第212話 兵庫訪問(その2)
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三好康慶が兵庫での滞在を終え、姫路に向かった数日後。重秀は摂津八部郡、有馬郡にいた家臣と与力を兵庫城に集めた。
そして、兵庫城本丸天守にある広間で重秀は康慶が伝えた内容を公表した。集まった家臣や与力達は一斉に驚きと困惑の声を上げた。
「・・・上様だけでなく、先関白様(近衛前久のこと)とその御子様(近衛信尹のこと。当時は信基と名乗っていた)が来るとは・・・。随分と大物が来ますな」
前野長康がそう呟いた。そして重秀に尋ねる。
「で、これだけではないのでしょう?」
「当然だ。上様には奉行衆、奉公衆、馬廻衆、小姓衆がついてくる。それに、三七様(神戸信孝のこと)、惟住様(丹羽長秀のこと)、そして紀伊守様(池田恒興のこと)なんかにも声をかけているらしい。先関白様については公家衆がついてくるそうだ」
重秀の言葉に、長康が深く溜息をついた。続いて山内一豊が呟く。
「九月に来た柳原様(柳原淳光のこと)と烏丸様(烏丸光宣のこと)、日野様(日野輝資のこと)や広橋様(広橋兼勝のこと)が来られた時は大変でしたが、先関白様とその御子まで来られるとなると、大変なんてものではございませぬぞ」
勘弁して欲しい、という想いを隠すこともせずにそう言う一豊。そんな一豊を同意の目で見ながら、浅野長吉が重秀に尋ねる。
「して、上様と先関白様等がお見えになるのは何時頃で?」
「十二月の中旬と聞いている」
重秀がそう答えると、長吉が安堵した表情になる。
「あと一月といったところですか。それだけ余裕があれば十分な準備はできそうですな」
長吉がそう言うと、今度は尾藤知宣が発言する。
「饗応の準備は十分間に合うだろう。しかし、鷹狩の準備は間に合うのか?須磨で上様と先関白が鷹狩をするのだ。お二方共鷹狩を好んでいらっしゃる。ここで下手な鷹狩の場を提供したとなれば、織田家や朝廷での羽柴家の評判は地に落ちることになるのだぞ」
知宣の考えた未来を聞いて、皆がざわついた。そんな中、福島正則が声を上げる。
「なあ、上様と先関白様の鷹狩って、そんなに大事なのか?確かに大殿(秀吉のこと)の鷹狩に同行した時は結構な騒ぎになったけど、上様や先関白様も似たようなものだろう?」
「いや、上様の鷹狩は他の方々のと比べても大規模なものだった」
そう言うと重秀は、小姓時代に経験した信長の鷹狩の仕方を皆に教えた。
一般的な鷹狩の流れは、森や藪の中に隠れている獲物(ウサギとかキジとかカモなど)を勢子と呼ばれる人々が大声や大きな音を立てて隠れ場所から追い出す。そして狙った獲物に向かって鷹匠が鷹を放つ。鷹が獲物を掴まえて地面に押さえつけている間に鷹匠が別の餌を与え、掴まえた獲物を鷹から引き離し、主君に渡すのである。この時、本当に鷹狩が好きな武将は鷹匠に任せずに自ら鷹を放ち、獲物を自らの手で鷹から離すのである。
一方、信長の場合、二人一組の斥候部隊を狩場に放って獲物を探し出させる。見つけた場合は一人は残って獲物を見張り、もう一人が信長へ報告しに行く。その間、信長は陣内で弓や槍を持った6人の護衛に守られている。そして報告を受けた信長が獲物を最終的に決定すると、騎馬の者が獲物の注意を引きつける。その間、信長は鷹を腕に乗せながらその騎馬に隠れている。獲物が飛び立った瞬間、鷹を放って獲物を仕留めさせる。獲物を仕留めた鷹は地面に降りてくるが、予め待機していた家臣(怪しまれぬように百姓の格好をしている)が獲物を取り押さえる。
信長の鷹狩は正に戦を意識したやり方を行っていた。無論、一般的な鷹狩も戦の訓練としての側面があったが、信長のように偵察と連絡、そして手に入れた情報の整理分析を行ってから獲物を定めて狩りを行うというやり方は、他の武将は行っていなかった。
「・・・とまあ、上様の鷹狩は他と違うのだ。私も小姓時代に獲物を探したり獲物を見張ったりしたものだ。その際にはわざわざ百姓の姿になってやったものだ」
「ああ。兄貴がやたらと変装が上手いのは、その時身につけた特技なのか」
正則が納得し、重秀も苦笑いする。
