第225話 鳥取城の戦い(その1)
感想、評価、ブックマーク登録、いいね!を頂きありがとうございます。大変励みとなっています。
天正九年(1581年)六月初旬。兵庫城では評定が行われていた。それは、七月に始まる鳥取城攻めに参加するための準備のためであった。
「父上は六月二十七日に姫路を出立することを決められた。我等はその三日前までに姫路に入らなければならない。その後は父上の本軍と共に出立し、七月の初旬には因幡に入る。因幡では毛利に寝返った国衆を征討しつつ、鳥取城へ攻め上る!」
重秀の声が本丸天守の広間に鳴り響いた。それに続いて広間に居た者達から一斉に「ははぁっ!」と言う返事が鳴り響いた。
重秀の話はそこで終わり、残りは重秀の与力であり、羽柴家の宿老となっている前野長康から話が出された。
「此度の戦は羽柴全軍をもっての戦となる。当然、摂津からも全軍出陣と相成る。参陣するのはそれがし、浅野弥兵衛殿(浅井長吉のこと)、木下孫兵衛殿(木下家定のこと)、堀尾茂助殿(堀尾吉晴のこと)、中村孫平次殿(中村一氏のこと)、山内伊右衛門殿(山内一豊のこと)、尾藤甚右衛門殿(尾藤知宣のこと)、脇坂甚内殿(脇坂安治のこと)、石田弥三郎殿(石田正澄のこと)、福島市兵衛殿(福島正則のこと)、加藤虎之助殿(加藤清正のこと)、加藤孫六郎殿(加藤茂勝のこと)、大谷紀之介殿(大谷吉隆のこと)、外峯四郎左衛門殿(津田盛月のこと)、外峯与左衛門(津田信任のこと)、浦上彦進殿(別所友之のこと)、江見弾正殿(淡河定範のこと)、梶原左兵衛殿、三浦荒次郎殿(三浦義高のこと)、三浦荒右衛門殿(三浦義知のこと)である。
寺沢忠次郎(寺沢広高のこと)と木下大蔵(のちの木下勝俊)は小姓として若殿の傍に侍る。また、河北算三郎殿も若殿の護衛として参陣いたす」
長康から名前を呼ばれた者達が一斉に「ははぁっ!」と言って返事をした。が、直後に福島正則が声を上げる。
「って、待ってくれ・・・。いや、お待ちください。吉兵衛(黒田長政のこと)は参陣しないのでございますか?」
評定の場なので、それなりに丁寧な物言いで尋ねた正則に対し、答えたのは長康ではなく重秀であった。
「吉兵衛は此度の戦は初陣となる。よって、父である官兵衛殿(黒田孝隆のこと)の傍で戦に励むこととなった」
重秀がそう言うと、皆から一斉に「おおっ」と声が上がった。その声に、黒田長政は照れを隠すように平伏した。
それを見つつ、長康が話を続ける。
「・・・兵庫城の留守居役は寺沢藤左衛門(寺沢広政のこと)が務める。また、松田利助、竹本百助、井上成蔵、田村保次郎は水軍をまとめるために兵庫に残ることになっている。そして・・・」
そこまで言うと、長康は一旦話を止めた。重秀以外の皆が訝しる中、長康が再び話を始める。
「今回の鳥取城攻め。兵庫津の全ての船大工を連れて行く」
長康の言葉に、広間がざわついた。何故船大工を連れて行くのか、そんな疑問を浮かべた顔が広間に並んだ。
「・・・将右衛門の言葉には語弊がある。正確には船大工を含む大工全てを連れて行く、だ」
広間の上段の間から、重秀が皆に聞こえるように声を上げた。広間ではざわつきが大きくなった。そんな広間を長康が静める。
「静まれ!・・・大工を多く連れて行くは大殿(秀吉のこと)の考えよ。鳥取城の周囲に附城を築城し、鳥取城を包囲するのが大殿と官兵衛殿の策よ」
そう言うと、広間の一部から戸惑いの声が聞こえた。尾藤知宣が声を上げる。
「附城を造って包囲、となりますと、力攻めではなく兵糧攻めでございますか?」
「うむ。そのために大殿と官兵衛殿が去年より策を講じてくださった」
長康がそう答えたが、知宣が困り顔で話を続ける。
「いくら策を講じたとはいえ、三木城のようにまた長期の戦になるのか・・・」
知宣の言葉に、定範と友之が渋い顔をした。二人共その三木城で兵糧攻めを食らった側だからであった。
そんな中、今度は重秀が口を開く。
「此度の兵糧攻めはただの兵糧攻めではない。鳥取城を毛利の主力をおびき寄せる餌とする。そして、毛利右馬頭(毛利輝元のこと)と両川(吉川元春と小早川隆景のこと)が主力を率いてきたら、上様が安土よりご出馬なされる。そのため、ただの附城では駄目なんだ」
