第207話 塩飽危機(その7)
感想、評価、ブックマーク登録、いいね!を頂きありがとうございます。大変励みとなっています。
山内一豊が自分達の軍勢を引き連れて姫路についたのは天正八年(1580年)九月二十七日であった。
一豊は、その日のうちに家臣を引き連れて飾磨湊へ向かうと、そこで重秀から今後のことについて話を聞かされた。
「それでは、塩飽を香川に引き渡すと!?せっかく手に入れた塩飽と城を、戦いもせずに引き渡すというのでございますか!?」
一豊が不満そうにそう叫んだ。重秀の傍にいた尾藤知宣が一豊を宥める。
「そう大声を上げなさるな。若殿の言うとおり、因幡の鳥取城が毛利方に寝返った以上、我等は毛利との対決に備えなければならぬ。それに、香川と長宗我部は上様の盟友。おいそれと戦はできないでしょう」
「何を言うか!武士にとって城を取られるは最大の恥辱!しかも、攻め込まれて負けたならともかく、何もせずに引き渡すなど!これでは若殿が、いや羽柴が侮りを受けますぞ!」
一豊がそう声を上げると、知宣が「口が過ぎまするぞ!」と強い口調で諌めた。しかし、一豊は城の引き渡しに対して強い口調で反対意見を述べた。
一豊は若い頃、父である山内盛豊が預かっていた黒田城を盗賊(実際は織田信長の軍勢)によって落城させられていて、この時に兄を失っている。
後に主家である織田伊勢守家の居城である岩倉城へ逃れるが、そこも信長の攻撃を受けて落城。父である盛豊は戦死したとされている。結果、山内家は離散し、一豊自身も塗炭の苦しみを味わうことになった。
そんな経験から、城を奪われることが一族の滅亡に繋がると考えている一豊。城を引き渡すことによって、羽柴が滅亡への一歩を踏み出すのではないか、と心配しての反対であった。
しかし、そんな一豊に重秀は根気よく説得する。
「・・・伊右衛門(山内一豊のこと)の気持はよく分かる。私も内心では伊右衛門に同心している。しかしながら、これは父である筑前守の命でもある。子として、与力として父筑前の決めた事に従わなければならない」
重秀が冷静に、かつ強い口調でそう言い続けた結果、一豊は顔に思いっきり不満げな表情を貼り付けながらも重秀の意見に同意した。しかし、重秀の説得を受け入れつつ、強い口調で重秀に言う。
「・・・大殿と若殿がそう仰るのであれば、臣たるこの伊右衛門、これ以上のことは申し上げませぬ。しかしながら、若殿自ら塩飽に向かうのであれば、当然家老たるそれがしがお供仕る」
一豊がそう言うと、重秀は眉間にしわを寄せる。
「・・・山内勢は姫路に残り、因幡への出兵に備えるよう言われているが?」
「それは勘左衛門(祖父江勘左衛門のこと)か吉兵衛(五藤為浄のこと)に任せれば良いこと。それがしも塩飽へ参りますぞ!」
一豊のこの一言に、知宣が溜息をつき、重秀は苦笑したような顔になるのであった。
そんなこんなで飾磨湊に重秀と兵庫から来た家臣達が集結してから2日後、九月二十九日の朝。重秀が家臣達を逗留中の屋敷に呼び寄せた。
「先程、讃岐の天霧城から使者が飾磨の湊にやってきた。その者が言うには、長宗我部と香川の使者が塩飽の本島に来るのは十月三日となった」
重秀が家臣達にそう説明した。そして、重秀が長宗我部と香川側の代表者の名前を言った瞬間、家臣達からどよめきの声が上がった。
「・・・向こうは宮内少輔様(長宗我部元親のこと)の息子を二人も派遣してくるのか・・・」
「正しくは長宗我部の使者が弥三郎殿(長宗我部信親のこと)で、その弟は香川家の使者としてくるようだ。なんでも、弟の方は来年には香川の婿養子になるとか」
外峯四郎左衛門(本名津田盛月)の発言に重秀がそう答えた。一豊が唸りながら発言する。
「真に西讃は長宗我部のものになったのでございますな・・・」
「ちっ、図に乗りやがって」
福島正則がそう言って舌打ちすると、重秀は「確かにな」と頷いた。
「しかし、あまり図に乗りすぎると上様のご勘気を被るだろう。ただでさえ讃岐や阿波に手を伸ばしていることに良い顔をしていないのに、讃岐に一門が来れば、上様はどう出るか・・・」
