできた短冊が複数ぶら下がっており、兵が足を引っ掛けると同時にぶつかりあって音が鳴った。
「な、鳴子だ!」
兵がそう叫ぶと、周りのあちらこちらから竹の短冊がぶつかる音が聞こえた。その音で、それまで緊張状態だった兵達にパニックが広がった。
そんな中、また一人の兵の足が細い縄に引っかかった。しかし、その縄には竹の短冊がついておらず、代わりに篝火に結び付けられていた。篝火が倒れ、水たまりの上に松明が火をつけたまま落ちてきた。しかし、水に浸かった松明の火は消えることなく、かえって火が大きくなった。
その様子を見ていた高清が思わず大声を上げる。
「しまった、罠だ!」
高清がそう叫ぶと、その声を聞いた兵達が更にパニックになった。
そんな兵達を鎮めようとする高清。そんな高清には、南からの轟音には気がついていなかった。だから、自分を襲った鉄の弾には全く気が付かなかった。彼は直径約9cmの鉄の弾が身体に当たり、その衝撃で飛ばされて初めて自分達が攻撃されていることに気がついた。彼は地面に倒れた後、声を上げようとした。しかし、彼の口は声ではなく血を吐き出していた。そして、高清は声を発することなく、兵達の足が紅蓮の炎の中で動き回っているのを、視界がぼやけて暗くなっていくまで見つめるのであった。
高清が倒れた結果、その場を指揮する者がいなくなった。もちろん、高清の家臣たる武士がいるので、彼らが足軽や雑兵といった兵を指揮すればよいのだが、それどころではなかった。
篝火に結ばれた細い縄に足を引っ掛ける兵が続出し、そのたびに篝火が倒れた。そして、倒れた先にあった水たまり―――実際は油が撒かれて溜まっていたところに火が移って燃え出したのだ。あちらこちらで火が上がったため、火攻めと勘違いした兵が一斉に砦から逃げ出そうとした。
一部の兵は土塁を乗り越えて山の斜面を転がり落ちていったが、曲輪の斜面は攻めづらくするために急になっており、しかも下には逆茂木や乱杭が備わっていたため、そこに落ちた兵達が逆茂木や乱杭に突き刺さって絶命した。
しかし大部分の兵は自分達が攻め上ってきた道を戻るようにして逃げようとしていた。しかし、曲輪の出入り口はさほど広くなく、その場で渋滞が起きてしまった。そんな渋滞している人の集まりに、鉄の弾が飛んできた。
鉄の弾は直径約9cmの物だけでなく、中小の鉛の弾まで飛んできた。大小さまざまな金属の弾が塩谷勢の武士や足軽、雑兵の身体の一部や生命をもぎ取っていった。そして、絶命する兵が現れるたびに、生き残った兵達は曲輪の出入り口から無理に出ようとした。しかし、普段ならすんなり通れる出入り口は、混乱に拍車がかかればかかるほど出られなくなっていった。
そんな中、一部の者は火を上げる油溜まりに気をつけながら、土塁の影や少ない建物の影で息を潜めていた。彼等は様子を見ることで脱出の機会を伺っていた。そして、味方の怒号が聞こえる中、南側から聞こえた轟音とそれに交じるかのように聞こえていた鉄砲の発砲音が聞こえなくなっていることに気がついた。それからしばらく経って曲輪の出入り口に集まっていた兵達の数が少なくなっているのを見た武士や兵は、そろそろ頃合いと見て曲輪の出入り口に向かった。未だ日は出ていなかったが、だいぶ明るくなった曲輪の中を進もうとした時、南の方から鬨の声が上がった。思わず土塁から身を乗り出して声の方を見ると、錐山城のあたりから羽柴の旗指物を背負った足軽雑兵の群れが、尾根伝いにこちらに向かってくるのが見えた。
錐山城の一番上にある曲輪の建物は、およそ城というにはふさわしくないほどの掘っ立て小屋であった。そんな掘っ立て小屋の中に、一人の鎧武者が入ってきた。それは、福島正則の伝令であった。
