第181話 万菊丸(中編)
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「安相寺・・・?はて、あんなところに与右衛門(藤堂高虎のこと)が欲する兵がいたかな?」
そう言って重秀は両腕を組みつつも視線を上に向けた。藤堂高虎が話を続ける。
「若君が兵庫に行っている間、長浜城の留守を担っていた殿(小一郎のこと)の命で、それがしが北近江の舟手集や羽柴水軍の鍛錬を担っていたのは覚えておいででございますか?」
「無論よ。っていうか、私が小一郎の叔父上に頼んでいたし」
「お陰で拙者も船の操作ができるようになりました。中々楽しいものでございますな」
「おお、与右衛門も船の良さが分かるようになったか!?この際水軍を率いようという気はないか!?」
「殿が但馬を有した際に水軍を引き受けようかと思っておりますが・・・。いや、そうではなくてですね」
話が脱線しそうになるのに気がついた高虎が、話を元に戻す。
「その時に何度か菅浦に行くことが会ったのですが・・・、その際に安相寺の僧の中に、正真なる僧がおりました。最初はどこかで見た顔だな・・・、と思ったのですが、何度か見ているうちに思い出しまして」
「ということは、その、正真なる僧が与右衛門の欲する兵か?」
重秀がそう尋ねると、高虎が「御意」と言って頷く。
「その者、元浅井家の足軽大将にて、近江高島郡の出身、名を山崎治三郎添真と申す者。高島七頭が一頭、山崎家の出にござる」
高島七頭とは、鎌倉時代から近江国高島郡を拠点としていた豪族、高島氏とその庶流である朽木氏、永田氏、平井氏、横山氏、田中氏と別系統の山崎氏を加えた七つの氏族のことである。
「その者、若い頃から戦場に出ており実戦経験が豊富でござる。それに、出が山崎家ということもあり、それなりの学もある人物にございます。拙者が浅井の足軽だった時分、すでに家中では名の知られた人物でございました」
「なるほど。そんな人物があの寺に居たのか」
「はい。浅井家が滅んだ後、行方が知られていなかったのですが、よもや菅浦にて僧になっているとは思いもよらなかったのでございます」
話を聞いた重秀は、その人物に興味を持った。ぜひ会ってみたいと思った。
「その者、私も会ってみたいな」
そう呟いた重秀に、高虎が動揺する。
「恐れながら・・・。その者、羽柴に仕えるを避けんがために寺に入ったものと思われますが・・・」
高虎がそう言うと、重秀は高虎が言わんとしたことを理解した。重秀が笑いながら右掌を振る。
「いやいや。別にその正真なる者を横取りしようとは思っていない!ちょっと気になっただけだ」
重秀の言葉に、高虎はホッとした表情を見せた。そんな高虎に重秀が話しかける。
「どちらにしろ、一度菅浦に行こうと思っていたのだ。一応、羽柴の知行のままだとは乙名衆には伝えていたのだが、直接会って話したほうが良いと思うしな」
「若君がわざわざ行かなくても・・・」
高虎がそう言うと、重秀は首を横に振る。
「そう言う訳にはいかない。あそこは私の知行として残るんだ。ひょっとしたら、二度と顔を出せなくなるやもしれないんだからな」
それから二日後。重秀は藤堂高虎とその従弟である藤堂良勝、そして重秀と大谷吉隆、そしてお付きの侍達と共に菅浦へ向かった。
重秀が自ら操作する丸子船に乗った高虎は、いつも重秀の傍にいる福島正則と加藤清正がいないことに違和感を感じていた。なので、そのことを重秀に聞いてみる。
「若君。市兵衛(福島正則のこと)と虎之助(加藤清正のこと)がおりませぬが、あの二人は来ないのですか!?」
船の上で風があるため、大声で尋ねる高虎に、重秀が三角帆を操作しながら大声で返す。
「あの二人は小一郎の叔父上のところに行っている!」
「殿のところですか!?」
そんな話を小一郎から聞いていない高虎が大声で聞き返した。重秀も大声で答える。
「ああ、あの二人には縁談が来ててな。今日その相手の親との面談があるんだ!」
重秀の言葉に、高虎が「ほうっ」と声を上げた。
「もうそんな歳になりましたか!年月が経つのは早うござるな!」
そんなことを言う高虎に、重秀がからかうように声をかける。
「そう言えば、叔父上から聞いたぞ!与右衛門にも娘を娶せたいという者が多いではないか!まあ、二千石も貰う若武者!妻のなり手は引く手あまただろう!」
「はっ!?いや、それは・・・」
まさか重秀から自分の婚姻話が飛び出してくるとは思っていなかったらしく、動揺する高虎に、良勝がからかうように声をかける。
「おっ!?あの愛想の悪い従兄貴が顔を赤くしている!?そんな顔もするんだな、従兄貴!」
