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第1話 大松

評価、ブックマーク登録、いいね!を頂きありがとうございます。

投稿は不定期で遅くなることもございますが、完結目指して頑張ります。

 永禄十一年(1568年)三月、春も真っ只中の美濃国岐阜城。先年まで稲葉山城と言われていたこの城は、今では織田信長の新たな本拠地となっていた。今までの本拠地であった小牧山城にいた家臣やその家族たちも、小牧山城下の町より新たに作り直された岐阜城下の町へと引っ越していった。

 そんな引っ越し最中の家臣団の中に、美濃攻略戦で活躍した木下藤吉郎秀吉とその家族が含まれていた。


「見よ、大松!ここが新しい儂たちの屋敷じゃ!」


「父上、今までより大きいですね!」


「そうじゃろう、そうじゃろう!」


 岐阜城からさほど離れていないところにある真新しい屋敷。こここそ、秀吉の新しい屋敷であった。

 そんな屋敷を見上げる秀吉の隣には、7歳(数え歳)になった息子の大松が、父親の手に繋がれながら立っていた。彼の目の前には、今までの屋敷にはなかった門が立っていた。

 その門の下で、複数の男たちが立っていた。


「兄者、よく来たのう」


 複数の男たちの中で、愛想よく手を振っていた男が秀吉に話しかけてきた。実弟の木下小一郎長秀(このときはまだ秀長ではない)である。


「おお、小一郎。屋敷のこと、お前に任せて済まなかったのう。弥兵衛(浅野弥兵衛長吉、()()の義弟、後の浅野長政)、孫兵衛殿(杉原孫兵衛、()()の実兄、後の木下家定)、弥七郎殿(杉原家次、()()の伯父)も引越の手伝いをして頂き、大変かたじけなく」


「いや、かまわんよ。というか、我らは殿様よりお主の与力になるよう命じられたのじゃ。そんなにやたらと頭を下げるものではない」


 秀吉が頭を深々と下げると、家次が手のひらを横に振りながら秀吉に話し始めた。


「いやいや、皆々様は与力であって家臣ではありませぬ。それに此度はそれがしの私事で煩わせたのですから、これぐらいの礼はあって然るべきかと」


「まあ、我らなら礼は言葉ではなくて、酒で十分でござるけどな」


 家定の言葉に秀吉が反応した。


「おお、ではこの後、久々にパァーッとやりましょうぞ!小一郎、酒の準備を頼んだぞ!」


「そのことなんじゃがな、兄者。先程、前田様から使いが来て、今宵兄者たちを招いて宴をやるってよ。もちろん、皆様方も是非ご参加を、ということじゃ」


「おお、そうか!流石おまつ殿じゃ!・・・しかし、手ぶらというのもな・・・」


「そう言うと思って、さっき酒を買ってきた。兄者にも運ぶのを手伝ってもらうぞ」


「流石は小一郎じゃ!」


「それよりも、皆様に紹介しなけりゃならんのがいるんじゃろ?」


「おお、そうであった!」


 秀吉がそう叫ぶと、手を繋いでいた大松を自分の前に出すと、両手を大松の両肩に載せながら言った。


「これが儂と()()の子、木下家の嫡男、大松じゃ」


「大松にございまする。父上がいつもお世話になっています」


「・・・!?」


 初めて大松を見た家次、家定が思わず息を呑んだ。その一方で、すでに何度も会っていた長吉が、気軽に大松に声をかけてきた。


「おお、大松。また大きくなったのう。もうすぐ義兄貴(あにき)の背を超すんじゃないか?」


「浅野の叔父上も御壮健で何よりでございます」


「お?『御壮健』なんて難しい言葉よく知ってるのう。おまつ様から習ったのか?」


「いいえ、寺で習いました」


「寺?早くないか?」


 この時代、武士の子供の教育機関は寺が一般的であった。大名や重臣などの高級武士は城や屋敷に高名な僧を招いてマンツーマン(まれに乳兄弟と一緒に)の教育を受けていた。具体的な例としては、秀吉の主君たる織田信長が沢彦宗恩なる僧から教育を受けている。

 では高僧を招いて教育を受けられない下層の武士はどうするか?というと、だいたい近所のお寺―――その地域で一番大きなお寺がほとんど―――に行ってそこの坊さんたちから学ぶ、というのが一般的である。

 さて、お寺での教育は何歳から、というのは現在の学校教育と違って決まっていないが、概ね10歳とされている。なので7歳から寺に通って教育を受けている大松は、早い方になる。


「前田の母上(()()のこと)が、『大松も犬千代も、すでに基本の読み書きはできるのですから、もうお寺で学問を身に着けていけるでしょう』とおっしゃられておりました」


「なるほど、あの賢妻が言うなら納得だ」


 長吉の言うとおり、()()は織田家中でも屈指の賢妻である、と噂されている。

 夫が戦に出ているときは妻が家を守らなければならない、というのは当時の常識であるが、ただ家に居ればよいというわけではない。

 屋敷や財産(金銭はもちろん、奉公人の衣食住も含める)、知行地の管理はもちろん、家臣(前田利家にも一応家臣がいる)やその家族の面倒を見なければならないし、自分の子供の教育にも目を配らなければならない。更には正月、節句などの年中行事や冠婚葬祭を執り行うこともしなければならい。

