第168話 化け物の邂逅
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天正八年(1580年)一月十日。姫路に宇喜多直家がやってきた。小西行長を始め、富川正利(のちの戸川秀安)、長船貞親、岡家利(岡利勝とも言う)、そして養子の宇喜多基家を引き連れての訪問であった。
姫路の南、飾磨湊に上陸した宇喜多一行は、そこで黒田孝隆の出迎えを受けてから、孝隆の案内で姫山城へ向かい、そして秀吉と面会する予定であった。
しかし、飾磨湊で出迎えたのは、孝隆だけではなく秀吉もであった。
「和泉守殿(宇喜多直家のこと)、和泉守殿!ようこそお越しくだされた!羽柴筑前守秀吉にございまする!お会いできて嬉しゅうございまするぞ!」
そう言って秀吉は宇喜多の一行に駆け寄った。そして、先頭に立っていた中年の男性を無視して、集団の中にいた一人の前に来ると、その人物の右手を両手で掴んだ。そして上下にブンブンと振った。掴まれた人物はもちろん、周囲にいた人物ですら驚きの表情を顔に浮かべていた。
秀吉に手を取られた中年・・・というより老年に近いその男は、驚きながらも秀吉に言う。
「・・・よくぞ、それがしを宇喜多和泉守直家と見破りましたな。先頭に立っていた影武者に目もくれずにそれがしの元に来られるとは」
「あっはっはっ、この猿めは鼻が効きますからな。生命の恩人の匂いを嗅ぎ分けることなど、造作もない事にて!」
秀吉が人懐っこい笑顔でそう言うと、直家もまた笑顔で返す。
「生命の恩人などと大袈裟な。むしろ、宇喜多の家を前右府様(織田信長のこと)に潰されぬよう尽力された筑前殿こそ、それがしの生命の恩人にて」
そう言うと直家は頭を下げた。秀吉が慌てたように両手を胸の前で振る。
「いやいやいやっ!そのようなことをされますな!いや、富川殿、長船殿、岡殿、そして明石殿(明石行雄のこと、明石景親とも)や花房殿(花房正幸のこと)と言った優れた将に率いられた勇猛な宇喜多兵とは戦いとうありませんでのう!」
秀吉がそう大声で周りに聞こえるように言うと、直家についてきた者達は満足げな笑みを浮かべた。自分達や配下の兵を褒められて喜ばぬ者はいなかった。直家がそんな家臣達を冷ややかに見ている中、秀吉が声をかける。
「ささっ、まずはあそこで一息お休み下され。和泉守殿をお迎えするために急遽こしらえた屋敷にございまする。何分急ぎで造った屋敷故、和泉守殿のお気に召しませぬかも知れませぬが・・・」
そう言って秀吉が右手をかざした先には、とても急造したとは思えないほど立派な屋敷があった。宇喜多家の者だけではなく、直家本人も息を呑まざるを得なかった。
「・・・いや、見事なものでござる。とても急造とは思えませぬ」
「いやぁ、我が羽柴の兵は上様より附城を作るようにいつも言われましてのう。中には上様が滞在することを前提とした附城を造る時がございますれば、急いでかつ豪勢に造らねばなりませぬでのう!」
あっはっはっ、と笑う秀吉に対し、直家だけではなく宇喜多の者達は複雑な表情を浮かべた。羽柴の軍勢の土木技術能力の高さを思い知ったからだった。
秀吉の案内で直家等の一行は屋敷に入った。その玄関にて、直家は思わず両目を見開いた。そこには、妻である福と息子である八郎が平伏して出迎えていたからであった。
「御前様。お懐かしゅうございまする」
「父上。ご無事のご到着、祝着至極にございまする」
まさかの妻と子の出迎えに、直家は思わず近寄って福の両手を取った。
「おお、福よ。無事で良かった。そなたに会えることを一日千秋の思いで待っておったぞ」
「御前様。筑前守様のご厚意によって、妾も八郎も丁重なおもてなしを受けました。どうか案じられまするな」
「父上、羽柴様のお陰で母も私も健やかに過ごすことができました」
福と八郎の言葉に、直家は「そうかそうか」と相好を崩しながら頷いた。しかし、直家の頭の中ではある疑問が解けていた。
―――なるほど。儂の影武者が見破られたのは、お福を連れてきていたからか。筑前はこの屋敷からお福が我等を見せて教えてもらったんだな。それ故、影武者には見向きもせずに儂の所へ来れたのか―――
そして直家は戦慄した。福が秀吉に、簡単に影武者と自分の違いについて話したことを。
―――福はそうやすやすと影武者の存在を話すような軽い女ではない。しかし、一体どうやって筑前は福を籠絡したのだ?こんな猿顔の小男に福が靡くわけがない!しかし、かと言って福が脅迫されたという感じもしない・・・。まさか、八郎に何かされたか?―――
そう思いながら直家は八郎の顔を見る。しかし、その表情はいたって穏やかであった。というか、人質生活を送っているとは思えない様な表情であった。
―――おかしい。人質にされた者はどことなく怯えているものだ。いや、そう見えなくても、それを隠すために虚勢を張ることが多い。儂の下に来た人質たちがそうであった。しかし、八郎や福にはそういったものがない。儂に久々に会えて安堵しているのか?
