第187話 城主重秀の一日(その3)
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本丸御殿の表書院は多くの人間が集まっていた。重秀はもちろん、山内一豊、石田正澄、浅野長吉、寺沢広政、そして兵庫津の商人の代表として、浜方の惣会(兵庫津の自治組織のこと)のまとめ役である素直屋与兵衛と、岡方の惣会のまとめ役である河田屋嘉兵衛が表書院に集まっていた。また、重秀の秘書兼右筆として、寺沢広高と補佐の木下大蔵が参加していた。
「さて、惣会のまとめ役である素直屋と河田屋に来てもらったのは他でもない。兵庫津の商人に、新たな禁制を出そうと思っている」
重秀の言葉に、一豊が「禁制?」と聞いた。重秀が頷く。
「うん。兵庫津をより発展させ、より商いが盛んな湊にしたい。そこで、兵庫津に新たな禁制を作りたいと思っている。しかし、皆も知っているように、兵庫津では昔から商人や職人が参加している惣会で禁制を作っている。そして、浜方と岡方のまとめ役が話し合って共通の禁制を作っている。惣会そのものに手を付ける気はないが、今後は兵庫を治める私に従って貰う」
重秀の言葉に、与兵衛と嘉兵衛は緊張した表情を浮かべた。重秀が更に述べる。
「今までは私が要請するたびに惣会が多額の銭を納めてくれた。しかし、それではいつ再び多額の銭を納めなければならないか不安だろうと思う。そこで、今後は随時銭を要請するのではなく、年に一度か二度、運上とか冥加という形で定期的な銭の上納にしようと考えている」
「・・・今まで運上や冥加は科せられておりまへんでしたが・・・。しかし、急に銭を巻き上げられるのはかないまへんさかい、それはお受けいたしまひょ」
重秀の話を聞いた嘉兵衛が諦めたように言った。与兵衛もあまり良い顔はしていなかったが頷いた。重秀が話を続ける。
「無論、惣会ばかりに損をさせる気はない。今年はすでに福祥寺や綱敷天満などの須磨の寺社の改築等に二千貫を上納してもらった。よって、運上と冥加を科すのは来年以降とする」
重秀の言葉に、与兵衛と嘉兵衛は安堵の表情を顔に浮かべながら「有難き幸せ」と言って平伏した。重秀が更に話す。
「また、関所の廃止も行う。これは上様が美濃の岐阜城に移って以降、押し進めた政。これを兵庫津のみならず、摂津二郡で行う。と言っても、関所という関所はとっくに父上によって廃止されているけどな」
重秀の言葉に、与兵衛はピンときたような顔になった。与兵衛が重秀に聞く。
「・・・若殿様の狙いは、興福寺と東大寺が持つ湊の関所の廃止でございまっか?」
「そうだ。今までは見逃してきたが、もはや存続させる気はない。あれは廃止する」
中世日本では、朝廷や幕府、荘園領主、寺社などが独自の関所を作り、そこを通る際には関銭と呼ばれる通行税を取っていた。その結果、商人は道を通るたびに通行量を払い、その分商品への負担転嫁を行っていた。おかげで、物資が安く手に入らないという弊害が起きていた。
織田信長はこの状況を良しとはせず、勢力範囲を広げては関所の廃止を徹底させていた。重秀もこれに習おうとしたのである。
重秀の話を聞いた与兵衛が渋い顔で言う。
「せやけど・・・。あの関銭で湊の修復を行っとりますけど・・」
興福寺と東大寺の関銭は、湊の維持費として使われ、余った銭をそれぞれの寺に納める仕組みであった。
「それは今後は羽柴で行う。羽柴が水軍を拡充するに当たり、兵庫津の拡張を行わなければならないし、新たな法度の公布でさらに兵庫津には船がやって来る。そのため、湊を・・・」
そこまで言った重秀の口が止まった。その後、重秀が全く動かなくなったので、一豊が思わず「若殿」と声をかけた。重秀の口が再び動き出す。
「・・・羽柴で修理、拡充すると思ったのだが、止めた。湊の維持、修理、そして拡充は全て浜方の惣会でやってもらう。その費用は運上、冥加の一部の割戻を認めるから、それで蓄財して行うように」
「よろしいんですか?」
重秀の提案に皆が驚く中、同じように驚いた与兵衛が思わず重秀に尋ねた。重秀が言う。
