第214話 兵庫訪問(その4)
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須磨での鷹狩の第1日目。本陣となる月見山まで向かう途中、馬上の重秀は同じく馬上の近衛信基(のちの近衛信尹)から話しかけられた。
「羽柴殿、羽柴殿」
「・・・これは内府様。よろしいのですか?殿下や上様の傍から離れてこのような後方まで下がってきて」
列を乱してまで行列の後方までやってきた信基に、重秀がそう言った。信基は「構いませぬ」と言って笑った。
「父も上様も狩りについてのお話で夢中でござる。それがしがいなくても気が付かぬでしょう」
貴公子然とした信基の口から発せられる武家風の口調に、重秀は違和感を感じつつも「はぁ」と答えた。
重秀と馬を並べた信基が更に話しかける。
「ときに羽柴殿は昨晩与一郎殿(長岡忠興のこと)と面白そうな話をしておりましたな」
「昨晩・・・?ああ、具足のことですか」
「そうそう、それそれ。ちらっと聞いたときには『変わった具足を望むのだな』と思ったのでござるが、船軍に使うと聞いて興味が湧きましてな。船軍とは、やはり陸での戦とは違うものでござるか?」
「そうですね。船軍では陸の戦以上に集団での戦いが重視されます。船を操る水夫と、船の上で戦う兵を同時に指揮しなければなりませぬから。それに、船同士の連絡の取り合いは太鼓や鐘の音、旗の色や模様、そして鏡や松明の明かりの動きですから、これらを読み取って指示を理解し、船を動かす必要がございまする」
重秀から初めて水上戦のやり方を聞いた信基が、驚いたような顔をする。
「なんと・・・。それは確かに陸の戦とは異なりますな。それでは一番槍とか一番乗りとかはなさそうですな」
「ああ、それはありますよ」
信基の発言に重秀がそう答えた。重秀が話を続ける。
「船軍で取れる戦法は火矢で火を付けるか鉄砲で敵兵を撃ち倒したり船を破壊したりするのですが、船を接舷させて敵船に乗り込むことが多いのです。その敵船に乗り込む際に『一番乗り!』や『一番槍!』って叫ぶ者もいるらしいです」
「らしい・・・?羽柴殿は言わないのでござるか?」
「私は一番乗りしませんから」
「そう・・・なのでござるか?」
え?こいつ一番乗りしないの?武士としてどうなの?と、言いたげな顔の信基に対し、重秀は苦笑しながら答える。
「毛利水軍、特に村上水軍は焙烙玉という玉薬を入れた陶器製の玉を投げ込んできます。これを防ぐには、焙烙玉が飛んでくる前に鉄砲や大鉄砲で敵兵を倒す必要があります。敵船を近寄らせないのが勝ちへの道筋。相手に得意の戦法を取らせないのも兵法です」
「おお、なるほど。さすがですな」
信基がそう言って感嘆の声を上げた。その後も信基は重秀に船軍について質問し、重秀が答えていった。これが狩り場に着くまで続くのであった。
月見山に着いた鷹狩集団。戦場と同じ陣が築かれ、陣内では織田信長と近衛前久を中心に、狩りの手順などが確認された。狩り場奉行として重秀から任命された山内一豊が須磨周辺の絵図を見せながら、須磨周辺の地形や獲物である鳥や獣の出現予想場所を説明した。
その後、信長は重秀を呼び出した。重秀が信長の傍までやってきて片膝を付いて跪くと、信長は高い声で言う。
「藤十郎。汝に鷹をやろう。乱丸、鷹匠を連れて参れ」
そう言って信長が傍らに控えていた森成利を呼ぶと、成利は「はっ」と言って一旦陣から出ていった。そしてすぐに鷹匠を連れてくると、信長の傍までやってきて片膝を付いて跪く。
「上様、連れて参りました」
「で、あるか」
信長はそう言うと床几から立ち上がった。そして鷹匠から鷹を受け取り、自分の腕に乗せた。そして信長が重秀に言う。
「藤十郎。この鷹を汝にやろう。今後も励むが良い」
「ははっ!有難き幸せ!」
重秀はそう言うと、信長は鷹を重秀の腕に渡らせた。こうして重秀は鷹を持つようになった。
ただし、鷹を世話する鷹匠は重秀にはいなかった。自分で鷹匠を雇うまで、自分で世話をしなければならなかった。
―――まあ、父上には一人鷹匠がいたから、その人に別の鷹匠を紹介してもらえればいいか―――