・・・いや、違う。あの表情はすぐにできる表情ではない。誠に丁重に扱われたとしか思えないほど穏やかだ。弥九郎(小西行長のこと)からは三木城包囲の時に使われた附城に二人は居たと聞いたが、前線の附城の中で一体どんな扱いを受けたのだ?―――
この時、直家は背中に汗がじんわりと広がっていくのを感じた。新年の寒さの中でかいた汗が、普通の汗ではないことを直家は分かっていた。
「まずは茶でも飲んでお休み下され」
秀吉からそう言われた直家は、秀吉の案内で書院へと案内された。そこでは、重秀が茶道具を前にして待っていた。
「ようこそお越しくださいました。羽柴筑前が息、羽柴藤十郎重秀にございます」
直家達が座った後、重秀は身体の向きを直家達に向けて平伏した。直家達も頭を下げた。
―――ほう。父親に似ていないと聞いたが、確かに似ていないな。それにしても、若い割に随分と落ち着いているな。・・・では、少し突いてみるか―――
そう思った直家は、頭を下げたまま重秀に言う。
「お初にお目にかかる。宇喜多和泉守にござる。阿閇城での戦いぶり、聞き及んでおります。見事な勝ち戦でございましたな」
言葉に嫌味を混ぜつつそう言う直家に対し、重秀は全く動揺することもなく答える。
「恐悦至極に存じまする。しかしながら、阿閇城では我が師、竹中半兵衛が策を立てておりました。私はその策に従っただけにございまする」
そう言って頭を上げる重秀。その顔には、晴れ晴れとした表情が浮かんでいた。直家は思う。
―――ほう、二十歳前の若造のくせに、自らの功を誇らぬか。しかも、儂に対して随分と落ち着いているじゃないか。上手く感情を操っているのか、それとも阿閇城の戦いの裏の事情を知らないだけなのか―――
そう思っていた直家に、重秀が「それではこれより茶事を行いたいと存じます」と言って平伏した。
それから、茶事は滞り無く進んだ。この茶事は重秀がだいぶアレンジを加えた茶事となった。
例えば懐石料理が出る場面では、
「この後、父筑前が皆様を饗すべく、山海の珍味と南蛮の珍しい食べ物を用意しております故、あくまで茶で腹を痛めない程度の菓子を用意いたしました」
と言って、千宗易が考案したと言われる『ふのやき』と呼ばれる菓子を出した。また、濃茶を回し飲みした後は、
「八郎殿にはちと苦すぎると思います故、こんふぇいと(のちの金平糖)を用意いたしました。皆様もどうぞお口直しに」
と言って、濃茶の後に干菓子としてコンフェイトを出した。本来干菓子は薄茶と一緒に食べるのだが、重秀は薄茶の前に干菓子を出したのであった。これには茶事に参加していた八郎や母親の福が喜んだ。
―――ほほう・・・。見事な饗し方よ。八郎のことまで考えているとは。筑前の倅は茶道に明るいようだな―――
直家はそう思いつつ、重秀の心配りに感謝するのであった。
その日の夜。屋敷の広間で行われた酒宴に重秀も参加した。急拵えの屋敷とは思えないほど広くて立派な広間の上段の間に秀吉と直家が並んで座り、重秀等羽柴の者達と宇喜多の者達は、下段の間で左右に分かれて対面になるように座っていた。
秀吉主催の酒宴は重秀の言うとおり、酒宴には近江を始め、京や堺、伊勢や摂津そして播磨から取り寄せた酒や食べ物、更には南蛮の珍しい食べ物も用意された。その豪勢さに、宇喜多の家臣達はもちろん、直家ですら圧倒された。
「さあさ皆様!何卒ご遠慮のう食べて飲んで下され!一時は敵対した者同士なれど、昔のことは水に流して、これからは同じ織田家の者として仲良うしていきましょうぞ!」
秀吉が笑顔でそう言い、羽柴の者達も積極的に宇喜多の者達に話をかけてきた。そのせいか、緊張気味であった宇喜多の者達も、次第に緊張がほぐれてきていた。
さて、そんな中、秀吉は隣に並んでいる直家に酒を勧めていた。
「ささ、和泉守殿。これは播磨で作られし名酒にござる!他にも各地から取り寄せた酒があります故、どうぞ飲み比べてくだされ!」