鎧武者は掘っ立て小屋の中の奥で床几に座っている甲冑武者の前に来ると、片膝をついて跪く。
「申し上げます!北西の砦を奪い返しました!また、砦の中で見つけた複数の兜首が届いております!」
そう言われた甲冑武者―――重秀は「相分かった」と言って頷くと、伝令は掘っ立て小屋から出ていった。
重秀は溜息を一つつくと、左右に分かれて床几に座っている者達に尋ねる。
「・・・どうやら、市(福島正則のこと)はすでに死んでいた敵の兜首を送ってきたようだな。なんでだ?拾首だから手柄にはならないのに・・・」
捨てられた首級を拾った場合、それは手柄にはならない。なので本来は首実検にすることすらしない。そのことは正則だって知っていた。だから重秀は拾った首級を送ってきた正則の意図が読み取れなかった。
そんな重秀に、傍にいた尾藤知宣が話しかける。
「おそらくは敵将、それも大将と呼べるほどの者の首級なのやも知れませぬ。この戦でそのような大将が確実に死んだと分かれば、今後の策を立てるのに役に立つでしょう」
知宣の返答に、重秀が困ったような顔をする。
「まいったな。私は敵将の顔は知らぬぞ」
「確か、怪我をして我等に捕まった虜囚がいたはず。その者共に見分させましょう」
知宣の提案を聞いた重秀は、「相分かった」というと寺沢広高を呼んだ。そして広高に首実検の準備をするように命じた。
広高が準備のために掘っ立て小屋を出た後、重秀はその場にいた淡河定範に声を掛ける。
「・・・此度は見事な策であった。特に、空になった砦に罠を仕掛けたのは見事。まさに『東播の河内判官(楠木正成のこと)』と呼ばれるだけあるな」
重秀がそう言うと、淡河定範が「恐れ入りまする」と言って頭を下げた。しかし、頭を上げると定範は重秀に言う。
「しかしながら、此度の武勲は当に若殿が挙げられたものにございまする。それがしの策を組み入れ、更に策を仕上げたのでございます。さすがは『羽柴の麒麟児』と呼ばれるだけあるお方だと、この弾正、感服仕ってござる」
そう言うと周囲の者達が同意するように頷いた。
前日、雁金山城と錐山城、そして雁金尾西端の砦とその周辺を見て回った重秀と尾藤知宣は、雁金尾西端の砦が想像以上に防御が弱いことに気がついた。
そこで重秀は雁金尾西端の砦の防御を諦め、錐山城に兵力と火力を集中させ、敵が夜襲で雁金尾西端の砦を占拠した場合、続いて行われるであろう錐山城攻めで守りを固め、日が昇って敵が疲れた所で一気に押し返す、という作戦を立てていた。押し返すために雁金山城にいた宮部継潤の軍勢が援軍として楽に行動できるよう、尾根沿いの道に篝火を焚くこともした。
そんな中、重秀と合流した定範が1つの提案をした。
「空にする西端の砦に罠を仕掛けましょう」
その案を重秀は採用した。罠は時間がなかったため、砦に人がいるように見せかけるために篝火を焚かせ、その篝火を倒すための縄と鳴子を鳴らすための縄を敵の足の高さに張り巡らせることと、曲輪の中に油をぶち撒けることしかできなかった。
さて、罠を仕掛ける作業の様子を見ていた重秀が、より積極的な策を思いついく。
「錐山城に石火矢(フランキ砲のこと)と大鉄砲、鉄砲を持ち込んで、敵が罠にかかったと分かったら一斉に放つようにしよう」
重秀は錐山城と雁金尾西端の砦の間の距離が短いことに気がついた。更に、錐山城の主要な曲輪は、雁金尾西端の砦の曲輪より高所にあることに気がついた。そこで、重秀は敵が夜襲で雁金尾西端の砦を攻めた際、罠に引っかかって混乱している所に発砲し、敵を叩こうと考えたのであった。
