第19話 長島一向一揆(その4)
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天正二年(1574年)七月十四日。日の出とともに織田信忠率いる軍勢が一向一揆勢の立てこもる市江砦を攻めた。森長可率いる森勢が先陣として砦の門に殺到。あっという間に門を破壊すると、一気に砦になだれ込んだ。続いて池田恒興率いる池田勢と長野信良率いる長野勢が砦に乱入した。
この時、砦の中にいた兵は500人ほど。しかし、奮戦虚しく全て森・池田・長野の連合軍に全員が討ち取られ、一刻(約2時間)もせずに市江砦は陥落した。
「報告!市江砦を落としましてございまする!」
恒興からの使番が本陣で報告をしたが、信忠が詰める本陣からはすでに燃える市江砦から上がる大量の黒煙が見えており、砦が陥落していることには気がついていた。
「よし、すぐに森・池田・長野勢は川を渡って五明城へ向かうように伝えよ」
「ははっ!」
信忠の傍に控えていた斎藤利治の指示を受けた使番が本陣を出ると、入れ違いに大松が入ってきた。頭には兜の代わりに鉢がね(額を守る金具のついたはちまき)をしているが、それ以外は具足を完全に身に着け、弓を持ち、背中に矢筒を背負った状態だ。
大松がやや緊張した面持ちで信忠の前に来ると、片膝をついて腰を下ろし、頭を下げて報告した。
「殿、見知の準備ができました」
「うむ。今参る」
そう言うと信忠と利治は立ち上がった。
見知とは、ぶっちゃけて言えば首実検である。狭義の首実検は主に奉行とか足軽大将、騎馬武者の首級を検分することであり、今回のような足軽や雑兵、一揆の参加者の首級の検分は見知と言う。ちなみに敵の総大将とか貴人の場合は対面と言う。
さらにぶっちゃけると、見知に信忠クラスの総大将が出てくる必要はない。ないのだが、ちゃんと自ら検分して配下の論功行賞を公正に行う姿勢を見せていた。元々根が真面目な信忠である。見知であっても手は抜いてはいなかった。具足も完全に身に着けていたし、配下にもそれを徹底させていた。
そんな信忠の側には、大松が弓を構えて控えていた。これは信忠に恨みを持つ首級が飛び掛かって来た場合に備え、弓矢で迎撃するためである。現代では嘘みたいな話であるが、当時は恨みで首級が空を飛ぶことが当たり前だと思われていた。有名な話では、平将門の首が晒されていた京から関東に飛んでいった、という話であろう。そのため、総大将を守るために弓の上手いものが側で弓を構えているのである。
信忠は作法に従い、横目でチラチラと首級を見ながら歩いていた。真正面から見ると祟られるからだ。首級には杉でできた首札(誰の首で誰が討ち取ったか記されている木札。階級によって素材が変わる)を確認していた。
「ほとんど勝蔵が取った首だな、河内(毛利長秀のこと)」
「はっ、チラホラと勝九郎殿の名もありますが、ほとんどは森様の首が多ございまする」
信忠の問いに馬廻衆のまとめ役である毛利長秀が答える。彼も信忠が首級に襲われないように刀に手をかけており、答えながらも首級から目を離さなかった。
「よし、こんなものだろう。新五(斎藤利治のこと)、首級は全て父上の本陣に送ってくれ」
「全て、でございまするか?」
利治は驚いた顔で信忠に聞いた。
「父上の命を忘れたのか?『一揆勢は女子供問わずに根切り(皆殺し)にせよ』と言っていたではないか。全て送らねば、一揆勢を殲滅したとは言えぬではないか」
「しょ、承知致しました」
利治が頭を下げると、信忠は大松と長秀に声を掛けた。
「本陣に戻る。河内、大松、共に来い」
大松と毛利長秀は「ははっ」と返事をすると、信忠の後をついて行った。
