第224話 住吉にて(後編)
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次の日、遠里小野で一泊した重秀達は、宿泊先の若野家の屋敷から出発し、一路摂津国住吉郡にある五箇庄へと向かった。
今では間に大和川が横たわっているが、当時は大和川は別の場所を流れていた。したがって、遠里小野から五箇庄まで歩いて30分強で行けた。
そんな道すがら、重秀は馬の上で昨日食べた揚げ物―――後の天ぷらの味を思い出していた。
「・・・昨日の揚げ物は美味かったな。唐の食べ物で油で揚げて食べるものがあるというのは知っていたが、南蛮にもあったんだな・・・」
そう呟いた重秀に、隣で同じように馬に乗りながら進んでいた加藤清正が応える。
「確かに。油にああいう使い方があったのでございますな。桐油ではできない料理でござった」
「桐油には毒があるからな」
重秀がそう言うと、清正は「まったくでございますな」と言って笑い出した。
そんなこんなで五箇庄に着いた重秀達。さっそく河内鋳物師達が住む村へと向かった。
そこは、見た感じ普通の村であった。しかし、一軒一軒の家の敷地が広く、中では家だけでなく工房らしき建物も建てられていた。
そんな建物が並ぶ中、重秀達はその村の庄屋の屋敷に入った。そこでは庄屋を始め、鋳物師の親方衆が重秀を迎えてくれた。
重秀達が馬から降りて近づくと、庄屋と思われる人物がお辞儀をしながら言ってくる。
「よう来てくれはりました、羽柴様。お話は今井様から聞いてます」
「うん、世話になるぞ。さっそく鋳造をしているところを見てみたい」
重秀が笠を脱ぎながらそう言うと、庄屋は隣に立っている人物を紹介した。
「こちらにおるんは鋳物師の親方の浅香紀之介と申します。今日はこの者が鋳物の作り方を案内します」
庄屋がそう言うと、隣りにいた老年の厳つい男が無言で頭を下げた。
「ほな、さっそく参りまひょか」
遠里小野に引き続いて案内役の今井兼久(のちの今井宗薫)がそう言うと、重秀達は先に歩き出した浅香の後をついていくように歩きだすのであった。
浅香紀之介の工房は庄屋の屋敷からさほど離れていない場所にあった。広い敷地の中に、建物がいくつも建っていた。が、重秀が目を引いたのは、建物に囲まれた野外の広間の真ん中に、大きな筒のようなものが並んでいた。また、少し離れた場所には、地面に複数の穴が空いていた。
「この大きく立っているものは?」
「こしき炉と申しまして、これで鉄や銅を溶かすのでございます」
重秀の質問に対して、兼久がそう答えた。こしき炉とは古代から使われている溶鉱炉の一種で、見た目が甑(竹や木でできた蒸し器のこと)に似ていることからそう呼ばれた。
そんなこしき炉からは、黒煙が上がっており、中で火が焚かれていることは重秀の目でも確認できた。
「このこしき炉の中で鉄や銅を木炭で熱し、溶かしております」
兼久がそう説明している傍らで、老年の職人がこしき炉の火を見ていた。よく見ると、他のこしき炉を見ていた者達も老年が多かった。
「・・・職人にやたら老人が多いが、若い者はいないのか?」
重秀がそう言うと、兼久が急に黙り込んだ。その代わり、それまで無口であった浅香がボソリと呟く。
「・・・そら、若い者は全て堺に行ってもうたからな・・・」
それを聞いた重秀が「何だって?」と浅香に尋ねた。しかし、答えたのは兼久であった。
「・・・河内鋳物師の若い衆はそのほとんどが堺にて鉄砲鍛冶をやってます。それ故、ここには若い者がおらんのですわ」
「え?堺の鉄砲鍛冶って、河内鋳物師だったの!?」
初めて聞く話に、重秀が思わず声を上げた。それに対して兼久が黙って頷いた。それを見た重秀の脳裏に疑問が湧く。
「・・・ひょっとして、堺筒(堺で作られた火縄銃のこと)って、鋳造で作られているのか?」
脳裏に湧いた疑問を口にした重秀。それに対する兼久の答えは「いいえ」であった。
「堺筒は鍛造でおます。堺は鋳造だけでのうて、鍛造も昔から盛んな場所でおました」
5世紀頃、仁徳天皇陵の築造が始まると同時に、近所の堺に日本全国から鍛冶職人が集まり、陵を造るために必要な鋤や鍬が作られたと言われている。
もっとも、堺での鍛造による鉄製品の歴史は、14世紀頃に加賀国から鍛冶職人の集団が堺に移住したのが始まり、という説もある。