そう思いながら腕の上に乗っている鷹を見つめる重秀。その鷹はオオタカで、カラスと同じ大きさであった。オオタカは日本中で見られる鷹で、鷹狩でもよく使われる鷹であるため、重秀にも馴染みのある鷹であった。
さて、鷹を貰った重秀であったが、それまで鷹狩をやったことのない重秀である。すぐに信長や前久と共に鷹狩ができるわけではなかった。そこで、重秀は他に今回が鷹狩が初めてという者達と共に、別の場所で鍛錬がてら鷹狩の基本を学ぶことになった。
今回鷹狩が初めてだというのは重秀の他に信基と長岡忠興であった。
「・・・与一郎殿も鷹狩は初めてだったのですか?」
「まあ、小姓時代に上様や殿様(織田信忠のこと)の鷹狩について行ったことはありますし、父や日向様(明智光秀のこと)の鷹狩に参加したことはありました。しかしながら、参加した時は鷹匠が放った鷹で狩りをしていましたから、自ら放鷹したことがなかったのでござるよ。『此度は己自らで放鷹できるようになれ!』と父上に言われましてなぁ」
たはは、と笑いながら忠興は腕に乗せた鷹を自慢気に見せた。忠興の鷹は大型のクマタカであった。クマタカ自体は日本中にいるため、特に珍しいものではないのだが、その立派な体つきから、その鷹が優秀な鷹であろうことが見て取れた。
そして、そのことは信基も気がついたらしく、忠興の鷹を褒める。
「長岡殿の鷹は大きくて立派でございますな。それがしの鷹は小さくて・・・。父は『小さい鷹から慣れていけ』と言われましてなぁ」
そう言って傍に控えていた鷹匠が上に乗せている鷹を見せた。確かにその鷹は小さいものであった。
「この鷹は奥州から買った鷹でして。ここいらでは見かけぬ鷹ですが、良い狩りをしてくれます」
信基がそう言って見せた鷹は、確かに鳩ぐらいの大きさの鷹であった。しかし、背面の羽の灰色と、腹面の栗褐色の横縞模様が、そんのそこらにいる鷹とは違うものであることは、重秀にも忠興にも分かった。
実際、信基の持っている鷹―――ハイタカは日本でも本州の北の方でよく見かける鷹である。京や兵庫でもいないわけではないが、中々お目にかかれない珍しい鷹であった。
3人がそんな話で盛り上がっていたところに、一人の武士が腕に鷹を乗せて近づいてきた。それは、重秀の義兄である蒲生賦秀であった。
「内府様、藤十郎、与一郎。お待たせいたした。それがし蒲生忠三郎が放鷹の仕方をお教えいたす」
「あ、義兄上が、でございますか?って言うか、義兄上は放鷹を得意とされていましたっけ?」
重秀が思わずそう言うと、賦秀はニヤリと笑う。
「日野は山国故、鷹が多く捕れる地。なので鷹匠も多いのだ。それがしも幼少から鷹匠と共に放鷹したものでな。それに、蒲生が織田の麾下に入って以降は上様より放鷹をより鍛えられたものだ」
信長お気に入りの女婿である賦秀は、賢秀と共に信長の鷹狩によく参加していた。当然、信長からも教わっていたため、鷹狩を得意としていた。
「というわけで、御三方。みっちりと教える故、しっかりと学んでもらうぞ。明日の二日目には御三方にも上様や殿下と共に放鷹するのだからな」
賦秀の言葉に、重秀だけでなく忠興と信基も「はいっ!」と返事を返すのであった。
須磨での鷹狩の1日目が終わった。信長達は兵庫城に戻ること無く、須磨で夜を過ごすことになった。
鷹狩に付き合わされた勧修寺晴豊と甘露寺経元とその従者達は福祥寺境内にある御殿や客殿に泊まったが、それ以外―――信長や前久・信基親子、そして随員達は須磨のあらゆる場所に泊まることになった。
信長を始めとする武士達は戦場での野営に慣れていたため、特に問題はなかったものの、さすがに前久・信基親子を野営させるわけにはいかなかった。そこで、二人は月見山にある庵で寝泊まりすることとなった。
さて、その庵では、信長と前久・信基親子、そして狩りに参加した武将に重秀達鷹狩の練習をした者達が囲炉裏を囲んで今日獲った獲物を食していた。
鶴に都鳥、千鳥などがすでに捌かれ、串に刺された状態で囲炉裏の中に刺さっていた。それを信長が自ら焼き具合を見て、良い感じに焼けた物を皆に配っていた。
