第17話 長島一向一揆(その2)
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天正二年(1574年)六月二十三日。織田信長がついに長島侵攻のための大動員令を発動した。それまでに兵糧等の事前の準備はなされていたが、この日をもって兵の動員も行ったのだ。
それより数日前の午後、大松は岐阜城下の木下屋敷に久々に帰っていた。信忠の出陣の準備もある程度終わったので、今度は大松が自らの初陣の準備をすることとなった。そこで、休みをもらって屋敷に戻っていたのだ。
「大松!よく戻ったのう!」
木下屋敷の門をくぐったところで、大松は自分と同じ背丈の男性にそう言われながら飛びつかれた。誰かと思ったら、それは自分の父親たる秀吉であった。
「おー、おー!見ないうちにデカくなりおって!儂と同じ背ではないか!これでは近いうちに小一郎も抜かれるのう!」
「ああ、まずはお帰り、大松。中に祖母様がいるから、挨拶してきな」
秀吉の側にいた小一郎がそう促すと、秀吉と大松は玄関に向かって行った。
居間に入ると、そこには御祖母様と木下弥助がいた。大松を見た弥助が姿勢を正して平伏し、御祖母様は立ち上がった。
「おー、おー!大松よ。できゃあなって!こんだけ立派になりゃあ、お袋様(ねねのこと)もあの世で喜んでござろうて!」
御祖母様がそう言って大松の手を握った。大松も「御祖母様もご壮健で何よりです」と言って手を握り返した。
「ささ、かき餅焼いてきたで。こっち座って食べぇ食べぇ」
御祖母様は大松に座るように促すと、居間の床に置いてある皿を差し出した。中にはかき餅がいっぱい積まれていた。
「おう!おっ母のかき餅は美味いでのう!お前も食え食え!」
「はい、いただきます」
そう言うと大松はかき餅を一つかじった。塩味の効いた、素朴な味だった。
「父上、それがしの初陣の準備なのですが・・・」
「おう!準備できてるぞ!かき餅食ったら、座敷に連れて行ってやる!」
そう言うと秀吉は、かき餅を何枚か鷲掴みすると、一気にかぶり付いた。
初陣。それは武士の子弟が初めて戦場に行くことである。竹中重治のように13歳でいきなり居城の防衛戦の指揮を取ったという人や、12歳で元服してそのまま初陣を果たした本多忠勝みたいな人もいるが、大体は一種のセレモニーとして、父親のそばで戦闘から遠い安全な場所にいることが多い。無論、初陣で敵将の首を上げる猛者もいるが、それは16〜22歳ぐらいの武将の初陣での話だ。
誰かの小姓で初陣を果たすこともある。著名人では武田信玄の小姓だった土屋昌続、真田昌幸であろう。ただ、年齢は大松(13歳)より年齢が上であった時の話である。
つまり、大松の初陣は13歳で信忠の小姓として初陣を迎えることとなる。
かき餅を食べ終わった大松は、秀吉に連れられて座敷に入った。そこには一つの具足が置いてあった。
「父上、これは・・・」
「うむ、大松のために整えた具足よ」
「・・・兄者が足軽大将だった頃のお下がりだけどな」
「うるさい!仕方ないじゃろ!この歳で大松が初陣するなど、考えてもいなかったんじゃ!だいたい、元服前に鎧兜を誂えたりしないじゃろ!」
秀吉は小一郎の呟きに大声で返した。そして大松の方を見た。
「大松、着てみぃ。体と合っているか、確かめるんじゃ」
そう言われて具足を身につける大松。具足の身につけ方はすでに岐阜城にて学んでいた。着てみれば、少しきつい気がしたので秀吉にその旨伝えた。
「ふむ、少しきついか・・・。傍から見れば、ぴったりに見えるが・・・?」
「恐らく大松は肉がついたのだろう。兄者はあまり肉がつかんかったからのう」
ここで言う肉とは脂肪ではなくて筋肉である。
「ふむ、少し緩めてみるか」
紐を緩めたりした結果、少しは楽になったようだ。大松がその旨伝える。
「よし、大松。出陣の日までこれ着て過ごせ」
「は?」
秀吉の言葉に思わず声を上げる大松。秀吉は事も無げに話を続ける。
「お前今まで具足を身に着けたことないじゃろ。少しは慣れないと、バテるぞ」
「儂も最初に具足つけて戦に出た時はすぐに息が切れたぞ。兄者の言うとおりにしろ」
