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第199話 湯山温泉にて(後編)

感想、評価、ブックマーク登録、いいね!を頂きありがとうございます。大変励みとなっています。


誤字脱字報告ありがとうございました。お手数をおかけしました。


次の投稿は12/31です。

 当時、湯山ゆのやま温泉(のちの有馬温泉)には12の宿坊があった。これは薬師如来を護る十二神将が由来とされている。

 秀吉の支援により、この12宿坊が最優先に復興された。これは三木城包囲戦で傷ついた兵士達を収容するためのものであった。そのため、宿坊は多くの人が泊められるよう、当時としては珍しい二階建ての建物であった。重秀はその宿坊を一つ丸ごと借りていた。


 重秀は借りた宿坊の2階の一部屋に入ると、一緒についてきた()()と休むことにした。だが、()()は休むことなく重秀の話しかける。


「お兄様、あの高野山から来た僧ですが、何やら怪しゅうございます」


「そうか?いかにも苦行を重ねてきた僧としか見えなかったが?」


 そう返事をした重秀に対し、()()は顔を重秀の顔に近づけると、小声で話し始める。


「兄上(蒲生賦秀のこと)から聞きました。『高野聖は俗物揃い』だと」


「ああ、うん。まあ、そうね」


 重秀も高野聖については良く知っていたため、()()の言葉にそう返した。


 高野聖とは、高野山を拠点とし、各地に遊行した僧のことである。僧、と言ってもそのほとんどは半僧半俗の生活を営む者達である。

 彼等は全国に赴いて弘法大師の教えを説く一方、高野山への納骨を勧めていた。高野山の奥ノ院にやたらと墓が多いのは、高野聖達の活動がその始まりであった。

 そんな高野聖の活動は時代が下るごとに広く、そして俗物化していった。室町時代には連歌や茶会を催して文化的な交流を目的とした高野聖もいれば、奈良時代の行基のように大工や職人を引き連れて橋や道を作る者もいた。

 さらに戦国時代になると、もはや宗教とか俗物とかというレベルではない者達も高野聖と称していた。彼等は行く先々で問題を起こしており、『高野聖に宿貸すな。娘取られて恥かくな』と唄われるようになるほど問題となっていた。

 さらに、高野聖の中には間者も少なからず含まれており、高野聖の問題は各大名が頭を悩ませていた。特に頭を悩ませていたのが織田信長とその家臣達である。何故ならば、信長にとって高野山が敵だったからである。


 天正の始め頃から大和国内での領土問題でギクシャクしていた信長と高野山。それに加えて、天正五年(1577年)に裏切った荒木村重の家臣の中に、摂津平定後に高野山に逃げた者達がいた。当然信長は逃げた村重の家臣を引き渡すように高野山に命じるが高野山は無視している状態であった。


「上様が高野山そのものを敵視している故、高野聖についても対応が厳しいものになっている。私も父も、長浜では厳しく取り締まってきてたな」


 長浜時代を思い出しながら重秀はそう言った。しかし、高野聖を取り締まってきたからこそ分かる。あの温泉寺で出会ったあの僧は、俗物塗れの高野聖とは一線を画す存在だと。


「・・・あの僧はそんじょそこらの高野聖とは違うと思う。そもそも、あの僧は自らを客僧と言った。高野聖は自らを『聖だぞ!』と言って宿や銭を要求してくるぞ」


 重秀は()()にそう言いながら、一方であの僧が気になっていた。そして、()()もまたあの僧が気になっていた。


「お兄様。あの僧との別れ際、私はあの方のお顔を拝見いたしました。お兄様のことをずっと見つめておりました。何か、お兄様に含むところがあるのではないでしょうか?」


「うん・・・。あの身体つきといい顔つきといい、あれは元武士だろう。ひょっとしたら、戦場でまみえたことがある者やもしれぬな・・・」


 そう言うと重秀は、大声で「誰かある!」と叫んだ。すぐに部屋を仕切る襖が開かれ、寺沢広高が入ってくる。


「若殿、お呼びでございますか?」


「温泉寺に人を遣り、先程石段ですれ違ったあの僧のことを調べさせよ」


 重秀がそう命じると、広高は「承知いたしました」と言って部屋から出ていた。しかし直後に「失礼仕る」と言って再び入ってきた。


「忠次郎(寺沢広高のこと)?どうした?」


 重秀がそう声をかけると、広高は座って平伏しながら重秀に言う。


「今しがた、宿の者がやってきて、『湯女がやって来ました。湯の刻限でございます』との言付けを預かりました」


「ああ。もうそんな時か。では名高い湯山の湯を堪能してくるか」


 そう言うと重秀は立ち上がった。





 当時の湯山温泉では、湯治客や温泉客が泊まる宿坊に風呂はなかった。では客はどこで入っていたのかというと、町に1軒だけあった共同浴場に入ることになっていた。この共同浴場を湯壷と言うが、正確には泉源湯壷と言った。すなわち、源泉が湧き出る場所に浴場を作ったのである。