信忠達が本陣に戻った頃、先陣の森勢はすでに渡河を終わらせて次に落とす五明城を攻めていた。城と言っているが、砦よりちょっと大きい感じの城である。ここにも500名ほどの人がいたが、全てが兵ではなかった。なのでこちらも門が破られると、後は森勢や後から渡河してきた池田・長野勢によってまたたく間に城は陥落、城内の一揆勢はことごとく討ち取られた。
夕刻になって信忠自身も五明城に入ると、五明城を本陣とし、野営の準備へと取り掛かった。
五明城内で本日二度目の首見知が終わると、大松は首見知の片付けを見張っていた。討ち取られた首級は次々と見知で使われた台から降ろされた。首級は生前にどの様な人物であったかによって扱いが異なる。兜首(兜をかぶっていた首級、大体敵の指揮官か部隊長クラスの人の首であった)は死化粧をされて首桶に入れられた後、丁重に扱われて信長の元に贈られていくが、それ以外の首級、例えば下級武士はランクの落ちる素材でできた首桶に入れられるし、足軽や雑兵、一揆に参加していた百姓は無造作に箱に複数入れられて信長の元に送り込まれていた。本来なら下々の者の首は打ち捨てられるのだが、根切り(皆殺しのこと)の証として、こういった首も信長の元に届けられていた。
大松はそんな様子を特別な感情もなく見ていた。別に大松が異常な精神をしていたとか、度胸があるとかとう言う問題ではなく、大松にとって生首―――というより人の死体は幼少期より見慣れていたからだ。
この時代、現代より死体は身近なものであった。城門に行けば罪人の生首が晒されていたし、河原に行けば磔にされた罪人の死体が晒してあった。岐阜の城下町でさえ、病や飢え、寒さで行き倒れた人の死体が道端に転がっていることはあったし、城下を出て街道筋を歩いていれば、どこからともなく死臭や腐敗臭が漂ってくることなど普通であった。それほど死体が、いや死というものが身近に感じられる時代であった。
大松が見知の片付けを見つめていた時、後ろから声を掛けられた。
「大松よ」
「これは勝九郎様」
大松は声を掛けてきた池田元助に頭を下げた。
「ああ、見張り中だったか。なら良い」
そう言うと元助はその場から早足で立ち去っていった。
なんだったんだ?あれ、と大松が思っていると、また後ろから声を掛けられた。
「大松よ。大義」
「これは紀伊守様(池田恒興のこと)、ご無礼を・・・」
そう言って大松が片膝をついて頭を下げようとするが、恒興が止める。
「止めよ、今は見張りの最中であろうであろうが。そのようなことをせずとも良い」
「ははっ」
そう言うと大松は立ち上がり、再び片付けの見張りを再開した。
「・・・すまんな、うちの倅があんなんで」
「えっ?」
恒興から急に謝られた大松は思わず声を出してしまった。本来なら無礼なのだが、恒興は気にせずに話を続けた。
「お前のことはあやつも認めている。認めているが、やはり藤吉が武士でないことからあまりお前のことをよく思っていないのよ。頭で理解できても心が理解できていない、というやつよ。御屋形様はそういった身分にとらわれるような方ではない、と言い聞かせていたんだがな・・・」
恒興が溜息をつきながらそう言うが、大松はなんと言っていいのか分からずに困惑していた。
「・・・戯言だ。忘れてくれ」
そう言うと恒興は元助の後を追うように歩き出した。
少し経った後、片付けをしていた人から「終わりました」と報告を聞いた大松は、次の仕事の準備のためにその場から離れた。
大松の次の仕事は、野営地での酒宴でお酌をすることだった。信忠を初め、信忠に従う諸将が集まって軍議を行い、その後にそのまま酒宴になる、という感じだった。
酒宴、といってもついさっきまで敵地だった場所である。酔わない程度に飲んでそのまま切り上げるため、時間としては半刻もせずに終わる宴であった。
「どうじゃ、猿若子。初陣の初日は?」
大松が森長可に酒を注いでいた時に、不意に長可に話しかけられた。
「・・・特にどうということもなく?」
「なんじゃ、つまらんのう」