「構わない。湊は波や風で痛みやすいのは長浜や菅浦などで見知っている。琵琶湖の波風ですらそうなのに、海の波風では更に痛むだろう。それに、今後は船の出入りが激しくなるのに、湊が壊れたままでは外聞が悪い。早急に直すか否かの判断は、湊をよく使うその方達がやった方が迅速に対応できるしな」
重秀の言葉を聞いた与兵衛が、驚いたような、それでいて感心したような顔つきになった。そして重秀に平伏する。
「・・・若殿様のご配慮。有難き幸せ。お預かりした銭は湊のために使いまひょ」
「あ、運上金と冥加金は一旦羽柴に上納してもらうから。割戻はこちらで帳簿をつけ終わってからするから」
重秀の言葉に、与兵衛は心の中で舌打ちした。惣会の蓄財を羽柴が把握することになるからだ。これでは不正な蓄財ができなくなる。
―――花隈城攻めの時もそうやったけど、若いのに目ざといな―――
とは言え、新たな支配者になった重秀に逆らう気はない。重秀が来て以降、南蛮人の商人や塩飽の舟手衆が立ち寄ってきてくれるのだ。応仁の乱以降、堺に貿易港の地位を奪われて以来、衰退した兵庫津に活気が戻りつつあるのだ。ここはこの若い殿様に従うべきであろう。
そう考えた与兵衛は、ただ「承りました」と言って平伏したのだった。
「あの、若殿様。わて等岡方の惣会にも割戻はあれへんのでっしゃろか?浜方の惣会さんのとこだけ割戻があるんはどうなんかと思いますけど・・・」
嘉兵衛の質問に、重秀は「・・・そうだな」と呟いた。嘉兵衛が固唾を呑んで見つめる中、考え込んできた重秀の口が開く。
「岡方に関しては西国街道の道と橋を広げるのをお願いする。その費用のため、運上と冥加を割戻すことを認めよう」
「承知致しました」
「その代わり、岡方にはこれから言う禁制を呑んで頂く」
「・・・伺いまひょ」
嘉兵衛が緊張した面持ちで返事をすると、重秀は傍にいた吉隆に「あれを」と声をかけた。吉隆が懐から紙を取り出すと、それを重秀に手渡した。
重秀はその紙を広げると、自分の前の床の上に置いた。嘉兵衛だけでなく、その場に居た者全てが紙に書かれた文字を見つめた。
「これは、安土城下に出された制札(禁制や法度を公示した木の札のこと。高札とも言う)の中身を書き写したものだ」
皆が見つめている紙の上には、確かに箇条書された内容の文章が書かれていた。それが、制札の内容であるということは皆が理解していた。
重秀が、その箇条書された一文を指さしながら口を開く。
「ここには『往来する商人は、上街道を通ってはならず、都へ上り下りする際は必ず当街に寄宿するようにせよ』と書いてある。これを兵庫津にも適用したい」
「おお、そらようございますなぁ。岡方の店は、そのほとんどが旅籠でおます。旅人が必ず兵庫で宿泊するんやったら、我等も儲かるちゅうものにございます」
そう言って喜ぶ嘉兵衛に、与兵衛が「河田屋はん」と声をかける。
「若殿様を疑うわけやおまへんが、なんか裏があるんやございませへんか?河田屋さんも、それを尋ねはった方がよろしいかと」
与兵衛の物言いに、一豊達が色めき立った。重秀に対する無礼を感じたからだ。しかし、重秀が先に声を上げる。
「あははっ、見抜かれては致し方ない。実は、岡方の惣会に頼みがある」
明るい声でそう言う重秀に、一豊達はもちろん、与兵衛や嘉兵衛も毒気が抜かれてしまった。重秀が話を続ける。
「上様が定めた安土城下への制札に、この一文があるのには訳がある。実は、この一文は往来の商人に安土城下にて商いをさせるためのものなのだ。商人を留めさせ、商いをさせることで市の活気を良くするのが目的だな」
「・・・なるほど。せやったらわて等に反対する理由はおまへん。市が賑わうんは願うてもあれへんことですさかいに」
嘉兵衛がそう言うと、重秀は急に口を閉じて顔を顰めた。その急変に嘉兵衛だけではなく、与兵衛も思わず身構えた。そんな中、重秀が口を開く。
「・・・往来の商人に商いをさせる場合、その商人達から上納金を惣会が取ることは禁止する」
「はあぁっ!?」
重秀の言葉に思わず嘉兵衛が声を上げた。隣りに座っていた与兵衛も目を丸くしていた。嘉兵衛が重秀に慌てて言う。
「ま、待っとくんなはれ!岡方で商いをする場合、必ず上納金を惣会に納めるんが掟!今まで例外を認めたことはおまへん!」
「しかしな。これを認めないと、私は父上と義兄上(蒲生賦秀のこと)に殺される」