「・・・御座所を造る必要があると?」
知宣がそう言うと、重秀は頷く。
「うん。上様は鳥取城での毛利との決戦をお望みだ。そのため、天下人たる上様がご在陣なされるに相応しい御座所が必要なんだ」
「・・・若殿。もしや、此度の戦、大戦になるのではございませぬか?」
山内一豊がそう尋ねると、重秀だけでなく、長康も頷いた。その様子を見た一豊は、いや、一豊だけではない。他の諸将の顔が紅潮していったのだ。それは、一大決戦に参加できるという武人の誉れを大いに刺激したためであった。
その様子を見た長康が「若殿」と重秀に声をかけてきた。重秀が大きな声を上げる。
「此度は船ではなく陸路での移動となる!そのため、兵庫の出立は六月十四日とする!十日間もあれば十分父上の定めた期日までには着くであろう。それまでの準備を怠りなきよう、皆にはきつく申し渡す!」
そう言うと、広間の皆は一斉に「ははぁっ!」と熱気を帯びた返事をするのであった。
天正九年(1581年)六月十三日。出陣を明日に控えた兵庫城下にある山内屋敷では、山内一豊と妻の千代が家族の団欒を過ごしていた。
「いよいよ明日はご出陣でございますが・・・。忘れ物はありませぬか?兵糧はちゃんと準備できてますか?着替えは準備できていますか?槍の手入れは済ませておりますか?」
「・・・子供の使いではないのだから、言われなくてもちゃんとやっておるわ。儂だけではなく、祖父江勘左衛門や五藤吉兵衛(五藤為浄のこと)と共に確認しておるから、案ずるな」
一豊はそう言うと、視線を千代の顔から少し下に落とした。そこには、千代の腕に抱かれて寝ている赤ん坊がいた。それは、今年になって生まれた一豊と千代の娘である与祢であった。
「それにしても、よく寝る子じゃ。まあ、寝る子は育つと言うから、寝ることは良いことなのじゃが、儂が抱くとすぐに起きて泣きじゃくる。儂のことが嫌いなのかのう?」
「御前様の抱き方は力が入りすぎておるのでございます。それが原因だと思いますよ」
「いや、だって落とすと危ないし・・・」
「それに、あやすと言って身体を揺らしましたが、あの揺らし方は激しゅうございます。嵐の中の小舟ではないのでございますよ」
千代からそう言われた一豊。塩飽に向かう際に乗った船で酔ったことを思い出すと、「それは済まないな」と後頭部を右手で掻いた。
「なにせ、初めての子だからのう。どう接してよいのか分からなくて」
「とは言え、最近は抱き方も上手うなりました。泣くこともなくなりましたし」
「しかし、千代がいないとなぁ・・・。千代が別室に行くと、すぐに泣き始める」
「そのうち与祢も慣れてきますでしょう。ご案じ召されるな」
「これから戦だからのう・・・。しかも長丁場になりそうだし。儂のこと、忘れたりしないだろうな・・・?」
変な心配をしている一豊に、千代は思わず笑った。そんな笑顔を見た一豊が、顔に笑みを浮かべながら千代を見つめていた。しかし、すぐに真面目そうな顔つきに代わると、一豊は千代に言う。
「・・・千代。千代には誠に骨折りを多くさせてきた。こうやって大きな屋敷を賜り、子供もできた。これからも功名を立て、千代や与祢によりよい暮らしをさせてやるからな」
そんな決意を新たにする一豊に、千代は「あまりご無理をなさいますな」と言った。
「この乱世、夫と子に恵まれたのでございます。どうしてこれ以上の幸せを望みましょうや。千代は十分幸せにございます。・・・惜しむらくは、与祢が男子でないことでございますが」
嫡男を上げることができなかった千代の嘆きに対し、一豊は「言うな」と窘めた。
「今まで子ができなかった我等にやっと子が授かったのだ。我等に子を成すことができるということが分かっただけでも僥倖ではないか。いづれ、男子も授かるであろう」
一豊はそう言うと、千代に近づいて千代の腕の中で寝ている与祢に顔を近づけた。そして頬をツンツンと触る。
「・・・しかし、与祢は美人じゃのう。いづれ、良き男子と娶せなければならんな」
「まだ早うございますよ」
気の早い一豊の発言に、千代は思わず笑ってしまった。そして一豊も「それもそうだな」と言って、つられて笑うのであった。
