第173話 国替えに向けて
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天正八年(1580年)二月下旬。重秀は秀吉と小一郎達と長浜城で国替えの仕事をしていた。安土城で国替えを信長から命じられた直後、宇喜多直家を黒田孝隆に任せて西へ帰すと、その足で長浜城へ向かい、長浜城に残っている者達に国替えを伝えた。
この時に秀吉の母である御祖母様が長浜城の畑から離れることを拒否し、秀吉と小一郎、そして姉のともが二人がかりで説得して何とか姫山城に来てもらうことになった、というハプニングがあった。
「なあおっ母。頼む!一緒に姫山城に来てくれ!姫山城は官兵衛(黒田孝隆のこと)が儂に譲ってくれた城で、しかも作り替えてもええ言ってくれた!今は姫山の頂にちょこっと城がある状態だけど、今度姫山の全て、いや、その周辺まで城にするで、その時に大きな畑を作ってやる!だもんで一緒について来て!」
「そんな事言われても・・・。儂はただでせゃー近江くんだりまで来とるのに、播磨まで行っちまったら尾張の中村に二度と帰れんくなる。あそこにはまだ田畑が残っとるで手放さないけんくなる。それは嫌じゃ」
「そうは言うが、ここは上様の命で久太(堀秀政のこと)に譲らにゃあならんくなったんじゃ。おっ母も追い出されることになるんだぞ。だもんでな、一緒に播磨に行こう!」
「ほんならば、儂ゃ尾張に帰る。中村でお父達の供養をしながら田畑を守る」
「おっ母一人を中村に置いていけるかよ!・・・おい、小一郎にとも姉!お主等もおっ母を説得しろ!」
秀吉にそう言われた小一郎とともも一緒になって説得をし始める。
「おっ母、儂は上様の命で但馬に行かにゃあならんし、藤十郎も殿様(織田信忠のこと)に兵庫城をもらったで兵庫におらねばならん。兄者は一人で姫山城に住まにゃあならん。それでは寂しかろう。儂からも頼む。兄者の側におってやって欲しい」
「母ちゃんよぉ。私等も播磨に行くで一緒に行こう。私等は弥助が未だに足軽大将だで城内には住めんけど、治兵衛(のちの三好秀次)が藤吉の側におるで、治兵衛の面倒を見てやって欲しい」
「だけど、安土の屋敷にはあさが残るんだろ?あさを近江に置いて行けんよ。だったら、儂は安土の屋敷に移るがね」
御祖母様がそう言うと、小一郎とともは黙ってしまった。しかし、秀吉が声を上げる。
「・・・よし!甚兵衛(副田吉成のこと)とあさも播磨に呼び寄せる!あやつ等も長い間岐阜や安土の屋敷で文句も言わずに留守居役を務めてきた!甚兵衛にも手柄を立てさせる良い機会じゃ!
・・・おっ母、あさも播磨に来るで、姫山城に一緒に住もう!な!」
そう言われた御祖母様。少し悩むと口を開く。
「・・・そこまで言うなら仕方がねぇ。一緒に播磨に行くで。んだけども、一つ頼みがあるんだけど・・・」
遠慮がちに言う御祖母様に対し、秀吉が「おうおう!何でも聞くぞ!」と嬉しそうに答えた。御祖母様が秀吉に言う。
「二の丸におる七さんと尾張出の侍女達も一緒に来て欲しいんじゃけど・・・」
「・・・というわけで、七と尾張から来とる侍女はおっ母付の侍女にしたいんじゃがのう」
二の丸御殿にやってきた秀吉からそう言われた重秀は、秀吉の言っている意味が分からなかった。とりあえず秀吉に言う。
「・・・父上。七や尾張から来た侍女達は縁に付けられた乳母と侍女です。彼女達は縁の傍にいるべき者達です。兵庫城に連れていくべきでは?」
「分かっておるわ。だが、おっ母が言うには『懐かしい尾張訛が聞けなくなるのは辛い』と言っておってのう。それに、儂の侍女頭も御祖母様と七達が一緒に暮らすことに賛成しておる」
「東殿もですか?」
重秀が言う東殿とは、長浜城本丸の侍女頭のことである。本丸御殿の東側に住んでいるから『東殿』と呼ばれていた。もっとも、彼女は『南殿』と違い秀吉の側室や愛妾という訳ではなく、ただの侍女頭であった。
ちなみに、彼女は大谷吉隆(のちの大谷吉継)の母親でもある。
「うむ。おっ母が七や尾張出の侍女達と仲良くしたお陰で、おっ母はだいぶ長浜城の暮らしを楽しんでおったそうじゃ。これで尾張より遠い姫山城で暮らすとなれば、やはり尾張出の者がおらんとおっ母も寂しいじゃろう」