大松のつまらない回答に不満を漏らす長可。隣りに座っていた元助が話に入ってくる。
「大松のやったことは見知で弓矢を構えてただけだ。お前とは違う」
長可の初陣は第二次長島一向一揆討伐戦であったが、その時にすでに27個の首級を挙げていた。
「弓かぁ・・・。待てよ、見知で弓持ち?おい、猿若子。お前、弓が得意なのか?」
「はい、十の頃より祖父の浅野又右衛門殿(浅野長勝のこと)や叔父の浅野弥兵衛殿(浅野長吉のこと)より弓の手ほどきを受けてましたので、弓には些か自信がございまする」
首実検で弓持ちが居るのは、先程書いたように首級が飛びかかった時に迎撃するためである。つまり、飛んでくる首級を迎撃できるほどの腕前の者が首実検で弓持ちができるのである。大松はそれだけの腕前である、ということである。
無論13歳の子供がそこまでの腕であるわけがない。実際、大松の他に馬廻衆の中でも弓の腕が良い者も見知に参加していた。まあ、大松の場合は「初陣だし、首級が飛びかかるなんてほぼ迷信だし、大松に華を持たせてやろう」という程度のことだったのだろう。
しかし、見知という重要な儀式で弓持ちとして参加できるというのは、一種の誉れであることも確かだ。
「じゃあ、長島城攻めの時は弓兵として参加しろ。どうせ的しか撃ったこと無いのであろう?人間を撃たなければ意味ないぞ?」
「それは・・・、私の一存では決めかねまする」
長可に無茶を言われて大松は困り果ててしまった。そんな大松にさらに長可が言う。
「な~に言ってんだ!初陣ってのはな、抜け駆けしてなんぼよ!首級を取れればどうとでもなるってものよ!」
「なるわけ無いだろ・・・」
長可の無茶苦茶な言い分に頭を押さえる元助。そんな様子を見ていた大松はもっと困ってしまった。そんな時だった。
「大松!そこで油を売ってないで他の方々に酌をせんか!」
利治の大声でハッとなった大松は「失礼いたします」と長可に頭を下げると、その場を立って別の方に向かった。長可と元助が何か言い合っていたが、大松には聞こえていなかった。
「お待たせいたしましたる段、平にご容赦を。ささ、どうぞ」
「うむ、かたじけない」
とりあえず近くで杯を空にしていた武将―――長野三十郎信良(のちの織田信包)に酒を注いだ。信良は一気に酒を飲むと、杯を置いた。
「もうよいぞ、大松。これ以上飲むと夜襲があった時に困るからのう」
「承知致しました、長野様」
大松が移動しようと腰を浮かすと、「待て」と、信良が止めた。
「大松は歳はいくつか?」
「十三にございまする」
「何、十三じゃと?」
信良の片眉が上がる。
「はい。永禄五年生まれでございますれば」
「そうか・・・。いや、引き止めてすまなんだ。もう行って構わないぞ」
少し考え事をしてから、信良は大松に言った。
「ははっ」
そう言うと、大松は別の方へ酌をしに行った。
「兄上、何故あの者の歳を聞いたのですか?」
信良の隣に座っていた弟の織田秀成が、別の小姓から酒を注いでもらいながら信良に聞いた。
「いや、あの顔立ちから歳が分からなくてのう・・・。儂の娘と同い歳かと思ったのじゃ」
「そうですかぁ?確かに女子っぽい顔立ちですが、歳相応だと思いまする」
秀成が首を傾げる。
「まあ、儂の娘は永禄七年生まれ。そう変わらんけどな」
そう言うと、信良はゆっくりと立ち上がった。
「叔父上、お帰りでございまするか?」
信良が立ち上がったことに気がついた信忠が声を掛ける。
「おう、見送りは結構。先に戻って夜襲に備える」
信良はそう言うと、右手を軽く上げながら陣を去っていった。
同じ頃、信長率いる主力は落とした古木江城にて野営を行っていた。野営とは言え、明日には松ノ木砦と願証寺を落とすため、渡河の準備がなされていた。その準備で忙しい中、小一郎は同じ主力部隊に属している前田利家と会っていた。
「前田様、此度の犬千代様の初陣、おめでとうございまする」