どちらにしろ、この頃には堺にも鍛冶屋町ができており、そこで鉄砲が生産されていたのであった。
「いうても、昨今の堺では鉄砲鍛冶の職人の数が足りまへん。そやさかい、金物の扱いの長けた河内の鋳物師を多う雇い入れてまんねん。
鋳物師の方も実入りの多い鉄砲鍛冶の職人になる者が多く、結果、河内の鋳物師が減ってきてまんねん」
金久がそう説明すると、重秀は「なるほどなぁ・・・」と呟いた。そんな二人に、浅香が呟くように話しかける。
「・・・今井の若旦那様。そろそろ・・・」
浅香の言葉に、兼久が「ああ、せやな」と言うと、重秀に話しかける。
「羽柴様。炉から銅を取り出しますさかい、離れてくれまへんか」
「ああ、すまない」
重秀がそう言ってこしき炉から離れると、浅香をはじめ多くの職人たちが炉の周囲に集まってきた。中年が数人混じっていたが、大部分は老人だった。
こしき炉は複数のパーツからできており、下からル、下コシキ、コシキ、上コシキという名称がついていた。上コシキから地金と炭を交互に入れていき、コシキについている羽口と呼ばれる送風口からフイゴで風を送り、ルに落ちた炭を勢いよく燃やした。その熱で溶けた地金(湯と称される)をルにある出湯口から取り出すのである。
溜まった湯は出湯口に取り付けられた粘土の樋を通って近くの地面の穴に注がれた。光り輝く湯が注がれた瞬間、その光は強くなって炎が立ち上がった。
「・・・あの穴の中の塊は?」
「鋳型でおます。あの鋳型の中では梵鐘が作られてます」
兼久がそう言っている間に、樋を流れていた湯がなくなった。すると、樋が外され、すぐに別のこしき炉に接続された樋が塊の上にある穴の上に移動してくると、すぐに湯が流された。そんな工程を何回も繰り返していた。
「へぇ〜、鋳造って、ああやってるんだな」
重秀が感心していると、隣りにいた兼久が説明する。
「あれは梵鐘やさかい、使うてる湯は銅でっけど、鉄でも同じように行います。こしき炉で鉄を溶かし、鋳型に流し込みまんねん。釜や鍋、ほんで茶釜なんかも同じです」
「なるほどねぇ・・・」
そう言って重秀は鋳型に流れていく銅を離れたところから見つめていた。あまり近づくと熱いし眩しいからだ。
そんな重秀に、兼久が声を掛ける。
「羽柴様。だいぶ前に湯を流し込んだ梵鐘を取り出しまする。ご覧になりまっか?」
兼久の言葉に、重秀が「そうさせてもらおう」と応えた。兼久は重秀達を別の穴に案内した。
その穴は、すでに周りにあったこしき炉が取り壊されていた。代わりに穴の上には丸太で組まれた起重機が建てられており、その起重機から太い縄が滑車を介して下に降ろされていた。そして、穴の中では何かを破壊する音が聞こえていた。
「鋳型を壊し終わったら、梵鐘を引き上げますさかい、しばしお待ちを」
兼久がそう言ってからしばらく経った後、破壊する音が止んだ。そして、破壊された鋳型の破片が穴の中から引き上げられた。それらが取り除かれた後、兼久が重秀に言う。
「いよいよ引き出しまっせ」
兼久の言葉の通り、起重機の周りに多くの職人が集まり、中年の比較的若い職人達が縄を引っ張った。掛け声に合わせて縄が引かれると、穴の中から梵鐘が出てきた。そして、梵鐘が穴から完全に出ると、すでに梵鐘にくくりつけられていた縄を他の職人が引っ張り、穴の上から横にずらした。梵鐘を上から吊るしていた縄を引っ張る職人達と、横にずらせた縄を引っ張る職人達の息のあった作業により、梵鐘は特に事故を起こすことなく地面の上に置かれた。
「後は余分な部分を削り取ったら完成です」
兼久の言葉に、重秀は「うん」と返事をするのだった。
その後、五箇庄の庄屋の屋敷に戻った重秀達は、母屋の囲炉裏を囲んで休憩をしていた。そこには、庄屋の他に鋳物師の浅香も一緒にいた。
「して、羽柴様が望む鋳物とは、南蛮渡来の石火矢(フランキ砲のこと)でしたな?」
兼久がそう言うと、重秀は首を横に振った。
「・・・宗久殿にはそう言ったけど、石火矢をそのまま作るのはどうかと思って・・・」
そう言いながら重秀は懐から紙の束を取り出した。そこには、石火矢の絵図が色んな角度から描かれていた。
「石火矢はご覧のとおり、前半分と後半分で造りが異なっている。これの鋳型を作れと言われて、作れるか?」
紙を見ていた兼久と、それを横から覗き込んで見ていた庄屋と浅香に重秀がそう話しかけた。
「・・・できのうはあれへん。せやけど、手間がかかりまんな」