二人にそう言われた以上、大松は従うしか無かった。これ以降、寝る時以外は具足をつけた生活が始まった。もっとも、馬鹿正直に具足を付けたままの生活をおくっていたため、そのままの姿で岐阜城に上がってしまい、犬千代達にからかわれてしまったり、先輩小姓の万見仙千代に「早すぎるだろ!」と怒られたりしてしまうなど、ちょっとした騒動になってしまったが。
次に向かったのは厩であった。秀吉も小一郎もすでに馬に乗れる身分であるので、複数頭の馬を持っていた。しかし、それらの馬はすべて小谷城へ持っていったため、岐阜の羽柴屋敷には原則馬は一頭もいなかった。
しかし、今日は別であった。秀吉と小一郎の馬の他に、もう一頭馬がいた。
「ほれ、お前の馬じゃ」
「え?いいんですか!」
「構わん構わん。大松、若殿様との遠出ではいつも城の馬を借りてたんじゃろ?さすがに戦にまで馬を貸してはくれんじゃろうて」
秀吉の話が終わるやいなや、大松は厩にいた自分の馬に駆け寄った。普通の大きさの、普通の馬だった。
「・・・どこにでもいそうな馬ですね」
大松がそうに言うと、秀吉が笑いながら言った。
「当たり前じゃ!小姓が名馬に乗れるわけなかろう!それに半兵衛が言っておったわ。『馬に金をかけるな。かけると馬が惜しくなって戦に消極的になる』とな。何、最近になって岸という者が配下になってのう。そいつの息子で孫六というのが馬の行商の手伝いをやってると聞いたので、その伝手で弥助に買ってきてもらったのよ。ま、その息子と弥助の目利きでそれなりに良い馬を買ってきたつもりだが」
本当は急な初陣で適当に買ってきたのが丁度良かった、などとは言わない秀吉であった。
大松は馬の視界に入りながら馬に近づくと、「よし、よし」と言いつつ首筋にそっと手を当てた。特に嫌がった様子を見せてはいない。ちゃんと調教されている証拠だ。
「いえ、父上。これは悪くないですよ」
小さい時から弥助と共に馬の世話をし、岐阜城に上がってからも小姓の勉強として馬術を学んだ大松からしてみれば、目の前にいる馬は今の自分に丁度いいように思えてきた。
「父上、真にありがとうございます」
「おう、さっき言った孫六によって調教は済んでいるからのう。出陣前に乗って調整いたせ」
大松の礼に、秀吉は笑顔で答えた。
その後、三人は居間へと戻っていった。そこでは御祖母様と弥助が囲炉裏で味噌汁を作っていた。三人が来たことに気がついた弥助が慌てて平伏し、御祖母様も「おお、戻ったかえ」と笑顔で迎えた。
「どうじゃ!二人共!この大松の姿は!立派な若武者じゃ!」
秀吉の喜ぶ声に対して、御祖母様と弥助は微妙な顔をした。
「・・・なんじゃ、二人共その顔は」
「藤吉よ、やっぱり大松には早すぎるんでねぇか?こんな童が戦出てもなぁ・・・」
御祖母様は心配そうな顔で秀吉に言った。
「そうは言うけどよ、おっ母。これは御屋形様の命令じゃ。なに、小姓は本陣で控えておるから、そう危なくないじゃろう。それに、聞いた話じゃ大松は若殿様の陣じゃ。御屋形様も若殿様にゃあ無理させんて」
秀吉はそう言って御祖母様を安心させた。そして弥助に顔を向ける。
「どうじゃ、弥助。良き若武者であろう・・・。なんじゃその顔は!?お前も不満か!?」
弥助もまた、微妙そうな顔をしていたので、秀吉は怒鳴りつけた。弥助が力強く首を横に振る。
「とんでもねぇ!ご立派な姿だと思いますぅ。んだども、若様にしてはちょっと地味でねえべか?」
弥助の一言に、秀吉がまた怒鳴る。
「阿呆!小姓の分際で目立ってどうする!若殿様のご不興を買うではないか!」
「それに、目立てばそれだけ手柄首として狙われるのがオチよ。目立たないようにして生き延びさせるのが最善よ」
小一郎の話に納得したのかしてないのかは分からないが、弥助は「へぇ」としか返事をしなかった。その時、御祖母様が遠慮がちに秀吉に話しかけた。
「藤吉や、言われたとおり味噌汁作っだとも・・・」
「お、そうか!?いやー、おっ母済まねえな!よし、ちと早いが夕餉にするぞ!大松もほれ、座らんか!」
秀吉が囲炉裏の側に座りながら言うと、右手で床をバンバン叩いた。大松は具足の重さに四苦八苦しながら、秀吉の叩いた場所に座った。
皆が座り、御祖母様がよそいだ味噌汁のお椀を受け取り、弥助が配った干飯を味噌汁に入れた。大松も味噌汁に干飯を入れながら、ふと疑問が湧いた。
―――いつもなら炊いた麦飯か朝に炊いて冷めた麦飯が出てくるはずなのに、今日はなんで干飯なのだろうか?