「市の言う通りだ。鳥なんかは意外と頭が良くてな。見慣れない侍の姿で近づくとすぐに逃げるのだ。一方、見慣れた百姓の姿になっていると近づいても意外と逃げないんだよな。お陰でただ単に襤褸を身に纏うだけでは駄目で、仕草なども似せなければならなかった」
重秀の体験談に、正則だけでなく他の者達も「へぇ〜」と驚きの声を上げていた。加藤茂勝が声を上げる。
「しかしながら、そんな鷹狩に何故先関白様が加わるんっす・・・加わるのでしょうか?そもそも公家が鷹狩をするんっす・・・するのですか?」
茂勝の言葉に、皆が唖然とした顔になった。そしてそのままの顔で一斉に茂勝の方を見た。茂勝が「な、なんなんっすか」と声を上げた。
重秀が茂勝に言う。
「何を言っている。公家は鷹狩をするぞ」
古墳時代に鷹狩が日本に伝わって以降、鷹狩は天皇や貴族達によって営われてきた。朝廷には放鷹司や主鷹司といった役所が置かれており、鷹狩が朝廷の管理下にあったことが分かっている。
その後、役職の家業が進んだ鎌倉時代以降、鷹狩も西園寺家等が家業とするようになっていった。と同時に、鷹狩は武家にも広まっていくのであった。
「特に先関白様は鷹狩に関しては一家言持つお方。上様に対して鷹狩の結果を報せたり、上様と一緒に鷹狩もしたことあるぞ」
重秀の説明に茂勝は唖然とした表情になった。茂勝の代わりに加藤清正が重秀に言う。
「公家なのに大したお方ですな」
「まあ、先関白様が特異と言うべきか、おかしいと言うべきか・・・。あのお方、確か不識庵(上杉謙信のこと)と一緒になって関東を攻めたという逸話持ちだからなぁ・・・」
重秀の言葉に清正が目を丸くした。近衛前久のバイタリティには清正も驚いたからだ。そんな驚いている清正を横目に、正則が重秀に尋ねる。
「まあ、鷹狩がしたいって言うなら止めはしないけど・・・。須磨って鷹狩ができるものなのか?」
正則がそう呟くと、それを聞いた重秀が「できるぞ」と即答した。
「『須磨の関 秋萩しのぎ 駒並べて 鷹狩をだに せでや別れん』という歌がある。誰の歌かは知らないが、須磨で鷹狩をした際に詠った歌であろう。ということは、須磨で鷹狩ができた証だろう」
重秀の言葉に正則が「なるほど」と納得した。重秀が話を続ける。
「まあ、上様と先関白様が来られるのだ。今回の鷹狩は、一種の戦だと思って準備しなければならないな」
「・・・銭が飛んでいきますなぁ」
重秀の言葉に石田正澄が遠くを見つめるような目をしながら呟いた。重秀が「いや」と声をかけた。
「今回は全て上様が銭を持つ事になっている。我等は須磨の地と兵庫城の御座所の提供のみだ」
重秀の言葉に、正澄だけでなく他の者達も安堵の溜息をついた。しかし、重秀の次の言葉でその安堵の溜息が無駄であったことを知る。
「とはいえ、上様が銭を支払うのは饗応や鷹狩が終わった後だ。その前に支払うべき銭は我等持ちだ」
重秀の言葉に、正澄の目が再び遠くを見るような目になった。そんな正澄に、木下家定が話しかける。
「そんな『この世の終わり』みたいな顔をするな、弥三郎(石田正澄のこと)。そう言う場合は『後日支払い』という文言を証文に書いて押し付ければよいのだ」
物理的に銭の少ない戦国時代の日本。銭の代わりに有価証券を使っての商取引が盛んに行われていた。特にこの時期は遠距離間での商取引も行われていたため、安全のため有価証券が広く使われていた。
「なんだ、そんな証文を作らずとも、銭ならばまた兵庫津の商人共から取ればよいではないか」
中村一氏がそう主張したが、正澄が反論する。
「中村様、兵庫津の商人達は今年は須磨の寺社の改修や増設等で銭を我等に納めております。そのことで、今年は商人共への運上や冥加(共に税金の一種)を免除しておりまする。これ以上銭を取ることは不可能でございます」
正澄の反論を聞いた一氏が黙り込んだ。それを見た重秀が割って入る。
「まあ、先関白様と上様が来ると聞けば、兵庫津の商人は繋ぎを作ろうと多額の銭を納めるやも知れない。とりあえず弥三郎はこのことを商人達に話してみてくれ。ひょっとしたら、助力を得られるかも知れないからな」
重秀の命令に、正澄が「承りました」と言って頭を下げた。重秀が話を続ける。
「銭に関しては父上や小一郎の叔父上と相談しよう。あの二人なら、先関白様を接待することの重要性は分かってくれるだろうから、銭を何とかしてくれるやも知れない」
