第190話 出産(前編)
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天正八年(1580年)四月の中旬に差し掛かろうとしていたある日。前日の夜に雨が降っていたものの、朝日が登る頃には止んでいた。ただ、空には雲が広がり、また雨が降りそうな天気であった。
卯の刻三つ(午前6時前)、重秀がいつもの通り縁の部屋に来ると、縁は医師の診断を受けていた。
「・・・医師の診断はいつも朝餉の後ではなかったか?」
重秀が縁の前に座ると、縁の傍にいた夏が「恐れながら」と言いながら平伏した。
「御姫様は今朝起きられましたるところ、股に出血が見られました。恐らくお印と思われまする」
『お印』とは、出産前に現れる前兆の一種である。子宮頸管が広がる際、子宮壁から卵膜が剥がれ、少し出血することがある。ただし、すべての妊婦に現れるわけではない。
「で、では、そろそろか?きょ、今日あたりか?」
あからさまに動揺する重秀に、夏が「ご案じめされますな」と落ち着かせた。
「お印が現れたからと言って、すぐに産まれるものではございませぬ。数日から十数日はかかりまする」
「ああ、そうなんだ」
あからさまにホッとする重秀に対し、夏は話を続ける。
「しかしながら、血が出た以上は穢れを避けなければなりませぬ。今後、出産が終わるまでは若殿様は御姫様と会ってはなりませぬ」
夏のきつい言い方に重秀は「ええ・・・」と露骨に嫌そうな顔をした。その様子が可笑しかったのか、縁がコロコロと笑い出した。
「まあ、御前様ったら。まるで子供のようでございまするぞ。もうすぐ父となられる御方が、そのようなことでは産まれてくる子に顔向けはできませぬよ」
そう言われた重秀は「むっ・・・」と言って顔の表情を引き締めた。そして、縁から顔をそらすかのように医師に顔を向ける。
「で?縁の容態は?」
「脈を見る限り、出産の兆しが現れております。それ以外に気になる脈の乱れ等はございませぬ」
医師がそう言うと重秀は「分かった」と言って頷いた。そして縁の方へ再び顔を向ける。
「・・・まあ、言われた以上、お産が終わるまでは会うのを控えよう。『表』で無事に産まれることを皆と祈っているからな」
重秀の言葉に、縁は「はい」と微笑みながら答えるのであった。
本丸御殿の『奥』から『表』に移動した重秀は、近寄ってきた小姓頭の寺沢広高に縁の状態を伝える。
「縁がいよいよ出産と相成った。そのための評定を開く故、皆を広間に集めよ」
重秀の命を受けた広高が「御意」と言って離れた。そして重秀は朝餉を摂るべく、囲炉裏の間へと向かった。
囲炉裏の間で朝餉を摂りつつ縁の状態を話した重秀。それを聞いた福島正則を初めとした家臣達は色めき立った。
「おお、いよいよか!これで兄貴も親父だな!」
正則が嬉しそうに言っている傍らで、大谷吉隆が心配顔でブツブツと呟く。
「まずは寺と神社、南蛮寺に使者を派遣して祈祷をお願いしないと・・・。それと、祈祷師と巫女、それに坊主を用意しないと・・・。あと産婆さんも・・・」
「紀之介ェ・・・。それはもう伊右衛門殿(山内一豊のこと)があらかた準備してるっすよ。特に産婆はもう『奥』で待機してるっす」
吉継の独り言に加藤茂勝が呆れ顔で話しかけた。重秀も吉隆に話しかける。
「紀之介。すでに事前の準備は終わっている。後は天命を待つのみだ」
重秀の言葉に、吉隆は「はっ・・・」と言って頭を下げた。そんな吉隆を横目に、正則が重秀に尋ねる。
「俺や虎も準備をしたほうが良いかな?」
「そうだな。弓の準備を頼む」
「承知した。しかし、鳴弦は俺と虎、孫六(加藤茂勝のこと)で良いんだよな?伊右衛門殿や弥兵衛殿(浅野長吉のこと)でなくてもいいんだよな?それと紀之介は外しているがいいのか?」
「それは前に話し合っただろう。そもそも伊右衛門は総奉行で他の仕事があるし、弥兵衛の叔父上には蟇目を頼んでいるんだ。俺も鳴弦には義兄弟たる市と虎にやってもらいたいんだ。それに、紀之介は右筆として参加するから別に外しているわけではない」