いや、確かに麦飯が食えない時もあって、その時は干飯になることもあるけど、御祖母様が来た時は必ず麦飯を出してたはず―――
干飯がふやけてバラバラになったところで、秀吉が「ではいただこうかのう」と言うと、皆が一斉に味噌汁の入ったお椀に口を付けた。
「!?」
大松は驚いた。全く味がしないのだ。いや、一応、煮込んだ野菜の匂いや味はかすかにするのだが、今まで食べてきた味噌汁の味がしなかったのだ。この時、大松の脳裏に幼少期の思い出が蘇ってきた。まだ前田家にいた時、たまに晩飯に出てきて、あまりの不味さに犬千代と拒否したらまつに叱られた思い出だった。
「・・・糠味噌汁?」
「おお、よく気がついたのう」
大松の呟きに秀吉が反応した。
糠味噌汁とは、糠を味噌のように溶かして作った味噌汁である。風味のある塩味の効いた味噌汁とは違い、無味無臭なのが特徴である。
「お前、ずっと豆味噌の汁しか飲んでおらんだろう?戦場は毎日糠味噌汁が食えるか食えないか、という場よ。今のうちに口を慣らしておけ」
秀吉はそう言うと、さも当然のように糠味噌汁を飲んだ。
「すまんのう、大松や。お主に食わせるようなもんじゃないと藤吉には言ったんじゃが、どうしてもと言われてのう・・・」
御祖母様が申し訳無さそうに大松に謝るが、それを小一郎と秀吉が止めた。
「いいんじゃ。母者。大松は戦に行くんじゃ。戦じゃあこれよりもっと酷い物食うこともあるし、そもそも食えん事もある。それに、足軽(主君に仕える最下級武士)や雑兵(いわゆる傭兵)がこういうもん食って戦っとるということを知っといたほうがええ」
「小一郎の言う通りじゃ。大松はいづれ羽柴の大将になるんじゃ。その大将が足軽雑兵の飯も食えなければ、足軽や雑兵達は大松のために命をかけようとは思わん。よいか、大松」
秀吉はお椀を下ろすと、大松の目を真剣に見ながら言った。
「戦場では上は大将から下は雑兵まで一丸となって戦わなければ生き残れん。そうするためにはどうするか。大将があぐらをかいて足軽や雑兵達を見下せば、足軽雑兵は大将について来ぬ。大将たるもの、足軽や雑兵に良いものを食わせ、自らは質素なものを食う。そうすれば、足軽や雑兵は大将を親しみをもって敬い、『俺たちの殿様』として従ってくれる。何につけても、兵を大切にするのじゃ」
いつもとは違う秀吉の雰囲気に、大松は大将秀吉の気迫に息を呑んだ。大松はお椀を下ろすと、体を秀吉に向けて姿勢を正した。
「父上の金言、肝に銘じまする」
そう言って頭を下げた。秀吉は「うむ」と言うと、再びいつものような人懐こい笑顔を見せた。
「さあさあ、せっかくおっ母が作った飯よ。大松、いっぱい食えよ!」
そう言うと、秀吉は再びお椀を口に運んだ。
飯が食い終わると、大松は秀吉と小一郎と共に座敷にいた。上座に座った秀吉は、下座に座っている大松に語りかけた。
「よいか、大松。此度の長島攻めはお主の初陣よ。しかも、織田家の若殿様の小姓としての参陣。これほどの誉れはめったに無いものと心得よ」
大松が「はいっ!」と答えると、秀吉は話を続けた。
「羽柴の名に恥じぬよう、しっかりと・・・、勤めよ。そして・・・、もし・・・、わ、若殿様に何かがあれば・・・、その身を持って・・・」