次の日。兵庫城は熱気に包まれていた。重秀の領地である摂津二郡から数多くの将兵が集結しており、馬や牛も集結していた。また、米蔵からは米俵が運び出され、金蔵からも銭の入った木箱が厳重な監視の下で運び出されていた。
そんな中、本丸御殿と御座所の間にある野外の広場では、陣幕に囲まれた中で諸将達による出陣式がなされていた。
三献の儀によって酒が酌み交わされた後、酒器として使われたかわらけの盃が一斉に地面に叩きつけられた。これによって士気を上げた重秀達は、馬上の人となって兵庫城の城門から出ていった。
重秀率いる将兵はおよそ1千5百人。それに人夫や大工衆が加わり2千人規模の軍勢であった。この軍勢が、西国街道を通って姫路へと向かった。
途中、林ノ城に入るとそこで仙石秀久の軍勢と合流。更に西へ向かって加古川城に入ると糟屋武則の軍勢と合流した。
加古川城を出発した重秀達は、途中の村々や寺社に泊まりながら姫路に向かった。この頃には阿閇城や高砂城、御着城など西播の城は破却され、その建材は姫路城の建材となっていた。そのため、重秀達が泊まる城がなかった。
もっとも、秀吉は来たるべき毛利との戦のために、大軍が滞りなく行動できるよう、西国街道を広げ、大軍の宿泊地となる街道筋の神社仏閣、宿場町を拡張させていた。そのため、重秀の軍勢は姫路まで労することなく行軍できた。
そんなこんなで予定通り六月二十四日には姫路城に入城することができた。
「おお!藤十郎!よう来たのう!皆もよう来た!」
姫路城二の丸御殿の広間で重秀達は秀吉に挨拶をすると、上段の間に座っていた秀吉は相好を崩しながら大声を上げた。
「お主達には因幡の状況をこれより説明する!官兵衛!頼んだぞ!」
秀吉がそう声を上げると、下段の間、秀吉から見て左側の一番秀吉に近い場所に座っていた黒田孝隆が「はっ」と言って頭を下げた。そして説明をし始める。
「今年三月、鳥取城に新たな城督が毛利より派遣されてまいりました。吉川一門の一人、吉川式部少輔(吉川経家のこと)でござる。彼の者は文武に優れた勇将であり、石見における毛利支配を支える重鎮、吉川左近将監(吉川経安のこと)の子息でござる」
「吉川一門を派遣してきたのか。吉川駿河守(吉川元春のこと)は本気だな」
前野長康がそう呟くと、孝隆は「然り」と頷いた。
「しかしながら、式部少輔には戦う術はあまりありませぬ。前年の我等による鳥取城攻めや凶作、しかも若狭商人による米の買い占めで、鳥取城は兵糧の備蓄に失敗しております」
孝隆がそう説明をすると、重秀が質問をする。
「あの、使えなくなった武器を売りつける策は如何なりましたか?」
「若君が考えた策は失敗いたしました。若狭の商人が安値で売りつけようとしても、彼等は首を縦に振らなかったようでござる。山名中務大輔殿(山名豊国のこと)の話では、先年の鳥取城攻め以前から武器弾薬は充実していたようでござる。その後、武器弾薬を消耗するような戦がなかったので、その時の武器弾薬が未だ大量に残っているものと思われます」
孝隆から話を聞いた重秀が「そうですか・・・」と言って残念そうな顔をした。
「まあ、兵糧だけでも鳥取城から吸い上げることには成功したんじゃ。それで良しとしよう。とは言え、兵糧攻めにするにはもう一押し欲しいところじゃ。そこで、官兵衛から現状と今後について話してもらう」
秀吉がそう言うと、孝隆は説明をし始めた。
この時期、長水山城の蜂須賀正勝率いる蜂須賀勢はすでに因幡に侵攻し、若桜鬼ヶ城を占領した後、毛利方に寝返った因幡南部の国衆を掃討し、丸山城(今の河原城)に入城していた。
また、すでに因幡の桐山城に入っていた垣屋恒総率いる軍勢が、鳥取城からやってきた桐山城攻略軍を何度も撃退していた。
そして、鹿野城に入っていた尼子勝久と山中幸盛、そして亀井茲矩等尼子勢が因幡と伯耆の国境を封鎖、さらに伯耆の羽衣石城にいる南条元続と連絡と取り合い、支援を行っていた。その結果、吉川元春率いる山陰方面軍は鳥取城への援軍を陸路で送ることが難しくなっていた。
また、小早川隆景率いる山陽方面軍は美作国の宇喜多勢を突破することができず、これもまた鳥取城への援軍を送ることができなかった。