重秀の過激な言葉に、嘉兵衛と与兵衛だけでなく、一豊達羽柴の家臣もギョッとした顔になった。重秀が話を続ける。
「義兄上・・・いや、蒲生家は領地である日野の漆器を西国に売りたい旨申されている。日野の商人が長浜の十日市で出店していたように、兵庫でも日野椀の売買をさせたいそうだ」
重秀が長浜から兵庫へ移る途中、信長にその旨報告するべく安土に寄ったことがあった。その時に重秀はたまたま安土にいた蒲生賦秀から、兵庫での日野商人の商売の保護を要請されていたのだ。
目的は日野椀の西国への販路開拓。そして茶の湯でメジャーな備前焼の買付であった。
「では、日野商人達に上納金を納めさせれば・・・」
嘉兵衛の言葉に、重秀が首を横に振る。
「日野商人だけではない。長浜から来る商人は桐油や紙を持ち込む者がいる。彼等は羽柴が主な得意先だが、せっかく持ってきたのだからと兵庫で売りたいという者たちもいる。それに・・・、長浜の商人達とは色々繋がりがあるからな。今後も繋がりを保っていたい、と父上が言っていた」
長浜は北国街道を通り、また琵琶湖航路の重要な港であった。そのため、京へと向かう北陸、東北からの商人や、京から北陸や東北へ向かう商人が立ち寄る場所であった。そのため、そう言った商人から秀吉は情報を得ていた。
しかも、長浜から移る直前、重秀は秀吉から秀吉の情報網の一端を知らされていた。
秀吉は若い頃、尾張の中村から追い出された後、美濃で母親の親戚から針の行商人を学ばされたことがあった。それ以降、針を売って諸国を回っていたのだが、その時培った行商人のネットワークをその後の情報収集で活用していた。
更に、そのネットワークに蜂須賀正勝と前野長康の持つ木曽三川の舟手衆を参加させたり、長浜城主になった際に長浜城下の商人達と結びつかせることによって、商人達のネットワークを拡張させていった。
商人達にとっては各地の商情報を手に入れやすくなったのだが、秀吉にとってはその商情報とそれに付随する各地の情報を商人達から得ることで、各地の出来事を把握することに成功していた。
秀吉がいち早く上杉の情報を手に入れることができたのは、正にこの商人達のネットワークのおかげである。
秀吉は西国の平定を行うための情報網を作っている最中であるが、それと同時に背後、すなわち兵庫より東の情報を手に入れたがっていた。
特に、信長が羽柴の力を警戒していると知った秀吉にとって、信長とその周辺の情報は喉から手が出るほど欲しいものであった。
そこで、安土に近く、付き合いの長い長浜の商人と、秀吉の息のかかった行商人達を兵庫まで呼び寄せることで、兵庫を治める重秀に東の情報を行商人達から聞き出そう、と考えたのであった。
そして重秀には、兵庫に行商人を集めるための政策を考えるよう、命じたのであった。その代わり、秀吉は行商人から情報を聞くことを許している。これは、重秀に情報網の一端を担わせることで、諜報活動を教え込もうとする秀吉の親心であった。
重秀にしてみれば、未だ繋がりのある長浜の商人が兵庫に来てくれるのはありがたかった。彼等は北近江に残してきた羽柴の産業である小谷の紙と菅浦の桐油がまだまだ必要だったからだ。
これらは紙早合の作成に必要な材料だった。桐油については油桐の栽培を始めなければならないし、油桐が実をつけるのに最低でも3年かかるため、桐油を菅浦から取り寄せる必要があったのだった。
さて、紙であるが、播磨には杉原紙を生産する村が多くあった。杉原紙は厚手の紙という特徴があり、薄い紙で作られる紙早合には向いていなかった。秀吉は紙早合に合う薄い紙の生産を播磨中の紙漉き職人に命じていたが、まだ生産はされていなかった。
というわけで、紙早合に適した薄い紙を作れる小谷から来る紙はまだ必要であった。
余談が長引いたが、重秀が日野の商人や長浜の商人を兵庫に呼び寄せたい理由がこれであった。そして、彼等にわざわざ兵庫まで足を運ばせる以上、儲けてもらわなければならない。そして、そのためには上納金という余計な銭を払わせるわけにはいかなかったのだ。