秀吉の声がだんだんと震えていき、大松の顔を見ていた目からは涙が溢れ出していた。そして、言葉が途切れていき、最後には黙りこくってしまった。すると、急に立ち上がると、大松に飛びついてきた。
「い、嫌じゃ!絶対に嫌じゃ!大松を戦になぞ出しとうない!まだ十三だぞ!まだ死なせとうない!御屋形様は鬼じゃ〜!」
「・・・兄者」
秀吉の行動に戸惑いながらも、内心大松が戦に出ることを快く思っていない小一郎が痛ましい表情を浮かべていた。
「ううう、本当は儂も一緒に行ってやりたかったんじゃ。そうすれば、儂の馬廻を付けることができると言うのに・・・。というか、なんで子の初陣に親の儂がついて行けんのじゃ・・・」
涙と鼻水でグシャグシャな顔になりながら、秀吉は言った。
「一応、大松は若殿様の小姓だし、本陣に控えている以上安全じゃ。そう言ったのは兄者であろう。それに、長島攻めには兄者の代わりに儂が行くことになっとる。何かあれば、儂がなんとかする」
小一郎がそう宥めるが、秀吉は納得しない。
「阿呆か!お主は御屋形様直属であろうが!大松は若殿様の元に居るんじゃぞ!別々ではないか!」
「しかしよ、兄者。今回の長島攻め、結局は長島城の兵糧攻めになると重臣たちを集めた軍議で御屋形様が言っておったろ。どっちにしろ、御屋形様と若殿様が合流するんじゃから、儂が大松の側にいる機会もあろうて」
小一郎からそう言われて、秀吉も落ち着きを取り戻していった。
「そうじゃな・・・。うん、小一郎の言うとおりじゃ。小一郎、儂は近江からは動けん。そんな儂よりも大松のそばにいるのはお主じゃ。大松を頼むぞ」
「ああ、分かっとる」
小一郎のしっかりとした返事に安心したのか、秀吉はホッとしたような顔つきになった。涙を拭うべく、袖でゴシゴシ顔を拭いた秀吉は、神妙な顔つきで大松の方へ顔を向けた。
「大松。父から一つ、そちに教えることがある」
「何でしょう?」
「人を殺す時は躊躇うな」
大松は秀吉の言葉に息を呑んだ。秀吉は続ける。
「戦である以上、斬合は当然じゃ。お主がいくら本陣控えだとしても、敵が来ないわけではない。そして、敵はお前を殺しにくる。お前を殺す敵は、ひょっとしたら誰かの親か、誰かの子か、誰かの夫かも知れない。お前がそいつを殺せば、きっと残された者は悲しむであろう。
しかし、よく覚えておけ。お前が殺されたら、儂や、小一郎や御祖母様、おば達やおじ達、半兵衛や久太、前田の両親、犬千代や幸姉や蕭ちゃん、市松や夜叉丸そしてお前の母上様が悲しむことになる。よいか、皆がお前の帰りを待っているのだ。もし、人を斬るのに躊躇ったら、お前が斬られてお前の親しい人達が悲しむんだ。お前は優しい。だから、親しい人を悲しませるな。必ず、生きて帰ってこい。良いな?」
真剣な眼差しで真剣な口調で諭す秀吉に、大松は圧倒された。大松は姿勢を正して秀吉に平伏した。
「承りました、父上。必ず、生きて帰ってきます」
大松の言葉を聞いた秀吉は「うむ」とうなずくと、顔を崩して笑った。
「よし!大松、久々に父と一緒に寝るか!布団をひこう!な!」
「絶対嫌です!」
心の底から嫌そうな気持ちを顔に貼り付けて拒絶した大松の顔と、心の底から絶望したという表情をした秀吉の顔を見て、小一郎は思わず吹き出してしまった。