「せやなぁ。これは前と後で別々に作って後で繋げた方がましかもしれへんなぁ」
浅香と庄屋がそう言っている中、兼久が重秀に言う。
「・・・羽柴様は石火矢を作らせないと?」
「兵庫にやってくる伴天連の話では、南蛮では石火矢のような物ではなく、単純な筒状の物もあるらしい。それなら作りやすいと思うんだが、どうだろう?」
重秀がそう言うと、庄屋と浅香が同時に頷く。
「せやなぁ。梵鐘を細くして伸ばしたら、石火矢・・・いや、大筒と言うべきやろか?それは作れそうやぁ」
庄屋がそう言うと、兼久が首を傾げながら言う。
「・・・砲筒と尾栓は別個に作るべきやないか?鉄砲かて、筒と後を塞ぐための雄螺子は別個に作るさかい、大筒も同じように作ったらええ」
そう言って兼久と庄屋、そして浅香の3人は青銅鋳造の大砲をどう作るかを話し合い始めた。
「ああ、話し合いの途中済まないが、ちょっといいか?」
重秀が強引に三人の会話に入ってきた。3人が話し合いをやめ、重秀の方を見ると、重秀が話し出す。
「どう作るかは任せるが、必ずつけてもらいたいものがある」
そう言うと重秀は、紙に描かれた石火矢の絵の一部を指さした。それは石火矢の砲身の真ん中、左右に付けられた出っ張りであった。絵を見ると、どうも後からつけたのではなく、最初からその形になるように鋳型を作ってから鋳造したようだった。
「この部分は必ずつけてほしいんだ」
「・・・なんでっか?これは?」
兼久がそう尋ねたが、重秀は首を横に振る。
「知らない。ただ、宣教師の話では『台座に固定するためのもの』と言っていた、らしい」
「らしい?」
「私が直接聞いたわけじゃないからな」
重秀が言っていた出っ張りは、いわゆる砲耳と呼ばれるものである。砲を砲座に固定するだけではなく、砲身の角度を自由に変えることができる。その結果、ある程度飛距離を調整することができる。
「大鉄砲にはこういうのはついていないから、船の上では台座に固定するのが一苦労で。縄で縛ったり台座に溝を彫ってそこに嵌めたりすることで固定していたが、船の揺れや発射の反動で安定しなかったんだ。しかし、石火矢はこの出っ張りのお陰で台座に固定することができ、船の上で撃っても安定したんだ。だから、船の上で大筒を使うなら、この出っ張りは必要なんだ」
重秀がそう言うと、兼久は「なるほど」と頷いた。
「そんなんでしたか。せやったら、これ作る際には出っ張りは必ずつけることにおったしまひょ。紀之介はん、よろしいでっか?」
兼久の言葉に、浅香が黙って頷いた。
「して・・・、ほんまに作るんでっか?」
庄屋がそう言うと、兼久が「当たり前やがな」と声を上げた。
「鉄砲だけやのうて、石火矢・・・いや、大筒も作れるようになれば、河内鋳物師の名は上がるんやで。それだけやのうて、新たなお客はんも獲得できるんや。やらないでどないすんねん」
兼久がそう言うと、重秀が続けて庄屋に言う。
「とはいえ、いきなり作れと言われても困るだろうから、とりあえず一貫(約3.75kg)の鉄の弾を撃てるような銅の大筒を作ってもらいたい」
重秀がそう言うと、庄屋が重秀に質問をしてくる。
「銅は、誰が用意してくれはるんでっか?」
「但馬で採れた銅と錫は、宗匠・・・千宗易様が扱ってくれている。なので、宗匠から今井殿を通じてここに提供することになる」
重秀の言葉に、庄屋が「はぁ」と兼久を見ながら応えた。兼久が肩をすくめながら言う。
「羽柴様と宗易はんの繋がりは昔からのもの。播磨や但馬での商いについて、羽柴様が宗易はんを頼るんは当たり前やがな」
そう言い切る兼久に、庄屋はただ黙って見つめるしかなかった。
同じ堺の会合衆であり、かつ信長に近いという点では宗易と宗久は似たような立場にあったが、それでも商売敵なのは間違いなかった。特に、宗久は一時的とはいえ生野銀山を始めとした但馬の鉱山経営に参加していたこともあり、羽柴が但馬を手に入れて以降、その鉱山経営に宗易が関わることに良い顔はしていなかった。
その事を知っていた庄屋が気を遣って兼久を見たのだが、その兼久が現状を受け入れているため、庄屋もまた納得するしかなかった。
「・・・分かりました。この紀之介を始め、他の鋳物師達と相談しつつ作ってみまひょ。ただ、参考のために石火矢を見てみたいと思うんやけど・・・」
庄屋がそう言うと、重秀は「分かった」と二つ返事で返した。
「今のところ石火矢を使う機会がなくてな。一つだけなら貸せると思うから、後日ここに石火矢を持ってこさせよう」
