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第220話 京都御馬揃え(裏)

感想、評価、ブックマーク登録、いいね!を頂きありがとうございます。大変励みとなっています。


誤字脱字報告ありがとうございました。お手数をおかけしました。

 天正九年(1581年)二月二十八日に行われた京都御馬揃え。その十日前には重秀は京に入っていた。それは、十六日に兵庫にやってきた秀吉から、とある命令を受けていたからであった。


「『播磨、但馬、摂津の名物を京にやってきた諸将のみならず、公家衆や商人達に土産として献上し、名物の販路を拡大させると同時に、あらゆる話を聞き出せ』と命じられた時には面食らいましたが、何とか遂行することができました」


「そうか。して、上様や殿様、公家衆は喜んでくれたか?」


「はい。特に馬具の革物には上様や殿様は大変喜んでおられました。『播州の白鞣し革はやはり一味違う』と申しておりました。実際、上様は馬揃えの際に我等から献上された革物を使用してくださいました」


「おお、それはしてやったり!播磨の白く鞣した牛革は武士にとっては垂涎の的。それを惜しげもなくばら撒いたのじゃ。それを馬揃えで使ってもらえれば、話題になること間違い無しじゃ!これでまた銭が入るぞ!」


「他にも千草の鉄でできた轡や鐙も持っていきました。こちらの方は装飾がなされていないため、馬揃えで使われた様子はありませんでしたが・・・」


 重秀がそう言うと、秀吉は「それは仕方ない」と言った。


「あれは金銀で装飾しないと見栄えが良くないからのう。金と銀はあるが、それを装飾としてくれる職人がおらぬ。いづれ、他国からそういった職人を兵庫か三木か姫路に集めてくれるわ」


 秀吉がそう言った後、何かを思い出したかのような顔になった。そして周りの者達に声を掛ける。


「皆の衆。すまぬがこれから先は儂と藤十郎だけで話をしたい。席を外してくれぬか?」


 秀吉がそう言うと、石田三成が声を上げる。


「・・・大殿。それは何故でございまするか?この佐吉も同席しとうございます」


「そういう訳にはいかぬ。実は藤十郎の奥向についても話たいことがあるのを思い出したのじゃ。藤十郎の夜の事までお主等に聞かせるのは、さすがに藤十郎も気恥しかろうて」


 そう言った秀吉に対して、三成は「そういうことでしたら・・・」と言って頭を下げた。そして重秀以外の者達は一斉に頭を下げると、表書院から出ていった。


「・・・父上、私の奥向についての話とは何でございますか?」


 皆が出ていった後、秀吉と二人っきりになった重秀がそう尋ねた。秀吉が重秀に言う。


「それは後で話そう。いや、実は砂金について話がしたいと思ったのじゃ。あれは儂等しか知らぬ極秘事項じゃからのう」


 それを聞いた重秀が「なるほど」と呟いた。秀吉が重秀に尋ねる。


「して、但馬で取れた砂金はどうした?ばら撒いてきたのであろう?」


「・・・巾着に入れて方々に渡しましたが?」


「そういう意味ではなくて、心付けとしてまんべんなく渡してきたか?と聞いたんじゃ」


「ああ。それでしたら抜かりなく。馬揃えに参加された貧乏公家衆の方々に配ってまいりました。大変喜んでおりました。

 ・・・しかし良かったのでございますか?八木川の砂金は上様にも秘密にされてきたものでございますが」


 天正元年(1573年)、但馬国の八木川の大日淵で砂金が見つかり、その話を聞いた山師達が周囲を探索した結果、付近の山で金鉱脈が見つかった。その話を聞いた羽柴小一郎長秀が極秘に採掘を始めたのだが、極秘だったために大々的に採掘することができず、八木川での砂金採りしか行われていなかった。

 しかし、結構な量の砂金が取れたことから、小一郎と秀吉はこの砂金を貯める一方で、今回公家衆に心付けとして配ったのであった。


「何。砂金だけならどこで取れたかなぞ分かりゃせん。それよりも羽柴が金を持っていることを公家共に知らしめれば、後々儂等に何かあったときに助けになってくれるじゃろう。

 ・・・まあ砂金はこのくらいにして、銀も配ってきたのであろう?どうであった?」


「父上の指示通り、京や堺の商人達に配ってまいりました。特に宗匠(千宗易のこと)は『私が使うのではなく、羽柴様のために増やしておきまする』と申されておりました」


「うむ。宗匠は銭の貸し借りや米転がしで銭を増やすのが得意じゃ。宗匠に任せておけば大事なかろう。で?長谷川宗仁殿にも銀は配ってきたのであろうな?」


「はい。お言いつけどおりに。しかし、長谷川宗仁殿とは一体何者でございますか?私はあまり存じ上げないのでございますが・・・」


 重秀がそう言うと、秀吉は「あ、そうか」と何かに気がついたような顔をしながら声に出した。


「お主には話しておらなんだか。あれは京の町衆の中では有力な一門である長谷川家の者でのう。京の中では早くに上様に協力した町衆なんじゃ。それに、堺の今井宗久殿とも仲が良く、また但馬の山名家とも繋がりが深いんじゃ。ほれ、儂が昔上様の命で兵を連れて但馬に行ったことがあっただろう?」