 これらは現在と違い家電製品などないから、当然人の手で行わなければならない。大体の武士は奉公人や近所に住んでいる親戚の手を借りるため、その妻は指図なりお願いするなりで何とかこなしているが、()()の場合は奉公人は殆どおらず、親戚も別の地域にいるため、ほぼ一人でこなしていた。それでいて滞りなく妻の役目を務めているのだから、賢妻と噂されて当然である。

 話は逸れたが、()()はこういった多忙の中でも子供たちへの教育に手を抜くことはなかった。嫡男である犬千代はもちろん、姉の幸や妹の蕭、一緒に育てていた大松に対しても分け隔てなく自ら読み書きを教えていた。そのため、犬千代や大松はすでに寺での教育についていけるだけの学力が身についていたのである。


「しかし、岐阜ではどこの寺に行くつもりなんだ?」


「・・・分かりません。父上は何か聞いておりませんか?」


「儂も分からん・・・。後でおまつ殿に聞いてみるとするか」


 長吉の質問に大松が困惑しながら答えた。大松に聞かれた秀吉も頭をひねっている。そこに家次が口を出してきた。


「崇福寺じゃないか?あそこは近いし、岐阜城下では一番でかい」


 家次の発言に秀吉と大松以外は納得するような声を出した。崇福寺は岐阜城下にある臨済宗妙心寺派の寺で、後に織田家の菩提寺となる寺である。ちなみに、沢彦宗恩は臨済宗妙心寺派の高僧である。


「・・・兄者よ。そろそろ屋敷の中で休んだらどうだ?門の前で立ち話ってのも」


「ああ、そうじゃな。よし!大松!屋敷に入るぞ〜!」


 小一郎の声で気がついた秀吉は、大松の両肩を押しながら進もうとした。しかし、大松は前に進もうとしなかった。


「父上、叔母上をご紹介せずともよろしいのですか?」


「あ」


 振り向いて見上げながら尋ねる大松の言葉に、何かを思い出したかのように秀吉が声を上げた。その直後、


「・・・藤吉兄様から忘れられるなんて・・・不幸だわ・・・」


 秀吉の後ろから、低くて聞き取りづらい女の声が皆の耳に入ってきた。


「うわぁ!なんじゃこの女は!?どこから出てきた!」


「け、気配を全く感じなかったぞ!何者だ!?」


「な、なんという辛気臭い女子(おなご)じゃ・・・。まるで幽霊のようじゃ・・・」


 家次、家定、長吉がひどいことを言っている側で、小一郎が秀吉の後ろに佇んでいる女性に声をかけた。


「おお、()()ではないか。こっちに来る気になったか」


「小竹兄様・・・、お久しぶりですね・・・不幸だわ・・・」


「なんで儂に会って不幸なんだよ」


「ふふふ・・・」


 およそ会話になっていない兄妹の会話を聞きながら、家次が秀吉に小声で質問した。


「おい、藤吉郎殿。あの女子(おなご)は一体・・・?」


「儂と小一郎の妹、()()にございまするよ。屋敷が広うなりますゆえ、女手が必要かと思い、岐阜へ来るよう誘ったのでござる」


「妹・・・?妹なんて居たのか?」


「ああ、そういえば、百姓に嫁いだと言ってましたっけ?」


 家次が首を傾げている横で、長吉が何かを思い出したかのように手のひらを軽く叩いて声を上げた。


「・・・先頃、夫と死別したゆえ、実家に戻っておりましたが、死別して以降、あんな感じで・・・。実家でも扱いに難儀していたゆえ、儂が岐阜に連れて来た、というわけですじゃ」


 秀吉の説明で、家次、家定、長吉は納得したような声を上げた。


 



 秀吉たちが屋敷に入ると、すでに小一郎達によって屋敷の中は家具などで整えられていた。とはいえ、家具の殆どは尾張から持ち込んだものであり、屋敷の大きさの割に家具は少なめであった。


「なんだなんだ。家具をもっと揃えろと言ったではないか」


「まだ岐阜の町は立て直している最中じゃ。店もそんなにできておらん。それに、これからは入用じゃ。無駄に銭は使えん」


 秀吉と小一郎がそんな話をしている横で、大松は屋敷の広さに圧倒されていた。

 大松の覚えている屋敷とは、前田利家一家が住んでいた小さな屋敷であった。玄関、次の間、居間、座敷、台所、土間が一つづつある一般的な下級武士が住む屋敷である。5歳の頃に実の父親が前田利家ではなく、家にちょくちょく遊びに来ていた子供好きな猿顔のおじちゃん―――木下藤吉郎であったことを母親と思っていた()()に教えられ、その弟で実の叔父である小一郎に連れられた小牧山城下の木下家の屋敷もまた、似たようなものであった。

 しかし、今いる屋敷は居間までの屋敷よりも部屋数も多く、部屋そのものも広い。庭には小さいながらも池もあるし、今まで見たこともなかった湯殿もあった。大松は、別世界にいるような気分であった。