 さて、この共同浴場には2つの大きな浴槽があり、それぞれ『一の湯』『二の湯』と名付けられていた。と言っても、現代のように『一の湯』が男湯で『二の湯』が女湯というわけではない。当時は男女混浴が当たり前で、それぞれが混浴であった。

 湯壷には湯山温泉中の湯治客や温泉客が集中してやってくる。さぞ混雑するのであろう、と思われるかもしれない。そこで出てくるのが『湯女』と呼ばれる女性達である。彼女達の仕事は湯壷のマネジメントであった。

 まず、温泉客や湯治客は宿坊を通して湯壷へ入浴の予約をする。湯壷ではその予約状況によって客を予め『一の湯』と『二の湯』に振り分け、さらに入浴時間の調整をする。そして時間となれば湯女が宿坊まで行って客に入浴時間だということを報せるのである。

 客は宿坊で入浴セット(湯着と入浴用の下着と手ぬぐいと掛け湯のための柄杓ひしゃく)を借りると、湯女と共に湯壷へと向かうのであった。


 重秀は広高と()()、そして入浴する侍女達と護衛役の侍数名と共に、湯女の案内で湯壷のある建物へと向かった。この時の湯壷は重秀一行によって湯壷ごと貸し切りの状態であった。重秀のような大名や公家といった高貴な身分の者達は、他の湯治客と一緒にならないよう、湯壷ごと貸切にするのが一般的であった。

 神社の本殿のような建物についた重秀達。そこで働く湯女達の案内で、重秀と広高は『一の湯』へ、()()と侍女達は『二の湯』へと向かった。そして護衛の者達は建物の入口を始めとした要所で警備を始めていた。

 重秀と広高は揚場あがりばに入った。そこにも湯女が数人控えており、重秀が着物を脱ぐのを手伝った。重秀が湯に入る専用の褌に着替える一方、広高は肩衣と袴を脱いで小袖姿になると、裾が濡れぬように捲り上げたりたすき掛けをしていた。広高は湯には浸からず、浴槽の外で重秀の背中を流したり護衛したりする役目であった。

 そして着替え終わった重秀と広高は、湯女の案内で湯殿へと入っていった。


 湯殿は板敷きとなっており、天井に近いところに設置されている棚には多くの灯明が火を灯していた。おかげで中は意外にも明るかった。そして、その先に湯壷と呼ばれる約3m四方の浴槽があった。実はこの浴槽、本当は南北2丈(約6m)、東西1丈(約3m)の大浴槽なのだが、東西に横切る板塀によって南北に分断されている。そして南側を『一の湯』、北側を『二の湯』と呼んでいた。つまり、『一の湯』も『二の湯』も元々は1つの浴槽、いや1つの泉源だったのである。

 そして泉源と言われるとおり、この浴槽の下から温泉が自噴していたのである。


 重秀は宿坊から持ってきた柄杓で身体を流した。これは汗を流すというより、お清めの為に穢れを流しているのである。

 身体を湯で流した重秀は、まずはゆっくりと両足を浴槽に入れていった。そして浴槽のふちに一旦座り、しばらく足湯を堪能した。両足で温められた血液が、重秀の身体全体に巡るたびに体温を上げていく。そして重秀の身体から、汗がじんわりとにじみ出てきた。


「忠次郎」


 ある程度汗が流れた重秀が広高を呼ぶと、重秀が両足を浴槽から引き上げて別の場所に移動した。板敷きの床の上に胡座をかくと、広高が重秀の背中を手ぬぐいでこすり始めた。汗と垢を拭い取るのである。重秀も自分の持っていた手ぬぐいで自分の胸板を拭い始めた。


 さて、重秀のいる湯殿には重秀と広高の他に、五尺棒を持った2人の湯女がいた。1人の入浴客につき、2人の湯女がつくのが当時の湯山温泉での習わしであった。

 彼女達の役目は3つ。1つ目は入浴客の背中を流すことである。ちなみにどんなにお金を積んだとしても、湯女は湯殿の中では背中を流す以上のサービスはしてくれなかった。

 湯山温泉は薬師如来の霊験あらたかな場所として神聖視されていた。従って、湯山温泉の風紀はとても厳しいものであった。例えば、湯女や宿坊の下男下女に対し、金銭の有無にも関わらず性的なサービスを要求することは禁止されていた。

 そして当然、男女混浴の湯壷内での性的行為は禁止されており、見つかろうものなら湯女達によって文字通り叩き出されてしまうのである。湯女が五尺棒を持っているのはそういうことであり、彼女達の2つ目の役目であった。