「あれは・・・、確か私が八歳の頃でしたか?」


「永禄十二年(1564年)だったからその頃じゃのう。その時に但馬の守護であった山名右衛門督(山名祐豊のこと)が追放され堺に来ておった。その右衛門督が上様と会談し、許しを得て但馬に戻っていったんじゃが・・・。その時上様と引き合わせたのが今井宗久殿と長谷川宗仁殿じゃった。と同時に、二人が生野銀山と関わり合いを持ち始めたのじゃ」


「ああ、だから今回長谷川殿に父上からの文と銀をお渡しした時に『ご助力いたしましょう』と言ってきたのですか」


 宗仁とのやり取りの様子を思い出しながら重秀がそう言うと、秀吉が笑いながら頷く。


「おお、ご助力をいただけたか。実は小一郎が生野銀山の奉行を務めておるが、如何せんあ奴は忙しい。生野銀山だけにかまけている訳にはいかぬ。そこで、生野銀山をよく知る長谷川宗仁殿のご助力で、生野銀山の採掘を行おうと思っておったのじゃ」


 秀吉の言葉に重秀は「なるほど」と頷いた。しかし、ふと重秀の頭に疑問が浮かび上がる。


「・・・父上。それならば今井宗久殿も頼ったほうがよろしいのでは?」


「いや、今井宗久殿は宗匠と商売で対立しておる。儂に良くしてもらっておる宗匠の顔を立てねばならぬ。それに、宗久殿は実は備前との繋がりがあるのじゃが、その備前との繋がりに小西隆佐やお主の兵庫津の商人が食い込まんとしているであろう?それを考えると、あまり宗久殿とは手を組みづらいんじゃ」


「しかし父上。宗久殿は摂津住吉郡の鋳物師達を束ねており、そのお力添えを頼むつもりです。それに、菜種油でも助力を求められておりますれば、あまり無碍にはできぬかと」


「分かっておる。が、あまり必要以上に結びつきを強くするなよ?宗匠がへそを曲げれば、羽柴が預けた銀や銭がどうなるか分からんのだからのう」


 秀吉の忠告に、重秀は「分かりました」と言って頷くのであった。





「さて、公家衆や商人衆についてはこの辺で良いじゃろう。上様や殿様、家中のお歴々にも会ってきたのであろう?如何であった?」


 秀吉が脇息に両腕を乗せながらそう尋ねてきた。重秀が淀みなく答える。


「上様や殿様を始め、上総介様(織田信包のこと)、三介様(北畠信意のこと)、三七様(神戸信孝のこと)、七兵衛様(津田信澄のこと)、惟任日向守様(明智光秀のこと)、惟住五郎左衛門尉様(丹羽長秀のこと)、蜂屋兵庫様(蜂屋頼隆のこと)、柴田修理亮様(柴田勝家のこと)、あと前田の父上(前田利家のこと)と三好山城守様(三好康慶のこと)にも会いました。ああ、それと与一郎殿(長岡忠興のこと)にも」


「ん?山城殿もか?京の馬揃えに出ていたか?」


 さっきの重秀の土産話に全く出ていなかった三好康慶の名前が出たことに驚きつつ、秀吉は重秀にそう聞いた。すると、重秀の声が小さくなる。


「いえ。山城守様を始めとした河内の国衆は参加を免ぜられておりました。何でも、四国出兵の準備のため、だそうです」


 重秀の言葉に秀吉の片眉が上がる。


「・・・すると、上様はいよいよ長宗我部との戦を決意されたのか?」


 秀吉の質問に対し、重秀は首を横に振る。


「いえ。山城守様の話では、あくまで準備であって実際に四国へ渡る訳ではないそうです」


 重秀の回答に、秀吉は「そうか・・・」と呟いた。そんな秀吉に重秀が話を続ける。


「ただ、淡路国がきな臭くなっているようです。淡路の国衆のうち、安宅神五郎を始め元々三好と結びつきの強い者達は毛利から織田へ寝返ることに基本的に同意しております。しかし、態度を明らかにしていない国衆もおりますし、更に言えば、管平左衛門(菅達長のこと)は毛利から長宗我部に寝返ろうとしているらしいです」