「う、うるさいぞ!新七郎(藤堂良勝のこと)!」
慌てる高虎にからかう良勝の二人を見た重秀を始め、船に乗っていた者達は一斉に笑い声を上げるのであった。
そんなこんなで菅浦に着いた重秀達。船を最近できた桟橋につけると、さっそく乙名衆達が出迎えに来ていた。
「若君。ようこそお越しくださいました」
乙名衆の代表として土田が声をかけてきた。重秀が返事をする。
「うん。今後の事について話をするために来た」
「それでは、阿弥陀寺にてお伺いいたします故、ご案内いたします」
森田からそう言われた重秀は、ついてきた高虎と良勝、そして船酔いで青い顔をした吉隆と共に阿弥陀寺へと向かった。
阿弥陀寺で話し合われたのは、今後の菅浦の話であった。とはいえ、菅浦は引き続き羽柴の、そして重秀の知行のままだったので、とりあえずは現状維持であることが確認された。
一方、『菅浦丸』を始めとする羽柴の安宅船は解体することが伝えられた。
「『菅浦丸』や『塩津丸』『大浦丸』は解体され、その廃材を再利用して丸子船が多数建造されることになっている。それぞれの名前の湊の舟手衆に分け与える故、存分に使っていただきたい」
重秀のこの言葉に、乙名衆は「おおっ」と感嘆の声を上げた。
「ということは、安宅船に乗り込んでいた水夫達は・・・」
「それなんだけど」
重秀がそう言うと、少し困った顔をしながら乙名衆に話しかける。
「実は此度兵庫に行くにあたり、兵庫にて水夫をやりたい者を募ったところ、多くの者が同行を希望した。その中には多くの菅浦の者も含まれている。皆を連れていけば、当然菅浦に残した家族も連れて行くことになるだろう」
重秀の言葉に乙名衆は騒然となった。羽柴の水軍に若い男性を多く取られ、菅浦では女子供や老人ですら田畑の作業や養蚕、油桐栽培に従事しており、その労働力には限界がきていた。重秀が使役用の牛を安く譲っているため、重労働については負担は抑えられているが、だからといって人手不足なのは間違いない。
せっかく若い者達が水軍の役目から解放され、菅浦に帰ってくると思っていたのに、その若い者達だけでなく家族も菅浦から出ていくことになるのだ。そんな事になれば菅浦は衰退してしまう。
乙名衆はその事を重秀に訴えた。重秀が頷きながら答える。
「乙名衆の懸念もっとも。そこで、私から提案がある。実は、瀬戸内には塩飽の島々に舟手衆が居て、その者達に提案したのだが・・・」
そう言うと、重秀は塩飽の舟手衆に提案した、いわゆる年季奉公の説明をした。乙名衆はその説明を聞くと不満げな顔をした。
「数年も若い者達が取られるのは辛うございまする。そもそも、塩飽の連中には年貢がないのに、我等には年貢がございます。その年貢を収めるのが若い者だということをお忘れでございますか?」
「無論忘れてはいない。じゃあ、若い者の年季奉公はやめる代わりに、年貢を他の地域と同じにしてよいか?言っとくけど、桐油と養蚕で結構儲けているのは知っているぞ」
菅浦は重秀の支援で油桐の栽培と養蚕に力を入れている。田畑が少なく、山と琵琶湖に挟まれた狭い集落の菅浦にとって、油桐と桑の木は当に『金のなる木』であった。特に桐油は照明用の油として、大消費地となった安土城下町にて売られ、多くの代金が生産地菅浦と、取り扱う商人がいる長浜に流れていた。
土田は隣りにいた森田や他の者達と相談し始めた。しばらく話し合いが続いた後、土田が重秀の方を見て口を開く。
「年貢をお支払いします」
「えっ?真に?」
重秀が思わず尋ね返した。年貢は払わないと思っていたからだ。しかし、土田が話を進める。
「今までは琵琶湖内での話だった故、若い衆が羽柴様の水軍に取られたとしても、たまに菅浦に帰ってきては仕事を手伝ってくれました。それ故、我等は何とかやってきたのです。しかし、兵庫となるとそうおいそれと帰ってこれませぬ。それならば、例え年貢の負担が上がったとしても、若い衆が菅浦に戻ってくる方を選びまする」
そう言って土田が平伏すると、他の乙名達も平伏した。それを見た重秀も、観念したような顔になると乙名衆に声をかける。
「相分かった。年貢については追って沙汰する。ただ、松田利助とその一族は菅浦に帰せないぞ。あの者達は兵庫で取り立てたからな」
「それは・・・、致し方有りません。我等としては、安宅船に取られていた若い衆が帰ってくるだけでも僥倖でございます」
結構な負担だったんだな、と重秀は思った。もしこれで年貢が軽くなければ、菅浦は一揆を起こしていたに違いなかった。改めて、父秀吉が交渉してくれたことに感謝した。
と同時に、菅浦が人的負担を担ってきたことに感謝した。そしてその感謝を形にしたいと思った。ではどの様に形にしようか?