その後、重秀と兼久、庄屋と浅香との間で新たな石火矢―――大筒について話し合われるのであった。
その日のうちに堺に戻った重秀達は、今井宗久の屋敷で一晩過ごすことになった。
信長の筆頭茶頭として、また堺の会合衆の重要幹部として権威を誇っている宗久の屋敷は、堺でも随一の大きさであった。
そんな中、重秀は兼久と共に宗久の茶の饗しを受けていた。信長の筆頭茶頭の茶事ということで、重秀は緊張気味に接待を受けていた。そんな重秀に、宗久が語りかける。
「如何でしたかな?遠里小野と五箇庄は?」
堺の訛りを極力抑えた口調で尋ねた宗久に、重秀はしっかりと答える。
「・・・ただただ、感嘆するだけにございました。鋳物師の腕は確かのものでございましたし、それがしが希望する石火矢・・・いや、大筒も作れそうです」
「それは何よりでございます。鋳物師達が大筒を作れるようになれば、堺はますます儲かりますなぁ。良きことにございます。
・・・して、菜種油の方は・・・?」
「桐油は建材に使ったり油紙を作るのに使うため、なかなか灯明用に回すことはできませぬ。なので、菜種油を灯明用、そして南蛮の揚げ物用のために作るのは構わないのですが・・・、摂津はともかく、播磨では米の裏作として麦が優先されております。麦ではなく油菜を植えろというのは難しいかと・・・」
重秀がそう言うと、宗久は「でしょうな」と頷いた。
「この乱世、しかも天候が落ち着かぬこのご時世では食べる物の確保が第一ですからなぁ。いくら油菜そのものが食えるからと言って、麦から変えるのは難しいですな」
「それに、今井殿が私に菜種油を教えたのは、何も善意だけの話ではないのでしょう?」
重秀の言葉に、宗久が笑い出す。
「あっはっはっ、さすがは『羽柴の麒麟児』、儂の浅はかな考えは見抜かれとりましたか」
「今まで多くの商人と交渉して参りましたから」
笑いながら言う重秀に、宗久は「なるほど」と頷いた。
「宗易はんからも聞きましたが、羽柴の方々は中々の遣り手。その血を受け継いでおられる方ならば、そうなりますなぁ」
そう言って笑った宗久であったが、すぐに真面目そうな顔つきになると重秀に語りかける。
「確かに、菜種油で儲けたいとは思います。しかしながら、その前に立ちはだかる壁を壊さなければなりません」
「その壁は、荏胡麻油を独占する大山崎油座ですか?」
「そのとおりでございます。衰えたとはいえ、その力は未だ健在。それは、人々が未だ荏胡麻油を使っているからでございます」
「荏胡麻油を使い続ける限り、大山崎の油座には銭が入る。その銭を絶たせるには、荏胡麻油を使わせなくすれば良い。そのためには、荏胡麻油ではなく菜種油を使わせれば良い、か」
重秀が分かったようにそう言うと、宗久は「御意にございます」と言った。
「そのためには、まずは菜種油を広く使って頂く必要がございます。そのためには量が必要でございます。そのため、広大な播磨で作っていただくのが一番と思いました」
そう言うと、宗久は身体を茶釜から重秀の方へ向き直すと、重秀に向かって深々と平伏する。
「羽柴様。何卒、菜種油の普及のため、お力沿いをお願い申し上げまする。播磨や摂津、但馬の菜種油は羽柴様の懇意としている油商人に商いを任せてもかましまへん。私等としては、羽柴様の菜種油を領地の外へ売り出す際に関わらせていただければ十分でございます」
宗久の言葉に重秀は唖然とした。あまりにも今井側に不利な条件だったからだ。
「・・・そこまでしても、菜種油に賭けるおつもり・・・いや、大山崎の油座を潰すおつもりですか」
重秀がそう言うと、宗久は「商人も命をかけて戦っております故」と力強く答えた。重秀はしばらく考えると、ゆっくりと口を開く。
「・・・分かりました。播磨に関わること故、父と相談したいと思います。羽柴の銭が増えるのであれば、父も前向きに検討すると思いますよ」
重秀がそう言うと、宗久が笑みを浮かべながら頭を上げるのであった。
注釈
銅の融点は約1080℃。なので銅そのものを熱で溶かして鋳造することは難しい。そこで、融点の低い錫(約232℃)を入れて銅を溶かそうとすると、約875℃で銅は溶けてしまう。銅と錫の合金である青銅が古代より用いられてきたのは、この融点の低さからくる加工のしやすさも理由の一つであった。
ちなみに鋳鉄の融点は約1200℃である。