「・・・下手したら上様は長宗我部と一戦交えることを望まれるやもしれませぬな」
知宣の言葉に、重秀を始め複数の者たちが頷いた。
―――もっとも、長宗我部と戦うのは我等ではないけどな。我等の当面の敵は鳥取城だし・・・。
となると、誰が四国攻めの総大将になるのだろうか?やっぱり摂津の池田紀伊守様(池田恒興のこと)になるのだろうか?摂津からは淡路を経由して四国を攻めることができるし、中川瀬兵衛殿(中川清秀のこと)や高山右近殿(高山重友のこと)といった勇将が与力になっているし。それに、石山本願寺との和議は成っているから、兵力を四国にすべて注ぎ込めるしな・・・―――
そう思っていた重秀の耳に、清正の声が聞こえた。
「長兄、長兄!」
「ん?なんか呼んだか?」
思案の世界から現実の世界に引き戻された重秀に、清正が尋ねる。
「それで、我等はいつ塩飽に向けて出立いたすので?」
「・・・ああ。十月一日には出ようと思う。一日かけてまずは直島に向かい、直島城にて一泊する。そして十月二日に高原水軍と共に塩飽に向けて出立する。すでに高原久右衛門(高原次利のこと)には伝えてある。ついでに、児島の高畠水軍にも来るように伝えてある」
「待ってください、若殿。それでは塩飽に船が入りきれないっす」
茂勝の言葉に、重秀を始め、水軍メンバーが「ああ・・・」と声を上げた。
「そうだった。羽柴水軍に高原と高畠の水軍を加えると、結構な数の軍船が塩飽に集結することになるな。それは拙いな」
重秀がそう言うと、一豊が頭の上に疑問符を浮かべながら重秀に尋ねる。
「若殿、それのどこが拙いのでございますか?全軍率いて羽柴の武威を香川や長宗我部に示すべきではございませぬか?」
「伊右衛門(山内一豊のこと)は塩飽に行ったことないから知らないか・・・。塩飽は海が狭いんだ。しかも潮の流れが速く、海に船を留めるのが難しい。そんな狭い海に大船団で向かってみろ。船が身動きできなくなる。
それに、塩飽の島々には湊があるが、さほど大きくはない。羽柴水軍の船を全ての島々の湊に入れることは難しいと思う。例え島々に船をすべて入れたとしても、兵力が分散されるからかえって各個撃破されやすくなる。湊で動けない船ほど攻めやすいものはないからな」
重秀の回答に一豊は「なるほど」と言って納得した。続いて正則が発言する。
「しかし兄貴。伊右衛門殿の言う通り、武威を示すのは大事だと思うぜ。せめて羽柴水軍の軍船はすべて連れて行こうぜ」
「・・・そうだな。では、数を増やすだけの弁財船は置いていくか・・・」
重秀がそう言うと、一豊が「あいやしばらく!」と声を上げた。
「それではそれがしの乗る船がございませぬ!それに弁財船の一部は兵庫に逃れようとする塩飽の民のために連れて行くと決めたばかりではございませぬか!」
一豊がそう言って抗議してきたため、重秀は考え直さざるを得なかった。
結局、重秀は高畠水軍の出動を取りやめ、本拠地である小串での待機となった。そして、一豊は自らの重臣である五藤為浄に山内勢の指揮権を預けると、祖父江勘左衛門と共に弁財船に乗り込み、重秀と共に山内勢を乗せてきた弁財船団の一部を引き連れて塩飽へ向かうこととなった。
十月一日の日の出と同時に出帆した重秀率いる羽柴水軍は、その日の未の刻(午後1時半頃から午後4時半頃)には直島に到着。その日は高原次利の居城である直島城で一泊した。
そして次の日の十月二日。日の出と同時に直島を出帆、一路塩飽の本島へと向かった。
昼頃に本島に着いた重秀は、『村雨丸』に一緒に乗っていた知宣を使者として笠島の湊に上陸させ、重秀達が笠島城へ入ることを伝えさせた。ところが、知宣と会った香川の将が難色を示した。
「城が未だ羽柴方のものとは言え、これ以上羽柴の兵を入れるわけには行かない。ましてや、羽柴の嫡男を入れるわけにはいかない」
そう言われた知宣は、交渉を重ねた末、条件付きで笠島城へ入ることを承諾した。ただし、その条件が重秀に伝わると、今度は重秀側で問題となった。
「・・・何?人質を寄越せって?」
重秀がそう言うと、条件を伝えに来た知宣は「はっ」と言って頷いた。途端に茂勝が激怒した。