とはいえ、重秀はそんな事情を正直に言う訳にはいかなかった。特に、情報収集については嘉兵衛や与兵衛だけでなく、秀吉の古くからの付き合いで事情を知っている長吉以外の家臣達にも知られたくはなかった。というか、秀吉から絶対に口に出すな、と釘を刺されていたのである。
なので、重秀は裏事情を明かさないよう気を使いつつも、何とか説得した。最初は渋っていた嘉兵衛も、特定の場所で四日間だけ商売ができることを条件に、行商人や他国の商人が兵庫津で商売をすることを認めたのであった。
認めた後、疲れ切った顔の嘉兵衛に、与兵衛が労りつつも含みのある笑いをしながら話しかける。
「河田屋はん。骨折りやったな」
「まったくでございます。・・・素直屋はん、ごっつ顔が緩んでおりますなぁ。浜方は関係あれへん思うとるのちゃうんですか?」
「そらまあ、湊の方は船との商売ですから。船に上納金を納めるように言うたら、船は港に寄ってきまへんから。今までは関銭を取ってましたから、それを避けて兵庫の湊に来えへん船もおましたけど、関銭があれへん以上、これからはどんどん船が湊に寄ってきまっしゃろな」
余裕かました顔でそんなことを言う与兵衛。そんな与兵衛に、重秀が話しかける。
「・・・一応、浜方にもさっきの制札は関係あるんだけどな・・・」
重秀の言葉に、与兵衛が「はっ?」と声を上げつつ、重秀の方を見た。重秀が話を続ける。
「兵庫に立ち寄らせるのは商人だけじゃない。船もだ」
「ほう・・・。船もでございまっか」
「うん。実は、塩飽の船方衆との約束で、塩飽の案内人が乗せた船は必ず兵庫津へ立ち寄らせることにしたんだ」
「ほほう・・・?塩飽の案内人ですか・・・?」
重秀の話を聞いた与兵衛がそう言いながら右手で顎を擦った。そしてその両目には、獲物を狙う獣のような鋭い眼光が点っていた。この時、与兵衛の頭の中で、重秀の言ったことがどれだけ利益に繋がるかを考えていた。
―――塩飽周辺は潮の流れが複雑故、瀬戸内を往来する船は必ず塩飽の船乗りを案内人とする。その案内人が兵庫津に船を連れてくるということは、瀬戸内の船のうち、塩飽より東を往来する船は全て兵庫津へ来るということだ・・・。これは、すごいことになりそうだぞ―――
そんな事を考えていると、嘉兵衛が渋い顔で与兵衛に声をかける。
「素直屋はん、そんな悪い顔してる場合とちゃうんやないか?若殿様の考えを思うに、船の連中が直接商売すること認めなあきまへんで?」
「そら無理ちゅう話でっせ、河田屋はん」
悪い顔のままそう言う与兵衛に続いて、重秀も頷いた。一豊達が頭に疑問符を浮かべているような顔をしているので、与兵衛が説明する。
「兵庫津に来る船は、兵庫津が目的やおまへん。そもそも瀬戸内は京と博多を結ぶ海の道。兵庫津は中継地にしか過ぎまへん。とすると、立ち寄らしたところで最後の目的地に向かわなあきまへん。兵庫津でゆっくりと商売してる暇はあれへんやろう」
「・・・ならば、兵庫津へ無理やり立ち寄らせる意味がないのではないか?」
与兵衛の話を聞いた一豊がそう言うと、重秀は「そんなことはない」と口を挟んできた。
「そもそも船は物を運ぶに過ぎない存在。積荷を運ぶことはできても、それを売り捌いたりするには仲介の商人が必要になる。また、大量に運んできた積荷を陸で保管する必要がある。船に保管すれば新たな積荷を乗せることはできないからな。それ故、湊には納屋衆(貸倉庫業)と呼ばれる商人が多く居るんだ」
重秀がそう説明するが、一豊はピンときていないようだった。だが、嘉兵衛は説明を聞いて納得したような顔をした。
「なるほど。兵庫津に立ち寄る船に商売を許しても、取引相手は納屋衆やと。ほんで浜方の惣会に参加してる商人のほとんどは納屋衆やったと」
「そんなんです。船の連中はわて等と取引するちゅうことになる。岡方と違うて、商売敵ができるわけちゃいますし、むしろご新規さんが増える話になりまんなぁ」
そう言って笑う与兵衛を、嘉兵衛は恨めしそうに見つめていた。そして重秀の方を見ると平伏しながら声を上げる。
「若殿様!岡方と浜方ではあまりにも扱いに差がありませへんか!?岡方も浜方も運上や冥加を課せられるのに、浜方だけ大儲けできるんは納得できまへん!」
「案ずるな。浜方だけを贔屓する気はない」
重秀の言葉に、嘉兵衛だけでなく、与兵衛までもが「はっ?」と声を出してしまうのであった。