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第205話 塩飽危機(その5)

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誤字脱字報告ありがとうございます。お手数をおかけしました。

 鳥取城攻略の話し合いが終わった後、秀吉は重秀達と塩飽の今後について話し合った。


「忠兵衛(谷忠澄のこと)と又五郎(香川景全のこと)との話し合いで、藤十郎が塩飽へ向かうことになった。やることは分かっておるな?」


「塩飽にて羽柴と香川、長宗我部との間での誓紙交換、塩飽の笠島城と与島城の引き渡し、そして城兵を連れ帰ることですね」


 重秀が即答すると、秀吉は困ったような顔つきになった。重秀が訝しんでいると、秀吉が躊躇ためらいがちに話し始める。


「そう思ったのだがなぁ・・・。藤十郎。宮内少輔(長宗我部元親のこと)に会う気はないか?」


 秀吉の提案に重秀が「えっ!?」と声を上げた。重秀だけではなく、黒田孝隆や蜂須賀正勝、石田三成も驚きの表情を顔に浮かべていた。

 秀吉が話を続ける。


「どうせ儂の誓紙を持っていくのであろう?塩飽で交換するより、宮内少輔に直接持っていった方が良いのではないか?と思ってのう。ついでに長宗我部の軍容を見てきてもらいたいのじゃ」


「しかし、それでは私めは鳥取城攻めに参加できないではないですか」


 重秀が口を尖らせてそう言うと、秀吉は「阿呆」と苦笑しながら言った。


「さっき話したではないか。鳥取城は兵糧攻めにすると。そしてその準備にだいぶかかると」


 さっきまで話していた鳥取城の兵糧攻めについて、孝隆の策には一つの懸念事項があった。一体誰が鳥取城周辺で米を買い占めるのか?ということであった。

 羽柴が支配する播磨、但馬、摂津二郡の商人が米を買おうとしても、鳥取城が敵方の商人に米を売るわけがなかった。宇喜多が支配する備前、美作の商人に頼んでも良かったのだが、宇喜多が羽柴の与力大名となっている今、やはり簡単に売ってくれるとは思えなかった。

 かといって、他国の商人に頼ったとしても、羽柴がある程度コントロールしないと羽柴の銭を湯水の如く使われかねなかった。

 そこで、秀吉達は若狭の商人を利用することにした。若狭の商人は船で因幡まで商いをしに行くことが可能であった。また、秀吉が前に支配していた長浜の商人との結び付きが強く、さらに長浜の商人は秀吉の影響が未だ残っていた。なので、秀吉は長浜の商人を介して若狭の商人をコントロールして因幡の米を買い占めようとしたのだった。

 気になるのは若狭が織田家重臣の丹羽長秀の領国だということであり、織田の商人として警戒されるのでは?という懸念があった。しかし、他に適当な商人達がいないことから、若狭の商人に白羽の矢が立ったのであった。

 ただ、若狭の商人と事前の打ち合わせ等をしなければならないため、それに大分時間が取られることになった。また、若狭国の国主たる丹羽長秀と調整するために、一旦信長と話し合う必要が出てきた。

 そこで、秀吉自らがこれから安土に向かうことになった。また、孝隆が鳥取城の内情を探ったり、三成が長浜に行って若狭の商人との接触をするなど、鳥取城攻めの準備が大分かかりそうであった。