秀吉がいつになく真剣な表情でそう言った。重秀も右の拳を口元に当てながら考え込んでいた。そして秀吉に言う。
「・・・分かりました。七と相談の上、御祖母様の希望に沿う様に致します」
秀吉が二の丸から本丸に戻った後、重秀は七を呼び出した。兵庫城へ移る準備をしていた七に、重秀が秀吉から聞いた話をすると、七の顔に困惑の顔が浮かび上がっていた。
「・・・いくら殿の命とは言え、私は安土の御方様(お濃の方のこと)より紫様に付けられた乳母にございますれば、御母堂様と共に姫山城に行くというのは・・・」
「分かっている。七には縁の乳母という役目の他に、羽柴の事情を安土の御方様に報せる役目もあるもんな」
重秀の言葉に、七は両目を思いっきり丸くした。そんな七を見ながら重秀は笑う。
「安土の御方様にあんなに具体的に目合った事が伝わっているなら、報せているのは七か尾張から来た尾張の侍女だけだろう。それぐらい分からぬ私ではないぞ」
呆れたような顔をしながら重秀は言った。この2〜3年で竹中重治を始め黒田孝隆、羽柴秀吉はもちろん、宇喜多直家と言った敵味方問わない謀将の凄さを思い知った重秀から見れば、お濃の方の謀など、あまりにも分かりやすいものであった。
「・・・ご慧眼、恐れ入りまする。とはいえ、これも織田と羽柴の仲を取り持つためのもの。羽柴家存続のために、何卒ご容赦あれ」
「・・・あまり自分の情事が他人に知られるというのは気持ちの良いものではないのだが」
渋い顔をしながらそう言う重秀に対し、七はただ黙って平伏するだけであった。重秀が話を続ける。
「七は安土の御方様が縁に付けた乳母故、姫山城に行くのは無理だろう。だが、御祖母様とよく話をしていた尾張出の侍女は姫山城に行ってもらいたい。そこが最大限の譲歩だと思うが」
重秀の話を聞いた七は暫く考え込んでいたが、やがて諦めたような顔になると「承知致しました」と言って平伏したのであった。
三月になり、雪解けが始まる頃。各地の織田家の重臣達が一斉に動き出した。
まず冬の間、雪に閉ざされていた越前から丹羽長秀、明智光秀、津田信澄が軍勢を引き連れてそれぞれの領国に引き返してきた。その後、三人は安土城で信長から褒賞を貰うと同時に明智光秀と津田信澄には新たな役目を仰せつかった。
すなわち、信澄には石山本願寺が支配していた地域である大坂の地の代官となり、石山本願寺を破壊してとりあえずの城を築くこととなった。
そして明智光秀には与力として長岡藤孝・忠興親子、筒井順慶・定次親子そして和泉、河内の国衆が付けられることとなった。後世で言われるようになる『明智軍団』または『畿内方面軍』の成立であった。
また、近江浅井郡の東側に知行を持つ者達が、播磨や摂津から小一郎の居る山本山城へと集まっていた。知行に関わる書類を用意し、新たな領主となる阿閉貞征に引き渡すためである。
山本山城に集まった者の中には、小一郎の家臣で本来そういった事務仕事に全く従事したことが無いものの、「今後、自身の知行でありえるだろう」と言う理由で駆り出された藤堂高虎や、近江伊香郡に知行を貰うことになっている宮部継潤とその家臣の田中宗政も含まれていた。
この頃、重秀は秀吉と共に長浜城とその周辺の坂田郡の一部、そして伊香郡の知行に関する資料を作成すべく、北近江中を回っていた。特に伊香郡を重点的に回っており、今まで作成した資料との齟齬がないかを確認していた。
「長兄、伊香郡は善祥坊様(宮部継潤のこと)等に与えられると聞きましたが、その方々は伊香郡にて居住されるのでしょうか?」
兵庫城から重秀の手伝いに呼び出された加藤清正がそう尋ねると、重秀は首を横に振る。
「分からない。善祥坊様は小一郎の叔父上とともに但馬平定の陣構に含まれているからな。伊香郡に来ることはないんじゃないか?多分他の人もそうだと思う」
重秀がそう答えると、清正も頷きながら言う。
「なるほど。確かに伊香郡には城はありませんから」
清正がそう言うと、横にいた大谷吉隆が控えめながらも声を上げる。
「・・・城はあります」
吉隆の意外な発言に、重秀と清正は思わず「えっ?」と声を出した。吉隆が話を続ける。
「一つは東野村の近くにある東野山の頂にある東野山城。もっとも、周辺を治めていた東野家は麓の館を使っていましたが」