「なんじゃと?それは由々しき仕儀じゃ」


 秀吉がそう言うと、重秀は頷く。


「はい。ただでさえ塩飽が長宗我部の影響下に入りました。更に淡路まで長宗我部の手が伸びたならば、瀬戸内は長宗我部の手に落ちまする。上様はそれを認めないでしょう」


「宮内少輔(長宗我部元親のこと)は調子に乗りすぎじゃ・・・。そうじゃ、藤十郎は日向殿(明智光秀のこと)と会っていたのであろう?四国や長宗我部について、何か言ってなかったか?」


 秀吉の質問に対し、重秀は首を横に振る。


「いいえ。此度は馬揃えの事を主に話し合いましたので、それ以外・・・、四国のことについては全く話しておりません。それより、惟任家について気になることを七兵衛様から聞きました」


「七兵衛様から?なんじゃ、義父である日向殿に関することか?」


「いえ。・・・どうやら、惟任家と柴田家との間で婚姻の話し合いがなされているとか」


「なんじゃとぉ!?」


 重秀の話を聞いた秀吉が思わず大声を上げた。しかし、すぐに冷静になると、右手で口元を覆いながら呟く。


「・・・そう言えば、日向殿からお市の方様の姫を十五郎殿(のちの明智光慶)と娶せるという話を聞いていたな・・・」


「七兵衛様の話では、お市の方様の大姫様(茶々のこと)と前田家の縁組が無くなったので、その大姫様を日向様のご子息と娶せたいと言ってきたそうです」


 重秀からそう聞かされた秀吉は、思いっきり苦虫を噛み潰したような顔をする。


「惟任家と柴田家が縁戚になってみろ。羽柴にとって悪夢ではないか・・・」


「とはいえ、この話を潰すのは難しいかと・・・」


 重秀が困り顔でそう言うと、秀吉は黙り込んだ。しばらく考えていた秀吉が、溜息をついて愚痴る。


「はぁ・・・。お勝(秀吉と南殿との間に生まれた女児)が生きておればなぁ。あれを宇喜多か丹羽の若君に嫁がせて縁戚関係を結べば、惟任家と柴田家に対抗できるのであったのだが・・・」


「父上。死んだの歳を数えても致し方ございませぬ」


「かと言ってお主は自分の娘を嫁がせるのには反対であろう?」


「藤はまだ二歳です。この先無事に育つか分からぬ以上、七歳までは手元で育てとうございます」


「分かっておる。赤子で嫁がせて、向こうで死なれては元も子もないからのう。それに、藤には是非嫁いで欲しい家があるからのう」


「藤の嫁ぎ先をもうお考えでございますか?それはどこですか?」


「三法師(ぎみ)じゃよ」


 三法師とは、天正八年(1580年)に織田信忠と鈴(塩川長満の娘)との間に産まれた男児である。鈴は正室ではないが、現段階では一応、嫡男とされている。


「三法師君と藤は同じ年の生まれじゃ。似合いの夫婦になると思わぬか?二人が夫婦になれば、羽柴は外戚として力を振るうことができる。惟任と柴田の連合なぞ恐れるに足らずよ」


 ヒヒヒと笑う秀吉に対して、重秀は冷めた目で秀吉を見返す。


「父上・・・。夢を見すぎです。上様の嫡孫の正室には、織田と誼を通じている大大名・・・例えば北条や蘆名、大友や島津から嫁いでくると思いますよ。もしくは摂関家から」


「そうかのう?ならば、三法師君が藤を手籠めにして男児を挙げれば、その子は嫡男になるじゃろう?」


「藤を側室にさせる気ですか?仮にも羽柴の大姫ですよ?それに、側室で子をしたとしても、正室の養子になるのですから、外戚としての力はさほど振るえませんよ?ってか、もし外戚で力が振るえるならば、塩川は外戚として岐阜城にて殿様の側にいなければなりません。しかし、未だに摂津の国衆として紀伊守様(池田恒興のこと)の与力ですよ?そう上手くいくかどうか・・・」


 重秀の言葉に秀吉は「むむむ」と唸った。しかし、何かを思い出したかのような顔をすると、秀吉は重秀に尋ねる。


「そう言えば、勝九郎殿(池田恒興の嫡男、池田元助のこと)は先年正室を亡くされ、継室を迎え入れていたな?あれは確か、塩川の姫と聞いたが?」


「ああ、はい。勝九郎殿とは京でお会いした際に詳しい話を聞いております。塩川伯耆殿(塩川長満のこと)の娘で、三法師君の母上の姉妹だそうで。それと、先年のお悔やみの品、今年の婚儀の祝いの品を送ったことについて、勝九郎殿よりお礼の言葉を頂いております」


「うむ、冠婚葬祭の品を送るだけでも友誼を深められるからのう。しかも、池田殿は隣国の大名。より一層の誼を通じなければならぬ。藤十郎、お主もそういった事に気をかけろよ」