「それに冬の間は因幡は雪に閉ざされる。攻めるなら雪解けの後じゃ。その間は藤十郎も因幡に行けぬのだから、その間に宮内少輔に会ってこい、と言っているのじゃ」


 秀吉がそう言った時だった。三成が「恐れながら」と声をかけてくる。


「羽柴唯一の嫡男である若殿を宮内少輔様の元へ遣わすは、いくらなんでも危のうございます。何卒お考え直しを」


「・・・藤十郎が殺されると申すか?」


 秀吉が片眉を上げながらそう言うと、三成は硬い表情で答える。


「何があるか分かりませぬ。何卒、慎重になされるべきかと」


「・・・長宗我部は織田と盟を結んでおる。藤十郎に無体なことはすまい、と思うのだが・・・」


 秀吉はそう言うと、視線を重秀に向ける。


「藤十郎、お主はどう思う?」


「父上のご命令ならば、宮内少輔様に会いに行くのにためらうことはございませぬ。それに、『土佐の出来人』と呼ばれた宮内少輔様に一目会ってみたいとも思っております。

 ・・・しかしながら、佐吉(石田三成のこと)の懸念ももっともであると考えますが」


 重秀がそう言うと、秀吉は「相分かった」と言って頷く。


「儂ゃ長宗我部がどんな家か詳しくは知らん。官兵衛もあまり知らぬのではないのか?」


 確認するかのように秀吉が孝隆に尋ねると、孝隆は「御意」と言って頷いた。秀吉がそれを見て話を続ける。


「よく知らぬ家に羽柴唯一の嫡男を送り込めば、万が一ということもある。佐吉の言うとおりじゃ」


 そう言うと秀吉は重秀の方を見る。


「藤十郎。先の話は無しじゃ。宮内少輔のところへ向かわなくて良い」


「承知いたしました。しかしながら、水軍を率いて塩飽へ向かうのは構わないのでしょう?」


 重秀がそう言って秀吉に確認した。秀吉が頷く。


「ああ。先程、忠兵衛達と話し合ってそう決めたからのう」


 谷忠澄と香川景全との間で行われた交渉の中で、今後の予定についての話し合いも含まれていた。その中で、重秀が水軍を率いて塩飽に渡り、笠島城にて重秀と長宗我部と香川の代表者が誓紙を交換するという儀式が行われた後に、重秀が笠島城や与島城などを引き渡すこととなった。

 本来、誓紙は秀吉と忠澄等使者が姫路で交わすことになっていたのだが、孝隆がこれに反対した。


「筑前守様と使者の両名では釣り合わないではないか!城を引き渡すというだけでも羽柴の面目が失われると言うに、これ以上の屈辱を長宗我部と香川が与えるのか!?」


 孝隆の言葉に忠澄は納得した。確かに、戦いに負けたとかで城を引き渡すならともかく、羽柴は長宗我部を尊重して城を引き渡してくれるのだ。それ相応の礼を尽くすのが当然であった。そして、これ以上拗らせて元親の四国平定を遅らせるわけにはいかなかった。

 そこで忠澄達は先に讃岐に戻り、この事を元親に伝えると同時に、秀吉が塩飽に派遣する使者―――重秀に釣り合う使者を長宗我部と香川から塩飽に派遣し、笠島城で誓紙の交換と城の引き渡しを行うこととなったのであった。


「藤十郎。お主なら大事無いと思うが、くれぐれも慎重にな。そして、相手を立てることはもちろん、羽柴と織田の面目を失うようなことはするなよ?」


 秀吉の言葉に、重秀が「心得ております」と言って平伏した。


 その後、秀吉達は徹夜で今後のことについて話し合うのであった。





 九月二十六日。忠澄と景全は讃岐へ戻るため、飾磨湊から船で発とうとしていた。しかし、すぐに発つことはできなかった。何故ならば、飾磨湊に兵庫津からやって来た羽柴水軍の船団が入港しようとしていたからだった。


「申し訳ございませぬ、谷様、観音寺様。湊が落ち着くまでしばらく湊の屋敷にてお休みくだされ」


 飾磨湊まで案内してきた副田吉成は、昔宇喜多直家を接待した湊の屋敷に案内しようとした。しかし、忠澄は「いや、結構」と遠慮した。


「元は神官とは言え、これでも武士にござれば、船の中でも十分休むことは可能でござる。我等は船の中で待たせていただく」


 忠澄はそう言って未練がましい顔を浮かべた景全の腕を引っ張った。そして、自分たちが乗ってきた弁財船に乗り込んだ。


「忠兵衛殿。屋敷にて休んでも良かったのではござらぬか?今更羽柴も我等を謀殺することはありますまい」


 景全がそう言って不満を述べると、忠澄は首を横に振る。


「又五郎殿。それがしも羽柴が我等を謀殺するとは思っておらぬ。しかしながら、これは羽柴の水軍の力量を計る好機ぞ。羽柴水軍を物見して、御屋形様(長宗我部元親のこと)にお報せいたそう」


 忠澄はそう言うと、船窓から外を見て羽柴の軍船を見ようとした。釣られて景全も外を見た。


 しばらく経った後、湊に変な船が小早と一緒に入ってきた。黒白の縞模様のその変な船は、日本ひのもとの船には珍しく櫂漕ぎであった。また、帆は畳んでいたものの、帆桁と呼ばれる帆を張るために帆の上部に横たわる木の棒が斜めに付けられていたり、船首に衝角が備え付けてあったりと、今まで見たこともない船であった。そんな船に忠澄は目を奪われていた。