東野家とは、伊香郡余呉湖の北周辺を治めていた国衆である。出自については諸説あるが、一説では常陸の大名佐竹家の一族であると言われている。
南北朝時代から室町時代にかけて伊香郡余呉湖の北周辺に住み着いた東野家は、京極家や浅井家に仕えたものの、浅井家の滅亡の際に没落してしまった。その後は新たな領主となった秀吉に仕えず、細々と暮らしていたようである。
「噂では、嫡男の左京進殿(東野秀行のこと)は京の曲直瀬道三の弟子となって医師となった、と聞いております」
吉隆の言葉に、重秀は思わず「そうなの!?」と声を上げた。曲直瀬道三とは京で短いながらも直接会ったし、弟子を引き連れて兵庫まで行き、竹中重治の治療を行っていたと聞いていた。また、三木城で竹中重治を看取った医者も曲直瀬道三の弟子だった。
「・・・ひょっとしたら、どこかで会っているのやもしれぬな・・・」
人の縁はどこで繋がっているか分からないものだな、と思いながらそう呟く重秀であった。と同時に、その縁を上手く利用できないだろうか、とも思った。
そんなことを重秀が思っている横で、清正が吉隆に話しかける。
「その東野山城の他に城はないのか?」
「・・・琵琶湖と余呉湖の間に賤ヶ岳という山があります。そこにも昔城があったと聞いたことがあります」
吉隆の言葉に、重秀が「ああ、聞いたことがあるな」と口を挟んできた。
「塩津の庄屋から聞いたことがある。いつ造られたかは知らないが、山頂に近いところに城があったと。城と言っても砦くらいの大きさだと聞いたな」
「賤ヶ岳って、結構高い山でしたよね?あんなところに城を造って役に立つんですか?」
清正がそう言って首を傾げると、重秀は笑いながら言う。
「昔はともかく、今はあんなところには造らぬだろう。私だったら岩崎山に城を築くな。あそこは西に余呉湖があるし、東のすぐ側を北国街道が通っている。しかも北国街道は谷あいを通っているから狭い。北から来る上杉軍を防ぐにはちょうどよい場所だ」
「・・・長兄、それならば岩崎山より北の堂木山か更に北の天神山の方がよくないか?」
清正がそう尋ねると、重秀は首を傾げながら答える。
「あそこらへんは水がないからな・・・。余呉湖が側にある岩崎山の方が籠城戦に耐えられると思うんだけど」
「・・・若君。岩崎山の南には大岩山と賤ヶ岳があり、更に賤ヶ岳の西北には公法寺山、大平良山と北に連なる山々があります。そこを尾根伝いに迂回されると、岩崎山の背後を取られますが」
「それならば大岩山と賤ヶ岳に支城を造れば・・・。ああ、そうか。そうなるとやっぱり賤ヶ岳に城はいるのか・・・。もしくは大岩山と岩崎山の間に堀切(堀の一種。尾根など山の上で比較的通りやすい地点を断ち切る目的で掘られる堀のこと)を設置するとかしないと駄目だな・・・」
そんな城造り談義に花を咲かせつつも、重秀達は自分たちの仕事を行うのであった。
そんなこんなで北近江で国替えの作業をしていた重秀に、秀吉が「そろそろ姫山城に戻る」と言ってきた。
「すでに宍禾郡の長水城攻めのための兵は集まっておる。儂が姫山城に到着次第、長水城の宇野を攻め滅ぼしてくれるわ。すまぬが長浜城は任せたぞ」
「承知致しました。小一郎の叔父上も竹田城へ戻られるのですか?」
「あれはまだ山本山城の引き渡しを終えておらぬで、当分は残る予定じゃ。だが、あやつには但馬の平定を任せておる。来月には竹田城に戻るよう申し伝えた。
・・・ところで、小一郎から言付を預かっておる」
そう言うと秀吉は重秀に小一郎からの伝言を言う。
「小谷城とその周辺はお主の知行。あそこも阿閉の奴に引き渡すところ故、検地帳などの書を引き渡すようにと言っておる」
「あ、はい。承知致しました。すでに準備はしてありますので、明日にでも山本山城に持っていきます」
重秀がそう答えると、秀吉は何かを思い出したかのような顔で尋ねてくる。
「そういえば、小谷城・・・。いや、もはや城ではないな。小谷牧場と言うべきかな?あそこの牛や馬、豚、鶏はどうなるんじゃ?」
「馬は当然連れて参りますが、牛は置いていきます。牛は元々播磨や但馬から手に入れていたもの。その播磨と但馬が我等のものになるならば、むしろ播磨や但馬で牛をやればよろしいでしょう。豚は今は数が少ない故、長浜にいる南蛮人に全て売り払おうと考えております。鶏は・・・できれば持っていきたいものです。播磨や摂津で手に入るか分かりませんから」