「七兵衛(津田信澄のこと)、此度は見事な放鷹であった。褒美として儂が捕らえた鶴の他に牡蠣五つ、そしてこの豚肉をやろう」
「はっ、有難き幸せ」
信長はそう言って津田信澄に肉を配った。信長は鷹狩で得た獲物は一旦自分の所に集めさせた。そして獲物の大きさや希少性でランク付けした後、ランク上位から褒美として獲物を与えていた。特に優れた働きをした者には、信長が自ら捕らえた獲物を与えることがあった。こうすることで信長は家臣の人心掌握を行っていたのである。
信澄に与えられた牡蠣と豚肉は鷹狩で獲ったものではない。重秀が用意したもので、狩りが悪天候でできない、もしくは不猟だったときに備えて用意していたものである。今回は無事に鷹狩ができたので、副賞として信長が与えることになっていた。
獲物が配り終わり、皆が談笑しながら酒と肉を堪能している中、信長がおもむろに口を開いた。
「ときに内府様。明日は本格的に鷹狩ができそうですかな?」
そう言われた信基は、盃を口から離すと信長に言う。
「はい。明日の狩りには加われるかと存じます。蒲生殿からは筋が良いと言われました」
「で、あるか」
高い声で機嫌良く言う信長。今度は視線を忠興に向ける。
「与一郎。汝はどうか?」
「ははっ、明日は上様や殿下、内府様と共に狩りができると存じまする。己が腕を見せること、楽しみにしておりまする」
そう言う忠興に、信長が「で、あるか」と機嫌よく言った。直後、信基が笑いながら言う。
「長岡殿はそうおっしゃっておりましたが、熊鷹の重さで中々放つことができませなんだ。そのようなことで明日は上手く放てますか?」
信基のカミングアウトで忠興が「な、何を言われるか!」とあたふたしながら大声を上げた。直後、信長や前久が大笑いし、つられて他の者も大笑いした。ただし、長岡藤孝は眉間を指で抑えながら溜息をついていた。
一頻り笑った信長が、賦秀に顔を向けて尋ねる。
「ところで藤十郎はどうした?」
「狩り場奉行の山内殿のところに行っております。その時も鷹を上に乗せておりましたな」
「で、あるか。狩りの腕の方はどうか?」
信長の質問に、賦秀は困ったような顔をした。信長が話しかける。
「なんだ。あやつは下手なのか?」
「はぁ・・・。まあ、藤十と鷹は初めて見合わせたのでございます。馴染むまで時がかかると存じまする。とりあえず、一晩は据えてやらないと鷹も藤十には懐きませぬ故、当分は据えるように申し渡しました」
鷹とその鷹を使う人(鷹匠を含む)との間に信頼関係がないと鷹狩はできない。鷹は若い鷹を捕まえるか巣から雛を攫うことで手に入れる。その後は人に慣らすために人が飼育する。次に鷹が人に慣れると、今度はパートナーとの信頼関係を構築する事をする。
具体的には一日据えることが必要である。すなわち、腕に専用の篭手をはめ、その上に鷹を乗せるのである。鷹が腕の上で寝たり、片足を上げてリラックスするようになれば信頼関係が築かれたことになり、そこから初めて狩りの訓練となる。
重秀と信長から下賜された鷹との間に信頼関係は未だない。なので明日の朝まで重秀は鷹を腕に乗せなければならないのだった。当然、徹夜である。
「・・・で、あるか。鷹をいきなり渡すのは無理があったか」
信長がそう言うと、前久が笑いながら話しかける。
「ほっほっほっ。何事も初めてというものはごじゃります。そして、往々にして初めてというものは唐突に現れるものであらしゃいます」
前久の言葉に、信長は「で、あるの」と同意した。そして視線を賦秀に向ける。
「忠三。藤十郎には明日の鷹狩に参加するように言え」
「承りましたが・・・、放鷹は難しいのでは?」
賦秀の疑問に、信長は「構わぬ」と言って口角を上げる。
「恐らく、藤十郎の鷹は明日は使い物にならぬだろう。しかし、藤十郎や鷹に鷹狩の場に慣れさせる必要がある。まあ、狩りができなくても鷹を連れてくるだけでも十分じゃ」
鷹狩二日目。この日は雲が広がる寒い日であった。月見山の麓では、冬で作物どころか草一本も生えてない田畑に、信長を始め多くの者達が集まっていた。当然、その中には重秀も含まれていた。
「・・・眠い」
一晩中鷹を腕に乗せていた重秀は、眠い目をこすりながら信長の傍らにいた。隣にいた忠興から声をかけられる。