 一方、景全は小早の方に目を奪われていた。その小早は帆を畳んで艪漕ぎで進む小早で、香川や長宗我部が持っている小早よりはやや大きかった。

 しかし、景全はその小早に違和感を感じていた。大きさの割に、艪の数が極端に少ないのだ。


「おかしい・・・。あの小早は船の大きさの割に艪の数が少ない。あれでは早く進むことができないぞ?」


 そう呟いた景全の耳に、「何だあれは!?」と言う忠澄の声が聞こえた。景全が思わず忠澄の方を見る。


「如何なされた!?忠兵衛殿!?」


「又五郎殿、あれをご覧あれ!」


 そう言って窓の外へ腕を伸ばしながら忠澄が指を指した。その方向へ景全が目をやると、そこには異型な船が海を進んでいた。

 その船は、先程忠澄が変な船だと思った船を何倍も大きくしたような船であった。横に張り出した多くの櫂で漕ぎ進んでいるその船は、船首に尖った形状の物を持ち、その後ろには二層の櫓がそびえ立っていた。帆柱は2本あり、帆は畳んであったものの、帆桁が斜めに付けられているのは他の船と同じであった。

 そんな船がざっと8隻、次々と飾磨湊へ入っていくのが見えた。


「・・・あれは関船か?一体何を考えてあのような船を・・・?」


 そう呟く忠澄の隣では、景全が口をあんぐりと空けながら関船を見つめていた。景全もまた、その異形な関船に驚いていたが、更に驚いたのはその大きさであった。


 ―――忠兵衛殿はあれを関船と言っているが、あんな大きな関船は初めて見たぞ!我等の関船よりも大きいではないか!羽柴はあんなのを十隻近く持っているのか!?―――


 香川の水軍の主力は多数の小早と弁財船、そして少数の小型の関船である。瀬戸内の狭い海ならば小早が使い勝手が良い、とか、関船や安宅船を大量に建造し維持する銭がないからという理由もあるのだが、最大の理由は香川水軍の役目にあった。

 香川家は元々讃岐や阿波を支配していた讃州細川家の重臣の家であり、その起源は相模国高座郡香川村、今の神奈川県茅ヶ崎市香川だと言われている。そして南北朝時代に細川氏に従って讃岐に渡ったとされる。

 その後戦国時代になり讃州細川家の力が無くなり、細川家の重臣であった三好家が力を持つと、その三好に反抗するようになる。そして三好家に対抗すべく軍備の拡張を図った。

 しかし、その拡張の対象は陸上兵力であった。また、三好の水軍は主に畿内への援軍、兵糧物資の運搬が主な役目であったため、その大部分は輸送船たる弁財船と護衛のための小早で編成されていた。これに対抗する香川水軍は、弁財船と小早を打ち破る戦力があれば十分であった。

 後に香川家は三好家と和睦。その傘下に入ったが、水軍に関しては変化はなく、相変わらず弁財船と小早を中心とした水軍であった。


 忠澄と景全が驚いている中、別の関船が目に入ってきた。形は見慣れた関船であったが、その帆はめったに見ない唐船と同じような帆であった。そんな関船が4隻、飾磨の湊に入ってきた。更にその後ろからは、先程見た変な船と多数の小早、そして数は少ないが弁財船の姿が見えてきた。


 ―――羽柴水軍はできてから日が浅いと聞いていたが、十分立派な水軍ではないか。いくら長宗我部の援軍が期待できるとは言え、あんな関船を多く持つ羽柴水軍を打ち破るのは困難。羽柴を敵に回さずに済んで良かった・・・―――


 そう思う景全と、似たようなことを思っていた忠澄は、自分たちの船が讃岐に向かって飾磨湊を出帆するまで羽柴の関船を見続けるのであった。





 忠澄達の船が飾磨湊から出帆して2刻後、重秀が飾磨湊にある屋敷に入った。屋敷には福島正則、加藤清正、加藤茂勝、大谷吉隆、脇坂安治、外峯四郎左衛門(本名津川盛月)、外峯与左衛門(本名津田信任)、松田利助、井上成蔵、田村保四郎、梶原左兵衛、三浦義高、三浦義知、別所友之、淡河定範、寺沢広高がすでに入っていた。

 なお、山内一豊、尾藤知宣は兵を率いて陸路で姫路に向かっており、彼らを乗せる弁財船の船団は羽柴水軍の艦隊に遅れること1日後に兵庫津を発ったため、陸路の軍勢と弁才船の船団は明日飾磨湊へ到着する予定であった。