「冗談じゃないっす!何故我等が人質を出さないといけないんっすか!笠島城は未だ我等の城!その城に若殿が入って何が悪いんすか!そもそも、長宗我部も香川も織田の盟友!人質を寄越せとは、織田とその重臣の羽柴を蔑ろにしているっす!」
茂勝の怒声に、同じく重秀の傍にいた大谷吉隆と寺沢広高が船酔いで青い顔をしながら頷いた。一方、知宣が落ち着いた口調で皆に言う。
「しかしな、我等は水軍をほとんど連れてきただけでなく、高原水軍をも引き連れてきており、我等の船の総数は五十隻を軽く超えておるのだ。しかも、『吹雪丸』と『深雪丸』、そして小早二番隊を引き連れて本島の東側の海に出ている。あそこは笠島城から丸見えだからな。向こうも不安なのだろう」
そう言った知宣が重秀に顔を向けると、その場で片膝を付いて跪く。
「ここは、向こうの不安を取り除くべく、人質を出すべきと心得まする」
そう言われた重秀は、両腕を組んで目を瞑って考え込んだ。しばらく考えた後、重秀が目と口を開く。
「・・・やむを得ぬ。向こうも盟を結んだ相手からの人質を無下にはしまい。ただ、誰を人質に出すか・・・」
「・・・それがしが参りましょうか?」
重秀の言葉に、吉隆がそう答えた。茂勝が吉隆に言う。
「紀之介(大谷吉隆のこと)。まさかとは思うけど、早く船から降りたいと思ってそう言ってるんじゃないっすよね?」
「・・・そんな訳あるか。これは羽柴と長宗我部、香川との間を取り持つために必要なこと。決して、船酔いで早く陸に上がりたいから言っているわけではない・・・」
「そんな青い顔で言っても説得力ないっすよ」
茂勝が呆れたように吉隆に言うと、重秀も吉隆に声を掛ける。
「紀之介の献身は見事なものだが、今回人質に出すのは別の者とする。だから此度は控えていろ、紀之介」
重秀の言葉に、吉隆が残念そうな顔で「・・・はっ」と返事して頭を下げた。それを横目に見ながら、知宣が重秀に尋ねる。
「して、誰を送るのでございますか?」
知宣の答えに重秀が即答した。その名を聞いた知宣は、驚きつつも重秀の人選に納得するのであった。
それから暫く経ち、『村雨丸』に載せられていた伝馬船がある弁財船へと向けられた。その伝馬船は弁財船から人を二人乗せると、『村雨丸』に戻ってきた。
「若殿。伊右衛門殿と勘左衛門殿がお越しになられました」
『村雨丸』の船尾櫓にいた重秀の下に、兵がそう知らせてきた。そして、その後ろから一豊と祖父江勘左衛門が青い顔をしながら口元を手で抑えつつ、重秀の前に現れた。
「・・・船酔いか?伊右衛門」
重秀の言葉に、一豊は首を横に振った。そして口元から手をゆっくりと離すと、大きく呼吸しながら重秀に言う。
「・・・いえ、大したことはありませぬ。それより、お呼びだと聞いて参りましたが?」
「あ、ああ。甚右衛門(尾藤知宣のこと)、あの話を」
重秀からそう言われた知宣が、人質の件を話した。一豊が青い顔をしながら重秀に尋ねる。
「・・・ということは、それがしが人質に?」
一豊の言葉に、重秀が頷く。
「ああ。私の傅役で筆頭家老の伊右衛門を人質に出す。これなら向こうも我等が約を違えないという強い証になるだろう。それに・・・」
「・・・しばらく、しばらく!」
重秀が説明を続けようとしたところ、勘左衛門が声を上げて割って入ってきた。一豊が「控えよ!勘左衛門!」と叱責したものの、勘左衛門は構わずに話し始める。
「恐れながら申し上げます!我が殿の御方様がご懐妊の由!せっかく山内に跡目ができたと言うに、我が殿を人質にするのはあまりにも情けないことにございまする!」
「黙れ!勘左衛門!」
一豊がそう言って立ち上がると、右足を上げて勘左衛門を蹴り倒した。倒れる勘左衛門に、更に蹴りを入れようとする一豊を、知宣が羽交い締めにする。
「止めよ!伊右衛門殿!若殿の御前ですぞ!」
そう言われた一豊が右足を下ろすと、知宣が一豊から離れた。一豊が片膝を付いて跪くと、重秀に対して謝罪する。
「お見苦しいところをお見せして申し訳ございませぬ」
「いや、良い。というか、千代さんが身籠っていたことを失念していた。悪い」