鳴弦とは、弓に矢をつがえないで弓弦を引き鳴らすことを言う。この音が邪気を払うとされており、出産の時に鳴らされるのが習わしであった。
本来ならば重臣や弓の名手が行う。なので、一豊か長吉が行うのが普通である。しかし、重秀は義兄弟である正則と加藤清正に任せたのであった。
ちなみに蟇目とは、蟇目と呼ばれる鏑矢の一種を放つ役目の者のことである。放った時に高い音を出す蟇目は、これも邪気を払う音と考えられていたため、出産の際にはよく空に放たれていた。
ただし、鳴弦と違い本当に矢を放つので、広い場所で行うこととなっていた。重秀は浅野長吉に蟇目を行う特別の弓隊の編成を命じると、長吉は臨時の蟇目弓隊を編成し、兵庫城の本丸御殿と御座所(信長の宿泊施設)の間の広場で蟇目を行うこととなっていた。
「まあ、今更伊右衛門殿や弥兵衛殿に譲る気は俺もないけどな。よし、今から虎の屋敷に行ってこの事伝えてくる」
そう言うと正則は飯をかき込むと、飛び出すようにして囲炉裏の間から飛び出していった。
「あーあ、行っちまったよ。すでに忠次郎(寺沢広高のこと)に伝えるように命じたのに」
重秀の言うとおり、すでに広高によって清正等、城外に住む家臣達には使者が派遣されていた。
その後、重秀は吉隆や茂勝と共に朝餉を摂った。その後、書院に向かおうと立ち上がった時だった。囲炉裏の間に広高がやってきた。
「申し上げます。若殿。山内様とその御方様がお見えになっております。すでに、書院でお待ちです」
「伊右衛門と千代さんが?分かった。今行く」
広高からの報告を受けた重秀が、書院へと向かうべく立ち上がった。
秀重が本丸御殿『表』の書院に入ると、そこには山内一豊と妻の千代がいた。重秀が入ると同時に二人は平伏し、重秀はそのまま上座に向かうと二人の前に座った。
「千代さん久しぶり。最近会っていなかったけど、元気そうで何よりだ」
「ご無沙汰しておりまする。お城へ上がれぬこと、平にご容赦を」
「いやいや。伊右衛門と仲睦まじく暮らしていると聞いた。播磨侵攻以来ずっと離れて暮らしていたのだから、当分は夫婦水入らずで暮らすと良い」
重秀の言葉に、千代は「もったいなきお言葉」と言って平伏した。しかし、すぐに頭を上げると、重秀に祝いの言葉を言う。
「それにしても若君。此度は真におめでとうございまする。あの大松様が、とうとうお父上になられるのでございますね」
「まだ実感はありませぬが・・・」
「男子というものはそう言うものにございまする。我が子を抱いて初めて実感するもの、と聞いておりまする」
そう言って微笑む千代。そんな千代に重秀が尋ねる。
「・・・ところで、千代さんは何用でここに?」
「実はお願いがあって参りました。夫からの話では、若君は御方様の出産が終わるまでは『表』にて生活されるとか。いくら小姓がいるとは言え、若君の日頃の生活に支障があるのではないかと思い、この千代が若君の身の回りを世話しようかと存じますが、如何でしょうか?」
「あー、いや、千代さんが来るまでもないと思うんだけど・・・」
千代の提案に対し、重秀は断ろうとした。しかし、千代は言う。
「恐れながら、若君の小姓は松寿殿、大蔵殿、そして小姓頭の忠次郎殿のみ。その三人に『表』のお務めだけではなく、『奥』のお務めまでさせては、かえって酷でございましょう。それに、『表』の下男達は若君の身の回りの世話をあまりしたことのない者ばかり。これでは若君もやり辛うございましょう。ここは、この千代が若君の身の回りの世話も致しましょう」
「しかし、千代さん。本丸御殿に千代さんが詰めるとなると、伊右衛門がどう思うか・・・」
「我が夫伊右衛門は総奉行故、御方様の出産が終わるまでは本丸詰めにございます。同じ屋根の下にいるのですから、伊右衛門はむしろ安堵致すでしょう」
城主や大名に子供が産まれると分かる頃までには、出産の全てを取り仕切る総奉行が置かれる。総奉行は医師や祈祷師、産婆の手配から出産の際に行われる儀式の総まとめ役である。
「・・・そう聞くと、千代さんが伊右衛門から離れたくなくて本丸に来たいと聞こえるが?」
重秀がいたずらっぽい笑顔を向けながら言うと、千代は笑いながら言う。