そう言って銚子を差し出す秀吉に、直家は右手を上げて制止する。
「あいや、拙者は実は酒があまり飲めなくて・・・」
常日頃毒殺を恐れていた直家は、あまり人から酌される酒を口につけなかった。なので、そう言って秀吉のお酌を断った。そんな事をされた秀吉は、嫌な顔をせずに銚子を引っ込める。
「おお、そうでしたか!儂は酒は好きでござるが、下戸な者に酒を押し付けるのは嫌いでしてのう!ご無礼の段、何卒ご容赦あれ!」
そう言って秀吉は手酌で自分の盃に酒を注ぐと、それを飲み干した。盃を空けたことを見せびらかす秀吉の意図を、直家は正確に読み取っていた。
―――酌をしようとした酒には毒は入っていない、と言いたかったのか―――
直家がそう思っていると、ふと視線を感じた。その視線の先には、重秀が静かに直家を見つめていた。
この時、重秀は静かに直家を見つめながら違和感を感じていた。父秀吉や師である竹中重治から化け物呼ばわりされている割には、直家本人に覇気が見られなかったからだった。
―――むしろ、生気もそれほど感じられないな・・・。もしや、病でも得ているのだろうか?―――
そう思っていた重秀と直家の目が合った。直家が重秀に尋ねる。
「・・・先程から、藤十郎殿が拙者を見つめておりますが、如何なされましたか?」
直家が重秀に聞こえるような声でそう言ってきた。皆の目が一斉に重秀に向けられた。
「・・・これはご無礼仕りました。いえ、特に何もございませぬ」
盃を膳に置きながらそう答える重秀に秀吉が話しかける。
「どうした?藤十郎。何か、和泉守殿に何か聞きたいことでもあるのか?せっかくじゃ。何か話をしてみぬか?和泉守殿はこれから我等と共に働いてくれる御方ぞ。お互いに知っておいたほうが良いじゃろう」
秀吉の言葉に、重秀は困惑した。特に聞きたいことがなかったからである。しかし、そんな重秀に、直家が話しかける。
「藤十郎殿。何か拙者に言いたいことがあるのではありませぬか?何、遠慮されることはありませぬ。人様から色々言われるのは慣れております故」
謀略をもって鳴らした直家である。最近ではその謀略のほとんどが創作であったり濡れ衣であったり浦上家のために成したものであった事が知られている。しかしながら、そのことについて直家本人は弁明すらせず、しかも積極的に関わったことをほのめかしていた。そのため、当時から色んな人に陰口を言われ、恐れられてきた。
直家からそう聞かれた重秀は、ふと阿閇城の戦いを思い出した。そこで、師である竹中重治の推測が正しいのか、それを確かめるために直家に質問してみる。
「・・・それでは、僭越ながらお尋ねいたします。先日亡くなられた我が師、竹中半兵衛は阿閇城の戦いを『宇喜多に勝ちを譲られた』と考えていました。阿閇城では和泉守様が指揮を執られていたようですが、宇喜多の兵四千あまりを阿閇城攻めに使わなかったのは、羽柴に恩を売るためでございますか?」
重秀がそう尋ねると、秀吉と孝隆以外の羽柴の者達は一斉に息を呑んだ。阿閇城の戦いで羽柴が勝利したとばかり思っていた者達である。重秀の言葉に驚いたのも無理はなかった。
一方、直家は表面上動じるような素振りは見せなかったが、内心では舌を巻いていた。
―――なんと。阿閇城の戦いの裏の事情を知っておったか。なるほど、『今孔明』の名高い竹中半兵衛が見抜いていたのか。さもありなん、というものじゃな。とはいえ、羽柴に恩を売る気はなかったんだがな―――
そう思った直家は、ゆっくりと口を開く。
「・・・確かに宇喜多の兵四千を阿閇城攻めに使わなかったのは拙者の采配のため。しかしながら、それは羽柴に恩を売るためではござらぬ。あの時は与次郎(浦上宗景のこと)が備前や美作にて旧浦上家中と共に蠢動を企てておった故、兵力を温存したのみでござる」
直家がそう言うと、重秀は頭を軽く下げながら礼を言う
「・・・分かりました。答えにくい問いかけに答えて頂き、恐悦至極に存じまする」