 屋敷の広間にて集まった重秀の家臣達は、そこで重秀から今まで起きたことについて説明した。

 当然というべきか、家臣達は一斉に不満の声を上げた。


「何故笠島城と与島城を香川に引き渡さなきゃいけねぇんだよ!」


「おのれ毛利め!鳥取城を寝返らせるとは・・・っ!」


「山名様のしくじりでこっちがとばっちりを受けているっす!山名様には腹を切っていただかないと責を負ったとは言えないっす!」


 正則と清正、そして茂勝が激怒してそう叫ぶと、居並ぶ重秀の家臣達も大なり小なり不満の声を上げた。


「『鳥なき里の蝙蝠』のくせして調子に乗りやがって」


「土佐でも最弱の土豪のくせして調子に乗りやがって」


「土佐の田舎者が瀬戸内に来るなよ。瀬戸内の海が汚れるだろうがよ」


 などという罵詈雑言が飛び交った。そんな罵詈雑言が止んだのを見計らって、重秀が口を開く。


「皆の気持ちは私も同じだ。しかしながら、これは父上の決めたこと。我等はそれに従わなければならない。しかし、笠島城を始めとする塩飽の城や砦については私が塩飽に向かい、長宗我部と香川のより上位な使者と誓紙を交わすことで引き渡すことになっている。その際には羽柴水軍を率いて塩飽に向かう故、それで羽柴の武威を長宗我部と香川に示そうではないか」


 重秀がそう言うと、皆は多少の不満を顔に出しつつも「ははぁっ!」と言って平伏した。


「して、塩飽に連れて行くのは誰で?」


 四郎左衛門がそう尋ねると、重秀が「ここにいる皆だ」と即答した。


「それと、交渉に慣れている甚右衛門(尾藤知宣のこと)も連れていきたい。まあ、本来ならば四郎左衛門が居れば十分なのだが、長宗我部から左馬允(津田盛月の通称)が居ることが漏れると色々厄介だからな・・・」


 重秀の言葉に、四郎左衛門が黙って頭を下げた。重秀が話を続ける。


「それに、本来山内勢を乗せるはずだった弁財船の船団の一部を連れていきたい。ひょっとしたら、香川の支配を潔しとしない船方衆がいるやもしれない。そういった者共やその家族を兵庫に連れて行く必要があるかもしれないからな」


「ああ、それは良いですな。ついでに船の水増しができるというものですな」


 清正がそう言うと、重秀が「そう言うこと」と言って笑った。すると、茂勝が手を上げつつ重秀に尋ねてくる。


「では、山内勢や我等に与する予定の仙石勢は塩飽に連れて行かないんっすか?」


「山内勢、仙石勢は姫路に待機だ。そのまま年を越して因幡に送り込まれるやもしれないし、一旦戻されるやもしれぬが、塩飽へ連れて行かないのは決まっている」


 重秀がそう説明すると、茂勝は納得した顔で頷いた。重秀が笑いながら皆に言う。


「なにはともあれ、皆せっかく飾磨湊まで来たのだ。塩飽に向かう明後日まで、ゆっくりと休むが良い。父上より龍野の酒を預かってきた。水の性質上、日持ちしない故に幻の酒と呼ばれる絶品だ。今宵はその酒を飲んで英気を養おうではないか」


 重秀の言葉に、正則だけではなく皆が歓喜の声を上げたのであった。





 九月二十七日には姫路に山内勢と仙石勢が到着。また、飾磨湊には兵庫津から山内勢を乗せるための弁財船の船団が入ってきた。その中には『うしお丸』が入っていた。

 それに気がついた重秀が、『潮丸』の乗組員を呼びつけると、予想通り佐々木()()が含まれていた。


()()。息子はどうした?」


 重秀の前に現れた()()にそう尋ねると、()()は右手で後頭部を乱暴に掻きながら答える。


「浅野のおっさん(浅野長吉のこと)が『金兵衛は預かっておくから、飾磨湊へ行ってくれないか?聞けば、塩飽の潮の流れを見るのが得意らしいな』って言ってくれたんだ。アタシも爺ちゃんが心配だし、潮を読むのは男達に負けないから、お言葉に甘えてやってきたんだ」


「・・・そうか。まあ、()()が潮を読んでくれるのはありがたい。私の船に一緒に乗ってくれると・・・」


 そう言った瞬間、重秀の頭に何か閃いた。そして重秀が口元に右拳を当てると何かを考えていた。()()が不思議そうな顔で見ていると、重秀が口を開く。


「・・・()()。先に塩飽に行ってもらうことは可能か?実は・・・」


 重秀がそう言うと、先程家臣達に話していた香川の支配を拒否する船方衆の兵庫への亡命の話をした。

 それを聞いた()()が眉間にしわを寄せて唸る。


「う〜ん、いくら香川が嫌だからといって、塩飽から出たいと思う奴はいないと思うけど・・・。まあ、先に行って島に残っている船方衆と会うことはできるから、その話をしてみるさ」


 ()()がそう言った後、重秀と()()は今後のことについて話し合うのであった。


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