重秀はそう言いながら、一豊と千代が共に揃って兵庫城に来て重秀に千代の妊娠を報告した日のことを思い出していた。
嬉しそうに報告する一豊と、長年望んだ子をやっと持つことができる、という幸福感に包まれた千代の姿を見た重秀は、自らのように喜んだものであった。
それなのに、その事を忘れて一豊を人質に出そうとした重秀は自分を恥じた。
「・・・伊右衛門を人質に出すのはよそうか」
知宣にそう言う重秀に、一豊は「滅相もございませぬ」と慌てて言った。
「確かに我が子ができたことは嬉しゅうございます。しかれども、この山内伊右衛門、若殿の臣なれば、どうして若殿の命を拒むことができましょうや。喜んで人質となりましょう」
一豊の言葉に、先程までひっくり返っていた勘左衛門が起き上がって一豊の傍まで行くと、泣きながら一豊に言う。
「殿!それがしもお供仕る!この祖父江勘左衛門、命を賭してもお護りし、殿を御方様の元まで帰しましょうぞ!」
勘左衛門に続いて重秀も一豊に言う。
「伊右衛門。伊右衛門は私にとって大切な家臣であり、家族だ。そんな伊右衛門に産まれてくる子を抱かせないわけにはいかない。必ずや、長宗我部や香川から生きて帰ってくるようにいたす。それまで、暫くの辛抱を頼む」
「伊右衛門殿。此度の人質はあくまで長宗我部や香川の者達の命を保証するためのもの。我等が長宗我部や香川に手を出さぬ限り、お主に手を出すことはありえぬ。だから案ずることはない」
重秀に続いて知宣もそう言った。そして、重秀が一豊の前まで来て、片膝を着くと、一豊の右手を両手で握る。
「伊右衛門。ご足労だが、行ってもらえるな?」
重秀の言葉に、一豊は決意の目を重秀に向けながら「はっ、おまかせくだされっ」と言って頷くのであった。
「伊右衛門殿、伊右衛門殿っ」
一豊がこれまでの経緯を思い出していると、不意に声をかけられた。一豊が我に返ると、谷忠澄が声をかけていた。
「如何なされた?ぼうっとしておられたぞ」
「・・・あ、申し訳ござらぬ。いささか船酔いが残っておりました故、未だ気分が優れませぬで」
一豊のとっさの言い訳に、忠澄が怪訝そうな顔になった。しかし、それもすぐに治まった。忠澄が一豊に言う。
「・・・若君が伊右衛門殿と話をしたいと申しておられる。よろしいか?」
忠澄の言葉に、今度は一豊が怪訝そうな顔になった。一体何が聞きたいのだろうか?一豊がそう思っていると、信親が一豊の目の前に座った。そして話しかける。
「・・・実は儂は筑前殿とその御子息・・・、藤十郎殿と一昨年に安土であったことがある。あの時、すでに羽柴家のご活躍は土佐で聞いたことがあったが、あれ以来、筑前殿と藤十郎殿はさぞご活躍されているのであろうな」
信親の言葉に、一豊は「おおっ!」と感嘆の声を上げた。一豊が思わず口に出す。
「まさに大殿と若殿の活躍は織田家でも随一のもの!大殿は播磨を平らげ、但馬、因幡をも降し申した。また、若殿は阿閇城にて一千の兵にて毛利の兵八千を撃破致し申した。それだけではなく岳父たる上様を説得し、備前と美作の大大名、宇喜多和泉守(宇喜多直家のこと)を寝返らせ申した!若殿は、知勇兼ね備えた立派な若武者でござる!
それだけではござらぬ。兵庫では湊の関所を廃止し、禁制を作り、商いを奨励してござる。また、摂津はもちろん、播磨や但馬にて養蚕と製油を広めてござる!政については、長浜より携わっている故、四万一千石を過不足なく治めておりまするぞ!」
一豊の話に、信親は大きく目を見張った。いや、信親だけではなく儀重や忠澄すらも口をポカンとあけて呆然としていた。
「・・・藤十郎殿って、歳はいくつでござるか?」
信親がそう尋ねると、一豊は「十九にてござる」と胸を張って答えた。信親達から驚きの声が漏れた。
―――えっ?儂より三つ歳上なのにそこまで武功を上げているのか?もしや羽柴藤十郎、我等が考える以上の才を持っているのか?
・・・面白い。是が非でも会って話をしてみたい。百姓からの成り上がり者の倅がどの程度のものか、見てやろうぞ―――
そう思った信親は、ますます重秀に会って話がしたいという想いが強まるのであった。