結果、重秀達の考えた策は見事にはまり、夜襲をしてきた敵勢に大打撃を与えることができたのであった。
「弾正にそう言ってもらえるのはうれしい。しかし私自身が槍を振るって砦を攻めたわけではないからな。それに・・・」
重秀がそう言うと、床几に座っている脇坂安治と石田正澄の方を見た。
「薄暗い中、わざわざ石火矢を錐山城に運んでくれた甚内(脇坂安治のこと)と弥三郎(石田正澄のこと)には骨を折らせた。礼を言う」
そう言った重秀に対し、正澄は「有難きお言葉」と言って頭を下げたが、安治は「何だってぇ!?」と大声を上げた。
「若殿っ!申し訳ございませぬ!昨日はずっと石火矢の轟音を聞いていた故、耳が馬鹿になっておりまする!もっと大きな声でお願いいたしまする!」
安治の大声に、正澄が思わず両耳を塞ぎ、知宣や定範、そして定範の隣にいた別所友之が顔を顰めた。知宣が注意しようと口を開きかけたが、その前に重秀が声を上げる。
「ああ!すまなかった!甚内達が日没後も石火矢を尾根沿いの細い道を運んで道祖神乢の陣所(サイノタワノ陣所のこと)から錐山城まで運んでくれたことに感謝しているっ!」
重秀が大声でそう言うと、安治は「はっ!有難き幸せっ!」と大声で返してきた。
安治とその手勢は、重秀の策を受けて石火矢を錐山城まで運び込んだ。日没後に足元の不安定な尾根沿いの道を、篝火の明かりを頼りに、正澄の少ない兵と宮部勢の兵達の手伝いを受けつつ運んだのであった。
重い石火矢を運ぶのは大変苦労し、怪我人も何人か出したものの、何とか3門の石火矢を錐山城に運び込んだ。しかし、終わったのは夜襲がもっとも多く行われる時間帯である寅の刻(午前3時頃から午前5時頃)の前、丑の刻(午前1時頃から午前3時頃)であった。
その後、何とか撃てるように組み立て、子砲(弾倉のこと)を母砲(フランキ砲の砲身のこと)の側に置いて準備が完了した直後に夜襲が始まったのであった。
石火矢はすでに配置していた大鉄砲や鉄砲に混じって発砲したが、この時あまりにも大きな轟音を発したので、それまで石火矢の発砲音を近くで聞いたことのない定範や友之、正澄や知宣は驚きで腰を抜かすほどであった。
「まったく・・・。あんな大きな音を発するとは思いもしませんでした」
たはは、と笑いながら言う正澄に重秀が話す。
「音が大きい割には大した事ないんだよな。弾の飛距離はさほどないし・・・。しかしまあ、石火矢を全部北西の砦に配置すれば、丸山城に十分届くことが可能になる。今後、丸山城攻めがあるならば、今度こそ兵庫から持ってきた5門の石火矢で丸山城を落としてくれる」
そう言うと重秀は、姿勢を正して視線を皆に向けた。皆が姿勢を正して重秀の話を聞いている中、重秀が決意するかのように言う。
「・・・聞けば、石火矢は『国崩し』とも呼ばれるらしい。石火矢で丸山城を、いや、鳥取城そのものを崩し、因幡国をも崩してくれようぞ!」
重秀の言葉に、安治以外の者が一斉に「応っ!」と声を上げた。その声が聞こえたのだろうか、遅れて安治も「応っ!」と答えるのであった。
その後、重秀は首実検を行い、兜首の1つが塩谷高清であることが分かった。また、首が切り離された胴体の検分や福島正則への聞き取り調査から、高清は羽柴勢の弾―――よりによって石火矢の砲弾によって死亡したことが分かった。結果、高清を討ち取ったのは石火矢の砲撃を指揮していた脇坂安治の手柄とされた。
なお、正則はあくまで死んだ高清の首を切り落としただけ、として手柄とはされなかった。もっとも、本人もそれは理解していたため特に文句を言うことはなかった。
なにはともあれ、目標であった雁金山城とその支城と陣所を攻め落とした重秀と宮部継潤は、高山の本陣である陣城に向かうと、そこで秀吉に戦果報告を行なった。
