第22話 長島一向一揆(その7)
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作者都合で大変申し訳無いのですが、来週から3月いっぱいまでは週1での投稿ペースとなります。ご理解の程よろしくお願い致します。
天正二年(1574年)九月二十九日。夜明け前に、信忠の陣にて軍議が開かれた。
内容は、今日の長島城から出ていく一揆勢に対する根切りに関する作戦の確認であった。その説明を斎藤利治が行った。
「・・・以上が作戦である。なにか聞きたいことがあるか?」
利治の言葉に、諸将は困惑の表情を浮かべた。この作戦では全軍が参加することになっている。そこまではいい。しかし問題は、指揮を信長本人が取ること、そして、信長の後詰めに信忠が入っていることである。つまりこれは、信忠に根切りに参加させない、と言っているようなものだ。
それは信忠にも分かっている。だからこそ、この軍議では終始不機嫌そうな顔で黙っていたのだ。それは、父信長に対する不満の表れでもある。
「・・・ま、御屋形様の決めたこと故、我らがどうこう言うつもりはないんですがね」
しばしの沈黙の後、不意に森長可が話し始めた。
「陣形を見るに、御屋形様の前がちと薄くありませんか?御屋形様の前衛は一門の方々以外は佐々勢しかいないではありませんか」
「それだけいれば十分であろう。すでに士気の下がった一揆勢。しかも退去のところを襲うんだ。連中、大したことは出来まいて」
そう言ったのは織田信成であった。長可が反論する。
「そうはおっしゃいまするが、一門衆の兵力は少数。一門の数が多くても、兵の数は心もとなく思いまする。せめて、佐々勢の他にもう少し軍勢を置くべきではないかと」
「そうは言っても、森勢も我ら池田勢もその他の軍勢も別に配しておる。御屋形様の所に貼り付ける軍勢はもうないぞ」
長可と信成の言い合いに、池田恒興が参加する。恒興が続けて言う。
「勝蔵、お主まさか若殿の直属を佐々勢の追加に配属させるつもりではなかろうな」
「いや、さすがにそこまでは・・・。それよりも、それがしの森勢を佐々勢の追加とし、それがしの受け持ちに若殿を置いてはどうですか?」
「馬鹿な!若殿に最前線に立てというのか!?」
長可の提案に恒興が怒号を上げるが、長可は恒興を無視して利治に顔を向ける。
「斎藤様、この旨、若殿様と御屋形様に申し上げること可能でしょうや?」
そう聞かれた利治は、信忠の方を見た。信忠は利治を見ながら頷いた。
「・・・相分かった。御屋形様に申し上げてみる」
利治が長可にそう言った時、恒興ではなく別の者が怒号を上げた。
「お待ち下さい!一揆勢はもうすぐ城を退去致しまする!陣替えをしている刻はございませぬぞ!」
長野信良がそう叫びながら立ち上がった。恒興も頷いている。
「・・・それならば、先に陣替えを行ってから父に報告すればよい。それならば・・・」
信忠がそう言うと、諸将からは反対の声が相次いだ。
「たわけ!そんなことをすれば御屋形様、いや兄上のご不興を買うぞ!叔父としてそんなことは認められん!」
「三十郎殿の言うとおりじゃ。そんなことをすれば、若君は処罰されまするぞ。嫡男が処罰されれば、織田家の面目は丸つぶれ。敵対する公方(足利義昭のこと)や武田や本願寺が喜ぶだけじゃ」
「右衛門尉殿(織田信次のこと)の言うことごもっとも。若殿、何卒ご自重あれ」
「若殿、さすがに御屋形様に事後報告はまずいって」
信良や信次、恒興や長可にまで反対された信忠は「相分かった・・・」と言ってそのまま黙ってしまった。結局、作戦の変更はなされず、予定通り信忠の直属部隊は信長の後詰めとなった。