「・・・それはどうでしょうか?」
重秀が楽観的なことを言うと、大谷吉隆が首を傾げながら言った。吉隆が話を続ける。
「来年は鳥取城攻めがありまする。その軍資金を集めなければなりませぬ。こちらにまで銭を回してくれますでしょうか?」
吉隆の言葉に、重秀以外の者達が「う〜む」と言って唸った。しかし、重秀は楽観的な考えを話し続ける。
「とは言え、相手は上様と先関白様とその御子息だ。いくら銭がかかろうとそれ相応の饗応をしなければ礼を失するというもの。それに、逆に考えるのだ。あの先関白様とその御子と繋がりができるのだと。これはこれで羽柴にとっても良いことであろう。その機会を見逃す父上ではない」
重秀の言葉に、家定が「確かに」と言って頷いた。
その後、重秀達は信長と近衛前久・信基親子、そして随員を迎え入れるための準備について話し合うのであった。
天正八年(1580年)十一月中旬。重秀は秀吉に呼び出されて姫路城にいた。新しい本丸御殿も完成し、新しい畳の匂いが漂う中、重秀は表書院にて秀吉と面会をしていた。そこで、重秀は秀吉から衝撃的な話を聞かされる。
「えっ?銭の援助はできない?」
重秀がそう言うと、秀吉は申し訳無さそうに言う。
「うむ。実は先日、三好山城守殿(三好康慶のこと)が姫路にやってきた」
「知っています。その前に兵庫によりました故」
「うむ。その際、儂に上様の命を伝えてきおった。その命というのがな・・・」
そう言うと秀吉は溜息をついた。どうやら信長から無理難題を言われたようだった。その事を察した重秀が秀吉に尋ねる。
「・・・何か、無茶なことを仰ってきましたか?」
「察しが良いのう、お主は。まあ、その通りなのじゃが。・・・上様は鳥取城を長篠城にするおつもりじゃ」
「長篠城、でございますか?」
重秀がそう言うと首を傾げた。事実上の初陣となった長篠城救援戦を思い出す重秀は、そこで信長の意図に気がついた。
「・・・我等が長篠城を包囲した武田勢で、それを救援せんとする毛利勢が織田と徳川の軍勢とするのですか?上様の目的は、救援に来た毛利勢を鳥取城にて迎え撃つおつもりでございますか?」
「・・・さすがは我が息子。上様の意図を読んだか」
そう言った秀吉の顔は相変わらず暗かった。重秀が話を続ける。
「我等が敗けた武田勢、というのが気になりますが。しかしながら、城を包囲するならば敵の援軍が来ることは明白。別に上様がその策を父上に言わなくても、父上は援軍を迎え討つ策を立てられるのではありませぬか?」
重秀の疑問に、秀吉は口角を上げながら重秀に言う。
「上様は鳥取城を餌に右馬頭(毛利輝元のこと)と両川(吉川元春と小早川隆景のこと)を誘い出し、この三人率いる毛利の主力を一気に叩き潰すことをご所望じゃ」
「で、では、上様は鳥取城で毛利と一気に決着をお着けになられると?こう言ってはなんですが、羽柴単独で毛利の主力、しかも当主と両川に率いられた主力と戦うのはきついのではございませんか?」
重秀の懸念に、秀吉は今度は苦笑しながら答える。
「さすがに儂等だけで毛利と決戦しようとは上様も思っておらぬわ。毛利の主力が動いたならば、上様が畿内やその周辺の大名を引き連れて援軍として来られる予定じゃ」
「ああ、なるほど。上様自ら兵を率いて決戦に臨まれると」
納得した重秀はそう言うと頷いた。しかし、すぐに疑問が頭に浮かんだ。
「・・・父上。上様の無茶な仰せとは、鳥取で毛利と決戦をすることでございますか?特に無茶な策ではないと思うのですが?」
「・・・上様が来るということは、上様を迎えるにふさわしい御座所を作らねばならぬであろう?鳥取城を包囲している附城の中に」
秀吉が困惑した表情でそう言うと、重秀は全てを理解した。
「・・・まさか、附城に上様が御わすにふさわしい豪華な御座所を作るつもりでございますか?そして、御座所建築に銭をかけるから、私めに銭の援助はできないと?」
重秀の言葉に秀吉が黙って頷いた。重秀が嫌そうな顔をして不満を述べる。
「父上。兵庫城にも姫路城にも御座所はございます。さらに鳥取城を攻めるための附城に御座所を造るのでございますか?」
「上様が来られる以上、上様の宿泊される場所は快適でかつ豪華な所がふさわしいんじゃ。文句を言っても仕方あるまい。