 3つ目の役目は入浴時間を過ぎた客を上がらせることである。入浴の際、客それぞれに制限時間があった。入浴する客で混まないようにするためである。湯女達は客の入浴時間を管理し、制限時間が近づけば客に「そろそろお上がりの時でございます」と言って出浴を促す。大体の人はそれで大人しく湯壷から上がるのであるが、中には制限時間を過ぎても上がらない客がいた。そういう場合は「上がれ上がれっ!」と喚きながら五尺棒で文字通り叩き出すのである。何事も荒々しい戦国時代。風呂の入浴管理もまた荒々しいものであった。


 身体を洗い終わった重秀は、広高によって身体に湯が流された後、浴槽へと向かった。足を静かに赤褐色の湯の中に入れていき、段々と身体を湯の中へと入れていく。少し熱い湯に、重秀は思わず「あぁ〜」と声を上げた。

 浴槽の深さは大体120cm。胸のあたりまで湯に浸かったところで足が底に触れた。その瞬間、足の裏に痛みを感じた。


「・・・浴槽の下は石が敷き詰められているのか」


 湯壷は先程書いたように自噴である。つまり、湯が湧きやすいように、浴槽の床は川底のように石が敷き詰められていた。足つぼマッサージには良いかもしれないが、リラックスするには向いていない床であった。

 とはいえ、足の痛みはすぐに慣れてきた。重秀は浴槽の縁に背中をつけ、空気椅子のような体勢で全身を湯につけた。


「湯加減は如何でございますか?若殿」


 広高がそう声をかけてきた。重秀は「極上だね」と言って返事を返した。


 しばらくすると、板塀の向こう側から何やら女性の声が聞こえてきた。どうやら()()とその侍女達も『二の湯』で温泉を堪能しているようだった。女性達の話し声がある程度聞き取れた。


「さあ、姫様。今宵こそ若殿と目合まぐわえるよう、しっかりと身体を洗っておきましょう!」


「あの小煩こうるさい須磨殿(ゆかりのこと)の乳母達がいない間に、若殿からの寵愛を受けるのです!」


 そんな声が聞こえた瞬間、重秀は思わず顔を湯の中に突っ込んでしまった。顔を湯から上げると、「何言っているんだあいつ等は・・・」と呻いた。

 と同時に、一つの疑問が頭に浮かんだ。男女混浴の湯壷での目合いが禁止されているのは知っている。では宿坊ではどうなのだろうか?

 その疑問を解消するべく、重秀は近くにいた湯女に聞いてみる。


「なぁ、宿坊で夫婦が目合うのは良いのか?」


「駄目です」


 湯女の回答に重秀は思わず「でしょうね」と呟いた。まあ、少し考えれば分かることである。宿坊で性交渉など許されるわけがなかった。


「忠次郎。すまぬが後であの侍女達を叱っておいてくれ」


「分かりました」


 広高の返事を聞いた重秀は、深く溜息をつくのであった。





 温泉から上がり、宿坊へ戻った重秀達。宿坊では惣中の商人達によって酒宴の準備がなされていた。


「・・・酒宴までしてもらうことはなかったのに」


 重秀がそう言うと、惣中のまとめ役である衛門喜三郎が「いえいえ」と首を横に振る。


「さすがに若殿様をもてなさないというのは如何なものかと。何、若殿様は羽柴の大殿様(秀吉のこと)と違い、大騒ぎする酒宴を望んでいないことは予め聞いておりますさかい、今回の酒宴は慎ましくやりまっせ」


 喜三郎の言うとおり、その酒宴は慎ましいものであった。宿坊の料理ということで膳の上にある料理は菜食を中心とした懐石料理であったし、酒は普通の濁り酒であった。しかし、酒宴のメインは酒と料理ではない。湯女達による唄と踊りの見せ物があるのだ。

 湯女達は性的なサービス以外のサービスは意外に積極的にしてくれる。酒宴では酒の酌を始め、宴会芸を見せたり話し相手にもなってくれる。湯女の中には、世間話から高貴な人々向けの教養のある話まで、何でもこなすことができる人もいた。

 重秀達の酒宴でも、湯女達は男性だけでなく女性にも楽しんでもらえるよう、華やかな唄や踊りを見せては、()()やその侍女達を喜ばせていた。重秀を始め、男達も楽しんだのは言うまでもなかった。


 そんなこんなで酒宴は終了。楽しいひと時を過ごした重秀達は、割り当てられた部屋に戻って床につく・・・はずであった。


()()、どうした?そんなふてくされた顔をして」


 重秀が一緒の部屋の()()にそう声をかけた。()()は温泉から上がった直後は機嫌が良さそうな顔をしていたのに、酒宴が終わる頃には真逆の表情となっていた。


「・・・今宵の宴、魚すら出てきませんでした・・・」


 ふくれっ面の()()がそういうと、重秀は当たり前のことのように答える。


「そりゃあ、殺生を禁じる寺の宿坊の食事だからなぁ」


「兵庫から離れて、せっかく肉が食べられると思ったのに・・・」


「湯山で肉食は無理だと思うぞ・・・」


 重秀は()()にそう言う一方で、薬として食される肉食が駄目なのはどうなんだろう?と思った。

 尊敬する師である竹中重治は湯山での湯治だけでなく、魚や肉を食して以降、見るからに体調が良くなっていった。重秀自信も肉を食してからは、あまり風邪をひきにくくなっていた。