 秀吉の忠告に、重秀が「心得ております」と言って頭を下げた。秀吉が独りごちる。


「しかしまあ、これで殿様と勝九郎殿とは相婿で、三法師君は勝九郎殿の外甥がいせいとなるのか・・・。紀伊守殿は上様の乳兄弟。元々織田との結びつきが強いからのう。勝九郎殿と殿様が相婿になったところで、嫉妬の念すら起きぬわ」


 秀吉が溜息をつきながらそう言った。そして軽く頭を振ると、秀吉は重秀に尋ねる。


「まあ、ええわ。そう言えば、淡路のことだが、山城殿は上様に伝えているのか?」


「山城殿は伝えようとしておりました。ただ、上様は馬揃えや公家衆との会談で会うことはできなかったようです。とりあえず、書状を近習に渡して・・・」


 重秀はそこまで言うと黙ってしまった。不審に思った秀吉が声を掛ける。


「藤十郎?どうした?」


 秀吉の声に気がついた重秀が話を再起動させる。


「・・・山城殿から変な話を聞きました。書状を渡した近習の隣に、異国の者がいたと」


「異国の者?」


 秀吉が首を傾げる中、重秀が話を進める。


「肌の色が黒い者がいたそうです。背も高くて腕も太く、武人然としていたようです。昔長浜にやってきた伴天連の従者達が似たような者を連れてきておりましたし、兵庫に寄ってくる南蛮船にもそのような者が乗っていたと記憶しております」


「肌の黒い者については儂も知っておる。確か、南蛮人共が新たに領地にした土地から連れてきたと聞いたことがあるな。下人として使っているとか。しかし、何でまたそんなのが上様の近習の傍にいるのだ?」


 秀吉の疑問に対し、重秀は「さぁ?」と首を傾げた。


 重秀も秀吉も知らなかったが、この肌の黒い者は京都御馬揃えを見に来たイエズス会の巡察使、アレッサンドロ・ヴァリニャーノがインドから連れてきた使用人兼ボディーガードであった。ヴァリニャーノが馬揃えの直前に信長と面談した際、信長がこの肌の黒い人に興味を示したため、ヴァリニャーノが献上したと言われている。

 これが、21世紀になり世界中で色々と話題となる弥助である。この時の重秀が弥助と会っていたかは記録に残っていない。





 重秀はその後も秀吉に京での話を伝えた。


「・・・そうか。やはり、鳥取城の寝返りは噂になっていたか」


「はい。あの一件で羽柴への批判めいた話を聞かされました。主に修理亮様の家臣達から」


 重秀の話に、秀吉は大げさに舌打ちする。


「ちっ、加賀と能登を平定したから調子に乗ってやがる・・・。佐久間右衛門尉殿(佐久間信盛のこと)の下準備がなされていたから楽に加賀と能登を平定できたくせに・・・」


「前田の父上も申しておりました。『あれだけの武器弾薬、兵糧があれば、右衛門尉様でも十分加賀や能登を平定できたのに。何故戦を仕掛けなかったのか?』と不思議に思っていたようです」


「まあ、右衛門尉殿がどんな考えを持っていたのかは、今となってはどうでも良いことよ。で?その話をしたということは、又佐(前田利家のこと)とも話をしたのであろう?」


「はい。孫四(前田孫四郎利勝のこと)の婚姻相手の永姫様の話を聞いてきました。永姫様は今年八歳になる姫君だそうで」


 重秀の話に、秀吉が思わず吹き出す。


「ぶっはっはっ!孫四郎の正室は八歳の幼子か!これで十二歳より下の歳で子を産ませたら、父親を超えるな!」


「それで父親を超えるって・・・」


 笑いながら言う秀吉に対し、呆れるような声で返す重秀。その後も秀吉と重秀の会話は続いたのであった。


 そして、京での話が終わり、重秀がそろそろ御殿の『奥』に戻るべく立ち上がろうとした時だった。秀吉が重秀に声を掛ける。


「待て、藤十郎。お主に奥向のことで話を聞きたい」


 そう言われた重秀は、一旦浮かせた腰を下ろして座り直す。


「何でございましょう、父上。先程もそのようなことを言ってましたが・・・?」


 重秀がそう尋ねると、秀吉は躊躇いながらも重秀に尋ねる。


「藤十郎・・・。()()とは不仲なのか?」


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― 新着の感想 ―
まあ子供が、多い事が力なのは家康で分かってますから。主人公にはねねの様な将来の重鎮となる子供達を育てる様な奥さんが居ませんね。なら、子供の数で勝負するしかないかも知れません。
側室との仲はどう?とは流石の秀吉も聞きにくいですね
この秀吉は強欲な成り上がりでありながらきっちり策謀家で愛情深い父親で、と複雑な人物で好きです。
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