「藤十郎殿。鷹の様子は如何ですかな?」
「一晩据えていたので、何とか私に慣れたようです。とはいえ、慣れさせるために肉を与え続けたせいで、今日は鷹を放つことは無理そうです。今は上様より派遣された鷹匠に預けております」
鷹狩をする数日前から鷹には餌を与えない。空腹状態でないと鷹が獲物を獲らないからだ。一方、人が鷹との信頼関係を築くには、腕の上に据えるだけではなく、自らの手で肉を与える必要がある。
つまり、重秀は鷹との信頼関係を築くために自ら餌を与えていたため、満腹状態の鷹は狩りをする気をすっかり失っていた。重秀が「放鷹は無理」と言ったのはそのためである。
「なるほど。上様が昨日言っていたのはこの事だったのか・・・」
忠興が言うように、信長が「藤十郎の鷹は使い物にならない」と予言したのは、こうなることを分かっていたからであった。
「ところで与一郎殿。上様より『鷹を持たずに集まれ』と言っておりましたが、一体何をするのですか?」
重秀が言うとおり、集められた者達は全員鷹を持っていなかった。信長や前久ですら、鷹を持った鷹匠が傍にいなかったのだ。その代わり、馬廻衆の者達が手綱を持って馬を引いていた。
「それが・・・。よく分からぬのです。父上に尋ねましたが、『黙って命に従え』と申しておりましたが・・・」
忠興が重秀にそう答えていた頃、信長の傍にいた成利が信長に告げる。
「上様。皆様お揃いになられました」
成利がそう言うと、信長が「で、あるか」と言った。そして高い声で大声を上げる。
「皆の者、大儀!これより、鷹狩の前に身体を動かして温めようぞ!」
そう言われた者達が「ははぁっ!」と大声を上げてながら頭を下げた。信長の声が朝の冷たい空気を震わす。
「それでは、ここにいる者達を二手に分ける!乱丸!組分けを言え!」
「ははっ!」
成利が返事をした後、成利が二手―――徒歩組と乗馬組と分けていった。
「徒歩組・・・とは一体何をするのでござろうか?藤十郎殿?」
徒歩組に分けられた重秀に、同じく徒歩組に組み入れられた忠興が尋ねてきた。重秀が首を傾げる。
「さぁ・・・?ただ、上様や三七様(神戸信孝のこと)や七兵衛様も徒歩組に組み入れられていますね・・・。ひょっとしたら、山を登って山鳥とか獣を狩るのではないでしょうか?」
須磨には通称『須磨アルプス』と呼ばれる300m級の山々が連なる場所がある。こういった山々には獲物になりそうな鳥や獣がいるため、徒歩組は徒歩で山を登って鷹狩をするものだ、と重秀は考えていた。しかし、そうではないことはすぐに分かった。
「おお、藤十に与一郎殿。やはり徒歩組であったか」
重秀と忠興に賦秀がそう声をかけてきた。普段真面目そうな顔つきの賦秀が、珍しくいたずらっ子のような笑みを浮かべていた。
「義兄上。義兄上も徒歩組ですか?」
重秀の言葉に賦秀が頷く。
「まあ、若いからな。乗馬組は惟住様(丹羽長秀のこと)や兵部大輔様(長岡藤孝のこと)とか、徒歩組ではちとキツい方ばかりだ。ただ、久太殿(堀秀政のこと)や平左衛門殿(福富秀勝のこと)も乗馬組だとは思わなかった。あの二人、まだまだ徒歩組でもいけるだろうに」
賦秀の意味深な言葉に、重秀だけではなく忠興も首を傾げた。そんな二人に賦秀が言う。
「まあ、すぐに分かるさ。二人共、せいぜい気をつけて避けろよ」
そう言うと賦秀は右手をひらひら振りながら去っていった。困惑気味の重秀と忠興の耳に、信長の甲高い声が聞こえた。
「それでは!これより徒歩組に向かって乗馬組を突進させる!乗馬組!全力で駆け抜けて来い!徒歩組!死にたくなければ避けよ!ただし!逃げるなよ!では始め!」
信長の叫び声が終わるや否や、少し離れたところで集まっていた乗馬組の馬が重秀や忠興、賦秀や信長、信基のいる場所に向かって走って来たのだった。
信長の一代記によれば、信長は鷹狩の際の余興として、徒歩組と乗馬組に家臣を分けた後、乗馬組を徒歩組に突撃させて避けさせるという遊びをやっていたと記されている。
そして、織田信長自身も徒歩組に入って突進してくる馬を避けて楽しんでいた、と記されている。