「大松、そなたはどう思う?」
軍議後、自分の部屋に戻った信忠は、軍議中も信忠の側に侍っていた大松に聞いた。
「・・・私めは小姓なれば、軍議に関することを申し上げる身ではございませぬ」
大松は少し考えてからそう言った。しかし、そんな回答で満足するような信忠ではなかった。
「そうだな、しかし主君が臣下の言に耳を傾けるのは構わないだろう?」
いいからさっさと言え、という信忠の言外の圧力に大松は負けた。
「・・・僭越ながら申し上げまする。皆様方の仰るとおりかと存じまする」
「・・・そうか、何故そう思う?」
信忠は恨めしそうな目で大松を見つめた。一瞬だけ怯んだが、それでも大松は自分の考えを述べた。
「いつ一揆勢が城を退去するのか分からない状態で陣替えを行えば、変えている途中で一揆勢の退去が行われた場合、取り逃がす虞があるかと」
「ほう・・・?」
「御屋形様に叱られるから」とか「最前線に立つと危ないから」という感じの答えが帰ってくるものと考えていた信忠は、大松からの予想外の答えに片眉を上げた。
「では、一揆勢が出てくる前に陣地替えを行えばよいではないか」
信忠の機嫌が治ったのか、少し明るい声で聞いてきた。
「・・・恐らく一揆勢は城から様子を見ているはずです。陣地替えなどすぐに見破られると思われます。そうなれば、一揆勢は陣地替え中に奇襲をかけるやも知れませぬ」
「連中が襲ってくると?」
大松の答えに若干驚く信忠。そんな信忠に大松が更に答えた。
「一揆勢は負けると分かったから降伏してきたのです。少しでも勝機があるとするならば、降伏をやめて御屋形様の首を狙うやも知れませぬ。それに・・・」
「それに?」
言うのを止めた大松に、信忠は促した。大松は意を決したように話す。
「・・・御屋形様と同じ考えをする者が、向こうにはいないとは言えませぬ」
「ふむ・・・」
信忠は右手で顎をさすりながら考え込んだ。少し経ってから、大松に言った。
「大松。父上に伝言じゃ。『一揆勢が退去と見せかけて奇襲を仕掛ける恐れあり。注意されたし』とな」
「承知致しました」
大松はそう言うと立ち上がり、信忠の前より立ち去った。
結論から言えば、信忠の警告を信長は受け入れなかった。やってきた大松に対しては、
「今更痩せこけた一揆勢に何ができるというのだ。信忠に心配無用と伝えよ」
と言っただけであった。一応、側にいた堀秀政も信忠の警告を聞くように言上したが、信長は取り合わなかった。
とはいえ、秀政も信長から寵愛を受けるほどの優等生。自分が馬廻衆の取りまとめであることを利用して、馬廻衆を信長の正面に集中させた。あくまで一揆勢の奇襲に備えたのである。
一方、大松から顛末を聞いた信忠は、斎藤利治を呼んで対策を練った。取り敢えず自分の馬廻衆をいつでも援軍として動かせるように毛利長秀に命じたが、残りの足軽歩兵はどうしようか悩んでいた。
「大松ならどうする?」
信忠の期待するような視線と利治の刺すような視線にビビりながら、大松は答えた。
「三国志なら伏兵として置くんですが・・・。ここでは無理ですよね・・・」
「この中州のどこに兵を隠すというのだ」
利治が呆れたように言った。長島は木曽三川の中に出来た中洲である。平坦な土地であるため、兵を隠すような地形はない。中洲なので川沿いに生える葦などの背の高い草を利用すれば兵を隠せるかもしれないが、一揆勢もそれは分かっており、すでに粗方刈り取られていた。
「仕方がない。足軽は万が一に備えて退路確保のために使おう」
信忠がそう言うと、利治は「御意」と言って頭を下げた。ふと信忠が大松を見ると、大松が首を傾げているのが見えた。