・・・それに、御座所を造るためだけに銭を使うのではない。上様が決戦に臨む以上、率いる兵は大軍じゃ。今の街道では道幅が狭くて円滑な行軍は無理ぞ。それに、大軍を養うための兵糧も各地に備蓄せねばならぬからのう。藤十郎にはすまぬが、銭の援助はできぬ」
秀吉の話を聞いた重秀は、残念そうな顔をしたが、すぐに納得したような顔になると、秀吉に頭を下げるのであった。
その後、重秀は秀吉から直に鳥取城攻めの作戦について説明を受けた。
「詳しい作戦については今は官兵衛(黒田孝隆のこと)が詳細を詰めているが、まあ、基本は兵糧攻めじゃ。惟住様(丹羽長秀のこと)からは、若狭の商人を使って因幡の米を買い占める許しをもらっておる。また、中務大輔殿(山名豊国のこと)からは鳥取城周辺の地形を教えてもらい、どこに附城を作るかを検討しているところじゃ。さらに、鹿野城の尼子式部少輔殿(尼子勝久のこと)に因幡と伯耆の国境周辺の地形を調べてもらっておる。まあ、あそこには鹿介(山中幸盛のこと)がおるし、あの者は伯耆や因幡には詳しいから、さほど時もかからずに国境の地形は分かるであろう」
「・・・因幡と伯耆の国境を封鎖するために尼子勢を使うのですね?しかし、尼子勢だけで国境を封鎖できますでしょうか?」
重秀の疑問に対し、秀吉は意外そうな顔をする。
「何じゃ、忘れているのか?伯耆の東側、羽衣石城の南条勘兵衛殿(南条元続のこと)は我等の味方。羽衣石城と鹿野城で因幡と伯耆の国境の封鎖は十分可能じゃ」
秀吉の説明を聞いた重秀が「そう言えばそうでした」と頷いた。秀吉が話を続ける。
「とは言え、因幡一国を封鎖するにはまだ足りぬ。海から鳥取城へ兵糧を運ぶことができるからのう。鳥取城の近くには千代川があり、その河口には賀露と呼ばれる湊がある。小一郎には垣屋(垣屋光成のこと)に命じて水軍の増強をさせておるが、まだまだ足りぬ。
・・・そこで、お主に頼みがあるのじゃが」
「私にでございますか?」
重秀が思わずそう声に出した。この時重秀は秀吉の頼みについてある程度見当がついていた。
―――私に垣屋の水軍を指揮させるのかな?それとも、まさか兵庫の水軍の兵や水夫を但馬につれていき、そこで水軍を一から作れとは言わないよな?今から水軍作っても時と銭がかかるし、そんな余裕はないぞ。それに、新しい船を作ったならば、それに慣らすためにまた鍛錬をやり直さないといけない。さすがにそれは無茶だ。いくら父上に命じられてもできないぞ。どうやって断ろうか・・・?―――
そう思っていた重秀に秀吉は話しかける。ただ、その内容は重秀が予想していたものとは違っていた。
「藤十郎。お主には長岡兵部大輔殿(長岡藤孝のこと)に文を出し、丹後水軍の出陣をお願いして欲しいのじゃ。確か、兵部殿の子息(長岡忠興のこと)とは仲が良いのじゃろう?その伝手を使って長岡を動かして欲しいのじゃ。丹後水軍が来てくれれば、因幡への海上封鎖はより強固になる」
秀吉の頼みが自分の予想と異なったことに安堵しつつ、重秀は「承りました。お任せ下さい」と頭を下げるのであった。
姫路から兵庫に戻った重秀は、近衛前久・信基親子と織田信長を接待すべく準備を進めた。正直言って、先関白と次期内大臣という雲の上の人をどう饗せばよいのか、重秀だけではなく家臣や与力も分かっていなかった。しかし、そんな重秀に救いの手を差し伸べた者がいた。織田信長である。
織田信長は堺から千宗易や松井友閑を、安土からは自分の側近である堀秀政や長谷川秀一、福富秀勝、京からは村井貞勝・貞成親子を兵庫に派遣し、重秀達に饗しのノウハウを教えたり相談に乗ったり準備の手伝いをさせた。
これば別に信長の親切心ではない。人臣極まる先関白と次期内大臣に、下手な饗しをさせて機嫌を損ね、朝廷と織田家との間に亀裂が入らないようにするためである。
また、信長は元々人を饗すことが好きな人物であった。高貴な人物や客人だけでなく、年貢を納めに来た百姓にすら、自ら踊りを見せて饗すほどであった。
そんな信長は、先関白と次期内大臣に須磨での鷹狩を心ゆくまで楽しんでもらいたい、と純粋に思っていた。そのために口を出してきたのであった。
何はともあれ、信長が口を出してきたおかげで、重秀達は何とか近衛前久・信基親子と信長を迎える準備ができたのだった。