しばらく考えた重秀は、ある事を思い出した。そしてその事を伝える。
「・・・実は昔、皆の床下、囲炉裏の周囲の土を納めてもらったことがあっただろう?」
「へぇ。確かにありましたな」
土田が思い出したかのように言うと、重秀は頷く。
「うん。実はあれは塩硝という玉薬(火薬のこと)の材料を得るためのものだったのだ。そして、採った土の代わりに蚕の糞と藁と蓬を混ぜたものを代わりに埋めたが、あれはその塩硝を採るための土を作るための材料だったのだ。穴を埋めたそれらから塩硝が取れるのは五年ほどかかるが、五年経った土からは塩硝が取れる」
重秀の言葉に土田や森田、そして乙名衆がポカンとした表情をした。正直、何を言っているのかよく分かってないのだった。それにも関わらず重秀は話を続ける。
「また、牛の糞も同じ様に塩硝が取れることが分かっている。まあ、床下に埋めると臭いのでこれば別の場所でやればよいのだが・・・。菅浦には牛もいるだろう?当然牛の糞も採れるわけだ。そこで」
そこまで言うと、重秀は一息ついた。乙名衆が固唾を飲む中、重秀が口を開く。
「作り方は浅井郡の羽柴領の代官として残る三之丞(加藤教明のこと)から教わり、菅浦にて塩硝を作ってもらいたい。その塩硝を全て羽柴に納てもらえれば、年貢については今まで通り米か銭で納めてもらう。年貢の負担も変わらない」
重秀の提案に、乙名衆は驚いた。塩硝なるものを蚕や牛の糞から作り出して納めるだけで、年貢の負担が変わらないからだ。
「ただし・・・」
そう言うと重秀は真面目そうな顔つきで乙名衆に言う。
「塩硝のことは決して口外しないように。そして、羽柴以外に絶対に売らないように。もしこの約束を破れば、例え恩義ある菅浦の舟手集や乙名衆であっても容赦しない。そして、今まで許してきた菅浦内部での争いの仲裁について、乙名衆がやってきたのを廃し、私が派遣した奉行が行うことにする。良いな?」
乙名衆は重秀の提案と条件を受け入れた。年貢の負担が変わらないのはもちろん、せっかく事実上の復活を遂げた菅浦の惣の一部である自検断(いわゆる裁判権)が再び奪われることを乙名衆は恐れた上での決断であった。
阿弥陀寺での話し合いを終えた重秀達は、次に安相寺へと向かった。
「これは若君。ようこそ」
山門で寺の住職を呼び出した重秀達の前に、安相寺の住職が現れて挨拶をした。重秀が要件を伝える。
「和尚。悪いが正真という僧がいたはず。その者と話がしたい」
「正真・・・でございますか?」
住職が警戒心を露わにした表情で尋ねてきた。重秀は疑問に思いつつ住職に言う。
「うん。でも、私ではなく、この与右衛門が会いたがっている」
そう言うと重秀は背後に控えていた巨体の男―――高虎を手で示した。高身長で筋肉質の高虎が無愛想な顔で頭を下げるが、住職は高虎の威圧感をなんでもないかのように挨拶する。
「これは藤堂様。ご壮健でございますな。分かりました。本堂へご案内いたします故、こちらに」
住職はそう言うと、重秀達を安相寺の本堂へ招き入れたのだった。
安相寺の本堂の外陣と呼ばれるところで、高虎と良勝が正真を待っている間、重秀は吉隆を連れて本堂の外で待つこととした。しかし、ただ待っているのも何なので、安相寺の境内をほっつき歩くこととした。
吉隆のみを連れてぶらぶら歩いていると、本堂の裏にある小さな庵の縁側で、一人の小坊主が本を呼んでいた。重秀が思わず声をかける。