「おい、大松。何をそんなに悩んでいるのだ?」
「はい。もし一揆勢が奇襲を掛けるとするならば、女子供はどこに逃げるのか考えておりました。願証寺の住持はまだ子供だと聞きましたし、確か、あそこには高貴なお姫様方がいたと記憶しています。まさかそのような方まで奇襲に参加するとは思いませんので」
「なるほど、どこかに脱出する道があるというのか」
「はい」
信忠の問いに大松が答えた。信忠は再び利治の方を見る。
「新五、九鬼らの水軍衆に警報を出せ。別の道から逃げる者がいるかも知れないから、川で捕捉せよ、とな」
利治は「御意」と言うと、立ち上がって陣から出ていった。
「やっと出てきたか、一向門徒共め」
佐々成政の視線の先には、長島城から出てきた一揆勢の集団が見えていた。先頭は僧侶で次に女子供、最後に男衆が続いていた。男衆の中には、けが人をおんぶしたり、筵を被せて戸板に乗せた重傷者を数人で運んでいたりと、戦闘で傷ついたか栄養失調で倒れた人を含んでいた。その数は実に多い。千人、いや二千人は余裕で超えているだろう。
成政はちらりと西の方を見た。すでに太陽は西に傾いている。ひょっとしたら、薄暮の攻撃になるかも知れない。成政は視界が暗くなるって一揆勢を取り逃がすのではないか、という不安をいだき始めていた。
「父上、本当にやるのですか?」
成政の隣りにいた松千代丸がそう言った。成政は答える。
「御屋形様の命には逆らえぬ。不本意ではあるが、致し方ない。松千代、覚悟を決めよ」
「・・・はい」
―――本当は儂だってやりたくはないさ―――
松千代丸の元気のない返事に、成政は心の中で溜息をついた。
佐々成政は元々佐々家の三男坊であった。家督を継ぐことはない、と思っていた成政は、織田信長の馬廻衆の一員として戦場を駆け回っていた。兄二人が戦死するなどしたため、家督を継ぐこととなったが、今でも最前線に立つことを止めてはいない。永禄四年(1561年)には池田恒興と共同で稲葉一鉄の叔父を自ら討ち取っている。
そんな正々堂々とした戦いぶりをしてきた彼にとって、騙し討ちは決してしたくない仕事であった。特に、嫡男松千代丸の初陣でやることに、本人は忸怩たる思いがあった。しかし、信長直々の命令に逆らうことは出来ない。今まで信長の命を愚直にこなしていた成政には、愚直に一揆勢を騙し討ちする他に手段はなかった。
―――あの猿なら、もっと上手くやるのかもしれんな―――
ふと、成政の脳裏に最も嫌いな男の顔が浮かんだ。この戦に参加していない羽柴秀吉の顔だった。
戦で敵将の首級を取ってなんぼ、と思っていた成政にとって、調略で寝返らせて功を上げる秀吉は、武士の振る舞いにとても見えず、内心嫌っていた。無論、調略は武士でもやることなのでその点を批難するつもりはない。しかし、秀吉の出自がどうしても気になってしまうのだ。つまり、秀吉の調略≠武士の調略、という定式が成政の頭にどうしても浮かんできてしまうのであった。
―――そう言えば、猿の息子は父に似ていないのであったな―――
一緒に酒を飲んだ前田利家からの情報だが、大松とやらは顔はもちろん、振る舞いも父に似ていないらしい。最も、振る舞いについては幼少の頃からまつが厳しく躾けてきたことと、岐阜城でもしっかりと武士の作法を身に着けさせられたことで、少なくともそういった事に疎い秀吉よりはまともらしい。
「松千代」
成政は自分の息子の名前を呼んだ。
「はい、父上」
「戦が終わったら、儂に大松を・・・」
紹介してくれ、という言葉を言い終わる前に、周囲から法螺貝が吹き鳴らす音が聞こえた。
「・・・話は後だ。皆の衆、撃ち方用意!」