「・・・以上が因幡の現状でござる。そして、今後の事でござるが・・・。筑前様率いる播磨勢と若君率いる摂津勢は姫路城から宍禾郡(今の宍粟郡)を通過し、因幡街道を北上、若桜鬼ヶ城を経由して鳥取城へ向かいます。また、但馬からは小一郎殿率いる但馬勢が桐山城を経由して鳥取城へ向かいます。さらに、丹後より松井佐渡守殿(松井康之のこと)が水軍を率いて因幡へ向かってきております。数日中には桐山城に入城する予定でござる」
「さらに言えば、上様よりの援軍が来ることになっておる。さしあたり、軍目付として長谷川藤五郎(長谷川秀一のこと)が手勢を率いてやってくることになっておる。また、毛利右馬頭(毛利輝元のこと)や両川(吉川元春と小早川隆景のこと)が主力を率いて鳥取城の援軍に来るならば、上様が大軍を率いて援軍としてきてくれる」
孝隆に続いて秀吉がそう言うと、皆が一斉に頷いた。すでに鳥取城が毛利主力を釣る餌であり、それを叩くべく信長が自ら軍勢を率いて決戦に及ぶことは羽柴の諸将には伝えられていた。
「・・・毛利主力を引き付けるため、また、鳥取城を兵糧攻めにするため、我軍は鳥取城周辺に附城を数多く造ることになっております。が、それと同時にすべきことがござる」
孝隆がそう言うと、一旦言葉を止めて秀吉の方を見た。秀吉が黙って頷くと、孝隆が再び口を開く。
「・・・我軍は全軍をもって鳥取城周辺の村々を焼き討ちにします」
孝隆の低い声で発せられた策に、諸将は驚きの声を上げた。重秀が思わず声を上げる。
「それは、乱妨取りを認めるということでございますか?上様から乱妨取りは認められておりませぬが・・・」
重秀の質問に、孝隆が「いいえ」と答える。
「此度の戦でも乱妨取りは認めませぬ。焼き討ちはあくまで百姓を村から追い出すため。そして、百姓を鳥取城に逃がすためでございます」
「それでは、鳥取城の兵数が増えます。百姓も戦おうと思えば戦えますが・・・」
「その代わり、兵糧の消費が多くなるだろうが」
重秀の疑問に対し、孝隆ではなく秀吉が答えた。それを聞いた重秀が納得したような顔つきになる。
「ああ、そう言うことでございますか・・・」
重秀がそう言うと、秀吉が頷く。
「そう言うことじゃ。儂としては鳥取城を冬になる前に落としたいのじゃ。雪が降れば兵を退かねばならぬからのう。三木城のように長期の包囲をしとうないのじゃ」
秀吉の偽らざる気持ちを聞いた重秀は、黙って頭を下げた。孝隆が話を続ける。
「・・・附城築城の総指揮は、領内に日原大工衆を抱え、此度の戦に数多く連れてきている加藤作内殿(加藤光泰のこと)にお願い申し上げる」
孝隆がそう言うと、言われた加藤光泰が「承りました」と冷静な声で返答した。
「藤十郎」
秀吉が重秀に声を掛けてきた。重秀が「はっ」と言って頭を下げた。
「兵庫津から船大工は連れてきておるのだな?」
「御意。船大工だけではなく、ただの大工も連れてきております」
重秀の回答に、秀吉は満足そうに頷く。
「うむ。ならばお主は作内と共に附城建造を行え。作内と藤十郎には後で附城の建築場所など具体的な指示を出す」
秀吉が重秀にそう言うと、今度は視線を重秀から広間に集まっている諸将に向ける。
「儂と官兵衛の軍勢以外の者共は、鳥取城に到着次第、作内の指揮の下で附城築城と村の焼き討ちじゃ!良いな!」
秀吉の言葉に諸将は一斉に平伏した。が、その顔には困惑の表情が浮かんでいた。重秀もその一人だった。なので顔を上げると秀吉に尋ねる。
「・・・父上。父上の軍勢と官兵衛殿の軍勢は附城築城と村の焼き討ちを行わないのですか?」
「儂と官兵衛は附城築城中に鳥取城や周辺の城からの妨害を防ぐための警固じゃ」
秀吉の言葉に重秀は「なるほど」と言って納得した。
その後も孝隆による説明が続いた。そして説明が終わると、秀吉が立ち上がって声を上げる。
「良いか!此度の戦は決戦と思え!ここで毛利の主力が出てきたならば、毛利と雌雄を決し勝利する!そうすれば、中国は織田のものとなり、戦が終わる!皆の衆!気張れよ!」
秀吉の激に、広間には「おおっ!」という気合のこもった言葉が鳴り響くのであった。