雁金山城とその支城と陣所を攻め落としたことはもちろん、雁金山城の守将である塩谷高清を討ち取ったことは、秀吉にとっては想定外のことであった。なので秀吉は喜びを爆発させて重秀に抱きついた。
「ようやった、ようやった!さすがは儂の息子じゃ!山賊の頭を討ち取るとは、儂ゃ鼻が高いぞ、藤十郎!」
そう言って重秀を褒める秀吉であった。ちなみに、『山賊の頭』とは塩谷高清のことである。といっても別に高清は山賊ではない。丸山城の守将である奈佐日本之介が隠岐水軍の頭目であり、いわゆる『海賊の頭』だったので、その対として高清を『山賊の頭』と呼んだに過ぎなかった。
秀吉は重秀から離れると、今度は継潤に飛びついた。
「いやぁ、善祥坊殿(宮部継潤のこと)!よくぞ我が愚息に手柄を立てさせてくださった!これも善祥坊殿が我が愚息を支えてくださったからじゃ!この恩は一生忘れませんぞ!戦が終わりましたら、必ずや武功に報いまするぞ!」
継潤へのフォローもしっかりと行った秀吉は、今後のことについて重秀と継潤に話した。
「近い内に小一郎と丹後水軍が賀露浦(今の鳥取港)を攻めるつもりじゃ。小一郎のことだから下手を打つことはないと思うが、それでも万が一ということもある。そうなった場合、丸山城と鳥取城の間の補給路は是が非でも我等で切断せねばならぬ。つまり、雁金山城とその支城、陣所には信用できる者を置いて守りについてもらわねばならぬ。そこで、雁金山城とそこより鳥取城側の支城と陣所には善祥坊殿を、錐山城とそこより丸山城側の支城や陣所には藤十郎を入れる。二人共、雁金山城と錐山城をしかと守り抜け」
秀吉がそう命じると、重秀と継潤は「ははぁ!」と言って頭を下げるのであった。
その後、重秀と継潤はそれぞれの持ち場で守りを固めるべく、大規模な普請を行なった。自分達の攻撃で壊れた土塁や建物を修理するだけでなく、鳥取城の兵糧攻めという大目標を達成すべく、重秀と継潤は錐山城と雁金山城、そして周辺の支城や陣所を改造していった。
特に、重秀は雁金尾西端の砦をただの通り道から丸山城からの攻撃を防ぐための砦へと作り変えた。また、雁金尾西端の砦を補強すべく、北東にある秋葉山の山頂に砦を築いた。
さらに、雁金尾西端の砦には苦労して持ち込んだ石火矢5門を配置した。これにより、丸山城全体が石火矢の射程距離内に入ることになった。
こうして丸山城と鳥取城を繋ぐ補給路は完全に切断されたのだった。
重秀はその後、試射と称して石火矢を丸山城に向けて発砲した。火薬と弾の節約をするように秀吉から命令があったため、1日に4〜5発しか発射しなかったが、余裕で届く鉄の弾の攻撃に、奈佐日本之介とその将兵は戦々恐々とした。特に、夜中に前触れもなく撃ち込まれる鉄の弾は、丸山城の将兵達に多大なストレスが加わった。
しかし、石火矢の攻撃は急に収まってしまった。
天正九年(1581年)八月十二日。小一郎率いる羽柴勢と垣屋恒総率いる垣屋勢、松井康之率いる丹後水軍は賀露浦を攻撃。これを占拠すると同時に、停泊していた毛利水軍の船を沈めた。そして毛利水軍は西の大崎城まで後退することになった。
その結果、丸山城に船を使っての補給はできなくなった。そして生き残った塩谷勢の兵を迎え入れた丸山城は、急激に兵糧が無くなっていった。こうなると無理に丸山城を力攻めする必要はない。
そこで秀吉は重秀に対して丸山城の砲撃中止を命じた。火薬と砲弾を毛利決戦に備えて温存するためである。
それ以降、重秀は錐山城を中心に行者堂の上城、雁金尾西端の砦、秋葉山砦の守りを固めることになった。これは、鳥取城陥落まで続くことになった。