成政が大声を上げると、佐々勢が誇る鉄砲足軽達が火縄銃を構えた。すでに弾や火薬を込めており、火縄も挟み込んでいる。後は火蓋を切って引き金を引くだけである。
「火蓋切れ・・・!」
足軽達が火縄銃の火蓋を正に切らんとしたところであった。急に松千代丸が大声を上げた。
「父上!敵がおかしいです!」
「・・・!?」
松千代丸の指差す方向を見た成政は、そこで一揆勢がやっていることに驚愕した。一揆勢は、僧侶や女子供がいきなり服を脱ぎだしたのである。しかし、それはよく見るとただ服を脱いでいるのではない、裸になると同時に、着物に隠していた抜身の刀を持ってこちらに向かって走り出してきたのだ。女だと思っていた者をよく見ると、乳房がなく、股間に本来ついていないものがついていた。つまり、あれは女ではなく男だ。
しかも、重傷者を戸板に乗せて運んでいた者たちは、戸板をひっくり返して重傷者を地面に落としていた。重傷者は筵がかけられていたが、その筵と重傷者とともに数丁の火縄銃も地面に落ちていた。戸板を持っていた男たちが火縄銃を拾い上げると、一緒に落ちていた炭に縄を押し当てていた。恐らくすでに炭には火がついているのであろう。
「は、放て!」
一揆勢にすでに見破られていたことに驚いた成政であったが、そこは幾度も戦場をくぐりぬいた佐々勢である。成政の号令の元、一糸乱れぬ射撃で一揆勢を撃ち倒す。
「第二列、放て!」
佐々勢は最近取り入れた二段構えの射撃方法で射撃を繰り返した。しかし、一揆勢の勢いは止まらなかった。
「鉄砲隊下がれ!長槍隊前へ!」
このままでは二段構えであっても鉄砲の弾込めが間に合わない。そう判断した成政が鉄砲隊を下げさせて長槍隊を前面に出した。しかし、この時一揆勢の前面にいたのは、偶然にも鉄砲を持った者が多かった。
一揆勢は長槍隊に鉄砲を放った。至近距離からの発砲に長槍隊に数人の負傷者が出る。その隙きを狙って全裸の男たちが刀を奮って突っ込んできた。その異様な光景と、元々鉄砲で根切りする予定だったこともあり、急な戦闘になった長槍隊に混乱が起きた。その混乱を見たのかどうかは分からないが、とにかく一揆勢は佐々勢にがむしゃらに突っ込んできた。乱戦状態となった佐々勢は成政を中心に立て直そうと奮闘したものの、ついに抜かれてしまった。一揆勢は信長のいる本陣めがけて突撃を開始した。
佐々勢と信長の本陣の前には、信忠の軍勢より抜かれた織田一門の各隊が入っていた。彼らは兵力は少なく、しかも一揆勢が退城してきて油断したところを攻めるものと思っていたため、まさか自分たちが攻められるとは思っていなかった。なので、一揆勢の突撃があった途端に混乱してしまった。次々と討ち取られる将兵たち。討ち取られた中には織田信広(信長の庶兄)、織田秀成(信長の弟)、津田長利(信長の弟)、織田信成(信長の従兄弟)、織田信次(信長の叔父)、織田信直(信長の妹婿)、織田信昌(織田信成の弟)、佐治信方(信長の妹婿)がいた。
そして、抜かれた佐々勢にいた佐々松千代丸もまた、一揆勢によって戦死した。享年十三であった。
一方の一揆勢は、信長本陣前にいた馬廻衆と、援軍に来た信忠の馬廻衆によって一人残らず殺された。この時の指揮により、堀秀政は行政だけでなく、指揮でも『名人』であったことを証明した。また、本陣にたどり着けなかった一揆勢も他の軍勢によって一人残らず殺された。
この攻撃と一門の大量戦死に激怒した信長は、全軍を長島城に突撃させると、中に残っていた女子供を全て殺害した。すでに住持や姫たちは自殺していたが、それ以外の生き残ったものは怒りに任せた殺戮の中で果てた。
こうして、長島城は陥落したのだった。