「父上、父上は本当に大松の父上なのですか?」


「どうした、急に変なことを聞いて」


「大松がこのような屋敷に住めるとは思えないのです」


 大松の発言に一瞬キョトンとする秀吉。しかし、その後大笑いすると大松を抱き上げた。


「大松よ、ここは確かに父の屋敷で、お前の住む場所だ。この場所を作るために、父は汗水流して働いたのよ。それを殿様がお褒めくださり、この屋敷を下さったのよ」


「大松。兄者は、お前の父は、此度の美濃攻略でお殿様のため、そしてお前のためにたくさん働いたのじゃ」


 秀吉、そして小一郎の話に大松は真剣に耳を傾けた。


「兄者はなあ、お前が大きくなっても苦労しないよう、汗水たらして働いておる。それをお殿様はちゃあんと見てくださっておる。兄者が働けば働くほど、屋敷はでかくなるんじゃ。」


「殿様はなぁ、しっかりと働いた者には惜しみなく褒美をくれる御方じゃ。しかし、少しでも働かなくなれば、有無を言わさず褒美を取り上げる御方じゃ。この屋敷も、儂が働かなくなったらすぐに取り上げじゃ」


「そうならんよう、兄者は働いておる。しかし、大松が我侭を言ったり親の言うことを聞かなければ、兄者は安心して働けん。そうなれば、この広い屋敷は取り上げじゃ」


 この屋敷に住めなくなることを理解した大松は、少し顔に影が差した。秀吉はそれを見逃さなかった。笑いながら話を続ける。


「そんな顔をするな、大松よ。お前は儂に我侭も言わず、言うこともちゃんと聞く。これからもそうしていけば、父は安心してご奉公できるというものじゃ。ま、今までと変わらんようにすればええ」


「・・・はい!父上!」


 大松の明るい返事に、秀吉は笑うと大松を下ろした。


「父上!大松にできることがあればなんなりとお申し付けください!」


「おお、良き心がけぞ!それでこそ我が息子よ!よし、少し休んだら、うちの隣りにある前田の屋敷に行き、おまつ殿に『今宵の宴の件、確かに承った。申の刻(午後4時ぐらい)にお伺いする』と伝えて参れ」


「承知いたしました!」


「それとな、使いが終わってもこっちに戻らなくて良いぞ。久々に犬千代たちと遊んで参れ。どうせ今夜の飯は前田家じゃ」


「はい!では行ってまいります!」


 そう言うと大松は玄関に向かって走り出していった。


「あ、おい!休んでいけと・・・」


「はっはっはっ、すぐに突っ走るところは兄者そっくりじゃ」


 止めようとした秀吉に小一郎が笑いながら話しかける。そんな二人に、他の大人たちも近づいてきた。


「いやぁ、立派に育ちましたなぁ、藤吉郎殿。母御のいない子ゆえ、心配はしておったのですが・・・」


「しかし、今日はじめて会ったが、本当にねねの小さい時にそっくりじゃ。まるで生き返ったのかと目を疑いましたぞ」


「杉原のご両人の言うとおりじゃ。某も最初会ったときは驚きましたぞ」


「藤吉兄様に似ていない・・・不幸だわ・・・」


 家次、家定、長吉、()()がそれぞれ話し始めた。


「ああ、これもおまつ殿の育て方が良かったおかげじゃろう。それと、()()はいい加減その『不幸だわ』を付けて話すのをやめろ」


 秀吉が苦笑しながら言うと、小一郎が会話に参加してきた。


「んで、兄者。当分は大松と一緒に居られるんじゃろ?」


「ああ、墨俣の砦の様子は見に行くが、当分はこの屋敷暮らしよ。やっと大松に父親らしいことができそうじゃ」


「当分、殿様も美濃を固めることに重きをなすことじゃろうし、兄者も他国へ渡ることもないっちゅうわけじゃ」


「ただなぁ・・・ちと困ったことがあるんじゃが」


「なんじゃ、兄者」


 それまで明るく振る舞っていた秀吉の顔に陰りが見えた。そんな様子を見た小一郎は、いや小一郎だけではなく、他の面々も緊張した面持ちになった。


「・・・竹中殿が、未だに岐阜城下に来ておらんのよ」


 秀吉はそう言うと、そっと溜息をついた。

注釈

 この小説では基本、人物名はセリフ内では通称を、それ以外ではいみなを使っている。しかし、豊臣秀長の場合は、秀長となる前は長い間、長秀と名乗っていた。織田信長の重臣丹羽長秀と区別するため、この小説では秀長改名前は”小一郎”で統一する。

 他にも、同名の人物がいた場合、諱が不明な場合などは通称で人物を指すことがある。

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[一言] 面白かった。更新待ってます
[良い点] 設定が秀逸。 [気になる点] 秀吉と言えば信長に怒られるほどの女好き。寧々さんが死んだ事と実子の存在でどうなるのか・・・。 [一言] 秀吉は晩年の成金ぶりと残虐性が酷くて好きではないけど、…
[良い点] 面白い [一言] 毎日更新頼む!!!!!!
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