―――本当はもう一つ聞きたかったんだけど・・・―――
礼を言いつつ重秀は思った。重秀が聞きたかったこと。それは阿閇城の戦いの際に、三人の宇喜多の家臣が殿軍とされたことだった。
―――半兵衛殿はあれを宇喜多を裏切ろうとした獅子身中の虫を排除するために打った謀略だと。あの様な謀略をどうやってできるようになったのか、聞いてみたい―――
そう思った重秀であったが、自分の家臣を謀殺する方法を聞いてもよいのだろうか?という疑念も持っていた。
―――この場には羽柴の家臣もいる。私が聞けば、家臣達は私に背中から斬られると懸念するかもしれない。羽柴の家臣団は父上と小一郎の叔父上が長年にわたって作り上げてきたもの。私が壊して良いものではない―――
そんなことを考えていた重秀に直家が声を掛ける。
「そちらの問いに答えたのです。今度は拙者の問いに答えて頂けますかな?」
予想外の発言に、重秀だけではなく秀吉も固まった。直家が重秀に何を聞くのかよく分からなかったからだ。そんな重秀に、直家は笑いかけながら話す。
「いや、大したことは聞きませぬよ。ただ、弥九郎(小西行長のこと)から聞いた話では、元々宇喜多の討伐を唱えていた前右府様を説得し、織田への寝返りを認めさせたのは、筑前殿ではなく藤十郎殿と伺いました。あの前右府様をどの様に説得されたかをお聞きしたかっただけでござる」
直家の話を聞いた重秀は、困惑した表情で秀吉の方を見た。秀吉は重秀に言う。
「・・・もう何もかも終わったのじゃ。全部話して良いのではないか?ああ、安土に行った理由は話さなくて良いぞ」
秀吉の言葉を聞いた重秀は、内心ホッとしていた。安土に呼び出された理由が、縁との仲の悪さを疑われたことだからである。そんな事を他人に話したくはなかった。
「・・・分かりました。あの時の事をお話しましょう。ただ、話は長くなります故、それはご容赦下され」
そう言うと、重秀は安土に行った理由を話すことなく、安土であったことを話し始めるのであった。
酒宴が終わり、秀吉と重秀達は姫山城に戻った。屋敷に残った直家は、秀吉の配慮で残された福と八郎の三人で、久々の親子水入らずを満喫していた。
しかし、内心では先程の酒宴で語った重秀の話が気になっていた。
―――『佐久間右衛門尉(佐久間信盛のこと)の追放が終わるまでだけでも宇喜多を寝返らせておく』か・・・。なかなか面白い考えをする。儂も調略で多数の国衆を寝返らせたことがあるが、そこまでは考えなかったな―――
国衆は自分達の領地を守るために頻繁に仕える主君を変えることが多い。宇喜多もそうやって生き延びてきた。しかし、直家は『必要だから寝返らせた』ことはあっても、『不要になるまで寝返らせておく』という考えに至ったことはなかった。
―――それに、『織田に寝返った宇喜多を、毛利は二度と信用しない。だから、もはや宇喜多は織田を裏切れない』か。羽柴の倅の言うとおり、もはや儂等に寝返りの選択肢はない。そんな事をすれば、毛利と織田の両方から挟み討ちにされる。そんな事になれば、宇喜多家再興という儂の想いが潰えるからな―――
直家は八郎を見ながら思い続ける。
―――羽柴筑前、そしてその嫡男たる羽柴藤十郎。会ってみて分かった。その才は儂が考えていた以上だ。噂では羽柴小一郎という弟も中々の人物と聞いた。羽柴筑前そのものは儂一人で何とかできる。しかし、儂や筑前がいなくなった後、八郎ではあの羽柴の嫡男と対峙するのは難しい―――
播磨に居る化け物から、八郎は逃れることができるのだろうか?直家はそう思いながら八郎を見つめた。
―――やはり、羽柴は宇喜多の味方としたほうが良い。毛利に対抗できる同盟相手としては羽柴は心強いし、織田への取次としても申し分ない。むしろ、前右大臣(織田信長のこと)と直接話ができる女婿の存在は大きい。藤十郎とは何としても味方につけておきたい・・・―――
そう思いながら、直家は八郎の頭を撫でるのであった。