「ふむ。まあ、そこら辺は任せる。良いように取り計らってくれ」
秀吉がそう言うと、今度は重秀が秀吉に言う。
「ところで、蚕紙(蚕の卵を産み付けられた紙のこと)はどのくらい持っていきましょうか?できれば多く持っていきたいのですが」
「・・・さすがに全て持って行っては近江の百姓達に迷惑がかかる。阿閉の奴の益になるのは口惜しいが、我等の取り分は三分の一くらいで良かろう」
「それだけだと、播磨や但馬、摂津での養蚕には足りませぬが・・・」
重秀がそう言うと、秀吉は笑いながら言う。
「あっはっはっ!藤十郎は知らなかったか。播磨も古より養蚕が盛んな地よ!今では唐の国(今の中国のこと。この時代は明王朝であった)の絹に押されて、近江のように衰退してしまったが、それでも細々と養蚕は続けられとる!」
播磨での養蚕の歴史は古い。飛鳥時代には赤穂郡に渡来人が住み着き、養蚕と絹織物の製造がなされていたと言われている。
また、『延喜式』の各地の特産品をまとめた部分において、播磨でも絹が朝廷に納められていたことが書かれている。
「それは良かった。実は摂津八部郡は桑の木がほとんど無く、養蚕をするならまず桑の栽培から始めなければならないと悩んでいたところです。播磨でも養蚕がなされていたならば、桑の木は多く見つかるでしょう」
重秀がホッとしたような顔を見せると、秀吉も笑いながら言う。
「ありがたいことに鶏頭山城の赤松弥三郎殿(赤松広英のこと。のちの斎村政広)が養蚕を保護しておった。我等と合力すれば、播磨の養蚕は短時間で復活する。しかも播磨は温暖な地。北近江を超える絹の産地となろうぞ」
秀吉の言葉に対し、重秀は喜びもせずに黙り込んだ。それを見た秀吉が訝しる。
「・・・どうした?藤十郎。そんな難しい顔をして。嬉しくないのか?」
「いえ、そう言うわけではありませんが・・・。父上。少しお願いがあるのですが」
重秀が難しそうな顔をしながらそう言った。秀吉が返事を返す。
「ん?なんじゃ?養蚕のことか?」
「はい。播磨の村々で行われている養蚕を調べて欲しいのです。そして、出来れば蚕の卵を取れた地域ごとに区別して集めて欲しいのです」
「それは構わないが・・・。何を考えている?」
秀吉の言葉に、重秀が真面目そうな顔で答える。
「やってみないと分かりませぬが・・・。もしかしたら唐物の生糸に匹敵する生糸を日本、いや、播磨で作れるやもしれませぬ」
秀吉が播磨に戻った後、重秀は長浜城で残務の処理を行なっていた。この頃には播磨や摂津から浅野長吉や木下家定が戻ってきており、長浜城の留守居役であった杉原家次の補佐を受けつつ、仕事を行なっていた。
また、長浜城の引き継ぎ役である堀秀政との交渉も重秀が行なっていた。元々勝手知ったる仲なので、特に滞り無く引き継ぎは進んでいった。
そんな中、長浜城にいた重秀の元に、珍しいお客さんがやってきた。
「お初にお目にかかりまする。それがし、柴田修理亮様(柴田勝家のこと)が臣、山中橘内(山中長俊のこと)と申しまする。羽柴様への面通り、誠にかたじけなく」
重秀の前に座ったその者はそう名乗ると、姿勢正しく平伏した。長俊に重秀が返答する。
「わざわざのご丁寧な物言い、痛み入ります。先日受け取った文によれば、修理亮様の越前への国替えの際に、柴田家中の領内通行と宿泊の許可を書かれておりましたね」
「御意。それがしはその談合に参りました」
「父筑前より全ての許しは得ております。我等ももうすぐ国替えなので、大した饗しができなく申し訳ないのですが・・・」
「いえいえ。ご懸念には及びませぬ。雨風が凌げれば十分でござる。・・・しかしながら、実は我が主君より、二つほど願いがあるのですが・・・」
長俊はそう言うと、重秀の目を見ながら言葉を続ける。
「一つは、御方様(お市の方のこと)と三人の姫君(茶々、初、江のこと)を丁重に扱って頂きたいとのこと」
「無論承知しております。上様の妹君とその姫達を粗略に扱うことなどありえませぬ」
重秀がそう即答すると、長俊がもう一つの願いを言う。
「もう一つは・・・。実は御方様が小谷城を訪れたいと申されておる。なので、小谷城で宿泊できるよう、お願いしたい」
そう聞いた重秀は、一瞬黙った後に「ええっ〜!」と大声を上げるのであった。