「御殿の『表』が狭いからといって、私と伊右衛門殿がいつも一緒に居れるわけないではないのです。伊右衛門殿のお務めと私のお務めは別儀でございますし、寝所も別になるのですから。若君は『奥』でいつも御方様と顔を合わせているわけではございますまい?」
千代の至極もっともな言い分に、重秀は「千代さんには敵わないな」と苦笑した。続けて重秀は言う。
「正直言うと、千代さんが傍に居てくれるのは心強い。奥向きの事については千代さんは頼れるからな」
「私だけでなく、伊右衛門も頼ってくださっても良いのですよ?三千石も頂いているのですから、どんどんお使いください」
重秀にそう言ってちゃっかりと夫をアピールする千代。それに対して重秀は頷く。
「分かっている。伊右衛門には父が付けた与力以外では最大の知行を与えている。それだけ頼りにしているということだ。今後も頼むぞ、伊右衛門」
重秀が一豊に顔を向けてそう言うと、一豊と千代は平伏したのだった。
縁にお印が来てから4日後。今度は陣痛が始まった。その事を伝えられた重秀は、傍にいた黒田松寿丸に「そろそろ祈祷師を入れるように」と命じた。
祈祷師とは妊婦が出産してる最中、部屋の側の庭で火を焚きながら祈祷する者達である。大体は僧侶か神主なのだが、今回は男子禁制の『奥』なので巫女が中心に祈祷をする。平安時代には盛んに巫女が神楽を行うことで出産の無事を祈っていたが、この時代には巫女ではなく僧侶による読経が主流となっていた。羽柴家ではぶっちゃけどっちでも良かったのだが、今回は巫女による祈祷となった。
とは言え、僧侶や神主がいらない、というわけではない。ましてや血筋少ない羽柴家。嫡男重秀の子となれば、安産祈願に余念がない訳がない。秀吉によってすでに多額の謝礼の前払いが兵庫津の寺という寺、神社という神社に注ぎ込まれていた。そして城からの使者で縁の陣痛が伝えられたそれぞれの寺と神社で、一斉にご祈祷が始まったのだった。
さて、重秀はと言うと、彼もまた通常の業務を止めて縁の安産祈願を行うこととなった。まずは行水を行い、身体を清めた。
その後、白装束に着替え、本丸御殿『表』の書院に入ると、そこで正則と清正、茂勝そして一豊と千代と共に神主からお祓いを受け、僧侶から読経を授けられた。
現在から見れば奇妙な光景であるが、神仏習合が当たり前な時代である。神仏の加護を受けるべく、こういったごちゃ混ぜな神事仏事は当たり前であった。
お祓いを受け、仏の加護を受けた重秀と正則、清正、茂勝は、他の重臣の見送りを受けて神主と僧侶と共に本丸御殿の『奥』へと入っていった。
本丸御殿の『奥』は、巫女達によって白い砂が撒かれており、邪気が払われた神聖な場所となっていた。重秀達は静かに進むと、ある部屋へと入っていった。
重秀の入っていった部屋は『産屋』となっている部屋の隣の部屋であった。襖で隔てられた先が縁のいる産屋であった。
本来、産屋は御殿とは別の場所に建てられる独立した屋敷である。しかし、土地の狭い兵庫城に新たな産屋を建てるスペースがないため、『奥』の一室が充てがわれていた。
さて、重秀が産屋の隣の部屋に入ると同時に、正則と清正、茂勝が産屋となっている部屋の縁側に移動した。手には弓を持っており、その弓を持ちながら縁側に立つと、まずは正則から鳴弦を行った。鳴弦は清正と茂勝と交代で行われ、子が産まれるまで続けられる。
一方、重秀は部屋で僧侶や神主と共に祈祷を行っていた。神仏習合の慣習から、祈祷は神前読経で行われた。御幣と神鏡と神饌を乗せた三方が置かれた祭壇の前で重秀が読経を行う。読経するのは重秀だけではない。とらや照、重秀についてきた一豊や千代が一緒になって読経を行っていた。
この時、産屋の周りは混沌としていた。産屋の隣では重秀達が読経を行い、産屋の縁側では正則と清正、茂勝が鳴弦を行い、更に産屋前の庭では巫女が複数人で鈴を鳴らして神楽を舞っていた。これを縁が出産するまで続けるのである。