「せ、せめて鳥が食べとうございます・・・」


 ()()が懇願するように言うと、重秀は両腕を組んで「う〜む」と考え込んだ。


「・・・湯山では無理かもしれぬが、近隣の村で鳥ぐらいは手に入るやもしれない。どうせ馬で近隣の村々を見て回るのだから、その時に手に入れられるか調べよう」


 重秀がそう言うと、()()の顔がパッと明るくなった。


「真にございまするか!?嬉しゅうございます!」


 そう言いながら重秀の胸にもたれ掛かる()()。重秀も()()を優しく抱きしめながら言う。


「とは言え、鳥を宿坊には持ち込めない故、外で食べることになるが・・・?」


「お兄様について参りまする」


 重秀の胸に頬ずりしながらそう言う()()を可愛く思った重秀。この勢いでヤッてしまおうかと思ったが、ここが宿坊だということを思い出した。

 重秀がそっと()()を剥がすと、()()の目を見ながら語りかける。


「・・・そう言えば、湯壷で声が聞こえたけど、ここは宿坊。()()と目合うのは難しいと思う・・・」


 重秀が申し訳無さそうにそう言うと、()()は「分かっております」と微笑んだ。


「湯壷から上がる際に湯女から『宿坊でも目合いは禁じられております』と注意を受けました。考えてみれば、もっともなことにございます。でも」


 そう言うと()()は再び重秀の胸にもたれ掛かった。


「・・・この様に傍に寄り添うぐらいは、薬師如来様もお許しになっていただけぬのでしょうか・・・?」


「・・・まあ、夫婦同士が寄り添うぐらいは目くじらは立てないと思う」


 重秀がそう答え、()()を優しく抱きしめた。二人はしばらくの間、灯明で薄暗い部屋の中で互いの身体を寄り合わせるのであった。





 湯山温泉での滞在期間中、重秀と()()は一緒に近隣の村々を視察したり、近隣の寺社を参拝したりした。また、観光として有馬川を遡上し、太鼓滝を見学したりもした。

 また、肉については、近隣の村でかすみ網にかかった雀を分けて貰って食べることはできたが、鶏肉や獣肉に慣れている()()や重秀にとって、その肉の量はあまりにも少なすぎるものであった。

 そんなこんなで滞在期間である5日間はあっという間に過ぎ、重秀達は惣中の者達や温泉寺の住職や僧侶達、そして湯壷の湯女達が見送る中、兵庫城へと帰っていった。


 そして、帰っていく重秀達を見守る人々の中から少し離れた所に、背の高い僧が一人重秀達を見つめていた。彼は温泉寺で重秀に声を掛けられた応其おうごであった。


 ―――病になった夢斎定盛殿(佐久間信盛のこと)の湯治を頼むために温泉寺まで使いに来たが、まさかあの木下藤吉郎の倅に会うとは思わなんだ。単なる偶然か、それとも御仏のお導きか―――


 出家前は近江で六角氏の家臣をしていた応其にとって、木下藤吉郎―――羽柴秀吉の名は忘れられないものであった。主家を滅ぼすのに活躍した武将の一人だったからだ。その息子と出会ったことに、応其はなんとも言えないような気分になっていた。

 重秀を遠目で見ていた応其は、重秀達が見えなくなるまで遠くに行った後、踵を返しながら内心で呟く。


 ―――そんなことよりも夢斎定盛殿だ。何とか温泉寺の住職からは許しを得ることができた。さっそく高野山に戻り、夢斎定盛殿を湯山温泉に連れてこなければ。織田と戦うなどと言っている阿呆が高野山に多くいるが、比叡山を焼き討ちした信長に勝てるわけがない。座主様の言う通り、なんとしても和議を図らなければならない。そのためには元織田家重臣の夢斎定盛殿が必要だ。死なれては困る―――


 そう思いながら、応其は高野山への帰路につくのであった。


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― 新着の感想 ―
この時代、有馬温泉に民間の旅館はなくて、宿坊、つまり寺の宿泊施設しかなかったのですね。そりゃ子作りなんてできないか。 今の有馬温泉には「太閤の湯」とか「ねね橋」とかがありますが、この世界では「秀重の湯…
湯山温泉の情景が浮かびましたありがとうございます
すごく面白い。 続きを楽しみにしてます!
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