「又左でよいと言うておろうに、小一郎殿は相変わらずお固いのう。・・・そうそう、大松も初陣であったな。めでたい限りじゃ」
「向こうで若殿様の邪魔になってなければよいのですが」
「あいつなら問題ないであろう」
そんなたわいない会話をする二人。しかし、小一郎は気がついていた。戦場で物怖じしない利家が、何故か今日に限って落ち着きが無いのだ。
「ところで、このような時に何用ですかな?」
小一郎が利家を刺激しないような声で聞いた。
「あ・・・。うむ、実はな・・・」
利家は小一郎に聞かれて言いよどんだ。どう考えてもおかしい。
「又左殿が戦場でそのようなふるまいとは珍しいですな・・・。戦のことではないのですか?」
ひょっとして、前田勢の兵糧が不足したか?と小一郎は危惧した。譲ることは可能だが、羽柴勢だって余裕があるわけではない。小一郎は身構えたが、利家が口にした言葉は、小一郎の予想とは違っていた。
「儂の娘・・・、幸の嫁入りが決まった」
「えっ?それはめでたいことでございます。どちらの家ですか?」
小一郎は大して驚かず、冷静に反応した。利家の話は続く。
「前田城主、前田対馬守(長定のこと)の長子、前田甚七郎(長種)よ。前田本家たっての願い故、断ることが出来なかった・・・」
うつむきながら話す利家を見て、小一郎はしばし考え込んだ。
「・・・もしや、大松と娶せる話、あれ本気だったのですか?」
小一郎の質問に利家は「ああ」と答えた。そのまま話を続ける。
「まつが言うには『大松には母がおりませぬ。母を知らぬ大松の妻には、年上か妹や弟の面倒を見た経験のある姉のほうがよいかと』と言っていたからな・・・」
「はあ・・・」
お酒の席での戯言だと思っていた小一郎は、利家のあまりの申し訳無さそうな態度にかえって引いてしまった。
「そ、その代わり、蕭なら大松に娶せることができると思う!だから、その旨、藤吉に伝えてほしい」
「それは構いませぬが・・・。蕭ちゃんは妹では?」
「あれももう姉だ。一昨年、まつが女児を産んだのは知っておろうに」
「ああ、摩阿ちゃんでしたっけ。大松から聞いておりまするが・・・。というより、その話、今する必要あります?」
明日の渡河作戦の準備を終わらせたいと思っている小一郎にとって、利家との会話は時間の無駄としか思えなかった。
「何を言うか!前田と羽柴が血縁になるかどうかの重大な話ぞ!・・・と言いたいところだが、確かにこの場で言うべき話ではないな・・・。済まなかった、この話は後日落ち着いたら改めてしたいと思うが、如何か?」
「はい、では後日改めて」
そう言って利家と小一郎の会談は終わった。去っていく利家の背中を見ながら、小一郎は一人考えていた。
―――前田様も律儀だなぁ。あんな酒の席での話、本当にしなくても良いだろうに。兄者だって酒の席での戯言だと分かっているのになぁ。そんな大事にしなくても良いだろうに。
そもそも、大松はまだ十三歳。まだ元服すらしてないのに婚儀はまだ早いだろうに。そんなものは大松が望んだ時にすればいいだろう。今は兄者も儂も今浜に新しく築く城のことや越前の一向一揆の事でいっぱいいっぱいじゃ―――
元々百姓の出である小一郎にとって、武家の婚儀というものにはあまり理解がなかった。家同士の繋がりが、出世や家臣内の力関係に関わることはもちろん、敵味方に別れた場合の処遇にも影響が出るということに、いくら優秀な小一郎でも想像がつかなかった。なので、利家があれだけ大松の婚儀に前のめりになっていることが理解できなかった。
―――義姉さまがいてくれればな―――
ふと、小一郎はねねのことを思い出した。武家の出身で、自分と秀吉の婚儀では大変苦労したと聞く。そういう義姉ならば、きっと大松の婚儀について、良い方向に導いてくださったかも知れない。
小一郎はそう思いながら溜息をついた。