「経典を読んでいるのか、熱心だな」
いきなり声をかけられた小坊主は、ビクッと身体を震わせると、重秀の方を見た。そして縁側から降りると地面の上で平伏した。
「これは、羽柴の若様!ご無礼を致しました!」
「いや、こちらこそ修学の最中に言葉をかけて申し訳ない。私に遠慮せずに本を読めば良い」
そう言うと重秀は小坊主を立たせると、手を取って縁側へと導いた。小坊主が縁側に正座すると、傍らにあった本を手に取った。その本を重秀が覗き込む。
「へぇ。『庭訓往来』か。懐かしいな。私も崇福寺で読んで学んだな」
「若様もこれを読まれていたのですか?」
小坊主が首を傾げながらそう尋ねてきた。なんで首を傾げてきたのかが分からず、重秀が尋ね返す。
「何故首を傾げる?」
「いえ、噂では若様は何でも知っているお方。本を読まずとも知っているものとばっかり・・・」
「んな訳あるか。私の知識はほとんど本からの受け売りだぞ」
「そ、そうだったのですか!?」
驚きの声を上げた小坊主の顔を見た重秀は、そのおかしさに思わず声を上げて笑った。一頻り笑った重秀は、縁側に座ると小坊主に話しかける。
「ところで、歳はいくつかな?『庭訓往来』を読んでいるということは、七つか八つくらいだと思うが」
「八歳にございます」
小坊主がそう答えると、重秀は「そうか」と言って頷いた。
「私の場合、七歳の頃に崇福寺にて学問を修めていたが、それだけではなく竹中半兵衛殿から多くの本を読ませてもらった。漢籍も学んだし、史も兵法も学んだ。そこから知識がついたのかもしれないな」
「しれない、なのですか?」
小坊主が再び首を傾げて聞いてきた。重秀が「ああ」と頷く。
「本を読んだだけでは分からぬこともあるから、人に尋ねたり自らの手でやってみたこともあった。その方が覚えやすかったな」
「そうなのですか・・・」
「ありがたいことに父筑前も、我が師半兵衛殿も私に多くのものを見せてくれた。それ故、色々知ることができたのだと思う。最初から何でも知っているわけではない」
そう言うと重秀は少し上を向いて空を見た。春らしい温かい日差しが降り注ぐ空を、重秀は懐かしそうな表情をしながら見ていた。そんな重秀を、小坊主はじっと見つめていた。小坊主の視線に気がついた重秀が小坊主を見つめる」
「・・・どうした。そんな顔をして」
「いえ、羨ましいな、と思ったのでございます」
小坊主はそう言うと俯いた。そして重秀に語りだす。
「私は福田寺より正真様と共にこちらに遣わされた者です。こちらでの修行が終われば、私は福田寺に戻らねばなりませぬ。福田寺での修行はまだまだ長うかかると聞いております。寺の外を知ることはないと思います故、どこへでも行ける若様が羨ましく思えました」
「そんなことはないのではないか?」
重秀が笑いながらそう言って否定した。重秀は話を続ける。
「安相寺も福田寺も一向宗の寺。一向宗は各地に寺を持ち、各地に一向門徒がいる。各地の一向門徒に教えを伝えるため、各地に赴くこともあるだろう。まあ、北国の一向門徒の一揆勢に加担するのは勘弁して欲しいけどな。そう言うことだから、福田寺に閉じ込められるということはないだろう」
重秀がそんな話をしていると、遠くから「正芸!何をしている!」と言う叫び声がした。重秀がその方向へ顔を向けると、そこには鋭い目つきの壮年の僧と、なにか言いたげな顔をした高虎と良勝が立っていたのだった。