さらに、本丸御殿の『表』では重臣達が詰めて読経し、二の丸では足軽や中間、下男達も無事の出産を祈っていた。重秀自身は足軽などの下級武士や中間、下男達に祈るように命じてはいないが、やはり重臣達が祈っているのに自分たちだけ、という訳にはいかなかった。特に、岐阜や長浜から付き従ってきた者達や、菅浦、大浦、塩津の水夫から足軽になった者達は「おらが殿様に子ができた」ということもあり、必死に祈っていた。
兵庫城内で皆が縁の無事な出産を祈っていた頃、兵庫津の寺や神社でも祈祷は続いていた。寺や神社だけではない。南蛮寺(カトリック教会のこと)でもミサが始まり、宗教の垣根を超えて安産祈願がなされていた。
一方、町の方は普段通りの営みがなされていたが、やはり人々の口々に登るのは兵庫城の話題であった。もっとも、話の内容は「殿様のお子さんは若君か姫君か」と言ったぐらいの話でしかなかったが。
重秀が母屋の隣の部屋に入ってから五刻ぐらい経った。重秀達の読経の声、正則や清正の鳴弦の音、巫女が奏でる鈴の音に負けないくらいの大声が産屋から聞こえてきた。陣痛の痛みで悲鳴を上げる縁の声だ。縁はこの時手ぬぐいを口に咥えていた。激痛で叫んだ際に舌を噛み切らないようにするためである。なので悲鳴と言っても「うーっ!」とか「むーっ!」とかぐぐもった声しか聞こえないのだが、かえってそれが出産の大変さを物語っていた。そんな今まで聞いたことのない、叫びになっていない叫びに、とらや照はもちろん、戦場の怒声罵声を聞き慣れている重秀や一豊、冷静沈着な千代ですら不安になるほどであった。
そんな状態が二刻続いた後、それは唐突に聞こえた。縁のぐぐもった声とはあからさまに異なる声が聞こえた。高い声の泣き声は、襖を簡単に通り越して重秀達の耳にも達した。皆が一斉に読経を止めてしまったが、僧侶は動じずに読経を続けていた。
新たな生命の誕生を告げる泣き声が響く中、重秀は緊張の只中にいた。室町時代、足利将軍家の政所の執事を務めてきた伊勢家に伝わる日記によれば、産まれたばかりの子供のへその緒を切るのは夫の務めであったようである。ただし、日記に描かれている場面は嫡男ばかりなので、嫡男のみの儀式だったのではないかと推測されている。
重秀も嫡男誕生の際には自らへその緒を切る予定であった。この場合、一豊と一緒に産屋に行き、一豊が差し出してきた竹刀でへその緒を切ることになっていた。
しかしながら、産屋から重秀が呼ばれることはなかった。皆が固唾をのんでいる中、重秀達のいる部屋の障子が開き、外から七が入ってきた。
七は重秀達の前に座ると、平伏しながら恭しく報告する。
「恐れながら申し上げまする。姫君の誕生にございまする」
その声に周囲からは喜びの声が上がった。重秀が七に尋ねる。
「そ、それで、縁の容態は!?」
「特に生命の危険はございませぬ」
その言葉に重秀は思わず溜息をついた。自分が産まれた時に母親であるねねを失っているのだ。縁の容態を重秀は殊更気にしていた。
「そ、そうか・・・。では、縁に会ってくるか・・・」
そう言って立ち上がる重秀に、七は「駄目です」と押し留めた。
「御方様は産後の穢れの払いのため、七日間はお籠りでございます」
出産を終えた母親と手伝った乳母や侍女、医師は穢れを祓うため、7日間隔離される。本当は母親は30日間隔離されるのだが、7日後には産屋から出て良いことになっていた。残りの日数は神社や寺、炊事場など穢れを嫌う場所に行くことが禁止されるだけで、それ以外には行って良いことになっていた。まあ、縁クラスの高貴な女性はそうそう出歩かないので本丸御殿の『奥』でゆっくりと産後の休養を取ることになる。なので、重秀が縁に会えるのは7日後となる。
ついでに赤ん坊も7日間隔離される。もっとも、赤ん坊の場合は7日間はこの世とあの世の間にいると考えられていたため、穢れを祓うというよりは死産になるかならないかを見極める期間だったと考えられている。
こうして、重秀に初めての子供ができた。その報せは瞬く間に城内、そして城外にも伝わり、皆が歓喜の声を上げた。
姫君だったので羽柴家の世継ぎができた、というわけではないのだが、それでも重秀と縁に子を成す能力があることは証明できた。この事を知った兵庫城の人々は嬉しさと共に安堵の表情を浮かべるのであった。